2017年5月17日水曜日

細菌戦の系譜!!

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●731部隊(1)
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●731部隊(4)
●陸軍軍医学校50周年記念行事について
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●マレーシアの旅
●九大生体解剖事件



●情報公開!! 特定秘密保護法撤廃!!
・ニュース
<共謀罪>採決で攻防 衆院委、野党は法相不信任案へ

暴力団対処の論法が一般人にも 「共謀罪」で溝口敦さん

籠池前理事長 8億円値引き巡り“新資料”

民進、国有財産売買の法改正案 ネットで情報公開義務化

文科省の審議会 新設獣医学部に「課題あり」と報告

“森友問題”交渉記録破棄、市民団体 財務省を告発

森友問題、自民大阪府議団が百条委を再提案

東国原氏、くすぶる森友問題に喝!「昭恵さんが出てきて、堂々と説明すればいいんですよ」


森友問題、深まる謎 発覚3カ月、8億円値引きなぜ?


森友問題、官僚の忖度は? 発覚から3カ月、疑惑続々


金子勝:共謀罪と森友学園問題、安倍政権は史上


命令書なし 昭恵夫人付職員に国家公務員旅費法違反の疑い

安倍昭恵夫人付の公務文書は「用済み」廃棄

目くらまし改憲 昭恵夫人関与で議員辞職ではなかったのか





森友系保育園、「事業停止」に保護者困惑 大阪市が説明会

国連委員会が「慰安婦」日韓合意見直しを勧告 「補償や名誉回復は十分でない」 報告書で両政府に


・森友問題
【古谷経衡氏インタビュー】コンプレックスのこじらせ過ぎは要注意! 森友学園問題で露呈した、“意識高い系”安倍昭恵氏の典型行動とは?!【後編】

【森友問題】忖度して当然?「安倍晋三記念小学校」設立趣意書に記載か―昭恵夫人の積極的な関与も


音声記録の「特例」発言は財務省室長…森友問題

森友問題、安倍首相はケリを付けるべきだ



財務省・大阪府・防衛省その他の国の機関は、きちんとデータ出しなさい!!まずい資料はすべて隠蔽!!


松井一郎大阪府知事と籠池理事長の面識は本当に無かったのか?(松井知事と塚本幼稚園児の遭遇)



安倍首相 森友学園「私が関わっていたら、総理大臣を辞める!」




・安倍首相靖国参拝違憲訴訟
裁判官は、戦前・戦中の靖国神社の果たした役割を知っているのか?
「安倍総理大臣が参拝後に出した談話を素直に読めば、恒久平和への誓いを立てたものと理解され、軍事的衝突の可能性が高まると理解するのは困難で、平和に暮らす権利が侵害されたという主張は認められない」
安倍首相の靖国参拝訴訟で原告敗訴





・侵略戦争!!

重慶の人たちは、侵略日本軍と敢然と戦った!!









・安倍晋三のおじいさんは岸信介
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より

岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。

岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。

岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。


強制連行の決定


・3月2日 東京地裁でビザ発給拒否裁判がありました。
中国人細菌戦被害者遺族が日本の集会で細菌戦のことを報告しようと、ビザの申請をしたところ、外務省がビザの発給を拒否しました。そんなことが2度ありました。2度目は裁判の原告して証言しようしたら、これも拒否です。明らかに日本国政府は細菌戦の事実を闇に葬ろうとしている暴挙です!!なぜ、日本政府は、加害の事実を明かにしないで、消し去るのか!!

ビザ発給は外務省の自由裁量でできる?外務省の課長が処理した案件であるから、政治的な意図はないなどと、被告国側は主張している!!おかしい!!

外務省が集会参加予定の中国人12人にビザ発給せず――細菌戦被害者ら入国拒否

当時の集会の模様
中国人細菌戦被害者遺族は、なぜいない?





防衛省は、情報公開をきちんとすべきだ!!



●2017年「戦争の加害」のパネル展:2月21日~28日 (於)かながわ県民センター

感想
・戦争はよく知らないが、報道されているのとはとても違い過ぎてビックリでした。スタッフの話だと日本も知られざることがたくさんあるのだと聞かされ、ひどいことをしたのだと思いました。60代女性

●731の実態
金成民、彼は侵華日軍第731部隊罪障陳列館館長だ。2010年、彼は本部1号棟とロ号棟がつながっている廊下の中で731部隊及び細菌戦で名前が確認できた2900人余りの犠牲者のために位牌を安置した。歴史の空にさまよい瞑目出来なかった霊魂がようやく安息できた。
「いったいどのくらいの人が731部隊の人体実験の被験者にされましたか。つまり殉難者の人数はいったいどのくらいになるのか、それを一番わかっているのは731部隊に違いありません・・・・・

731(4)



第4回 日本軍による人体実験


・中国には、細菌戦の影響と思われる、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!

悪魔の飽食:復号731


・お知らせ(これが本当に旧日本軍のやったことなら大問題だ!!)
731関連映画
《歴史の血痕》の上映予定
ジェームズ T. ホング&イン・ジュ・チェン
2010年、52分、HDカラー・音声「日本語字幕付き」


2017年5月13日(土)~5月28日(日) *土日月のみ16:00~開催 となりますので、ご注意ください。

会場 : アサクサ
住所 : 東京都台東区西浅草1-6-16 最寄駅地下鉄銀座線 田原町
開廊 : 土・日曜日のみ回廊 12:00 - 19:00
※小さな会場ですが、奮闘しています!!






・特移扱(とくいあつかい)資料
- 原美臻の特移扱い資料1




●今、731を問う!!
日本の平和団体が731部隊によって実験材料にされた犠牲者を4月に慰霊した。



中国では、今年3月に731の展示会が開かれた。



特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
一 戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

4、ドイツではどのように向き合ったのか

■二ュルンぺルクにおける訴追

―ところで、医学の戦争への加担とぃうことでは、世界で、とりわけドイツではどのように向き合ったのでしょうか。

ところが、私が2002年に、同書の著者と面談した際には、「世界医師会に西ドイツ医師会が加盟する際に約束した医師会会員へのジュネーブ宣言の配布は実行されずに放置されていた」「日本ではドイツが進んでいるかのように言われるが、遅々たるものだ」「ドイツ医学界の重職には元ナチ党員が多数を占めていた」「1994年には、ドイツ医師会会長歴(西山注:1973~1977年)があり、9年間務めていた世界医師会の財務理事(西山注:2010年7月、逝去)が辞任に追いやられたが、それはナチ親衛隊将校で戦争医学犯罪を犯したことが暴露されたから」「彼を推薦し、サポートし続けたドイツ医師会長が後任(西山注:1999年迄、以降名誉会長で現在に至る)」と聞きました。

以上(月刊『前衛』より)

●731部隊本部(平房)
周囲8キロ四方のこの広大な設備で、医学者たちは人体実験と細菌戦研究をし、細菌兵器を作り、中国各地で細菌戦を実践した!!大元帥昭和天皇の責任は??

731勿忘
731遺跡は日本軍国主義が細菌戦を行ったことの証しであり、
また、日本軍国主義がその犯罪行為の証拠を隠滅しようとしたことの証しでもある。
ー金成民(侵華日軍第731部隊罪証陳列館館長)




●福沢諭吉
福澤諭吉は民主主義者ではなく軍国主義者だった 雁屋哲〈週刊朝日〉


「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。人間の自由平等を説いた福澤諭吉。明治の偉人だが、その実体は超国家主義者だとしたら……。『マンガまさかの福澤諭吉』(遊幻舎)の作者・雁屋哲氏が、検証した福澤のウラの顔を本誌に語った。

──福澤が明治15年に立ち上げた時事新報は、当時の新聞が政党機関紙化していたなかで独立を掲げ、一躍日本を代表する新聞になりました。

ところが福澤はその新聞発行の趣旨で、自分が一番やりたいことは国権皇張だと言っています。これは日本の権力を他の国に及ぼすという意味。つまりアジア侵略です。侵略される側からしたらたまったものではありません。日本最大の新聞を発行し、慶応の塾長も務めた人間がこんなことを堂々と述べていたのです。もともと福澤の大本願は日本を「兵力が強く」「経済の盛んな国にする」こと。そのために天皇を国民の求心力の象徴として利用しました。


※週刊朝日  2017年1月27日号

●『1★9★3★7★』(イクミナ、辺見庸著)より
以下の文を読んでいて、籠池理事長と安倍首相の関係を想起してしまった。

23、抜き打ちに切り捨てる
・・・・近年になって私はこんなものを読んだ。
▲支那の老婆が部隊長のところに来て云う〈自分の娘が日本のあなたの部下に姦された〉
部隊長〈何か証拠でもあるのか)老婆 布を差し出す。
〈全員集合〉部隊長は一同を集めて布を出し〈この布に見覚えあるか〉〈ありません〉〈次〉〈ありません〉一人ずつ聞いて回る。最後の1人まで聞き終わると静に老婆に歩み寄り〈この部隊には御覧の通りいない〉老婆 うなずく。
抜き打ちに老婆を切り捨てる。おもむろに刀を拭い鞘に納める。全員に分れ。
(これは小津が戦場で書いていた「撮影についての≪ノオト≫」であり、田中真澄著『小津安二郎と戦争』(みすず書房のⅡ「小津安二郎陣中日誌」に収載されている。)
泡を食った。とても泡を食った。・・・・・




●南京大虐殺80周年!!
日本政府の今までの全く誠意のない対応!!
ハルキ世界の満漢全席『騎士団長殺し』を全世界が待ちわびた
・辺見庸さんは、地下鉄サリン事件の後遺症と闘いながら、今の右傾化する世間に警鐘を鳴らし続けている!!
辺見庸 1★9★3★7(征く皆 イクミナ)


2015年 南京大虐殺世界記憶遺産に登録される!!
安倍晋三は、南京に行くべきだ!!
かつて、石原慎太郎、稲田朋美は南京大虐殺を否定した!!今も否定している!!

戦争の反省の無い頭!!
稲田防衛大臣を即刻罷免すべきである

3、南京大虐殺までの経緯
7月7日 盧溝橋事件
不拡大派(石原莞爾)と拡大派(武藤章)の対立・・・参謀本部は内地3個師団の華北派兵と支那駐屯軍の武力行使を指示。
7月27日 日本軍は第29軍に対し、北京・天津を明け渡せと最後通牒を発し、29日には北京・天津及び要地を占領。
7月29日 通州事件・・・中国陥落区の通州(現:北京市通州区)において冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が日本軍の通州守備隊・通州特務機関及び日本人居留民を襲撃した事件。通州守備隊は包囲下に置かれ、通州特務機関は壊滅し、猟奇的な殺害、処刑が行われた。
※冀東防共自治政府保安隊は、日本軍の支那駐屯軍から派遣された将兵により軍事訓練が施された治安部隊であり、教導総隊及び第一、第二、第三、第四の五個総隊で編成されていた。
8月13日 第2次上海事変(海軍陸戦隊と中国軍の戦端が開かれる。)
8月15日 第3師団と第11師団よりなる上海派遣軍の「編組」と上海への派兵。(上海派遣軍司令官:松井石根)
8月15日の渡洋爆撃にはじまって、12月13日の中支那方面軍の南京占領に至るまで、海軍航空隊の南京空襲は50数回に及び、参加延機数は900余機、投下爆弾は数百トンに及んだ。
8月29日 南京駐在の欧米5ヵ国の外交代表、南京空襲に抗議し、爆撃停止を求める抗議書を日本に提出。

教科書検定で南京事件の犠牲者数「未確定」、中国が反発

※また海軍は、南京陥落時、軍艦で揚子江を巡視しながら、揚子江上の敗残兵を掃射した。


南京事件を調査せよ!!
南京事件 兵士たちの遺言







●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦、核開発)
天皇の権限は絶大であった!!
日本政府は、証拠(井本日誌、731返還史料、防疫研究報告Ⅰ部等)をことごとく隠蔽し、731部隊での人体実験、また中国各地で行った細菌戦を闇に葬っている!!それだけではない、毒ガスのデータ、原爆開発のデータもアメリカに引き渡し、戦後はアメリカと共同で、極秘裏にCBR兵器の開発を進めている。国民にはその事実を隠蔽し続けている!!核兵器開発の為、原発を手放せないのではないか!!原発と自衛隊との関係はどうなっているのだろうか?〔C(化学兵器=毒ガス)、B(生物兵器)、R(放射能兵器)〕


・『昭和天皇』(上)(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫)より

序章

側近のひとりは「独白録」の前文に、天皇が「大東亜戦争の遠因、近因、経過及終戦の事情」を語ったものと記しているが、これも事実とは異なる。供述には、次期総理大臣の選任に当たって、自身とその宮廷官僚が独自の国政方針を指示し、1920年代中後期に発展した政党政治制度を動揺させたことも含まれていない。中国での戦争がどのように始まったかも、拡大する戦争における直接の主導的役割も、日本の陸上部隊および航空部隊の行動についても語っていない。人生にもっとも影響した経験や出来事、よって立つ価値基準、行動を規定し、人格を形成した思想など、天皇が黙して語らなかったことはほかにもたくさんある。他人をどれほど犠牲にしようと、みずからの地位を懸命に守ろうとした点において、昭和天皇は現代の君主のなかでもっとも率直ならざる人物のひとりだった。


戦争の記憶は消えない!!
英仏では昭和天皇がトップだった。

※大元帥昭和天皇は、好戦的であり、戦争の作戦に深くかかわった!!決して平和を願い、側近や輔弼の言いなりの天皇ではなかった!!その責任は重い!!




日本の史料が公開されれば細菌戦の全貌が解明される!!
「日本軍の細菌戦による被害者は9085人」、中国の研究チームが発表―中国メディア

井本日誌(井本日誌は業務日誌であって、私文書ではないはずだが。)も最初公開していたが、いろいろと報道されると、私文書だとか、御遺族の意思だとかを口実に、今は厳重に保管し非公開にしている。史実を明らかにしようとする意思は国には全くなく、隠蔽に走っている。731部隊の人体実験・細菌戦に関しては、政府は“知らぬ、存ぜぬ”を繰り返すばかり。(一部の教科書には載っている)

※井本熊男
・1935年(昭和10年)12月:大本営参謀本部作戦課に配属され、以降、一貫して、細菌戦に関して731部隊等の細菌戦部隊と陸軍中央側で連絡をとる担当となる
・1939年(昭和14年):支那派遣軍総参謀(作戦主任参謀)




寧波(ニンポー)細菌戦






(毒ガス戦)
原爆被害の重い苦しみを負いながら、学徒動員で毒ガス製造に関わった体験から自らの加害責任を語り伝える女性がいる。「戦争で受けた苦しみを知るからこそ、加害者としての責任も語り継がなければならない」。8月15日は終戦記念日。【高田房二郎】
<終戦記念日>ヒロシマの加害語る 学徒動員され毒ガス製造





(毒ガス戦)
さらに昭和天皇は毒ガスの使用について直接的な責任がある。毒ガス兵器は多くの中国やモンゴルの戦闘員・非戦闘員を死に至らしめた。「日華事変」が全面戦争となる前、すでに天皇は化学兵器の要員と装備を中国に送ることを裁可していた。ベルサイユ条約第171条ならびに、第1次世界大戦後、日本が調印した国際的な協定は、催涙ガスを含め毒ガスの使用を禁止していた。しかし、軍事技術の面で劣った敵に対してはこの禁止を守らなくても問題はないと陸軍は考えていた。昭和天皇も明らかに同じ考えであった。天皇が化学兵器使用を最初に許可したのは、1937年7月28日のことであり、それは閑院宮参謀総長により発令された。北京-通州地区の掃討について、「適時催涙筒を使用することを得」と書かれていた命令である。天皇の2度目の命令は、1937年9月11日に出され、このときも閑院宮参謀総長により発令された。いくつかの特別な化学兵器部隊を上海に配備することを許可したものである。当初は実験的で、非常に小さな規模でこれらの命令が許可されたが、1938年の春・夏になると、中国、モンゴルの主要な戦闘地域で大規模に毒ガスが使用されることとなった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)



(細菌戦)
昭和天皇はまた、1940年中国で最初の細菌兵器の実験的な使用を許可した。現存する文書史料で、昭和天皇を細菌兵器と直接、結びつけるものはない。しかし、科学者の側面を持ち几帳面で、よく分からないことには質問し事前に吟味することなく御璽(ぎょじ)を押すことは拒絶する性格から見て昭和天皇は、おそらく自らが裁可した命令の意味を理解していただろう。細菌戦を担当した関東軍731部隊に参謀総長が発令した大本営の指令の詳細は、原則として天皇も見ていた。そして、このような指令、すなわち「大陸指」の根拠となった「大陸命」に天皇は常に目を通していた。中国での細菌兵器の使用は1942年まで続いたが、日本がこの細菌戦化学戦に依存したことは、第2次世界大戦が終了すると、アメリカにとって、にわかに重大な意味を持つこととなった。まず、トルーマン政権は大規模な細菌戦・化学戦の計画に予算を支出したが、それは日本の細菌・化学研究の発見と技術に基づいていた。次いで、それはベトナム戦争でアメリカが大量の化学兵器を使用することへとつながった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)



澤田茂司令官は細菌戦に反対だった!!

『「澤田日誌」からみた浙贛(せっかん)作戦における日本軍の細菌戦』
松野誠也(明治大学大学院)【当時】より
・・・・・・(略)
澤田日誌には6月25日に再び関連する記述が登場します。
これは非常に重要な内容でありまして、支那派遣軍の反対意見が参謀本部によって握り潰されるということが記されています。内容は次の通りです。



石井部隊の使用総軍〔支那派遣軍〕よりも反対意見を開陳せしも大本営の容る処とならす大陸命〔大陸指の誤りか〕を拝したりと。命令ならは致方なきも作戦ハ密なるを要す。若き作戦課の人達を抑へる□に総長〔参謀総長・杉山元大将〕の力なからさるへからす。遺憾なり。ペスト防疫の為 一部家屋ハ焼却の命令を出す。


これを見ますと、陸軍中央と現地軍が一致して細菌戦に賛成していたのではなく、現地軍は反対していたが、大本営から指示なり命令がきて、それに従わざるえなくなったという構図が描けるわけです。しかも、トツプに立っている参謀総長は、幕僚たちがいろいろ意見を突き上げてくることを「抑へる」ことができない。それは非常に遺憾なことであると書いているのも非常に注目されます。澤田将軍は参謀次長を務めた経験があるので、参謀本部の下僚を「抑へる」ことの重要性と難しさをよく知っていたのでしょう。



次に澤田日誌に細菌戦関係の記事が出てくるのが7月11日です。石井四郎が戦線の第13軍司令部にやってきたという記述が出てきます。



石井少将連絡の為来着す。其の報告を聞きても余り効果を期待し得ざるが如し。効果なく弊害多き本作戦を何故強行せんとするや諒解に苦しむ。堂々王者の戦をなせば可なり。
何故こんな手段を執るや予には不可解なり。何れとも既に命令を受けたる以上実施せさるへからす。
仍(よ)つて次の三点に就て特に注意せしむ。/1、秘密の絶対保持/2、□□の予防/3、飛行場に攻撃を向くる事。


石井四郎の報告を聞いても、細菌戦の「効果」に対する疑問と「弊害」に対する認識は変わらず、命令だから嫌々ながらもやらざるを得ないという、澤田中将の参謀本部にたいする不満がよく伝わる一文です。あげくの果てに「何故こんな手段を執るや予には不可解なり」とまで書いています。・・・・・・(略)

東京初空襲・浙かん作戦

一般に中国軍の飛行場破壊を目的とした侵攻と言われるが、恒久的に占領できる目処もない状態で飛行場破壊のみ行っても効果は薄く12万人もの兵力を動員する目的としては疑問が残る。実際の目的は飛行場破壊よりもむしろ、それを名目とした浙江省東部一帯の蛍石産地の占領にあったと言える。財界と軍部が連携して利権獲得に動いた作戦である。

蛍石・・・・用途・加工法・・・古くから製鉄などにおいて融剤として用いられてきた。現在では望遠鏡や写真レンズ(特に望遠レンズ)などで、高性能化のための特殊材料としてキーパーツとなっている。フッ素の貯蔵に用いられることもある。

蛍石を採掘するのも、山東省、河南省、安徽省、江蘇省、浙江省などから強制連行された中国人だった。(約1700人)



1944年疫病がはやり、病気になったものは、隔離され食べ物も与えられず、餓死した。





蛍石の彫り物




赤坂離宮内の生物学研究所【1925(大正14)年】
・昭和天皇は生物に関心があった!!勿論、細菌にも関心はあっただろう!!
・日本は富国強兵を目指した!!

1921年昭和天皇フランス視察

1929年11月7日陸軍軍医学校(731部隊に指令を出していた防疫研究室はこの中に1932年に開設される)視察


??A氏(731部隊幹部)の言うには、今事実関係を明らかにすると、それは戦争中の犯罪行為を暴露するだけにとどまらす、戦後の重大な犯罪事実までズルズル数珠つなぎに明らかになってしまうから、だから話が出来ない、ということなのです。??


・731と天皇の戦争犯罪
同じように、おそらく日本政府が恐れているのは、戦争中の日本軍の戦争犯罪が暴かれて賠償の問題になることだけではなく、暴露によって戦後の重大事実が明かになることなのではないかという疑いが大きくあります。
それと同時にもう1つ大きな問題は、天皇の戦争犯罪の問題です。私も鑑定書で書きましたが、中国・浙江省寧波で細菌作戦の時、昭和15年の11月に発令された「大陸指」というのがあります。杉山参謀総長名で出ているものです。その781号によると、大陸指690号によって目下実施中の特殊ガスの試験を大陸命第439号に基づく大陸指第781号を以って終わりにすると、11月末日で終了せよという命令が出ています。特殊ガス試験というのは細菌兵器の実施使用のことです。これは明かに細菌戦の命令指示です。
「大陸命」というのは大本営陸軍部命令の略ですが、天皇が発する命令です。
当時は普通御前会議で昭和天皇と陸軍部の参謀総長、海軍の軍令部長とそれと大体原則的には侍従武官長が列席して、お上に作戦を上奏します。それでOKということになると「大陸命」を作成するわけです。陸軍部がやるわけですが、その「大陸命」を作るとそれに基づき「大陸指」を作成してこれでよろしいかと、お上にお見せするのが慣例でした。いつも必ず見せていた。それでこの通りにというと「大陸指」という参謀総長の発する命令、指令が出るわけです。作戦によっては担当の大本営の担当者、参謀が直接天皇の前へ行って作戦を事細かに上奏、説明します。・・・・・・(中略)・・・・・
瀬島龍三という元大本営の参謀も、「陸軍は大陸命、海軍は大海命といいますが、それがないと軍の用兵は何1つ出来ない、参謀総長や軍令部総長といえども、そういう厳密な手続きを経なければ勝手に軍を動かすことは一切出来なかった」と言っています。ですから「大陸命」に基づいてというところが一番肝心なのですが、その内容はすべて昭和天皇の耳に入っていたということです。ここに731を何としてでも隠蔽しなければならなかった理由があります。・・・・(『戦後の犯罪につながる細菌戦の隠蔽』近藤昭二著より)




・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!

中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!


夏草をふみしめてなおも歩き続ける
軒下にのぞく歴史に凌辱された眼光
住居を追われ悪魔に翻弄された暗黒の日々
長い年月に耐え声も叫びも枯れ果てた
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より


日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア


混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)


細菌戦資料発掘の旅(2)
近藤昭二(本資料センター共同代表 ジャーナリスト)

川島清被告尋問調書
1949年12月6日                     ハバロフスク市
尋問開始:13時
尋問終了:1時30分
休憩:17時~21時
尋問は、虚偽の通訳に対する責任についてロシア連邦共和国刑法第95条により警告された、通訳プリャチェンコを介して日本語で行われる。
(署名)
質問:あなたは1943年4月19日付けソ同盟最高ソビエト常任委員会法令第1条に該当する罪で起訴を提示された。提示された内容での有罪を認めるか?
答え:・・・・・
研究室内での人体実験は第1部で行われていた。
1942年春に1ヶ月間、私は兼務で第1部の部長を務めた。
第1部は防疫対策分野の研究を行っていたが、それはほとんど最も効果的な細菌兵器の準備のためであり、最終的な研究成果を第1部の所属となっていた監獄に収容されている生身の人間で確認していた。
前記の期間、第1部の部長として任務についている間、細菌兵器研究という、部隊に課せられた任務を遂行する方向へと、部の作業の指揮をとっていた。
第1部の研究室で行われていた実験のほか、人体実験は731部隊の野外実験場と実戦でも行われていた。ある日の人体実験に私も参加したことがある。
1941年6月、私はほかの隊員達と共に、安達にある部隊の野外実験場で、ペストノミが詰められた爆弾の実験に参加した。この実験では、10~15人の囚人が柱につながれ細菌投下爆弾の被験者となった。飛行機から投下された爆弾は全部で10個以上あった。
私は、実験の段取りの点検と、その件に関しての731部隊長の命令を遂行するため、自ら計画を作成したこの実験に、総務部長として参加した。それと同時に、製造部の部長としてこの実験に興味があった。しかしこの実験の現場では第2部長の大田大佐が指揮を執った。
私が知っている、そして部隊における自身の職務上知り得た情報から、731部隊では強力な伝染病を囚人に罹患させる実験によって毎年600人以上が死んでいたと言える。
1942年731部隊では、関東軍司令部の命令により、浙贛で中国軍に対し細菌兵器を使用するため、約100人からなる遠征隊を中国中央部に派遣した。遠征隊に参加したのは第1部、第2部、第4部の隊員たちだ。製造部からは私が人員を8人出した。製造部は石井将官の命令に基づき、私の指示で約130キロのパラチフス菌と炭疽菌を製造し、遠征隊に提供した。そのほか、第1部の隊員達は、自分達で培養したコレラ菌とペスト菌の菌株を持っており、現場の南京の“栄”部隊で必要な量を培養していた。第2部の隊員はペスト菌に感染したノミを相当量装備していた。
遠征隊は任務を成功させたと聞いている。




※日本人も731部隊で細菌などを扱っていたので、細菌に感染することがあった。時には日本人も、生体解剖された!!

プライム10「731細菌戦部隊」






1938年国家総動員法が制定され医学界も戦争に全面協力した。
1942年の東大安田講堂前での医学者たちの記念写真、隊長を務めた石井四朗、北野政次、そして右腕の増田知貞の姿が見える。
731部隊の影響が医学界全体に及んでいた。医学者は陸軍軍医学校の嘱託として協力した!!


戦後も731で研究された論文が、日本の大学で審査され、博士号が授与されている!!


小泉親彦(ちかひこ)



※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物
1945年9月、自決。








細菌戦の系譜!!


731部隊について

日本は「皇道精神の具現化」のために、毒ガス兵器、細菌兵器を使い、多くの人々を虐殺した!!
目指したのは、天皇中心の世界帝国 「八紘一宇」

教えてゲンさんより
防疫給水部(細菌戦部隊)


関東軍防疫部
トラブルがあった為、背陰河の施設はいったん閉鎖されましたが、
1936年(昭和11年)8月に関東軍の在満州兵備の一環として、関東軍参謀長板垣征四郎中将の要望で、天皇の名により正式に「関東軍防疫部」として再編成されました。
同時に100部隊も増強されました。
そして中佐に昇進していた石井四郎が部隊長に任命されました。
* 在満兵備充実に対する意見 「陸満密大日記から」
1936年4月23日、関東軍参謀長板垣征四郎から陸軍次官梅津美次郎への要望書
第23、関東軍防疫部の新設増強
予定計画の如く昭和11年度に於て急性伝染病の防疫対策実施及流行する
不明疾患其他特種の調査研究並びに細菌戦争準備の為
関東軍防疫部を新設す
又在満部隊の増加に伴い昭和13年度以降其一部を拡充す
関東軍防疫部の駐屯地はハルビン付近とす
この件に関して天皇は上奏文を受けています。
* 陸軍省軍事課「予算成立に伴う兵備改善上聞の件」
昭和11年密大日記より
防疫に関する部隊  人、馬の防疫に関する部隊各1個を新設す
注:人とは731部隊、馬とは100部隊のこと

※1936年、731部隊は背陰河から平房に、移転し細菌戦の準備を始めた。
※長春には100部隊が編成され、やはり細菌戦の準備が始まる。


毒ガス/化学兵器


・中国には、日本軍の行なった細菌戦の影響と思われる?、原因不明の病気に悩んでいる人々が今も数多くいる!!


・お知らせ(これが本当に旧日本軍のやったことなら大問題だ!!)
731関連映画
《歴史の血痕》の上映予定
ジェームズ T. ホング&イン・ジュ・チェン
2010年、52分、HDカラー・音声「日本語字幕付き」


2017年5月13日(土)~5月28日(日) *土日月のみ16:00~開催 となりますので、ご注意ください。

会場 : アサクサ
住所 : 東京都台東区西浅草1-6-16 最寄駅地下鉄銀座線 田原町
開廊 : 土・日曜日のみ回廊 12:00 - 19:00
※小さな会場ですが、奮闘しています!!





・731問題
・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???

黒い太陽№15



※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。

朝枝繁春の証言



日本は、あの侵略戦争の事を全く反省していない!!
裕仁は、東条や陸軍に、戦争責任を押し付け、
軍部・政府・医学界は、中国、アジア諸国で、その後戦争被害の後遺症に悩む人を無視している!!
遺棄毒ガス弾、炭疽菌、ペスト菌等による被害者、慰安婦問題、空襲・虐殺等でのPTSDなど。



・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と新宿の軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
実際に、中国広東の南石頭の難民収容所で、陸軍防疫研究室が製造したゲルトネル菌が使われ、多くの難民が亡くなっている。
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
事件当日の三井三池染料工業所における爆発事故
また当時の新聞記事や調査において、
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
などが分かっている。
当時の時代背景として、2ヶ月前には満州事変が勃発して戦下の色が濃くなってきており、事実この工業所では枯葉剤、合成染料など軍需製品の製造を行なっていた。このため、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
しかし、仮にクシャミ性毒ガスの製造工程で爆発事故があったことが原因としても、住民の便から赤痢菌が検出されており、また調査に参加した各大学が患者の便から検出した赤痢菌がそれぞれ異なった種類であったことが分かっており、疑問が呈されている。
一方こんな説もある。毒ガス爆発をカモフラージュするため、軍医学校が、赤痢予防錠を配ったというもの??

(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)



・三井という会社
毒ガスを、戦前は大量に作り、戦後も枯葉剤を作っていた!!
ベトナム戦争の枯れ葉剤の原料を三井東圧が大

イタイイタイ病を究明した萩野医師に圧力をかけた三井財閥とそれに協力した医学界の権威者たち
萩野 昇 (※戦争中、軍医としてどんなことをやっていたのだろうか?)
2015年
偉人医 · 萩野昇
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
富山平野の中央部を流れる神通川は昔から「神が通る川」として地元の人たちから崇められていた。住民たちは神通川のサケやアユを食べ、神通川の水を農業用水として利用し、また水道が普及するまでは生活用水として住民たちの喉をうるおしていた。この北アルプスから流れ下る神通川が、いつしか「毒の通る川」に変わっていたのだった。イタイイタイ病はこの神通川上流にある神岡鉱山から排出されたカドミウムによって引き起こされた公害病であった。


失意の日々と妻の死

萩野はマスコミでは有名人になったが、研究ばかりか人格までも非難された。そのような流れの中で、茂子の病気をあたかも萩野へ下された天罰であるような報道がなされ、茂子の死を自殺だったとする噂が流された。萩野は周囲の中傷に加え、妻の死によって不幸のどん底に落とされてしまった。イタイイタイ病の研究に打ち込んで、茂子の看病をおろそかにしてしまったことを後悔していた。


細谷省吾
※軍医学校防疫研究室は731部隊に、実験などの指令を出していた。細谷省吾は戦争当時、東大伝染病研究所教授で防疫研究室の嘱託研究者だった。

※金沢は731部隊に縁が深い!!731部隊長の石井四郎、その右腕だった増田知貞、生体解剖を多く手がけた石川太刀雄は、金沢四高から京都帝国大学医学部へ進学した。
731部隊で性病や結核の研究をして、戦後『政界ジープ』という右派の時局雑誌を発行した二木秀雄は金沢医科大学出身である。

護衛艦などを作る!!軍需会社!!
三井造船が建造した船舶


三井造船、防衛省から新型潜水艦救難艦を受注 = 日本工業新聞

・パネル展(731細菌戦)


中国は生物兵器を持っていないが、かつて生物兵器の被害国である。













「細菌戦裁判」の第1審の東京地裁で事実認定された日本軍の細菌戦




話は今につながっている!!



日本の医療の原点 731部隊の関係者のその後の職業・役職 及び厚労省との関係 フクシマと731部隊

筑紫哲也さんはガンで死んだのではない。
ガン治療のウラ 3/8




厚労省の敷地内に『誓いの碑』がある。そこにはこう書いてある。

命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような
医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう
医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていくことをここに銘記する

千数百名もの感染者を出した
「薬害エイズ」事件
このような事件の発生を反省し
この碑を建立した

平成11年8月  厚生省


碑を建てても薬害は続く!!
8月24日を「薬害根絶デー」とし、毎年要望している。

薬害根絶求め要望書 エイズなど被害者12団体






内藤良一・・・731部隊員、陸軍軍医学校防疫研究室の責任者として、731部隊が主導した細菌兵器の開発・研究や人体実験に関与した。

・内藤良一は戦後、他の731部隊員と共に、日本ブラッドバンクを立ち上げ、1964年に社名をミドリ十字改称した。

ミドリ十字の変遷
以下、ウィキペディアより
・ライシャワー事件から売血批判が巻き起こり、1964年8月28日の閣議決定により、血液銀行の業務が日本赤十字社に一本化された。路線転換を迫られ、血液製剤や人工血液、医薬品への移行を模索する。1964年8月に社名を創業以来の社章だった「緑十字形」からミドリ十字に改称した。
・1982年、創業者・内藤良一の急死後、厚生省薬務局長を務めた松下廉蔵(社長に就任)など多数の厚生省出身の天下り官僚らにより経営の実権は握られることとなった。当時の薬事行政では、すべての製薬会社は官僚の天下り先にされていたので、多数の厚生官僚出身者が業界首位の同社経営に携わることとなった。具体的には、当時の副社長には厚生省薬務局細菌製剤課長補佐経験者、取締役には同薬務局企画課長補佐経験者、薬事部長には同薬務局経済課長補佐経験者などが就いた[1]。
・ミドリ十字は、血液製剤の企業として安定した収益があり、合併先には大手製薬会社の名前も取りざたされたが、吉富製薬と合併して法人格は消滅した。その後、医薬品業界の大規模な再編が進む中で三菱ウェルファーマとなり、医薬品業界の合併を経て現在は田辺三菱製薬となっている。



・731部隊と原爆・原子力の関係
国から派遣された日本の医学者は原爆症患者を救わず、アメリカに協力して原子爆弾の威力・効果を調べた!!

ABCC委員会と731部隊
・・・・ABCC[には、731部隊の顔ぶれやいくつかの関連事実が登場してきます。731部隊の凍傷研究班の班長であり、同時に特移扱いにされたマルタの管理を行っていた班の班長でもあった吉村寿人、後に京都府立医大の学長になる病理学者もその1人です。この吉村寿人が度々ABCCに出入りし調査をしていた記録が残っていますし、これを裏付ける関係者の証言もあります。
ABCCと旧731部隊の関係についてですが、ABCCが最初に広島の北の方、高台の所に出来たときの施設には、石井四朗の叔父の家が提供されて、その建物を使っています。今調べていますが、ABCCの当時の職員名簿を見ると、日本側の職員の中に731部隊の旧隊員が何人もいます。その1人貞政昭二郎が私の取材に「吉村さんはABCCによく来ていた」と話しています。
1948年の終わりから49年という時期に、職員にそういう人たちが出てきます。ちょうど日米の取引の成立直後くらいです。48年の終わりというのはヒル・レポートもできる頃で、その頃には協力体制が出来上がっており、旧731部隊とABCCの共同で動き始めていたのかも知れません。しかし戦後に共同という形で調査をしていたという動きは今のところ記録上ははっきりとはしてません。(『戦後の犯罪につながる細菌戦の隠蔽』近藤昭二著より)


ABCCと国立予防衛生研究所(予研)の関係・・・ウキペディアより
米国科学アカデミー(NAS)が1946年に原爆被爆者の調査研究機関として設立。当初、運営資金はアメリカ原子力委員会(AEC)が提供したが、その後、アメリカ公衆衛生局、アメリカ国立癌研究所、アメリカ国立心肺血液研究所(en:National Heart, Lung, and Blood Institute)からも資金提供があった。1948年には、日本の厚生省国立予防衛生研究所が正式に調査プログラムに参加した。
施設は、広島市の比治山の山頂(元々比治山陸軍墓地があった地)に作られた。カマボコ型の特徴的な建物であった。
ABCCは調査が目的の機関であるため、
被爆者の治療には一切あたることはなかった。ここでの調査研究結果が、放射線影響の尺度基本データとして利用されることとなった。
1975年、ABCCと厚生省国立予防衛生研究所(予研)原子爆弾影響研究所を再編し、日米共同出資運営方式の財団法人放射線影響研究所(RERF)に改組された[4]。





・731部隊の罪業をアメリカは不問に付した結果、日本は731部隊の反省を全くしなかった。戦後、731部隊員は国立予防衛生研究所(予研→国立感染症研究所)に入り、研究を続けた。!!
・エイズ・エボラ出血熱・マーズ・サーズ・新型インフルエンザなどの病気は、世界のこういった研究所で作られたのではないか??
一体、国立感染症研究所は、どんな仕事をやっているのだろうか??
国立感染症研究所

国立感染症研究所

どんな生物兵器を作るのか??「周辺住民の理解を得ながら進めていきたい」と話しています。周辺住民が納得するのだろうか??
国立感染症研究所 「レベル4」施設で5月から実験
国立感染症研究所の危険性!!



長崎大学のBSL4施設設置計画は白紙撤回を!

感染研村山庁舎BSL4施設関連事象の時系列

731細菌部隊と帝銀事件との真相1

防御と称して、生物兵器開発を進めてはいないか???






ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影
堀田伸永

第2章  原子力ムラの源流



学者集団と原子力産業の接近

中泉は、1956年度末で東京大学医学部を退官すると、同年5月には米国の原爆医学調査機関「原爆傷害調査委員会」(ABCC)の準所長に就任し、原爆影響の日米共同研究に道を拓いた。中泉の門下生で陸軍軍医学校のレントゲン教官として広島の原爆調査に携わった御園生主輔も、後年、ABCCとの連携を謳う放射線医学総合研究所所長の座についた。広島の原爆調査に参加し、第五福龍丸の乗組員の主治医として有名になった熊取敏之も、放射線医学総合研究所の部長となり、後年、御園生の後任者として、同研究所の所長となった。



宮川正・・・大正2年2月8日生、昭和12年東大医卒、昭和19年3月4日入隊、歩兵30連隊から731部隊レントゲン班(宮川班)に配属される。終戦時 軍医中尉。731部隊には、レントゲン班が「宮川班」「在田班」の2つあった。元隊員の話では、(どちらの班か不明だけれども)「レントゲン班で、マルタの肝臓にレントゲンを照射して、どこまでやると死に至るかという実験を自分たちでやったことがある」という証言がある。、

田宮猛雄
戦争当時、防疫研究室の嘱託研究者。東京帝国大学で若い研究者を731に送り込んだ。


・原爆問題
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)

「1894年から1945年までの51年間日本は常に戦争をしてきた。大きいのだけでも日清、日露、満州事変、日中、アジア太平洋の5つその全てに廣島から軍隊が出ているわけです。言い換えれば廣島はアジア侵略の起点だったのに、加害の都市だったことを認める人は多くない。」(1929年山口県生まれ、国鉄職員 入市被曝した李実根の証言)


昭和天皇の終戦工作?(詳しくは『日本のいちばん醜い日』)
畑俊六第2総軍司令官、高野源進広島県知事は原爆投下時に無事。
第2総軍は、全滅。
天皇は、事前に原爆投下を知っていた。
終戦時の国内情勢を憂慮して、第2総軍を壊滅させた??


731部隊員や昭和天皇の戦争犯罪に対する免責を得るために、日本の科学者や医学者は原爆の威力の調査に尽力し、被爆者の治療は一切しなかった。この報告書は、英語で書かれ、アメリカに提出された。これによって、日本はアメリカに追従するようになり、属国になってしまった。日本政府は、これ以後、731の非人道的行為を隠し、またアメリカの原爆などの非人道的行為を訴えることは無かった!!あの侵略戦争のことを全く反省しないでいる!!


封印された原爆報告書



日本政府は、侵略戦争の歴史を改ざんするな!!
戦争遂行の最高責任者・大元帥昭和天皇の戦争責任を回避する発言!!
裕仁は、戦争責任を、東条や陸軍に押し付けた!!

「天皇陛下はホワイトハウスで、『私が深く悲しみとするあの不幸な戦争』というご発言がありましたが、このことは戦争に対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また、陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますかおうかがいいたします」と。
天皇は顔をこわらせて「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」と答え、また広島への原爆投下について聞かれ、「この原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことと私は思っています」と述べた。その統治下の出来事に対してまったく責任のない傍観者のような天皇の言い逃れは、多くの日本人にとってあまりにも非情であった。彼の「やむをえない」発言は、広島の悲劇を導いた過程における天皇の役割をまったく否認するものであり、とりわけ歴史学者を憤慨させた。(ハーバード・ビックス著『昭和天皇』より)

1975年昭和天皇記者会見


山下俊一、高村昇らが活躍(暗躍)する長崎大医学部は元731部隊関係者の巣窟であった。
重松逸造は御用医学者を語る上で極めて重要な人物、キー・パーソンである。


驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く



御活躍中の御用医学者と731部隊の関係を調べてみた。意外と簡単に結びつくので驚いた。
(以下敬称略)

==== 重松逸造 ====
重松逸造は御用医学者を語る上で極めて重要な人物、キー・パーソンである。彼は終戦当時、ラバウルで海軍軍医をしており、731部隊で研究していたわけではないようだ。
しかし彼の恩師や同僚は731関係者が非常に多い。とくに長崎大教授たちとは深い交流があった。
福見秀雄とは共著で論文を書いているし、林一郎とも知己であった。
斎藤幸一郎とは金沢大で働いている。
その金沢大(旧金沢医大)も、戸田正三、石川太刀雄丸、二木秀雄などが在籍し、長崎大と並ぶ731出身者の巣窟であった。
重松は彼らから731部隊の悪魔的な思想・精神をしっかりと受け継いだと考えてよい。
米国が組織した原爆傷害調査委員会(ABCC、Atomic Bomb Casualty Commission)の
日本側初代代表は都築正男だったが、GHQの原爆に関する研究発表禁止に反発し追放処分となり、その後継者となったのが重松である。(まともな人間がハネられるのは原子力ムラの常である)
ABCCはデータを取るだけで全く治療をしてくれない、と原爆被爆者の激しい非難を浴びた。
そのABCCは1975年に放射線影響研究所(放影研)に改組され、重松は第3代理事長となり、1981年から16年にも渡り、原爆被害の隠蔽・過小評価に尽力した。
そのあとを継いだのが弟子の長瀧重信で、第4代理事長に就任した。
重松、長瀧とも1960年前後にハーバード大学に留学している。
当時は、特別なコネでもなければ海外渡航はできなかった時代である。
奨学金をもらい留学"させてもらった"のかもしれない。要するに米国(IAEA)のヒモつきだ。
恩義があるから米国の言うなりであり、原爆の被害を過小評価するのは当然のことであろう。
(アメとムチは米国のお家芸であり、安倍首相の祖父・岸信介はA級戦犯だったが、無罪放免と引き換えに米国の走狗となった)
重松は水俣病、イタイイタイ病、スモン病など多くの公害、薬害事件において、事実を隠蔽・改ざんし、常に政府・企業側に有利な報告をでっち上げている。
また長瀧らとチェルノブイリ原発事故の調査をし、住民に健康被害はないとのトンデモ報告書をまとめ、全世界から非難を浴びた。(このときの後援者がIAEAと結託した笹川財団である)
重松はIAEA、ICRP、WHOの委員も務めている。
彼は筋金入りの御用である。困ったことに弟子も多い。
2年前に彼が亡くなったときには、あちこちで歓声が上がったという。むべなるかなである。



放射能汚染地図「川で何が起きているか?」



海の放射能に立ち向かった日本人 ~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~/NHK・ETV特集




開示された文書「何で黒塗り?」







・日本の科学者の核兵器への執念の系譜

戦中、日本は原爆開発を研究していた。陸軍は理研の仁科芳雄のもとで、海軍は京大の荒勝文策のもとで。戦後もアメリカと自衛隊の軍事交流によってその流れは加速している!!

「ビキニ被曝」11人、船員保険適用困難に 有識者会議

<核禁止条約>「対象に保有含めるべきだ」メキシコ国連大使

【報ステ】再稼働認める判断…高浜原発3・4号機

「被爆国として、核兵器廃絶に向けて世界をリードする」と言っても説得力はなくなった。
(社説)核禁止条約―被爆国の責任放棄だ



潜在的核保有国化を目指す日本は、核兵器禁止条約制定目指す決議案に反対!!

非核3原則は嘘だった!!
※2009年(平成21年)になって沖縄に核兵器が持ち込まれていた事実が明らかになった。
※非核三原則を表明した佐藤栄作は1969年(昭和44年)1月14日付で米国政府に送った公電で「非核三原則はナンセンスだ」と発言したことが、アメリカの公文書から明らかになっている。

日本は、世界に「核廃絶!!」とは叫んでいないのだ!!

なぜ日本人は、アメリカに原爆投下の責任を問わないのか??


アメリカと日本の取引!!
我々日本人は、被爆国としてのアメリカの残虐な原爆無差別殺戮犯罪や絨毯爆撃を問わない代わりに、アメリカも、日本軍が行ったアジア太平洋各地で行った残虐な戦争犯罪(毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃、慰安婦問題等)を問わない時代がずっと続いている!!
これでいいのだろうか??

◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ
小路田泰直

◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—



小路田泰直

それは、中曽根が、原子力予算提出にあたって、次の如く、当時サンフランシスコにいた嵯峨根遼吉から強い影響をうけたと述べていることからも想像できる。 
 嵯峨根といえば、先にも述べたように、仁科が湯川とともにアメリカに送り込んだ、若き核物理学研究者の一人だったからである。その発言には、仁科の思いが乗り移っていたはずだからである。

※いくら強大な武器を作ろうと、平和は来ない!!アメリカの戦後の動きが如実にそれを物語る!!
戦争依存症の国 アメリカ!!




湯川秀樹・・・(ウキペディアより)(中略)またその一方で、反核運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。
ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。

※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。


※今現在も、潜在的核保有国なのか、もう核兵器を持っているのだろうか?全ては極秘裏に進められている!!


”核”を求めた日本ー被爆国の知られざる真実ー(内容全て書き出しました)

原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~




・脱原発3
自然エネルギーを活用しよう!!



南極観測特別委員長。
日本学術会議南極特別委員会医学部門委員には、第2代731部隊長であった北野政次、凍傷実験班班長だった吉村寿人、731部隊嘱託の戸田正三らがいた。
高杉晋吾の電話取材に茅は答えた。
「北野政次?その人がどんな人か知らない。私は記憶していない。・・・・・戦争中の事はあんまり取り上げない方がよい。それに例え、それが関東軍の経験であっても、・・・・いまの学問に役立つものなら取り上げてよいのではないでしょうか?」(『日本医療の原罪』より高杉晋吾著)

ETV特集 シリーズ 原発事故への道程(前編)「置き去りにされた慎重論」


ETV特集 シリーズ 原発事故への道程(後編)「そして“安全”は神話になった」


記者に「アホ」「出ていけよ、お前」田中俊一




知らないままではダメ!マスコミが報道しない「リニア反対派」の具体的な反対理由

物事を進めるときには賛成派・反対派の両方の意見に耳を傾けて、双方が納得のいく落としどころを探すのが理想的なのだけれど、どうやらリニア新幹線というのは「開通させる」という目標ありきで、異論は揉み消されているようです。マスコミでもほとんど報道されません。今更「リニア反対特集」なんて組めないでしょうから。そんなわけで東京オリンピックとリニア新幹線着工で浮足立っている現状で、リニア反対派がどのような理由で反対をしているのか、多くの人は知るすべもありません。リニア新幹線の巨大プロジェクトがどのような課題を抱えているか、今一度確認しておきませんか?

→リニア計画、建設認可取り消し求め提訴へ 沿線住民ら

回収の見込みなしのプロジェクト、商品価値は?

品川-名古屋間で約5兆4300億円。大阪開業まで含める総額約9兆円の費用をかけてリニアを開通させても、リニア新幹線の乗車料金は現行の新幹線と同等に設定するそうです。当然ながら回収の見込みはありません。ペイしないことは当初からJR東海も認めていること。
恒久的に赤字運行になることがわかっているリニア新幹線になぜJR東海は着工することができたかというと、それは民間の形をとった国家プロジェクトだからです。政府は日本の技術の新しい象徴として、どうしてもリニアが欲しかった。そしてそれをパッケージングして海外に売りたかった。1つの国に売って1兆円稼げれば、10か国で10兆円。でも、リニア技術は無償提供するという話も出ています。儲けは出にくいですね。



リニア中央新幹線がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤ


広瀬隆講演会「リニア新幹線と原発」前編




相原高校を残そう!!(リニアはいらない!!)
神奈川県立相原高校を残そう。




●秘密国家日本!!特定秘密保護法撤廃!!情報公開!!
日本だけの無期限秘密(『日本の国家機密』藤井治夫著 1972年)
アメリカではニュヨーク・タイムズによるベトナム秘密文書公表事件いらい、世論の批判が高まったためもあって72年6月1日、秘密文書取扱規則が改正されている。これにより一般秘密文書は、一定期間とに秘密区分をダウンレードし、10年後にはすべて公開することになった。また、国家安全保障にかかわる文書についても、30年を経過したときは自動的に秘密解除されることになった。ただし国務省、国防総省、CIAの文書および外国政府と取り交わした、とくに重要な文書については、関係官庁の長官が必要と認めたときは例外措置がとられる。
このほか各国の状況をみると、学術研究者には全く制限を付さないのがアラブ連合、25年ないし35年で原則的に解除するのが東ドイツ、ハンガリー、アイスランドなど6ヵ国、50年で制限を解くのがイギリス、イタリアなど16ヵ国、100年で解除されるのがスペイン、バチカン、ベルギーの3ヵ国となっている(総理府調べ)。無期限なのは日本だけで、スペインやバチカンより悪質ということになる。政府資料は、とうぜん国民に帰属する。そうした観念を全くもたないのが、わが支配階級なのである。


・ニュース
<共謀罪>採決で攻防 衆院委、野党は法相不信任案へ

暴力団対処の論法が一般人にも 「共謀罪」で溝口敦さん

籠池前理事長 8億円値引き巡り“新資料”

民進、国有財産売買の法改正案 ネットで情報公開義務化

文科省の審議会 新設獣医学部に「課題あり」と報告

“森友問題”交渉記録破棄、市民団体 財務省を告発

森友問題、自民大阪府議団が百条委を再提案

東国原氏、くすぶる森友問題に喝!「昭恵さんが出てきて、堂々と説明すればいいんですよ」


森友問題、深まる謎 発覚3カ月、8億円値引きなぜ?


森友問題、官僚の忖度は? 発覚から3カ月、疑惑続々


金子勝:共謀罪と森友学園問題、安倍政権は史上


命令書なし 昭恵夫人付職員に国家公務員旅費法違反の疑い

安倍昭恵夫人付の公務文書は「用済み」廃棄

目くらまし改憲 昭恵夫人関与で議員辞職ではなかったのか





森友系保育園、「事業停止」に保護者困惑 大阪市が説明会

国連委員会が「慰安婦」日韓合意見直しを勧告 「補償や名誉回復は十分でない」 報告書で両政府に


・森友問題
【古谷経衡氏インタビュー】コンプレックスのこじらせ過ぎは要注意! 森友学園問題で露呈した、“意識高い系”安倍昭恵氏の典型行動とは?!【後編】

【森友問題】忖度して当然?「安倍晋三記念小学校」設立趣意書に記載か―昭恵夫人の積極的な関与も


音声記録の「特例」発言は財務省室長…森友問題

森友問題、安倍首相はケリを付けるべきだ



財務省・大阪府・防衛省その他の国の機関は、きちんとデータ出しなさい!!まずい資料はすべて隠蔽!!


松井一郎大阪府知事と籠池理事長の面識は本当に無かったのか?(松井知事と塚本幼稚園児の遭遇)



安倍首相 森友学園「私が関わっていたら、総理大臣を辞める!」




・安倍首相靖国参拝違憲訴訟
裁判官は、戦前・戦中の靖国神社の果たした役割を知っているのか?
「安倍総理大臣が参拝後に出した談話を素直に読めば、恒久平和への誓いを立てたものと理解され、軍事的衝突の可能性が高まると理解するのは困難で、平和に暮らす権利が侵害されたという主張は認められない」
安倍首相の靖国参拝訴訟で原告敗訴



・医療問題
『抗がん剤で殺される?ハラダヨシオも殺された?薬って毒なの?』


新薬を投与された影響はなかったのか??
【訃報】ラグビー元日本代表の平尾誠二氏が死去

妻が43歳の若さで 夫が病院を提訴

・水俣病の原因解明を遅らせたチッソと東大医学部
医学は水俣病で何をしたか   宇井純

水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した

田宮猛雄といえば、水俣病研究懇談会、通称「田宮委員会」での悪行が有名である。
医師会会長の権威を利用して、腐った魚を喰ったせいだなどという説をでっちあげ、
真の原因である有機水銀説をつぶし、被害を拡大させ新潟での第二水俣病まで引き起こした[5]。

しかし彼は731部隊にも深く関与しており、部隊員とも懇意で、戦後も人体実験をしていたことは
あまり知られていない。

彼の死後、追悼文集が出版されたが、その中で北岡正見、安東洪次、目黒康雄、田嶋嘉雄など
731関係者が勢ぞろいして思い出を語っている[6]。

731部隊マラリア菌研究班に所属していた目黒康雄は、軍医として戦地に送られるところを
田宮の計らいで防疫給水部(731部隊の別名)の職を斡旋してもらったと語っている。
田宮は「徴兵逃れ」をエサに教え子を731部隊へ送り込んでいたのである。

また田宮は731部隊の別働隊でもある北京の1855部隊へ出張していたとも言われている[7]。

田宮は731部隊第2代部隊長・北野政次とも非常に親しく、戦後、北野が東大伝研に現われたとき、
もっとも北野の庇護したのが田宮であった[8]。
また福見秀雄や北岡正見とも一緒に研究をしている[2]。

・京都府立大学の黒い影
【京都】京都府立医大の医師が飲酒し暴行で逮捕5/14 12:19

収監逃れ、病院内で金品授受か 京都、容疑で3人送検

虚偽診断書類 病院職員が「下書き」

731で凍傷実験の人体実験や同時に特移扱いにされたマルタの管理を行っていた班の班長でもあった吉村寿人は、戦後南極観測の特別委員会の委員を務め、京都府立大学の学長になった!!
淵上輝夫『戦争・罪・贖罪-吉村寿人の場合』

ディオバン事件

収監逃れ疑惑、京都府医大に府幹部派遣へ
暴力団に虚偽診断疑惑の名門・京府医大の「闇」…過去にもトンデモ不祥事連発

<森永ヒ素ミルク>障害被害者、高い死亡率…発生から62年

・神奈川大口病院
大口病院

群馬大学病院腹腔鏡手術後8人死亡事故

歯科医刺傷事件 逮捕学生が供述、医師と「女性関係でトラブル」

女性に集団で乱暴 医学部生に懲役3年実刑判決 千葉地裁

【千葉大医学部レイプ事件】23歳犯人たちの「華麗すぎる家柄」

“集団性的暴行” 研修医ら3人を不起訴に


・地下鉄サリン事件と自衛隊!!
戦後、日本軍の毒ガスのデータも全てアメリカに渡った。そして日米軍事同盟の交流の中で新たな毒ガス開発が続いている!!
1964年には、既に自衛隊ではサリンを製造していた。

日本陸軍の毒ガス技術がアメリカへ!!(731と構図は全く同じ)
「そもそも、現在沖縄米軍基地にあるサリンガスの、合成、使用、防護、治療のノウハウは、日本軍から米軍に渡ったもの。戦時中、『関東軍メソッド』という謀略組織があってねえ・・・・・」
「要人暗殺用に毒ガスを使えないかというのが、『関東軍メソッド』のテーマの1つだった」
―「関東軍メソッド」の幹部の1人でもあり、六研の責任者の1人でもあった横山中佐は、米軍=GHQの呼び出しに応じ、終戦の翌年(1946年)㋂、元六研の技術将校グループ10数名とともに、東京・日生ビルに出頭した。
―米軍から横山中佐以下全員に、「日本陸軍の毒ガス技術について、詳細なレポートを提出せよ」と命令がなされた。その代わり、ジュネーブ協定の違反の罪、戦争犯罪の対象から外すというのであった。
―鼻の先に戦犯免責のエサをぶら下げての、毒ガスレポート提出である。日中戦争では、日本陸軍は実際に毒ガス戦を展開した。東京裁判でもそのことを問おうとする動きがあった。
―戦犯に問われるかもしれない。その恐怖は、毒ガス将校たちのアキレス腱でであった。旧六研関係者は、米軍の命令に抵抗できなかった。レポート作業は約6ヶ月続いた。
―ナチスドイツから日本陸軍に渡ったサリン、ソマン、タブンなどの神経ガスの技術文献は、このときに横山中佐からひそかに米軍に提出された・・・・・。
「ソ連はドイツ本国から多数の技術者と機械設備をロシアに持ち帰って、サリンの研究を続けた。アメリカさんは日本陸軍から技術文献で、戦後サリンの研究を開始したんだ」
『悪魔の白い霧』下里正樹著より

地下鉄サリン事件から22年を前に 被害伝える集会

土呂久砒素公害
1937年 日中戦争始まる。毒ガスの原料として使われていた。行き先は瀬戸内海の大久野島である。大久野島毒ガス資料館がある。

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠 (寒川町)で、どのような化学兵器が作られていたのか、化学実験部=海軍技術研究所(平塚)では?

「旧海軍の毒ガス」に新資料 1987年4月7日(朝日新聞)

本土決戦へ相当量備  米軍報告書

敷地の見取り図では、コンクリート壁に囲まれた約8百メートル四方に、14の実験室の他毒液貯蔵室、ガスタンク、爆弾貯蔵庫などがびっしり並ぶ。主な実験室には毒液輸送などのために線路が敷かれていた。

総司令部の尋問に対し、海軍の元将校は「海軍ではもっぱら化学兵器の使用については防御を中心に考え、攻撃は頭になかった」と答えている。しかし、化学戦で広く使われた猛毒のイペリットの年間製造量を陸、海軍で比較すると、昭和17年以前で、陸軍1262トンに対し、海軍30トンだったのが、19年には陸軍157トン、海軍190トンと逆転。また、国内の海軍貯蔵所には本土決戦に備え、ある程度の攻撃兵器が保管されていた。




オウム真理教の中に化学学校の隊員がいて、サリンの製造方法が漏れていたのではないのか?
「地下鉄サリン事件」ザ!世界仰天ニュース

防衛省は、2002年~12年の製造・使用・廃棄・最大保有量などの実績値を初めて公表。過去11年間に製造された特定物質は全11種類にのぼっている。その中には、神経系統を破壊するサリン、タブン、ソマン、VXガス、皮膚のただれを起こすマスタードガス、チッソマスタード、ルイサイトなどが含まれる。(自衛隊化学学校・・・陸自大宮駐屯地所在)
第4回目



・自衛隊とパワハラ(1)



自衛隊機墜落 隊員4人全員の死亡確認

安倍改憲の本丸「9条改正」に待ち受ける関門

変わる「過酷な職場」…自衛官の女性比率倍増へ


南スーダンは安全?なら会社員を派遣したら 自衛官の母

“軍事的研究は慎重に” 科学界が新声明

東工大、応募認めぬ方針 軍事応用できる研究の助成 今年度

安倍首相「憲法に自衛隊明記」発言 学者から見て現状は違憲なのか?

日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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