2017年3月19日日曜日

細菌戦の系譜!!

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●731部隊(1)
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●731部隊(4)
●陸軍軍医学校50周年記念行事について
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●マレーシアの旅
●九大生体解剖事件



●お知らせ
「変わるべきは社会」 京都で相模原殺傷事件考えるシンポ

「稲田防衛相、まったく当事者能力ない」 民進・野田氏

<森友学園>共産書記局長「松井大阪知事の国会招致も」

重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!
苦干(1937年~1943年頃の重慶、その他)


無差別爆撃 重慶爆撃


九七式重爆撃機 (三菱重工)重慶等、無差別空爆


一式陸上攻撃機(三菱重工) 日本の侵略!!



司法の場も安倍政権への完全自動忖度機が回っている!!
日本には三権分立は無いのか??
・3月17日(金)重慶大爆撃裁判控訴審第2回
永野厚郎裁判長は、重慶大爆撃の専門家証人の採用を認めず、結審を告げた!!
即、原告側弁護士が忌避(きひ)を申し立てた!!
全く、戦争の加害を直視しようしない裁判所の態度に、法廷内は騒然となった!!
籠池氏喚問で発言真偽ただす 日報問題は与野党攻防続く

《森友学園と100万円》福島伸享・民進党 vs 安倍内閣総理大臣【国会中継 衆議院 外務委員会】平成29年3月17日


森友学園、籠池理事長の長男、「僕が自民党の先生の名前を明かす」と発表!…と思いきや【ちくわch日中韓】


・安倍首相の関与!!
【森友学園】籠池氏主張「安倍総理から寄付金」野党4党と面会中に


籠池氏「首相から100万円」 参院予算委調査に説明
【森友学園】籠池氏主張「安倍総理から寄付金」野党4党と面会中に

籠池氏の証言、与野党に衝撃広がる 「放っておけぬ」

籠池氏「財務省から...」音声入手


<南スーダン>統幕幹部、日報隠し指示か 陸自も保管判明

・全自動忖度機が回っている!!
安倍晋三記念小学校の便宜を図ったのはこの3人:松井大阪府知事、迫田理財局長(当時)、吉本課長(大阪府私学課)
緊急抗議集会!「安倍晋三記念小学校はいらない!!菅野完(すがのたもつ)さんの講演 :2017年3月14日参議院議員会館



安倍晋三記念小学校はいらない!!緊急集会!!


(全記録)安倍晋三記念小学校はいらない!!2017年3月14日参議院


【森友学園】「閣僚が籠池氏に数百万円の現金」の証言。


森友学園との関係を追及されて、なみだ目で声をふるわせる安倍総理


安倍首相 森友学園「私が関わっていたら、総理大臣を辞める!」



永田町「首相が窮地に陥ると北朝鮮からミサイル」



・安倍晋三のおじいさんは岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より

岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。

岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。

岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。


強制連行の決定



・3月2日 東京地裁でビザ発給拒否裁判がありました。
中国人細菌戦被害者遺族が日本の集会で細菌戦のことを報告しようと、ビザの申請をしたところ、外務省がビザの発給を拒否しました。そんなことが2度ありました。2度目は裁判の原告して証言しようしたら、これも拒否です。明らかに日本国政府は細菌戦の事実を闇に葬ろうとしている暴挙です!!なぜ、日本政府は、加害の事実を明かにしないで、消し去るのか!!

ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!!

当時の集会の模様
中国人細菌戦被害者遺族は、なぜいない?

ビザ発給拒否・集会妨害裁判について



・2月28日と3月1日には同じく東京地裁で、「衛生学校記事」「化学学校記事」の公開を求める情報公開裁判がありました。2月28日には、防衛省が、きちんと内部の調査結果を報告する予定になっていたのですが、全く調査が不十分でいい加減でしたので、裁判長がもっときちんと調べるように、叱責しました!!防衛省の態度には、本当に誠実さがなく、これでは隠す意図が見え見えです!!裁判が長期化し過ぎています!!司法は、しっかりと裁定して欲しい!!
一体、今の自衛隊の中では、生物兵器の研究、化学兵器、核兵器、どんな研究が日米の軍事同盟の中で行われているのか、これでは国民は全く知ることができないではないか!!恐ろしい世の中だ!!
『化学学校記事』の創刊号の目次には、「小型核兵器ときれいな核兵器」「米軍の特殊武器戦術について」「残留放射能強度の減衰及び滞留時間の修正要領のヒント」「原子力平和利用と日本」「原子力潜水艦の意義」「CBR寸感」「放射線障害予防薬」「原子武器の損害一覧表」「原子戦下の味覚」等なんと原子力の項目がなんと多いことか!!化学学校では原子力(核兵器)の研究を強力に進めている???




●2017年「戦争の加害」のパネル展:2月21日~28日 (於)かながわ県民センター
2017年2月横浜パネル展

・2月22日講演「南京大虐殺を考える」大谷猛夫

・2月25日講演「731部隊の細菌戦」奈須重雄

・2月26日講演日本軍の毒ガス戦と企業責任

感想
・情報が偏り過ぎてはないか?軍も新聞も国も信用できない時代であり、個人も信用すべき言葉 ・・(不明)だったのかわからない。それは、なぜ、今なのか?70代男性

●731の実態
1945年8月9日、日本の上空に再びキノコ雲が現れた。同じ日、ソ連軍が3つの方面から中国の東北部へ突入した。そこに駐在していた日本関東軍に対して、徹底的な打撃を始めた。この日の早朝、1か月前から731部隊に移動したばかりの溝淵俊美が留守番警備班班長に任命された。「8月9日のね、午後1時過ぎではなかったかと思いますが、部隊の破壊作戦の総指揮をとったのが総務部長の大田大佐という人がとったんですが、この方が731部隊のいわゆるハルビン本部の活動は停止すると・・・・

731(5)




・特移扱(とくいあつかい)資料
原美臻の特移扱い資料2




●今、731を問う!!
特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

2、戦争医学犯罪に医学界・大学医学部はどうかかわったのか

■発足当時の学術会議における戦争医学犯罪の検証

―731部隊に属していた医師・医学者自身の特徴的な証言はあるのでしょうか。

 731部隊に属していた医師で、当時のことを自著で表している者は少数です。吉村寿人元731部隊技師(京大医学部卒、戦後京都府立医大学長などを務める)は「私が属していた部隊に戦犯事項があったことが最近、森村誠一氏の『悪魔の飽食』に記載され、それがべストセラーになった為に国内の批判を浴びる様になった。<中略>個人の自由意志でその良心に従つて軍隊内で行動が出来ると考える事自体が間違つている。<中略>個人の良心によって行動の出来る様な軍隊が何処にあるだろうか。<中略>私が戦時中に属していた部隊において戦犯行為があったからとて、直接の指揮官でもない私が何故マスコミによって責められねばならないのか、全くのお門違い」などと弁明しています(『喜寿回顧』吉村先生喜寿記念行事会、1984年)。これは、ニュルンべルク裁判では退けられた、被告の弁明「医師たちは人体実験を行わなければ生命の危険にさらされたかもしれない」 「医師たちは命令に従っただけである」と同類にほかなりません。
以上(月刊『前衛』より)

●731部隊本部(平房)
周囲8キロ四方のこの広大な設備で、医学者たちは人体実験と細菌戦研究をし、細菌兵器を作り、中国各地で細菌戦を実践した!!大元帥昭和天皇の責任は??

731勿忘
731遺跡は日本軍国主義が細菌戦を行ったことの証しであり、
また、日本軍国主義がその犯罪行為の証拠を隠滅しようとしたことの証しでもある。
ー金成民(侵華日軍第731部隊罪証陳列館館長)

侵華日軍第731部隊本部遺跡CG復元映像



●福沢諭吉
福澤諭吉は民主主義者ではなく軍国主義者だった 雁屋哲〈週刊朝日〉


「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。

──富国強兵ならぬ強兵富国とは。つまり民主主義者とは正反対の考えを持っていたということですか。

 実際に、日本が朝鮮支配を進めるために福澤が果たした役割は小さくなかった。詳しくはマンガを読んでほしいのですが、朝鮮宮廷内で起きたクーデターを計画したうえで実行にも加担し、明治政府が仕掛けた日清戦争では言論であおりまくった。戦争に勝つと国権皇張ができたと嬉し泣きしています。そのうえ軍は天皇直属であり、日清戦争は外交の序開きだと言うなど、侵略している意識すらなかったのです。戦争になったら国のために死ぬことが大義だと言い、教育勅語を歓迎した人物が民主主義者のわけがありません。福澤は天皇制絶対主義や皇国思想を日本人に浸透させ、朝鮮人、中国人への激しい侮蔑心をあおった。そのレールの上を走り、日本は第2次世界大戦に負けました。アジア蔑視は、現代の日本人にまで尾を引いています。




●南京大虐殺80周年!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた
・辺見庸さんは、地下鉄サリン事件の後遺症と闘いながら、今の右傾化する世間に警鐘を鳴らし続けている!!
辺見庸 1★9★3★7(征く皆 イクミナ)


2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!

戦争の反省の無い頭!!
稲田防衛大臣を即刻罷免すべきである

3、南京大虐殺までの経緯
7月7日 盧溝橋事件
不拡大派(石原莞爾)と拡大派(武藤章)の対立・・・参謀本部は内地3個師団の華北派兵と支那駐屯軍の武力行使を指示。
7月27日 日本軍は第29軍に対し、北京・天津を明け渡せと最後通牒を発し、29日には北京・天津及び要地を占領。
7月29日 通州事件・・・中国陥落区の通州(現:北京市通州区)において冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が日本軍の通州守備隊・通州特務機関及び日本人居留民を襲撃した事件。通州守備隊は包囲下に置かれ、通州特務機関は壊滅し、猟奇的な殺害、処刑が行われた。
※冀東防共自治政府保安隊は、日本軍の支那駐屯軍から派遣された将兵により軍事訓練が施された治安部隊であり、教導総隊及び第一、第二、第三、第四の五個総隊で編成されていた。
8月13日 第2次上海事変(海軍陸戦隊と中国軍の戦端が開かれる。)
8月15日 第3師団と第11師団よりなる上海派遣軍の「編組」と上海への派兵。(上海派遣軍司令官:松井石根)
8月15日の渡洋爆撃にはじまって、12月13日の中支那方面軍の南京占領に至るまで、海軍航空隊の南京空襲は50数回に及び、参加延機数は900余機、投下爆弾は数百トンに及んだ。
8月29日 南京駐在の欧米5ヵ国の外交代表、南京空襲に抗議し、爆撃停止を求める抗議書を日本に提出。

南京事件を調査せよ!!
南京事件 兵士たちの遺言



南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分



パナイ号撃沈


安倍首相は、なぜ中国へ行って謝罪しない??パールハーバーよりも先ではないか!!

当時、南京にいたアメリカ人牧師マギーがとらえた南京虐殺
フィルムは見ていた!検証「南京大虐殺」


マギーフィルム(日本語訳付き)





●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕


・『昭和天皇』(下)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より

岸の退陣以後、どの自民党政権も、選挙結果にはっきり表される自由主義派 ・改革派と保守派との価値観の対立を無視することはできなかった。そのため憲法改定と軍国主義化をめぐる分裂は、池田の後を受けた佐藤栄作(岸の実弟)の政治課題にそのまま引き継がれた。
佐藤はひたすら経済成長と、物質的豊かさによる国家の統合を目指した。彼は「寛容と調和」をとなえ、過去の軍国主義と植民地主義の忘却を図りながら、1964年から72年まで、誰より長く8年間首相の地位にあった。池田と同様、佐藤は吉田を尊敬し、また吉田と同様その親米政策と政治情勢の報告で、就任直後から高齢の天皇を喜ばせた。


日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア

井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)

※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)



寧波(ニンポー)細菌戦





地底からの叫び声が聞こえませんか??(「八紘一宇」のスローガンのもと行われた残虐行為!!)
・三原じゅん子の歴史の事実を無視した国会での発言!!
【国会】三原じゅん子『【八紘一宇】を語る? 2016年年3月16日


常徳細菌戦



闇に消された虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)



細菌戦裁判(1997年~2007年)



終戦50周年731部隊



細菌戦被害の人々




(毒ガス戦)
原爆被害の重い苦しみを負いながら、学徒動員で毒ガス製造に関わった体験から自らの加害責任を語り伝える女性がいる。「戦争で受けた苦しみを知るからこそ、加害者としての責任も語り継がなければならない」。8月15日は終戦記念日。【高田房二郎】
<終戦記念日>ヒロシマの加害語る 学徒動員され毒ガス製造

日本鬼子のおきみやげ(毒ガス)



暴かれる毒ガス戦の真実



(毒ガス戦)
さらに昭和天皇は毒ガスの使用について直接的な責任がある。毒ガス兵器は多くの中国やモンゴルの戦闘員・非戦闘員を死に至らしめた。「日華事変」が全面戦争となる前、すでに天皇は化学兵器の要員と装備を中国に送ることを裁可していた。ベルサイユ条約第171条ならびに、第1次世界大戦後、日本が調印した国際的な協定は、催涙ガスを含め毒ガスの使用を禁止していた。しかし、軍事技術の面で劣った敵に対してはこの禁止を守らなくても問題はないと陸軍は考えていた。昭和天皇も明らかに同じ考えであった。天皇が化学兵器使用を最初に許可したのは、1937年7月28日のことであり、それは閑院宮参謀総長により発令された。北京-通州地区の掃討について、「適時催涙筒を使用することを得」と書かれていた命令である。天皇の2度目の命令は、1937年9月11日に出され、このときも閑院宮参謀総長により発令された。いくつかの特別な化学兵器部隊を上海に配備することを許可したものである。当初は実験的で、非常に小さな規模でこれらの命令が許可されたが、1938年の春・夏になると、中国、モンゴルの主要な戦闘地域で大規模に毒ガスが使用されることとなった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)



(細菌戦)
昭和天皇はまた、1940年中国で最初の細菌兵器の実験的な使用を許可した。現存する文書史料で、昭和天皇を細菌兵器と直接、結びつけるものはない。しかし、科学者の側面を持ち几帳面で、よく分からないことには質問し事前に吟味することなく御璽(ぎょじ)を押すことは拒絶する性格から見て昭和天皇は、おそらく自らが裁可した命令の意味を理解していただろう。細菌戦を担当した関東軍731部隊に参謀総長が発令した大本営の指令の詳細は、原則として天皇も見ていた。そして、このような指令、すなわち「大陸指」の根拠となった「大陸命」に天皇は常に目を通していた。中国での細菌兵器の使用は1942年まで続いたが、日本がこの細菌戦化学戦に依存したことは、第2次世界大戦が終了すると、アメリカにとって、にわかに重大な意味を持つこととなった。まず、トルーマン政権は大規模な細菌戦・化学戦の計画に予算を支出したが、それは日本の細菌・化学研究の発見と技術に基づいていた。次いで、それはベトナム戦争でアメリカが大量の化学兵器を使用することへとつながった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)


天皇は知っていた!!



澤田茂司令官は細菌戦に反対だった!!

『「澤田日誌」からみた浙贛(せっかん)作戦における日本軍の細菌戦』
松野誠也(明治大学大学院)【当時】より
・・・・・・(略)
澤田日誌には6月25日に再び関連する記述が登場します。
これは非常に重要な内容でありまして、支那派遣軍の反対意見が参謀本部によって握り潰されるということが記されています。内容は次の通りです。



石井部隊の使用総軍〔支那派遣軍〕よりも反対意見を開陳せしも大本営の容る処とならす大陸命〔大陸指の誤りか〕を拝したりと。命令ならは致方なきも作戦ハ密なるを要す。若き作戦課の人達を抑へる□に総長〔参謀総長・杉山元大将〕の力なからさるへからす。遺憾なり。ペスト防疫の為 一部家屋ハ焼却の命令を出す。


これを見ますと、陸軍中央と現地軍が一致して細菌戦に賛成していたのではなく、現地軍は反対していたが、大本営から指示なり命令がきて、それに従わざるえなくなったという構図が描けるわけです。しかも、トツプに立っている参謀総長は、幕僚たちがいろいろ意見を突き上げてくることを「抑へる」ことができない。それは非常に遺憾なことであると書いているのも非常に注目されます。澤田将軍は参謀次長を務めた経験があるので、参謀本部の下僚を「抑へる」ことの重要性と難しさをよく知っていたのでしょう。



次に澤田日誌に細菌戦関係の記事が出てくるのが7月11日です。石井四郎が戦線の第13軍司令部にやってきたという記述が出てきます。



石井少将連絡の為来着す。其の報告を聞きても余り効果を期待し得ざるが如し。効果なく弊害多き本作戦を何故強行せんとするや諒解に苦しむ。堂々王者の戦をなせば可なり。
何故こんな手段を執るや予には不可解なり。何れとも既に命令を受けたる以上実施せさるへからす。
仍(よ)つて次の三点に就て特に注意せしむ。/1、秘密の絶対保持/2、□□の予防/3、飛行場に攻撃を向くる事。


石井四郎の報告を聞いても、細菌戦の「効果」に対する疑問と「弊害」に対する認識は変わらず、命令だから嫌々ながらもやらざるを得ないという、澤田中将の参謀本部にたいする不満がよく伝わる一文です。あげくの果てに「何故こんな手段を執るや予には不可解なり」とまで書いています。・・・・・・(略)

東京初空襲・浙かん作戦

一般に中国軍の飛行場破壊を目的とした侵攻と言われるが、恒久的に占領できる目処もない状態で飛行場破壊のみ行っても効果は薄く12万人もの兵力を動員する目的としては疑問が残る。実際の目的は飛行場破壊よりもむしろ、それを名目とした浙江省東部一帯の蛍石産地の占領にあったと言える。財界と軍部が連携して利権獲得に動いた作戦である。

蛍石・・・・用途・加工法・・・古くから製鉄などにおいて融剤として用いられてきた。現在では望遠鏡や写真レンズ(特に望遠レンズ)などで、高性能化のための特殊材料としてキーパーツとなっている。フッ素の貯蔵に用いられることもある。

蛍石を採掘するのも、山東省、河南省、安徽省、江蘇省、浙江省などから強制連行された中国人だった。(約1700人)



1944年疫病がはやり、病気になったものは、隔離され食べ物も与えられず、餓死した。





蛍石の彫り物




赤坂離宮内の生物学研究所【1925(大正14)年】
・昭和天皇は生物に関心があった!!勿論、細菌にも関心はあっただろう!!
・日本は富国強兵を目指した!!

1921年昭和天皇フランス視察

1929年11月7日陸軍軍医学校(731部隊に指令を出していた防疫研究室はこの中に1932年に開設される)視察


??A氏(731部隊幹部)の言うには、今事実関係を明らかにすると、それは戦争中の犯罪行為を暴露するだけにとどまらす、戦後の重大な犯罪事実までズルズル数珠つなぎに明らかになってしまうから、だから話が出来ない、ということなのです。??


・731と天皇の戦争犯罪
同じように、おそらく日本政府が恐れているのは、戦争中の日本軍の戦争犯罪が暴かれて賠償の問題になることだけではなく、暴露によって戦後の重大事実が明かになることなのではないかという疑いが大きくあります。
それと同時にもう1つ大きな問題は、天皇の戦争犯罪の問題です。私も鑑定書で書きましたが、中国・浙江省寧波で細菌作戦の時、昭和15年の11月に発令された「大陸指」というのがあります。杉山参謀総長名で出ているものです。その781号によると、大陸指690号によって目下実施中の特殊ガスの試験を大陸命第439号に基づく大陸指第781号を以って終わりにすると、11月末日で終了せよという命令が出ています。特殊ガス試験というのは細菌兵器の実施使用のことです。これは明かに細菌戦の命令指示です。
「大陸命」というのは大本営陸軍部命令の略ですが、天皇が発する命令です。
当時は普通御前会議で昭和天皇と陸軍部の参謀総長、海軍の軍令部長とそれと大体原則的には侍従武官長が列席して、お上に作戦を上奏します。それでOKということになると「大陸命」を作成するわけです。陸軍部がやるわけですが、その「大陸命」を作るとそれに基づき「大陸指」を作成してこれでよろしいかと、お上にお見せするのが慣例でした。いつも必ず見せていた。それでこの通りにというと「大陸指」という参謀総長の発する命令、指令が出るわけです。作戦によっては担当の大本営の担当者、参謀が直接天皇の前へ行って作戦を事細かに上奏、説明します。・・・・・・(中略)・・・・・
瀬島龍三という元大本営の参謀も、「陸軍は大陸命、海軍は大海命といいますが、それがないと軍の用兵は何1つ出来ない、参謀総長や軍令部総長といえども、そういう厳密な手続きを経なければ勝手に軍を動かすことは一切出来なかった」と言っています。ですから「大陸命」に基づいてというところが一番肝心なのですが、その内容はすべて昭和天皇の耳に入っていたということです。ここに731を何としてでも隠蔽しなければならなかった理由があります。・・・・(『戦後の犯罪につながる細菌戦の隠蔽』近藤昭二著より)




・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!

中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!


聞け、この沈黙の慟哭を
平房の涙、地底の叫びを
見よ、この虐げられた大地を
名も知れぬ鳥たちが番人のように私を見下ろしている
記憶は人間の地底を永劫に流れ続ける
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より


日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)


細菌戦資料発掘の旅(1)
近藤昭二(本会共同代表、ジャーナリスト)

731部隊・細菌戦関連の資料を発掘する旅の報告。まずはロシアに残されている資料のレポートから始めることにする。

日本語版も出回ったハバロフスク細菌戦裁判の公判記録

冒頭に、調書の目次があり、続いて日付順に調書が並べられている。
どういった様式になっていたのか、ここに実例を挙げてみる。
『公判書類』は、1950年出版の後、1973年12月に全日本医学生連合・刊行委員会から、1982年7月には海燕書房と不二出版で復刻されているが、いずれも残念なことに捜査段階の調書は「抄録」になっている。特に川島清の1949年10月24日付け調書は省略が多く、そこには安達演習場での実験の模様や中国中部での細菌戦実施についての重要な事実が語られているので、川島分の3通全文をまずここであげてみる(宇都宮亜紀訳 英語版を参照して筆者監修)。
大括弧[ ]でくくった太字の部分が省略された部分。二重括弧《 》は欄外余白の記入、文中の下線は原文のママで、タイプ後に記入されているもの。

川島清尋問調書
1949年10月24日 ハバロフスク市
[尋問時間:12時00分 尋問終了:2時45分
休憩:17時-19時
川島証人はロシア連邦共和国刑法第95条による偽証罪の警告を受けている。

尋問は、ロシア連邦共和国第95条による偽証罪の警告を受けた、通訳プリャチェンコを介して日本語で行われる。       (プリャチェンコ)

質問:あなたが知っている、731部隊が製造した細菌兵器が実戦で使用された機会のことを話してほしい。

答え:細菌兵器を使った演習は、731部隊の敷地内や屋外の実験場で行われただけでなく、日中戦争の実戦でも使用された。中国軍に対して731部隊の細菌兵器が使用されたうち、私が知っている3回の件について話すことができる。
 
 私が直接知っているこれらの2回のほかに、中国に対して実戦で細菌兵器を使用したもう1回のケースを、石井将官から聞いて知っている。
 1941年、部隊の総務部長として石井将官を訪ねたある時、彼は1940年の医学雑誌を読んでおり、そこには中国人に寧波(上海より南方)地域でペストが急激に発生している様子が書かれていた。その記事には、ペスト流行の特徴として、ペストが人に感染拡大していく時は齧歯類(げっしるい・・・ネズミなど)の感染も見られるのが普通であるのに、今回はそれが見られないと書かれていた。



※日本人も731部隊で細菌などを扱っていたので、細菌に感染することがあった。時には日本人も、生体解剖された!!

プライム10「731細菌戦部隊」






1938年国家総動員法が制定され医学界も戦争に全面協力した。
1942年の東大安田講堂前での医学者たちの記念写真、隊長を務めた石井四朗、北野政次、そして右腕の増田知貞の姿が見える。
731部隊の影響が医学界全体に及んでいた。医学者は陸軍軍医学校の嘱託として協力した!!


小泉親彦(ちかひこ)



※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物
1945年9月、自決。




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