731を問う!!
2018年5月11日金曜日
細菌戦の系譜!!
●731部隊について
BS1 「731部隊」
西山勝夫(滋賀医科大学)さんの解説
前編が、ハバロフスク裁判の音声記録や米ソとの関わりを中心とした部隊の設立の全貌について、後編が、自死したと伝えられる柄沢被告のご遺族や少年隊の方々を中心とした内容で、隊員の素顔をお伝えしながら、彼らを取り込んでいったシステムについて伝える内容
「ハバロフスク裁判は強制による虚偽である」または、「731部隊の事実はなかった」等の批判に対して、私たちがわかりうる範囲で、事実や資料を提示することに徹している。
後編においては、ひとりの医学者でもあった隊員が、人体実験に手を染めていったのはなぜかということをテーマとし、システムやお金等による強力な取り込む力・権力に対して、あらがえない個人という、現代にも通じるものを感じながら、制作された。
731部隊展
ABC企画委員会
NHKの解説
戦時中、密かに人体実験を伴う細菌兵器の開発を進めた731部隊。新たに発掘した音声記録と数百点の資料から、部隊がどう作られ、人体実験はどのように拡大したのか迫る。
番組内容
戦時中、旧満州でひそかに人体実験を伴う細菌兵器の開発を行った、731部隊。NHKが発掘した、旧ソ連・ハバロフスク裁判の音声記録では、部隊幹部らが、日本に反発した中国や旧ソ連の人々を、実験材料としていた実態を克明に語っていた。731部隊はどのようにして設立されたのか。人体実験はどう拡大していったのか。そして米ソの対立の中で、731部隊の歴史はどう封じ込まれてきたのか。音声記録と数百点の資料から迫る。
BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」(前編)
BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」(後編)
NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」
※1949年のハバロフスク裁判の録音テープが見つかった!!
「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」起こし
ナレーション
いま、私たちに問いかける医学者と731部隊の真実。それは戦争へと突き進む中で、いつの間にか人として守るべき一線を越えていったこの国の姿でした。
今回発見された音声記録。その最後には被告たちが自らの心情を語った発言が残っていました。医学者・柄沢十三夫、人体実験に使われた細菌を培養した責任者でした。戦争が終わってから初めて罪の重さに気づいたと語っています。
ハバロフスク裁判のテープ音声 731部隊軍医・柄沢十三夫の証言
自分は現在平凡な人間といたしまして、自分の実際の心の中に思っていることを少し申してみたいと思います。
私には現在日本に……82になります母と妻、並びに2名の子どもがございます。なお、私は自分の犯した罪の非常に大なることを自覚しております。そうして終始懺悔をし、後悔をしております。私は将来生まれ変わってもし余生がありましたならば(泣き声)自分の行いました悪事に対しまして、生まれ変わった人間として人類のために尽くしたいと思っております。
文字
この医学者は刑に服した後、帰国直前に自殺したと伝えられている。
(終わり)
※吉村寿人
※戸田正三はじめ、京大・東大の医学者の多くが731の仕事に係わった。そして戦後の日本医学界にも大きな影響を与えた。
731部隊で行われた人体実験・細菌戦などは国家機密だったため、携わった医学者は誰一人声高に叫べず、自責の念のあるものは、自殺した。日本政府・医学界は、731部隊の罪業を、いまだに反省・謝罪していない!!
今の日本医学界に、この影響がないのだろうか???
戸田正三
長與は、1919年から1934年まで、東京帝国大学伝染病研究所の所長であった。1930年から長與はうつ病になっていた。
この1930年代初頭から、背陰河で人体実験が行われていた。
長與又郎
東大総長(1934年~1938年)
総長退任後の1940年、満州へ渡航し関東軍司令部や731部隊を訪問している。731部隊では研究を視察している。細菌学会等を通じ、石井四郎軍医と交流があった。
果して、長與は731部隊についてどのような思いを持ったのであろうか??
1938年(昭和13年)、文部大臣荒木貞夫から総長官選案を示されるも、大学の自治を守るために戦い、荒木の案を撤回させて総長を辞任。
民間情報部(CIS)にS・Iと名乗る人物から届いた手紙には、
石井の妻が学習院院長荒木寅三郎の娘で、元陸軍大臣の荒木貞夫と非常に親しく、彼から限りない助けを得ていた事実を述べている。
荒木貞夫と荒木寅三郎は、細菌戦・戦争にどのように係わったのか?
1927年(昭和2年)・・・石井四郎、荒木寅三郎の娘、清子と結婚する。
1928年(昭和3年)4月 - 1930年(昭和5年)4月、海外視察。本当に海外視察か?背陰河に行っていた可能性はないのか?
1936年(昭和11年)、東郷部隊が正式な部隊となる。東郷部隊を母体として関東軍防疫部を編成。
荒木寅三郎・・・荒木は、京大総長時代に、娘を石井に嫁がせた後、学習院長や枢密顧問官をに出世している。京大総長(1915年~1929年)、学習院院長(1929年~1937年)、1937年4月枢密院顧問に親任される。1942年、急逝。
荒木貞夫・・・日本の陸軍軍人、第1次近衛内閣・平沼内閣の文部大臣、男爵。最終階級は陸軍大将。
皇道教育の推進・・・1938年(昭和13年)5月26日に、第1次近衛内閣の文部大臣に就任すると同時に、「皇道教育」の強化を前面に打ち出した。国民精神総動員の委員長も務め、思想面の戦時体制作りといったプロパガンダを推し進めた。この頃から、軍部の大学・学園への弾圧が始まり、人民戦線事件や平賀粛学に代表されるような思想弾圧が行われるようになった。
戦後の極東国際軍事裁判においては、文相時代の事柄にも重点が置かれることとなった。裁判の法廷において、証人として出廷した大内兵衛は、検事の尋問に応じて宣誓口供書を提出したうえで、弁護団の反対尋問で、軍事教育を通じて、軍部による学園弾圧が強化されていった過程を「1938年、荒木貞夫文相の時、各大学における軍事教育が一層強制的となり、軍部の学校支配が強化された」「軍事教練は、荒木さんが陸相当時、東大で採用するよう要求があった。この時東大は拒絶したが、1938年に荒木さんが文相になった時、軍事訓練は強制的となった」と証言している。
また以下の2人は731部隊の細菌戦を積極的に推し進めた中心人物ではないのか??
軍医学校長小泉は、陸相荒木貞夫の強い支持を受けていた。
1933年陸軍軍医学校校長、1934年陸軍軍医総監、陸軍省医務局長、BCG接種を実施、1941年から厚生大臣。
小泉親彦
第5代伝研所長
宮川米次
※1938年には国家総動員法が制定され、科学者も、戦争に協力しなければならなくなった。優秀な医学者も、戦争は加害者にしてしまう!!
※731部隊で実験材料にされた人たちは、囚人ではない!!裁判にもかけられず、微罪で逮捕された人がほとんどだ!!中国は日本に侵略されたのだから、反発するのは当然だ!!
当時の日本の教育は、日本国民は1等国民、他は2等国民、とか3等国民とか呼び蔑視していた!!中国人はチャンコロと呼び、非人道的な扱いをしていた!!
※笠原十九司著『日中戦争戦争全史』(下)には以下の記述が見られる。
「日本軍が華北で使用した生物兵器は華北の民衆に深刻な犠牲をもたらした。細菌兵器使用の実態が判明しにくいので、統計は不完全であるが、日中戦争以後8年間で70回以上細菌兵器を使用したと推定され、そのうち具体的な死亡者がわかる25件では、兵士・民間人47万人以上が感染して死亡した。山西省孟県における調査では、1942年から45年の間、日本軍が発射した糜爛性(びらんせい)毒ガス弾とチフスなどの細菌兵器により、全県16万人のうち、95%が感染して病気になり、1万1千人が日本軍に殺害され、3万人近くが病死した。」
※731部隊員であった金子順一が戦後、東大に出した論文には、中国の6か所の地名が細菌戦の行われた場所として、書かれている。
また、戦後アメリカのフェル博士が731部隊員を尋問して作成したフェルレポートには、12か所で、細菌戦が行われたとある。
講演とつどい 学問が戦争に協力する時―731部隊の生体実験をめぐって
※日本軍は、国際条約違反の細菌戦を大規模に行なった。しかし、日本政府は、731部隊での人体実験、細菌戦等の証拠をすべて隠蔽し、この事実を認めようとしない!!
※番組では、川島清を第一部(細菌研究)部長としているが、第4部 細菌製造部部長(軍医少将)の時もあった。
※勿論731部隊の支部や他の防疫給水部に送られ、人体実験に関わった多くの医学者がいた!!
中国にあった日本軍の陸軍病院の軍医等も、生体手術演習と称して、生体解剖をしていた。場合によっては、日本人も実験材料にされた。
※この731部隊には、皇族の竹田宮が関わっていた。そして、研究費などの予算は昭和天皇の裁可がなければ出なかった。
天皇の弟・秩父宮、三笠宮も視察に来たし、もしかしたら昭和天皇も来たのではないか??昭和天皇の責任は無いのか???
unit731
※731部隊へは当時製薬会社等からの寄付もあった!!(大正製薬・・・・)
※ロ号棟を建設したのは大林組、松村建設、特設監獄は鈴木組が作った。
ロ号棟の建設について設計図を出してください!!
大林組・白石社長が辞任へ リニア談合で事実上の引責
黒い太陽731
国家戦略特区に獣医学部か、戦時中の100部隊や731部隊を想起してしまう!!
つまり、満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた感がある。
「みんなが知るべき情報/今日の物語」より
日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」
教えてゲンさんより
防疫給水部(細菌戦部隊)
細菌戦部隊員の戦後
*戸田正三 (当時)京大教授
(戦後)南極特別委員
金沢大学学長
*木村廉 (当時)京大教授、多くの若い研究者を731部隊に送った
(戦後)日本医学会副会長
名古屋市立医科大学学長
注:常石敬一氏のインタビュ-に「誰を送るかは石井の指名によるのではなく、自分の判断であった」と述べています。
*正路倫之助 (当時)京大教授
(戦後)第1期学術会議会員
*田宮猛雄 (当時)東京帝国大学で若い研究者を731に送り込んだ
(戦後)東大医学部部長
海拉爾支部 谷崎等証言2017年12月18日
・731問題
・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
国家の面子の為に、残虐な行為は隠蔽する??
黒い太陽№15
※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。
朝枝繁春の証言
日本は、あの侵略戦争の事を全く反省していない!!
ある政党は、あの侵略戦争を「自存自衛のための戦争」などと公然と言っている!!
裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、
今の政府・医学界は、中国、アジア諸国で、戦争被害の後遺症に悩む人々を完全に無視している!!
人体実験、遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦、空襲・虐殺・原爆等で被害にあった人々のPTSDなど。
日本国民だって例外ではない!!
・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故
また当時の新聞記事や調査において、
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
などが分かっている。
当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。
一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの??
(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)
『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より
大牟田「爆発赤痢」事件
日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業
小島三郎
紅白の殺戮者 昭和十一年浜松一中 毒大福もち事件
作者:久保 親弘
紅白の殺戮者 くぼちかひろ
第四章
夜十一時,浜松警察署長からも静岡県庁に食中毒事件発生の報告がなされた。深夜ではあったが,事件の重大さに県庁の動きは素早かった。県の緑川門弥衛生課長は,「毒物化学的検査」と「細菌学的検査」の両面から事件に対処するように,薬剤官と医官三名を浜松に派遣した。浜松に派遣された石黒衛生技師(薬剤官)は毒物混入の有無を調査し,工藤県衛生技師と森谷県衛生技師,藤井衛生技師(医官)の三名は,県立鴨江病院において患者の症状や汚物を検査し,細菌学的な見地から原因の究明にあたることとなった。責任者の工藤治助衛生技師は,患者の救護や感染拡大の予防を指揮するために,直接一中に赴いた。
※今、改めて考えると、やはりこの食中毒に軍医学校の関与があったのではないか?
※石井がわざわざやって来て、「人為的細菌感染の有無」を調べる??この食中毒のすごさから言って、普通では全くない!!軍医学校の関与が無かったのか?何で、糞便検査を一中生にはしなかったのか??
1936年にはハルピンの郊外平房に正式に関東軍防疫部(731部隊)が設立される。
※北野政次は最初から目星をつけていた?その前年にゲルトネル菌が食中毒が発生している?
小島三郎の記述
小島三郎(ウキペディア)
小島 三郎(こじま さぶろう、1888年(明治21年)8月21日 - 1962年(昭和37年)9月9日)は、日本の医師。医学博士。
岐阜県各務原(かかみがはら)市出身。
その他
・幼少時より頭が良く神童といわれていた。事実特例として、満4歳で博文尋常小学校(現各務原市立川島小学校)に入学している。
・スポーツ万能であり、中学で野球、高校でボート、大学では馬術、水泳、スキーなどで活躍していたという。
・1919年(大正8年)に伝染病研究所を辞めて中屋村の家業の医院を継いでいる。しかし、伝染病研究所の再三の要請や、研究を続けたいという思いもあり、1年あまりで家業を譲り、再び伝染病研究所に入所している。
・組織の上に立つことを嫌っており、伝染病研究所時代は「長」の付く役職は全て断っていたという。国立予防衛生研究所設立には所長就任の話もあったのだが固辞しており、説得の上、副所長という肩書きとなったという。
・娘の露子は東京大学医学部助教授・東京共済病院長中川圭一に嫁ぐ。参議院議員・環境事務次官の中川雅治は孫。
・彼の功績をたたえ、1965年(昭和40年)より、小島三郎記念賞が設定され、病原微生物学、感染症、公衆衛生学に対する優れた研究、技術に対し贈られている。
・使用していた医療器具、愛用品、手紙などは、各務原市川島ふるさと史料館(各務原市川島会館4階)に保管展示してある。また出生地には記念碑が建っている。
『検証・中国における生体実験』(美馬聡昭著より)
小泉親彦と昭和天皇
背蔭河での生体実験は、陸海空軍の全面協力のもとに行われたわけで、天皇の許可なくしてこのような重大事を行うことは、できなかったはずである。この2回の天皇と小泉親彦の会談で、天皇は小泉を信じ、小泉に賭けてみたのではないかと考えらる。
小泉は、天皇と会談後の1932年4月には、近衛師団軍医部長になり、1933 年8月には陸軍軍医学校長に就任している。
また1932年8月には、石井軍医正以下5名の軍医を新たに配属して、防疫研究室を開設したが、研究の進行(背蔭河の研究)とともにすぐ狭くなったことで、翌年、近衛騎兵隊敷地約5000坪に新防疫研究室を新築した。
※731部隊の前身である背陰河の部隊では、結核予防注射の人体実験が行われていた?
結核予防接種と人体実験
※日本は、731部隊での研究を白日の下にさらすべきである。
※1936年に起きた浜松の大福もち事件の経過
1936年5月10日 浜松一中で運動会が開かれる。
5月11日午後、食中毒発病
軍医学校では5月12日午後から北野や防疫学教室で研修中の西俊英軍医大尉(当時)らが原因究明に取り組んでいた。軍医学校の発表は次の通りだった。
「・・・患者4例の糞便中よリゲルトネル氏菌と認むべき菌を証明し、之に因る中毒の疑濃厚となり・・・・尚細菌以外の毒物は目下の所証明し得ず」。
※本当に素早い軍医学校の対応ではないか??東京から浜松は当時列車でも時間はかかっただろう。
※小島三郎は食中毒発生の前年、1935年9月に東京大学伝染病研究所の助教授から教授に昇任したところだった。同じ頃、防研の嘱託に就任したものと推測できる。
※前年の1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)小島が防研の嘱託になった年。
※果たしてこの食中毒はどのように発生したのだろうか?防疫研究室は関係していないのか??不思議なことに軍の関係者の感染者からは誰一人死亡したものが出ていない!!軍の謀略ではないのか??
※陸軍飛行第七聨隊が新たに浜松に開隊し,ついで高射砲第一聨隊も設置された。昭和八年になると浜松陸軍飛行学校が開校し,浜松は陸軍航空部隊のメッカとして,知られるようになった。浜松陸軍衛戍病院の場合,ほとんどの軍医は,飛行第七聨隊附か陸軍飛行学校附,もしくは高射砲第一聨隊附であった。
※小島三郎が、防疫研究室の嘱託になり、お金をもらって研究したという事は、細菌戦に大きくかかわっていたという事だろう!!
※ゲルトネル菌は、広東の8604部隊部隊で使用されたようだ。
8604部隊南支那派遣軍の防疫給水部の1課の丸山茂証言に、同僚がお粥にそれを混入して、多くの難民の中国人を殺害したという証言をしている。
・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤の原料を作ってニュージランドのメーカーを通じてアメリカ軍に提供されていた。アメリカの枯葉剤の3分の1は日本製だと言われている??
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大
横浜マンション傾き問題、施工3社を提訴 三井不動産系
護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶
※枯葉剤の製造では、ネットには、こんな記述もある。
731部隊直系のミドリ十字を内部に組み込んだ三菱ケミカルホールディングスの前身である三菱化成は、ヴェトナム戦争における枯れ葉剤作戦の主役、モンサント社と組んでいたのである。
イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。
国会での証言と初の公害認定
この厚生省の結論は、萩野昇の血みどろの戦いがあったからである。萩野の学説は何度となく著名な学者から非難されたが、しかし萩野昇の学説が正しかったのである。
このイタイイタイ病の研究は世界的評価を受けた。アメリカでは「ペイン・ディジーズ」と英語でよばれていたが「イタイイタイ・ディジーズ」に、ドイツでは「ベェーベェー・クランクハイト」とドイツ語でよばれていたが「イタイイタイ・クランクハイト」というように萩野の名付けた病名が国際的病名となった。そしてWHO(世界保健機構)などの国際機関や国際学会でもカドミウムをイタイイタイ病の原因であると公式に結論づけた。萩野昇は日本医師会最高優功賞、厚生大臣感謝状、朝日賞(社会奉仕賞)などを次々に受けることになった。
※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。
三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞
●日本軍が中国で行った細菌戦
・細菌戦パネル展(731部隊のやった細菌戦)
・本の紹介
ペストと村 七三一部隊の細菌戦と被害者のトラウマ (風響社あじあ選書1) (風響社あじあ選書 1)
カスタマーレビュー
おそらく、正統派歴史学者のなかで、もっとも面白い作品を書き続けている著者の一人による、
最高の作品の一つ。
著者自身、歴史学と社会人類学の手法を融合させ研究をしていると述べたことがあるが、
その魅力は本書でもいかんなく発揮されている。
単に歴史的事件について叙述するだけではなく、中国の社会文化の背景にまで踏み込み、
その事件を適切に文脈化している。
さらに、細菌戦の国家賠償請求裁判についての推移を紹介することで、本書は、戦中の「歴史」が、
現代の日本人とどのように関わるのかについての問いかけをなしている。
優れた文体は、研究者だけでなく、ひろく一般読者にとっても読みやすいものになっているものと思う。
学者による社会貢献の一つの理想像であるとも感じた。
・細菌戦被害地(中国)の旅
●現代も受けるがれている731部隊の思想??
話は今につながっている!!
731部隊という名前を御存知だと思います。先の大戦中に、捕虜に対して人体実験を行い、細菌戦を遂行した日本軍の特殊部隊です。部隊を率いた石井四朗隊長は、戦後、公には姿を現さず、どのような人生を送ったのかも謎とされてきました。その石井隊長の日記が、ノンフィクション作家青木富貴子さんによって発見されました。日記からは、731部隊がなぜ戦犯として訴追から免れたのかなど、さまざまな謎を解くヒントが浮かび上がってきます。
石井四郎の戦後
ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影
堀田伸永
※当時の日本・アメリカ政府は、原爆の悲惨な惨状を国民に隠した!!
第2章 原子力ムラの源流
原爆症研究組織が平和利用支持の拠点に
「原爆症調査研究協議会」は、1953年11月、広島・長崎の被爆者の原爆後遺症の治療方法究明のために設置された連絡組纖だった。事務局は、広島と長崎にある米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)にそれぞれ支所(原子爆弾研究所)を置き、 連携していた国立予防衛生研究所内にあり、米国の原爆の人体影響研究の補完を前提としていた。第五福龍丸事件以降は拡充され、臨床小委員会は国立東京第一病院や、東大医学部の若手の医師によって補強され、乗組貝の治療、放射性降下物による環境や農・水産物の汚染調査にあたっていた。
ETV特集 ネットワークでつくる放射能汚染地図(1/2)
宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、
東大医学部放射線科・宮川正教授は退官記念講義で731部隊員だったことを曝露・追及された
世界は恐怖する死の灰の正体(亀井文夫監督)
水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した
彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など
731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている。
731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを
田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。
※日本政府は、アメリカと取引して中国で行った人体実験・細菌戦・毒ガス戦の資料を戦後国民に隠し続け、GHQは、原爆投下直後の原爆の影響を調べさせ、情報は隠蔽し、治療などはしなかった!!
●軍学共同の道(「京都新聞」より)
軍部への協力振り返る「鳥養資料」 軍学共同の道(4)
文部省の「科学研究者調(甲表)」に記載された主な京都の大学の研究テーマ 陸軍技術研究所・研究嘱託名簿に記載された研究テーマ
科学者らでつくる日本学術会議の安全保障と学術検討委員会は今年3月、審議の結果を次のようにまとめている。
「軍事的安全保障研究については、研究の過程でも研究後の成果に関しても、秘密性の保持が高度に要求されがちであり、アメリカの研究状況に照らしても、自由な研究環境の維持に懸念がある」「軍事的安全保障予算が拡大することで、他の学術研究を財政的に圧迫し、ひいては基礎研究等の健全な発展を妨げるおそれがある」
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
・御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)
国家のため医学のためという大義名分の下に、何千人もの捕虜や住民を丸太(マルタ)と称して使い、血も凍るような凄惨な人体実験を繰り返した731部隊の思想・精神は、脈々と後進に受け継がれているのだ。
そして今、その何百倍、何千倍という規模の人体実験が福島を中心に行なわれているのである。
731の人体実験の背景には、日本人の民族的優越感があり、劣等民族は犠牲になって当然という差別意識があった。長年そう思っていたが、福島の事故でこれは正しくないことを思い知らされた。
彼らは、自らの利益のためには、たとえ同胞であろうと誰でも容赦なく犠牲にするのだ。
※いろいろな医学系の研究所では今何が行われているのだろうか??
子宮頸がんワクチン接種後の症状
政府の被ばく基準に批判相次ぐ 衆院特別委で専門家
久住静代氏 : 原子力安全委員会ー20mSvに関する見解
※神谷研二
2012年6月11日、福島県内の被災者を中心とする「福島原発告訴団」の1324人は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法違反の疑いで、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーである神谷、山下俊一、高村昇を含む33人を刑事告訴・告発した[9]。
被曝をめぐる御用学者の系譜
●原爆を投下された昭和天皇の責任は?(敗戦を引き延ばした)また原爆を投下したアメリカの責任は?
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
「1894年から1945年までの51年間日本は常に戦争をしてきた。大きいのだけでも日清、日露、満州事変、日中、アジア太平洋の5つその全てに廣島から軍隊が出ているわけです。言い換えれば廣島はアジア侵略の起点だったのに、加害の都市だったことを認める人は多くない。」(1929年山口県生まれ、国鉄職員 入市被曝した李実根の証言)
ニュース259号では、驚くことに被爆地広島に昭和天皇は行かず、侍従に行かせた。
そして、次のニュースには、GHQの報道管制の下で、米軍を好意的に紹介し、原爆批判は全く無い。
東京大空襲の時は視察している。
昭和天皇、東京大空襲後の御視察
日本への空襲
八王子平和・原爆資料館
昭和天皇の終戦工作?(詳しくは『日本のいちばん醜い日』)
畑俊六第2総軍司令官、高野源進広島県知事は原爆投下時に無事。
第2総軍は、全滅。
天皇は、事前に原爆投下を知っていた。
終戦時の国内情勢を憂慮して、第2総軍を壊滅させた??
1975年昭和天皇記者会見
第5回 韓国・朝鮮人被爆者問題を考える 講師:高實康稔さん
「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版
●原水爆禁止!!
アメリカは非人道な広島・長崎の原爆投下では終わらず、さらにもっと非人道的な兵器・水爆を作り、自然環境に深刻な影響を与え、また被爆者を増大させた。
アメリカに続き、ソ連・イギリス・フランス・中国・イスラエル・パキスタン・インド・北朝鮮・・・なども後に続き、地球の環境破壊を進めている!!
1月16日、ICANと国会議員との討論集会
核が安全を守っていると言い続ける限り、核を手放すことはできない!!
日本政府は、核戦争を想定して、福島原発事故の被ばく者を、研究対象にしているのだろうか??(広島・長崎と同じように)
放射能汚染地図「川で何が起きているか?」
被爆国の日本政府は、海洋汚染に対して、俊こつ丸で以前行ったような調査を、太平洋全域で、定期的にやるべきではないのか??
海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集
水爆実験の影響はまだまだあるのではないか??
<水爆マグロ>高知の学芸員、実相知りたい ビキニで汚染
ビキニ「死の灰」世界各地へ(1954年)
山下正寿さん(高知県太平洋核実験被災支援センター)インタビュー
アメリカ・日本・・・国家は平気で嘘をつく!!それも公然と!!世界が放射能やダイオキシンで汚染されている!!
アメリカはまたもやロンゲラップ島で人体実験をやり、アメリカ政府、日本政府は漁船の被爆状況を隠蔽する!!
ザ・スクープスペシャル ビキニ事件63年目の真実 2017 08 06
被曝は第五福竜丸だけではない!!また厚生労働省の隠蔽!!
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
為政者は、大事件から国民の目をそらさせるために、国威発揚を狙って、オリンピックを画策する!!
1931年 満州事変から9年後の1940年(皇紀2600年??)の幻の東京オリンピック!!
1954年のアメリカのビキニ環礁における水爆実験の10年後1964年の東京オリンピック!!
2011年の東日本大震災による福島第一原発事故から9年後の2020年開催予定の東京オリンピック(豊洲問題も大問題だ)!!
※なぜか、ビキニ環礁で日本の多くの漁船の乗組員、水揚げされた大量の魚が放射能に汚染されて、大きな損害を被り、原水爆反対の声が高まったのに、政府は、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニと3度も国民は被曝をしているにもかかわらず、アメリカに抗議することもなく、原発推進を、アメリカの後押しで進めてしまう??そして、フクシマの事故が起き、アンダーコントロールなど出来ないのに、オリンピックを開催予定とは??国民はこれを素直には受け入れられない!!
原子力に悩む大国 アメリカ
●日本の科学者の核兵器への執念の系譜
◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ
小路田泰直
ヒロシマ・ナガサキの経験は、一般の予想に反し、この国の支配層、とりわけ核物理学者たちの脳裏に、反核・平和の志向を植え付けなかった。むしろ彼らの原子力開発への意欲をかき立てた。そしてそのかき立てられた原子力開発への意欲が、やがて1954年3月2日の、中曽根康弘による原子力予算23,500万円の緊急提案をきっかけに噴出した。それが今日にいたる、この国の旺盛な、平和利用に名を借りた原子力開発=原子力発電所設置へとつながったのである。
だからこの国の原子力開発の裏には、戦前以来の核兵器開発の伝統が息づいている。「ヒロシマ・ナガサキへのリベンジ」 の思いが横たわっている。
そしてそれが今回のフクシマの事故につながったのではないかと、私は予想する。 その予想を裏付けるために本稿は書かれる。
※日本は原発を順次再稼働させて、プルトニウムをため込もうとしている!!
仁科芳雄の墓(歴史が眠る多磨霊園より)
*墓石正面「仁科芳雄墓」。左面に「吉田茂 謹書」。右面「文化勲章受賞者 / 日本学士院會員 / 株式会社科学研究所社長 / 日本学術會議副會長 / 理學博士」。裏面「一九五一年一月十日歿 享年六十歳」と刻む。墓石右側に自然石に正面「朝永振一郎 師とともぬ眠る / 武見太郎 謹書」、裏面「文化勲章 昭和二十七年十一月三日 / ノーベル物理学賞 昭和四十年十二月十日 / 昭和五十四年七月八日歿 享年七十三才」と刻む。墓石左側に自然石の墓誌があり、仁科芳雄の名と没年月日が刻む。また、「ハリー・シー・ケリー 1976.2.2 米国ノースカロライナ州ラーレーにて歿」と刻まれている。 この墓誌の記は近代磁性物理の父と言われている茅誠司である。
【ハリー・シー・ケリーと朝永振一郎が仁科芳雄と共に眠る理由】
多磨霊園は都営であるため規制が厳しく、宗教関係で例外的に血縁以外の者たちと眠る墓所はあるが、基本的に一般墓地は6頭身の血縁までと定めている。よって仁科芳雄の墓所は血縁外の人物と眠る例外的な墓所である。
ハリー・シー・ケリーはマッカーサーの科学顧問として戦後すぐに来日し、GHQ経済科学局科学技術部長などを務めた人物である。戦後の日本の科学界が最もつらかった時期に、苦楽を共にし、'50.4仁科芳雄を助け、米国からラジオ・アイソトープの輸入を実現した。'76.2.2ハリー・シー・ケリーが逝去し、仁科の隣りにケリーを眠らせてあげたいという話が両家から出て、没後五ヶ月して、多磨霊園に分骨埋葬された。
仁科芳雄を師として仰ぎノーベル物理学賞に輝いた朝永振一郎も同墓に分骨されている。朝永振一郎が亡くなったのは'79であるため、ハリー・シー・ケリーの没後である。察するにハリー・シー・ケリーが仁科芳雄の墓所に分骨される納骨式に参列したと予測する。二人と同様に苦楽を共にした同志として同じ気持ちを抱き、生前に仁科家に遺言を託したと推測される。朝永振一郎の正墓は京都の東本願寺にあり、墓石に両親の名と並び刻む。仁科芳雄の墓には「師とともぬ眠る」と刻む。
何故、日本は、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、フクシマと、多くの人々が被曝し、死亡し、大変な状況になったのに、日本政府、日本医学界は声を大にして、「脱原発」、「核廃絶」と叫ばないのか???731などの医学犯罪の後ろめたさから何も言えない??
※放射能汚染の危険性について、WHOなどが主導すべきであるが、IAEAや世界医師会がアメリカとそれに追随する国で主導されているので、731の問題や放射能汚染についての資料は、改ざんされたり、隠蔽されているではないか!!
「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」
※アメリカによるビキニ環礁における核実験では、海洋汚染が深刻化し、魚・人間が被曝した。その影響は今現在でもあるのではないか?
アメリカ・ソ連・中国・イギリス・フランス・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮などの多くの核実験、原発稼働、原発事故、戦争、大規模な軍事演習などが、地球の生態系に大きな影響を与え続け、地上の放射能汚染、海洋汚染、温暖化等様々な異変を生じさせているのではないか??
現在進行形である!!日本はなぜ原発をインドに輸出する??
核抑止論の下で、ますます地球は破滅に向かっている!!
※湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。
※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。
●核・生物化学兵器廃絶!!
「核兵器は無差別に、長年にわたって被害をもたらす非人道的な兵器で、再び使われれば同じ苦しみを世界中が背負う」
核兵器禁止条約「一筋の光」 被爆者がバチカンで訴え
広島市長、核の傘は「錯覚」=禁止条約
「Yes! I can!」2000人がノーベル平和賞受賞者の応援に駆け付けた オスロの冬の夜
●世界の流れ、脱原発
・教えてゲンさん(原子力発電と放射能より)
基準値は安全か?
福島県立医科大学は福島県医療の頂点に位置する存在です。
その為福島県中の医者は異議を言えない状態になっています。
さらに上記のような発言を繰り返す山下氏がセンタ-長にいるため、県民は不信感を持っています。
この調査は福島県民202万人を対象にして、予算962億3600万円です。
これだけの予算を組んで、しかも放射線被害の調査です。
しかしながら当事者、つまり福島県民の回答率は低く、約20%でした。
やはり県民には福島県立医大、特に山下センタ-長に対する不信感が強いものと思われます。
2013年5月21日、国際原子力機関(IAEA)のヒュ-マンヘルス部長の
レティ・キ-ス・チェム氏が福島県立医科大学の客員教授に就任しました。
従来から日本の大学や放射線研究機関とIEAEを結ぶ窓口になっていた医師で、原発推進の人物です。
このことも福島県民から見れば、原発推進のために山下氏同様に県民を押さえ込むための人事ではないかと疑われています。
福島県では放射能の影響を調べるために「県民健康調査」をしています。
調査のための組織ですが、
どうする?これからのの日本のエネルギー
●脱原発3
[THE MANZAI 2017] 大注目を浴びたウーマン 時事ネタ漫才!賞賛の声
アメリカでは原子力発電が日本ほどは重宝されていない。
東芝、粉飾決算は原発赤字のWHを買わされた後遺症と判断される?
日本は韓国を見習おう!!
・リニア新幹線反対!!
ゼネコンのリニア談合で逮捕者、地検特捜部の次の狙いは?
「リニア中央新幹線」問題に迫る!
知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由
物事を進めるときには賛成派・反対派の両方の意見に耳を傾けて、双方が納得のいく落としどころを探すのが理想的なのだけれど、どうやらリニア新幹線というのは「開通させる」という目標ありきで、異論は揉み消されているようです。マスコミでもほとんど報道されません。今更「リニア反対特集」なんて組めないでしょうから。そんなわけで東京オリンピックとリニア新幹線着工で浮足立っている現状で、リニア反対派がどのような理由で反対をしているのか、多くの人は知るすべもありません。リニア新幹線の巨大プロジェクトがどのような課題を抱えているか、今一度確認しておきませんか?
→リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら
リニア品川駅、深夜の工事を初公開 2027年開業
回収の見込みなしのプロジェクト、商品価値は?
品川-名古屋間で約5兆4300億円。大阪開業まで含める総額約9兆円の費用をかけてリニアを開通させても、リニア新幹線の乗車料金は現行の新幹線と同等に設定するそうです。当然ながら回収の見込みはありません。ペイしないことは当初からJR東海も認めていること。
恒久的に赤字運行になることがわかっているリニア新幹線になぜJR東海は着工することができたかというと、それは民間の形をとった国家プロジェクトだからです。政府は日本の技術の新しい象徴として、どうしてもリニアが欲しかった。そしてそれをパッケージングして海外に売りたかった。1つの国に売って1兆円稼げれば、10か国で10兆円。でも、リニア技術は無償提供するという話も出ています。儲けは出にくいですね。
トンネル工事難航 上越新幹線では3.5倍に
第98回 もりかけスパ疑惑に切り込み!アベ友政治の実態を暴く
●秘密国家日本!!特定秘密保護法撤廃!!情報公開!!
この国は、何で情報公開に全くしようとしない!!30年経ったら、日本も機密を公開にして、過去の政権運営、天皇の国事行為などが適正に行われたかをチェックできるようにしたらどうだ!!
今、森友・加計問題で、政府は、きちんと説明しない!!なぜ資料・記録・録音などを、全く公開しない!!官僚本人も、「記録を取っていない」、「記憶にないを連発する??
自衛隊の、情報公開も全然進んで」いない!!
自衛隊。様々な研究機関では、生物戦・毒ガス戦・核兵器研究をどのように行っているのであろうか??
どのような兵器があり、どのような訓練が行われているのか、国民に開示すべきである!!
戦時中の資料も、公然と隠す!!特に昭和天皇がどのように戦争に関わっていたのかを示す
きちんとした資料の公開を求めたい!!
アジア・太平洋地域の住民。家屋等に多大な被害を与え、
日本国民を、戦争へと向かわせた、現人神・昭和天皇の責任は重大だ!!
これでは戦争の反省も何も出来ない!!
情報公開しても全てのり弁、これでは意味がない!!
大嘗祭、前回見解を踏襲 政府、退位儀式の概要固める 政教分離の論争、再燃避ける
「官房機密費」の使い道がヤバい!税金を泥棒する政治家・メディア・評論家たち!
天皇制を考えよう!!
昭和天皇の裁可が無ければ、731部隊は出来なかった。細菌戦・毒ガス戦を命じた昭和天皇の戦争責任は?
政府が特例法案を閣議決定 6月中に成立へ 譲位は実現すれば光格天皇以来、約200年ぶり
眞子さま結婚、囁かれる破談の可能性…秋篠宮殿下の大きなお怒り、「20年へ延期」の意味
天皇陛下の警護の多さ(警察3000人?以上)
日本への空襲
天皇制の存続は必要か??大嘗祭反対!!
象徴天皇制 自由で闊達な議論が必要!!加計問題!!
池上彰のニュースそうだったのか!! 2時間スペシャル 16 08 1
・上のビデオでは日本の戦時中の昭和天皇=現人神、国家神道のことについては全く触れられていない!!
戦時中は、御真影を拝み、宮城遥拝して、果ては大日本帝国の為に、自らのの命を捧げ、結果多くの国々に多大な加害を与え、又自国にも大きな犠牲を出し、大日本帝国は崩壊した!!
戦後、自ら犯した侵略戦争の反省が十分なされないまま、以前の大日本帝国の亡霊が、今現在、復活してきている!!
●医療問題
H・アスペルガー医師、ナチスに「積極的に協力」か 研究
「国に人生狂わされた」強制不妊手術、男性が実名公表
強制不妊手術「審査会はお墨付き与える場」元委員
群馬大病院 診療報酬を返還へ 不正・不当請求13億円
床下から胎児の遺体「ホルマリン漬け」か?
ホルマリン漬けの胎児の遺体15体、廃病院から見つかる。鹿児島
医療闇 横浜市の病院 大口病院 点滴異物 殺人疑い 3ヶ月50人死亡!?「横浜はじめ病院」変更
医療事故で女児寝たきり=市立医療センター、チューブ誤挿入-大阪
石牟礼道子さん死去 水俣病を描いた小説「苦海浄土」
水俣病
731部隊の人体実験や細菌戦に全く反省しない日本では、命の尊さについて教育できないのではないか?
<私を返して>旧優生保護法国賠訴訟(上)葬られた生/幸せも夢も無駄に
チェック形骸化、有期雇用成果焦りか 京大iPS研論文不正
実験「生データ」厳重保存も不正防げず 京大iPS研
聖路加国際病院について 内海聡先生 船瀬俊介先生
●自衛隊
地下鉄サリン事件に信者の自衛隊員に係わり、化学学校の情報が洩れていなかったのか??
執行時期、順序など慎重に検討か オウム死刑囚7人移送
三菱小牧南工場 兵たん拠点にするな
自衛隊墜落ヘリは、10年間で40件事故が相次いだボーイング製
オウム真理教のサリン合成に自衛隊の情報が洩れていなかったのか?信者に自衛隊員が多数いた。
また、サリンを製造するプラントの事は土屋正実だけでは分からないはずだ。サリン製造と自衛隊の関係をきちんと調べていない!!
松本教祖ら死刑囚13人 死刑執行焦点に
サリンの毒性(ウィキペディアより)
・・・経皮毒性の一例を示すと、経皮投与におけるヒトの半数致死量(LD50)は28 mg/kgである
。これは、体重60 kgのヒトが1680 mg(約1.5 mL)のサリンを経皮吸収すると、その半数が死亡するということである。また、皮膚に一滴垂らすだけで確実に死に至るとの記述も存在する。
●サリン事件と自衛隊の関係は??
陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年
1995年 地下鉄サリン事件 - 土谷正実
5月58日 自衛隊大宮駐屯地創立60周年記念式典
化学学校の展示は防護服、除染車等で、肝心の内部資料の公開は無かった!!
自衛隊では防護の為と言って、攻撃用兵器の開発は、国民に一切公開しないつもりか!!
日本には、どうのような生物兵器、化学兵器、核兵器があるのか、一般国民には全く情報開示が無い状態に置かれている!!
大宮駐屯地5月28日
市街地で普段こんな訓練が行われている。武力を持たないとはどういうことなのか???
迫力の模擬戦! 大宮駐屯地創立60周年記念行事
土呂久砒素公害
1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?
・1985年8月12日の日航機墜落事故と自衛隊!!
自衛隊の隠蔽体質は、変わらない!!
『衛生学校記事』『化学学校記事』等の内部文書、南スーダンの『日報』、日航ジャンボ機墜落の真相等の情報の隠蔽!!
国家機密(自衛隊の事故への関与)を隠すため、国民の命が犠牲になる!!
この事故は自衛隊が関係していませんか?
700mの海底から引き揚げられるのだから、日航機の尾翼は簡単に引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落
森永卓郎:日航123便の墜落事故と米軍救援ヘリの謎に関する新事実
自衛隊と日航機墜落事故の関係は??
●憲法9条を守れ!!
大竹まこと×倉田真由美:せり出す「国家」と自民党の憲法改正草案憲法9条
“軍事的研究は慎重に” 科学界が新声明
東工大、応募認めぬ方針 軍事応用できる研究の助成 今年度
安倍首相「憲法に自衛隊明記」発言 学者から見て現状は違憲なのか?
日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
憲法9条を生かそう!!
2018年5月10日木曜日
重慶大爆撃訴訟
中国・重慶爆撃 2審も遺族敗訴 東京高裁 /東京
2017.12.15(毎日)
日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の1審・東京地裁判決を支
持し遺族らの請求を退けた。永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。
判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や四川省の各地を狙い爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。
祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。弁護団は上告する方針。
NNNドキュメント「戦争のはじまり 重慶爆撃は何を招いたのか?」
第58号 重慶爆撃
The Battle of China (1944)
本土空襲・全記録(by 2017.8.12 NHKスペシャル)
細菌戦の系譜!!
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●731部隊の実態
●『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」
●自衛隊と日航機墜落事故の関係は??
●サリン事件と自衛隊の関係は??
●不二越強制連行問題!!
●「福島の今」
●結核予防接種と人体実験
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●中国・北朝鮮脅威論を超えて 2018.3.28 緊急市民集会
●731部隊の構成全容明らかに!!
●731部隊将校の学位の取消しを!!
●H・アスペルガー医師、ナチスに「積極的に協力」か 研究
●731部隊の構成全容明らかに 国立公文書館が名簿開示
4/14(土) 22:31配信 京都新聞
約3000人の隊員実名が記載された関東軍防疫給水部(731部隊)の留守名簿。国立公文書館が公開した
ペストを投与した人体実験の疑いがある論文の検証を要請している「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」(京都市中京区)が14日、京都大で記者会見し、国立公文書館から関東軍防疫給水部・731部隊「留守名簿」の開示を受けたと発表した。
軍医や技師、看護婦など役種と階級、留守宅を記載したもので、3607人が実名で記されていた。研究者は「731部隊構成の全容が分かる第1級の資料。政府が詳細な公文書を保管していたことが戦後70年以上たって初めて明らかにできた」と話している。
今年1月に公開されたのは、敗戦約半年前に作成された名簿。2016年に開示請求した際は「親族や戦犯とその親族を特定する情報」だとしてほぼ黒塗りの部分開示だったが、引き続き開示を求めていた。同会事務局長の西山勝夫滋賀医科大名誉教授が分析したところ、軍医52人、技師49人、雇員1275人、衛生兵1117人など731部隊の構成が判明。戦後に京都大医学部長を務めた故岡本耕造教授(戦前は講師)は「技師4等」の処遇だった。
また同会では、京都大文書館から、戦後に京都府立医大学長を務めた故吉村寿人・京大医学部講師ら京大医学部の講師クラスの研究者6人が731部隊派遣を発令された日時や旧陸軍での階級を特定できる文書「学報」(1938年・京大庶務課作成)も発掘した。同会は今月、京大に対し、731部隊所属者に関係する文書の開示請求を行っている。
14日は同会主催の講演会「研究者が戦争に協力する時 731部隊の生体実験をめぐって」があり、約150人が参加。常石敬一・神奈川大名誉教授が京大出身の731部隊軍医少佐が博士論文として提出したペスト菌特殊実験について講演し、「ペストに感染させたノミが石井部隊の主要な生物兵器だった。人体実験した論文を得難い実験として評価したのは京大に問題がある」と指摘した。
●中国人細菌戦被害者ビザ発給拒否裁判
内閣人事局撤廃!!忖度政治は、やめてくれ!!
次回は6月8日(金)10:30~東京地裁415号法廷
3月9日の第8回ビザ発給拒否裁判では、裁判長は変わった。これで3人目。前回の裁判長は、外務省になぜ今回だけビザ発給をしなかったのか強く理由を求めたが、
今度の裁判長も、この事を、国側に、きちんと回答するように求めてもらいたい。
9日の裁判では、外務省は、はっきりしたストレートな回答をしなかった。今まで同様、ビザ発給は外務省の裁量であるとか、身元保証の問題を口にする。
2015年の集会の前までは、中国の細菌戦被害者遺族を日本に招くことが出来たのに、なぜ2015年の11月の集会には、外務省はビザ発給をしなかったのか?
外務省の官僚が、2015年9月に安倍政権が強行した戦争法成立に忖度して、集会のチラシにある「戦争法の廃止を求め、・・・」に敏感に反応したのか?
それとも歴史の改ざんを目論む安倍政権が、これまで日本政府が細菌戦を公式に認めて、謝罪していないことから、政権側の指示で外務省が細菌戦被害者遺族のビザを発給をやめたのか。次回裁判では、当時、ビザ発給に関わった外務省の官僚を証人として証言を求めたい!!
安倍政権の、歴史修正主義の影響を外務省は受けていないのか??
ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟
《ビザ発給拒否》裁判!!
ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!!
外務省が集会参加予定の中国人12人にビザ発給せず――細菌戦被害者ら入国拒否
当時の集会の模様
中国人細菌戦被害者遺族は、なぜいない?
●軍学共同反対!!
岡山大、東海大、東京工科大、東京農工大へ抗議しよう!!
軍学共同反対連絡会のニュースレター18号
防衛装備庁助成の研究中止求める 岡山大に反対団体が申し入れ
●日中全面戦争・南京大虐殺81ヵ年!!
政府は、森友・加計問題を必死に隠し、731・南京・慰安婦・重慶などの加害事実も隠す!!
・南京大虐殺の証言
日本軍が南京を占領した時、私は西善橋に住んでいました。私は実家のお婆さんの甥の嫁が、背中に子供を背負ったまま日本兵に撃ち殺されてしまったのをこの眼で見ましたが、死体すら片付けられませんでした。お隣の潘お婆さんは目が見えませんでしたが、やはり撃ち殺されました。私自身は水西門の城門の所で日本兵にびんたをなぐられました。家には塩埠頭に3部屋の大きな瓦葺きと2部屋の藁葺きとがありましたが、その時みんな日本軍に焼き払われてしまいました。(尚文蘭と孫秀蘭と夏龍生が記録)
驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!!
日中戦争全史年表
南京大虐殺80ヵ年
日本政府の今までの全く誠意のない対応!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた
村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国
2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!
戦争の反省の無い頭!!
3、南京大虐殺までの経緯
7月7日 盧溝橋事件
不拡大派(石原莞爾)と拡大派(武藤章)の対立・・・参謀本部は内地3個師団の華北派兵と支那駐屯軍の武力行使を指示。
7月27日 日本軍は第29軍に対し、北京・天津を明け渡せと最後通牒を発し、29日には北京・天津及び要地を占領。
7月29日 通州事件・・・中国陥落区の通州(現:北京市通州区)において冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が日本軍の通州守備隊・通州特務機関及び日本人居留民を襲撃した事件。通州守備隊は包囲下に置かれ、通州特務機関は壊滅し、猟奇的な殺害、処刑が行われた。
※冀東防共自治政府保安隊は、日本軍の支那駐屯軍から派遣された将兵により軍事訓練が施された治安部隊であり、教導総隊及び第一、第二、第三、第四の五個総隊で編成されていた。
8月9日 (日本軍の謀略) 大山事件起こす。
上海海軍特別陸戦隊中隊長の大山勇夫海軍中尉(海軍兵学校第60期卒業、死後海軍大尉に特進)と斎藤與蔵一等水兵(死後三等兵曹に特進)が殺害された事件である。中国側からは「虹橋機場事件」と呼ばれる。日本側は、これを中国軍のしわざだと考え、この事件が第二次上海事変のきっかけの一つになった。
8月13日 第2次上海事変(海軍陸戦隊と中国軍の戦端が開かれる。)
8月15日 第3師団と第11師団よりなる上海派遣軍の「編組」と上海への派兵。(上海派遣軍司令官:松井石根)
8月15日の渡洋爆撃にはじまって、12月13日の中支那方面軍の南京占領に至るまで、海軍航空隊の南京空襲は50数回に及び、参加延機数は900余機、投下爆弾は数百トンに及んだ。
8月29日 南京駐在の欧米5ヵ国の外交代表、南京空襲に抗議し、爆撃停止を求める抗議書を日本に提出。
●情報公開!! 特定秘密保護法撤廃!!
・「衛生学校記事」情報公開裁判
次回は、7月12日(木)15:00~東京地裁419号法廷。
裁判長も被告防衛省側の期間・人員を多く使って調査した概括的な報告書の具体的な説明を求めたが、防衛省側は具体的な説明はしなかった。
また、「衛生学校記事」の後継である「ふかみどり」の編集に携わった人に、いろいろと問い質したら、いろいろな事も分かるだろうと原告側は主張し、被告側も応じる姿勢を見せた。
防衛省内の機関で正式に予算を取って、作られていた機関誌を、簡単に行政文書でないからと言って、廃棄していいものだろうか??
防衛省は言う、「確かに,発刊当時の昭和32年当時においては最新ともいえる医学領域等を中心とした学術情報も掲載されていた可能性はあり得る。しかしながら,学術・科学が日進月歩する中にあって、半世紀前に発刊された機関誌をなお、組織として保秘しておくべき要請は全くなく」と。
然し、国民の税金で作ったれっきとした機関誌であり、公文書である。どんな研究をしてきたかを書いた大事な機関紙である!!
自衛隊の研究成果は、国民にもきちんと知らせるべきである。
防衛省は強いて言えば「衛生学校記事」「化学学校記事」を図書であると言いながら、行政文書として扱って捜し、図書館・図書室などをきちんと探していないようだ。自衛隊の機関の研究内容は、より透明性が必要だ!!また、衛生学校長であった金原節三氏の遺族から寄贈された資料に関して、衛生学校や防衛研究所図書館への資料の移管に関する記録も存在しないと公然と主張する!!寄贈されたものを、こんな杜撰な管理の仕方でいいのだろうか??機関誌を情報公開法の行政文書として扱うのではなく、歴史的に価値ある公文書として扱い、国民に公開してもらいたい。
30年経過したらきちんと情報を公開してください!!
米国は、放送局の電波停止権限を規定する放送法など「メディアに対する規制枠組みを懸念」しているとして、政府から独立した監督機関の設立を提言。
日本の「報道の自由」に懸念=5年ぶり審査で国連人権理
公文書の在り方
自民党が、憲法に「自衛隊」を明記すると言っているが、その自衛隊で今何が行われているのだろうか??
北朝鮮に経済的・軍事的圧力を日米軍事同盟の枠の中でアメリカと一緒にやれば、日本は、北の標的になるのではないか?
日米軍事同盟の中でどんな協力・研究開発が進められているのか、国民には全く説明がない!!すべて機密??
今回の空自のヘリの事故原因やF4戦闘機の事故の説明はきちんと公表されるのであろうか??
自衛隊の中にも、緩みやあるのではないか??ヘリに何があったのか、防衛省は果して原因を公表するであろうか??
憲法9条では、「戦力の不保持」と謳いながら、現実には、9条をないがしろにして、着々と強力な兵器を開発、保持しているのではないか??
『衛生学校記事』情報公開裁判
森友・加計問題と同じように問題となる証拠は全て廃棄したことにする??
国民が知りたいことは、今の防衛省の機関で、どんな研究がされているかという事なのだ!!防衛省・自衛隊でやっていることは全くの秘密では、シビアリアンコントロールなで出来やしない!!
防御の為と言って、生物兵器・毒ガス兵器・核兵器の開発がされているのではないかという疑念にしっかりと防衛省は答えてもらいたい!!
時間をいたずらに伸ばすことなく、防衛省にはしっかりとした説明責任が求められている!!
海底700mから自衛隊機を引き上げられるのだから、日航機も引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落
自衛隊と日航機墜落事故の関係は??
加計問題!!証拠を隠すな!!
サリン事件と自衛隊の関係は??
陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年
・情報公開裁判(「化学学校記事」)第6回 2018年7月4日(水)11:30~東京地裁522号法廷
防衛省の日報問題で、明らかになった防衛省の隠蔽体質。省が大きくなるにつけ、軍備を増強しているとしか思えない。
防衛省は、『化学学校記事』の発行元の化学学校にも、自分の所で発行した『化学学校記事』がいつまで発行されていたかは不明で、全部をきちんと保管していないと公然と言う。全く私には理解できない。まずい情報を隠しているとしか思えない。
自衛隊の化学学校が、防護を前面に出して、毒ガス兵器の開発。研究をしているのではないかと考えてしまう。
国民の税金をつぎ込んで作った化学学校の中で行われている研究がどんなものなのか、国民には、全く分からないのである。
最近、テレビなどでテロ対策として毒物の処理をする防毒マスクを付けた自衛隊員の光景を見るが、新たな毒物・毒ガスの研究は進められていないのだろうか?
実際『BC兵器』(久保綾三著、三省堂出版 1869年)には
『化学学校記事13号』の記事として以下のような記述がある。
陸上自衛隊化学学校長吉田大桂司1佐は「化学武器の様な内傷効果を与える武器」を「人道的である」として「現在において多発している低次元の戦争、紛争あるいは暴動において、無傷害化学剤が多く使え荒れている現実に注目しなければならない」と言い。「化学戦が現代戦ないしは将来戦の主役となり得る素地をもっている」し「生物武器についても、化学武器と同じことが言える」と述べている。
1957年・・・化学学校創立
1959年12月・・・『化学学校記事』創刊。
1964年・・・自衛隊化学学校、サリンの製造に成功
1968年・・・『化学学校史』の中に、この年まで『化学学校記事』の記載があり、その後は確認できないと防衛省は、言っている。
1970年・・・『化学学校記事16号』が発行されている。
1977年・・・化学学校『20年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。
1994年6月27日・・・松本サリン事件(この時に自衛隊は使われた毒物がサリンであることをいち早くつかんでいた、)
1995年・・・この年は、戦後50年で、革新勢力が政権(1994年6月30日~1995年8月8日)を取っていたが、自衛隊を容認するのか決断を迫られていた。 村山首相は、自衛隊の合憲、日の丸・君が代の容認した。3月20日、地下鉄サリン事件発生、その前から警察・自衛隊はオウム真理教でサリンを製造していることは分かっていた。オウムの信者の中に多数の自衛隊員がいた。化学学校の情報が洩れてはいなかったのか。サティアンでサリンを製造する時、土屋正美だけの力でプラントの建設は無理で、自衛隊化学学校の情報を入手してプラントを作ったり、解毒の方法が分かったのではないか。
又、事件発生後の、素早い化学学校の対応。化学学校はオウムが事件を起こすことを知っていたのではないか?サリン事件によって、化学学校の知名度、自衛隊の評価が上がる。この年になって日本の国会で「化学兵器禁止条約」批准可決・決定。(防御の為として、微量の毒ガスの生産は継続され、OPCWの査察を受けながら、研究・開発は続けている)
1997年・・・4月29日「化学兵器禁止条約」発効。2017年現在加盟国192か国。化学学校『40年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。価値ある情報だから載せているのだろう!!
1999年・・・7月30日、北京にて日本政府と中国政府による共通認識8項目を記載した「日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」が取り交わされた。
だが、遺棄弾処理は遅々として進まず、「化学兵器禁止条約」で規定された「10年以内の廃棄処理」(2007年)は実行できず、5年延長、さらに10年延長を申請し、2022年までにハルバ嶺30~40万を含む各地の遺棄化学兵器は処理しなければならない。
現在、遺棄化学兵器が発見・確認され保管されている地域は51カ所、OPCW(化学兵器禁止機関)に日本政府が申告した中国遺棄化学兵器総数は約56,149発である(ハルバ嶺の推定30~40万発は含まず)。
ABC企画委員会ホームページ、中国の遺棄毒ガス問題の項
※日本はかつて自衛のための戦争と言って、中国で大量の毒ガス兵器を使用した。そして、その事については、731部隊と同じく公式にきちんと謝罪していない。
そして、又、防護のためと称して毒ガス製造をしている。(化学兵器禁止条約に批准後も)
※1959年の『化学学校記事』の創刊号には次のような文言がある。
「今次大戦を境にあらゆる科学進歩には目覚ましいものがあり、今後益々躍進すると思いますが我々はこの機運に遅れないようあるいは先達としてCBR防護訓練に万全の努力を致す覚悟であります。その努力の一端として又化学学校創立2周年記念の意義を含めて、この度化学学校記事の発刊を計画した次第であります。」
オウム真理教のサリン合成に自衛隊の情報が洩れていなかったのか?信者に自衛隊員が多数いた。
また、サリンを製造するプラントの事は土屋正実だけでは分からないはずだ。サリン製造と自衛隊の関係をきちんと調べていない!!
松本教祖ら死刑囚13人 死刑執行焦点に
地下鉄サリン事件から23年、真相を語らなかった松本死刑囚 森達也氏「麻原裁判は、やり直されるべき」
●サリン事件と自衛隊の関係は??
長春にあった軍馬防疫廠100部隊で人体実験をした獣医たちの戦後の流れはどうなっているのだろうか?まさか加計学園に流れている??
●731部隊関連資料の情報公開裁判
・裁判は『衛生学校記事』『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』の情報公開を求めている。『衛生学校記事』は2013年11月に提訴して4年、第16回公判が昨年の12月21日に開かれた。14年9月に防衛医科大図書室から28冊発見・公開されて以降進展はない。『記事』が発行元の衛生学校に1冊も無いとは納得いかない。
『化学学校記事』は2016年9月に提訴、第6回公判が18年1月17日に開かれた。職員延べ98973名で調査したが1冊も保管されていないと主張している。
防衛省の「海上自衛隊たちかぜ」いじめ問題文書、「PKO日報」そして現政権による「森友、加計学園」等の防衛省、政府の文書資料隠蔽体質を追究する形で行って来た。そして今又、1年以上の隠蔽事実が明らかになった「イラク日報」、これらの状況を知ると「アメリカから返還された731部隊資料」は必ずあるはず!民主主義の基本である全ての情報公開実現を目指す。(『ABC企画NEWS113号』より)
・戦時中、支那派遣軍作戦主任参謀であった、井本熊男の『業務日誌』も、防衛省は、井本氏個人のプライバシーに関わるとして、公開を拒否している。この日誌は、井本本人も『業務日誌』としているように、個人的な日記ではなく、作戦主任参謀としての業務を記録したものであり、公文書の範疇に含まれる。これも公開してもらいたい。
“日報”1年分以上新たに発見 小野寺防衛相「不適切な対応」
命がけの活動の記録、「日報」の廃棄などあり得ない
●重慶大爆撃裁判
重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。
爆撃の効果
「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」とされる写真
爆撃への評価
重慶爆撃は、アメリカなどの連合国軍による日本本土空襲や広島・長崎への原子爆弾投下の正当性の根拠としても利用された。一方で、日本の戦争犯罪を裁く極東国際軍事裁判では、重慶爆撃は連合国による日本爆撃と相殺され起訴されておらず、無差別爆撃を唱え百一号作戦と百二号作戦を推し進めた井上成美海軍大将なども戦犯指定はされていない。
この爆撃による被害の規模については推測に頼る部分も大きい。さらに、それを日本軍がどの程度意図していたか、または作戦の付随的影響として許容されると判断していたかについても諸説あり、現在も論争の対象となっている。
不当判決!!
中国・重慶爆撃 2審も遺族敗訴 東京高裁 /東京
2017.12.15(毎日)
日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の1審・東京地裁判決を支
持し遺族らの請求を退けた。永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。
判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や四川省の各地を狙い爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。
祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。弁護団は上告する方針。
●憲法9条を世界へ普及させよう!!
イラク日報、空幕にも
オスプレイ 横田基地に5機到着 横浜の米軍施設から
9条の碑、沖縄に次々建立 「命どぅ宝」戦争体験者刻む
9条とあまりにもかい離した演習!!戦争をしないと憲法で謡っても、自衛の為の戦争はする??
隊員も、疑問を感じながら、演習しているのだろうか??
自衛他の為の戦争と言っても一旦戦争になれば、お互いに壊滅的な破壊がある!!地球全体の環境が脅かされる!!
日本版海兵隊、2020年代前半に沖縄へ 米部隊移転後
世界を変えるジェネレーションZ「もうたくさん。銃規制を」立ち上がるアメリカの高校生
【フロリダ高校乱射】「もう二度と」 米国の若者立ち上がる
「おびえる生活嫌だ」銃規制求め高校生ら大規模デモ(18/03/25)
米で高校生ら銃規制訴え大規模デモ 各国に広がる(18/03/25)
軍隊は肥大化し、世界の紛争に巻き込まれる!!(アメリカの軍事戦略を支持し、過去にしてきた犯罪をまた犯す!!)
自衛隊を無制限の武力を持つ軍隊に変容させる絶好の口実になります!!
9条に自衛隊明記は不要で極めて危険
日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●「天皇制」を考える
昭和天皇の731部隊を設置を裁可した責任、細菌戦・毒ガス戦を命じた責任、太平洋戦争の開戦を裁可した責任、敗戦を遅らせた責任はないのか??
大嘗祭反対!!
宮内庁 大嘗祭は来年11月14日、15日に
<新天皇即位>式典準備委の議事概要公開
昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼
「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版
公文書偽造で始まった明治維新! 現在も続く「官軍教育」の中で描かれた「偉人」たちの姿は「ウソ」ばかり!? 岩上安身による作家・歴史評論家・原田伊織氏インタビュー
平成の「大嘗祭」 政教分離との整合性で議論に
●ニュース
柳瀬氏、加計関係者との面会は官邸で3回 加計理事長とは首相の別荘地で
【速報中】柳瀬氏、特区関係事業者との面会は加計だけ
柳瀬元首相秘書官、加計学園関係者と3回面談 首相指示を否定
金子勝:ゴールデンラジオ 大竹紳士交遊録 2018.5.4
●侵略戦争!!
日中戦争全史年表
・1942年(昭和17)
1月1日 米・英・ソ・中の4国を筆頭に連合国26ヵ国がワシントンで「連合国共同宣言」に調印
1月22日 日本軍、ビルマに侵攻
2月15日 日本軍、シンガポール占領
3月8日 日本軍、ラングーン占領
3月 ジャワ島上陸、蘭印軍降伏
3月30日 北支那方面軍、華北で「第4次治安強化運動」展開(6月中旬まで)
4月18日 ドゥーリトル隊、東京・川崎・横浜・名古屋・神戸など日本の大都市を初空襲
4月30日 大本営、支那派遣軍に浙贛(せっかん)作戦を命令
4月 翼賛選挙
5月 珊瑚海海戦。翼賛政治会創立
5月上旬 日本軍、雲南省に侵攻
6月5日~7日 ミッドウェー海戦、日本連合艦隊の全面的敗北
9月 北支那方面軍、「北支那資源要覧」作成
10月8日 北支那方面軍、華北で「第5次治安強化運動」展開(12月10日まで)
11月1日 大東亜省設置(拓務省・興亜院・対満事務局・外務省東亜局・南洋局を吸収)
11月 米英軍北アフリカ上陸
12月 対華新政策決定
12月31日 大本営、ガダルカナル島撤退を決定
重慶大爆撃パネル展 2017年10月
「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」
中国侵略にまっしぐら!!
無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!!
空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃>
重慶爆撃
アメリカは、重慶大爆撃から学んで、日本の無差別空襲をした??
カーチス・ルメイは1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。
米軍による日本への無差別爆撃
本土空襲・全記録 2017 8 12 NHKスペシャル
重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!
昭和天皇が戦争狂になった訳
・安倍晋三の祖父は岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より
岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。
岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。
岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。
強制連行の決定
満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略
●2018年「戦争の加害」のパネル展:4月26日~5月2日 (於)かながわ県民センター
感想
4月26日(木)
・戦争 一方からの見立てでは公平?なんか無いが、この中国の後、日本も同じような事をアメリカにやられる。これは繰り返し起こることで教訓にしたい。(70代男性)
●731の実態
・731部隊というのは一旦入ったら、2度と出ることはできない気違い共の医者たちに目茶目茶に切り刻まれて実験で殺されてしまう。言い換えればあの部隊はるつぼのようなものなんですね。・・・・
白系ロシア人、通訳生が「これからみんなに予防接種するから」・・・連れて行った所が、
向こうは予防接種されると思うしね、殺しちゃう人間にえらく消毒する必要はないわね。一つのカモフラージュですよね。実際にもう試験する資材(マルタ)はもう飽和状態になっているわけ、要らないし、約1㏄(の青酸カリ)だからこんなもんですよね。鉛筆の頭ぐらいのもんですよね。このぐらい注射すると、あのでかいロシア人も音を立てないでパタッーっとひっくり返っちゃう。・・・・・・・
731(4)
第4回 日本軍による人体実験
闇に消された虐殺~731部隊
731部隊のドキュメンタリー
・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!
悪魔の飽食:復号731
●本の紹介
●特移扱(とくいあつかい)資料
朝鮮被害者李基洙の特移扱写真1
●今、731を問う!!
日本の平和団体(中国の養父母を訪ねる)が731部隊によって実験材料にされた犠牲者を2017年4月に慰霊した。4
謝恩と巡礼訪中報告会
謝恩訪中報告会第2部(今井先生のお話)
731部隊の展示会(中国)
特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
5、いまどんな議論が必要か
■立法府の動きにどう向き合うのか
―立法府での議論についても、無関心でいてはいけないと思いますが、いかがですか。
日本政府は、国会で「日本国みずからが自分の戦争犯罪について判断することも処置することもできない」などと無責任な答弁を繰り返してきました。しかし、裁判では、被害の存在を認定したのみならず、「国際慣習法による国家責任が生じていた」ことを認め、「何らかの対処をするかどうか、仮に何らかの対処をする場合にどのような内容の対処をするのかは、国会において」「高次の裁量により決すべき」とされました。立法府での議論が求められていると思います。
(月刊『前衛』より)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
●731部隊本部(平房)
●731部隊遺跡を世界遺産に!!
●福沢諭吉
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。
──「まさか」ですね。
まさに、まさかの連続でした。「学問のすすめ」だけを読んでも「分限(身の程)を知れ」「(自分の)身分に従え」など、およそ自由平等とは程遠い言葉が次々に出てくる。教育のない者を「無知文盲の愚民」と呼び、そうした人々を支配するには力ずくで脅すしかないと言いきっています。独裁者でもここまで露骨なことは言えません。
(構成 桐島 瞬)
※週刊朝日 2017年1月27日号
●戦争に反対した人々
槇村浩
槇村 浩(まきむら こう、1912年6月1日 - 1938年9月3日)、は、日本のプロレタリア詩人。本名:吉田 豊道(よしだ とよみち)
間島パルチザンの歌
槇村浩
雲は南にちぎれ
熱風は田のくろに流れる
山から山に雨乞ひに行く村びとの中に
父のかついだ鍬先を凝視みつめながら
眼暈ひのする空き腹をこらへて
姉と手をつないで越えて行った
あの長い坂路よ
今の天皇は現王朝が出来てから四代目(孝明天皇で前王朝は終了し、明治天皇から新王朝が始まっている)
●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
天皇の権限は絶大であった!!
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕
・昭和天皇の戦争責任は?
「日米戦争への道」を進めた主たる要因と責任は、日本の軍部・政府の戦争指導体制が無責任なものであったことと、国民の側にそれを阻止し、チェックする能力が無かったことである。日本の戦争指導体制は、政府と軍中央が対立、軍中央も陸軍と海軍に対立、(特に陸軍において)軍中央と現地軍との対立・齟齬、さらに陸軍中央でも参謀本部と陸軍省、海軍中央でも軍令部と海軍省の対立・亀裂等々、枚挙にいとまがないほど分散、対立し、総体として無責任な体制にあった。名目上は天皇が国政の主権者であり、最高の統帥権者あったために、天皇に代わって軍政を統一して、総合的に戦争を指導する責任者と責任機関が無かった。それだけでなく、戦争政策については、軍部の拡大派や現地軍が政府や軍中央の統制を無視して戦線を拡大し、占領政策を強化しても、天皇はそれを追認し、むしろ激励する役割を繰り返しはたしてきたのである。その意味では、日本の無責任な戦争指導体制を支え、補完していたのが昭和天皇であった。
(『日中全面戦争と海軍』(笠原十九司著:青木書店)
・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
第4章摂政時代と大正デモクラシーの危機
Ⅳ
いまや彼は、陸軍の特定のグループが陸相宇垣に反発していることを認識していた。奈良はおそらく、中堅・若手将校の間の不満と不服従の傾向は、時代の反軍国主義的雰囲気と、進行中の軍縮にする反発であると彼に述べたはずだ。彼はこの報告を冷静に受け止めたと思われる。24歳の彼は、そうした不満が何をもたらすか予想できず、それが将来の彼自身の禍の前兆であることに気づかなかっただろう。彼は現役将校の学校派遣に同意したことで、自分たちこそ社会道徳のリーダーだとする軍人の思い上がりに、無意識に賛成したことになる。そのことによって彼は、国家総力戦のための総動員準備を大きく前進させる結果になった。
※天皇の神聖性や国家無答責は、おかしな思想ではないか!!
※裕仁は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!!
戦争の記憶は消えない!!
英仏では昭和天皇がトップだった。
※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!!
日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア
井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)
※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)
寧波(ニンポー)細菌戦
麗水細菌
日本軍の毒ガス戦・細菌戦!!
・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!
中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!
夏草をふみしめ遺跡の前に跪(ひざまず)く
オバケ煙突の下、不気味に笑う悪魔の目鼻
ここで焼却されたマルタは虚空に消えた
その無念の粒子を今なお人々は呼吸する
この空間には癒されぬ死の怨霊がくすぶり続ける
だが誰もそのことを声高に語ろうとしない
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■ヘルマン・フォスの日記
「すべての対立は、結局、ボルシェヴィズムとナチズムの対立に帰せられる。チェコでは赤どもがすでに権力を握っているだからだ。この野獣どもには火薬と弾丸しか役に立たない。」(1938年9月16日)
「昨日わたしは地下の死体置場と、これも地下にある焼却炉を見てきた。この焼却炉は、解剖実験教育で残った死体の部分を片付けるために使われるものだった。今ではこれは処刑されたポーランド人の死体を焼却するために使われている。ほとんど毎日、グレーの制服を着たゲシュタポのSS隊員が乗ったグレーの車がやって来て、焼却材料を持って来る。しかし昨日は焼却炉が使われなかったので、わたしたちはその内部を見ることができた。中には4人のポーランド人の灰があった。すべての組織が焼かれてしまうと、1人の人間の身体で残るものはなんと少ないことか。このような焼却炉を見せてもらって、わたしは安心することができた。ネイ将軍も処刑される前に、間もなく一握りの灰になってしまうだけだ、と言ったではないか。ポーランド人は最近ずいぶん厚かましくなっており、そのため焼却炉はフル活動だ。彼らの社会全体をこのような焼却炉にぶち込んでしまうことができたらいい。そうすればドイツ民族は東でやっと安心していられるだろう。」
(1941年6月15日)
差別や偏見 目をそらさないで 高校生ら 劇で訴え HIV、ハンセン病題材に
強制不妊手術 都が1000超の医療機関を独自調査
旧優生保護法で強制不妊手術「人生を返して」
強制的に「不妊手術」させられたーー60代女性が訴える「旧優生保護法」の問題とは?
※Internet Explorer よりグーグルクローム(Google Chrome)で見るとスムーズに画面が動きます。
●731部隊の実態
●『陸軍軍医学校50年史』(1936年)より
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」
●自衛隊と日航機墜落事故の関係は??
●サリン事件と自衛隊の関係は??
●不二越強制連行問題!!
●「福島の今」
●結核予防接種と人体実験
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●中国・北朝鮮脅威論を超えて 2018.3.28 緊急市民集会
●731部隊の構成全容明らかに!!
●731部隊将校の学位の取消しを!!
●H・アスペルガー医師、ナチスに「積極的に協力」か 研究
●731部隊の構成全容明らかに 国立公文書館が名簿開示
4/14(土) 22:31配信 京都新聞
約3000人の隊員実名が記載された関東軍防疫給水部(731部隊)の留守名簿。国立公文書館が公開した
ペストを投与した人体実験の疑いがある論文の検証を要請している「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」(京都市中京区)が14日、京都大で記者会見し、国立公文書館から関東軍防疫給水部・731部隊「留守名簿」の開示を受けたと発表した。
軍医や技師、看護婦など役種と階級、留守宅を記載したもので、3607人が実名で記されていた。研究者は「731部隊構成の全容が分かる第1級の資料。政府が詳細な公文書を保管していたことが戦後70年以上たって初めて明らかにできた」と話している。
今年1月に公開されたのは、敗戦約半年前に作成された名簿。2016年に開示請求した際は「親族や戦犯とその親族を特定する情報」だとしてほぼ黒塗りの部分開示だったが、引き続き開示を求めていた。同会事務局長の西山勝夫滋賀医科大名誉教授が分析したところ、軍医52人、技師49人、雇員1275人、衛生兵1117人など731部隊の構成が判明。戦後に京都大医学部長を務めた故岡本耕造教授(戦前は講師)は「技師4等」の処遇だった。
また同会では、京都大文書館から、戦後に京都府立医大学長を務めた故吉村寿人・京大医学部講師ら京大医学部の講師クラスの研究者6人が731部隊派遣を発令された日時や旧陸軍での階級を特定できる文書「学報」(1938年・京大庶務課作成)も発掘した。同会は今月、京大に対し、731部隊所属者に関係する文書の開示請求を行っている。
14日は同会主催の講演会「研究者が戦争に協力する時 731部隊の生体実験をめぐって」があり、約150人が参加。常石敬一・神奈川大名誉教授が京大出身の731部隊軍医少佐が博士論文として提出したペスト菌特殊実験について講演し、「ペストに感染させたノミが石井部隊の主要な生物兵器だった。人体実験した論文を得難い実験として評価したのは京大に問題がある」と指摘した。
●中国人細菌戦被害者ビザ発給拒否裁判
内閣人事局撤廃!!忖度政治は、やめてくれ!!
次回は6月8日(金)10:30~東京地裁415号法廷
3月9日の第8回ビザ発給拒否裁判では、裁判長は変わった。これで3人目。前回の裁判長は、外務省になぜ今回だけビザ発給をしなかったのか強く理由を求めたが、
今度の裁判長も、この事を、国側に、きちんと回答するように求めてもらいたい。
9日の裁判では、外務省は、はっきりしたストレートな回答をしなかった。今まで同様、ビザ発給は外務省の裁量であるとか、身元保証の問題を口にする。
2015年の集会の前までは、中国の細菌戦被害者遺族を日本に招くことが出来たのに、なぜ2015年の11月の集会には、外務省はビザ発給をしなかったのか?
外務省の官僚が、2015年9月に安倍政権が強行した戦争法成立に忖度して、集会のチラシにある「戦争法の廃止を求め、・・・」に敏感に反応したのか?
それとも歴史の改ざんを目論む安倍政権が、これまで日本政府が細菌戦を公式に認めて、謝罪していないことから、政権側の指示で外務省が細菌戦被害者遺族のビザを発給をやめたのか。次回裁判では、当時、ビザ発給に関わった外務省の官僚を証人として証言を求めたい!!
安倍政権の、歴史修正主義の影響を外務省は受けていないのか??
ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟
《ビザ発給拒否》裁判!!
ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!!
外務省が集会参加予定の中国人12人にビザ発給せず――細菌戦被害者ら入国拒否
当時の集会の模様
中国人細菌戦被害者遺族は、なぜいない?
●軍学共同反対!!
岡山大、東海大、東京工科大、東京農工大へ抗議しよう!!
軍学共同反対連絡会のニュースレター18号
防衛装備庁助成の研究中止求める 岡山大に反対団体が申し入れ
●日中全面戦争・南京大虐殺81ヵ年!!
政府は、森友・加計問題を必死に隠し、731・南京・慰安婦・重慶などの加害事実も隠す!!
・南京大虐殺の証言
日本軍が南京を占領した時、私は西善橋に住んでいました。私は実家のお婆さんの甥の嫁が、背中に子供を背負ったまま日本兵に撃ち殺されてしまったのをこの眼で見ましたが、死体すら片付けられませんでした。お隣の潘お婆さんは目が見えませんでしたが、やはり撃ち殺されました。私自身は水西門の城門の所で日本兵にびんたをなぐられました。家には塩埠頭に3部屋の大きな瓦葺きと2部屋の藁葺きとがありましたが、その時みんな日本軍に焼き払われてしまいました。(尚文蘭と孫秀蘭と夏龍生が記録)
驚くことに、海軍は8月15日から当時の中国の首都南京を爆撃している!!
日中戦争全史年表
南京大虐殺80ヵ年
日本政府の今までの全く誠意のない対応!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた
村上春樹「騎士団長殺し」 2週連続首位=韓国
2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!
戦争の反省の無い頭!!
3、南京大虐殺までの経緯
7月7日 盧溝橋事件
不拡大派(石原莞爾)と拡大派(武藤章)の対立・・・参謀本部は内地3個師団の華北派兵と支那駐屯軍の武力行使を指示。
7月27日 日本軍は第29軍に対し、北京・天津を明け渡せと最後通牒を発し、29日には北京・天津及び要地を占領。
7月29日 通州事件・・・中国陥落区の通州(現:北京市通州区)において冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が日本軍の通州守備隊・通州特務機関及び日本人居留民を襲撃した事件。通州守備隊は包囲下に置かれ、通州特務機関は壊滅し、猟奇的な殺害、処刑が行われた。
※冀東防共自治政府保安隊は、日本軍の支那駐屯軍から派遣された将兵により軍事訓練が施された治安部隊であり、教導総隊及び第一、第二、第三、第四の五個総隊で編成されていた。
8月9日 (日本軍の謀略) 大山事件起こす。
上海海軍特別陸戦隊中隊長の大山勇夫海軍中尉(海軍兵学校第60期卒業、死後海軍大尉に特進)と斎藤與蔵一等水兵(死後三等兵曹に特進)が殺害された事件である。中国側からは「虹橋機場事件」と呼ばれる。日本側は、これを中国軍のしわざだと考え、この事件が第二次上海事変のきっかけの一つになった。
8月13日 第2次上海事変(海軍陸戦隊と中国軍の戦端が開かれる。)
8月15日 第3師団と第11師団よりなる上海派遣軍の「編組」と上海への派兵。(上海派遣軍司令官:松井石根)
8月15日の渡洋爆撃にはじまって、12月13日の中支那方面軍の南京占領に至るまで、海軍航空隊の南京空襲は50数回に及び、参加延機数は900余機、投下爆弾は数百トンに及んだ。
8月29日 南京駐在の欧米5ヵ国の外交代表、南京空襲に抗議し、爆撃停止を求める抗議書を日本に提出。
●情報公開!! 特定秘密保護法撤廃!!
・「衛生学校記事」情報公開裁判
次回は、7月12日(木)15:00~東京地裁419号法廷。
裁判長も被告防衛省側の期間・人員を多く使って調査した概括的な報告書の具体的な説明を求めたが、防衛省側は具体的な説明はしなかった。
また、「衛生学校記事」の後継である「ふかみどり」の編集に携わった人に、いろいろと問い質したら、いろいろな事も分かるだろうと原告側は主張し、被告側も応じる姿勢を見せた。
防衛省内の機関で正式に予算を取って、作られていた機関誌を、簡単に行政文書でないからと言って、廃棄していいものだろうか??
防衛省は言う、「確かに,発刊当時の昭和32年当時においては最新ともいえる医学領域等を中心とした学術情報も掲載されていた可能性はあり得る。しかしながら,学術・科学が日進月歩する中にあって、半世紀前に発刊された機関誌をなお、組織として保秘しておくべき要請は全くなく」と。
然し、国民の税金で作ったれっきとした機関誌であり、公文書である。どんな研究をしてきたかを書いた大事な機関紙である!!
自衛隊の研究成果は、国民にもきちんと知らせるべきである。
防衛省は強いて言えば「衛生学校記事」「化学学校記事」を図書であると言いながら、行政文書として扱って捜し、図書館・図書室などをきちんと探していないようだ。自衛隊の機関の研究内容は、より透明性が必要だ!!また、衛生学校長であった金原節三氏の遺族から寄贈された資料に関して、衛生学校や防衛研究所図書館への資料の移管に関する記録も存在しないと公然と主張する!!寄贈されたものを、こんな杜撰な管理の仕方でいいのだろうか??機関誌を情報公開法の行政文書として扱うのではなく、歴史的に価値ある公文書として扱い、国民に公開してもらいたい。
30年経過したらきちんと情報を公開してください!!
米国は、放送局の電波停止権限を規定する放送法など「メディアに対する規制枠組みを懸念」しているとして、政府から独立した監督機関の設立を提言。
日本の「報道の自由」に懸念=5年ぶり審査で国連人権理
公文書の在り方
自民党が、憲法に「自衛隊」を明記すると言っているが、その自衛隊で今何が行われているのだろうか??
北朝鮮に経済的・軍事的圧力を日米軍事同盟の枠の中でアメリカと一緒にやれば、日本は、北の標的になるのではないか?
日米軍事同盟の中でどんな協力・研究開発が進められているのか、国民には全く説明がない!!すべて機密??
今回の空自のヘリの事故原因やF4戦闘機の事故の説明はきちんと公表されるのであろうか??
自衛隊の中にも、緩みやあるのではないか??ヘリに何があったのか、防衛省は果して原因を公表するであろうか??
憲法9条では、「戦力の不保持」と謳いながら、現実には、9条をないがしろにして、着々と強力な兵器を開発、保持しているのではないか??
『衛生学校記事』情報公開裁判
森友・加計問題と同じように問題となる証拠は全て廃棄したことにする??
国民が知りたいことは、今の防衛省の機関で、どんな研究がされているかという事なのだ!!防衛省・自衛隊でやっていることは全くの秘密では、シビアリアンコントロールなで出来やしない!!
防御の為と言って、生物兵器・毒ガス兵器・核兵器の開発がされているのではないかという疑念にしっかりと防衛省は答えてもらいたい!!
時間をいたずらに伸ばすことなく、防衛省にはしっかりとした説明責任が求められている!!
海底700mから自衛隊機を引き上げられるのだから、日航機も引き上げられるのでは??
海底700メートル、機体の一部か 浜松沖ヘリ墜落
自衛隊と日航機墜落事故の関係は??
加計問題!!証拠を隠すな!!
サリン事件と自衛隊の関係は??
陸上自衛隊化学学校における毒ガス問題 2013年
・情報公開裁判(「化学学校記事」)第6回 2018年7月4日(水)11:30~東京地裁522号法廷
防衛省の日報問題で、明らかになった防衛省の隠蔽体質。省が大きくなるにつけ、軍備を増強しているとしか思えない。
防衛省は、『化学学校記事』の発行元の化学学校にも、自分の所で発行した『化学学校記事』がいつまで発行されていたかは不明で、全部をきちんと保管していないと公然と言う。全く私には理解できない。まずい情報を隠しているとしか思えない。
自衛隊の化学学校が、防護を前面に出して、毒ガス兵器の開発。研究をしているのではないかと考えてしまう。
国民の税金をつぎ込んで作った化学学校の中で行われている研究がどんなものなのか、国民には、全く分からないのである。
最近、テレビなどでテロ対策として毒物の処理をする防毒マスクを付けた自衛隊員の光景を見るが、新たな毒物・毒ガスの研究は進められていないのだろうか?
実際『BC兵器』(久保綾三著、三省堂出版 1869年)には
『化学学校記事13号』の記事として以下のような記述がある。
陸上自衛隊化学学校長吉田大桂司1佐は「化学武器の様な内傷効果を与える武器」を「人道的である」として「現在において多発している低次元の戦争、紛争あるいは暴動において、無傷害化学剤が多く使え荒れている現実に注目しなければならない」と言い。「化学戦が現代戦ないしは将来戦の主役となり得る素地をもっている」し「生物武器についても、化学武器と同じことが言える」と述べている。
1957年・・・化学学校創立
1959年12月・・・『化学学校記事』創刊。
1964年・・・自衛隊化学学校、サリンの製造に成功
1968年・・・『化学学校史』の中に、この年まで『化学学校記事』の記載があり、その後は確認できないと防衛省は、言っている。
1970年・・・『化学学校記事16号』が発行されている。
1977年・・・化学学校『20年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。
1994年6月27日・・・松本サリン事件(この時に自衛隊は使われた毒物がサリンであることをいち早くつかんでいた、)
1995年・・・この年は、戦後50年で、革新勢力が政権(1994年6月30日~1995年8月8日)を取っていたが、自衛隊を容認するのか決断を迫られていた。 村山首相は、自衛隊の合憲、日の丸・君が代の容認した。3月20日、地下鉄サリン事件発生、その前から警察・自衛隊はオウム真理教でサリンを製造していることは分かっていた。オウムの信者の中に多数の自衛隊員がいた。化学学校の情報が洩れてはいなかったのか。サティアンでサリンを製造する時、土屋正美だけの力でプラントの建設は無理で、自衛隊化学学校の情報を入手してプラントを作ったり、解毒の方法が分かったのではないか。
又、事件発生後の、素早い化学学校の対応。化学学校はオウムが事件を起こすことを知っていたのではないか?サリン事件によって、化学学校の知名度、自衛隊の評価が上がる。この年になって日本の国会で「化学兵器禁止条約」批准可決・決定。(防御の為として、微量の毒ガスの生産は継続され、OPCWの査察を受けながら、研究・開発は続けている)
1997年・・・4月29日「化学兵器禁止条約」発効。2017年現在加盟国192か国。化学学校『40年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。価値ある情報だから載せているのだろう!!
1999年・・・7月30日、北京にて日本政府と中国政府による共通認識8項目を記載した「日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」が取り交わされた。
だが、遺棄弾処理は遅々として進まず、「化学兵器禁止条約」で規定された「10年以内の廃棄処理」(2007年)は実行できず、5年延長、さらに10年延長を申請し、2022年までにハルバ嶺30~40万を含む各地の遺棄化学兵器は処理しなければならない。
現在、遺棄化学兵器が発見・確認され保管されている地域は51カ所、OPCW(化学兵器禁止機関)に日本政府が申告した中国遺棄化学兵器総数は約56,149発である(ハルバ嶺の推定30~40万発は含まず)。
ABC企画委員会ホームページ、中国の遺棄毒ガス問題の項
※日本はかつて自衛のための戦争と言って、中国で大量の毒ガス兵器を使用した。そして、その事については、731部隊と同じく公式にきちんと謝罪していない。
そして、又、防護のためと称して毒ガス製造をしている。(化学兵器禁止条約に批准後も)
※1959年の『化学学校記事』の創刊号には次のような文言がある。
「今次大戦を境にあらゆる科学進歩には目覚ましいものがあり、今後益々躍進すると思いますが我々はこの機運に遅れないようあるいは先達としてCBR防護訓練に万全の努力を致す覚悟であります。その努力の一端として又化学学校創立2周年記念の意義を含めて、この度化学学校記事の発刊を計画した次第であります。」
オウム真理教のサリン合成に自衛隊の情報が洩れていなかったのか?信者に自衛隊員が多数いた。
また、サリンを製造するプラントの事は土屋正実だけでは分からないはずだ。サリン製造と自衛隊の関係をきちんと調べていない!!
松本教祖ら死刑囚13人 死刑執行焦点に
地下鉄サリン事件から23年、真相を語らなかった松本死刑囚 森達也氏「麻原裁判は、やり直されるべき」
●サリン事件と自衛隊の関係は??
長春にあった軍馬防疫廠100部隊で人体実験をした獣医たちの戦後の流れはどうなっているのだろうか?まさか加計学園に流れている??
●731部隊関連資料の情報公開裁判
・裁判は『衛生学校記事』『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』の情報公開を求めている。『衛生学校記事』は2013年11月に提訴して4年、第16回公判が昨年の12月21日に開かれた。14年9月に防衛医科大図書室から28冊発見・公開されて以降進展はない。『記事』が発行元の衛生学校に1冊も無いとは納得いかない。
『化学学校記事』は2016年9月に提訴、第6回公判が18年1月17日に開かれた。職員延べ98973名で調査したが1冊も保管されていないと主張している。
防衛省の「海上自衛隊たちかぜ」いじめ問題文書、「PKO日報」そして現政権による「森友、加計学園」等の防衛省、政府の文書資料隠蔽体質を追究する形で行って来た。そして今又、1年以上の隠蔽事実が明らかになった「イラク日報」、これらの状況を知ると「アメリカから返還された731部隊資料」は必ずあるはず!民主主義の基本である全ての情報公開実現を目指す。(『ABC企画NEWS113号』より)
・戦時中、支那派遣軍作戦主任参謀であった、井本熊男の『業務日誌』も、防衛省は、井本氏個人のプライバシーに関わるとして、公開を拒否している。この日誌は、井本本人も『業務日誌』としているように、個人的な日記ではなく、作戦主任参謀としての業務を記録したものであり、公文書の範疇に含まれる。これも公開してもらいたい。
“日報”1年分以上新たに発見 小野寺防衛相「不適切な対応」
命がけの活動の記録、「日報」の廃棄などあり得ない
●重慶大爆撃裁判
重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。
爆撃の効果
「防空壕に戻ろうとして踏みつけられたり窒息したりして死亡した人々」とされる写真
爆撃への評価
重慶爆撃は、アメリカなどの連合国軍による日本本土空襲や広島・長崎への原子爆弾投下の正当性の根拠としても利用された。一方で、日本の戦争犯罪を裁く極東国際軍事裁判では、重慶爆撃は連合国による日本爆撃と相殺され起訴されておらず、無差別爆撃を唱え百一号作戦と百二号作戦を推し進めた井上成美海軍大将なども戦犯指定はされていない。
この爆撃による被害の規模については推測に頼る部分も大きい。さらに、それを日本軍がどの程度意図していたか、または作戦の付随的影響として許容されると判断していたかについても諸説あり、現在も論争の対象となっている。
不当判決!!
中国・重慶爆撃 2審も遺族敗訴 東京高裁 /東京
2017.12.15(毎日)
日中戦争中、旧日本軍による中国・重慶市や周辺への爆撃で家族が犠牲になったなどとして、中国人遺族ら約240人が日本政府に謝罪と総額18億円余りの損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は14日、請求を棄却した2015年2月の1審・東京地裁判決を支
持し遺族らの請求を退けた。永野厚郎裁判長は、爆撃による被害を認めた上で「原告には当時の国際法に基づく損害賠償請求権がなく、民法の規定でも国は損害賠償責任を負わない」と述べた。
判決によると、旧日本軍は1938年以降、蒋介石政権が首都を置いていた重慶の市街地や四川省の各地を狙い爆撃を繰り返し、多数の市民が犠牲になったとの記録がある。
祖母とおばを亡くしたという原告の男性は判決後に記者会見し「日本政府が歴史問題にもっと誠実に向き合えば両国の関係が改善するとの思いで取り組んできたが、被害者を傷つける判決で納得できない」と話した。弁護団は上告する方針。
●憲法9条を世界へ普及させよう!!
イラク日報、空幕にも
オスプレイ 横田基地に5機到着 横浜の米軍施設から
9条の碑、沖縄に次々建立 「命どぅ宝」戦争体験者刻む
9条とあまりにもかい離した演習!!戦争をしないと憲法で謡っても、自衛の為の戦争はする??
隊員も、疑問を感じながら、演習しているのだろうか??
自衛他の為の戦争と言っても一旦戦争になれば、お互いに壊滅的な破壊がある!!地球全体の環境が脅かされる!!
日本版海兵隊、2020年代前半に沖縄へ 米部隊移転後
世界を変えるジェネレーションZ「もうたくさん。銃規制を」立ち上がるアメリカの高校生
【フロリダ高校乱射】「もう二度と」 米国の若者立ち上がる
「おびえる生活嫌だ」銃規制求め高校生ら大規模デモ(18/03/25)
米で高校生ら銃規制訴え大規模デモ 各国に広がる(18/03/25)
軍隊は肥大化し、世界の紛争に巻き込まれる!!(アメリカの軍事戦略を支持し、過去にしてきた犯罪をまた犯す!!)
自衛隊を無制限の武力を持つ軍隊に変容させる絶好の口実になります!!
9条に自衛隊明記は不要で極めて危険
日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●「天皇制」を考える
昭和天皇の731部隊を設置を裁可した責任、細菌戦・毒ガス戦を命じた責任、太平洋戦争の開戦を裁可した責任、敗戦を遅らせた責任はないのか??
大嘗祭反対!!
宮内庁 大嘗祭は来年11月14日、15日に
<新天皇即位>式典準備委の議事概要公開
昭和3年(1928年) 昭和天皇 即位の大礼
「明治日本の産業革命遺産」と強制労働 映像版
公文書偽造で始まった明治維新! 現在も続く「官軍教育」の中で描かれた「偉人」たちの姿は「ウソ」ばかり!? 岩上安身による作家・歴史評論家・原田伊織氏インタビュー
平成の「大嘗祭」 政教分離との整合性で議論に
●ニュース
柳瀬氏、加計関係者との面会は官邸で3回 加計理事長とは首相の別荘地で
【速報中】柳瀬氏、特区関係事業者との面会は加計だけ
柳瀬元首相秘書官、加計学園関係者と3回面談 首相指示を否定
金子勝:ゴールデンラジオ 大竹紳士交遊録 2018.5.4
●侵略戦争!!
日中戦争全史年表
・1942年(昭和17)
1月1日 米・英・ソ・中の4国を筆頭に連合国26ヵ国がワシントンで「連合国共同宣言」に調印
1月22日 日本軍、ビルマに侵攻
2月15日 日本軍、シンガポール占領
3月8日 日本軍、ラングーン占領
3月 ジャワ島上陸、蘭印軍降伏
3月30日 北支那方面軍、華北で「第4次治安強化運動」展開(6月中旬まで)
4月18日 ドゥーリトル隊、東京・川崎・横浜・名古屋・神戸など日本の大都市を初空襲
4月30日 大本営、支那派遣軍に浙贛(せっかん)作戦を命令
4月 翼賛選挙
5月 珊瑚海海戦。翼賛政治会創立
5月上旬 日本軍、雲南省に侵攻
6月5日~7日 ミッドウェー海戦、日本連合艦隊の全面的敗北
9月 北支那方面軍、「北支那資源要覧」作成
10月8日 北支那方面軍、華北で「第5次治安強化運動」展開(12月10日まで)
11月1日 大東亜省設置(拓務省・興亜院・対満事務局・外務省東亜局・南洋局を吸収)
11月 米英軍北アフリカ上陸
12月 対華新政策決定
12月31日 大本営、ガダルカナル島撤退を決定
重慶大爆撃パネル展 2017年10月
「重慶大爆撃」を描く!!「日本は恥じるべき加害国」
中国侵略にまっしぐら!!
無差別爆撃、空襲はこうして始まった!!日本軍の重慶大爆撃!!
空襲のはじまり、日本軍の重慶大爆撃>
重慶爆撃
アメリカは、重慶大爆撃から学んで、日本の無差別空襲をした??
カーチス・ルメイは1964年12月7日、日本に返還されたばかりの入間基地(旧・ジョンソン基地)で、勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。
米軍による日本への無差別爆撃
本土空襲・全記録 2017 8 12 NHKスペシャル
重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!
昭和天皇が戦争狂になった訳
・安倍晋三の祖父は岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より
岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。
岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。
岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。
強制連行の決定
満州事変は日本が麻薬商売でぼろ儲けする為に行なった極悪非道な侵略
●2018年「戦争の加害」のパネル展:4月26日~5月2日 (於)かながわ県民センター
感想
4月26日(木)
・戦争 一方からの見立てでは公平?なんか無いが、この中国の後、日本も同じような事をアメリカにやられる。これは繰り返し起こることで教訓にしたい。(70代男性)
●731の実態
・731部隊というのは一旦入ったら、2度と出ることはできない気違い共の医者たちに目茶目茶に切り刻まれて実験で殺されてしまう。言い換えればあの部隊はるつぼのようなものなんですね。・・・・
白系ロシア人、通訳生が「これからみんなに予防接種するから」・・・連れて行った所が、
向こうは予防接種されると思うしね、殺しちゃう人間にえらく消毒する必要はないわね。一つのカモフラージュですよね。実際にもう試験する資材(マルタ)はもう飽和状態になっているわけ、要らないし、約1㏄(の青酸カリ)だからこんなもんですよね。鉛筆の頭ぐらいのもんですよね。このぐらい注射すると、あのでかいロシア人も音を立てないでパタッーっとひっくり返っちゃう。・・・・・・・
731(4)
第4回 日本軍による人体実験
闇に消された虐殺~731部隊
731部隊のドキュメンタリー
・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!
悪魔の飽食:復号731
●本の紹介
●特移扱(とくいあつかい)資料
朝鮮被害者李基洙の特移扱写真1
●今、731を問う!!
日本の平和団体(中国の養父母を訪ねる)が731部隊によって実験材料にされた犠牲者を2017年4月に慰霊した。4
謝恩と巡礼訪中報告会
謝恩訪中報告会第2部(今井先生のお話)
731部隊の展示会(中国)
特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
5、いまどんな議論が必要か
■立法府の動きにどう向き合うのか
―立法府での議論についても、無関心でいてはいけないと思いますが、いかがですか。
日本政府は、国会で「日本国みずからが自分の戦争犯罪について判断することも処置することもできない」などと無責任な答弁を繰り返してきました。しかし、裁判では、被害の存在を認定したのみならず、「国際慣習法による国家責任が生じていた」ことを認め、「何らかの対処をするかどうか、仮に何らかの対処をする場合にどのような内容の対処をするのかは、国会において」「高次の裁量により決すべき」とされました。立法府での議論が求められていると思います。
(月刊『前衛』より)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!
●731部隊本部(平房)
●731部隊遺跡を世界遺産に!!
●福沢諭吉
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。
──「まさか」ですね。
まさに、まさかの連続でした。「学問のすすめ」だけを読んでも「分限(身の程)を知れ」「(自分の)身分に従え」など、およそ自由平等とは程遠い言葉が次々に出てくる。教育のない者を「無知文盲の愚民」と呼び、そうした人々を支配するには力ずくで脅すしかないと言いきっています。独裁者でもここまで露骨なことは言えません。
(構成 桐島 瞬)
※週刊朝日 2017年1月27日号
●戦争に反対した人々
槇村浩
槇村 浩(まきむら こう、1912年6月1日 - 1938年9月3日)、は、日本のプロレタリア詩人。本名:吉田 豊道(よしだ とよみち)
間島パルチザンの歌
槇村浩
雲は南にちぎれ
熱風は田のくろに流れる
山から山に雨乞ひに行く村びとの中に
父のかついだ鍬先を凝視みつめながら
眼暈ひのする空き腹をこらへて
姉と手をつないで越えて行った
あの長い坂路よ
今の天皇は現王朝が出来てから四代目(孝明天皇で前王朝は終了し、明治天皇から新王朝が始まっている)
●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
天皇の権限は絶大であった!!
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕
・昭和天皇の戦争責任は?
「日米戦争への道」を進めた主たる要因と責任は、日本の軍部・政府の戦争指導体制が無責任なものであったことと、国民の側にそれを阻止し、チェックする能力が無かったことである。日本の戦争指導体制は、政府と軍中央が対立、軍中央も陸軍と海軍に対立、(特に陸軍において)軍中央と現地軍との対立・齟齬、さらに陸軍中央でも参謀本部と陸軍省、海軍中央でも軍令部と海軍省の対立・亀裂等々、枚挙にいとまがないほど分散、対立し、総体として無責任な体制にあった。名目上は天皇が国政の主権者であり、最高の統帥権者あったために、天皇に代わって軍政を統一して、総合的に戦争を指導する責任者と責任機関が無かった。それだけでなく、戦争政策については、軍部の拡大派や現地軍が政府や軍中央の統制を無視して戦線を拡大し、占領政策を強化しても、天皇はそれを追認し、むしろ激励する役割を繰り返しはたしてきたのである。その意味では、日本の無責任な戦争指導体制を支え、補完していたのが昭和天皇であった。
(『日中全面戦争と海軍』(笠原十九司著:青木書店)
・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
第4章摂政時代と大正デモクラシーの危機
Ⅳ
いまや彼は、陸軍の特定のグループが陸相宇垣に反発していることを認識していた。奈良はおそらく、中堅・若手将校の間の不満と不服従の傾向は、時代の反軍国主義的雰囲気と、進行中の軍縮にする反発であると彼に述べたはずだ。彼はこの報告を冷静に受け止めたと思われる。24歳の彼は、そうした不満が何をもたらすか予想できず、それが将来の彼自身の禍の前兆であることに気づかなかっただろう。彼は現役将校の学校派遣に同意したことで、自分たちこそ社会道徳のリーダーだとする軍人の思い上がりに、無意識に賛成したことになる。そのことによって彼は、国家総力戦のための総動員準備を大きく前進させる結果になった。
※天皇の神聖性や国家無答責は、おかしな思想ではないか!!
※裕仁は、自ら細菌戦に強い関心があったのではないか??宮内庁は資料を公開せよ!!
戦争の記憶は消えない!!
英仏では昭和天皇がトップだった。
※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!!
日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア
井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)
※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)
寧波(ニンポー)細菌戦
麗水細菌
日本軍の毒ガス戦・細菌戦!!
・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!
中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!
夏草をふみしめ遺跡の前に跪(ひざまず)く
オバケ煙突の下、不気味に笑う悪魔の目鼻
ここで焼却されたマルタは虚空に消えた
その無念の粒子を今なお人々は呼吸する
この空間には癒されぬ死の怨霊がくすぶり続ける
だが誰もそのことを声高に語ろうとしない
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
■ヘルマン・フォスの日記
「すべての対立は、結局、ボルシェヴィズムとナチズムの対立に帰せられる。チェコでは赤どもがすでに権力を握っているだからだ。この野獣どもには火薬と弾丸しか役に立たない。」(1938年9月16日)
「昨日わたしは地下の死体置場と、これも地下にある焼却炉を見てきた。この焼却炉は、解剖実験教育で残った死体の部分を片付けるために使われるものだった。今ではこれは処刑されたポーランド人の死体を焼却するために使われている。ほとんど毎日、グレーの制服を着たゲシュタポのSS隊員が乗ったグレーの車がやって来て、焼却材料を持って来る。しかし昨日は焼却炉が使われなかったので、わたしたちはその内部を見ることができた。中には4人のポーランド人の灰があった。すべての組織が焼かれてしまうと、1人の人間の身体で残るものはなんと少ないことか。このような焼却炉を見せてもらって、わたしは安心することができた。ネイ将軍も処刑される前に、間もなく一握りの灰になってしまうだけだ、と言ったではないか。ポーランド人は最近ずいぶん厚かましくなっており、そのため焼却炉はフル活動だ。彼らの社会全体をこのような焼却炉にぶち込んでしまうことができたらいい。そうすればドイツ民族は東でやっと安心していられるだろう。」
(1941年6月15日)
差別や偏見 目をそらさないで 高校生ら 劇で訴え HIV、ハンセン病題材に
強制不妊手術 都が1000超の医療機関を独自調査
旧優生保護法で強制不妊手術「人生を返して」
強制的に「不妊手術」させられたーー60代女性が訴える「旧優生保護法」の問題とは?
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