1894年 日清戦争
1904年 日露戦争
1907年 「ハーグ条約」(毒ガス使用禁止)
1914年~18年 第1次世界大戦(毒ガス大量使用100万人死傷)
1918年 シベリア出兵 大量の防毒マスクと毒ガスをシベリアへに送る、陸軍省に臨時毒ガス調査委員会を設置
1919年 陸軍科学研究所設立 化学戦の研究に着手
1925年 「ジュネーブ毒ガス議定書」調印 (毒ガス・細菌兵器の戦争使用禁止)、
宇垣軍縮 軍備近代化のための毒ガス兵器の促進
1929年 大久野島にて毒ガスの生産開始
1930年 台湾湾霧社事件 霧社事件弾圧に日本軍初めて毒ガス使用
1931年 満州事変
1933年 陸軍習志野学校創設(毒ガス戦訓練開始)、関東軍防疫班創設(731部隊の前身)
1935年~36年 イタリア軍エチオピア侵略で毒ガス攻撃
1936年 2.26事件 陸軍毒ガス準備
1937年 日中全面戦争を開始 大本営陸軍部 催涙ガスの使用許可
1938年 731部隊ハルピンに細菌工場を建設 大本営陸軍部 くしゃみ性毒ガスの使用許可
1939年 同大本営陸軍部致死性毒ガスの使用許可、関東軍化学部チチハルに創設、曽根兵器製造所(毒ガス弾の充填)創設
1941年 アジア太平洋戦争開始
1943年 相模海軍工廠(寒川)にて毒ガスの生産開始
1944年 大本営陸軍部毒ガスの使用中止命令
1945年 日本敗戦 中国全土及び日本各地で日本軍の毒ガス大量投棄
1946年 極東国際軍事裁判 日本軍の毒ガス。細菌戦は不起訴
1950年~53年 朝鮮戦争
1964年 自衛隊化学学校サリンの合成に成功
1965年 ベトナム戦争本格化(アメリカ軍枯葉作戦)
1969年 沖縄米軍知花弾薬貯蔵所で毒ガス漏洩事件
1970年 日本国会「ジュネーブ毒ガス議定書」批准
1972年 「生物・毒素兵器の禁止条約」調印、日中国交回復
1974年 中国黒竜江省ジャムス市、旧日本軍の毒ガス弾で35名重軽傷
1980年~88年 イラン・イラク戦争(イラク軍毒ガス使用)
1984年 旧日本軍の毒ガス戦関係公式文書相次ぎ発掘
1990年 国連軍縮会議で中国代表、日本に対し遺棄毒ガス兵器の廃棄処理を要求
1993年 「化学兵器禁止条約」締結 (他国に遺棄した化学兵器の廃棄義務も明記)
1995年 東京地下鉄サリン事件、日本政府調査団、中国各地で日本軍の遺棄毒ガス兵器の確認、
日本国会「化学兵器禁止条約」批准
1997年4月29日 「化学兵器禁止条約」発効、日本政府、中国の遺棄化学兵器の処理を開始
2025年3月19日 東京地裁判決 自衛隊「化学学校記事」の開示を却下
2025年現在 遺棄化学兵器の処理事業は終わっていない
*1931年~45年の間、中国では2091回の日本軍の毒ガス使用が確認され、9万4000人の死傷者を出したと中国資料は伝えている
*1945年以降、中国の遺棄毒ガスによる被害者は2000人以上と推定されている

日米軍事同盟反対!!
自衛隊「統合作戦司令部」発足 陸海空自衛隊を一元的に指揮
日本政府は、なぜ歴史的事実ときちんと向き合わない??
4月22日防衛省戦史資料室に元731部隊の池田苗夫の書いた「きい弾射撃による皮膚傷害・・・・」を閲覧しに行った。現物はあったが、写真を撮ろうとすると、この資料は業者じゃないと写真が撮れないという(つまり有料)、又肝心な袋とじの部分は公開しないとのことであった。この国は、731部隊の大事な資料もまともに公開できない後ろ向きな国だと思った。
石破首相は、「(略)その手立てと言うものが歴史の経過とともに失われた。・・・わが政府はそのような不誠実な政府ではございません。」と強弁しているが、手立てがあるのにそれを隠し続けている「不誠実な政府」なのである!!
井本日誌は、公文書(業務日誌)であって、私文書ではない!!
井本日誌は1993年まで公開されていたのに、なぜその後、非公開になったのか?
私的なものではない!!
井本日誌には、きちんと常徳の細菌戦の様子などが書かれている!!
戦史叢書には、井本日誌からの引用があるが、井本日誌にある細菌戦の記述はないのはなぜか?
731部隊の人体実験「資料ない」はウソ 公文書を示し追及
【731部隊】新資料で追及‼国会質問 徹底検証
この国家のやばい事実!!
(西山勝夫さんのメールより)

本庄繁の遺書
自衛隊でやっていることを隠蔽するな!!
自衛隊化学学校が作成した『化学学校記事』の情報公開を求めた裁判で、東京地裁は、原告の主張を無視して請求を棄却した!!『化学学校記事』については、情報公開を求めて審査請求をしたが、3年以上経ってから「不存在」の返事が来る始末。この間、防衛省は何を画策したのだろうか?
自衛隊化学学校では、1950年代から、毒ガス製造に関わり、1964年にサリンを合成しており、その後も毒ガスを作り続けている。
その化学学校が作成した『化学学校記事』が1冊も自衛隊にないという事は考えられない!!何で、機関誌を敢えて隠すのだ!!
裁判所は、強く情報公開を迫るべきだった!!
1925年に作成された毒ガスの実戦での使用を禁止するジュネーブ議定書に、日本は1970年になってやっと批准した。
その頃に作成された『化学学校記事16号』までの発行は自衛隊も認めている。16号は、原告側が持っていた。
認めたという事は、持っていることではないのか?
裁判所は、国側に加担し、三権分立を自ら放棄している!!
化学兵器禁止条約を日本は、1995年に批准しているが、OPCWの監視下、防護のためと称して、毒ガスを作り続けている。
戦中、毒ガス兵器を使い、その反省もせずに、戦後も毒ガス兵器の開発に手を染めている防衛省を、司法は裁かなくて良いのか、疑問を強く感じる。
裁判所には憲法9条を改めて、確認してもらいたい。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
『化学学校記事』12号の掲載された知られざる細菌戦の記述(杉田記事)
1938年 華中 細菌大量使用、1939年 ノモンハン 細菌大量使用、1940年 重慶爆撃 ペスト菌 コレラ菌使用、1941年 湖南省 細菌作戦、1943年 華中 華北 細菌作戦
化学兵器禁止条約(日本は1995年に批准)、これもザル法か?
化学兵器の開発・生産・貯蔵・使用を全面的に禁止するとともに、すでに存在する化学兵器および化学兵器生産施設を条約発効ののち原則として10年以内にすべて廃棄すること、一定の設備を持つ化学産業施設に対する検証措置をおこなうこと等を定めている。また、1925年1月1日以降に他国領域内に同意なく遺棄した化学兵器についても廃棄処理を行うこととされており、遺棄国に処分に必要な費用や技術の提供を義務付けている。
化学兵器禁止条約第2条9項の規定により、以下の目的については例外が認められている。
・工業、農業、研究、医療又は製薬の目的その他の平和的目的
・防護目的、すなわち毒性化学物質及び化学兵器に対する防護に直接関係する目的
・化学兵器の使用に関連せず、かつ化学物質の毒性を戦争の方法として利用するものではない軍事的目的
悪法!!秘密保護法撤廃!!
秘密保護法によって隠された自衛隊の実態について踏み込んで取材できる環境づくりが絶対必要だ!!
地下鉄サリン事件から30年 被害者や遺族 教訓語り継ぐよう訴え
地下鉄サリン事件被害者 “風化感じる”回答の8割以上 NHK調査
自衛隊合憲論反対!!
1995年3月20日地下鉄サリン事件発生
自衛隊化学学校は事前に起こることを知っていた。
科捜研の結果が出る前から自衛隊は、サリンであることを知っていた。
オウムの中に自衛隊信者がいた。その自衛隊員と化学学校の間で、電話で情報のやり取りがあった。
戦後も日本は自衛隊で毒ガスが作っていて、化学兵器禁止条約を批准(1995年)してからも、防護のためとして自衛隊では毒ガスを作っている!!(サリン、VXガス等)
自衛隊とオウムの関係もはっきりさせず、早々とオウムの幹部を死刑にした当時の安倍政権と法務省にも問題あり!!
立民・有田氏「地下鉄サリンは防げたのでは」 警察庁「当時の判断でオウム捜索に至らず」
2つの機関誌の情報をお持ちの方は、nobu.goi@gmail.comまでお寄せください。
自衛隊とサリン(週刊金曜日)
オウム真理教と闘って
ー関東地区青年婦人研修会の講演からー
関東地区開拓営農推進委員会(会長=野口正次茨城県関連会長)の青年婦人研修会が4月26日、山梨県で開催された。
今回は上九一色(かみくいっしき)村富士ヶ嶺地区でオウム真理教の無法と闘ってきた、元富士豊茂開拓農協組合長竹内精一氏の講演を聞き、参会者は大きな感銘を受けた。次に紹介するのは竹内氏の講演要旨である。
恐ろしい微罪逮捕の日常化
強制捜査後に行政も立入り調査をした結果ではオウム真理教には21の法令違反があったという。私は「日本の法律は3月22日に変わったんですねえ」と新聞のインタビューに答えた。地域の住民は以前からオウムの問題を全部指摘してきたにもかかわらず無視されてきた。県の幹部が革新系の連中がやっていたから県は手を出さなかったといっていたという話を複数の新聞記者から聞いた。坂本弁護士事件も同じである。横浜法律事務所が警察の盗聴事件の弁護を担当したから、そんな連中の言い分に警察が対応できるかというのが最初の対応の仕方である。松本サリン事件でも警察が河野さんを犯人に仕立ててしまった。
脱原発!!地震が起きてからではダメだ!!
東京電力 柏崎刈羽原発6号機 原子炉に核燃料入れる方針固める
女川原発2号機 運転差し止め訴訟 住民側訴え退ける 仙台高裁
志賀原発 “活断層連動”範囲 長さ1.8倍に見直しへ 北陸電力
三原由起子さんの短歌
わが店に売られしおもちゃのショベルカー大きくなりてわが店壊す
2025.5.9 核兵器禁止条約に日本は署名・批准を!!(八王子駅北口)

1972年9月29日 日中共同声明調印!!
日本政府は、真摯に過去に向き合っているのだろうか?
戦争の加害者は過去を忘れても、被害者は覚えている!!
軍隊をなくそう!!
『コスタリカの奇跡 ~積極的平和国家のつくり方~』予告編
推せんメッセージ
“コスタリカ人の母は幸福にも子の誕生から兵士の道なし”
☆☆平和が文化となった国、理想を現実にした国コスタリカ 珠玉の言葉が、深い感動をよぶ!!☆☆
積極的平和国家のつくり方
「コスタリカの奇跡」
1948年に軍隊を廃止。軍事予算を社会福祉に充て、国民の幸福度を最大化する道を歩んだ。
コスタリカの奇跡に迫ったドキュメンタリー。
中米の小国コスタリカの非武装化が、政治的な衝突や戦争、日常のいざこざの解決に対する思考や言動にどう影響を与えているかを知りたかった。
マシュー・エディー監督
〈完全採録シナリオ〉
プラ・ヴィダ PURA VIDA!―平和が文化になった国―
環境・エネルギー
◆森林面積
国土に占める森林面積の推移を見ると、1800年91.3%、1950年64.0%、1961年58.0%、1977年43.0%、 1990年41.6%、2000年38.5%となっている。森で覆われていた1800年から、150年で約25%減少。その後は、特に1960年頃から 森が切り開かれていくスピードが上がったことがわかる。
しかし、この間にもコスタリカ特有の複雑で多様な自然環境は、海外研究者や研究 NGO から注目され、 森を取り巻く環境が厳しくなる一方で、保全のための整備や保護、研究も始まっていった。
1985年8月12日 日航123便墜落!!
多くの同僚をこの事故で亡くした元日航客室乗務員が、事故原因に疑問をもって書いた本より
―目撃の証言から真相に迫るー
元日本航空客室乗務員
青山透子著(2017年出版)
省庁の名称や職業、役職、()の年齢はすべて事故当時のものとします。
第3章 『小さな目は目は見た』というもう1つの記録
3 ガソリンとタールの臭いが物語る炭化遺体と遺品
●山口悠介検事正による異例の説明会
当時この事件を担当した山口悠介前橋地検検事正が中野寛司三等検事とともに、1990年7月17日に、8・12連絡会事務局長ら21名の遺族と2名の弁護士に対して、異例の説明会を開いている。そこで山口氏は手持ちの資料を開示している。
これは1990年8月12日に時効が成立する直前のことであり、7月12日に前橋地検が、前橋検察審査会が『不起訴不当』とした米ボーイング社と日航関係者について最終的に不起訴を裁定したことを受けての説明会であった。
5時間にも及ぶ説明会の中で山口氏は次のように語ったという。
「捜査の結果、わかったことは修理ミスかどうか相当疑わしいということだ。事故原因には色々な説がある。(略)圧力隔壁破壊がいっぺんに起きたかどうかも疑わしい」と率直な意見を述べている。さらに事故調査報告書も曖昧だと断言し、ボーイング社も修理ミスとした方が簡単だから受け入れたと思えると示唆している。目の前の膨大な資料を指さして、「これを見ても真の事故原因は分からない、本当に原因は不明なのです」とし、捜査書類の入ったキャビネット20本以上を開示した。
さらに、非協力的な日航の態度についても苦言を述べ、その内容は、1990年8月3日付『毎日新聞』をはじめ、新聞各紙に載っている。
新聞記事では『無責任な検事、遺族の怒り、今更原因不明だとは』という内容で掲載している。
「日本航空123便墜落事故」裁判終結に、夫を亡くした81歳の遺族が期す「真相究明」次なる一手とは
【森永卓郎】※真実に近づくと消される…【日本航空123便】
●日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order,
the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
IMAGINE9
05
基地をなくして緑と海を取りもどしていく世界
基地をなくして、緑や美しい海を取りもどし、きれいな空気がよみがえる。それが、人びとにとっての本当の「平和」ではないでしょうか。それは、人びとが 「平和に生きる権利」を確保することでもあります。
フィリピンでは、1992年、国民的な運動の結果、米軍基地はなくなりました。韓国ではピョンテクという場所に新たな米軍基地がつくられようとしていることに対して、人びとは反対運動を続けています。
沖縄では「もう基地はいらない。美しい海を守りたい」と、辺野古での新しいヘリポート建設に反対する人たちが活動しています。自分たちの土地がイラクやアフガニスタンを攻撃する拠点と して使われることに黙っていられないと、世界の人びとは立ち上がっているのです。
世界の軍事費
武器輸出反対!!
海自の最新鋭護衛艦がオーストラリアに そのねらいは?
PFAS汚染 健康影響も?
憲法9条を生かそう!!
安全保障政策大転換、失われる「武器輸出三原則」の理念
※日本は既に、戦闘機等を輸出しようとしている!!
何とか歯止めをかけなければ!!
祝 PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(元・PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会)
立ち上げ6周年
★2018年1月17日の立ち上げ宣言・全文
・父は戦争の事だけでなく他の事にも無口でした。
1948年生まれの私はそういう父を生来の父の姿と思ってきました。
しかしベトナム戦争で米兵の3割前後が悲惨な戦争体験で精神を崩し、元の社会に復帰できないという。
同じような日中戦争や太平洋戦争を体験した日本兵も、つまりは私の父たちも精神を侵されたとして不思議ではない。
本当は父は正常な精神に戻りたいと必死に戦後社会を生きていたのではないだろうか。
私は快活だったかも知れない出征前の父は知らない。復員した後の無口な父しか知らない。
私は「本当の父」を知らないままに父を亡くしたのではないだろうか。
2~3年前からそんな思いで父を振り返るようになりました。
だとしたら、父も私も不幸だった。本当の自分を見せることも心の内を語ることもできずに苦しんだかもしれない父。
そんな風には生前一度も思ったことの無い息子。
その無口の父に反発し続けた私。父を通じて私も又戦争の傷を心に負ったのかもしれない。
私たちの世代にも呼びかけたい。
父親たちを見直そう。父親たちの精神世界を想像してみよう。
語り合おうではないか。
若い人たち、我々の子供たち、孫たちにも戦争は兵士のみならずその家族をも。戦争が終わったその後も家族を通じて長い間影響を与え続けるのだと伝えたい。
この指にとまってほしい!
2018年1月17日 黒井秋夫。
731部隊のものとみられる数百人の人骨が日本で発見
【ライブニュースルーム】旧陸軍軍医学校跡地での人骨発見を中心に調査団が集会を開き、日本政府に歴史を直視するよう求めた。 2024-07-30
核兵器・原発反対!!
ありえない日付が… ハンセン病患者の記録にねつ造の可能性
311甲状腺がん子ども支援ネットワーク
2024.6.12 「311子ども甲状腺がん裁判」
第10回 311子ども甲状腺がん裁判 原告の訴え!!
第10回 311子ども甲状腺がん裁判支援集会
第10回 子ども甲状腺がん裁判、準備書面プレゼン
1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイ(TNT換算で15 kt)の3万5千発以上に相当する。
アメリカだけではない!!世界は核実験・原爆・原発事故により放射能で汚染され、地球は破壊された。多くの人が核被害で苦しみ、温暖化は進んでいる!!
放射線を浴びたX年後III サイレントフォールアウト 乳歯が語る
サイレント フォールアウト予告編
核実験の人体実験
クラウドファンディングサイト
公式HP
(スケジュールをクリックすると今後の上映予定がわかります。)
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核なき未来へ
核兵器廃絶!!脱原発!!医学者も声を上げよ!!いつ大地震が起きるかわかりゃしない!!
日本と台湾の地震の対応が何でこんなに違うのか?
ビキニデーin高知2024
ビキニデーin高知2024 全体集会
マーシャルの報告(ビキニ被災訴訟原告団長 下本節子さん)
軍事研究としてのフォールアウト研究
ビキニ被ばく船員訴訟について
シンポジウム質疑応答
太平洋核被災支援センターの活動ー調査・研究・被災者支援
「日本政府に核兵器禁止条約への参加・署名・批准を求める意見書」採択
ビキニデーin高知2024閉会行事
昭和天皇の戦争責任を問う!!
昭和天皇が自認する戦争責任
3月20日に飯田市の飯田市平和祈念館に寄りました。下の写真のパネルは市教委が昨年9月に新たに作成したパネル。もう少し、詳しいパネルがほしい!!なんで日本は医学者が中心となって細菌兵器の開発に突き進んだのか?

昭和天皇が裁可したこの巨大施設で、細菌兵器の開発のため、人体実験が繰り返され、細菌兵器を製造し、中国各地で細菌戦が行われた!!(中国・平房)
改めて、昭和天皇・皇族・医学者の戦争責任を問う!!
ニュルンベルグでは、アメリカは
医師裁判などを行い、医師裁判では、23人の被告人が裁かれ、うち7名が絞首刑となった。
ニュルンベルグ継続裁判
飯田平和祈念館展示
検討委員会のある方のご意見
・9月1日に新たに展示された731部隊のパネル(上の写真)は一歩前進ではあるが、下に展示されている医療器具や本との関連が説明されていません。どうしても731部隊の証言が必要です。
市教委が展示したパネル
「標本室は目の開けられないくらい・・・」731部隊の実態
日本の秘密戦と731部隊ーその記憶を発掘し継承する意義
山田朗講演会(講演、質疑応答、意見交換等)
・山田先生の講演を聞いた人の感想
化学兵器や生物兵器は天皇の戦争責任にどう関係したでしょうか?小泉親彦や橋田邦彦の自死、あるいは帝銀事件が東京裁判で天皇の責任が問題になりそうな時に起きているのが気になっています。
・山田朗先生の回答
昭和天皇が化学戦・生物戦について認識していたことは、大本営からの命令(大陸指)の発令や、731部隊の関係者と接触した三笠宮からの報告で動かしがたいものだと思われます。ご指摘のように、敗戦から1947・48年の間にどのような隠蔽工作が行われたのか、これはまだほとんど解明されておりませんので、しっかり取り組んでいこうと考えております。ご指摘、ありがとうございました。
会場には、100名を超える人々が参加して、山田さんの講演を聞き、又意見交換もしました。
三笠宮と731部隊員の記念写真
三笠宮は回顧録の中で、「多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し毒ガスの生体実験をしている映画」を見たのを憶えている、としている。彼は次の様にも述べている。
「その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった」、と語っていました。
(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著 柏書房 p227)
※三笠宮は紀元節復活に反対(ウィキペディアより)
1950年代後半から「紀元節」(神武天皇即位紀元(皇紀)に基づき、三笠宮自身の父系祖先と伝承される初代天皇・神武天皇が即位したとされる西暦紀元前660年2月11日を「日本建国の日」とするもの)の復活への動きが具体的なものになってくると、考古学者及び歴史学者としての立場から「神武天皇の即位は神話であり史実ではない」として、「『神話』と『史実』は切り離して研究されるべき」と強く批判し、皇族の身分でありながらも積極的に「紀元節復活反対」の論陣を張った。編著『日本のあけぼの』は、このときに刊行されたものである。
竹田宮と731部隊
竹田宮は、他にもっと直接的なつながりを、細菌兵器施設との間に持っていた。彼は関東軍司令部によって設置された、731部隊と100部隊の事業の監督をするための特別委員会の幕僚メンバーだった。彼の幕僚メンバーとしての最も重要な責務は、平房や他の支部施設を訪問する許可を与えるかどうかを決定することであった。関東軍に於ける医療行政官のチーフのように権力ある個人すら、平房(の施設)に立ち入る際には竹田宮・宮田(竹田宮は宮田武中佐と名乗っていた)が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れる時は、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著 柏書房 p228)
今、広島で起きていること!!
「はだしのゲン」はなぜ削除されたのか
教育勅語の「中身はいい」? そう言いたい欲望の背景にあるもの
昭和天皇広島訪問
2024年広島市平和宣言
昨年度、平和記念資料館には世界中から過去最多となる約198万人の人が訪れました。これは、かつてないほど、被爆地広島への関心、平和への意識が高まっていることの証しとも言えます。世界の為政者には、広島を訪れ、そうした市民社会の思いを共有していただきたい。そして、被爆の実相を深く理解し、被爆者の「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」という平和への願いを受け止め、核兵器廃絶へのゆるぎない決意を、この地から発信していただきたい。
原爆資料館の運営委員の人選めぐる情報公開請求 市の非公開決定は「妥当」と答申【長崎市】
広島 平和記念式典 各国「招待」から「案内」に変更へ
長崎原爆資料館の展示更新「日本の戦争加害に関する展示維持を」…長崎市に市民団体が申し入れ
広島・平和式典、公園全体を規制 表現の自由侵害と反発も
長崎市長 平和祈念式典にイスラエル不招待で改めて立場説明へ
青木理氏 黒川元検事長の定年延長裁判に「安倍政権のありさまを改めて考えなきゃいけない」
萩生田NO!!集会(2024年2月18日)
萩生田光一議員にNO!!ー裏金疑惑、市民に説明を
森友開示文書の欠落 財務省“政治家関係者に言及 多いと推認”
戦争の加害も忘れるな!!
名古屋市敗訴確定、河村市長が憤り表明 トリエンナーレ訴訟
海老名香葉子氏 家族6人が犠牲になった東京大空襲の記憶「死ぬまで語り継ぐ」
海老名香葉子さん、東京大空襲80年を前に恒例の法要と式典開催 車いすと代読で平和への思いを披露

※カーチス・ルメイ・・・焦土作戦は東京・大阪・名古屋などの大都市を焼き払った後は、富山市・郡山市などの地方の中小都市も対象となった。これらの空襲は日本国民を震え上が
らせ、日本側から「鬼畜ルメイ」「皆殺しのルメイ」と渾名された。
勲一等旭日大綬章の授与
1964年12月7日に日本に返還されたばかりの入間基地で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。理由は日本の航空自衛隊育成に協力があったためである。12月4日の第1次佐藤内閣の閣議で決定された。叙勲は浦がルメイを航空自衛隊創立10周年式典に招待したことを発端とした防衛庁の調査・審査に基づく国際慣例による佐藤内閣の決定であることが明かされている。推薦は小泉純也防衛庁長官と椎名悦三郎外務大臣の連名で行われ、防衛庁から佐藤栄作首相・賞勲局へ叙勲が適当であるという説明があった。勲一等旭日章という種類の選定は大将という階級から慣例に基づいたものである。
授与への批判
ルメイが東京大空襲や原爆投下を行った部隊の指揮官だったことから授与に対して批判も大きく、現在でも「勲章は返還するべきである」と唱える者もいる。当時は日本社会党・原水爆禁止団体・被爆者などから国民感情として納得できないという声が上がった。
東京大空襲
死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間空襲。この3月10日の空襲だけで、罹災者は100万人を超え、死者は9万5千人を超えたといわれる。なお、当時の新聞報道では「東京大焼殺」と呼称されていた。
「八王子空襲~5人の証言~」第124回 多摩探検隊
「湯の花トンネル列車銃撃空襲」第40回 多摩探検隊
重慶爆撃
731部隊罪証陳列館見学に並ぶ長蛇の列(中国・ハルビン)一日1万人以上の来場者
朝鮮人BC級戦犯裁判問題
朝鮮人BC級戦犯裁判
「仲間の無念晴らしたい」朝鮮半島出身元BC級戦犯が訴え 戦後75年進まぬ法整備
「死んでも解決を」元BC級戦犯が今も背負う不条理
群馬の森「朝鮮人追悼碑」撤去問題
「群馬の森」朝鮮人追悼碑が撤去に
長生炭鉱(山口県宇部市)「ヒロシマ通信」から
山口宇部・長生炭鉱の「水非常」は、事故で亡くなった183 名のうちの136 名が朝鮮人でした。2月3日におこなわれた現地での追悼の集いは、さまざまな問いかけを私たちに突きつけてきます。・・・終わり近く9分ごろのところに金平記者が長生炭鉱のピーヤの見える海岸でインタビューしているシーンも出てきます。たいへんに貴重な28分ほどの映像、まだ観ていない方、ぜひ視聴をオススメします!
https://www.youtube.com/watch?v=oT781LkmlmY&t=35s
海に眠る30万の遺骨【報道特集】
長生炭鉱の坑口を開け遺骨発掘へ 장생 탄광의 갱구를 열어 유골 발굴에
敵基地攻撃能力などいらない!!自衛隊を災害救助隊にすべし!!
佐藤栄作元首相のノーベル平和賞 受賞当時の選考資料 初公開
<国民を欺いた罪重い
核兵器禁止条約発効から3年にあわせICANの事務局長が長崎を訪問
核兵器禁止条約発効から3周年記念 全国中継 核なき世界を日本から
「政府に対して結論を」核禁条約発効3周年のつどい長崎
なぜ、今、日中友好か?ー日中友好の歴史と展望からー
日本の中国侵略、原発事故を問う!!
「生命の力」
この番組を作り終え、休日に友人と会った。今回の番組について話したら、その友人の祖父はシベリア抑留から生還した人だったらしい。友人は、自分には生命力がある、と自負していたが、それは祖父ゆずりなのだという。
生命の力。困難な時代を生き抜く、力強さ、番組制作を通じて最も印象的だったことの1つだった。
こんな女性がいた。満蒙開拓団員として満州に行き、終戦の頃、ソ連軍がやってきた満州で一家心中を辛くも 生き延びて、戦後は福島で戦後開拓に従事。およそ60年後、今度は福島第1原発事故で福島を追われ、今も困難 生活を余儀なくされているという。その人は避難先で記した手記に、父と母に向けて次の言葉を残した。
「様々な苦難もありましたが乗り越えて今日の自分があります。後悔はしておりません。大いなる体験は人生の実り であり、私の宝物です。本当に生んでくれてありがとうございます」
本音かどうかは分からない。ただ、手記の最後に記されたその一文の放つ凛とした光を目にした時、一瞬時間が止まったように感じた。(担当ディレクター)
1月19日、「花地蔵物語」の完成披露演奏会が、東京の武蔵小金井の宮地楽器大ホールであった。会場は、満席で、大成功でした。
今、福島県津島で起こっていること(「花地蔵物語」から)
青木美希 なぜ日本は原発をやめられないのか? 【著者に訊く!】 20231207
珠洲原発があったら大惨事であった!!原発をなくそう!!
珠洲 地盤の隆起 全長約4キロ高さ2メートル余の「崖」出来る
石川県珠洲市を襲った津波映像 能登半島地震
能登半島地震の写真や図説

進まぬ耐震化、被害拡大要因か 能登半島地震 死因9割「家屋倒壊」全国で同様の懸念
未知の断層はまだまだあるのではないか??
同時に、原発事故が起きていたら??
国策原発推進反対!!
石川 志賀町で大地震引き起こした活断層とは異なる断層確認
「活断層」リスク評価 専門家 “調査手法など見直す必要ある”
原発活用の国策見直しを!!
ビキニ被災から70年!!
地球を破壊した戦争・核実験・原発
世界に拡がる放射能汚染!!
核兵器禁止条約批准せよ!!
反原発!!温暖化の一番の原因は2000回以上行われた核実験にあるのではないか?
あれだけの戦争をし、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマで4度の被ばくの体験した日本から、核廃絶・反原発・反戦をアピールしよう!!
ビキニ被災から71年!!核廃絶!!
原爆マグロ(水爆マグロ)- マーシャル諸島は太平洋中西部に浮かぶ、たくさんの珊瑚礁からなる国です。アメリカは 1946 年から 58 年までここを核実験場とし、67 回もの実験を行った。
- 1954年の3月から5月のキャッスル作戦では、多くのマグロが放射能に汚染され、それが問題になったので、3月から12月までは、魚の放射能検査を行ったが、その後は、行っていない。多くの日本人は、放射能汚染されたマグロを食べていたのでは?

築地市場跡地に核廃絶を訴え“マグロ塚”設置を要請 核実験に遭遇した「第五福竜丸」が持ち帰る
第5福竜丸無線長 久保山愛吉さん
辞世の句
原水爆の犠牲者は、わたしを最後にしてほしい。
— 久保山 愛吉
※1954年のアメリカの水爆実験による日本の被災船は、延べ1000隻に上る。アメリカは、第五福竜丸の船員には見舞金を支払ったが、他の船員には、全く補償をしていない。
大石又七とマグロ塚(2024年2月25日)
ビキニ 隠された被害
なぜ、日本はイタイイタイ病の原因を認めなかった?萩野医師の死後、世界を舞台に起きた陰謀
イタイイタイ病

原子力村解体!!安保村解体!!

18日 (水)
2、731 については、以前、小学校担任時代、6年生の子ども達に授業をしていました。30年以上前のことです。しかし、その後、教育の右傾化により、そうしたことは一切出来なくなり、今、この事実も言葉も知っている人、特に若者は皆無と言っても良いでしょう。こうした企画は、そういう点で非常に意義深いと思います。が、いかんせん、若い方の来場が少ないであろうことが想像され、その点、残念でなりません。
ヒロシマ・ビキニ・フクシマ・・・放射能被害の矮小化の事実はここまで酷いとは、しかも、それを日本人が行っているとは知りませんでした。「公」の言うことは信じられないと改めて痛感する次第です。
素晴らしい会をありがとうございました。
(60代、市内、チラシ)
被爆国の首相が、なぜ放射能の恐ろしさを語らない??
再生可能エネルギーの積極的活用を!日本も脱原発の方向へ!!
現在原発を利用していない国・・・イタリア・オーストリア・オーストラリア
将来的に非利用にする国・・・・・韓国・ドイツ・ベルギー・台湾・スイス
福島原発事故の写真!

福島原発周辺8町村 1514人が震災関連死 7割が3回以上移転
世界史上最悪(レベル7)の原発事故福島第1原発
原発推進、汚染水放出、アメリカと日本の関係??
日本の医学界も、原発推進、汚染水放出等の問題に、なぜ沈黙する。
ALPS処理汚染水を海に捨てないで!海洋投棄を止める活動にご支援を
グリーンピースからのメールの一部より
汚染水放出に反対、再生可能エネルギーへの早期転換を求めて
8月22日、日本政府は、東京電力福島第一原発敷地内に貯留されている「ALPS処理汚染水」の海洋放出を気象や海象条件などに支障がなければ、9月24日にも開始することを発表しました。
グリーンピース・ジャパンは、 2023年8月17日、汚染水の海洋放出に反対する署名36,334筆を経済産業省に、原子力発電所に反対する署名18,642筆を内閣府に提出しました。
「放射能汚染水を海洋放出しないで」署名を経済産業省の担当者に提出しました。
日本政府および東京電力は、漁業関係者や住民、太平洋地域や近隣諸国の懸念を押し切って、放射性物質を含むALPS処理汚染水を海に放出する決断に踏み切りました。あらゆる問題を山積みにしたまま、数日のうちにも海洋放出が開始するかもしれないこの状況に、憤りを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。
グリーンピースは8月17日、54,976筆の署名を、国際環境NGO FoE Japanなどが主催する政府・東電との討論会の場などで政府に提出しました。また8月18日には、市民団体「これ以上海を汚すな!市民会議」が、首相官邸前にて行った汚染水の海洋放出に反対する要請行動に参加しました。
;8月18日の「これ以上海を汚すな!市民会議」主催の抗議集会
放射性廃棄物の海洋放出は、福島第一原発の廃炉計画の失敗を明らかにしています。いったん海に流された放射性物質は決して回収できません。一方で、汚染水の発生を止める有効な手段はとられていないままです。放射性廃棄物を意図的に放出し、海を汚染するという選択は、日本の数十年にわたる原発政策が招いたものです。
署名提出、討論会でわかったこと
グリーンピースが政府に署名を提出した2023年8月17日、市民と政府および東京電力との討論会がありました(国際環境NGO FoE Japan主催)。経産省、原子力規制庁、東京電力から10名以上が出席し、市民側は放出に反対する福島県民、オンライン参加者も含め多くの参加がありました。
2015年、政府・東電は、「関係者の理解なしにいかなる処分も行わず、他核種除去設備で処理した水は発電所敷地内のタンクに貯留します」と文書で約束しています。討論会で「この約束は守られるのか」と問われた際には、はっきりと「守る」と回答していました。それにもかかわらず、海洋放出を推し進めようとする政府の不誠実な姿勢は、到底受け入れられるものではありません。
また、討論会では、グリーンピースはじめ、多くの研究者らが提案してきた陸上に保管する代替案について、ほとんど議論されていなかったことが改めて浮き彫りとなりました。東電は「モルタル固化処分案」については「ALPS小委員会においても検討が行われている」と回答しましたが、検討されたのは地下に埋設する別の方法についてであり、さらにそれも2行書いてあるだけで、会議資料にも議論の記録はありません。
処理費用と期間も大幅に膨れ上がっています。様々な処理方法が検討されていた2018年の時点で、海洋放出の費用は17~34億円とされていましたが、現在の試算では1200億円となり、処理にかかる期間も52~88ヶ月程度と書かれていましたが、現在は少なくとも30年以上と言われています。
海を汚染しない選択を求めます
福島第一原発の廃炉作業を進めるために「ALPS処理汚染水」の海洋放出は必要ありません。抜本的な解決策について、グリーンピースは元ゼネラル・エレクトリック社で東電福島第一原発などに勤務していた原子力コンサルタントの佐藤聡氏に委託し、2021年に具体的な提案を含むレポートを公表しています。
欧米で運用されているより高精度な多核種除去設備で限界まで放射性物質を取り除いた処理汚染水を、現行のタンクより堅牢な大型タンクに移し、さらに高度な除去技術を開発することが、現段階では最善の解決策であるとグリーンピースは考えます。
ALPS処理水海洋放出反対学習会「豊かな海を後世に引き継ぐために」/ 福島大学准教授 林薫平先生
第9回「戦争の加害展」(横浜)
第9回 戦争の加害パネル展
それは丘の上から始まったー平楽の丘で起きたことー
上海で日本軍は何を
横浜で「戦争の加害展」 香港フェニックス
記憶の継承を進める神奈川の会
2024年の「戦争の加害展」の感想
2024年4月27日(土)~5月5日(日)
◆4月27日(土)
15.「南京!南京!」重苦しい長い映画でした。以前見た、「ジョンラ-べ」とは全く違う印象です。でも「ジョンラーベ」は皇族の命令で虐殺が行われていました。今回は天皇、皇軍の名前が出てきません。日本兵は無学で下品な人ばかり。国際法も人権も全く知らない。そして公文書、証拠は焼き捨てて、偉い人は先に逃げてしまった。
日本には記録が残っていないから、石原慎太郎は「南京事件は無かった」と言った。この映画を見たら何と言っただろうか?
これだけのパネル展を9回も続けてきたのはとてもすごいと思います。しかも無料というは感激します。
ガザ 子供がみんなしっかりしている。大人っぽい。日本は40才でも可愛い人ばかり。日本も戦争中や孤児は自分達で生き抜いてきたのでしょうネ。
(60代、市外(茨木)、友人、映画(両方))
日本が中国に棄ててきた毒ガス問題
中国に戦後日本軍が遺棄した毒ガス被害に苦しむ人がいる(日本政府は補償していない)が、日本にも毒ガス工場で働いた人、毒ガス工場解体時に被害にあった人がいるが、その人たちへの補償はどうなっているのだろうか?
以下は、毒ガス研究者の田中浩朗さんの『日本軍の毒ガス戦の歴史』による。
「1952年に大久野島毒瓦斯傷害者互助会が結成され、国に毒ガス傷害者の援護が求められた。そして、1954年の大蔵省通達「ガス障害者救済のための特別措置要綱」によって忠海製造所の旧従業員(旧陸軍共済組合の組合員)に対する援護(医療費や各種手当の支給など)の道が開かれた。その後、徐々に援護の対象が拡大され、現在では旧東京第二陸軍造兵廠忠海製造所、旧広島陸軍兵器補給廠忠海分廠、旧東京第二陸軍造兵廠曽根製造所、旧相模海軍工廠の旧従業員(財務省所管)および元動員学徒等(厚生労働省所管)に対する援護制度が存在する。最後の援護対象となった旧相模海軍工廠の旧従業員らが援護されるようなったのは、戦後半世紀以上が経過した1999年のことであった。」
町に潜む毒ガス兵器2004.7.15
毒ガスの行方(浜名湖) 2003.11.15
迫られる毒ガス弾処理~化学兵器禁止条約発効へ~
隠されてきた毒ガス 1996.9.10
悪魔の霧は今も 毒ガス兵器の惨禍(1996.8.28)
今世界に訴える毒ガスの島
湖底に沈む爆弾~化学兵器・もうひとつの戦後処理~
化学兵器をどう処理するのか~迫られる日本の選択~
忘れられた毒ガス被害者(相模海軍工廠)
毒ガス工場46年目の証言(東京第二陸軍造兵廠 曽根製造所)
毒ガス工場解体(大久野島の毒ガス工場解体)
暴かれる毒ガス戦の真実
オーストラリアの毒ガス人体実験ニュース
オーストラリアの毒ガス人体実験
化学兵器禁止条約が発効(1997年4月29日)されて10年過ぎても20年過ぎても(原則10年以内に廃棄)、中国に遺棄した日本軍の毒ガスは廃棄できないでいる。(廃棄完了は2027年の予定)分解できない砒素はドイツの地下に貯蔵?
毒ガスの処理事業は、内閣府は、下記の資料では2022年に終了することになっていたが、終わらす、2027年には完了するとしているが、本当に終わるのであろうか??
日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する中国外交見解
2024年7月30日中国外交部记者会見
东方卫视(ドラゴンTV)記者の質問
今日は、「中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する中華人民共和国政府と日本政府の間の覚書」締結25周年記念日です。報道官は関連作業の進捗状況と中国の懸念について紹介してもらえますか?
林剣報道官の答
中国における日本の遺棄化学兵器は、中国侵略戦争中に日本軍国主義が犯した重大犯罪の一つであり、依然として中国人民の生命と財産、生態環境の安全に重大な脅威を与えている。今日まで、中国は日本の遺棄化学兵器問題を非常に重視しており、化学兵器禁止条約と日本の遺棄化学兵器廃棄のための日中政府間覚書の規定を遵守し、遺棄化学兵器をできるだけ早く、安全かつ清浄かつ徹底した方法で廃棄するよう日本に求めている。
中国の強力な支援により、日本はこれまでに約13万個の日本の遺棄化学兵器を発掘・回収し、約10万個を廃棄した。しかし、日本の投資は不十分かつ不均衡で、遺棄化学兵器の廃棄プロセス全体は依然として大幅に遅れ、廃棄計画は4回も延期されている。いくつかの重要かつ困難な問題は未解決であり、廃棄の進行は著しく妨げられ、中断されている。
日本の遺棄有毒化学兵器を除去することは、日本が逃れられない歴史的、政治的、法的責任である。中国は日本に対し、中国の懸念を真剣に受け止め、条約に基づく責任を真摯に果たし、あらゆる面で投資を拡大し、遺棄化学兵器の処理プロセスを加速するためにあらゆる努力をし、関連する廃棄計画を包括的、完全かつ正確に実施するよう強く求める。そして一刻も早く中国人民に浄土を返していただきたい。

日中未来平和基金
日本が、中国へ捨ててきた毒ガス兵器による被害者の救援のお知らせ
日本が捨てた毒ガス兵器で寝たきりに「震えが止まらない」「助けて」怒り苦しむ中国人女性の涙
「遺棄化学兵器処理事業情報公開請求訴訟」とは?
先の大戦で、旧日本陸・海軍は化学兵器(毒ガス兵器)を製造・使用した事実を隠すため、 敗戦時、日中両国内でそれらを地中に埋めたり、川や海に投棄しました。戦後もこれらの遺棄化学兵器による被害が後を絶ちません。
日本は1995年に化学兵器禁止条約に批准し、1999年以降、内閣府主導で、それらの化学兵器を中国で処理していますが、処理してもなお化学兵器に含まれていた有毒物質のヒ素が残ってしまいます。内閣府はこのヒ素を含んだ有害廃棄物の最終処分をドイツで行うことを検討していることが判明し、その検討経緯を知るために、2019年9月に行政文書開示請求をしました。しかし、「公開」された6861頁のほとんどが黒塗りで肝心の経緯が分からなかったため、審査請求も行いましたが、2022年5月19日、「ほとんどの文書の不開示は妥当である」という趣旨の内閣府の裁決がありました。
そこで、議論の過程を明らかにするために、12人の弁護士の協力のもと、2022年11月18日に提訴しました。
遺棄化学兵器処理事業情報公開裁判第6回
遺棄化学兵器被害裁判と被害者支援基金活動 2023 12 5
News & Information
\次回弁論傍聴のお願い/
2025年5月27日(火)11:30〜
東京地裁703号法廷
“開示”された6861頁(335文書)において、不開示にした箇所の不開示理由が不十分であるため、裁判長の指示により、国(内閣府)はそれぞれの具体的な理由を表に埋めることを続けています。
国は文書番号250までの不開示理由を提出しており、次回の弁論までに残りの文書番号335までを提出する予定。
裁判長の提案により、一旦国の不開示理由が出尽くすのを待った上で、原告側は反論をすることになっています。ただ、原告側も反論の準備を随時進めており、次回こちらからも出来る限り反論を出す予定です。
傍聴によって私たちの関心を示すことができるので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします!
2025年5月3日(土)14:00〜「日本軍の毒ガス展〜日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題」@かながわ県民センター
本訴訟について、弁護団の金子美晴弁護士と話します。ぜひ本訴訟ならびに本企画をご周知の上、お越しください。お待ちしております!
毒ガスの処理についても、大事な問題なのだから、国民にきちんとわかる形にして、どのように処理されているのかはっきりさせる必要がある!!
*裁判長にすら、原本黒塗りとは何事だ!!インカメラ審理の導入を!!
*秘密保護法反対!!戦時中の文書・戦後の文書もきちんと国は公開すべきだ!!
・インカメラ審理とは、「裁判所だけが文書等を直接見分する方法により行われる非公開の審理」を指す。情報公開訴訟において、このようなインカメラ審理が認められなければ、裁判官は、争点となっている文書を実際に見ることなく、これに不開示情報が記録されているか否かを判断せざるを得ないのである。
そのため、情報公開法の立案時以来、実務家、研究者、市民団体などから、情報公開訴訟においてインカメラ審理の導入を認めるべきであるとの強い要望があったにもかかわらず、今日に至るまで、インカメラ審理は認められていない。 (情報公開訴訟とインカメラ審理 行政監視委員会調査室 畠 基晃)より
被爆国日本は、核兵器廃絶・反原発を推進すべし!!
防衛費増額反対!!
旧統一教会問題
帝銀事件
帝銀事件と731部隊
731部隊と大学
731部隊の4つの細菌戦
「証言 石井四郎」~語られた人物像~
細菌製造の731部隊~731部隊軍医秦正氏(はたまさうじ)の証言
厚労省は新型コロナワクチンデータを開示せよ!
関東大震災時の朝鮮人虐殺
「戦争と医の倫理」の検証を進める会シンポジウム
狭山事件ー石川一雄さんを訪ねて
ご冥福をお祈りいたします。
狭山事件 再審求めた石川一雄さん死去で審理終了 東京高裁
62年前の狭山事件で再審求めてきた石川一雄さんが死去 86歳
天声人語
しんみりとした歌声が響いていた。〈吹けば飛ぶよな 将棋の駒に)。『王将』の演歌の調べである。〈賭けた命を 笑えば笑え〉。マイクを握った男性の顔には、深いしわ幾重にも刻まれている。友人たちとの会食の席だろうか▼この3月に届いた訃報だった。狭山事件で強盗殺人罪に問われ、無実を訴え続けてきた石川一雄さんが亡くなった。86歳だった。先週、東京・神保町駅の近くで開かれた追悼集会に行くと、在りし日の故人の日常を映した動画が流れていた▼石川さんは叫んでいる。「不撓不屈。こんなもんに負けてたまるか」。書きためてきた短歌も、妻の早智子さんから紹介された。〈晴れる日は今日か明日かと60年 何時も心中露時雨(つゆしぐれ)〉。無念さを塊にしたような言葉がいくつも続く▼ひどい貧困の問題があった。権力の横暴があった。教育を受けられなかった者への残酷な冷たさがあった。 そして、それらの根源が、被差別部落に対する人権侵害の問題ではなかったか。獄中生活は31年に及んだ▼3回目の再審請求が出されたのは2006年だ。19年もの歳月が過ぎるのに、裁判所は何ら判断を示していない。あまりにも長すぎる。冤罪を訴える人間に対し、今のこの仕組みは、不条理である。▼追悼会場には、フォーク歌手の小室等さんも駆けつけ、ギターを手に歌った。〈どこかで だれかが/きっと待っていてくれる〉。懐かしいにおいのする曲だった。〈くもは焼け 道は乾き/陽はいつまでも沈まない〉 2025年4月26日
小林多喜二没後90年(2023)
平頂山事件91周年集会(2023年9月)

細菌製造の731部隊~731部隊軍医秦正氏(はたまさうじ)の証言
南京大虐殺から雲南戦へ
今語るべき日中戦争
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
1995年8月15日
いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の
念を捧げます。
南京大虐殺
パネー号撃沈
第58号 重慶爆撃
原爆投下や東京大空襲ばかり取り上げて、 日本のテレビや教科書が重慶爆撃を取り上げないのは問題だと思います。 (視聴者のコメント)

731部隊
731部隊

原爆
ニュース257号

八王子 平和・原爆資料館
●東京帝国大学伝染病研究所
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか?精神的緊張裡とは、何のことだろうか?
・中込亘は、731部隊で細菌に感染して死んだのだろうか?
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
実験医学雑報24巻12号で、三田村が伝研の所長に任命されて、挨拶を書いているが、宮川米次がなぜ、伝研を去ったのかに全く触れていない!!
宮川は、どんな不祥事をしでかしたのか?その後、伝研には姿を見せていない。
長與又郎・・・・石井は京大総長であった荒木寅三郎(生化学)の娘,清子と結婚します。荒木は東大医学部 出身で後輩に長與又郎(病理学,後に東大総長)がいました。長與は清野,川上漸(京大病 理,後に慶大病理教授),戸田正三,金関丈夫(京大解剖,後に台北帝大教授)らと交流があ り石井ともつながっていました。長與は京都で開催された第十回医学会総会(1938年)で石井 の戦地実況活動写真を鑑賞し,ハルビンの731部隊も訪問しています。石井は京大,軍医学校 を経て東大へと人脈を広げていきましたが,それは731部隊発足前から形成されていた三者の医学界エリートネットワークへの参入を意味しました。(731と大学:吉中丈志)
実験医学雑誌26巻(1942年)
雑報2号
学術集談会
去る1月22日(木)午後1時から本所講堂に於いて学術集談会が開催された。広く知識を求める意味に於いてこの度柴田桂太先生に特別講演をお願いする事に致しましたところ、先生がご快諾下さいましが当日公用の為支障が生じ田澤氏が代演されることになった。蛋白の構造について日頃の蘊蓄を傾けられ、我々の益する所大であった。
当日の演題は次の様であった。
尚バイエル社提供の化学療法の映画は戦時下の友邦ドイツの研究状況を知るに充分なものであった。
1、初生児剝奪性皮膚炎(4例)並びに膿痂疹より分離せる葡萄状球菌の毒素産生能及び生物学的性状 二神由紀彦君
2、サルモネラ属菌体抽出物質の免疫学的研究 高田昇造君
3, マンニット?非分離赤痢菌(特にシュミッ菌)の細菌血清学的研究 遠藤博君
4、多価蛇毒血清製造の研究(第1報)
所謂出血毒を主とせる本邦産蛇毒混合免疫ついて 田中哲之助君
5、モロネイテスト陽性者に於けるジフテリア予防接種について
細谷省吾君、林阿安君、渡邊俔君、中村精子君
特別講演
1、絹糸フイブロインの構造について 柴田桂太君、田澤康夫君
付 3時半よりバイエル社提供映画
「細菌性感染の化学療法」上映
バード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第9章 聖戦
Ⅳ
平沼、阿部、米内の3内閣のもと、一連の混沌とした国際危機を通じ、昭和天皇は対中国戦争と南進政策の双方の展開を見守ることに満足していた。行き詰まった中国との戦争から日本を解き放つための個人的努力をしたことはなかった。そして、対中国政策が変わらないかぎり、対米関係もまた改善しなかった。昭和天皇は南進政策を戦略的に望ましいと信じていたが、海軍が南進を続けた場合、英米がどのような立場を取ることになるかが彼の主たる懸念だった













































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