2018年6月7日木曜日

細菌戦の系譜!!

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●731部隊の実態
●『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」
●自衛隊と日航機墜落事故の関係は??
●サリン事件と自衛隊の関係は??
●「福島の今」
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●不二越訴訟
●中国残留孤児 中島幼八「足跡展」


●三里塚闘争と731部隊長の故郷
三里塚闘争と石井部隊長の故郷(加瀬勉講演)2018年3月

●お知らせ

●中国人細菌戦被害者ビザ発給拒否裁判
内閣人事局撤廃!!忖度政治は、やめてくれ!!
次回は6月8日(金)10:30~東京地裁415号法廷
3月9日の第8回ビザ発給拒否裁判では、裁判長は変わった。これで3人目。前回の裁判長は、外務省になぜ今回だけビザ発給をしなかったのか強く理由を求めたが、
今度の裁判長も、この事を、国側に、きちんと回答するように求めてもらいたい。
9日の裁判では、外務省は、はっきりしたストレートな回答をしなかった。今まで同様、ビザ発給は外務省の裁量であるとか、身元保証の問題を口にする。
2015年の集会の前までは、中国の細菌戦被害者遺族を日本に招くことが出来たのに、なぜ2015年の11月の集会には、外務省はビザ発給をしなかったのか?
外務省の官僚が、2015年9月に安倍政権が強行した戦争法成立に忖度して、集会のチラシにある「戦争法の廃止を求め、・・・」に敏感に反応したのか?

それとも歴史の改ざんを目論む安倍政権が、これまで日本政府が細菌戦を公式に認めて、謝罪していないことから、政権側の指示で外務省が細菌戦被害者遺族のビザを発給をやめたのか。次回裁判では、当時、ビザ発給に関わった外務省の官僚を証人として証言を求めたい!!


安倍政権の、歴史修正主義の影響を外務省は受けていないのか??
ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟

《ビザ発給拒否》裁判!!

ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!!

外務省が集会参加予定の中国人12人にビザ発給せず――細菌戦被害者ら入国拒否

当時の集会の模様
中国人細菌戦被害者遺族は、なぜいない?






●人体実験のデータで博士の学位を取っていたら大問題だ!!

731部隊員 平沢正欣(まさよし)論文の学位授与の検証 常石敬一


・戸田正三・木村簾【京大教授・731部隊嘱託(軍医学校嘱託)】は、きちんと平沢の論文を審査したのだろうか?敗戦直前の5月・6月の日本の状況を考えると難しいのではないか?6月6日に教授会をやって、即認めたのだろうか?
・「特殊実験」という平沢の言葉をそのまま、両教授は、容認し、学位審査の書面に記載している。「特殊実験」とは人体実験だろう。
・平沢(軍医でありパイロットだった)の論文を審査し、細菌戦に嘱託としてかかわった戸田正三は、戦後公職追放をとかれてから、1949年金沢大学の初代学長に就任、4選され1961年まで務めた。1951年、日本学士院会員、1961年11月20日(76歳没)。同じく731部隊嘱託の木村簾は、昭和3年京都帝大教授となり,同大ウイルス研究所長をへて,昭和32年名古屋市立大学長。腸内細菌によるビタミンB1の分解の研究などで知られた。昭和34年学士院賞(共同研究)。昭和58年5月28日死去。
論文を書いた平沢正欣は、1945年6月に飛行機事故で死亡している。

記者会見:研究者が戦争に協力する時

旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!


アピール1 731部隊員の学位論文(京大)を検証する 西山勝夫(滋賀医科大学名誉教授)



・1952年10月の日本学術会議の第7部会で、「細菌兵器の使用禁止」を求めるジュネーブ議定書を批准するよう提案されたが、細菌戦に係わっていた戸田正三、木村簾は反対した。そして自ら係わっていたことを全く反省せずに、戸田は次のように言ったという。
「生物兵器は、4,50年前に解決している問題でありまして、、今日ほとんど実用になりません。実用にならぬものを苦労までして日本で作るという馬鹿が出ましたら、そんな馬鹿な事をするなという勧告を私からよくいたしますから、どうかその点ご安心ください」
戸田・木村らは自ら係わった細菌戦のことに全く触れず、日本の医学界の犯罪を隠し続けた。
生物兵器禁止条約は、2018年現在の締約国(および地域)数は179で、日本は1972年4月10日(署名開放日)に署名、1982年6月8日に批准[した。
※しかし、自衛隊・国立感染症研究所等いろいろな研究機関では、本当に生物兵器開発をしていないのだろうか??


●ご紹介!! 検証を求める会!!

「軍機」医学、歴史の闇に <731部隊軍医の博士論文>

研究者が戦争に協力する時 ―731部隊の生体実験をめぐって―(京都大学) 常石敬一・神奈川大学名誉教授講演


●731部隊だけじゃなかった!旧日本軍「513部隊」の存在が初めて明らかに

●731部隊の構成全容明らかに 国立公文書館が名簿開示
4/14(土) 22:31配信 京都新聞


約3000人の隊員実名が記載された関東軍防疫給水部(731部隊)の留守名簿。国立公文書館が公開した

ペストを投与した人体実験の疑いがある論文の検証を要請している「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」(京都市中京区)が14日、京都大で記者会見し、国立公文書館から関東軍防疫給水部・731部隊「留守名簿」の開示を受けたと発表した。
軍医や技師、看護婦など役種と階級、留守宅を記載したもので、3607人が実名で記されていた。研究者は「731部隊構成の全容が分かる第1級の資料。政府が詳細な公文書を保管していたことが戦後70年以上たって初めて明らかにできた」と話している。
今年1月に公開されたのは、敗戦約半年前に作成された名簿。2016年に開示請求した際は「親族や戦犯とその親族を特定する情報」だとしてほぼ黒塗りの部分開示だったが、引き続き開示を求めていた。同会事務局長の西山勝夫滋賀医科大名誉教授が分析したところ、軍医52人、技師49人、雇員1275人、衛生兵1117人など731部隊の構成が判明。戦後に京都大医学部長を務めた故岡本耕造教授(戦前は講師)は「技師4等」の処遇だった。
また同会では、京都大文書館から、戦後に京都府立医大学長を務めた故吉村寿人・京大医学部講師ら京大医学部の講師クラスの研究者6人が731部隊派遣を発令された日時や旧陸軍での階級を特定できる文書「学報」(1938年・京大庶務課作成)も発掘した。同会は今月、京大に対し、731部隊所属者に関係する文書の開示請求を行っている。
14日は同会主催の講演会「研究者が戦争に協力する時 731部隊の生体実験をめぐって」があり、約150人が参加。常石敬一・神奈川大名誉教授が京大出身の731部隊軍医少佐が博士論文として提出したペスト菌特殊実験について講演し、「ペストに感染させたノミが石井部隊の主要な生物兵器だった。人体実験した論文を得難い実験として評価したのは京大に問題がある」と指摘した。



●軍学共同反対!!
岡山大、東海大、東京工科大、東京農工大へ抗議しよう!!


軍学共同反対連絡会のニュースレター18号

防衛装備庁助成の研究中止求める 岡山大に反対団体が申し入れ

アピール2 大学・研究機関における軍事研究を阻止するために 鯵坂 真(関西大学名誉教授)


アピール3 大学・研究機関における軍事研究を阻止するために 池内 了(名古屋大学名誉教授)


アピール4 大学・研究機関における軍事研究を阻止するために 広原盛明(元京都府立大学学長)


アピール5 大学・研究機関における軍事研究を阻止するために 福島 雅典京都大学名誉教授


●日中全面戦争・南京大虐殺81ヵ年!!

政府は、森友・加計問題を必死に隠し、731・南京・慰安婦・重慶などの加害事実も隠す!!

「南京事件Ⅱ~歴史修正主義を検証せよ~」 NNNドキュメント 2018.5.13


南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分


南京の傷(アメリカ版)全片 荔枝网视频  2017.12.13


マギーフィルム(字幕付き)


・南京大虐殺の証言

 あの醤油廠は、今の第2製薬廠の前進です。屍を埋める時、埋めた人数は数えないで、日数でお金を数えていましたが、崇善堂には付いていて専ら数を数えているのがいました。一緒に屍を埋めるのに加わった王小洋は、5年前に世からいなくなりました。1週間くらいやった後もうやりませんでしたが、他の人はまだやっていました。小さな商売をしていた時に、下関に行ったら草鞋峡の所に屍が一番たくさんあって、それはみんな波に砂浜まで押し寄せられたのでした。それに魚雷営にも死んだ人がたくさんいました。(戦国利と楊正元が記録)


驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!!
日中戦争全史年表

米国の牧師が撮影した日中戦争時の南京(マギーフィルム)


南京大虐殺80ヵ年

日本政府の今までの全く誠意のない対応!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた

村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国

2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!
戦争の反省の無い頭!!

22、南京大虐殺の証言
『この事実を・・・・』(「南京大虐殺」生存者証言集)より
・靳徳勤(女、64歳)の証言
 1937年の12月20日に、私たちは難民区の金陵女子大学にいました。日本軍は入ってきてから至る所でホアクーニャン(娘)を要求しましたが、ある時日本軍が難民区に来て中国の男の青年を2,3百名捕まえ、私たちに親族認定をさせ、認める人がいる者は一方に立たせ、認める人がいないのは捕まえて行きました。その時私はお粥を買いに行ったのですが、そこに兄がいるかもしれないと思い、傍で見ていたところ、兄は見かけませんでした。その時捕まった人たちの群の中で、30歳前後の青年が私を指さし、私がその人の従妹だと言うので、その人の一命を救うために、その人は従妹ですと私が言ったら、売国奴がその人を引っ張り出してきて、この青年は難を免れました。その他の2,3百名は認定する人がいなくて、みんな下関の江岸まで捕まって行き殺害されてしまいました。
 日本軍はそれに入ってきてから至る所で家を焼き、私も難民区で見たのですが、至る所に日本軍に焼き払われた家があり、夜は大きな火が天に紅く映えていました。(沈崇峰と王佩如が記録)





●重慶大爆撃裁判 
日本は中国の首都 南京→武漢→重慶を重点的に攻め、空爆した。





戦争のはじまり 重慶爆撃は何を招いたか


重慶大爆撃訴訟

the battle of china 1944


重慶大爆撃(苦干より)


重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。


爆撃の効果

「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」とされる写真

爆撃への評価
重慶爆撃は、アメリカなどの連合国軍による日本本土空襲や広島・長崎への原子爆弾投下の正当性の根拠としても利用された。一方で、日本の戦争犯罪を裁く極東国際軍事裁判では、重慶爆撃は連合国による日本爆撃と相殺され起訴されておらず、無差別爆撃を唱え百一号作戦と百二号作戦を推し進めた井上成美海軍大将なども戦犯指定はされていない。
この爆撃による被害の規模については推測に頼る部分も大きい。さらに、それを日本軍がどの程度意図していたか、または作戦の付随的影響として許容されると判断していたかについても諸説あり、現在も論争の対象となっている。



不当判決!!

中国・重慶爆撃 2審も遺族敗訴 東京高裁 /東京
2017.12.15(毎日)

日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の1審・東京地裁判決を支
持し遺族らの請求を退けた。永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。

判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や四川省の各地を狙い爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。

祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。弁護団は上告する方針。


●情報公開裁判(「化学学校記事」)第6回 2018年7月4日(水)11:30~東京地裁522号法廷
防衛省の日報問題で、明らかになった防衛省の隠蔽体質。省が大きくなるにつけ、軍備を増強しているとしか思えない。
防衛省は、『化学学校記事』の発行元の化学学校にも、自分の所で発行した『化学学校記事』がいつまで発行されていたかは不明で、全部をきちんと保管していないと公然と言う。全く私には理解できない。まずい情報を隠しているとしか思えない。

自衛隊の化学学校が、防護を前面に出して、毒ガス兵器の開発。研究をしているのではないかと考えてしまう。

国民の税金をつぎ込んで作った化学学校の中で行われている研究がどんなものなのか、国民には、全く分からないのである。
最近、テレビなどでテロ対策として毒物の処理をする防毒マスクを付けた自衛隊員の光景を見るが、新たな毒物・毒ガスの研究は進められていないのだろうか?

実際『BC兵器』(久保綾三著、三省堂出版 1869年)には
『化学学校記事13号』の記事として以下のような記述がある。
陸上自衛隊化学学校長吉田大桂司1佐は「化学武器の様な内傷効果を与える武器」を「人道的である」として「現在において多発している低次元の戦争、紛争あるいは暴動において、無傷害化学剤が多く使え荒れている現実に注目しなければならない」と言い。「化学戦が現代戦ないしは将来戦の主役となり得る素地をもっている」し「生物武器についても、化学武器と同じことが言える」と述べている。


1957年・・・化学学校創立
1959年12月・・・『化学学校記事』創刊。
1964年・・・自衛隊化学学校、サリンの製造に成功
1968年・・・『化学学校史』の中に、この年まで『化学学校記事』の記載があり、その後は確認できないと防衛省は、言っている。
1970年・・・『化学学校記事16号』が発行されている。
1977年・・・化学学校『20年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。
1994年6月27日・・・松本サリン事件(この時に自衛隊は使われた毒物がサリンであることをいち早くつかんでいた、)
1995年・・・この年は、戦後50年で、革新勢力が政権(1994年6月30日~1995年8月8日)を取っていたが、自衛隊を容認するのか決断を迫られていた。 村山首相は、自衛隊の合憲、日の丸・君が代の容認した。3月20日、地下鉄サリン事件発生、その前から警察・自衛隊はオウム真理教でサリンを製造していることは分かっていた。オウムの信者の中に多数の自衛隊員がいた。化学学校の情報が洩れてはいなかったのか。サティアンでサリンを製造する時、土屋正美だけの力でプラントの建設は無理で、自衛隊化学学校の情報を入手してプラントを作ったり、解毒の方法が分かったのではないか。
又、事件発生後の、素早い化学学校の対応。化学学校はオウムが事件を起こすことを知っていたのではないか?サリン事件によって、化学学校の知名度、自衛隊の評価が上がる。この年になって日本の国会で「化学兵器禁止条約」批准可決・決定。(防御の為として、微量の毒ガスの生産は継続され、OPCWの査察を受けながら、研究・開発は続けている)

1997年・・・4月29日「化学兵器禁止条約」発効。2017年現在加盟国192か国。化学学校『40年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。価値ある情報だから載せているのだろう!!

1999年・・・7月30日、北京にて日本政府と中国政府による共通認識8項目を記載した「日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」が取り交わされた。
だが、遺棄弾処理は遅々として進まず、「化学兵器禁止条約」で規定された「10年以内の廃棄処理」(2007年)は実行できず、5年延長、さらに10年延長を申請し、2022年までにハルバ嶺30~40万を含む各地の遺棄化学兵器は処理しなければならない。
現在、遺棄化学兵器が発見・確認され保管されている地域は51カ所、OPCW(化学兵器禁止機関)に日本政府が申告した中国遺棄化学兵器総数は約56,149発である(ハルバ嶺の推定30~40万発は含まず)。 

ABC企画委員会ホームページ、中国の遺棄毒ガス問題の項

※日本はかつて自衛のための戦争と言って、中国で大量の毒ガス兵器を使用した。そして、その事については、731部隊と同じく公式にきちんと謝罪していない。
そして、又、防護のためと称して毒ガス製造をしている。(化学兵器禁止条約に批准後も)

※1959年の『化学学校記事』の創刊号には次のような文言がある。
「今次大戦を境にあらゆる科学進歩には目覚ましいものがあり、今後益々躍進すると思いますが我々はこの機運に遅れないようあるいは先達としてCBR防護訓練に万全の努力を致す覚悟であります。その努力の一端として又化学学校創立2周年記念の意義を含めて、この度化学学校記事の発刊を計画した次第であります。」

オウム真理教のサリン合成に自衛隊の情報が洩れていなかったのか?信者に自衛隊員が多数いた。
また、サリンを製造するプラントの事は土屋正実だけでは分からないはずだ。サリン製造と自衛隊の関係をきちんと調べていない!!
松本教祖ら死刑囚13人 死刑執行焦点に
地下鉄サリン事件から23年、真相を語らなかった松本死刑囚 森達也氏「麻原裁判は、やり直されるべき」


●安倍晋三の別荘のある地、鳴沢村とは旧上九一色村のあった土地である。かつて笹川財団が所有
塚本素山創価学会初代顧問
‏ @TsukamotoSozan
首相動静(8月15日)
午後5時57分、鳴沢村の笹川陽平日本財団会長の別荘着。笹川会長、森喜朗元首相、小泉純一郎元首相、麻生太郎副総理兼財務相、茂木敏充経済再生担当相、西村康稔官房副長官、萩生田光一自民党幹事長代行、日枝久フジテレビ相談役らと会食。

共通点は北朝鮮と露、CIA。

塚本素山創価学会初代顧問
‏ @TsukamotoSozan
2017年8月15日
返信先: @TsukamotoSozanさん
安倍晋三と笹川陽平の別荘がある鳴沢村とは、旧上九一色村のあった土地である。笹川財団が所有していた。つまり、オウム真理教のバックに笹川財団がいた。浜田幸一の著書に「山口敏夫と石原慎太郎がオウムに資金援助していた」宗教学者中沢新一の著書には「石原四男の石原延啓がオウム幹部であった」と

●サリン事件と自衛隊の関係は??



長春にあった軍馬防疫廠100部隊で人体実験をした獣医たちの戦後の流れはどうなっているのだろうか?まさか加計学園に流れている??


●情報公開!! 特定秘密保護法撤廃!!
・「衛生学校記事」情報公開裁判
次回は、7月12日(木)15:00~東京地裁419号法廷。

裁判長も被告防衛省側の期間・人員を多く使って調査した概括的な報告書の具体的な説明を求めたが、防衛省側は具体的な説明はしなかった。
また、「衛生学校記事」の後継である「ふかみどり」の編集に携わった人に、いろいろと問い質したら、いろいろな事も分かるだろうと原告側は主張し、被告側も応じる姿勢を見せた。
防衛省内の機関で正式に予算を取って、作られていた機関誌を、簡単に行政文書でないからと言って、廃棄していいものだろうか??
防衛省は言う、「確かに,発刊当時の昭和32年当時においては最新ともいえる医学領域等を中心とした学術情報も掲載されていた可能性はあり得る。しかしながら,学術・科学が日進月歩する中にあって、半世紀前に発刊された機関誌をなお、組織として保秘しておくべき要請は全くなく」と。
然し、国民の税金で作ったれっきとした機関誌であり、公文書である。どんな研究をしてきたかを書いた大事な機関紙である!!
自衛隊の研究成果は、国民にもきちんと知らせるべきである。

防衛省は強いて言えば「衛生学校記事」「化学学校記事」を図書であると言いながら、行政文書として扱って捜し、図書館・図書室などをきちんと探していないようだ。自衛隊の機関の研究内容は、より透明性が必要だ!!また、衛生学校長であった金原節三氏の遺族から寄贈された資料に関して、衛生学校や防衛研究所図書館への資料の移管に関する記録も存在しないと公然と主張する!!寄贈されたものを、こんな杜撰な管理の仕方でいいのだろうか??機関誌を情報公開法の行政文書として扱うのではなく、歴史的に価値ある公文書として扱い、国民に公開してもらいたい。

30年経過したらきちんと情報を公開してください!!
米国は、放送局の電波停止権限を規定する放送法など「メディアに対する規制枠組みを懸念」しているとして、政府から独立した監督機関の設立を提言。
日本の「報道の自由」に懸念=5年ぶり審査で国連人権理

公文書の在り方


自民党が、憲法に「自衛隊」を明記すると言っているが、その自衛隊で今何が行われているのだろうか??
北朝鮮に経済的・軍事的圧力を日米軍事同盟の枠の中でアメリカと一緒にやれば、日本は、北の標的になるのではないか?

日米軍事同盟の中でどんな協力・研究開発が進められているのか、国民には全く説明がない!!すべて機密??
今回の空自のヘリの事故原因やF4戦闘機の事故の説明はきちんと公表されるのであろうか??
自衛隊の中にも、緩みやあるのではないか??ヘリに何があったのか、防衛省は果して原因を公表するであろうか??
憲法9条では、「戦力の不保持」と謳いながら、現実には、9条をないがしろにして、着々と強力な兵器を開発、保持しているのではないか??

『衛生学校記事』情報公開裁判


森友・加計問題と同じように問題となる証拠は全て廃棄したことにする??

森友学園との交渉記録存在 財務省前局長「廃棄」と答弁

国民が知りたいことは、今の防衛省の機関で、どんな研究がされているかという事なのだ!!防衛省・自衛隊でやっていることは全くの秘密では、シビアリアンコントロールなで出来やしない!!
防御の為と言って、生物兵器・毒ガス兵器・核兵器の開発がされているのではないかという疑念にしっかりと防衛省は答えてもらいたい!!
時間をいたずらに伸ばすことなく、防衛省にはしっかりとした説明責任が求められている!!


海底700mから自衛隊機を引き上げられるのだから、日航機も引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落

自衛隊と日航機墜落事故の関係は??

加計問題!!証拠を隠すな!!

サリン事件と自衛隊の関係は??

陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年





●731部隊関連資料の情報公開裁判
・裁判は『衛生学校記事』『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』の情報公開を求めている。『衛生学校記事』は2013年11月に提訴して4年、第16回公判が昨年の12月21日に開かれた。14年9月に防衛医科大図書室から28冊発見・公開されて以降進展はない。『記事』が発行元の衛生学校に1冊も無いとは納得いかない。
『化学学校記事』は2016年9月に提訴、第6回公判が18年1月17日に開かれた。職員延べ98973名で調査したが1冊も保管されていないと主張している。
防衛省の「海上自衛隊たちかぜ」いじめ問題文書、「PKO日報」そして現政権による「森友、加計学園」等の防衛省、政府の文書資料隠蔽体質を追究する形で行って来た。そして今又、1年以上の隠蔽事実が明らかになった「イラク日報」、これらの状況を知ると「アメリカから返還された731部隊資料」は必ずあるはず!民主主義の基本である全ての情報公開実現を目指す。(『ABC企画NEWS113号』より)
・戦時中、支那派遣軍作戦主任参謀であった、井本熊男の『業務日誌』も、防衛省は、井本氏個人のプライバシーに関わるとして、公開を拒否している。この日誌は、井本本人も『業務日誌』としているように、個人的な日記ではなく、作戦主任参謀としての業務を記録したものであり、公文書の範疇に含まれる。これも公開してもらいたい。

“日報”1年分以上新たに発見 小野寺防衛相「不適切な対応」

命がけの活動の記録、「日報」の廃棄などあり得ない



●憲法9条を世界へ普及させよう!!
イラク日報「幹部の処分軽すぎる」

9条の碑、沖縄に次々建立 「命どぅ宝」戦争体験者刻む

9条とあまりにもかい離した演習!!戦争をしないと憲法で謡っても、自衛の為の戦争はする??
隊員も、疑問を感じながら、演習しているのだろうか??

自衛他の為の戦争と言っても一旦戦争になれば、お互いに壊滅的な破壊がある!!地球全体の環境が脅かされる!!

日本版海兵隊、2020年代前半に沖縄へ 米部隊移転後

世界を変えるジェネレーションZ「もうたくさん。銃規制を」立ち上がるアメリカの高校生

【フロリダ高校乱射】「もう二度と」 米国の若者立ち上がる

「おびえる生活嫌だ」銃規制求め高校生ら大規模デモ(18/03/25)

米で高校生ら銃規制訴え大規模デモ 各国に広がる(18/03/25)


軍隊は肥大化し、世界の紛争に巻き込まれる!!(アメリカの軍事戦略を支持し、過去にしてきた犯罪をまた犯す!!)
自衛隊を無制限の武力を持つ軍隊に変容させる絶好の口実になります!!
9条に自衛隊明記は不要で極めて危険

日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


●「天皇制」を考える

・天皇制廃止!!

昭和天皇の731部隊を設置を裁可した責任、細菌戦・毒ガス戦を命じた責任、太平洋戦争の開戦を裁可した責任、敗戦を遅らせた責任はないのか??

大嘗祭反対!!
宮内庁 大嘗祭は来年11月14日、15日に

<新天皇即位>式典準備委の議事概要公開

昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼


「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版


新日鉄住金が日新製鋼を完全子会社化 来年4月「日本製鉄」に社名変更

公文書偽造で始まった明治維新! 現在も続く「官軍教育」の中で描かれた「偉人」たちの姿は「ウソ」ばかり!? 岩上安身による作家・歴史評論家・原田伊織氏インタビュー


平成の「大嘗祭」 政教分離との整合性で議論に



●ニュース
内閣総辞職!!
財務省調査結果「佐川氏?本当にそうなのか」籠池氏語る

森友改ざん報告書、これが全文だ。「妻関係していたら総理辞める」答弁後に記録破棄していた

神戸市教委いじめメモ隠蔽、「腹くくって」指示発覚後もあきれた対応、遺族「裏切られた」

外務省ロシア課長 セクハラで更迭・停職9カ月の“重さ”

「ぜったいやらないからね」死亡した結愛ちゃんのノート
もうパパとママにいわれなくてもしっかりとじぶんからきょうよりもっともっとあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします
ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして きのうぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおします
これまでどれだけあほみたいにあそんでいたか あそぶってあほみたいなことやめるので もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいぜったいやくそくします

死亡の5歳、ノートに「おねがいゆるして」両親虐待容疑

・道徳教育とは何なんだ?嘘をつくことが道徳なのか?加計孝太郎と安倍晋三をみんなで裁こう!!







原発ゼロの新潟 共闘勝利で


20180601 UPLAN【記者会見】森友問題の真相究明に注力したNHK記者の左遷を許してはならない


日刊ゲンダイ週末号Vol 54 2018 06 01


金子勝:ゴールデンラジオ 大竹紳士交遊録 2018.6.1



●侵略戦争!!
日中戦争全史年表

・1907年(明治40)
10月    ハーグ陸戦条約調印される

重慶大爆撃パネル展 2017年10月

「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」

中国侵略にまっしぐら!!
無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!!
空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃>
重慶爆撃


アメリカは、重慶大爆撃から学んで、日本の無差別空襲をした??
カーチス・ルメイは1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。

米軍による日本への無差別爆撃

本土空襲・全記録 2017 8 12  NHKスペシャル


重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!



昭和天皇が戦争狂になった訳


・安倍晋三の祖父は岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より

岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。
岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。
岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。

強制連行の決定

満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略


●2018年「戦争の加害」のパネル展:4月26日~5月2日 (於)かながわ県民センター

731部隊展

第3回「戦争の加害」パネル展

感想より
4月27日(金)
・知ることの大切さを感じています。(50代女性)


●731の実態
・それからもう一人の若い青年は諜報員と交友関係があって、それだけであって、それ以外組織に何の関係もなかった。したがって私個人としては、当時これは送る対象じゃないんだと、送られれば当然、人体実験に供せられることがわかってますから・・・・・・・・・・・



731(1)



第4回 日本軍による人体実験

闇に消された虐殺~731部隊


731部隊のドキュメンタリー



・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!

悪魔の飽食:復号731




●本の紹介


●特移扱(とくいあつかい)資料
朝鮮被害者李基洙の特移扱写真2




●今、731を問う!!
日本の平和団体(中国の養父母を訪ねる)が731部隊によって実験材料にされた犠牲者を2017年4月に慰霊した。9



謝恩と巡礼訪中報告会

謝恩訪中報告会第2部(今井先生のお話)



731部隊の展示会(中国)

特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表


3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか

■隠蔽・極秘取引・タブー・無視と検証・克服
―これらのことについて、戦後の医学界・医療界、医学者・医師はどのように向き合ってきたのでしょうか。団体の動きや、個人の発言などもふくめて紹介してください。

 おもに731・「石井機関」にかかわる当事者の去就について述べます。
 1945年8月15日の日本の敗戦以前に、当時の日本政府と軍部は国際的な非難を恐れ、「国体護持」のため、731部隊の証拠隠減を工作しました。
 ドイツの医学者・医師が裁かれた1946年12月9日から1947年8月20日にかけて米国が単独で担当したドイツ・ニュルンべルクにおける医師裁判と異なる経緯をたどりました。日本では、米国の細菌戦研究におけるソ連からの立ち遅れを克服するために、「米国への731部隊のデー夕提供と引き換えに、関係者の訴追を免責する」という極秘の取引が連合軍総司令部(GHQ、実体は米軍) と731部隊トップとの間で交わされたのです。731部隊に関係した医学者・医師は、公に露わにならず、そのほとんどが、何食わぬ顔で医学界・医療界に留まり、悪弊を断ち切ることなく、戦後の医学界・医療界などの重職につき、中には叙動、までされました。

(月刊『前衛』より)

旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

●731部隊本部(平房)

●731部隊遺跡を世界遺産に!!


●福沢諭吉


「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。

──日本会議は皇室を敬愛する国民の心が日本の伝統にあるといいます。でも明治時代前の日本人は、殿様は知っていても天皇は知らなかった時代が長かったのでは?

 日本会議の言う日本の伝統とは討幕後の明治時代に意図的につくられたもの。大日本帝国時代のわずか80年の歴史だけをもって、日本の伝統ということ自体がおかしいのです。

[慶應義塾豆百科] No.22 考証・天は人の上に人を造らず……

『マンガまさかの福澤諭吉』(下)より
・福沢諭吉の「大本願」である「国権皇張」を求めれば必然的にアジア侵略を導くものであって、事実、福沢諭吉は清国の侵略を強硬に主張し、「皇軍による侵略」という1945年の敗戦に至る道は、福沢諭吉が描いた通りになった。

(構成 桐島 瞬)
※週刊朝日  2017年1月27日号




●戦争に反対した人々 

三木清

三木 清(みき きよし、1897年1月5日 - 1945年9月26日)は、(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。


今の天皇は現王朝が出来てから四代目(孝明天皇で前王朝は終了し、明治天皇から新王朝が始まっている)

●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
天皇の権限は絶大であった!!
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕

・昭和天皇の戦争責任は?
「日米戦争への道」を進めた主たる要因と責任は、日本の軍部・政府の戦争指導体制が無責任なものであったことと、国民の側にそれを阻止し、チェックする能力が無かったことである。日本の戦争指導体制は、政府と軍中央が対立、軍中央も陸軍と海軍に対立、(特に陸軍において)軍中央と現地軍との対立・齟齬、さらに陸軍中央でも参謀本部と陸軍省、海軍中央でも軍令部と海軍省の対立・亀裂等々、枚挙にいとまがないほど分散、対立し、総体として無責任な体制にあった。名目上は天皇が国政の主権者であり、最高の統帥権者あったために、天皇に代わって軍政を統一して、総合的に戦争を指導する責任者と責任機関が無かった。それだけでなく、戦争政策については、軍部の拡大派や現地軍が政府や軍中央の統制を無視して戦線を拡大し、占領政策を強化しても、天皇はそれを追認し、むしろ激励する役割を繰り返しはたしてきたのである。その意味では、日本の無責任な戦争指導体制を支え、補完していたのが昭和天皇であった。
(『日中全面戦争と海軍』(笠原十九司著:青木書店)


・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より

第2部    仁愛の政治

1922(大正11)年―1930(昭和5)年


第5章   新しい皇室、新しい国家主義

新天皇は、青年としての理想を統治に反映させようと、いまやいっそう政治の世界に踏みこんでいった。それを固く支え、導いたのは、かぎられた彼の側近であった。みな彼より年輩の、教養ある洗練された7人の紳士が、宮廷にあって影響力を行使した。私はこの7人を、「宮中グルプ」「宮内高官」「側近」などと呼ぶことにする。1920年代後半に官僚として公式の地位にあった宮中グループは、内大臣の牧野、侍従長の珍田、宮内大臣の一木喜徳郎、侍従武官長の奈良と、部下の職員を動かす3人の秘書官長や次官である。


※天皇の神聖性や国家無答責は、おかしな思想ではないか!!

※裕仁は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!!


戦争の記憶は消えない!!
英仏では昭和天皇がトップだった。

※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!!


日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア

井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)

※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)





寧波(ニンポー)細菌戦



麗水細菌戦





日本軍の毒ガス戦・細菌戦!!

・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!


中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!


夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた



日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

略年表
1942年1月20日
『ヴァンぜー会議』ハイドリヒ、アイヒマン、フライシャー、ミュラー、シュトゥッカーらSS将校や高級官僚が「ユダヤ人問題の最終的解決」のため、ベルリン=ヴァンゼーに集まり、ヨーロッパ各国にいる1100万人のユダヤ人の絶滅を論じ、決議する。これにより、3年間に600万人のユダヤ人が殺戮された。
1942年1-2月
ダッハウ強制収容所で囚人に低圧実験を始める。一連の人体実験の始まりである。
1942年3月14日精神病学者のリッターはドイツ研究財団へ「1500件のジプシーの研究」レポートを提出した。


強制不妊手術、被害者らが早期の謝罪と補償訴える

全国弁護士が被害弁護団結成 強制不妊手術

強制不妊手術 都が1000超の医療機関を独自調査

旧優生保護法で強制不妊手術「人生を返して」

強制的に「不妊手術」させられたーー60代女性が訴える「旧優生保護法」の問題とは?




















細菌戦の系譜!!


●731部隊について


BS1 「731部隊」
西山勝夫(滋賀医科大学)さんの解説
前編が、ハバロフスク裁判の音声記録や米ソとの関わりを中心とした部隊の設立の全貌について、後編が、自死したと伝えられる柄沢被告のご遺族や少年隊の方々を中心とした内容で、隊員の素顔をお伝えしながら、彼らを取り込んでいったシステムについて伝える内容

「ハバロフスク裁判は強制による虚偽である」または、「731部隊の事実はなかった」等の批判に対して、私たちがわかりうる範囲で、事実や資料を提示することに徹している。
後編においては、ひとりの医学者でもあった隊員が、人体実験に手を染めていったのはなぜかということをテーマとし、システムやお金等による強力な取り込む力・権力に対して、あらがえない個人という、現代にも通じるものを感じながら、制作された。

731部隊展

ABC企画委員会


NHKの解説

戦時中、密かに人体実験を伴う細菌兵器の開発を進めた731部隊。新たに発掘した音声記録と数百点の資料から、部隊がどう作られ、人体実験はどのように拡大したのか迫る。

番組内容
戦時中、旧満州でひそかに人体実験を伴う細菌兵器の開発を行った、731部隊。NHKが発掘した、旧ソ連・ハバロフスク裁判の音声記録では、部隊幹部らが、日本に反発した中国や旧ソ連の人々を、実験材料としていた実態を克明に語っていた。731部隊はどのようにして設立されたのか。人体実験はどう拡大していったのか。そして米ソの対立の中で、731部隊の歴史はどう封じ込まれてきたのか。音声記録と数百点の資料から迫る。


BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」(前編)


BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」(後編)


NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」

※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!!

「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし

ナレーション
 当事者たちの肉声を記録した22時間に及ぶ音声テープ。終戦から4年後、731部隊の幹部らを裁くために旧ソ連で開かれた軍事裁判の記録です。

テープの音声
 マイクの前に寄ってください。
 
ナレーション
 細菌兵器開発のために生きた人間を実験の材料として使ったと証言されていました。

テープの音声 関東軍軍医部長の証言
 秘密中の秘密というのは、細菌戦をもって攻撃をやるという研究をやったということと、それから人体実験を行ったという、2つ点であります。

テープの音声 731部隊衛生兵の証言
 びらんガスを人体実験に使用して、手とか足、顔がびらんガスにかかってただれて、留置所の中に入っているのを見ました。

ナレーション
 731部隊の実験を行っていたのは、中国東北部の旧満州にある秘密研究所。生きたまま実験材料とされ、亡くなった人は3000人に上るともいわれています。

なぜ、人体実験はこれほどの規模で推し進められたのか。

NHKは、国内外の数百点の資料を収集しました。浮かび上がってきたのは、軍人だけでなく、東大や京大などから集められたエリート医学者たちの、人体実験を主導していた実態でした。

京大出身のこの細菌学者は、致死率の高いチフス菌を研究、細菌を詰めた爆弾で、大量感染を引き起こす実験をしていました。





「731の問題」-戦中・戦後ー奈須重雄 2018.4.29


吉村寿人

※戸田正三はじめ、京大・東大の医学者の多くが731の仕事に係わった。そして戦後の日本医学界にも大きな影響を与えた。
731部隊で行われた人体実験・細菌戦などは国家機密だったため、携わった医学者は誰一人声高に叫べず、自責の念のあるものは、自殺した。日本政府・医学界は、731部隊の罪業を、いまだに反省・謝罪していない!!
今の日本医学界に、この影響がないのだろうか???

※清野謙治京大教授も、京都大学での愛弟子にあたる石井四郎が部隊長だった満州731部隊に対しては病理解剖の最高顧問を務め、人材確保・指導などに「異常なまでにてこ入れした」とされる。

※清野事件
清野は、幼少の頃から考古学を趣味にしており、仕事の傍ら古人骨・古文書・民俗学資料などの収集に情熱を傾けていた。 1938年に医学博士号を取得した直後、「誠に奇妙なる精神状態」のうえに収集癖が高じて、京都の古寺から教典や古文書を盗む窃盗事件を起こす。 清野は逮捕され、控訴審で懲役2年執行猶予5年の有罪判決を受ける。 このことから清野は京大を免職になったばかりか、濱田耕作京大総長も辞意を表明した。

記者会見:研究者が戦争に協力する時


※1938年8人の京大研究者が731部隊に派遣される。
8人は石川太刀雄丸、岡本耕三、林一郎、田部井和、湊正男、吉村寿人、斎藤幸三郎、田中英雄
凍傷実験で有名な吉村は、日本学術振興会から研究資金が出ていた。
吉村の恩師は、正路倫之助【軍医学校(731部隊に指令を出していた所)の嘱託】。正路は1946年に、兵庫県立医科大学の学長に就任する。そこに戦後、吉村、岡本、田部井が職を得る。兵庫県立医科大学は、後に神戸大学医学部になる。
岡本は清野の弟子、田部井は木村の弟子だった。
※戸田正三、木村簾両京大教授(軍医学校嘱託)は、戦後医学界として石井機関の医学者をかばったという理解は誤りで、医学界が守ろうとしたのは医学界そのものであった。(『医学者たちの組織犯罪』常石敬一著より)

戸田正三

長與は、1919年から1934年まで、東京帝国大学伝染病研究所の所長であった。1930年から長與はうつ病になっていた。
この1930年代初頭から、背陰河で人体実験が行われていた。
長與又郎
東大総長(1934年~1938年)
総長退任後の1940年、満州へ渡航し関東軍司令部や731部隊を訪問している。731部隊では研究を視察している。細菌学会等を通じ、石井四郎軍医と交流があった。
果して、長與は731部隊についてどのような思いを持ったのであろうか??
1938年(昭和13年)、文部大臣荒木貞夫から総長官選案を示されるも、大学の自治を守るために戦い、荒木の案を撤回させて総長を辞任。


民間情報部(CIS)にS・Iと名乗る人物から届いた手紙には、
石井の妻が学習院院長荒木寅三郎の娘で、元陸軍大臣の荒木貞夫と非常に親しく、彼から限りない助けを得ていた事実を述べている。

荒木貞夫と荒木寅三郎は、細菌戦・戦争にどのように係わったのか?
1927年(昭和2年)・・・石井四郎、荒木寅三郎の娘、清子と結婚する。
1928年(昭和3年)4月 - 1930年(昭和5年)4月、海外視察。本当に海外視察か?背陰河に行っていた可能性はないのか?
1936年(昭和11年)、東郷部隊が正式な部隊となる。東郷部隊を母体として関東軍防疫部を編成。

荒木寅三郎・・・荒木は、京大総長時代に、娘を石井に嫁がせた後、学習院長や枢密顧問官をに出世している。京大総長(1915年~1929年)、学習院院長(1929年~1937年)、1937年4月枢密院顧問に親任される。1942年、急逝。

荒木貞夫・・・日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。
皇道教育の推進・・・1938年(昭和13年)5月26日に、第1次近衛内閣の文部大臣に就任すると同時に、「皇道教育」の強化を前面に打ち出した。国民精神総動員の委員長も務め、思想面の戦時体制作りといったプロパガンダを推し進めた。この頃から、軍部の大学・学園への弾圧が始まり、人民戦線事件や平賀粛学に代表されるような思想弾圧が行われるようになった。

戦後の極東国際軍事裁判においては、文相時代の事柄にも重点が置かれることとなった。裁判の法廷において、証人として出廷した大内兵衛は、検事の尋問に応じて宣誓口供書を提出したうえで、弁護団の反対尋問で、軍事教育を通じて、軍部による学園弾圧が強化されていった過程を「1938年、荒木貞夫文相の時、各大学における軍事教育が一層強制的となり、軍部の学校支配が強化された」「軍事教練は、荒木さんが陸相当時、東大で採用するよう要求があった。この時東大は拒絶したが、1938年に荒木さんが文相になった時、軍事訓練は強制的となった」と証言している。



また以下の2人は731部隊の細菌戦を積極的に推し進めた中心人物ではないのか??

軍医学校長小泉は、陸相荒木貞夫の強い支持を受けていた。
1933年陸軍軍医学校校長、1934年陸軍軍医総監、陸軍省医務局長、BCG接種を実施、1941年から厚生大臣。
小泉親彦

第5代伝研所長
宮川米次





※1938年には国家総動員法が制定され、科学者も、戦争に協力しなければならなくなった。優秀な医学者も、戦争は加害者にしてしまう!!

※731部隊で実験材料にされた人たちは、囚人ではない!!裁判にもかけられず、微罪で逮捕された人がほとんどだ!!中国は日本に侵略されたのだから、反発するのは当然だ!!
当時の日本の教育は、日本国民は1等国民、他は2等国民、とか3等国民とか呼び蔑視していた!!中国人はチャンコロと呼び、非人道的な扱いをしていた!!


※笠原十九司著『日中戦争戦争全史』(下)には以下の記述が見られる。
「日本軍が華北で使用した生物兵器は華北の民衆に深刻な犠牲をもたらした。細菌兵器使用の実態が判明しにくいので、統計は不完全であるが、日中戦争以後8年間で70回以上細菌兵器を使用したと推定され、そのうち具体的な死亡者がわかる25件では、兵士・民間人47万人以上が感染して死亡した。山西省孟県における調査では、1942年から45年の間、日本軍が発射した糜爛性(びらんせい)毒ガス弾とチフスなどの細菌兵器により、全県16万人のうち、95%が感染して病気になり、1万1千人が日本軍に殺害され、3万人近くが病死した。」

※731部隊員であった金子順一が戦後、東大に出した論文には、中国の6か所の地名が細菌戦の行われた場所として、書かれている。
また、戦後アメリカのフェル博士が731部隊員を尋問して作成したフェルレポートには、12か所で、細菌戦が行われたとある。

講演とつどい 学問が戦争に協力する時―731部隊の生体実験をめぐって

※日本軍は、国際条約違反の細菌戦を大規模に行なった。しかし、日本政府は、731部隊での人体実験、細菌戦等の証拠をすべて隠蔽し、この事実を認めようとしない!!

※番組では、川島清を第一部(細菌研究)部長としているが、第4部 細菌製造部部長(軍医少将)の時もあった。



※勿論731部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!!
中国にあった日本軍の陸軍病院の軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。場合によっては、日本人も実験材料にされた。
※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。そして、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。
天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察に来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??昭和天皇の責任は無いのか???
unit731


※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・)

※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。

731部隊の設計図が1枚も見つかっていない!!(建築学会でも731部隊は全く無視されている!!)
アピール3 大学・研究機関における軍事研究を阻止するために 広原盛明(元京都府立大学学長)


ロ号棟の建設について設計図を出してください!!
大林組・白石社長が辞任へ リニア談合で事実上の引責

黒い太陽731


国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!
つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。
「みんなが知るべき情報/今日の物語」より



日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」

教えてゲンさんより
防疫給水部(細菌戦部隊)


日本の細菌戦

まず浙江省を中心とした地図です。この年以降の細菌戦にも役に立つ地図です。

「浙江省衢州市(衢県)」
麦粒,トウモロコシ,大豆,綿と共に飛行機からペストノミを投下しました。
11月12日から高熱,リンパの腫れ,嘔吐,出血の患者が続出。
県衛生院の検査の結果ペスト桿菌が発見されました。
県,省政府,重慶政府は直ちに各種防疫活動を行ないましたが感染は広がって行きました。
その後日本軍は1942年8月31日にもさらにペスト,チフス,赤痢菌を散布して撤退しました。
その被害者は1940年 ペストによる死者21人
1941年 ペストによる死者274人
1942年 ペストの死者2000人 赤痢の死者 1000人
その後も病気は広まり
1950年までに315人が罹患し、305人が死亡したといわれます。
   注:色々な集計があるので人数は参考です。
内 296人が腺ペストといわれています。 (以上中国側資料から)



海拉爾支部 谷崎等証言2017年12月18日



・731問題
・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
国家の面子の為に、残虐な行為は隠蔽する??

黒い太陽№15



※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。

朝枝繁春の証言



日本は、あの侵略戦争の事を全く反省していない!!
ある政党は、あの侵略戦争を「自存自衛のための戦争」などと公然と言っている!!
裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、
今の政府・医学界は、中国、アジア諸国で、戦争被害の後遺症に悩む人々を完全に無視している!!
人体実験、遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦、空襲・虐殺・原爆等で被害にあった人々のPTSDなど。


日本国民だって例外ではない!!
・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故
また当時の新聞記事や調査において、
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
などが分かっている。
当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。
一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの??

「日本軍の毒ガス戦と軍需化学企業の戦争責任」


小津安二郎は、日中戦争で野戦ガス中隊に従軍し、鬼軍曹と呼ばれていた。
小津の作品には、汚いものを排除し、美しさのこだわりがあるという。
『東京物語』のヒロインだった原節子は、戦意高揚映画に数多く出演している。

Tokyo Story (1953)


(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)


『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より

大牟田「爆発赤痢」事件

日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業

小島三郎

紅白の殺戮者 昭和十一年浜松一中 毒大福もち事件
作者:久保 親弘
紅白の殺戮者                くぼちかひろ

第八章
一三日と日付が変った直後,いまだ学校が把握していない重病患者を掌握するために,教職員が浜松署を訪れた。その結果,一三日の午前二時の段階において,重症患者は百五十名と判明した。ただし学校から離れた湖西地域の詳細は全く不明のままであった。   

それぞれの地域に派遣された救護班の活動も,互いの連絡の悪さから,同じ地域に重複して活動したり,まったく訪問していない空白地域が生じるなど,不手際が目立った。市役所,浜松一中,日赤の三つに分かれた救護班は,いずれも統制も連絡も不十分で,総指揮官不在のままに,救護要請のたびに右往左往していたのである。この日の早朝には,周智,引佐,浜名,磐田,清水,沼津の二市四郡の学校医たちで作られている学校衛生会より,学校医十五名と看護婦五十名が浜松一中内救護本部に到着した。



※今、改めて考えると、やはりこの食中毒に軍医学校の関与があったのではないか?
※石井がわざわざやって来て、「人為的細菌感染の有無」を調べる??この食中毒のすごさから言って、普通では全くない!!軍医学校の関与が無かったのか?何で、糞便検査を一中生にはしなかったのか??
1936年にはハルピンの郊外平房に正式に関東軍防疫部(731部隊)が設立される。

※北野政次は最初から目星をつけていた?その前年にゲルトネル菌が食中毒が発生している?

小島三郎の記述


小島三郎(ウキペディア)
小島 三郎(こじま さぶろう、1888年(明治21年)8月21日 - 1962年(昭和37年)9月9日)は、日本の医師。医学博士。
岐阜県各務原(かかみがはら)市出身。


小島三郎
『医学者たちの組織犯罪』(常石敬一著)より
メリットと業績
第11回の学会では、サルモネラその他のこれに類する報告は陸軍のものが目立ったが、その後は大学や研究所の研究者によっても数多く行われるようになった。
 石井とともに浜松に行った小島も、第11回の学会には「腸炎菌主としてゲルトネル菌免疫学的研究」を発表している。助教授時代とそれ以前の小島は、「日本細菌学会」では第4回に「抗毒血清の濃縮法に就て」を、第6回に「化学的に観たる微生物」いう報告を行っており、食中毒やサルモネラやゲルトネル菌についての発表はない。ところが第11回の学会以後、彼は日本各地の各種の食中毒とその原因となる菌について精力的に調査収集を行い、その結果を発表するようになった。そして1939年には、弟子の八田貞義と共著で『食中毒菌』(金原書店)を発表した。この本は日本でのサルモネラ学の基礎を築いたといわれる。またこの頃に小島は「日本国サルモネラ委員会」を作り、サルモネラ研究で日本と外国とを結ぶ役割を果たすようになっていた。この委員会は、コペンハーゲンの国際サルモネラ・センターから診断用血清のための株を多数贈られ、国内の研究の進展に貢献した。小島の主要業績であるサルモネラの分類も、この国際協力のひとつとして、学術振興会の援助を受けて行われた。


『検証・中国における生体実験』(美馬聡昭著より)

小泉親彦と宮川米次の絆

六高では、小泉君は、二回目、私は、四回目の卒業生である。六校会を開いて東京で酒を飲んでも、いつでも小泉君は、大将になってやってくる。酒も非常に強かった。ご承知の通り、六高という高等学校は、洒を飲んではいけない学校であった。それをその当時から飲もうと行って、たいてい牛肉屋でやった。必ず四合びんから、コップでぐいっと飲むという恰好であった。しかし気にいらないと一滴も飲まない、そういうところは年をとってからでも同じであった。




※731部隊の前身である背陰河の部隊では、結核予防注射の人体実験が行われていた?
結核予防接種と人体実験

※日本は、731部隊での研究を白日の下にさらすべきである。

※1936年に起きた浜松の大福もち事件の経過
1936年5月10日 浜松一中で運動会が開かれる。
5月11日午後、食中毒発病
軍医学校では5月12日午後から北野や防疫学教室で研修中の西俊英軍医大尉(当時)らが原因究明に取り組んでいた。軍医学校の発表は次の通りだった。
「・・・患者4例の糞便中よリゲルトネル氏菌と認むべき菌を証明し、之に因る中毒の疑濃厚となり・・・・尚細菌以外の毒物は目下の所証明し得ず」。

※本当に素早い軍医学校の対応ではないか??東京から浜松は当時列車でも時間はかかっただろう。
※小島三郎は食中毒発生の前年、1935年9月に東京大学伝染病研究所の助教授から教授に昇任したところだった。同じ頃、防研の嘱託に就任したものと推測できる。
※前年の1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)小島が防研の嘱託になった年。
※果たしてこの食中毒はどのように発生したのだろうか?防疫研究室は関係していないのか??不思議なことに軍の関係者の感染者からは誰一人死亡したものが出ていない!!軍の謀略ではないのか??
※陸軍飛行第七聨隊が新たに浜松に開隊し,ついで高射砲第一聨隊も設置された。昭和八年になると浜松陸軍飛行学校が開校し,浜松は陸軍航空部隊のメッカとして,知られるようになった。浜松陸軍衛戍病院の場合,ほとんどの軍医は,飛行第七聨隊附か陸軍飛行学校附,もしくは高射砲第一聨隊附であった。
※小島三郎が、防疫研究室の嘱託になり、お金をもらって研究したという事は、細菌戦に大きくかかわっていたという事だろう!!
※ゲルトネル菌は、広東の8604部隊部隊で使用されたようだ。
8604部隊南支那派遣軍の防疫給水部の1課の丸山茂証言に、同僚がお粥にそれを混入して、多くの難民の中国人を殺害したという証言をしている。



・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤の原料を作ってニュージランドのメーカーを通じてアメリカ軍に提供されていた。アメリカの枯葉剤の3分の1は日本製だと言われている??
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版


横浜マンション傾き問題、施工3社を提訴 三井不動産系

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶

※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。
731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。


イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。


イタイイタイ病と出会う

イタイイタイ病の患者のほとんどが40歳を過ぎた中年以上の女性で、子供の患者はみられず、男性患者はまれであった。更年期の主婦、しかも子供を多く産んだ経産婦がほとんどであった。中年女性に発症することから、イタイイタイ病を抱えた家庭は、家事を支える主婦を失ったのと同じ状態に陥った。病魔に襲われた主婦は農作業はできず、家事もできず、家計は苦しくなった。当時は医療保険のない時代である。医療費はかさみ家族全体が貧困による生活苦から抜け出せずにいた。また中期症状として恥骨の痛みがあり、股を開くことができず、排便も困難になり、夫婦生活はもちろん不可能となった。

※萩野さんは、戦争中どんなことをしたのだろうか??
※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

●日本軍が中国で行った細菌戦
・細菌戦パネル展(731部隊のやった細菌戦)





・本の紹介

ペストと村 七三一部隊の細菌戦と被害者のトラウマ (風響社あじあ選書1) (風響社あじあ選書 1)
カスタマーレビュー
おそらく、正統派歴史学者のなかで、もっとも面白い作品を書き続けている著者の一人による、
最高の作品の一つ。
著者自身、歴史学と社会人類学の手法を融合させ研究をしていると述べたことがあるが、
その魅力は本書でもいかんなく発揮されている。

単に歴史的事件について叙述するだけではなく、中国の社会文化の背景にまで踏み込み、
その事件を適切に文脈化している。
さらに、細菌戦の国家賠償請求裁判についての推移を紹介することで、本書は、戦中の「歴史」が、
現代の日本人とどのように関わるのかについての問いかけをなしている。
優れた文体は、研究者だけでなく、ひろく一般読者にとっても読みやすいものになっているものと思う。
学者による社会貢献の一つの理想像であるとも感じた。

・細菌戦被害地(中国)の旅


●現代も受けるがれている731部隊の思想??
話は今につながっている!!

最先端の技術を日本は持ったわけですね。人体実験やるわけですから。それを米軍が引き継いだと。それから細菌戦の恐怖というのは今もって続いているわけでして9.11の後に炭疽菌の騒ぎがありましたね。これも石井部隊研究してたわけですからね。それからもう1つは薬害エイズで話題になったミドリ十字というのはこの石井部隊の部下たちが作った会社。つまり今につながっているんですね。いろんな話が!!

石井四郎の戦後


ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影

堀田伸永

※当時の日本・アメリカ政府は、原爆の悲惨な惨状を国民に隠した!!



第4章 日米軍事医学交流

千数百人の原爆調査

8月25日、宇品の元大和紡績広島人絹工場は「広島第一陸軍病院宇品分院」となった。9月9日、トーマス・ファーレル大将に加えて、スタッフォード・ウォーレン大佐らが、都築正男の案内で宇品分院を訪れた。
東京大学の第3内科(坂口内科)の熊取敏之医師は、この宇品分院で、原爆の医学的被害の調査にあたった。熊取は、東京帝国大学医学部医学科を卒業し、9月14日に設置された文部省の原子爆弾災害調査研究特別委員会の医学科会に参加していた。調査と分新結果は、熊取らによって、「放射線症恵者の熱、倦怠感および発症集計(広島市における調査)」他の3つの報告にまとめられている。戦後、御園生の後をついで就任した放射線医学総合研究所の所長を辞した後、熊取は、国会で当時のことを次のように回想してぃる。
「被爆後ほぼ2カ月を経たときでありましたが、引き取り手のない白骨がところどころに散乱いたしまして、皮膚の出血性斑点を示す者とか火傷の痕跡のある者等、 一面の破壊像とともにいまだに目に焼きついております。」(1994年12月7日の参議院厚生委員会)


ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図(1/2)



宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、

東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された

世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督)


水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など
731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。

731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを
田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。


※日本政府は、アメリカと取引して中国で行った人体実験・細菌戦・毒ガス戦の資料を戦後国民に隠し続け、GHQは、原爆投下直後の原爆の影響を調べさせ、情報は隠蔽し、治療などはしなかった!!

●軍学共同の道

「戦争は常に幸福の破壊者」 湯川博士が戦後発した言葉

湯川秀樹の足跡

湯川は科学と倫理について「科学は力か知恵か」「科学と希望とについて」といったエッセイを次々と発表していく。

湯川がノーベル物理学賞を受賞した49年、当時のソ連も核実験に成功。東西冷戦は緊迫し、軍拡の時代が到来する。危惧は現実となりつつあった。
 54年には太平洋・ビキニ環礁で米国が行った水爆実験にマグロ漁船「第五福竜丸」などが巻き込まれた。放射性物質「死の灰」を浴びて乗組員23人が被ばくし、日本では原水爆反対の世論が沸騰する。


驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

・御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)

==== 広島大学医学部 ====
長崎大と比べて、広島大には731部隊の主だった関係者は在籍していなかったようだ。
しかし放影研、重松逸造との関係は深い。
まずは原子力安全委員会委員の久住静代(放射線影響学)。20ミリシーベルト提案者である。彼女は重松の教え子であり、放影研、広島大学原爆放射能医科学研究所(原医研)で働いている。
次に神谷研二教授。原医研所長であり、福島県立医科大学副学長に就任した。
この人も重松の弟子であり、長瀧重信とも仕事をしている。
原医研では2006年に放射性ヨウ素131のずさんな取り扱いが内部告発で明らかになり、文科省による立ち入り調査を受けた。
しかし研究総括責任者の神谷は政治力を駆使、「訓告」だけですんだ。
ほかにも原医研では不祥事が多く、1969年に患者に他人のがん細胞を注射し、体内で生成された抗体をまた元のがん患者に注射するという731顔負けの人体実験が発覚、担当助教授は辞任した。
また2005年、腫瘍外科研究分野の教授が医師派遣に絡む受託収賄容疑で逮捕された。

政府の被ばく基準に批判相次ぐ 衆院特別委で専門家 

久住静代氏 : 原子力安全委員会ー20mSvに関する見解


神谷研二
2012年6月11日、福島県内の被災者を中心とする「福島原発告訴団」の1324人は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反の疑いで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである神谷、山下俊一、高村昇を含む33人を刑事告訴・告発した[9]。

被曝をめぐる御用学者の系譜


●原爆を投下された昭和天皇の責任は?(敗戦を引き延ばした)また2発の原爆を実験的に投下したアメリカの責任は?
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)

「1894年から1945年までの51年間日本は常に戦争をしてきた。大きいのだけでも日清、日露、満州事変、日中、アジア太平洋の5つその全てに廣島から軍隊が出ているわけです。言い換えれば廣島はアジア侵略の起点だったのに、加害の都市だったことを認める人は多くない。」(1929年山口県生まれ、国鉄職員 入市被曝した李実根の証言)

ニュース257号では、驚くことに被爆地広島に昭和天皇は行かず、侍従に行かせた。
そして、次のニュースには、GHQの報道管制の下で、米軍を好意的に紹介し、原爆批判は全く無い。
日本ニュース第257號



東京大空襲の時は視察している。
昭和天皇、東京大空襲後の御視察


日本への空襲

八王子平和・原爆資料館


昭和天皇の終戦工作?(詳しくは『日本のいちばん醜い日』)
畑俊六第2総軍司令官、高野源進広島県知事は原爆投下時に無事。
第2総軍は、全滅。
天皇は、事前に原爆投下を知っていた。
終戦時の国内情勢を憂慮して、第2総軍を壊滅させた??

1975年昭和天皇記者会見


第5回 韓国・朝鮮人被爆者問題を考える 講師:高實康稔さん


侵略戦争に、思想的影響を与えた吉田松陰の松陰神社が世界遺産とは問題ではないか?
また、侵略戦争を、後押しした福沢諭吉、明治政府・明治天皇の責任はどうなるのだ??
「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版



●原水爆禁止!!核廃絶!!
アメリカは広島・長崎への非人道的な原爆投下だけでは終わらせず、さらにもっと非人道的な兵器・水爆を作り、自然環境に深刻な影響を与え、また被爆者を増大させた。
アメリカに続き、ソ連・イギリス・フランス・中国・イスラエル・パキスタン・インド・北朝鮮・・・なども後に続き、地球の環境破壊を進めている!!核廃絶の道を歩もう!!
ヒロシマ 私たちの心の傷


核が安全を守っていると言い続ける限り、核を手放すことはできない!!

日本政府は、核戦争を想定して、福島原発事故の被ばく者を、研究対象にしているのだろうか??(広島・長崎と同じように)

放射能汚染地図「川で何が起きているか?」



被爆国の日本政府は、海洋汚染に対して、俊こつ丸で以前行ったような調査を、太平洋全域で、定期的にやるべきではないのか??
海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集


水爆実験の影響はまだまだあるのではないか??
<水爆マグロ>高知の学芸員、実相知りたい ビキニで汚染






ビキニ「死の灰」世界各地へ(1954年)

山下正寿さん(高知県太平洋核実験被災支援センター)インタビュー


アメリカ・日本・・・国家は平気で嘘をつく!!それも公然と!!世界が放射能やダイオキシンで汚染されている!!
アメリカはまたもやロンゲラップ島で人体実験をやり、アメリカ政府、日本政府は漁船の被爆状況を隠蔽する!!
ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実 2017 08 06


被曝は第五福竜丸だけではない!!また厚生労働省の隠蔽!!
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!


為政者は、大事件から国民の目をそらさせるために、国威発揚を狙って、オリンピックを画策する!!
1931年 満州事変から9年後の1940年(皇紀2600年??)の幻の東京オリンピック!!
1954年のアメリカのビキニ環礁における水爆実験の10年後1964年の東京オリンピック!!
2011年の東日本大震災による福島第一原発事故から9年後の2020年開催予定の東京オリンピック(豊洲問題も大問題だ)!!
※なぜか、ビキニ環礁で日本の多くの漁船の乗組員、水揚げされた大量の魚が放射能に汚染されて、大きな損害を被り、原水爆反対の声が高まったのに、政府は、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニと3度も国民は被曝をしているにもかかわらず、アメリカに抗議することもなく、原発推進を、アメリカの後押しで進めてしまう??そして、フクシマの事故が起き、アンダーコントロールなど出来ないのに、オリンピックを開催予定とは??国民はこれを素直には受け入れられない!!

原子力に悩む大国 アメリカ



●日本の科学者の核兵器への執念の系譜
◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ



小路田泰直

ではこうした現実を前に、原子力(原発)開発推進派は、いかなる対処法をとったのだろうか。「関西研究用原子炉」の場合を例にとると、二つの方法をとった。
 一つは、「関西研究用原子炉」推進派の中心人物、大阪大学の伏見康治が「四条畷で討死してから私は大阪府の役人や大学の事務局に話を任せていたのでは到底だめだと考え、京大の物理の教授である四手井綱彦氏と特に色々と善後策を相談した。この方は、いわゆる民主団体に接触のある方で、私の考え方は民主団体の援助を受けようというのである。


※日本は原発を順次再稼働させて、プルトニウムをため込もうとしている!!

仁科芳雄の墓(歴史が眠る多磨霊園より)





*墓石正面「仁科芳雄墓」。左面に「吉田茂 謹書」。右面「文化勲章受賞者 / 日本学士院會員 / 株式会社科学研究所社長 / 日本学術會議副會長 / 理學博士」。裏面「一九五一年一月十日歿 享年六十歳」と刻む。墓石右側に自然石に正面「朝永振一郎 師とともぬ眠る / 武見太郎 謹書」、裏面「文化勲章 昭和二十七年十一月三日 / ノーベル物理学賞 昭和四十年十二月十日 / 昭和五十四年七月八日歿 享年七十三才」と刻む。墓石左側に自然石の墓誌があり、仁科芳雄の名と没年月日が刻む。また、「ハリー・シー・ケリー 1976.2.2 米国ノースカロライナ州ラーレーにて歿」と刻まれている。 この墓誌の記は近代磁性物理の父と言われている茅誠司である。

【ハリー・シー・ケリーと朝永振一郎が仁科芳雄と共に眠る理由】
多磨霊園は都営であるため規制が厳しく、宗教関係で例外的に血縁以外の者たちと眠る墓所はあるが、基本的に一般墓地は6頭身の血縁までと定めている。よって仁科芳雄の墓所は血縁外の人物と眠る例外的な墓所である。
ハリー・シー・ケリーはマッカーサーの科学顧問として戦後すぐに来日し、GHQ経済科学局科学技術部長などを務めた人物である。戦後の日本の科学界が最もつらかった時期に、苦楽を共にし、'50.4仁科芳雄を助け、米国からラジオ・アイソトープの輸入を実現した。'76.2.2ハリー・シー・ケリーが逝去し、仁科の隣りにケリーを眠らせてあげたいという話が両家から出て、没後五ヶ月して、多磨霊園に分骨埋葬された。
仁科芳雄を師として仰ぎノーベル物理学賞に輝いた朝永振一郎も同墓に分骨されている。朝永振一郎が亡くなったのは'79であるため、ハリー・シー・ケリーの没後である。察するにハリー・シー・ケリーが仁科芳雄の墓所に分骨される納骨式に参列したと予測する。二人と同様に苦楽を共にした同志として同じ気持ちを抱き、生前に仁科家に遺言を託したと推測される。朝永振一郎の正墓は京都の東本願寺にあり、墓石に両親の名と並び刻む。仁科芳雄の墓には「師とともぬ眠る」と刻む。


何故、日本は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと、多くの人々が被曝し、死亡し、大変な状況になったのに、日本政府、日本医学界は声を大にして、「脱原発」、「核廃絶」と叫ばないのか???731などの医学犯罪の後ろめたさから何も言えない??

※放射能汚染の危険性について、WHOなどが主導すべきであるが、IAEAや世界医師会がアメリカとそれに追随する国で主導されているので、731の問題や放射能汚染についての資料は、改ざんされたり、隠蔽されているではないか!!

「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」

※アメリカによるビキニ環礁における核実験では、海洋汚染が深刻化し、魚・人間が被曝した。その影響は今現在でもあるのではないか?
アメリカ・ソ連・中国・イギリス・フランス・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮などの多くの核実験、原発稼働、原発事故、戦争、大規模な軍事演習などが、地球の生態系に大きな影響を与え続け、地上の放射能汚染、海洋汚染、温暖化等様々な異変を生じさせているのではないか??
現在進行形である!!日本はなぜ原発をインドに輸出する??
核抑止論の下で、ますます地球は破滅に向かっている!!


湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。

※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。



●核・生物化学兵器廃絶!!

「核兵器は無差別に、長年にわたって被害をもたらす非人道的な兵器で、再び使われれば同じ苦しみを世界中が背負う」
核兵器禁止条約「一筋の光」 被爆者がバチカンで訴え
広島市長、核の傘は「錯覚」=禁止条約
「Yes! I can!」2000人がノーベル平和賞受賞者の応援に駆け付けた オスロの冬の夜

●世界の流れ、脱原発

教えてゲンさん(原子力発電と放射能より)

福島の小児甲状腺ガン
2017年6月5日(月)に、福島県の「第27回県民健康調査」検討委員会・第7回甲状腺検査評価部会が開かれました。
13時30分~16時
コラッセふくしま 多目的ホ-ル
●出席者名簿




どうする?これからのの日本のエネルギー

●脱原発3

アメリカでは原子力発電が日本ほどは重宝されていない。

東芝、粉飾決算は原発赤字のWHを買わされた後遺症と判断される?

日本は、ドイツ・韓国の脱原発を見習おう!!



0171204 UPLAN 「小泉元首相、脱原発を語る」講演会


新潟知事選 6党派代表街頭演説/池田ちかこ候補必勝


【大竹まこと×金子勝×室井佑月】日立のイギリス原発輸出問題!崩壊待ちの激しい日本の産業衰退


・リニア新幹線反対!!
ゼネコンのリニア談合で逮捕者、地検特捜部の次の狙いは?
「リニア中央新幹線」問題に迫る!
知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由
物事を進めるときには賛成派・反対派の両方の意見に耳を傾けて、双方が納得のいく落としどころを探すのが理想的なのだけれど、どうやらリニア新幹線というのは「開通させる」という目標ありきで、異論は揉み消されているようです。マスコミでもほとんど報道されません。今更「リニア反対特集」なんて組めないでしょうから。そんなわけで東京オリンピックとリニア新幹線着工で浮足立っている現状で、リニア反対派がどのような理由で反対をしているのか、多くの人は知るすべもありません。リニア新幹線の巨大プロジェクトがどのような課題を抱えているか、今一度確認しておきませんか?

→リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら

安倍首相の取り巻きたちが整備新幹線をめぐり予算争奪戦


電磁波の人体への影響

日本でも2002年に国立環境研究所が調査を行い、4ミリガウス(0.4マイクロステラ)以上の電磁波を浴びると小児白血病の発症率が2倍になるという結果を発表しています。
短時間乗車して電磁波を浴びるのと、生活の場で継続的に浴びるのとでは状況は全く異なりますが、携帯電話の電磁波が子どもに悪影響を及ぼすのではないかと敏感になっている時代に、大量の電磁波を浴びさせてでもリニア新幹線に子どもを乗せたいと思うものでしょうか。

トンネル工事難航 上越新幹線では3.5倍に
第98回 もりかけスパ疑惑に切り込み!アベ友政治の実態を暴く



●秘密国家日本!!特定秘密保護法撤廃!!情報公開!!
この国は、何で情報公開に全くしようとしない!!30年経ったら、日本も機密を公開にして、過去の政権運営、天皇の国事行為などが適正に行われたかをチェックできるようにしたらどうだ!!
今、森友・加計問題で、政府は、きちんと説明しない!!なぜ資料・記録・録音などを、全く公開しない!!官僚本人も、「記録を取っていない」、「記憶にないを連発する??
自衛隊の、情報公開も全然進んで」いない!!
自衛隊。様々な研究機関では、生物戦・毒ガス戦・核兵器研究をどのように行っているのであろうか??
どのような兵器があり、どのような訓練が行われているのか、国民に開示すべきである!!

戦時中の資料も、公然と隠す!!特に昭和天皇がどのように戦争に関わっていたのかを示すきちんとした資料の公開を求めたい!!
アジア・太平洋地域の住民。家屋等に多大な被害を与え、
日本国民を、戦争へと向かわせた、現人神・昭和天皇の責任は重大だ!!
これでは戦争の反省も何も出来ない!!
情報公開しても全てのり弁、これでは意味がない!!

大嘗祭、前回見解を踏襲 政府、退位儀式の概要固める 政教分離の論争、再燃避ける

「官房機密費」の使い道がヤバい!税金を泥棒する政治家・メディア・評論家たち!

天皇制を考えよう!!
昭和天皇の裁可が無ければ、731部隊は出来なかった。細菌戦・毒ガス戦を命じた昭和天皇の戦争責任は?

政府が特例法案を閣議決定 6月中に成立へ 譲位は実現すれば光格天皇以来、約200年ぶり

眞子さま結婚、囁かれる破談の可能性…秋篠宮殿下の大きなお怒り、「20年へ延期」の意味

天皇陛下の警護の多さ(警察3000人?以上)

日本への空襲

天皇制の存続は必要か??大嘗祭反対!!

象徴天皇制 自由で闊達な議論が必要!!加計問題!!




●医療問題
H・アスペルガー医師、ナチスに「積極的に協力」か 研究

強制不妊手術 中絶でも国を賠償提訴へ 北海道の夫婦

「救えるはずの患者を救えない」 子宮頸がんワクチン副作用「問題」はなぜ起きた?

子宮頸がんワクチン接種後の症状



ホルマリン漬けの胎児の遺体15体、廃病院から見つかる。鹿児島

医療闇 横浜市の病院 大口病院 点滴異物 殺人疑い 3ヶ月50人死亡!?「横浜はじめ病院」変更

医療事故で女児寝たきり=市立医療センター、チューブ誤挿入-大阪

水俣病


731部隊の人体実験や細菌戦に全く反省しない日本では、命の尊さについて教育できないのではないか?
<私を返して>旧優生保護法国賠訴訟(上)葬られた生/幸せも夢も無駄に

チェック形骸化、有期雇用成果焦りか 京大iPS研論文不正

実験「生データ」厳重保存も不正防げず 京大iPS研

聖路加国際病院について 内海聡先生 船瀬俊介先生




●自衛隊
地下鉄サリン事件に信者の自衛隊員に係わり、化学学校の情報が洩れていなかったのか??
執行時期、順序など慎重に検討か オウム死刑囚7人移送

三菱小牧南工場 兵たん拠点にするな


自衛隊墜落ヘリは、10年間で40件事故が相次いだボーイング製

オウム真理教のサリン合成に自衛隊の情報が洩れていなかったのか?信者に自衛隊員が多数いた。
また、サリンを製造するプラントの事は土屋正実だけでは分からないはずだ。サリン製造と自衛隊の関係をきちんと調べていない!!
松本教祖ら死刑囚13人 死刑執行焦点に

サリンの毒性(ウィキペディアより)
・・・経皮毒性の一例を示すと、経皮投与におけるヒトの半数致死量(LD50)は28 mg/kgである
。これは、体重60 kgのヒトが1680 mg(約1.5 mL)のサリンを経皮吸収すると、その半数が死亡するということである。また、皮膚に一滴垂らすだけで確実に死に至るとの記述も存在する。

安倍晋三の別荘のある地、鳴沢村とは旧上九一色村のあった土地である。かつて笹川財団が所有
統一教会の研究‏ @touitsukyoukaiさんのツイート。
――安倍晋三と笹川陽平の別荘がある鳴沢村とは、旧上九一色村のあった土地である。笹川財団が所有していた。つまり、オウム真理教のバックに笹川財団がいた。浜田幸一の著書に「山口敏夫と石原慎太郎がオウムに資金援助していた」宗教学者中沢新一の著書には「石原四男の石原延啓がオウム幹部であった」と〔3:52 - 2017年8月16日〕 ―



●サリン事件と自衛隊の関係は??


陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年


1995年 地下鉄サリン事件 - 土谷正実



5月58日 自衛隊大宮駐屯地創立60周年記念式典
化学学校の展示は防護服、除染車等で、肝心の内部資料の公開は無かった!!
自衛隊では防護の為と言って、攻撃用兵器の開発は、国民に一切公開しないつもりか!!
日本には、どうのような生物兵器、化学兵器、核兵器があるのか、一般国民には全く情報開示が無い状態に置かれている!!
大宮駐屯地5月28日


市街地で普段こんな訓練が行われている。武力を持たないとはどういうことなのか???
迫力の模擬戦! 大宮駐屯地創立60周年記念行事



土呂久砒素公害
1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?




・1985年8月12日の日航機墜落事故と自衛隊!!

自衛隊の隠蔽体質は、変わらない!!
『衛生学校記事』『化学学校記事』等の内部文書、南スーダンの『日報』、日航ジャンボ機墜落の真相等の情報の隠蔽!!

国家機密(自衛隊の事故への関与)を隠すため、国民の命が犠牲になる!!
この事故は自衛隊が関係していませんか?

700mの海底から引き揚げられるのだから、日航機の尾翼は簡単に引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落
森永卓郎:日航123便の墜落事故と米軍救援ヘリの謎に関する新事実


自衛隊と日航機墜落事故の関係は??


●憲法9条を守れ!!



大竹まこと×倉田真由美:せり出す「国家」と自民党の憲法改正草案憲法9条


“軍事的研究は慎重に” 科学界が新声明

東工大、応募認めぬ方針 軍事応用できる研究の助成 今年度

安倍首相「憲法に自衛隊明記」発言 学者から見て現状は違憲なのか?


日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法9条を生かそう!!

























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