「マルタ」・「アジアの被害者」の悲痛な叫び!!
「怨」
No More 731!! No More Nanking!!
No More War!!
武器よ!!さらば!!
沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!
新しい日本!!
世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!
沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!! 脱原発!!
放射線量 側溝の上は比較的高い値(6月5日 5:00更新)
●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
牡丹江監獄人体実験の戦後版・府中刑務所
アメリカの囚人人体実験
それにしても、なぜアメリカの医学者たちはかなり執拗に田宮らに囚人実験を迫ったのか?北野政次にはよく分かっていたに違いない。
彼は上海から帰国後、東大伝研の図書室で「流行性黄疸(おうだん)の病原体の研究」がアメリカで行なわれ、その病原体がウイルスであることを人体実験によって突き止めたことを知った。アメリカは囚人人体実験に関して言えば、先輩国なのである。
私の調べた幾つかのアメリカの人体実験を紹介してみよう。
〔黒人への梅毒人体実験〕アラバマ州東部の州立タスキージ梅毒研究所で、梅毒が極度に悪化した場合、身体にどんな障害が起こるかを調べるために、同州メーコン軍の黒人梅毒患者431人を全くせず放置。死ぬまでの状態を観察する、というおぞましい研究が行なわれた。この時431人中357人が死亡し、それらを研究所は解剖の実験に利用していた。
〔ジョージア州アトランタ刑務所〕戦時中からマラリア予防薬の試験投与が行なわれていた。これは明らかに太平洋戦争における戦力保持のためであろう。
〔フィラデルフィア刑務所〕サリドマイド系睡眠薬の連用試験。
〔シカゴ刑務所〕白血病患者の体液を囚人に注射。
〔オハイオ刑務所〕ガン組織の移植。
私がかつて『日本医療の原罪』(亜紀書房刊)に記載しただけでもこうした囚人への人体実験がアメリカでは行なわれている(1962年当時)。あるいは731部隊をアメリカが庇護したのは、こうした人体事件を刑務所で行なうのが日常茶飯事と化しているアメリカ医学界の鈍麻(どんま)した感覚も加わっての結果ではないだろうか。
※アメリカはいつから人体実験を囚人に対して行なっていたのだろうか?アメリカはドイツに対してはユダヤ人の影響が強かったので、残虐な人体実験を行なった医師に対して厳しく対応し死刑にした。また、九大事件に対しても一応厳しく対応した!!これは国際社会に対してのポーズだったのか!!そして自国アメリカではでは人体事件を行なっていた!!
中国人に対して731部隊が行った残虐な人体実験は、中国が共産化したこともあってか、全く無視して、その犯罪を問うこともなく、そのデータを安い値段で買い取ってしまった!!そして、今度は日本の囚人に人体実験を強要した!!
インターネットにあった「アメリカの人体実験表」
1940年
シカゴで400人の囚人をマラリアに感染させて新薬の人体実験。後にニュルンベルグで公判中のナチの医者がホロコースト正当化のため、この人体実験を引き合いに出す。
1942年~1945年
米軍で1000人の軍人を使ったイペリット毒ガスの人体実験。
1944年
米海軍がガスマスクと防護服のテストで人体実験。兵士がガス処刑室でイペリットガスを浴びる。
1944年8月
「生物学的研究プログラム」(プルトニウム人体実験)始まる。
1950年
都市部の生物学的危機対処研究に、米国海軍がサンフランシスコ上空の雲にバクテリアを散布。多くの住民が肺炎の徴候を示す病気になる。
1953年
CIA、米陸海軍共同でニューヨークとサンフランシスコ上空で細菌の空中散布実験。
1955年
CIAがタンパベイ上空に留区軍細菌兵器庫のバクテリア散布。
1956年
陸軍人が黄熱病の蚊をエイボン公園に放った上、公衆衛生局高官になりすまして犠牲者を調査。
1965年
フィラデルフィアの州刑務所で、枯れ葉剤の発ガン物質特定のためのダイオキシンを使用した人体実験。
1966年
陸軍がニューヨークの地下鉄の換気装置に細菌を散布。
1968年
CIAがワシントンで化学物質による飲料水汚染実験。
1971年10月8日
シンシナチ大学の医師が、米国国防総省の依頼で11年間にわたって、がん患者111人に放射線全身照射の人体実験をしていたと判明。
1976年2月21日
原爆開発中の45年から47年にかけ、米国政府が極秘に18人にプルトニウムを注射する人体実験をしていたことが判明。13人死亡。
1977年4月14日
戦後20年間続いた、ネバダ核実験場で原爆使用の演習に参加した兵士に白血病の多発が判明。人体実験の疑い。
1984年1月25日
環境保護グループ、囚人、末期ガン患者の放射能人体実験を告発。
1986年10月24日
米議会スタッフの調査で、1940-1970年代に、米政府の囚人・病人への放射能影響調査の人体実験判明。
1990年
ロサンゼルスにおいて、親に無断で黒人とヒスパニックの6カ月の赤ん坊1500人にはしかワクチンの実験薬が投与。
1993年12月26日
ハーバード大・マサチューセッツ工科大が1940-50年代に精神障害児に放射能人体実験との報道。
1994年
ジョン・D・ロックフェラー上院議員は少なくとも過去50年間、国防省が神経ガス、放射能、精神薬、湾岸戦争で使用された化学兵器などの危険な物質の人体実験のため何十万もの軍人を使ったと公表。
1994年1月6日
米国防省の放射能人体実験により25人が死亡の報道。
1994年3月14日
オッペンハイマー米ロスアラモス国立研究所長が1945年にプルトニウム人体実験支持の手紙を書いたと判明。
1994年6月27日
オレアリー米エネルギー省長官、放射性物質の人体実験問題で、48件、1200人が対象になっていたとの中間調査公表。
1994年10月21日
冷戦時代の放射能人体実験を調べている大統領諮問委員会が、実験は分かっただけでも千数百件、最終的には数千件に達する可能性があるとの中間報告を発表。
1995年
合衆国政府が日本の731部隊の戦争犯罪人を細菌戦のデータ提出と引き換えに免責し、実験を続行させていたと認める。
1995年
湾岸戦争で使用の生物兵器はヒューストンで生産され、囚人で人体実験したものと暴露される。
1995年2月
放射線人体実験に関する大統領諮問委員会の調査で、1950年代に米国が大気圏内核実験による死の灰の人体への蓄積を調べるため日本など世界各国で死産した胎児の骨などを集め分析する極秘の「サンシャイン作戦」を展開していと判明。
1995年2月
米国エネルギー省の「放射線人体実験局」、同省とその前身の原子力委員会(AEC)関与の放射線人体実験に関する報告書を公表。154件で9000人が犠牲に。
1995年3月18日
原爆投下直後に広島で調査を行った学者3人のプルトニウム人体実験関与判明。
1995年6月20日
家族に無断で病院から運び出された約1500体の子供の死体が、戦後の放射線人体実験に利用の報道。
1995年8月17日
米エネルギー省、政府関係機関が戦前から行ってきた放射線の人体実験に関する最終報告書を発表。1930年代から70年代の40年間に435件、対象者は約1万6000人。
1995年10月3日
米大統領の諮問委員会、1944年から74年ごろまでに約4000件、推定被験者数万人の放射線人体実験が行われたとする報告書をまとめる。
1998年1月
米国が最近公表した公文書に、1954年に太平洋ビキニ環礁で実施した実験が人体実験であったことを示唆する文書が含まれていることが判明。
1998年4月28日
1950-60年代に、ノルウェーと米国の研究者が、知的障害者に放射線の人体実験を実施とノルウェー紙報道。
1998年11月
米・ブルッキングズ研究所の調査で1940年代から70年代初めまで、米当局が核開発の一環として、計2万3000人以上の米国人への放射能人体実験実施が判明。
(引用終わり)
…これが、日本を食い散らす人間達の正体である!!
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)
※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
731部隊では何が行われたのか
※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
※元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
※エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
友人たちへの回覧状(1938年4月12日)
親愛なる友人の皆さん:
私たちは早くから、この本をこの方式で出版するのに賛同し、私たちの提供した資料で事実の真相が説明されるようにと、期待していますが、名指しする機関が出てきて欲しくはありません。けれどもティムパレイ氏とその上海の顧問たちは、ますます資料を全部或いはそこから選んだ大部分を使うように、傾いてきました。彼らには一次資料のオリジナリティとオーソリティーとが大事で、出版エイジェンシーたるロンドンやニューヨークの友人たちからも、やいやい催促されてもいるのです。私たちは作業の進行過程全体は何も分かりません。けれどもあらゆる宣教師がみんな南京の資料に関心を寄せていて、しかも上海の教会指導者のかなりの部分が、それを正確なものと見なしてなるべく早く出版をと願っているのです。
私たちは積極的な仕方で暴虐の真相を暴露するのを、道徳的な一種の義務だと感じています。私たちだけが或いは私たちと一緒に働いた人たちだけが、そうすることができるのです。他の人たちは間接的な仕方か半ば商業的な仕方を通じて、だんだん自由にこうした資料に触れて行かれます。一方では、このようにして、日本人の我々を攻撃する激しさを弱められるかも知れませんし、同時にまた私たちを促して、中国民衆の体験していることを総合的にしかも好意的に推し量れるよう、尋ね求めさせられるでもありましょう。これと関わってくるあらゆる原則や問題は、私が言うまでも無いことで、ご自身でご推測下さればと思います。
兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。
●昭和天皇の戦争指導
戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
731を問う!!
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