2017年6月7日水曜日

細菌戦の系譜!!

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●731部隊(1)
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●731部隊(4)
●陸軍軍医学校50周年記念行事について
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●マレーシアの旅
●九大生体解剖事件



●情報公開!! 特定秘密保護法撤廃!!
防衛省は、6日の『衛生学校記事』の情報公開裁判で、こんなに長く裁判をしているのに、全然資料の提示をしなかった!!なんでこうも長く隠す!!時間稼ぎだ!!裁判長ももっと強く防衛省に提示を要求して欲しい!!防衛省は、何をしているか全くの秘密主義だ!!

・ニュース
6月6日:田村智子質問 全く加計ありき!!(動画14分過ぎから)
田村:「1つ、アレッと思ったので、質問しますが、山本大臣、加計理事長が総理の友人であることは、(昨年の)9月7日に知ったと答弁されたんですけれども、加計理事長と大臣自身も友人だという報道もあるんですが、9月7日に知ったという事で間違いないのですね。」
山本;「そうです。」(大臣はミャンマー友好議員連盟幹事長や日本会議とか日本ユニセフを通して、加計と安倍の関係を知らないはずは無いと思うが!!)
田村:{どうやって知ったんですか?それは加計さんが山本大臣にお会いして、私は総理の友達です。ところで獣医学部新設を提案しているので、よろしくね!!という話をされたという事ですか?」
山本「友人であることはその前日であると思いますが、秘書官から聞きました。」
田村:「そうすると内閣府の中で、加計さんというのは総理の友人であったと、この方が明日お会いになりますのでと、いう風に山本大臣にサジェスチョンがあったという事なんですね。そうでしょ!!」
山本:「サジェスチョンというか、そういう方ですという紹介がありました。」
田村:「・・・・この時点で提案者じゃないんですよ。提案者じゃないのに、総理の友人であるという事は、内閣府も共有をしていて、私は獣医学部を提案しているのでよろしくというあってはならない会話を大臣と交わしているのです。・・・・」
加計学園6 6 田村智子共産: 参院・内閣委員会


「加計学園ありき」の想定問答 民進が新たな文書入手

加計学園への土地無償提供&巨額補助金が発覚…国民による抗議運動が先鋭化

文書再調査拒否・矛盾する答弁… 加計問題、深まる疑問

「加計文書を省内で共有」 文科省の複数職員が証言

加計問題で文科省を告発=公用文書隠した疑い―高松の男性

<加計疑惑>「前川の乱」から「文部科学省の乱」へ



前川前次官 官房長官答弁に反論コメント


「官邸の最高レベル」文書、文科省内で共有か 民進指摘


前川氏インタビュー


内閣府「18年度開学」指示 本紙に前川前次官が証言


文科省前次官 当時の内閣官房参与から「決定に従えばよい」

開学要請複数ルート 前川氏「別のOBも」


<加計学園>「千葉科学大学」を誘致した銚子市の実態


誰が見ても明らか!!安倍首相と加計理事長はこんなズブズブの関係だ!!安倍首相辞任!!
昭恵夫人はこの飲み会について「クリスマスイブ。男たちの悪巧み・・・(?)」などと意味深なコメントをしています。

写真にはお酒を飲みながら笑顔になっている安倍晋三首相や加計学園の加計孝太郎、三井住友銀行副頭取・高橋精一郎氏、鉄鋼ビルディング専務・増岡聡一郎氏などが写っています。

「特区の議論はすべて『加計ありき』」——「森友を超える」加計学園の疑惑をIWJだけにトコトンぶちまける!岩上安身が日本獣医師会顧問・北村直人氏(前衆議院議員)に独走スクープインタビュ







加計学園問題
日本獣医師会顧問、北村直人氏が語る加計学園問題!!
獣医師会が反対していた!!
ご夫人のフェイスブックに{え!こんなの載せていいの?」っていうのを見ました。
・・・・
2015年12月24日
まさしく国家戦略特区で獣医学部を認める土俵が出来て、そして24日に乾杯したんだと思いますよ!!・・・
【石破から山本へ交替!!】
(2016年1月ー山本幸三、衆議院地方創生特別委員長、8月ー内閣府特命担当大臣(地方創生、規制改革担当、第3次安倍内閣以降、国家戦略特区は、地方創生担当)
裏ですべて書類を書いて、資料を作ってきたのは加計学園です。・・・構想を練っていたのは加計学園。・・・こういうような構想を持ってこいと言ったのは政府でしょ!!官邸でしょ。それこそ忖度ですよ!!今井さんを先頭に・・・誰も責任を取らない!!
「昔陸軍(大本営)、今官邸(内閣府)」、この戦略特区が失敗したら誰が責任を取る??
あの戦争では、大本営作戦参謀や昭和天皇は誰も責任を取らなかった!!
この回の森友・加計学園問題でも、内閣府の補佐官・安倍首相は誰1人責任を取らない!!
獣医師はもう足りています!!
銚子市や今治市が、夕張のように財政破綻しなければいいが!!



加計学園とのつながり

安倍首相・・・首相の長年の友人で「腹心の友」と呼ぶ加計孝太郎氏が理事長を務める学園。2人の出会いは安倍首相が米国に留学していた時代にまで遡る。それ以降、ゴルフや会食などの付き合いが続いており、別荘もすぐ近く。かつて安倍首相は関係者に「加計さんは俺のビッグスポンサーなんだよ。学校経営者では一番の資産家だ」と語っていたという。
過去に加計役員「報酬、1年で14万円」

昭恵夫人・・安倍昭恵首相夫人も加計孝太郎氏とは関係が深い。2人はたびたびワシントンやロサンゼルスを訪問して現地の学校法人などを視察している。昭恵夫人が力を注ぐミャンマー支援も加計氏が現地まで同行してサポートした。昭恵夫人は加計学園が神戸市で運営する認可外保育施設「御影インターナショナルこども園」の名誉園長を務めており、15年9月には政府職員2人を連れて施設のイベントに参加している(朝日新聞 5月17日)。

ちなみに、山本幸三内閣府特命担当大臣は、日本・ミャンマー友好議員連盟幹事長。

萩生田光一・・・落選中に学校法人加計学園で客員教授を務め、報酬を得ていたと明らかにした。今でも名誉客員教授。萩生田氏は安倍晋三首相の側近の衆院議員。内閣官房副長官。

木曽功・・・元文科省の官僚で、前川氏の3期先輩にあたり、14年4月から内閣官房参与に任命されていた。一方、16年4月からは加計学園理事兼千葉科学大学学長にも就任しており、加計学園の利害関係者でもあった。

<報道特集>前川前次官と共に検証「加計学園選定プロセス」



加戸守行・・・元文部官僚、愛媛県元知事、2013年1月より教育再生実行会議の委員を務めた。(79歳の時に、なぜか首相の肝いりで委員になる)
第2の森友疑惑 安倍首相“お友達”大学に公有地36億円を無償譲渡
・・・・同会議の今治市分科会には前愛媛県知事の加戸守行氏が出席。同氏は「日本会議」関連の行事に出席し、安倍首相が本部長の「教育再生実行会議」の有識者メンバーを八木秀次氏、曽野綾子氏らとともに務めたこともある、首相の「右派人脈」のお仲間である。

竹中平蔵・・・内閣府国家戦略特別区域諮問会議(有識者)議員等を務める。
国家戦略特区の発案者であり、安倍晋三首相に提言した竹中平蔵氏(国家戦略特区諮問会議・有識者議員)が加計学園問題にコメントしました。
メディアの取材インタビューに応じた竹中平蔵氏は「総理が役員だとは知らなかった」と述べ、特区で加計学園が選ばれたのは偶然だと強調。
その上で、国家戦略特区の選定作業について、「個人的な関係があってもなくてもプロジェクトの選定とは全く関係ありません。国のためになるかで選んでいます」などと発言を繰り返していました。

また、加計学園を選ぶ時には「客観的な4条件」で入念に審査をしたと明言し、獣医学部の新設は問題が無かったと断定しています。
このインタビューを行ったテレビ番組はその後に国家戦略特区の議事録を精査しますが、「4条件の記載は無かった」と報じていました。
他にも竹中平蔵氏の発言とは矛盾するようなやり取りが発見され、逆に今回のインタビューで疑念は深まったと言えるでしょう。(竹中氏が加計理事長と安倍首相の関係を知らなかったというのは、安倍・竹中の関係から言って、全く信じられない)


パソナ会長の竹中平蔵と安倍晋三の間にはどん

よくわかる竹中平蔵-その2(金融犯罪編)


安倍・竹中の行った売国政策の一覧。余りの闇の深さに驚きます。

安倍政権と癒着状態だった加計学園!連日のように安倍首相が食事会、ゴルフ等でもトップ交流!

【銚子発・アベ友疑獄】 加計学園のスキーム教えます 元財政当局者「第2の夕張にしてはならない」

【「市民の多くは『第二の夕張になってほしくない』と思っている」。
銚子市の一般会計予算は241億円(2016年度)。財政規模の3分の1を大学誘致に充てたのである。元財政当局者が「第2の夕張」を危惧する理由だ。
今治とよく似たスキームである。市が土地を準備し、補助金を差し出して大学に“おいで頂く”。】

▼加計学園…終盤国会と“安倍一強”の行方







・森友問題
「森友学園保育園」在籍36人の保護者全員が転園希望

なぜ、今問題にデータを消すのだ!!きちんと検証できるようにしてもらいたい!!
森友交渉時のデータ消去へ 財務省がシステム更新

【森友問題】忖度して当然?「安倍晋三記念小学校」設立趣意書に記載か―昭恵夫人の積極的な関与も

財務省・大阪府・防衛省その他の国の機関は、きちんとデータ出しなさい!!まずい資料はすべて隠蔽!!

松井一郎大阪府知事と籠池理事長の面識は本当に無かったのか?(松井知事と塚本幼稚園児の遭遇)



安倍首相 森友学園「私が関わっていたら、総理大臣を辞める!」




・安倍首相靖国参拝違憲訴訟(安倍首相忖度判決!!)
裁判官は、戦前・戦中の靖国神社の果たした役割を知っているのか?
「安倍総理大臣が参拝後に出した談話を素直に読めば、恒久平和への誓いを立てたものと理解され、軍事的衝突の可能性が高まると理解するのは困難で、平和に暮らす権利が侵害されたという主張は認められない」
安倍首相の靖国参拝訴訟で原告敗訴


・侵略戦争!!

重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!
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・安倍晋三のおじいさんは岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より

岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。

岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。

岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。


強制連行の決定


・3月2日 東京地裁でビザ発給拒否裁判がありました。
中国人細菌戦被害者遺族が日本の集会で細菌戦のことを報告しようと、ビザの申請をしたところ、外務省がビザの発給を拒否しました。そんなことが2度ありました。2度目は裁判の原告して証言しようしたら、これも拒否です。明らかに日本国政府は細菌戦の事実を闇に葬ろうとしている暴挙です!!なぜ、日本政府は、加害の事実を明かにしないで、消し去るのか!!

ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!!

外務省が集会参加予定の中国人12人にビザ発給せず――細菌戦被害者ら入国拒否

当時の集会の模様
中国人細菌戦被害者遺族は、なぜいない?




●2017年「戦争の加害」のパネル展:2月21日~28日 (於)かながわ県民センター
2017年2月パネル展


南京大虐殺を考える


731部隊の細菌戦


日本軍の毒ガス戦と企業責任


感想
・もう1度時間のある時にゆっくり見たいです。40代女性


●731の実態
1945年8月9日、日本の上空に再びキノコ雲が現れた。同じ日、ソ連軍が3つの方面から中国の東北部へ突入した。そこに駐在していた日本関東軍に対して、徹底的な打撃を始めた。この日の早朝、1か月前から731部隊に移動したばかりの溝淵俊美が留守番警備班班長に任命された。「8月9日のね、午後1時過ぎではなかったかと思いますが、部隊の破壊作戦の総指揮をとったのが総務部長の大田大佐という人がとったんですが、この方が731部隊のいわゆるハルビン本部の活動は停止すると・・・・


731(5)


第4回 日本軍による人体実験

闇に消された虐殺~731部隊


731部隊のドキュメンタリー



・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!

悪魔の飽食:復号731


・お知らせ
5月25日発売



・特移扱(とくいあつかい)資料
- 特移扱い朝鮮被害者李基洙の写真1




●今、731を問う!!
日本の平和団体が731部隊によって実験材料にされた犠牲者を4月に慰霊した。



中国では、今年3月に731の展示会が開かれた。




特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

■731部隊による人体実験・細菌兵器使用
―731部隊の罪悪をもう少し具体的にお話しください。
 731部隊は、現中国黒竜江省の省都・哈爾浜市近郊の平房に、 1939年頃までに完成した細菌兵器開発の一大軍事基地にありました。731部隊では、実験材料にされる人々は、特別に定められた「特移扱」と呼ばれる手続きで憲兵隊により供給されて、「マル夕」と称されていました。敗戦までの5年間に少なくとも3000名が送り込まれ、生存者はいませんでした。21世紀になって、中国では、証拠隠減の焼却跡から発掘された憲兵隊の「特移扱」資料の調査が進み、300名以上の氏名が判明しつつあり、被害遺族からの訴えも出始めました。


 2007年4月までに確認できた罪悪としては、ヒトを「サル」と偽って日本病理学会でも発表された「流行性出血熱感染実験」、米国で見つけられた、731部隊のデータを手に入れた米軍の報告書に記されていた炭疽、ぺスト、チフス、パラチフスAおよびB、赤痢、コレラ、鼻疽の「細菌感染実験」(被験者の50%に感染を引き起こす病原体の最小量も記されている)、「凍傷実験」、「水だけを飲ませる耐久実験」、「ぺストワクチン実験と生体解剖」、「毒ガス兵器の野外人体実験」、「毒物の経口摂取・注射の人体実験」、「細菌兵器の実戦使用」があげられます。

以上(月刊『前衛』より)

●731部隊本部(平房)
周囲8キロ四方のこの広大な設備で、医学者たちは人体実験と細菌戦研究をし、細菌兵器を作り、中国各地で細菌戦を実践した!!大元帥昭和天皇の責任は??

731勿忘
731遺跡は日本軍国主義が細菌戦を行ったことの証しであり、
また、日本軍国主義がその犯罪行為の証拠を隠滅しようとしたことの証しでもある。
ー金成民(侵華日軍第731部隊罪証陳列館館長)

侵華日軍第731部隊本部遺跡CG復元映像



●福沢諭吉
福澤諭吉は民主主義者ではなく軍国主義者だった 雁屋哲〈週刊朝日〉


「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。

──「学問のすすめ」は、教育の大切さを説く本です。なぜ、そんなことを言ったのでしょうか。

 教育といっても、福澤は政府が政治をしやすいような人間になるために学問を推奨し、その結果、国民に報国心を抱かせようとしていた。そうなると「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」は単なるキャッチコピーに過ぎません。最初にこの言葉に興味を持った人を、民主主義とは反対の方向へ導こうとする。これでは思想的な詐欺と変わりありません。「学問のすすめ」では「大名の命も人足の命も、命の重きは同様なり」など、人間本来の平等を説いている部分も何カ所かある。これは人が経済的、社会的に成功するかどうかは智を持っているかどうかで、生まれつきの違いはないと福澤が考えていたからです。こうした思想は、中津藩の下級藩士だった父親が身分格差から名を成すことができなかったことが影響しているといわれています。一方で智なき愚人は嫌悪の対象とし、当時の平民を「表向きはまず士族と同等のようなれども、(中略)その従順なること家に飼いたる痩せ犬のごとし」と見下しています。

※週刊朝日  2017年1月27日号



●『1★9★3★7★』(イクミナ、辺見庸著)より
以下の文を読んでいて、籠池理事長と安倍首相の関係を想起してしまった。

23、抜き打ちに切り捨てる
・・・・近年になって私はこんなものを読んだ。
▲支那の老婆が部隊長のところに来て云う〈自分の娘が日本のあなたの部下に姦された〉
部隊長〈何か証拠でもあるのか)老婆 布を差し出す。
〈全員集合〉部隊長は一同を集めて布を出し〈この布に見覚えあるか〉〈ありません〉〈次〉〈ありません〉一人ずつ聞いて回る。最後の1人まで聞き終わると静に老婆に歩み寄り〈この部隊には御覧の通りいない〉老婆 うなずく。
抜き打ちに老婆を切り捨てる。おもむろに刀を拭い鞘に納める。全員に分れ。
(これは小津が戦場で書いていた「撮影についての≪ノオト≫」であり、田中真澄著『小津安二郎と戦争』(みすず書房のⅡ「小津安二郎陣中日誌」に収載されている。)
泡を食った。とても泡を食った。・・・・・

辺見庸1937

山下清1937年の作品





●南京大虐殺80周年!!
日本政府の今までの全く誠意のない対応!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた


2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!

戦争の反省の無い頭!!
稲田防衛大臣を即刻罷免すべきである

21、南京安全区国際委員会の主要メンバー


・ジョン・ラーベ ジーメンス社南京支社支配人、ナチス党支部長代理、日本軍による南京攻略戦の際に、他の十数人の外国人と共同で組織した南京安全区国際委員会の委員長となって、中国民間人の保護に努める。そのほか自分の所有する土地にハーケンクロイツ旗を掲げ、602人といわれる避難してきた民間人を戦禍から守ろうとした。南京陥落後は、約20万人ともされる中国人避難民が殺到した安全区(南京城内の北西部に設置された、外国人の施設や邸宅が多くある地区)の代表として、非人道的行為の防止に尽力する。帰国後、南京事件をヒトラーに報告。対中・対日政策の変更を願ったが、逆にゲシュタポに逮捕される。
・ジョン・マギー アメリカ聖公会宣教師、南京国際赤十字委員会委員長。日本軍の蛮行を厳しく批判するとともに、良心的な行動をとった日本人将兵についてもきちんと記録している。マギーが南京で撮影して西側にもたらした映画フィルムは、南京大虐殺にかかわる一番初めの有用な映像史料の一つである。このフィルムはナチスドイツのポツダム保存史料館で発見されたのが、東西ドイツの統一後に解禁され、メディアに注目されて全世界の多くの人々の関心を呼び起こした。
・アーネスト・フォスター 宣教師 カメラが趣味で、多くの記録写真を残している。
・ルイス・スマイス 金陵大学社会学教授。社会学者として南京攻略戦の被害状況を調査書にまとめた。
・ジョージ・フィッチ 宣教師、1938年にフィッチはアメリカ各地を旅行し、南京大虐殺を紹介し記録フィルム(マギーフィルム)を放映し、反戦と募金を訴えた。
・マイナー・ベイツ 金陵大学歴史学教授。委員会の中心メンバーとして、財政実務や日本大使館への抗議交渉を担当した。
・ロバート・ウィルソン 金陵大学附属病院(鼓楼病院)医師。南京占領時、唯一の外科医として医療活動に従事
・ミニー・ヴォートリン 金陵女子文理学院教授、宣教師。強姦・暴行を防ぐために献身的な活動を続けた。1940年アメリカに帰国し、翌年自殺。



「御言葉」



※また海軍は、南京陥落時、軍艦で揚子江を巡視しながら、揚子江上の敗残兵を掃射した。




南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分


南京大虐殺の真相


マギーフィルム(字幕付き)


フィルムは見ていた!検証「南京大虐殺」


南京大虐殺



南京事件を調査せよ!!
南京事件 兵士たちの遺言



教科書検定で南京事件の犠牲者数「未確定」、中国が反発

※また海軍は、南京陥落時、軍艦で揚子江を巡視しながら、揚子江上の敗残兵を掃射した。

●慰安婦と南京レイプ(松岡環)
5月30日(火)『日本軍「慰安婦」制度と「日韓合意」問題』『南京レイプ加害兵士と被害者の映像』の集会は、平日でしたが、6:30の開会前から沢山の参加者が集まり、開会前には実行委員のほとんどが立って椅子を提供することになりました。

この日はぱんさんのパワーポイント初お目見えとのことでしたが、たくさんの資料を提示されていて、時系列でわかりやすく説明されました。また、「日韓合意」の問題点は、一言でいえば、「慰安婦」であったハルモニたちの意見を全く聞くこともなく、頭越しに日韓の政府間で勝手に交わされたことでありました。しかも日本政府は、「不可逆的に責任を負わない!」(今後一切文句言うな)更に安倍首相は破廉恥にも「日本の次の世代に謝罪をさせないため」と全く反省のない発言をする始末でした。資料を見ながらの説明は、わかりやすく多くの参加者が熱心に耳を傾けていました。約60分間聞きごたえのある講演でした。

5月30日の「慰安婦」と「南京レイプ」集会の報告
& 次回8月18日の準備会のお知らせ。



●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
天皇の権限は絶大であった!!
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕


・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より

序章

このように本書は、アジア太平洋戦争のはるか以前につくられ、その後連合国の指導者たちも肩入れしてきた定説、つまり昭和天皇は独裁的天皇制の枠組みにおける単なる御輿であり、軍部のあやつり人形にすぎなかったという見方を批判しようとしている。また、1930―40年代の日本の侵略は主に陸軍に責任があるという定説に対して、これまで長く無視されてきた海軍上層部の役割を明らかにする。彼らは、1920年代には軍縮反対の政治活動を行い、30年代には中国の無防備な都市を爆撃し、40年代初めには太平洋の戦争を推進したのである。さらに本書は、1920年代半ばに、侵略戦争を犯罪とする新しい国際的「平和原則」(国際連盟規約および1928八年の不戦条約で成文化された)を政党内閣と天皇自身が受け入れておきながら、対中国政策では、日本が自発的に承認したこれらの条約の義務を踏みにじったことを論じている。

戦争の記憶は消えない!!
英仏では昭和天皇がトップだった。

※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!!




日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア

井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)

※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)




寧波(ニンポー)細菌戦



(毒ガス戦)
原爆被害の重い苦しみを負いながら、学徒動員で毒ガス製造に関わった体験から自らの加害責任を語り伝える女性がいる。「戦争で受けた苦しみを知るからこそ、加害者としての責任も語り継がなければならない」。8月15日は終戦記念日。【高田房二郎】
<終戦記念日>ヒロシマの加害語る 学徒動員され毒ガス製造




(毒ガス戦)
さらに昭和天皇は毒ガスの使用について直接的な責任がある。毒ガス兵器は多くの中国やモンゴルの戦闘員・非戦闘員を死に至らしめた。「日華事変」が全面戦争となる前、すでに天皇は化学兵器の要員と装備を中国に送ることを裁可していた。ベルサイユ条約第171条ならびに、第1次世界大戦後、日本が調印した国際的な協定は、催涙ガスを含め毒ガスの使用を禁止していた。しかし、軍事技術の面で劣った敵に対してはこの禁止を守らなくても問題はないと陸軍は考えていた。昭和天皇も明らかに同じ考えであった。天皇が化学兵器使用を最初に許可したのは、1937年7月28日のことであり、それは閑院宮参謀総長により発令された。北京-通州地区の掃討について、「適時催涙筒を使用することを得」と書かれていた命令である。天皇の2度目の命令は、1937年9月11日に出され、このときも閑院宮参謀総長により発令された。いくつかの特別な化学兵器部隊を上海に配備することを許可したものである。当初は実験的で、非常に小さな規模でこれらの命令が許可されたが、1938年の春・夏になると、中国、モンゴルの主要な戦闘地域で大規模に毒ガスが使用されることとなった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)


日本鬼子のおきみやげ


初めて知った戦争(毒ガス)



(細菌戦)
昭和天皇はまた、1940年中国で最初の細菌兵器の実験的な使用を許可した。現存する文書史料で、昭和天皇を細菌兵器と直接、結びつけるものはない。しかし、科学者の側面を持ち几帳面で、よく分からないことには質問し事前に吟味することなく御璽(ぎょじ)を押すことは拒絶する性格から見て昭和天皇は、おそらく自らが裁可した命令の意味を理解していただろう。細菌戦を担当した関東軍731部隊に参謀総長が発令した大本営の指令の詳細は、原則として天皇も見ていた。そして、このような指令、すなわち「大陸指」の根拠となった「大陸命」に天皇は常に目を通していた。中国での細菌兵器の使用は1942年まで続いたが、日本がこの細菌戦化学戦に依存したことは、第2次世界大戦が終了すると、アメリカにとって、にわかに重大な意味を持つこととなった。まず、トルーマン政権は大規模な細菌戦・化学戦の計画に予算を支出したが、それは日本の細菌・化学研究の発見と技術に基づいていた。次いで、それはベトナム戦争でアメリカが大量の化学兵器を使用することへとつながった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)


初めて知った戦争731



澤田茂司令官は細菌戦に反対だった!!

『「澤田日誌」からみた浙贛(せっかん)作戦における日本軍の細菌戦』
松野誠也(明治大学大学院)【当時】より
・・・・・・(略)
澤田日誌には6月25日に再び関連する記述が登場します。
これは非常に重要な内容でありまして、支那派遣軍の反対意見が参謀本部によって握り潰されるということが記されています。内容は次の通りです。



石井部隊の使用総軍〔支那派遣軍〕よりも反対意見を開陳せしも大本営の容る処とならす大陸命〔大陸指の誤りか〕を拝したりと。命令ならは致方なきも作戦ハ密なるを要す。若き作戦課の人達を抑へる□に総長〔参謀総長・杉山元大将〕の力なからさるへからす。遺憾なり。ペスト防疫の為 一部家屋ハ焼却の命令を出す。


これを見ますと、陸軍中央と現地軍が一致して細菌戦に賛成していたのではなく、現地軍は反対していたが、大本営から指示なり命令がきて、それに従わざるえなくなったという構図が描けるわけです。しかも、トツプに立っている参謀総長は、幕僚たちがいろいろ意見を突き上げてくることを「抑へる」ことができない。それは非常に遺憾なことであると書いているのも非常に注目されます。澤田将軍は参謀次長を務めた経験があるので、参謀本部の下僚を「抑へる」ことの重要性と難しさをよく知っていたのでしょう。



次に澤田日誌に細菌戦関係の記事が出てくるのが7月11日です。石井四郎が戦線の第13軍司令部にやってきたという記述が出てきます。



石井少将連絡の為来着す。其の報告を聞きても余り効果を期待し得ざるが如し。効果なく弊害多き本作戦を何故強行せんとするや諒解に苦しむ。堂々王者の戦をなせば可なり。
何故こんな手段を執るや予には不可解なり。何れとも既に命令を受けたる以上実施せさるへからす。
仍(よ)つて次の三点に就て特に注意せしむ。/1、秘密の絶対保持/2、□□の予防/3、飛行場に攻撃を向くる事。


石井四郎の報告を聞いても、細菌戦の「効果」に対する疑問と「弊害」に対する認識は変わらず、命令だから嫌々ながらもやらざるを得ないという、澤田中将の参謀本部にたいする不満がよく伝わる一文です。あげくの果てに「何故こんな手段を執るや予には不可解なり」とまで書いています。・・・・・・(略)

東京初空襲・浙かん作戦

一般に中国軍の飛行場破壊を目的とした侵攻と言われるが、恒久的に占領できる目処もない状態で飛行場破壊のみ行っても効果は薄く12万人もの兵力を動員する目的としては疑問が残る。実際の目的は飛行場破壊よりもむしろ、それを名目とした浙江省東部一帯の蛍石産地の占領にあったと言える。財界と軍部が連携して利権獲得に動いた作戦である。

蛍石・・・・用途・加工法・・・古くから製鉄などにおいて融剤として用いられてきた。現在では望遠鏡や写真レンズ(特に望遠レンズ)などで、高性能化のための特殊材料としてキーパーツとなっている。フッ素の貯蔵に用いられることもある。

蛍石を採掘するのも、山東省、河南省、安徽省、江蘇省、浙江省などから強制連行された中国人だった。(約1700人)



1944年疫病がはやり、病気になったものは、隔離され食べ物も与えられず、餓死した。





蛍石の彫り物




赤坂離宮内の生物学研究所【1925(大正14)年】
・昭和天皇は生物に関心があった!!勿論、細菌にも関心はあっただろう!!
・日本は富国強兵を目指した!!

1921年昭和天皇フランス視察

1929年11月7日陸軍軍医学校(731部隊に指令を出していた防疫研究室はこの中に1932年に開設される)視察


??A氏(731部隊幹部)の言うには、今事実関係を明らかにすると、それは戦争中の犯罪行為を暴露するだけにとどまらす、戦後の重大な犯罪事実までズルズル数珠つなぎに明らかになってしまうから、だから話が出来ない、ということなのです。??


・731と天皇の戦争犯罪
同じように、おそらく日本政府が恐れているのは、戦争中の日本軍の戦争犯罪が暴かれて賠償の問題になることだけではなく、暴露によって戦後の重大事実が明かになることなのではないかという疑いが大きくあります。
それと同時にもう1つ大きな問題は、天皇の戦争犯罪の問題です。私も鑑定書で書きましたが、中国・浙江省寧波で細菌作戦の時、昭和15年の11月に発令された「大陸指」というのがあります。杉山参謀総長名で出ているものです。その781号によると、大陸指690号によって目下実施中の特殊ガスの試験を大陸命第439号に基づく大陸指第781号を以って終わりにすると、11月末日で終了せよという命令が出ています。特殊ガス試験というのは細菌兵器の実施使用のことです。これは明かに細菌戦の命令指示です。
「大陸命」というのは大本営陸軍部命令の略ですが、天皇が発する命令です。
当時は普通御前会議で昭和天皇と陸軍部の参謀総長、海軍の軍令部長とそれと大体原則的には侍従武官長が列席して、お上に作戦を上奏します。それでOKということになると「大陸命」を作成するわけです。陸軍部がやるわけですが、その「大陸命」を作るとそれに基づき「大陸指」を作成してこれでよろしいかと、お上にお見せするのが慣例でした。いつも必ず見せていた。それでこの通りにというと「大陸指」という参謀総長の発する命令、指令が出るわけです。作戦によっては担当の大本営の担当者、参謀が直接天皇の前へ行って作戦を事細かに上奏、説明します。・・・・・・(中略)・・・・・
瀬島龍三という元大本営の参謀も、「陸軍は大陸命、海軍は大海命といいますが、それがないと軍の用兵は何1つ出来ない、参謀総長や軍令部総長といえども、そういう厳密な手続きを経なければ勝手に軍を動かすことは一切出来なかった」と言っています。ですから「大陸命」に基づいてというところが一番肝心なのですが、その内容はすべて昭和天皇の耳に入っていたということです。ここに731を何としてでも隠蔽しなければならなかった理由があります。・・・・(『戦後の犯罪につながる細菌戦の隠蔽』近藤昭二著より)




・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!

中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!


夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より



日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



2012.7.26~8.2
吉林省(農安、農安・大賚、新京)の細菌戦調査訪中ドキュメント
2012年7月27日から8月1日まで、吉林省の農安、農安・大賚、新京で、細菌戦の被害調査を行いました。
吉林省(農安、農安・大賚、新京)細菌戦調査をおこなって
NPO細菌戦資料センター
奈須重雄
午後は鎮賚に向け出発しました。植林がとても多いところです。ここでは2人のおばあさんを訪ねましたが、具体的な収穫はありませんでした。
 お年寄りを訪ねることができたのは、事前に東北師範大の学生が調査を行い、お年寄りを探し出し、事情を知っていそうだと思われる人を選んでおいてくれたので可能となりました。
 『金子順一論文集』中の『PXノ効果略算法』論文に6件の細菌戦が記述されています。PXはペストノミです。この「既往作戦効果概見表」に書かれている細菌戦は、731部隊によるPX兵器の試験、すなわち細菌戦の実験です。これらは成功したものですが、失敗したもの(書かれていないもの)があるかもしれません。この実験は1回実施すると、同じ場所に同じ実験を繰り返すことはできません。ですから、731部隊にとっては非常に貴重なデータです。実際にPXを撒布して、人為的にペストの流行を引き起こせるのかを試したのでしょう。撒布方法(地上散布と空中散布)や撒布量の違いも重要な考察対象でしょう。この時のデータ、すなわち金子の言う効果(罹患致死)数はPXの効果を略算するための1次データとして使われています。


※日本人も731部隊で細菌などを扱っていたので、細菌に感染することがあった。時には日本人も、生体解剖された!!

プライム10「731細菌戦部隊」






1938年国家総動員法が制定され医学界も戦争に全面協力した。
1942年の東大安田講堂前での医学者たちの記念写真、隊長を務めた石井四朗、北野政次、そして右腕の増田知貞の姿が見える。
731部隊の影響が医学界全体に及んでいた。医学者は陸軍軍医学校の嘱託として協力した!!


戦後も731で研究された論文が、日本の大学で審査され、博士号が授与されている!!


小泉親彦(ちかひこ)



※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物
1945年9月、自決。








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