731を問う!!
2015年6月19日金曜日
国家犯罪!731から福島まで!!
※Internet Explorer よりグーグルクローム(Google Chrome)で見るとスムーズに画面が動きます。
●731部隊
●陸軍軍医学校50周年記念行事について
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
秘密保護法撤廃!!撤廃!!撤廃!!
“過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる”
日常/ #3ドキュメント2013.12.6
●8・15「70年談話」を考えよう!!
日本学者、政府に歴史を正視するよう促す声明を発表
外交部、日本の政府と指導者が歴代内閣の歴史認識を順守することを望む
「60年談話より」
・・・・先の大戦では、三百万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。
また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。・・・
日本は戦後70年談話で歴史の過ちをはっきりと認めるべき―米専門家
安倍首相、70年談話に「反省」盛り込むと語るも、「謝罪」は言及せず=香港テレビのインタビューで―韓国メディア
あなたの祖父は中国で何をやったのですか?731・毒ガスとももちろん深くかかわった?
安倍首相の祖父 偽満州国の次長としての写真
※この中に、毒ガス・731部隊のことをいかに入れるか?
残虐な人体実験、細菌兵器・毒ガス兵器の使用。
地図から消されていた広島県 大久野島の忘れてはいけない過去
NHKは「沖縄戦の全記録」をつくったが、「中国に於ける毒ガス戦・細菌戦の全記録」は作らないのだろうか?
痛み「70年消えたことない」=戦争被害、国に謝罪求める―沖縄戦訴訟・地裁
沖縄でも中国でも戦争被害に悩んでいる!!
たくさんの加害の事実があるのに一度も謝罪しなくていいの?(証拠を開示することなく隠すばかり)
(参考)
日本は、戦争に勝つためには、手段を選ばなかった。中国政府の発表では200O回以上毒ガスを使い、民間人を含め死亡者は9万人以上。後遺症に悩む人は?
旧日本軍はジュネーブ議定書無視。今でも政府は旧日本軍の毒ガス兵器の使用について全容は不明であるとしている。(関係書類を開示する意思は全くない)
毒ガス戦
大久野島2(毒ガス)
中国人を「チャンコロ」と呼んで、人間として見なかった!八紘一宇の世界とはこんなもんだ!!(日本民族の優秀性?)こわい!!
毒ガス証言1
「催涙ガスを打ち込んで、逃げ出す村民を撃ち殺し皆殺し。婦女を強姦しようとして失敗したら、婦女を井戸の中へ落とした。そしたら、小さな息子がママを追って井戸の中へ身を投げた。そこへ手榴弾を投げ込んだ。」「天皇の軍隊=皇軍」とは、恐しい!!
毒ガス証言2
731部隊は、516、526部隊(毒ガス戦部隊)、陸軍習志野学校と協力して毒ガスの人体実験も行っていた!!いったい何人がその実験の犠牲になったのだろうか?
毒ガス実験【731】
斉藤美夫関東憲兵隊司令部警務部長(特移扱担当の最高幹部 ※特移扱(とくいあつかい)・・・731の人体実験の材料?としておくること)1956年の書き足しには次のようにある。
「押送された人員の中で30名はハルビンで下車させられ、石井部隊の細菌化学生体実験に供せられた。孫呉に下車させられた押送人員60名のほうは、習志野学校(ガス部隊)と石井部隊の協同による毒ガス弾効能実験に当てられ、その特別演習に供せられた、ということを後に白濱大尉の事後報告によって知った、と付け加えている。」
NPO法人 731資料センター会報10号より
毒ガス兵器製造でたくさんの被害者が出るのだから、使用して毒ガスにさらされた人はいかに苦しむ事か?日本人なら国の補償も出たが、中国の被害者は誰が補償する?
大久野島(毒ガス)1
毒ガス使用
旧日本軍が中国に遺棄して処理されていない毒ガスは200万発、化学剤は100t(1995年当時)
日本鬼子のおきみやげ(毒ガス)
中国の陸軍病院でも生きた人間を使った「生体手術演習」が行われていた。戦時中の日本の病院ではどうだったのだろうか?
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」
・憲法9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●ニュース
被爆者ら認定求め集会 「原爆症訴訟の解決を」
安保法案「慎重審議を」 中井町議会が意見書
安保関連法案は「憲法違反」 日弁連が意見書まとめる
<瀬戸内寂聴さん>「戦争に近づいている」安保法案に反対
強制的な入院が必要かどうかなどを判定する専門の医師の指定が不正に取得されていた問題
聖マリアンナ医大病院「改めておわび」
米海軍、横須賀基地に最新鋭イージス艦配備
沖縄戦で一家全員死亡 糸満市で慰霊祭
(昭和天皇がマッカーサー元帥に宛てた「米軍による長期沖縄占領継続を依頼するメッセージ」)
沖縄戦
大学は国家機関ではなく、志と資質を持つ万人に門戸を開く教育研究機関であってほしい。
国立大学の入学・卒業式は日の丸・君が代それとも学旗と学歌
南京事件記念館に「勝利広場」=今年12月にオープン―中国
三重県議会が意見書 「安保関連法案の強行容認できぬ」
理研、iPS網膜の移植見送り 2例目に遺伝子変異
「基地に生産性ない」 前泊教授、自衛隊誘致めぐり講演
小泉元首相「発想が不思議」 原発再稼働で政権批判
小出裕章先生:国がやってることは、全く科学の原則から逸脱している
小出裕章先生:国がやってることは、全く科学の原則から逸脱している
河北省で日本語画報原版を発見、旧日本軍による中国侵略の罪行を「立証」
「10年前には日本の基地にも誤送付したことがある」本当に誤送付?意図的?
米国防総省、10年前に誤って日本に炭疽菌送ったこと明かす―香港メディア
韓国、日本の世界遺産登録阻止へ働きかけ強める
【戦争を知る】帰還米兵が語る戦争の現実―3冊の本から
日本の憲法9条が再びノーベル平和賞に挑戦、受賞すれば安倍政権に打撃・・韓国ネットは「必ず受賞して」「戦犯に科せられた鎖に…」
どう考えても普通じゃないなんと自殺者54人! 自衛隊の「異常な仕事」
長崎の悲劇「避けられた」 原爆投下、技術者も反対
中国が「旧日本軍の蛮行」新資料公開=韓国ネット「対日政策も防疫対策も中国の方が優れている」「韓国は公開するどころか隠している」
日本兵の撮った日中戦争の現場――加害の歴史映し出し
古写真で日本軍の重慶大爆撃を暴く
檔案で中国侵略日本軍が施した重慶大爆撃の詳細を暴く
華北にいた日軍細菌部隊の北支甲第1855部隊の罪を暴く
韓国人の9割が慰安婦問題への日本の対応に不満、日本人は6割超が肯定評価・・韓国ネットは「私たちは許してきたのに…」「市民意識は韓国が上」
湖南省で1938年の日本の中国侵略作戦軍用地図を発見
「・・・大勢の女性が自己の意思に反して拘束され、恐ろしい暴力にさらされたことは、既に資料と証言が明らかにしている通りです」
(朝鮮日報日本語版) 入江昭氏「謝罪は当然、日本政府は実行を」
「日本の一番長い日」は「日本のいちばん醜い日であった」
http://www.cinemacafe.net/article/2015/05/20/31337.html
本木雅弘演じる昭和天皇の姿も!役所広司『日本のいちばん長い日』特報公開!
●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(上)より
第3部 陛下の戦争(1931年~1945年)
第9章 聖戦
その間、ヒトラーはすでにこの5月、配下の将軍たちに連合軍の軍隊を攻撃、破壊し、ヨーロツパ大陸の支配権を掌握するという戦略を示していた。イギリス、フランス、ポーランドに対比して、ドイツの軍事力が頂点に達したとき、ヒトラーはその包括的な計画の一部を実行した。阿部内閣の発足まもない1939年9月1日ドイツ軍はポーランドに侵攻し、新たな欧州大戦が勃発した。2日後、英仏介入し、ドイツに宣戦布告し、9月8日、ヒトラーの最大の敵ルーズベルト大統領は限定的な国家非常事態を宣言した。P305
ノモンハン事件と細菌戦
日本鬼子のおきみやげ(毒ガス)
●『天皇の陰謀』
天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ 著
松崎 元 訳より
第一章
南京強奪(その1) 日本と中国
裕仁は、自分が中国に何らかの憎しみを抱いているからではなく、祖父および曽祖父から引き継いだ国家的計画(3)による必要において、中国と戦うのであると主張していた。1853年、米国のペリー提督が大砲を突きつけ、西洋諸国との通商と決済を行うため港を開くよう強いて以来、裕仁の曽祖父は、その家臣たちと、ひとつの誓いを立てていた。すなわち、「紅毛の野蛮人」は日本の聖なる国土から追放されなければならず、日本は、さらなる冒涜を防ぐために、緩衝地帯を形成するべく「海外進出」しなければならない、というものであった。
・・・・
旧日本軍は明治時代から中国侵略を考えていた?
潜入盗測
『日本が世界征服をたくらんでいた』
「ポツダム宣言・東京裁判受け入れた」 首相が明言
停止線茶番劇
松井にあてた最初の電報(48)はこう告げていた。
南京攻撃への一致した決定を得るべく、当本部の面々は着実な議論に取り組んでいるが、最終決定にはいまだ至らず。ともあれ、決定は間近であるので、安心されたし。
松井のもとの参謀将校たちにあてた、第二の、極秘、至急電報(49)はこうなっていた。
余は、余の最高幹部の決定いまだ得ずとも、当本部の核心は南京攻撃に傾注しつつあり。しかるに、これを理解し、予断を打ち捨て、前進計られたし。
ここに言う「当本部の核心」とは、電報を打った下村少将を別にして、天皇裕仁のみであった。また、「最高幹部」とは、もちろん、苦闘する多田中将のことである。
前線の参謀将校たちは、この第二の電報を受け取ると直ちに、第二の停止線上にある二つの町の酒場や売春宿から兵士を招集し、前進の用意を整えた。東京の多田は、部隊が命令なしで行動を起こす可能性――参謀本部副長官としてその責任を負わされ、軍人としての名誉に汚点を残す――を按じていた。一方で、退役や不面目を、また他方で、輝かしい将来への約束を考え、多田は、この二通の電報が打たれた日の夕方、自らの信念を曲げた。ただ、その命令の日付を四日後の12月1日とするよう条件を付けた――強制された事実を記録として残そうとする、奇妙な日本式方法。彼はまた、天皇裕仁に、その命令の天皇責任を認めるよう、それが天皇の全国民への勅令としての形式をとるよう、天皇に求めた。
南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分
南京大虐殺
フィルムは見ていた!検証「南京大虐殺」
河村たかし名古屋市長の南京事件否定発言に抗議し撤回を求める
なんでこんな教科書が検定に通る?
『新しい歴史教科書』(自由社)
まやかし裁判
君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?
●日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!
中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!
夏草をふみしめ引込み線を歩いた
視界が不意に三角形に切り取られ
やがて歴史の暗渠(あんきょ)に足を踏み入れる
見上げれば天を突く巨大な残骸
ただれ崩れ落ち、悲しみの肉塊のように
灰色の空の下で泣いている
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
・『731部隊 細菌戦の医師を追え(今も続く恐怖の人体実験)』(高杉晋吾著 徳間書店)
Ⅷ 731部隊隊長と百日咳人体実験
強毒ワクチンを強制接種法で売る
北野は「防疫秘話」(続7)の中で「中村滝公衆衛生研究所では、昭和23年より26年まで、百日咳の研究に対して文部省の科学試験研究費補助金の交付を受け根津と増井と共同研究を行った」と書いている。
そして「総合医学」(昭和23年)に、「百日咳の新鮮株濃厚ワクチン療法」という論文を書き、「普通のワクチンは1ミリリットル中菌量は0.5ミリグラムだが、当社製品は1ミリリットル中2ミリグラムだから菌量は普通の製品の4倍だ」と宣伝した上、新鮮さと濃厚さの両面で優れているのだから、「物価庁も例外価格を認め」、「近く接種法が制定され、ある一定の年齢層には種痘のごとく強制的に接種することになるゆえ、百日咳ワクチン製造の国家基準も造って定められると思うが、必ずやこの質量の面より準拠を定めらるる事を信ずる」と書いている。
(参考)
子宮頸がんワクチンの危険性 - Thinker
子宮頸がんワクチン接種、通学できぬ少女 推奨中断2年
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と言えり、
・戦争を主導した大元帥、昭和天皇を始め、陸軍参謀総長、閑院宮、海軍軍令部総長、伏見宮、南京大虐殺に関わった上海派遣軍司令官、朝霞宮、影で動いた三笠宮、731部隊と関係のあった竹田宮等々、天皇、皇族は誰一人東京裁判で裁かれなかった!!
金と地位がそうさせたのか?
裕仁の朝廷は1940年10月、戦争が敗北に終った場合に天皇制を守ることを目的とした後方計画を開始した。
第1段階は皇族を責任ある地位から退ける事であった。
第2段階は彼らが戦争準備の過程で何の役割も演じなかったかのように見せかける表向きの筋書きをつくることであった。
菊の垂幕の背後への引退は、10月3日に・・・・75歳の閑院宮が、陸軍参謀総長の職を辞した時に始まった。・・・(『天皇の陰謀』下 バーガミニ著P134 より)
・アジアで多くの人々が虐殺されたのに、天皇はじめ皇族方は誰も処刑されなかった?
・731部隊での人体実験と細菌戦の最高責任者は誰だ?
・沖縄戦で多くの日本人が犠牲になった。その沖縄をアメリカに渡したのは誰だ?
・恐怖政治により、思想犯は拷問にかけられ、投獄され、死んだ者も多かった。
・1945年5月25日の東京の空襲では皇居の一部が燃えた。火事を防げなかった消防士は後に射殺体となって発見された!!
・(1942年)3月10日、マッカーサーがコレヒドールから脱出の大逃避行に出発する数時間前、英国外相イーデン卿は下院での演説において、全世界に向かい、日本が香港において忌まわしい残虐行為を広範に行ったことを明らかにした。・・・・3月13日に木戸内大臣は裕仁にイーデンの香港事件暴露の演説のことを報告した。裕仁はこのようなことの再発を防ぐ方策は何もとらなかった。裕仁の叔父達や軍関係の助言者達の立場は日本軍は残虐行為を犯すことによって自己の任務を一層忠実に遂行するようになるし、また敵に降伏してはならない、もし降伏すれば彼らが敵に対してした事を自分達に対してされるのだ、ということを彼らに信じさせるためにも必要であるというものであった。(『天皇の陰謀』下、バーガミニ著P335)
日本軍より虐殺と強姦も多発していた
●講演会のお知らせ
●731に関係する簡単な映像作品を作ってみませんか?
731部隊映像コンテスト
●映像でみる731部隊とは
(参考)黒い太陽731
終戦50年特別企画
終戦50周年731部隊
知ってるつもり「731部隊と医学者たち」
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
●1941年に日本軍は大量のペスト菌で汚染されたノミ、米、綿を空中投下したため、常徳権県庁所在地及び郊外農村でペスト病の大規模な流行を引き起こした。
・「旧日本軍による細菌戦に関する中国民衆の戦争記憶」
東京女子大学教授:聶莉莉(にえりり)
常徳細菌戦
・日本軍は常徳だけでなく、農安、農安大賚(のうあんだいらい)や衢県(くけん)廣信(こうしん)、廣豊、玉山などでも細菌戦を行った。
中国に於ける旧日本軍の細菌戦
中国の被害者も同じ心境では?
沖縄戦、心の傷深く 体験者65%「今も思い出す」
闇に消えた虐殺~731部隊・細菌戦の真実(テレビ朝日「ザ・スクープ」、1997年8月放送)
●あの戦争を起こした裕仁の誕生日が「昭和の日」として休日にされるのには抵抗がある。
裕仁の戦争責任を感じる者にとって、なんともやりきれない!!
「裕仁」は、戦争を起こした人だからヨーロッパでは有名だろう!!
安倍は侵略戦争の反省をしないからアジアで有名?
欧米は昭和天皇、アジアは安倍首相=「知っている日本人」1位―新聞通信調査会
やはり、安倍と天皇家はつながっていた!!
天皇と親戚の安倍晋三首相
積極的平和主義の名のもとで・・・日本で「武器ビジネス」に火がついた=中国メディア
●陛下の戦争
治安維持法等で「思想の自由」「良心の自由」は奪われ、ただただ国民は「天皇教」に帰依せざるを得なかった!!
陛下の戦争
・大元帥裕仁の命令がなければ、一兵卒さえ、動かせなかった。
・裕仁は生まれたときから、将来の天皇として期待され、また大元帥としても教育された。
・天皇教は、天皇を世界の中心におき、八紘一宇をめざす。裕仁は大日本帝国をめざした。
『日本が世界征服をたくらんでいた』
ポツダム宣言「受諾し降伏したことに尽きる」
日本とアメリカの密約
731問題
私は、アメリカ(マッカーサー最高司令官)と日本(昭和天皇)との間に戦後、取り交わされた幾つかの密約があると思う。
1つ目はサンダースが証言しているように「日本は731部隊の全てのデータを渡す代わりに、731部隊員を戦犯免責にする。」ということ。この密約のほかにも、「天皇と皇族たちも、円滑な占領軍統治を進めるために、戦犯免責にする。」や「731部隊が主に中国で行った非人道的な細菌戦と人体実験、日本軍の毒ガス使用や中国等の都市での無差別爆撃を裁判に取り上げない代わりに、アメリカによる日本各都市の無差別爆撃、2発の原爆投下の非人道性を日本政府は国際社会に訴えない。」ことを密約したのではないか?と想像する。昭和天皇とマッカーサーの11回に及ぶ会談で。
サンダースが語る裏取引の真相
東京裁判は2年間続き、1948年に終了。しかし何千ページにわたる証拠書類や証言の中に731部隊に関する一言の記述もありませんでした。
アメリカは待望のデータを手に入れ、石井とその部下達は罪を逃れたのです。
しかし、その事とは別に一つの重要な問題が残されました。
天皇は石井が行った人体実験とのかかわりを追及される事を逃れたばかりか、国民の戦争犯罪に対して法廷に立つ事もなかったのでした。連合国が天皇の必要性を重視したからです。
アメリカと日本が意図的に天皇の戦争責任の追及をやめたということは疑いの余地がありません。
裁かれなかった731部隊員と天皇
天皇は知っていた!!
天皇と731
アメリカ政府の責任
原爆投下、ソ連参戦
なぜ、日本は原爆投下直後、調査をやったのか?
原爆投下直後、軍部によって始められた原爆被爆調査は、敗戦とともにその規模を一気に拡大し、国の大号令で全国の大学などから1300人を超す医師や科学者が集まった。
なぜ、行われたのか?日本が中国などで行っていた、毒ガス戦や細菌戦の特殊研究は、戦争犯罪の対象になるので証拠を湮滅して隠し、原爆の威力を調べる調査書を渡せば、落とした国のアメリカは喜ぶだろうし、日本にとっても、心証がよくなり、戦後の新たな日米関係を築くのに有効なカードになるとの判断があった。2年以上かけた調査は181冊に1万ページに及ぶ報告書にまとめられ、英訳されて、アメリカに渡された。被爆者は何等治療される事なく、調査された!!
・オバマ大統領が広島でアメリカの原爆投下を謝罪しようとした時、外務省が丁重に断ったと言う。
外務省と言えば、昭和天皇とマッカーサーの通訳をした寺崎英成氏も外務官僚だった。
外務省は、天皇制が続いたので、密約をきちんと伝えていたが、アメリカは、大統領が変わるものだから、そこの違いが出たのではないだろうか?
2009年オバマの広島訪問を妨害したのは外務省(=米務省)だったとは、広島市民よ怒れ!
竹田恒泰語録【原爆投下】オバマ大統領が広島で謝罪する要請があったのに断った日本
百田尚樹VS田嶋陽子 バトル勃発!東京大空襲・原爆投下は虐殺か?
アメリカ側の原爆投下に対するコメント
長崎の悲劇「避けられた」 原爆投下、技術者も反対
原爆投下間違ってなかった米国民5割...松本人志怒る
昭和天皇は、鬼塚氏によれば「天皇はたった一度だけの原爆批判を、終戦の詔書の中でのみ赦(ゆる)された。しかし、天皇は死ぬまで一度も原爆投下の批判をしなかった。天皇と深く結び付いたヨハンセン(吉田反戦)・グループも同様であった。」
●天皇は原子爆弾の悪口を一生語らず、生涯を終えた!!
1975年10月31日の天皇の記者会見
昭和天皇「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」【「日本のいちばん醜い言葉」の一つ(鬼塚氏)】
中村康二(ザ・タイムズ):天皇陛下のホワイトハウスにおける「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がございましたが、このことは、陛下が、開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また陛下は、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいいたします。
天皇陛下:そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないで、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。・・・・・
(鬼塚氏のコメント)
これについては批評の書きようもない。「日本のいちばん醜い言葉」の一つであるとのみ書いておく。
秋信利彦(中国放送):天皇陛下におうかがいいたします。陛下は昭和22年12月7日、原子爆弾で焼け野原になった広島市に行幸され、「広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲をムダにすることなく、
平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」と述べられ、以後昭和26年、46年とつごう三度広島にお越しになり、広島市民に親しくお見舞の言葉をかけておられるわけですが、戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか、おうかがいいたしたいと思います。
天皇陛下:原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます。
[天皇家の秘密]より
広島、長崎に原爆が落とされ死傷者が苦しんでいる最中、天皇は自分の蓄財を海外に次々と逃がす事に専念していたのです。
この問題を調査したマーク・ゲインは、海外に天皇が逃した蓄財は累計で5~10億ドルに上るとしています。(マーク・ゲイン「ニッポン日記」 筑摩書房)
(鬼塚氏のコメント)
私は「エ・・・エ・・・・エ・・・・投下された、ことに対しては、エ・・・・・エ・・・・」の中に、直感的に、天皇が8月6日午前8時15分の広島への原爆投下の件を知っていると思った。この考えに私は拘泥し続け、この考えの正しさを証明しようと追求し続けたのである。
・・・・・・・・
天皇はたった一度だけの原爆批判を、終戦の詔書の中でのみ赦(ゆる)された。しかし、天皇は死ぬまで一度も原爆投下の批判をしなかった。天皇と深く結び付いたヨハンセン(吉田反戦)・グループも同様であった。
(松浦総三の著書より)
裕仁理論=「終戦の詔書」によれば、アジア諸国に対する“侵略”も“防衛戦争”の一環となる。裕仁らはこの“理論”を盾にとって、南京大虐殺、シンガポール虐殺、重慶大爆撃、朝鮮人強制連行、慰安婦問題などを黙殺しようとするのだ。
そのような「防衛戦争」つまり“正義の戦争”も「敵は新に残虐なる爆弾を使用してしきり(頻)に無辜を殺傷す・・・・」というわけで原子爆弾によって「終戦」にせざるを得なくなる。この部分は、裕仁の『昭和天皇独白録』で「ソビエトはすでに満洲で火蓋を切った。これではどうしてもポツダム宣言を受諾せねばならぬ」と本音を言っていることと完全に矛盾する。
歴史的事実としては裕仁がポツダム宣言を受諾したのはソ連参戦によって、ソ連の発言権が強まれば国体・天皇制が危うくなるからである。原子爆弾を投下された8月6日や8月9日には、裕仁は「なるべく早く講和を」といっている。それが、「ソ連参戦」で即時御前会議が開かれるのだ。
というわけで、「正義の戦争」は終戦となる。では戦死者、戦災者、その遺族はどうなるのか。それを思うと朕は「五内為に裂く」とオーバーなことをいう。が、「時運のおもむくところ」「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」というのだ。「五内為に裂く」といっているが、その内容は、被爆者援護法や空襲の補償はしないぞ、ということであろう。
※昭和天皇は極秘ルートで、広島・長崎の原爆投下、ソ連の参戦の情報を知っていた?
畑元帥と高野広島県知事はなぜ無事で、第2総軍は畑元帥の指示で8月3日から広島市内に出動していたのだ!?
●広島原爆投下時の真相(『日本のいちばん醜い日』/鬼塚英昭著より)
畑俊六は8月6日の原爆投下のことを知っていた!!
この原爆で、第2総軍の司令部の数々の建物は壊滅し、多数の死傷者が出たのである。
8月6日朝8時頃に、多数の第2総軍の参謀や将校が集まっていた。そこに原爆が落ちたというわけである。有末精三は畑俊六元帥のことを書いている。
山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥(俊六、第12期、元侍従武官長、支那派遣軍総司令官)に敬意を表し、今夕、仁科博士等の到着を待って調査に着手する旨申告した。将軍は被爆当時日課として朝のお祈りで、神棚に向かっておられたため、幸いに被害はなかったとのことであった。
有末精三は「それぞれ頭や頸元や胸に包帯をしていた岡崎清三郎参謀長(中将、第26期)、真田穣一郎少将(参謀副長、第31期、前大本営陸軍部作戦部長)、井本熊男作戦主任参謀(大佐、第37期、後の陸将)、同参謀橋本正勝中佐(第45期、後の陸将)などが草の上に胡坐(あぐら)をかいたり横になったりして論議しているところへ挨拶否見舞に行った・・・・」と書いている。生き残った第2総軍のトップクラスも全員負傷して、草の上で胡坐をかいていたのである。
この日、間違いなく、第2総軍の全員は、8時頃に集まって会議か、あるいは演習の準備に入っていた。ほとんどの第2総軍の人々は死に、あるいは傷ついていたのである。
ひとり、畑元帥のみが理由はともあれ、この総司令部に行っていないのである。
「山の中腹、松本俊一(外務次官)氏父君の別荘におられる畑元帥」と有末精三は書いている。
私は東郷茂徳外相の依頼か、他のヨハンセン(吉田反戦)・グループの依頼を受けた松本俊一次官が原爆投下前のある日、秘かに畑元帥と会談し、8月6日午前8時すぎころの広島に原爆を落とす計画を打ち明けたと思う。そのときに松本俊一外務次官は、この日の8時過ぎに、第2総軍の全員が集合するようにして欲しいと依頼したとみる。この第2総軍を全滅状態におけば、陸軍の反乱の半分は防げるからである。・・・・
・・・・・・・・・・・
学徒を殺し、一般市民を殺し、第2総軍の軍人を殺し、木戸幸一は大井篤の尋問に答えている。
陛下や私があの原子爆弾によって得た感じは、待ちに待った終戦断行の好機をここに与えられたと云うのであった。特に皇室や上流階級にも身命の危険が及んで来たからではない。
※ウキペディアには 畑俊六は「昭和20年8月6日の広島市への原子爆弾投下により、国鉄広島駅付近で被爆するも奇跡的に難を逃れた。被爆直後から畑は広島市内で罹災者援護の陣頭指揮を執り、広島警備命令を発令した。その職にて終戦を迎える。」と書いてある。真実を書いていないのではないか?
高野源進広島県知事は県下福山に出張中だった。
「天皇が戦争中の役割、特に日本の軍隊に忠誠心や勲功より倫理性を重視する行動基準を持たせることができなかった事を理由に裁判にかけられ、法廷で尋問されることがなかった以上、日本の侵略戦争の正当性―アジア太平洋地域の国々への侵攻は解放のためだったという信念―は、かなりの説得力を持ったのである。結局のところ、多くの日本人は、戦争の遂行について天皇と共犯関係にあった。そして、国民は全体として、天皇が責任を負わないのだから、自分達に責任を負う必要などあるわけがないと考えた。
日本の国民は、戦争に対する罪の意識ときわめて真剣に向き合い始めていた。ところが、木戸と東条に天皇の責任を肩代わりさせるなど、責任を不公平に認定したマッカーサーとトルーマンのいち早い決定が、国民のこの取り組みをさえぎってしまった。・・・・」(ハーバード・ビックス著「昭和天皇」下p229~230
●東京大空襲
東京大空襲
解説)1945年3月18日,死体など〈見苦しい物体〉の後片付けがされた現場を視察する昭和天皇の有名な写真である。お付きの者たちも含め,服装とくにピッカピカにみえる長靴に注目。
「天皇が視察にくるので,空襲で死亡した人たちの遺体をまとめて東陽公園に埋葬したという話を聞かされたある男性は,自分の妻子がそこにいっしょくたに放りこまれ,もう探しようもない事態となっていた顛末に,「憤懣やりきれぬ自分をおさえながら,それからは深川枝川町で,朝鮮人とともに生活するようになった」という。
というのは,洋服屋だった彼は空襲のため「もう洋服屋はできず,その財力もない」ので,朝鮮人たちと同じように「日雇いになって,あちこちで働き,不安定な労働生活が今もなおつづいているが,『わしを助けてくれたのは,政府じゃなかった,朝鮮の人たちだった』と,きっぱりいいきる」(早乙女,224頁)ような,その後における生活状態になっていたからだという。」(1945年3月10日東京下町大空襲の記憶-昭和天皇と敵将ルメイ-より)
政府は被災者に戦後も何の補償もしない!!
1945年の春を過ぎると日本民衆はこれ以上持ちこたえることが、いよいよ出来そうもなくなってきた。3月9日から10日にかけてアメリカの太平洋空軍は、B29、334機で最初の焼夷弾による夜間空襲を東京の人口密集地に対して行った。首都の約4割が灰燼に帰し、推計8万から10万名が焼死した。火災はすさまじく、そのため河川は沸騰し、ガラスは溶け、そして熱風にあおられて墜落した爆撃機もあった。9日後の18日、昭和天皇は侍医と侍従を伴い、車で首都を視察した。当時、別の車で随行した吉橋戒三時中武官は、後に罹災者の様子を次のように回想していた。
「焼け跡を掘り返している罹災者のうつろな顔、うらめしそうな顔が、お辞儀もせずに御車を見送っている。平時の行幸とは違って予告していなかったとはいうものの、菊の御紋章をつけた赤塗りの自動車が、3、4台も通るのだから、行幸であることが判りそうなものなのにと思ったりもした。肉親を失い、家財を焼失した罹災者達は、陛下を恨んでいるのか、それとも虚脱状態でただボーっとしているのか、この不幸な人たちを真近にご覧になる陛下の御胸中はいかばかりかと、拝察したわけである。」p118「昭和天皇 下」(ハーバード・ピックス著)
※裕仁はまだ戦争を続行する。国民の苦しんでいる姿に同情もないようだ。(天皇家の資産管理に余念がなかった?)
「沖縄戦で甚大な損害を被り、アメリカ軍の焼夷弾爆撃により60以上の都市をあらかた焼け野原としてしまってから、ようやく昭和天皇は和平の希望を示唆し、戦争終結の方途を模索し始めたのである。」p120「昭和天皇 下」(ハーバード・ピックス著)
最高裁で敗訴が確定した東京大空襲訴訟が問いかけたもの 戦争被害を国民は受忍できるのか
●日本の立場
日本政府が、昭和天皇の戦争責任を回避するために、731部隊の資料を隠蔽し、南京虐殺についても謝罪しない立場をとり続け、アメリカの核の傘のもと、アメリカの軍事同盟強化の方向に走っているが、これでは世界に向かって「核兵器廃絶」を訴える説得力は弱い!!
いつまでも、日本はアメリカに隷属することになるだろう。ポツダム宣言に於ける日本の立場(“shall be subject to”)と同じように!!
ドイツがソ連軍の捕虜4000人に賠償、韓国メディア「日本とはあまりに違う」=韓国ネットは「日本とドイツでは度量が違う」「比較はもううんざり」
米バージニア州で慰安婦記念碑設置1周年記念式典、出席者から日本批判=「慰安婦ではなく性奴隷!」「ベトナム戦争を持ち出されたら…」―韓国ネット
侵略戦争と認めることは日本が越えなければならない関門
侵略者が「被害者」を装うことは永遠にできない
731部隊はソ連人93人に人体実験していた、中国の専門家が考証―中国メディア
日本の遺棄化学兵器は関係地域の中国国民の生命と財産および生態環境の安全に深刻な脅威と危害を与えている。
外交部、日本側は遺棄化学兵器の廃棄を一層加速するべき
(戦争責任者の)天皇が同一人物として残り、現人神から変わっただけであった。
日本は旧満州など他人の土地に踏み込み侵略したのでドイツより悪質=天皇の戦争責任、あいまい処理も尾を引く―拓殖大教授が「日独戦後処理」比較
「国の借金」1053兆円=過去最大、1人当たり830万円―14年度末
●731と原発の構図はそっくりだ!!
小出裕章
その教訓は、自分達がどんなに酷い事故を起こして、人々をどんなに苦しめたところで、自分達は処罰されないということです。それが、彼らが得た最大の教訓になっているわけで、どんな古い原子力発電所を動かして事故になろうと、自分達は絶対に責任を問われないし、処罰もされないということが、福島第一原子力発電所の事故で分かってしまったわけですから、彼らとしては、何としてももうやるということになっているなと思います。・・・
ドイツがどうして脱原発ができたかと言うと、政府の中に倫理委員会という技術的な問題を考える委員会のほかに、倫理委員会というまた別の委員会を作って、そこで原子力をやるということがどういう意味を持ってるかということを考えたんです。・・・・・
使用済み燃料というものが日本でもどんどんどんどん溜まってくるわけですけれども、その始末の仕方すら世界中どこも知らない。日本も知らないし、ドイツも知らないわけです。そういう時に、ドイツのその政府の中にできた倫理委員会は、自分達が始末ができないようなゴミを生み出す。そのこと自身が間違えているから原子力をやってはいけないという、そういう結論を下すわけです。
小出裕章先生:自分達が生きているということがどういうことか。人間の生き方の問題として考える…
小出裕章先生:自分達が生きているということがどういうことか。人間の生き方の問題として考える…
日本では原発でも医学でも倫理がしっかり検討されているのだろうか?
脱原発!!
長崎新聞3月9日
●日本政府は731部隊で行われた人体実験、またそこで製造された細菌兵器によって中国で行われた細菌戦について公式に認め、謝罪しないのですか?安倍首相もよくご存知だと思いますが?
戦後70年談話で「謝罪の必要なし」、有識者会議の西室座長
フランスのメディア:日本側の懺悔は足りない
日本政府の731部隊に関する今までの見解(一部)
2012年社民党の服部良一議員が行なった質問に対する、当時民主党の野田佳彦総理が行った国会答弁である。
(提出された質問書と答弁書より)
(質問1)アジア歴史資料センターが公開している昭和十七年九月二十二日付けの陸密第二七八五号で陸軍省副官川原直一が発した「不健康業務加算ニ關スル件陸軍一般ヘ通牒」には「關東軍防疫給水部(大連出張所ヲ含ム)ニ於ケル左記ノ危險ナル細菌ノ研究檢索並ニ診断液又ハ豫防液ノ製造業務ハ大正十三年内閣告示第二號ノ第二號末項ニ該當スルモノトシテ本年九月十六日内閣恩給局長ノ指定アリタルニ付同部隊ニ在リテ直接該業務ニ從事スル公務員ニ對シテハ右指定ノ月以降恩給法第三十八條ノ不健康業務加算ヲ為シ得ル儀ト承知アリ度左記コレラ菌、ペスト菌、チフス菌、パラチフス菌、赤痢菌、流行性脳脊髄膜炎菌及其ノ他危險ナル病原細菌」との記述がある。
1、右の「危險ナル細菌ノ研究檢索並ニ診断液又ハ豫防液ノ製造業務」で、七三一部隊が行っていた業務とはどのようなものか。細菌の培養やワクチン製造を含むのか。また、右の「其ノ他危險ナル病原細菌」で、七三一部隊で取り扱っていた細菌とは何か。炭疽菌、鼻疸菌、結核菌を含むのか、以上明らかにされたい。
(答弁1-1)いわゆる七三一部隊が旧日本軍の関東軍防疫給水部のことであることは、防衛研究所戦史研究センター史料室が保管している旧日本軍の関連資料から明らかとなっている。
しかしながら、外務省、防衛省等の文書において、関東軍防疫給水部におけるお尋ねの「研究檢索」、「製造業務」及び「其ノ他危險ナル病原細菌」の具体的内容を示す資料は現時点まで確認されておらず、お尋ねにお答えすることは困難である。
※日本政府は資料を確認しようする努力は全くせず、反対にずっと隠している!!
(参考)
満州国で安倍の祖父・岸信介もアヘンで大儲けし、巨大な富を築いた!生体人体実験の731部隊の指揮も岸信介
天皇は知っていた!!(積極的に関与していたでは?)
大本営作戦主任参謀朝枝の証言
戦犯免責の過程
「ミドリ十字」という会社
ウィキペディアより
内藤の起業した日本ブラッドバンクは、当初は輸血用血液の売買を主とするものの、各地に中小の血液銀行が乱立し、 競争が激化するに連れ人工血液製剤への移行を模索した。
ライシャワー事件から売血批判が巻き起こり、1964年8月28日の閣議決定により、血液銀行の業務が日本赤十字に一本化された。路線転換を迫られた内藤は、人工血液と血液製剤への移行を模索する一方、社名を創業以来の社章だった「緑十字形」からミドリ十字に改称した。
1996年8月から10月に帝京大学医学部附属病院の医師だった安部英、ミドリ十字の代表取締役だった松下廉蔵・須山忠和・川野武彦、厚生省官僚だった松村明仁が業務上過失致死容疑で逮捕・起訴された。(薬害エイズ事件)1986年1月に加熱製剤の日本における販売が開始され、十分な供給量を確保することが可能となったにもかかわらず、非加熱製剤の回収などの措置を講じなかったとして2000年にミドリ十字の3被告人に実刑判決
ミドリ十字は、血液製剤の企業として安定した収益があり、合併先には大手製薬会社の名前も取りざたされたが、吉富製薬と合併して法人格は消滅した。その後、医薬品業界の大規模な再編が進む中で三菱ウェルファーマとなり、医薬品業界の合併を経て現在は田辺三菱製薬となっている。
一方、裁判所の判断は
・1997年の家永教科書裁判第3次訴訟では、最高裁で731部隊の記述は正当と認められた。
・証拠もある
731部隊で行われた人体実験
医師・金子ー順-論文の発見
731部隊幹部が人体実験で京大博士号
15年戦争と日本の医学
・731部隊に関する書籍、テレビ報道で国民は事実を知っている!!
天皇の裁可した軍令に基づいて!!
731部隊
・中国政府も化学兵器と生物兵器の被害国であることを訴えている!!
化学兵器と生物兵器の全面禁止と徹底廃棄を
中国は生物兵器を持っていないが、かつて生物兵器の被害国である。中国は、生物兵器の全面禁止と徹底廃棄を主張し、いかなる国も生物兵器を開発、生産、貯蔵することに断固反対し、いかなる国がどのような方式にせよ、この種の兵器とその技術を拡散することにも反対する。「生物兵器禁止条約」締約国として、中国は自らの担う義務を真剣かつ全面に履行するとともに、「生物兵器禁止条約」と関係ある信頼醸成措置面のデータと状況を逐年国連に報告している。
・防衛医科大学校の教官も認めている!!
・米国陸軍感染症研究所のホームページにも載っている!!
生物兵器被害者医療管理ハンドブック(抄訳)
1937年には日本軍が生物戦計画を始め、満州国奉天近郊に731部隊と呼ばれる研究施設を設立した。石井部隊は1945年まで研究を続け、施設は焼き払われた。部隊は多くの菌を研究し、戦争捕虜に人体実験をおこなったことが戦後判明した。1000体近くの人体実験がなされ、多くは炭疸吸入によって死亡している。3000人にのぼる中国人がここで犠牲となった。さらに、飛行機からペストに汚染したのみを散布し、中国、満州にペストの流行を引き起こした。日本軍は、爆弾用として、400㎏の炭疸菌のストックを持っていたと言われる。
●731部隊めぐる日本と米国の密約、ジャーナリストの近藤昭二氏語る
「731部隊はどこまで明らかになったか、この部分はまだ謎」
4月26日近藤昭二講演 001
4月26日近藤昭二講演 002
4月26日近藤昭二講演 003
4月26日近藤昭二講演 004
4月26日近藤昭二講演 005
●真相40号
真相第40号【1950年(昭和25年)】4月1日、日本の政治思潮が右に揺れた時期さえ、諷刺雑誌はスポットライトのもとで脱帽する天皇を人骨の上に立たせた。アメリカの政策が、極東軍事裁判で天皇を戦犯として起訴することは防いだものの、少数とはいえ無視できない数の日本人は戦争中の重大な誤りを知っていて、決して許そうとはしなかった。(三一書房「真相 復刻版」より)
※GHQと関係があった二木秀雄の「政界ジープ」は、731の事を書いても、お咎めなし。それに対して「真相」が731の事を書くと、編集者はCIC(対敵情報局)に拘束され、「2度とこのようなことは書くな」と脅された。この違いは何か?
写真は「真相40号」よく見ると「生きている細菌部隊」というタイトルがある。
※下記のビデオでは、28分45秒あたりから真相の解説があります。
4月26日近藤昭二講演 001
●731部隊の証言者
笠原四郎のような731部隊で行われていた事を証言してくれる医学者が、もう1人いたら、日本医学界は大きく変わっていたかも知れない?
笠原四郎証言
篠塚良雄証言
三尾豊証言(元憲兵)
731部隊員の証言 1
731部隊員の証言2
731部隊員の証言3
佐世保の女子学生や名古屋の女子大生は、731の何らかの本を読んでいたのだろうか?生体解剖したり、タリウムを飲ませたり・・・731を想像してしまう。
ペスト菌、コレラ菌、チフス菌・・などを中国に撒き、生体解剖をしていた部隊を。
佐世保女子高生殺害事件
被害男性、女子学生の名挙げる=タリウム混入捜査で―容疑者と判断せず・宮城県警
●731部隊について、多くの書物・証言・映像などがあり、また、「731部隊展」や1980年代~2000年代の初めまで、裁判もあり、国民の多くはその様子を注視し、事実である事を知っている。
中国では、いろいろな史料が公開され、731部隊の建物も復元されるつつある。密約があったとしても、この事実は隠せない。
ところが、政治というものは、本当にこわい。敗戦後米国に全ての731部隊の研究資料を渡すことを条件に、米国は昭和天皇と731部隊等の細菌戦の部隊員の戦争責任を問わないという裏取引をし、日本・米国にとって都合の悪い事実を隠蔽し続けている。
今回の安倍の訪米を見ていて、つくづくそう思う。政権を再び奪取すると、すぐに秘密保護法を作り、731の史料を確実に隠せるようにする。訪米前の日本医学会総会では、731の事は公然の秘密として、今までと同様に絶対に取り上げさせなかった。そして、訪米し、天皇制護持と731の密約、同盟の強化を再確認すると、あの戦争に一番深く関係した裕仁(ヒロヒト)の誕生日に、日本の総理大臣として初めてアメリカ議会上下両院の合同会議で行った演説を行った。(いくらロビー活動にお金をばら撒いたのか知らないが、もしかしてオスプレイ17機購入や横田への配備は演説した事への見返りか?借金は膨らむばかり)その演説の中身では、米国従属と取れる安全保障関連法案を今夏までに成立させると明言してしまった。それは、日本の国会で全く審議もしていない法案であり、成立を約束するなど国会無視の言語道断の暴挙だった。これからはますます密約は守られ、天皇制は安泰で、情報開示は難しくなり、日米軍事同盟は強固となり、原発再稼動でリニア開通、東京オリンピックと進むとなると、沖縄をはじめ環境破壊がますます深刻となり、放射能・戦争の危険性も高まる。
731部隊等に関し、日本の医学者(ノーベル賞受賞者、東大、京大の先生等々)からの謝罪、反省はもちろんなし。お国の為に、医学の発展の為にやった?
“地獄の沙汰も金次第”とはこのことだ。731で残虐な事がいくら行われようと、関係ない。金と権力を持っていれば、何とでもなる。
実証主義も関係ない?密約を結び、情報を隠してしまえばそれでいいのか?正義も道徳も倫理もないのか?
●どうして731部隊や南京大虐殺についての歴史教科書の記述が薄いのですか?日本が反省していない証拠ですか?
そうです!!
●安倍首相は、「731・裕仁の犠牲者に対して責任を負う」と言うべきだ!!
独首相「皆 ナチスの犠牲者に対し責任負う」
●細菌戦資料発掘の旅(6)-ロシア編(近藤昭二)より
旧KGBの資料室に残されている吉房虎雄の個人ファイルNo.24238より
・1949年のハバロススク裁判開廷に向けての吉房虎雄のソ連の調書
吉房虎雄・・・1941年9月~42年3月関東軍憲兵隊司令部諜報責任者(第3課長)
1949年10月29日 ハバロフスク市 尋問開始 17時15分
・・・・
飛行機の飛行を見学した後、私たちは飛行場に立ち入らなかったので、石井部隊がどのような構造の飛行機を保有していたのかは分かりません。飛行場を後にした私たちは、部隊の中心となる建物に向かい、1階の廊下に入りました。そこで石井中将はある1つの薄暗い部屋に入り、私たちに30cm×50cmくらいの大きさの木箱を見せ、蓋を開けました。私は箱の中に大量のノミがいるのを見ました。石井中将は私たちに、これは最強の細菌剤増殖体である、なぜなら細菌に感染したノミは殺傷能力があるからだ、と説明しました。廊下を歩いていると、床に座っている3人の中国人がいて、彼らは先が壊疽した両腕を前に突き出していました。石井中将は私たちに、この中国人らには、人工的に腕を凍傷させる実験と、その治療を行った、と説明しました。もう少し進むと、石井中将は私たちにある1つの部屋を示しました。その部屋には12~14人の人がいましたが、私はどこの国籍かは気に留めませんでした。石井中将は私たちに、これは憲兵隊によって送致された原材料で、細菌実験に使うと説明しました。廊下をさらにもう少し進んで左へ曲がると、私たちはある部屋に出ました。その部屋はすべての壁が、ペスト、チフス、コレラやその他様々な細菌が拡大して描かれた絵と、細菌感染した人間の体の様々な部位が描かれた絵で埋め尽くされていました。その絵が並ぶ様には仰天しました。石井中将は私たちに、これは部隊内の研究室で培養されている細菌と、それが人体に及ぼす影響を描いたもので、その人体実験も部隊の中で行っている、と説明しました。私たちの石井部隊の建物内部の見学はここで終わりました。建物から出るとき、石井中将は原少将に、部隊の細菌の在庫を製造する生産性は、多くの点で憲兵隊の運営と部隊に提供される人間の数にかかっている、その人間達は、彼の言葉によれば、来たるべき対ソ連細菌戦争にとても必要である、とはっきりと伝えていました。・・・・・
これか?
荒原城堡731第3集 「壁にペスト」
・1956年の瀋陽特別軍事法廷の吉房虎雄の供述調書より
抗日愛国者多数を細菌戦の試験材料として虐殺す。
私は1941年9月より1942年3月の間に各憲兵隊長より申請してきた抗日愛国者約90人(1942年1年間145名の実例より推定す)を石井部隊731部隊に送致し同部隊をして細菌戦試験材料として極めて残虐なる堵殺を行わしめました。又同隊が菌培養のために使用するネズミ採取に対してハルピン憲兵隊をして協力せしめました。・・・
●国策と犠牲
●水俣病
(新潟水俣病)・・・これまでに約3500人が補償や救済の対象になったが、患者認定の申請や、国と昭和電工に損害賠償を求める訴訟が続いている。差別を恐れて名乗り出ないケースもあり、被害者は今なお苦悩している。
【新潟水俣病公式確認50年】知事「恒久的救済制度確立」を宣言
新潟水俣病50年 「加害企業のもうけのために…」
Minamata Disease
・チッソと雅子
雅子の母方の祖父江頭豊は60年代取締役、70年代会長、相談役の要職にあり、水俣病の原因が工場にあると知りつつの操業をとめようとしなかった。
・チッソと昭和天皇
チッソは、戦前朝鮮で電力事業を手がけ、大もうけした。
1931年と1949年に昭和天皇はチッソ水俣工場に行幸した。
・1942年確認できる最初の水俣病患者が発病
・田宮猛雄とチッソ
北野政次731部隊2代目隊長(東大卒)が戦後東大伝研に現れたとき、それを庇護したのは田宮猛雄伝研所長であった。田宮は日本医学会の大ボスで、多くの伝研所員を「徴兵逃れ」を餌に731部隊や同仁会に送り込んでいた人物。
昭和20年9月2日、東大助教授A(伝研2部)は1644部隊(南京栄部隊)で行った人体実験を苦にして自分の研究室でガス自殺をしている。(以上「731部隊細菌戦の医師を追え、高杉晋吾著より)
「医学界主流にあった東京大学医学部を中心として作られた田宮委員会は、水俣病つぶしの有力な手段であり、日本化学工業協会とチッソから研究費をもらっていたが、表に出ないもくろみは、米国の公衆衛生院(NIH)から熊大へ支給された三万ドルの研究費をねらったらしいことが、複数の関係者の証言で裏づけられる。」医学は水俣病で何をしたか 宇井純より
日本人を大量虐殺した天皇家の皇太子妃・雅子の一族
水俣病Q&A
水俣病
●特別講演
「医師の歴史的・社会的責任ー731部隊ーABCC・RFEF・予研(感染研)・IAEA・UNSCEAR・日本財団ー重松逸造ー山下俊一・長瀧重信という人脈を解くー」
松井英介
4月7日NPO731細菌センター総会 005
●戦犯で処刑された東条英機は、天皇の「忠臣」ではなかったか?
・内閣特別顧問である退役した満州の戦略家石原莞爾は、町から町へ敗戦を説明するための特殊任務に任ぜられた。・・・彼の演説の主調低音は単純なものだったー前総理大臣東条が戦争を引き起こした、他の誰も責任はない。石原と東条は1930年代に天皇の寵を争うきびしい好敵手として活動した。東条が勝った。・・・(「天皇の陰謀」(上)p153)
・(東京裁判で)
東条「私の知る限り、そういう事例はありません。のみならず、日本国の臣民が天皇の御意志に反して行動する事などあり得ず、まして日本政府や、日本国の高官においては尚更ありえないことです。」(「天皇の陰謀」(上)p229)
・学徒出陣の式典で東条は「天皇陛下万歳!!」を三唱しているではないか?「ハイル、東条」ではなく、「ハイル、天皇陛下」と。
学徒出陣 1943年昭和18年10月27日【日本ニュース】
●特別取材:日米は731部隊の細菌戦の罪を密かに覆い隠している―日本人学者、近藤昭二氏を取材
【新華社東京4月27日】日本のNPO法人「731部隊・細菌戦資料センター」の共同代表、近藤昭二氏が近ごろ新華社記者の取材に応じた際、日本は戦後米国に全ての731部隊の研究資料を渡すことを条件に、米国は昭和天皇と細菌戦の責任者の戦争責任を問わないという裏取引を行っており、今日まで日本と米国はまだ関連史料を公開していないと語った。
近藤氏は次のように語った。日本への戦後統治を順調に実現させるため、米国は日本の天皇制を維持させる必要があった。天皇の戦争責任を問わないという点で、日米は利益において合意に達していた。同時に、ソビエト連邦に対抗する必要により、米国は731部隊の研究資料がソビエト連邦の手に渡るのを見たくない。石井四郎(731部隊の創始者)はこの機に乗じて米国に交渉を持ちかけ、この裏取引が最終的に成立させた。日本は全ての731部隊のデータ資料を米国に渡し、また米国は昭和天皇と石井らの責任を問うことはなかった。
「私はかつて極東国際軍事裁判の審判に参与した米国人検察官と自ら話をしたことがあります。その検察官の話によると、東京に到着する前に、彼の上司であるキーナム(音訳)氏が天皇の戦争責任は問えないと伝えていたと言っていました。米国は最初から天皇制の維持を決めていたんです」と近藤氏は語った。
近藤氏は、細菌や毒ガスなどの生物・化学兵器は経済的且つ実利的で、銃砲と比べ殺傷能力や致死率が高く、自然資源の乏しい日本にとってはたいへん魅力があった。当時、国際社会では細菌兵器や毒ガスの使用禁止が取り決められていたが、日本は厳守しなかったと指摘している。
近藤氏は「生物・化学兵器の研究は非常に危険で、その濫用を阻止できるのはつまり倫理です。倫理の厳格な制限がない場合、戦時に731部隊が行った細菌戦が繰り返されないとはとても保証しかねます」、「私たちは必ず厳格な審査機関を設立することで関連の研究が生命理論に合っているかを監督しなければなりません。そして過去の歴史に対して厳格な検証を行うことが、ちょうど倫理体制を構築させる重要な材料となるのです。」と語っている。
731部隊めぐる日本と米国の密約、ジャーナリストの近藤昭二氏語る
・・・・また、「当時、中国の東北地域に設置された捕虜收容所には、米国人捕虜もおり、731部隊軍医の実験対象になった。それにより死亡した米国人も、後遺症が残った米国人もいる。戦後、それら米国人兵士は経験したことを、米国政府に訴えたが、米国は日本との密約があったため、それらを覆い隠した」という。
近藤氏は、「米国が、自国の兵士も731部隊の迫害を受けたことを知っていたにもかかわらず、それを覆い隠し、密約を交わしたことを、世界に知られたとすれば、結果は大きく変わっていた。米国政府にとって不利になる。現時点では推測にすぎないが、日本にとっても、米国にとっても、731部隊の事は秘密にしておきたい問題。今でも密約は密約で、両国ともに関連の資料を公開することは今後もないだろう」との見方を示している。
日本で医学シンポジウムを開催、731部隊などの医学犯罪問題について討論す
日本の「医の倫理」-過去・現在・未来-企画実行委員会は12日、京都で医学シンポジウムを開催し、日本の医学界が現在、中国侵略旧日本軍第731部隊の悪行を含む医学犯罪を消極的に隠蔽する姿勢に疑問を投げかけ、学界が戦時中の医学犯罪を検証し、歴史の事実を直視することで、医学界の医学倫理に欠ける現状を是正するように呼びかけた。
・731部隊の罪を暴き続ける、ペスト被害の生存者たち
●「君が代」は歌えない!!
『君が代は歌うべきだと思いますか?』 田原総一朗
上記のビデオで新しい国歌制定の動きがなかったのか、なぜ盛り上がらなかったのか?ということが疑問として投げかけられている?
・国歌制定の動き
1、1951年1月、「君が代」にかわる「国民主権」に基づく新しい国歌を作るという目的の為に、日教組の中央委員会で提案され、公募された。その結果「緑の山河」に決定し、日教組の教研集会や一部の小学校の運動会などで使われた。ところが教育委員会の圧力がかかり、衰えて行った?
「日教組が組織を挙げて公募して、広めてきた「新国歌制定運動」に対して、何等総括もなく、いつの間にか歌わなくなりましたじゃすまないよ、ということです。」(「日の丸・君が代」が人を殺す!北村小夜・天野恵一著、社会評論社)より要約
※今現在の取り組みについては分かりません。
2、敗戦後の1953年、壽屋(サントリーの前身)の社長:佐治敬三が中心となって、新国家、新憲法にふさわしい新しい国民歌(国歌)を作ろうという呼びかけが行われた。その呼び掛けに応じて、全国からよせられた5万点を超す応募の中から選ばれたのが「われら愛す」である。
NHKなどの洗脳放送が功を奏しているのか、主権在民にそぐわない「君が代」が当たり前のように演奏され続け、そして強制される現在、長く地下水脈のように歌われてきたこの歌は、再び新たな国民歌(国歌)の第一候補として、注目をあび、歌われようとしている。
この歌が、現在の閉塞状況からの脱却を願う多くの市民の口から、大きな声で歌われ、再び新国歌制定の大運動になったとき、「アラブの春」「アメリカの99%」の人々の運動に続く、「日本の春」は現実のものとなるだろう。
(曲は{われら愛す}→検索)
作詞=芳賀秀次郎
作曲=西崎嘉太郎
編曲=高浪 晋一
一、われら愛す
胸せまる あつきおもいに
この国を われら愛す
しらぬ火 筑紫のうみべ
みすずかる 信濃のやまべ
われら愛す 涙あふれて
この国の 空の青さよ
この国の 水の青さよ・・・・・
・天皇制をアメリカが認めた責任は大きい。
731のデータと引き換えに、天皇の戦争責任を問わない事と731部隊の免責をアメリカがしたことに、そもそも問題の根幹がある。
戦後、天皇制が残ったため、戦争の反省が十分為されなかった。昭和天皇が戦争を主導し、負けになると証拠を、焼却してしまった。
アメリカは天皇といろいろな取引をした。(全て極秘)
皇族方も多くが戦争に中心的な役割を担って参加していた。
ここが、戦後、裁判で裁かれる事なく、残ったために、財界・経済界とのつながりは戦前と変わらず、裁かれなかった日本軍幹部もそのまま残り、あの戦争のことを隠し、自衛隊などで活躍し、靖国に参拝し公然とあの戦争は「自存自衛のための戦争」と言ってはばからなかった。
天皇制の国家がそのまま存続したものだから、また「君が代」が復活し、人々を苦しめている。
・そう!「君が代」ではなく、「民が代」です!!上記のビデオで竹田恒泰という元皇族の子孫の方がしゃべっているが、この人の祖父は、竹田恒徳ではないか。
君主国家だから「君が代」を歌うのは当たり前だというような発言をしているが、祖父が戦中どんな事をやっていたかを「君が代」を語る前に調べて、国民に公表してもらいたい。
『死の工場』(隠された731部隊)シェルダン・H・ハリス著 p227~228にはこう書いてある。
1964年4月、『ジャパン・タイムズ』は、裕仁のいとこである元皇族の竹田宮恒徳を、日本の「スポーツ好きなプリンス」として人物紹介した。・・・しかしこの記事は竹田宮の経験のうち重要な部分をカバーしなかった。竹田宮は20数年前、日本占領下の満洲で任務に従事した。そこで彼は、首席主計官として、関東軍において戦時に設置された重要なポジションについた。そういう地位の人間として、彼は満洲におけるすべての細菌戦の関連施設に割り当てられる金を扱った。彼は平房を頻繁に訪れたが、その際、宮田武中佐と名乗っている。おそらく竹田宮・宮田中佐は、自らの任務を果たすために、満洲にある他の死の工場も視察したはずである。
竹田宮は、他にもっと直接的なつながりを、細菌兵器施設との間に持っていた。彼は、関東軍司令部によって設置された、731部隊と100部隊の事業の監督をするための特別委員会の幕僚メンバーだった。彼の幕僚メンバーとしての最も重要な責務は、平房や他の施設支部を訪問する許可を与えるかどうかを決定する事であった。・・・・
もし、戦争にでもなれば、自衛・侵略戦争にかかわらず、原発は狙われ、甚大な被害を蒙る。その結果、人類が地球上に住めなくなる可能性も出てくる。それよりも、交渉の手立てをきちんと考えて解決できないものか?
戦争がエスカレートすると、前の大戦のように、国民は総動員され、国際条約は無視され、手段を選ばず、生物兵器・毒ガス(化学兵器)・核兵器等を使い、相手に打撃を与える事を考えるだろう。地球の環境破壊は計り知れない!!国民はまたもや天皇の股肱(ここう)となり、自衛隊(軍隊)が最終的に守るのは、天皇家と政治家と霞ヶ関ではないのか?国民は捨石になる。
●戦争の悲劇「特攻」
神風特別攻撃隊の実写映像【第二次大戦】
「その直後の8月4日、小磯内閣は事実上、「国民総武装」を決定し、日本国中の臣民はすべて職場や学校で軍事教練に(竹やりを持って)参加しなければならなくなった。2週間後の御前会議で、昭和天皇は、来るべき敵の攻撃に対する新たな防衛計画を正式に裁可した。そこでは、「水際防御」よりも防空、「内陸防御」に力点が置かれ、さらに、「決勝兵器」の迅速な開発に力点が置かれていた。「「決勝兵器」とは、舟艇の乗組員やパイロットの命と「引き換え」に特定の軍事的な目標達成をするために考案された「体当たり」兵器、つまり「特攻」兵器の大量生産を意味していた。・・・・
アメリカがルソン島奪還作戦を開始すると、神風特攻隊のパイロットや「人間魚雷」による自殺攻撃が増えて行った。」p108~110「昭和天皇 下」(ハーバード・ピックス著)
「高松宮は、裕仁が嶋田を政府から直ぐに更迭すべきでありそしてフィリピン海戦に於ける嶋田の愚行と航空機の大損害の故に今や体当たり戦術の採用が真剣な考慮を加えられるべきであると決心している事を、見て取った。自殺飛行士の考えは、高松宮の航空海軍の提案にも最初から折り込まれていた。1943年に行われた幕僚の研究は、反論の余地なく、体当たり攻撃が在来の爆撃と魚雷攻撃の技術を用いるよりも、飛行士の損失当り更に多くの敵艦を沈めることができることを、示していた。」p465(「天皇の陰謀」バーガミニ著)
●敗戦前から敗戦後の流れを想像してみると?
・東京大空襲のみならず、地方の各都市も空爆にあう。また最悪の地上戦沖縄。そして、原爆だ。どうしてご聖断?(敗戦)が遅れたのか?その答えは、国体護持(天皇制存続)のためだ。このために多くの人たちが犠牲になった。731では施設の破壊と同時にマルタと呼ばれる人たちを全て殺して、隊員はいち早く日本へ引き揚げた。(国体を護持するための証拠湮滅)
・アメリカは、戦争中から日本人が天皇を神とあがめている事を知っていた。それを利用して占領統治円滑に進めようとした。日本とアメリカは敗戦前から、交渉を極秘にしていて、日本政府も空襲の事、原爆投下の情報をあらかじめ入手していた。そして広島に原爆が投下されるときに、畑俊六(当時第2総軍司令官)に第2総軍を広島に集めさせ、敗戦後に日本で天皇制打倒の反乱が起きないように壊滅させた。
・広島に原爆が投下されると、アメリカに心象をよくしようと日本医学者(石川太刀雄丸等、731からも参加)が現地に入り、原爆の被害状況(核兵器の破壊力・人体に対する影響)を調べて181冊の報告書を作成し英文にしてアメリカに敗戦後渡した。(治療はほとんどしない、731の免責をねらう)
アメリカは、原爆の被害の実態の公表などの報道を全て統制し、隠し続けた。治療は行わずABCCを発足させて、731関係者なども参加させて、人体に対する放射能の影響を極秘に調べた。「日本は核兵器の非人道的な訴えを国際社会に向かって発言しない」ということも731の免責をする条件の中に入っていたのでは?
平和とは人間の生命を 尊ぶことです。
(参考)「日本のいちばん醜い日」p524~525
次に藤田尚徳の「侍従長の回想」を引用する。蓮沼侍従武官長の奏上を聞く場面である。
陛下には蓮沼侍従武官長から奏上したが、〔略〕新型爆弾については、特別なおたずねはなかった様子だったが、広島市全域の報に、陛下は深い憂慮の色を浮かべておられた。〔略〕8日朝、東郷外相が決意の色を浮かべて参内してきた。そして御文庫地下壕の御座所に進んだ外相は、原子爆弾に関する米英の放送を詳細に言上すると、陛下は原子爆弾の惨害をよく知っておられ、次のように、一刻も速やかに和平を実現する事が先決問題である点をお示しになった。
天皇は原爆についての知識、投下の日、その場所を前もって知っていたはずである。ヨハンセン(吉田反戦グループの略)・グループはスティムソン陸軍長官の極秘情報をグルーを通じて入手し、その都度天皇に報告していたからである。
では、どうして8月6日なのか。それは、この日までに、スイスの赤十字経由で天皇の貯蓄が無事処理を付けられる見通しがたったからである。
東郷茂徳も天皇から“急げ”と告げられ、赤十字との交渉を急いだ。グルーはヨハンセン経由で天皇に8月6日の原爆投下の予定を告げていた。東郷茂徳は8日、天皇に会い、最初に「無事にスイスの件はうまく処理できました。当分資産は凍結されますが、遅くとも3~5年後には凍結を解除してくれるとスティムソンが申しております・・・」と言ったはずである。それから天皇と原爆を“天佑”として終戦工作に入るべく相談したに違いない。(以上、引用)
8月14日から15日には宮城で某宮様が中心となって偽装クーデターを起こさせ、近衛師団長を惨殺し、偽命令を出したが第1総軍がおさえた。そして阿南(あなみ)陸相を自決させ、降伏の段取りをした。(天皇の敗戦の段取り?)
マッカーサーの主張などによりアメリカは、秘かに天皇制護持を容認し、日本の占領政策を円滑にいくようにして、731などの戦争犯罪で天皇に戦争責任が及ばないようにした。天皇とマッカーサーの極秘の会談は11回に及んだ。決して公開されることはない密約が多数存在するのでは?
アメリカも日本に配慮し、マッカーサーの日本上陸を余裕を持たせた。それまでに日本政府は、天皇の戦争責任に関わる極秘文書を焼却した。
・1945年8月30日にマッカーサーが厚木飛行場に降り立った時、「ジェネラル石井はどこにいるか?」と言って、部下にその行方を探させた。
・アメリカ占領軍の上層部は、石井四郎を早くから探し出し懇意にしていた。1945年11月20日行方不明のはずの石井四郎と若松町の石井の家で6名の米軍将校と会食をしている。
・占領軍上層部は中国の情報や日本人捕虜によって人体実験・細菌戦の情報の大まかな部分はつかんでいたが詳しい情報は得ていなかった。
・占領軍上層部は、天皇を利用した占領統治を優先するため、天皇の戦争責任が問われる問題は、東京裁判では取り上げなかった。
・731部隊の事は、細菌兵器開発に後れを取っていたアメリカが、極秘に調査団を送って調査させた。
・731を調べる調査団が来日したが、サンダース、トンプソンの時は、731部隊員は人体実験の事を極秘命令なので口を割らなかった。
・1947年1月、ソ連が柄沢の供述から、人体実験の情報を得たので、石井の訊問を要求した。アメリカは、事前に石井から人体実験の情報を聞き出し、ソ連には、アメリカと組み、うまく芝居を打って情報を与えなかった。
・1947年6月にアメリカは、731部隊の人体実験に関するフェルレポート、12月にヒルレポートを作成した。
・GHQ法務部のニール・スミスが、「捕虜に対する人体実験及び解剖」という明確な罪状によって、平房の石井部隊、新京の第100部隊や東京の陸軍軍医学校の医師や関係者などを根こそぎBC級戦犯として法廷に持ち込もうとしたが、参謀2部のウィロビーが法務部の調査を中止させた。
・1948年1月26日「帝銀事件」が起き、捜査が731部隊に及びそうになると、またもやGHQは731部隊の関係者の捜査を中止させた。
・占領時アメリカは、郵便や報道を厳しく検閲し、日本国内で原爆の事や731部隊の情報が出ると厳しく取り締まった。1950年代に入り「ハバロフスク裁判資料」が出たが、ソ連のシベリア抑留などの戦争犯罪を隠すものだとしてまともに取り上げなかった。
・戦後731部隊員がアメリカに渡り、A(炭疸菌感染)レポート、G(鼻疽菌感染)レポート、Q(ペスト菌感染)を書き上げ、アメリカの生物兵器開発に協力した。
・戦後、アメリカ政府・日本政府は731の情報【奉天の捕虜収容所の聞き取り文書やフェルレポートの各論、衛生学校記事(一部開示)、その他】を行方不明として隠して続けている!!
あの戦争が、侵略戦争であり、多くのアジアの人々の命を奪った事は、紛れもない事実であり、大変な犯罪行為であった。とりわけ、中国では、毒ガス戦・細菌戦を頻繁に行い、残忍な殺戮も多かった。
●日本医学会総会
日本で医学シンポジウムを開催、731部隊などの医学犯罪問題について討論する
日本医学会総会では、なぜ731部隊のことが話し合われないのですか?
まだ、戦中の思想から脱却できない?(密約の影響?上からの命令、731の事は口にするな!!)
科学動員・・・日本に近代科学が定着するのは明治期であるが、それは富国強兵策の一環としてであった。つまり科学・科学者ははじめから国家に奉仕する科学あるいは科学者であった。すなわち富国強兵のための手段の1つであったのだから。『消えた細菌戦部隊』常石敬一著より
ドイツ精神医学精神療法神経学会は戦時中の残虐行為について謝罪表明しているのに!!
戦争であれば、「お国のため」ということで残虐行為は許される?
天皇陛下が、慰霊の旅を続けられている。
天皇、皇后両陛下 70年前の戦跡残るパラオへ「慰霊の旅」
陛下は、731部隊跡地や南京には行かれないのですか?
ノーベル医学賞を受賞された山中教授や神の手を持つ天野教授などは、731をどの様に思っているのでしょうか?
安倍首相はなぜこういうパフォーマンスを故意にするのですか?
お祖父さんの岸信介は満洲に731部隊の施設が完成する頃にいましたが、岸は731についてよく知っていたのではないですか?
1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には総務庁次長に就任。この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。
●731問題
731部隊めぐる日本と米国の密約、ジャーナリストの近藤昭二氏語る
日本医学会総会と聞くと、この写真を思い出してしまう。戦後の医学界は731の事は、上層部の圧力で反省できないでいる!!
1942年、東大の安田講堂の前で撮られた記念写真、国家総動員法はすでに1938(昭和13)年には発令され、帝大の先生方は嫌がる弟子達を「お前を破門するぞ!」などと脅しながら731部隊へ送った。この写真には、石井(初代、第3代731部隊長)、北野(第2代731部隊長)、増田知貞(1644部隊、部隊長代理)など731部隊の日本医学会に於ける力を見せつけている!!東大・京大・慶大等の先生方は、治安維持法におびえ、国家に協力せざるを得ない状況に追い込まれていた!!もちろん、積極的に陸軍軍医学校防疫研究室(新宿)の嘱託となり、731に指示を出していた先生?方もいた!!皇国日本の為に?
医学者も「八紘一宇」のための戦争に駆り出された!!
「医の倫理の問う」p60秋元寿恵夫著より(勁草書房)
「医学者たちの組織犯罪」p222常石敬一著より(朝日新聞社)
細菌戦部隊と自決した2人の医学者(常石敬一、朝野富三著)より(新潮社)
・中国侵略旧日本軍第七三一部隊遺跡中心エリアでの考古整理作業が完了
復元されつつあるロ号棟(捕えられた中国人・ロシア人などがここに入れられ、様々な生体実験、生体解剖がなされ、細菌兵器の開発を進めたところ)
ハルピンの731部隊跡(現在)
・「歴史を踏まえた日本の医の倫理の課題」などより浮かぶ数々の疑問!!
2015/04/12 【京都】医の倫理—過去・現在・未来— 日本医学会総会2015関西並行企画「歴史を踏まえた日本の医の倫理の課題」(動画)
封印された真実1
上記の動画などからの抜粋や想像。
・731部隊や100部隊は、昭和天皇(大元帥)の裁可をうけて軍令陸甲第7号が出され、平房や長春に設置された。
・731部隊では、日本の大義(お国、医学の進歩)のため、医の倫理は全く無視され、人体実験(生体実験・生体解剖)が日常的に行われた。
・お金東京地方裁判所 が余りない日本にとっては、その人体実験を通して、日本軍は細菌爆弾・細菌兵器を作ることが急務であった。
・1999(平成11)年9月22日の東京地裁の判決・・・731部隊については、「…1938年、満州国ハルビンの平房に731部隊のため数十棟の建物を備えた研究所と付属の飛行場が建設された(…細菌兵器の大量生産、実戦での使用を目的としていたものであり、そのため、『丸太』と称する捕虜による人体実験もされた。…〈証拠略〉が具体的であり、右の存在と人体実験がされていたことについては、疑う余地がないと認められる。)。」と認定した。
・1997年の細菌戦の訴訟が起きて、一審、二審の裁判では、細菌戦による原告らの被害事実と日本の国家責任を認定している。時効が成立しているので、賠償と謝罪は認められなかった。その判決文の中で、これ以上の高次な判断は国会の場でやって対処してもらう。という結論を出している。
裁判所が、事実認定して、最高裁で、国会で高次の判断を出しなさいと言っているのに、政府の方は何の動きもしない!!
・細菌戦を実施したことを示す金子順一論文発見(2011年)
七三一部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部に関する質問主意書
・731の番組を作るとき、日本からの情報が出てこないので、アメリカや中国、ソ連の情報を使って、モザイクをしていくような作業で確定して行く。
・敗戦時、日本の将官が命令を出して、日本軍の証拠を2晩かけて焼却処分した。
・習近平体制になってから731部隊の資料(関東憲兵隊の資料)も500ページ平均のものが84冊出している。政府が督励している、国家プロジェクトとしてやっている。日本は隠すばかり、国家間の差がはげしい。日本政府はずっと無視している。ごくわずかの研究者しか検討していない。
・日本政府は731部隊の存在は認めているが、そこで人体実験が行われた事も、中国で細菌戦を行い、被害者が多数出た事も認めていない。
・人体実験が行われて、細菌兵器を作っていたことが全世界にばれると、戦犯として昭和天皇(大元帥)が裁かれるので、日本は、ソ連が参戦するとすぐに731部隊を完全に破壊して、証拠湮滅を急いだ。マルタ(被験者)は全て殺して焼き、松花江(しょうかこう)に捨てた。隊員家族は真っ先に日本へ帰還させた。(多くの残留日本人がいるにもかかわらず)
・マッカーサーは、厚木の飛行場に降りる前から日本軍が生体実験、細菌兵器の開発をしていたのをある程度知っていた?アメリカは日本の文化の特質を研究していた。「菊と刀」の文化より、天皇に対しては忠誠を強いられていることを知っていた。その天皇を使って占領政策を円滑にしようとした。
だから、帝銀事件が起き、731部隊員に捜査が及ぶ事になると、国民に731部隊のことがばれるので(その結果、天皇にもその責任が及ぶ事にもなりかねない)マッカーサーはGHQ法務部の731部隊の調査はやめさせた。極秘に731部隊の事を調べ、データ収集する中で、731部隊員を全員免責にした。軍医であった増田知貞も、取調べ後、公職追放を解かれて大学教授の夢が見えてきたが、直後にオートバイ事故で死亡した。
1945年6月の報告書
・サンダースが平房を視察しようとするとマッカーサーはやめさせた!!(天皇の責任にかかわるから?)
・1945年の敗戦の年の11月に行方不明のはずの石井はアメリカ人将校にディナーを振舞っている。
・天皇を戦犯訴追すると、アメリカの交渉相手がなくなってしまう。天皇家の資産は相当だった。
天皇家の財産
・マッカーサーと天皇の会談は11回極秘に行われ、沖縄の事、731の事、原爆の事さまざまな事について話し合われ、すべて内容は極秘??
密約は731部隊についても存在する?
・731部隊は「バターン死の行進」で生き残った捕虜に奉天監獄で、生体実験を行った。
・奉天監獄で捕虜だったアメリカ人がアメリカ政府に訴えた公聴会の記録も非開示。その事が全米にばれると、731の事が問題になる?アメリカ政府自体が責任を問われる。天皇の事も。だからアメリカと日本を密約を結んだ。情報の非開示。
・クリントン政権では、戦時中のアメリカや日本の情報が情報公開などによって、結構見られたが、ブッシュ、オバマになってからは情報を出していない。日本とアメリカが非開示ということで密約している?
・フェルレポートに列挙された19本のレポートの1つも出ていない。アメリカ政府も開示していない。
・防衛省は衛生学校校長だった金原節三(きんばらせつぞう)が寄贈(2028点)した文書の一部を、市民が裁判を起こしてやっと出したが、肝心な部分は出さない!!最初の3年間のところは4冊しか出していない。金原節三は1941年当時陸軍省医事課長で細菌戦に関与していた。裁判は継続中。
・日本政府にアメリカが返還したとする731部隊の文書を問い合わせても行方不明としてきちん資料を出さない。
・戦後、731で研究されて書かれた論文が、京大や東大などで公然と認められ、博士号が授与されている事実!!(もちろん人体実験のことがあからさまに書かれている。)以下は、西山勝夫氏(滋賀医科大学)の『731部隊関係者等の京都大学における医学博士の学位の授与過程』より
・日本医学会は731の犯罪を追及しようとしている人たちの意見を無視し続けている!!
(『日本医療の原罪』(高杉晋吾著)p16より
・鬼塚氏などの書物を読むと、天皇は2発の原爆投下のことはあらかじめ秘密のルートから情報を得ていた。東京大空襲の情報も得ていたのかもしれない。
アメリカは、取引相手を初めから天皇にしていたのでは。だから、東京大空襲では皇居は狙わなかった。(一部は損害を蒙ったが)
・日本医学界の縦社会を、(体育系)を象徴する例。(教授の言ったことには逆らえない!)
九大生体解剖事件で若い研究生が米兵を採血した後、石山教授が「海水を注射しろ」と言うと、「もうその実験はウサギの実験でやっていますからいいじゃないですか」と返すと、教授は「ウサギじゃ意義?がない」と言って、強行させた。
・中国では戦後70周年ということで731部隊跡の世界遺産への申請に向けて準備が進んでいる。また、細菌戦被害地では、細菌戦の検証ということで「史料集」などがたくさん出る予定!!中国へ行ったときに日本人は過去に中国でどんな事が行われたかを知らないで行くと、驚くことばかりかもしれない。
●天皇と731の関係は?
・天皇は生物兵器に関心があった。(『死の工場』シェルダン・H・ハリス著(p229)
1925年9月赤坂御所に生物学研究所設置「昭和天皇」p61ハーバード・ピックス著(講談社)
1925年、ジュネーブ協定締結・・・毒ガスの禁止だけでなく、ポーランド代表の提案を入れ、細菌兵器の使用禁止もうたっている。・・日本とアメリカは批准しなかった。石井四郎、遠藤三郎に細菌戦の重要性を主張!!「医学者たちの組織犯罪」p60 常石敬一著より(朝日新聞社)
天皇の神格化1928(昭和3)年即位の礼(天皇:大元帥27歳)(約1年間かけて行われ、最後は大嘗祭)裕仁は現人神(あらひとがみ)になる。
27歳の若さで現人神?頭の中では大日本帝国の夢が膨らんでいたのであろうか?
昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼
大日本国憲法では
第三條
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第四條
天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ
第十一條
天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
となっている。天皇が神で神聖であり、元首であり、陸海軍に責任を持つことになっている。
ところが戦後補償裁判では「国家無答責」の法理によって、国・天皇の責任が一切追及されない。
何で、戦後も旧憲法が生きているのか?
(参考)国家無答責の法理(こっかむとうせきのほうり)とは、国家無答責の原理ともいわれ、大日本帝国憲法のもとでは官吏は天皇に対してのみ責任を負い、公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても国家は損害賠償責任を負わないとする法理をいう。
1925年・・・治安維持法制定(国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的として制定された日本の法律。)
・1928(昭和3)年、昭和天皇の即位式・・・ほぼ1年かけて現人神・大元帥になった。(27歳)
日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台もこの時期に築かれた。1928年、田中内閣は化学・生物兵器禁止国際議定書〔1925年調印の「窒素生ガス、毒性ガス又はこれらに類するガス及び細菌学的手段の戦争における使用の禁止に関する議定書」のこと。日本の批准は1970年〕の批准を見送った。翌年には枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約の批准を保留した。枢密顧問官は、天皇の兵士は捕虜になる事を許されない以上、捕虜の処遇に関する条項は寛大すぎてとても実行できないと言う。・・「昭和天皇」p170ハーバード・ピックス著(講談社)
・1929(昭和4)年、昭和天皇、陸軍軍医学校視察、どのような目的があったのか?(軍医学校の中に1932年に防疫研究室が設置され、33年に規模を拡大。多くの京大や東大の教授達が嘱託として働き、731部隊などにいろいろな指令を出した。)「陸軍軍医学校50年史」より
軍刀には不思議な力がある?
・小泉元中将と助教授を結び付ける唯一の“接点”も細菌戦部隊だった。小泉は陸軍省医務局長時代、細菌戦準備を提唱した石井四郎元中将の最もよき理解者の1人であったし、後援者でもあった。小泉元中将の支援なくして日本の細菌戦部隊はありえなかったと言ってもよい。
その細菌戦部隊とかかわり、そこで人体実験を強いられたのが、自殺した助教授である。彼は医学者としては、手を染めてはならない人体実験を繰り返し、その良心の呵責から死を選んだのである。
小泉元中将を、日本の細菌戦を推進し、大きな流れを作った人物と位置づければ、助教授はその流れに巻き込まれ、のみ込まれた1人といえよう。・・・
(『細菌戦部隊と自決した2人の医学者』常石敬一・朝野富三著より)
小泉親彦・・・1932年(昭和7年)、近衛師団軍医部長に就任。1933年、陸軍軍医学校校長。1934年(昭和9年)、陸軍軍医総監(陸軍中将相当官)となり陸軍省医務局長に就任。1937年(昭和12年)、官名が陸軍軍医総監から陸軍軍医中将に改められた。階級としては、軍医中将は軍医として最高位である。1940年(昭和15年)、勲一等旭日大綬章受章。1941年(昭和16年)、第3次近衛内閣で厚生大臣に就任、次の東條英機内閣でも留任した。
1945年(昭和20年)、連合国軍の取り調べを拒否し、割腹自殺を遂げた。
軍医時代の小泉の大きな仕事
1、厚生省設置の推進 2、日本における毒ガス戦の基礎を築く 3、防疫研究室新設に協力し、この近衛師団軍医部長を兼務していた時、近衛師団の土地約5000坪の土地を「譲与」した。(1933年10月、新たな防疫研究室完成)
・厚生省とは国民の健康を増進するために作られたのではなく、強い兵隊を作るために作られたのか?
・毒ガスの人体実験は平房の731部隊の施設で516部隊と合同で行った。
・陸軍軍医学校と防疫研究室は、地下道でつながり、その地下道には、コンクリート製の水槽があって、ホルマリンの中に死体が、15、6体浮かんでいた。(『証言731石井部隊』郡司陽子著)(731部隊で、生体解剖したものを飛行機で研究室まで運んだのか?)
小泉親彦(こいずみちかひこ)
1928年~30年 石井ヨーロッパ視察、1933年背陰河(はいいんが)に秘密裏に東郷部隊設置
1933年防疫研究室完成(731部隊の司令塔)、1936年(陸軍軍医学校50周年)遂に防疫機関(731部隊)の新設をみるに至れり。(天皇の軍令に基く)
ここで、防疫研究室新設の理由として、欧米各国と比べ「我が国に之が対応施設なく」と述べられている。しかしすでに軍医学校にはこの研究室より規模も大きく、名称も似かよっている「防疫部」が設けられていたのである。対応施設云々こそ、細菌戦研究の研究室である事を、暗に認めたものであろう。この表現でも、一般に公開することを予定した文書においては、ぎりぎりの線であろう。・・・・・・
「同機関は内地防疫研究室と相呼応して皇軍防疫の中枢・・・・」の部分
満州の部隊は形式上関東軍に所属するが、東京の軍医学校と密接な連絡を取りながら、業務を行う、ということだろう。
(『消えた細菌戦部隊』常石敬一著より)
『陸軍軍医学校50年史』P184
防疫研究室『陸軍軍医学校50年史』より
731部隊全景(『続・悪魔の飽食』森村誠一著)
・4宮殿下、陸軍軍医学校50周年式典にご臨席・・・731部隊(細菌戦)・毒ガス戦にかける思いも強かったのでは?
閑院宮(かんいんのみや)・・・1931年~40年陸軍参謀総長
梨本宮・・・元帥、敗戦後、神宮祭主であったことから国家神道の主体的な頭目であったとみなされ、皇族としてただ1人A級戦犯容疑者に指定されて、巣鴨プリズンに拘置された。1937年6月、対中戦争への突入を東条と協議するため満州を訪れたのは、他ならぬ梨本であった。この意味では彼は全8年に及ぶ地獄のような戦争の開始者であった。(「天皇の陰謀」(上)p201)
朝香宮・・・1937年(昭和12年)12月2日、上海派遣軍司令官を拝命し、直後の南京攻略戦に参加。南京大虐殺に関与。
東久邇宮(ひがしくにのみや)・・・太平洋戦争時は防衛総司令官・陸軍大将に就く
・4宮殿下陸軍軍医学校の50周年の式典に臨まれる。
陸軍軍医学校50周年記念行事について
細菌戦の予行演習?731部隊員増田薬剤官同乗。(夜の宴会:「よし、細菌戦で行こう!乾杯!」?
久邇宮(香淳皇后の父親)・・・生物学戦争についての情報を提供し続けた?
・永田鉄山・・・石井の特に細菌戦研究についての主張は、陸軍省や参謀本部において次第に支持を集めて行った。彼の意見を支持した人間のうち最も有力な人物が、1931年当時陸軍省軍務局軍事課長(陸軍中佐)で、1934年には実質的に最も力を持っていた局長である軍務局長(陸軍少将)に就任する永田鉄山だった。ちなみに、後に石井部隊が創設されてから、部隊長の石井の部屋には永田鉄山の胸像が飾られていたという。国家総動員を唱えていた。(『消えた細菌戦部隊』常石敬一著)
・1937年(昭和12年)・・国民精神総動員【第一次近衛内閣が1937年(昭和12年)年9月から行った政策・活動の一つで、「国家のために自己を犠牲にして尽くす国民の精神(滅私奉公)を推進した」運動。】「国体の本義」(神勅や万世一系が冒頭で強調されており、国体明徴運動の理論的な意味づけとなった。)
・1938年(昭和13年)・・国家総動員法発令【総力戦遂行のため国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員)旨を規定したもの。】
・1941年(昭和16年)・・「臣民の道」7月の第3次近衛内閣時に文部省教学局より刊行された著作である。欧米の個人主義思想を否定し、ただ国体の尊厳を観念として心得るだけでなく、国家奉仕を第一とする「臣民の道」を日常生活の中で実践する在り方を説いている。
戦陣訓発表 (生きて虜囚りょしゅうの辱はずかしめを受けず、死して罪禍ざいかの汚名おめいを残すこと勿なかれ。)
1940年(昭和15年)皇紀2600年?に東京オリンピックを開催する予定だった。
道徳の強化、「日の丸」・「君が代」の強制、秘密保護法で隠す動き、軍事力強化、集団的自衛権を行使可能にする流れは
何か昔の動きと似ていませんか?
オリンピックよりも、脱原発、福島・東日本の復興にお金をかけたらいかがですか!!
●権力側の都合の悪い情報を「国益を損なう」と言って隠すことはあってはならないことだと思う。
情報をもっと公開せよ!!
「日本では戦争について反省をしていない人々が権力を握っており、これが日本とアジアの人々にとって非常に深刻な問題になっている」
加藤典洋(かとうのりひろ)
過去の自分の国が為した間違いを「謝る」こと、自分たちの「誤り」を認め、それと向きあうことが、戦争の死者の「無駄死に」に応え、自分たちの道義の「強さ」「まっとうさ」「未来性」のカギとすることで、彼らの「死」を弔うことにもつながる。
慰安婦、日韓併合、中国侵略…「謝罪は戦争の死者たちを哀悼する行為でなければならない」―日本を代表する思想家
●日本の真相 鬼塚英昭
●天皇の陰謀 はじめに
●731部隊展開催のお願い
●日本は1925年のジュネーブ議定書を無視し、主に中国で毒ガス兵器、細菌兵器を多用した!!
閑院宮参謀総長が出した毒ガス使用の指示!!
日本鬼子のおきみやげ(毒ガス)
初めて知った戦争「大久野島」「731」
元をただせば、敗戦時アメリカが、天皇の戦争責任を回避した事につながる。密約が存在するのではないか?
アメリカは、731の戦争犯罪よりも、その細菌兵器に注目し、共産主義の台頭に脅威を感じていたのか?
当時、国家元首の昭和天皇と取引をし、沖縄を軍事基地化し、731の犯罪を免罪し、その細菌戦のデータを本国での遅れた細菌戦研究に利用しその後の戦争で細菌兵器を使用した。また、広島・長崎の2発の原爆投下の残虐性についてはマスコミには情報をシャットアウトさせ、医学界には放射能の体に関する影響の研究や発表を禁止させた。ただただ、日本の医学界は、731の免責を乞うために原爆の被爆調査に全面協力し、資料をアメリカに提供した。
●封印された原爆報告書
封印された原爆報告書
アメリカは731の犯罪に目を瞑り、日本は、アメリカの原爆の犯罪に目を瞑っている。
その後、アメリカは「アトムズ・フォー・ピース」の下、CIAのスパイ中曽根・正力を使って、原発を推進し、54基もの原発を狭い日本に設置し、2011年福島の大惨事!!医学界は、放射能の被害については過小に評価。
●原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~
原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~
●殺された人の霊が、歴史を否定する日本政府・日本国民を訴えている!!
「戦争犯罪をごまかそうとしている者がいる」中国外交部長が国連で安倍批判
●731問題
展示会を企画した日本人医師は「歴史を歪曲したり、隠そうとしてはいけない」と述べ、安倍政権を批判した。
旧日本軍731部隊の蛮行を反省、日本の医師らが企画展を開催=韓国ネット「日本でそんなことが?」「日本が少しずつ変わっている」
日本政府、「731部隊」「慰安婦連行」などの書類を数日かけ廃棄 1945年、東京の夜空を焦がした公文書焼却の煙東京で「731部隊」関連映像上映、日本の侵略行為を日本人はどう感じたか?―中国紙
辞典に見る731の記述その2
オウムに関わった鈴木俊一と日野原重明と731部隊より
・山西省にあった731部隊の分遣隊の主計部の中尉だった鈴木俊一は東京都知事であり、自民党右派の主要なメンバーだった。鈴木の居た分遣隊は人体実験には関わっていなかったが、彼は731部隊の残酷な秘密を知っていたことを認めている。
・莇(あざみ) :少なくとも日本の医学界の中枢は、731部隊で行われていた医学犯罪の内容を知っていたと思います。当時の京都大学の医学部長も教授も何回もハルピンに行っているんです。そこで何が行われていたか知っていたはずだと思います。昭和14・15年には石井四郎が京大に来て生体実験の内容の一部を映写機で写しているんです。当時京大の助手としてそれを見た日野原重明先生が、2005年12月5日付けの朝日新聞に投稿しています。投稿の内容は、「私が京都大学の医局で学んでいた時、大学の先輩でハルピン特殊部隊の石井四郎中将が現地の様子を納めた写真フィルムをもって母校を訪れました。そこには捕虜たちの生体実験が映っていました。腸チフス・ペスト・コレラなどを感染させてから死亡するまでを収めたものです。見るに耐えられないものであり、今でも鳥肌が立ちます。」
日本鬼子(リーベンクイズ)
映画『『日本鬼子(リーベンクイズ)』のDVD発売中
税込価格 5184円 (カラー160分)
購入をご希望の方は「中帰連発行所」に連絡ください。
申込先メルアド tyuukiren@yahoo.co.jp Fax 03-3954-6142
野中 だいたい安倍さんは「戦後レジームからの脱却」と言うが、それは自分の祖父である岸信介元首相がA級戦犯(容疑者)にされた東京裁判を否定したいということなんだ。
共産党:衆院選で議席増 84歳の元「プリンス」に聞く (毎日新聞 ...
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