731を問う!!
2016年6月26日日曜日
国家犯罪!731から熊本大震災まで!!
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●731部隊(1)
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●731部隊(4)
●陸軍軍医学校50周年記念行事について
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●ニュース
再投票求める請願が200万、議会で審議へ 英EU離脱
<善光寺>トップの貫主がセクハラ 信徒が辞任勧告
米軍また飲酒事故=軍属の女逮捕、酒気帯び容疑―沖縄
内政課題山積で求心力低下 韓国・朴槿恵政権に逆風
冷たい血 (´`)=3
自民・麻生財務相 - 高齢者に「いつまで生きるつもりだ」-2016.06.18
麻生財務相「いつまで生きているつもり」 北海道の会合で発言 2016年6月18日(土)11:13
【参院選】東京選挙区・小川敏夫氏の危機。- 2016.06.25
ドイツはまだ、戦争責任を追及している!!日本は全く忘れようとしている!!いや、あの戦争を肯定している!!
アウシュビッツ元看守に禁錮5年=94歳、殺人ほう助―独
大惨事以上の福島原発
大惨事以上の福島原発。大惨事は後片付けすることが可能だ。 東京電力福島第一原子力発電所廃炉推進カンパニー最高責任者の増田尚宏は、とうとう公に“公式に”600トンの熱い溶融炉心コリウムが行方不明だと発表した(福島原子力発電所の運営企業が、600トンの溶融燃料が行方不明と語る、Epoch Times、2016年5月24日)
※コリウムとは・・・★炉心溶融がおこると、ウランや酸化ウランという燃料が融けだします。また高温なので壁等につかわれるジルコニウムや鉄も融けだしてきます。融けだすとすべて液体となり、これらの液体の混合物をコリウムといいます。
小出裕章先生:原子力をすすめる意図は要するに核兵器を持ちたいということだと思います
小出裕章先生:原子力をすすめる意図は要するに核兵器を持ちたいということだと思います
核軍縮進展の見通し悲観的 スウェーデン研究機関
<医学関係団体>軍事研究容認に反対「過ち再びたどる」
吉永小百合さんの投票呼びかけメッセージについて。- 2016.06.13
慰安婦記録物の世界記録遺産登録、日本政府は阻止に向け全力で対応
学術会議会長「自衛目的の研究許容を」 軍事否定から転換の可能性
STAP細胞の特許出願、米ハーバード大学が世界各国で…今後20年間、権利独占も
ドイツ環境・原子力大臣、「原発は費用がかかり将来世代に責任を持てない」=2020年の原発全廃を強調―東京で会見
・ロナルド・レーガンは地震の時どこにいたのか??人工地震の影響??
・小泉氏はなぜこんなにも、アメリカには敏感なのか????日本の被曝者には基金は作らない??
小泉氏が涙 トモダチ作戦の健康被害「見過ごせない」
20051215 小泉首相 「イラク戦争を支持した判断は正かった」と強調
???
ロナルドレーガンの乗組員が被曝してるのに何故それより近くにいた東電職員が被曝しないんでしょうか?
自然は人類の都合とは関係なく動いている…だ・か・ら…(;´д`)
軍事費が国を滅ぼす!!
トランプ氏の「日本防衛費全額要求」について。-2016.05.05
●脱原発!!
南京大虐殺の「勇士 木村守江」(元軍医)は福島原発導入の張本人だった!~レイバーネットTVで明らかに
南京大虐殺や原爆開発の反省をしないまま戦後突き進んだ結果が福島原発事故だ!!
木村守江(元福島県知事)と南京大虐殺と原発!!
木村守江と南京、福島原発
大惨事以上の福島原発
大惨事以上の福島原発。大惨事は後片付けすることが可能だ。 東京電力福島第一原子力発電所廃炉推進カンパニー最高責任者の増田尚宏は、とうとう公に“公式に”600トンの熱い溶融炉心コリウムが行方不明だと発表した(福島原子力発電所の運営企業が、600トンの溶融燃料が行方不明と語る、Epoch Times、2016年5月24日)
※コリウムとは・・・★炉心溶融がおこると、ウランや酸化ウランという燃料が融けだします。また高温なので壁等につかわれるジルコニウムや鉄も融けだしてきます。
融けだすとすべて液体となり、これらの液体の混合物をコリウムといいます。
原子力村→原子力マフィア→安保村
20160604 自由なラジオ #10「小出裕章ライトアップジャーナル
20160328 3.28松本アクション〜小出裕章氏
もんじゅ改革めど立たず 報告書案、新運営団体は未定
「核のごみは浜岡敷地内で処理すべき」 最終処分で川勝・静岡知事
ドイツ環境・原子力大臣、「原発は費用がかかり将来世代に責任を持てない」=2020年の原発全廃を強調―東京で会見
地震大国日本!これでも原発を動かすの??
活断層、日本に2千以上 どこでも大地震が起こる恐れ
「熊本地震は南海トラフ地震の前兆」専門家が緊急警告
「高浜原発の運転は不安」が最多 意見公募、規制委に 審査書案は修正わずか
甲状腺がん「チェルノブイリの多発傾向と酷似」〜疫学専門家
福島の癌→子供の甲状腺がん増加地図をチェルノブイリと比較する
母ちゃんの嘆き…子どもの叫び…過去を心に刻もうとしないモノへ…(¬_¬)
福島の甲状腺がんの患者に対していつ国は賠償をするのだろうか??
以下『NNNドキュメント THE 放射能 人間vs 放射線 科学はどこまで迫れるか?』
のビデオの冒頭の部分起こし。
「放射能は怖くない」。そう教えられていました。第2次大戦後、アメリカは爆心地の近くで人間はどこまで戦えるのか人体実験していたのです。その数25万とも言われるアトミック・ソルジャー(Atomic Soldier)、アメリカ政府が責任を認め、兵士たちに賠償するまで40年かかりました。
また、チェルノブイリ原発事故で多発した子どもたちの甲状腺がんが、放射能が原因だと認められるまで20年の歳月がかかりました。
5年前に起きた東電福島第一原発事故、100ミリシーベルト以下の低線量被曝を受けた作業員たちも病魔に襲われています。・・・・
NNNドキュメント THE 放射能 人間vs 放射線 科学はどこまで迫れるか?
・放射能の被害が深刻化しているのに、なぜ日本の医学界は“脱原発”と叫べない??
731部隊では放射線をマルタに浴びせて人体実験をしていた。
非倫理的なことをして、医学界は何を画策していたのだろうか?
また、原爆開発の研究も進めていた。
原爆投下直後、731の秘密を隠すために、国を挙げて被災地の放射能の被害について調べ、アメリカに協力した。「アメリカの心証を良くする為に」(国体護持のために)
そして、結果はアメリカに731のデータを提供し、731の医学者・原爆開発にかかわった科学者はすべて戦犯免責され、アメリカとの交流を深め、アメリカに取り込まれ、新しい化学・生物・核兵器の開発をしている。
国は、核兵器開発を進めているために、被曝に対する情報を隠蔽し、医学者・科学者も協力している。
※ヒロシマ・ナガサキの被爆者たちの治療よりも原爆の威力の調査が優先された。
国体護持のために。
今のフクシマの現状も同じではないか?
なぜ、日本は原爆投下直後、調査をやったのか?
放射能の危険性
トリチウムについて!!
核融合はやるべきではない!!
【熊本地震】丸川担当相「川内原発停止の必要なし」について。- 2016.04.16
●731問題
ドイツはまだ、戦争責任を追及している!!日本は全く忘れようとしている!!いや、あの戦争を肯定している!!
アウシュビッツ元看守に禁錮5年=94歳、殺人ほう助―独
南京大虐殺や原爆開発の反省をしないまま戦後突き進んだ結果が福島原発事故だ!!
木村守江(元福島県知事)と南京大虐殺と原発!!
木村守江と南京、福島原発
昭和天皇(当時は大元帥であり、現人神と教えられた)の名で始めた戦争!アジアで何千万人が犠牲になったのだろうか?
そして敗戦!!昭和天皇は責任を取らなかった!!謝罪もしない!!
あの戦争は明らかに侵略戦争であり、自衛の為の戦争ではなかった!!
安倍晋三と日の丸と戦闘機と「悪魔の飽食」731
安倍晋三のおじいさん岸信介と731の関係は??
岸信介・・・1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には総務庁次長に就任。この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。大蔵省出身で、満州国財政部次長や国務院総務長官を歴任し経済財政政策を統轄した星野直樹らとともに、満州経営に辣腕を振るう。同時に、関東軍参謀長であった東條英機や、日産コンツェルンの総帥鮎川義介、里見機関の里見甫の他、椎名悦三郎、大平正芳、伊東正義、十河信二らの知己を得て、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物「弐キ参スケ」の1人に数えられた。また、山口県出身の同郷人、鮎川義介・松岡洋右と共に「満州三角同盟」とも呼ばれた。
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より
岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。
岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。
岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。
証言 侵略戦争2 「中国人強制連行」 -加害体験の告白-
従軍慰安婦を娼婦呼ばわりし、今回の閣僚・議員の靖国挑発を画策し、アメリカ様よりお叱りを受けて、侵略は国によって異なるとか、靖国や歴史認識、慰安婦の政治問題化は望んでいないなどの噴飯の見苦しい詭弁や言い訳を吐き続ける安倍晋三。親子揃ってそっくりではないですか?
第61・62・63代内閣総理大臣佐藤栄作は実弟。また長女・洋子は安倍晋太郎に嫁いだ。洋子の次男は第90・96・97代内閣総理大臣安倍晋三、三男は政治家岸信夫。
岸は安保反対のデモが続く中、一時は首相官邸で実弟の佐藤栄作と死を覚悟する所まで追いつめられた[65]が、6月18日深夜、条約の自然成立。6月21日には批准、昭和天皇が公布した。新安保条約の批准書交換の日の6月23日、混乱の責任を取る形で岸は閣議にて辞意を表明する。
樺美智子さん(60年【岸内閣】安保闘争の犠牲者)の墓誌
「最後に」
誰かが私を笑っている
向うでも こっちでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れずほほえみたいものだ
731部隊というのは一旦入ったら、2度と出ることはできない気違い共の医者たちに目茶目茶に切り刻まれて実験で殺されてしまう。
医学者?と人体実験
731部隊のドキュメンタリー
オバマ大統領が広島を訪問し、スピーチをし、原爆資料館を見学した。
広島スピーチ
ロシア下院議長 広島でオバマ大統領の謝罪なしを非難
外遊好きな安倍首相も、パールハーバーや731罪障陳列館や南京大虐殺記念館などを訪問し、スピーチや記念館の見学をしてもよいのでは!!
真珠湾攻撃
終戦50周年731部隊
フィルムは見ていた!検証「南京大虐殺」
生体解剖は、731部隊以外の中国の陸軍病院でも行われていた!!
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」
中国帰還者たちの戦後60年
特定秘密保護法撤廃!!
国民は「知る権利」を行使し、軍事増強を阻止しよう!!
軍事技術関連の研究 禁止や制限の国立大は4分の1
「軍事目的の研究」どう対応 日本学術会議が議論開始
学術会議会長「自衛目的の研究許容を」 軍事否定から転換の可能性
大西隆会長
上記の動きに反対する声明が出ました!!
731部隊で行われた人体実験・細菌戦に関し、日本政府は罪をきちんと認め、謝罪すべきだ!!
科学者の社会的責任
日本学術会議の軍事研究容認の動きを危惧し、反対する医学・医療関係者の声明
わが国の人文・社会科学、自然科学全分野の代表機関である日本学術会議が2016年5月20日、軍事研究のあり方を考える「安全保障と学術に関する検討委員会」の設置を幹事会で決定した。これに先立ち同会議の大西隆会長が本年4月の総会で自衛目的の研究を容認する考えを示したのを受けての動きと考えられる。
私たち 「『戦争と医の倫理』の検証を進める会」は、軍事研究に公然と道を開こうというこの委員会設置を強く危惧し、医学界の一員としてここに断固として反対の意を表明する。「『戦争と医の倫理』の検証を進める会」は2009年に発足し、「過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在にも盲目となる」という歴史の教訓を生かして、いわゆる「731部隊」に代表される十五年戦争における日本の医学者・医師らによる「人体実験」などの非人道的行為を、史実に沿って検証し、その教訓を生かしていくために活動を続けてきた。
患者の命を守るべき医学者・医師が「研究」の名目のもとに残虐な行為を行う加害者となり、戦後は「人体実験」などのデータ供与と引き換えに米国政府から免責され、わが国の医学界は一貫して検証も反省もせずに事実を隠蔽したまま現在に至っている。このように「731部隊」の問題には、軍事研究が行き着く先のすべてが含まれている。私たちは本会の設立以来、多くの資料や証言によってこの日本で実際に起きた医学者の加害の歴史について検証を進め、二度とこのような過ちを繰り返すべきではないと日本医学会や日本医師会を始め、医学界に強く警鐘を鳴らしてきたのである。今回の学術会議の動きは、まさにその過去の大きな過ちへの道を再びたどるものと危惧する。
平和主義と基本的人権の擁護は、患者の命を守る使命を担った医学者・医師が片ときも忘れることを許されない倫理であると同時に、日本国憲法の原則に一致するものである。世界医師会は「非倫理的行為を求める法には従わない」ことを医師に求めている。
日本学術会議は 1950 年に「戦争を目的とする科学研究には絶対従わない決意の表明(声明)」を、1967 年には「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を発出している。これはわが国の科学者の真の自律と良心の宣言として、過去・現在そして未来までもその輝きがいささかも失われることがあってはならないのである。
「『戦争と医』の倫理の検証を進める会」は、歴史の教訓を踏まえ、科学者としての倫理と平和を追求する立場から今回の大西会長の発言に大きな危惧を有し、反対の意思を表明し、従来の声明の擁護を求めていくものである。
2016年6月8日
「戦争と医」の倫理の検証を進める会
いかなる部隊であったのか?
※中国の731罪障陳列館から特移扱で731部隊に送られ、人体実験されて亡くなった人の資料が届きました。犠牲者は3000人以上とされています。
その「特移扱」というのは、憲兵隊及び偽満州国警察が、中国人民を不法に逮捕し、「重罪にあたる者」と決定したならば、裁判をおこなわないで、憲兵隊から石井部隊に移送して、細菌実験材料としてなぶり殺しにすることであった。
原美臻さんの特移扱資料11
封印された真実1
4月12日(火)15:00から東京地裁419号室で『衛生学校記事』の情報公開裁判がありました。
10回目の法廷で、初めて傍聴席52席が満杯になり、熱気を帯びてきました。
なぜ、自衛隊衛生学校で作った『衛生学校記事』がきちんと保管されていないのだろうか?
衛生学校と言っても、国民の税金で作られた公の施設である。自衛隊だから戦後、物品の管理はしっかりやっていると思うのであるが、不思議である。自分たちの大事な研究をまとめた機関誌である。寄贈資料も所在不明、よほど、管理が杜撰なのか??
季刊誌『ふかみどり』がきちんとあるのに、なぜ、その前の『衛生学校記事』ない??
原告の陳述より
5 金原資料は隠蔽されている
私たちが本件裁判で公開を求めている『衛生学校記事』は、一昨年、その一部が防衛医科大学校図書館等から発見されたとして公開されました。
しかし、そもそも裁判を起こされてから「防衛医科大学校図書館」を調べ直したら 『衛生学校記事』 の一部が発見されたという話し自体に私は強い疑いを抱いています。虚偽だと思います。また、元学校長の金原節三氏が『衛生学校記事』 を89冊も寄贈しているのに、防衛省は存在しないと主張し続けていますがこれも虚偽だと思います
裁判所の三権分立がいま問われている!!
なんとか、この防衛省の内部研究誌を公開させたい!!
※尚、情報公開・個人情報保護審査会の答申が3月にあり、
「『化学学校記事』と『衛生戦史資料の体系化』も不開示決定は妥当」としたことに対しても、裁判で公開を求めることにしたという。
※特定秘密保護法が施行され、TPPはじめ、各省の情報開示が困難になってきている昨今、マスコミはこういう裁判を積極的に報道し、国の隠蔽体質を明らかにするべきだと思うが、一社も取材しないとは、どういうことだろうか?嘆かわしい!!
日本は「核兵器の非人道性」を主張する前に「731の非人道性」を謝罪せよ!!
歴代日本政府は、天皇制護持の為、いつも情報を隠蔽している!!
TPP文書だけではない!!
開示された文書「何で黒塗り?」
歴史を繰り返さないための海外の取組み!!
ヒトラー生家収用へ法案 オーストリア内務省
守秘徹底、法人設立も容易=「文書」発端の租税回避地-パナマ
731部隊の設置許可、人体実験、毒ガス戦・細菌戦実施の許可した昭和天皇とそれに協力せざるを得なかった日本医学界の責任、戦後、その人体実験、毒ガス戦・細菌戦を全く裁判にかけなかったマッカーサーとアメリカ政府の責任、1990年代から2000年代にかけて行われた裁判において、事実を認めながら、それを放置している司法の責任、全く無視している政治の責任、731に対する国民の認識は?
戦後70周年、中国の人々から日本の我々に届いた重いメッセージ!
虐殺された人々(日本人を含む)の声なき声にどう応えるか?
日本人はこの731問題にどう向き合うか?重い課題!!
日本には本当に三権分立があるのかが問われている!!
・・・・私自身が逮捕した天津における烈士は、あまりそのような内容に該当しない人なんですよ。諜報員それ自体の宿泊の便宜を与えただけであってそれ以外の関係もなかった。
・・・・昭和14,5年頃からの予算がね731部隊だけで1千万。関東軍の総予算が2千万、残りの1千万があの当時満州に駐留している師団が11個師団ぐらいおったんかな、1個師団2万人として、20万から23万ぐらいの人員に飯を食わせて、服着せて、靴はかせて、防寒着を着せて、鉄砲玉作ってね、支給してという費用が1千万。731部隊の研究費が1千万。そういう莫大な予算をもらっている関係もありますわね。・・・・細菌戦とか毒ガス戦というやつは、条約で禁止しておる関係があって、世界各国極秘裏に研究をやっておるわけですね。ですから、我が731部隊自身のの存在自体もですね、これは重要な最大の国家機密として位置づけられて、極端に言えば日本の国挙げての保護のもとに我が部隊が成り立っていた!!・・・・
731(1)
・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
黒い太陽№15
※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。
朝枝繁春の証言
古河、三井、チッソも戦前から国策「富国強兵」のもと、事業が進められ、環境問題を無視し、被害を拡大させ、今でも問題になっている!!そして、福島第一原発事故後も、国策「核兵器開発」のために、脱原発の方向に進まず、原発を再稼働させている!!
●水俣病
新潟水俣病 感覚障害だけで認定命令 7人の訴え認める
水俣病の被害が拡大した時も、医学界の権威者が、一時、チッソ水俣工場の有機水銀説を否定した。
原因が工場排水中の水銀らしいと見当がついた1959年夏以降は、熊本大学医学部の研究班は企業や通産省、御用学者の集中砲火を浴びることになる。
東大を中心に水俣病をもみ消すために作られた田宮委員会
※細菌戦部隊の周辺で研究者を送り込んだり,その他の協力関係にあった人です。
*田宮猛雄 (当時)東京帝国大学で若い研究者を731に送り込んだ
(戦後)東大医学部部長
水俣病公式確認60年 未曽有の被害 全容未解明
水俣病
水俣病を引き起こしたチッソと皇太子妃雅子様は
日本の公害
●イタイイタイ病も賠償まで50年かかった!!
G7閣僚 高い関心 イタイイタイ病の教訓 世界へ/富山
1920年(大正9年)、当時の上新川郡農会長であった金岡又左衛門が農商務大臣山本達雄と富山県知事東園基光に神岡鉱業所の鉱毒除去の建議書を提出したのが神通川流域の鉱毒被害の表面化の始まりである。
1966年(昭和41年)11月、被害者の家族や遺族らがイタイイタイ病対策協議会(略称:イ対協)を結成した。 その後、イ対協は神岡鉱業所と交渉するも企業側の対応が冷ややかだったためイ対協の会長であった小松義久などは裁判で訴えることを決意する。 1968年(昭和43年)1月、全国から集まった20人の弁護士によってイタイイタイ病訴訟弁護団を結成した[8]。
1968年(昭和43年)3月9日、患者・遺族28人が三井金属鉱業を相手に総額約6億3000万円の第1次訴訟を起こす。 1971年(昭和46年)6月に第1審が原告勝訴の判決を下した。 1審判決を不服とする三井金属鉱業は控訴したが、第2審も1972年(昭和47年)8月9日に原告側勝訴の判決となった。 三井金属鉱業は上告を断念し、第2次以下の訴訟も判決内容にしたがって補償することを決めた。判決ではカドミウムの放流とイタイイタイ病とは因果関係があると断定した。 三井金属鉱業は第5次訴訟まで総額23億5633万円の損害賠償金の支払い、農業被害の賠償と汚染土壌の復元義務、住民の立ち入り調査権を認めた公害防止協定書の締結の3点を内容とする和解に応じることとなった。・・・・・
2014年(平成26年)9月末時点では認定患者は198人で要観察者が延べ408人となっており[15]、患者数は増加し続けている。
さらに、2014年(平成26年)9月の検査では従来行われてきた5歳刻みで対象年齢を決めていた流域住民への健康調査を全年齢を対象に切り替えたところ、1969年(昭和44年)の調査開始以来最多の精密検査対象者が出ており、健康調査への受診率が低迷していることも合わせると、患者数の正確な数字は把握できていない[15]。
患者に認定されると公害医療手帳が支給され、国から医療費・障害補償費・療養手当などが給付される。また、三井金属鉱業からも賠償費・医療費・入通院費・医療介護手当・温泉療養費が支給される[14]。
しかし、認定にハードルは厳しく、いまだに行政の救済を受けることができずに苦しんでいる人たちが残っている。現代での問題点は原因分析ではなく、患者認定・要観察判定の具体的な基準に移っている。行政側である県認定審査会は厳しい基準を課して却下する事例が多い。 具体的には、イタイイタイ病の認定の4要件の1つとなる骨軟化症の判定をおこなっている。
ドキュメンタリー:イタイイタイ病
「イタイイタイ病」全面解決??
萩野医師によって、原因究明がなされたが、日本医学界はこの問題にきちんと向き合ったのだろうか???
「カドミウム原因説」発表後、萩野を取り巻く状況は一変する。「田舎医者に何が分かる」「売名のためのPRだ」と罵声が浴びせられ、地元からも「嫁のきてが無くなる」「米が売れなくなる」と白眼視される。「萩野は砂利トラックに撥ねられて死ぬだろう」との風評が飛びかい、患者の元には白衣の男たちが現われて「鉱毒説に関わると大変なことになる」と脅迫した。萩野は荒れ、富山市内に繰り出しては飲み歩く日々が続いた。・・・・・
萩野昇の人生
萩野昇(富山のシュヴァイツァー)
カドミウム説の確信
そして昭和36年6月24日、萩野は札幌市で開催された第34回整形外科学会でそれまでのデータを発表することになった。発表には共同演者として吉岡金市博士が名前を連ねていた。日本各地の新聞社、マスコミは萩野の発表に注目していた。会場には整形外科医ばかりでなく多くのマスコミ関係者が押し掛けていた。それだけ社会的関心が高かったのである。萩野が壇上に上がると、カメラのフラシュがいっせいに連射され、映画撮影機が回りはじめた。
萩野はこれまでの研究成果を発表した。それらを要約すると以下のとおりである。イタイイタイ病は神岡鉱業所から神通川に排出されたカドミウムが原因であること。神通川流域の住民がカドミウムを多く含む川水を飲み、あるいは汚染された米、農産物を長期間にわたり飲食することによって、カドミウムが体内に蓄積して慢性中毒を起こしたこと。その証拠として、カドミウムはイタイイタイ病患者周辺の神通川の川水あるいは流域の土壌に大量に含まれ、他の河川や土壌には少量しか認められないこと。またカドミウムは神岡工業所より上流の神通川には検出されないこと。さらにイタイイタイ病患者の骨などの臓器から多量のカドミウムが検出されたこと。これらのデータを示し、結論としてイタイイタイ病はカドミウムの慢性中毒であると述べた。
※岡山大学の小林教授はどうしたのだろうか??
※その後、東大の吉田教授は、どうしたのだろうか??
※・共同研究者の東大の細谷教授は何をやったのか?
なぜ、研究者は以前から指摘されていた鉱毒被害には目をつぶる。
企業の方も、研究者を味方につけた??
なぜ、きちんと原因究明をしない??足尾鉱毒事件なども起こっていたのに!!
今の、水俣病や福島原発事故と構図は同じだ!!
※足尾銅山でも鉱毒でイタイイタイ病が発生していた!!(ウキペディア「足尾鉱毒事件」より)
1899年(明治32年)の群馬栃木両県鉱毒事務所によると、鉱毒によるイタイイタイ病で死者・死産は推計で1064人。これは、鉱毒被害地の死者数から出生数を単純に減じたものである。松本隆海は、すべてが鉱毒が原因だとはいえないかもしれないが、当時の日本は出生数のほうが多いにもかかわらず、この地域で死者数のほうが多いのは、鉱毒に関連があるとしている(実際には、鉱毒が原因で貧困となり、栄養状態が悪化して死亡した者が多く含まれていると考えられるが、田中正造や松本はこれらも鉱毒による死者とすべきだとしている)。この数値は、田中正造の国会質問でも使用された。
1895年頃の足尾銅山
※以前から地元住民は鉱毒被害を政府に訴えていた!!医学界の反応は??(ウキペディア「イタイイタイ病」より)
1920年(大正9年)、当時の上新川郡農会長であった金岡又左衛門が農商務大臣山本達雄と富山県知事東園基光に神岡鉱業所の鉱毒除去の建議書を提出したのが神通川流域の鉱毒被害の表面化の始まりである。建議書には「神岡鉱業所事業の勃興に伴い、土砂に流入する田地の稲は発育に変調をきたし、完全に登熟しない。鉱山経営者に対し除害施設を講ぜしめられたい。」と訴えられている[8]。
その後も同様に要望が婦負郡農会や富山県会からも出たため、東京鉱務署の調査があり神岡鉱業所に廃砕・廃水処理の改善が命じられた。また、富山県は災害対策費として1ヶ所2円の県費補助金を出して、用水路幹線からの取水口に小沈殿池を設けさせて被害の軽減に努めた。これによって一時的に効果をあげたが、満州事変や日中戦争などに伴い神岡鉱業所が増産体制に入ったり、何度かの出水で小沈殿池が流されたり、埋没したりして以前にも増して泥や砂など流入が激しくなった[8]。
1948年(昭和23年)、熊野村(現:富山市婦中町)など3町4村の農家が神通川鉱毒対策協議会を結成。富山県を通じて交渉し、1951年(昭和26年)に神岡鉱業所が農業協力費を関係市町村へ支払うことになった。しかし、原因は解明されないままであった。
731部隊に弟子を送り込んだ防疫研究室の嘱託研究者
*細谷省吾 (当時)東大伝染病研究所教授
(戦後)同研究所に残る
研究業績で朝日賞を受ける
●横浜「戦争と加害」のパネル
細菌戦(「戦争と加害」のパネル展in横浜)
毒ガス(「戦争と加害」のパネル展in横浜
参観者の感想
・ご苦労様です。日中協会神奈川県連の皆様と上海・南京ツアーに参加しました。
①実行委員会に企画段階で展示されるパネルを「神奈川」版にすることを議論して欲しかった。〈例〉石井四郎防研と登戸研究所(9研)の関連図
②毒ガスと平塚海岸」
米軍ダンフォール作戦のコロネット作戦
日本軍“決3号”作戦
③神奈川県平和マップを白地図から作成して下さい。
伏龍と野比海岸
陸軍第3病院
自動車学校 相模原地区
兵器学校
池子
横須賀軍港・三笠
観音崎
海軍工廠
日吉
④戦争と鉄道(インフラ)
明治5年新橋⇔横浜
平沼駅―広島駅へ(日清戦争時の大本営へ)
横浜駅が現在の横須賀駅
横須賀線の沿革 70代男性
●全世界!!脱原発!!核兵器廃絶!!どこで地震・テロが起こるか分からない!!
広島スピーチ
Obama’s speech in Hiroshima オバマ大統領 広島でのスピーチ
・オバマ大統領の広島訪問 所感
5月28日 0時26分
近代の戦争は、この真実を、私たちに教えてくれます。
そして、広島は、この真実を私たちに教えてくれます。
私たちの人間社会が、技術の進歩と同じスピードで進歩しないかぎり、技術はいずれ、私たちを破滅させかねません。
原子を分裂させることを成功させた科学の革命は、私たちの道徳の革命をも求めています。だからこそ、私たちはここに来ました。
広島の中心にある、この場に立つことで、原爆が落ちた瞬間を想像せざるをえません。
私たちは、あの日、目にした光景に恐れおののき、困惑した子どもたちの気持ちに、思いをはせなければなりません。
永田浩三さんの添削
シナリオといっても、紙の上だけのことではありません。
想定した敵国の都市を核兵器が襲うよう、きちんと実戦配備がなされて来たんです。
そんな時代がおよそ70年続きました。
でもこれでいいんですか、わたしはそれを言いたくてこの広島に来たんです。
安倍の顔なんて見たくなかったんだけど、みなさんにまず謝るために来たんです。
原爆投下はあまりに愚かで残虐だったと。
許されるかどうかわかりませんが、わたしは許しを乞いたい。
そこからしか始まらないのです。
原爆投下 10秒の衝撃 (1998年)
スウェーデンの研究機関は、世界の核兵器に関する調査結果を発表し、核弾頭の数の減少スピードは遅いうえ、アメリカやロシアが核兵器の近代化を進めていることなどを挙げ、核軍縮の進展に悲観的な見方を示しました。
核軍縮進展の見通し悲観的 スウェーデン研究機関
※核兵器廃絶の演説をしたオバマはなぜ、インドに原発を???
それも東芝の子会社が建設???
東芝米子会社がインドで原発を建設 米印が合意、2030年完成目指す
堤未果 スーパーリッチが支配する株貧困大国アメリカ
・昭和天皇(原爆被災時、日本の戦争の最高責任者、大元帥)の広島メッセージ
昭和天皇の広島メーッセージ(1975年の昭和天皇記者会見 )
ポツダム宣言黙殺・・・原爆・ソ連参戦
核廃絶へ松本で決議 非核宣言自治体協が総会
核実験・戦争・軍事演習こそが、地球環境を破壊する!!
核保有国は、環境破壊の責任を取ってもらいたい!!
この学術会議の動きは何なのだ???
日本学術会議 軍事技術研究巡り検討委設置へ
広島原爆投下
戦中、日本は原爆開発をしていた。戦後もその動きが続いている!
◉ 特集 : 「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
小路田泰直
ではこうした現実を前に、原子力(原発)開発推進派は、いかなる対処法をとったのだろうか。「関西研究用原子炉」の場合を例にとると、2つの方法をとった。
1つは、「関西研究用原子炉」推進派の中心人物、大阪大学の伏見康治が「四条畷で討死してから私は大阪府の役人や大学の事務局に話を任せていたのでは到底だめだと考え、京大の物理の教授である四手井綱彦氏と特に色々と善後策を相談した。この方は、いわゆる民主団体に接触のある方で、私の考え方は民主団体の援助を受けようというのである。この考えを煮つめていって、まず門上登志夫という人物を仲介役として働いて頂くことにして、お願いに参上したものである。」[★18]と後に回顧しているように、いわゆる「民主団体」の影響力を味方にとりいれるという方法であった。
※1956年(昭和31年)原子力委員長の正力松太郎の要請で原子力委員になる。しかし湯川は、正力の原子炉を外国から購入してでも5年目までには実用的な原子力発電所を建設するという持論に対して、湯川は基礎研究を省略して原発建設に急ぐことは将来に禍根を残すことになると反発、1日で委員を辞めようとしたが森一久らになだめられ踏み止まった。しかしその後も対立は深まり、結局体調不良を理由に翌年には在任1年3か月で辞任した。
※今現在も、潜在的核保有国なのか、もう核兵器を持っているのだろうか?全ては極秘裏に進められている!!
核を求めた日本!(岸信介の弟:佐藤内閣の時代)
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
多磨霊園の仁科の墓
理化学研究所に入り、1921~28(T10~S3)海外に留学し、ラザフォード・ボーアらに学び、原子物理学の理論と実験を研究。28X線のコンプトン散乱に関して〈クライン - 仁科の公式〉を発表。同年末帰国。 31以降理研主任研究員として原子核・宇宙線・量子力学の研究を進め、これら各分野の開拓者となる。その門下から朝永振一郎(同墓に眠る)をはじめ多くの俊英が輩出した。 また核破壊装置の建設をすすめ、37我が国初めてのサイクロトロンを、44には当時世界最大級の大型サイクロトロンを完成させた。 戦後、46理化学研究所長。48理研の解体後、株式会社科学研究所を組織し社長となり、また日本学術会議副議長などを歴任した。46文化勲章受章。<コンサイス日本人名事典>
*謹書は吉田茂。墓右に朝永振一郎の墓が建つ。
彼の最後の公職は、1936年から1938年までの、駐英日本大使だった。それに、彼は南洋への進出の提唱者ではあったものの、アメリカへの攻撃を必ずしも必要とはしていなかった。1941年、アメリカへの攻撃はまだ回避できると考えていた。骨身を惜しまず丹精した結果、67歳にして、今や彼は、真価が認められようとしていた。マッカーサーや将官たちは彼を事のほか気に入り、1946年から1954年の間、5回にわたり首相となり、戦後日本の立案者として記憶されることとなった。
※当然、原子炉を稼働させれば必ずプルトニウムが蓄積される。
核保有国になるのではなく、潜在的核保有国になろうとしていたのである。
ではそれは仁科一人の孤立した考え方だったのだろうか。
当然、日本独立時の宰相吉田茂の考え方でもあった。
仁科と吉田の、並々ならぬ親交の深さから想像するとそうなる。
仁科の長年の部下玉木英彦は、後に「1950年の夏のある日、吉田首相が箱根に先生を招いて二人きりで懇談したいといってきたことがあった」
[★14]と思い出を語っているが、仁科と吉田の関係は、何か重大なことがおこると、それについて二人だけで議する間柄だったのである。
*規則が厳しい多磨霊園では例外的に、血縁外の人物と眠る。仁科芳雄の墓の右側に「朝永振一郎 師とともに眠る」とあり、謹書は仁科芳雄を師として研究を共にした喧嘩太郎の異名をとった内科医の武見太郎。
武見太郎
731部隊への批判を封じ込めた??なぜ、医者として原子力に反対しなかったのか??
日本の医師である。日本医師会会長、世界医師会会長を歴任した。・・・医師会内部でも自分の意に沿わない医師を冷遇するなど独裁的な権力を揮い、医師会のみならず薬剤師会・歯科医師会を含めたいわゆる「三師会」に影響を及ぼし武見天皇とまで呼ばれた。医師会サイドからだけでなく、吉田茂閨閥(吉田茂の妻雪子は牧野伸顕の長女)に連なり、その私的なブレーンとしても政治に関わっていた。
※世界医師会と日本医師会の関係
日本医師会は1951年の第5回ストックホルム総会において加盟した。1975年に「医療資源の開発と配分」を主テーマに第29回世界医師会東京総会を、また2004年には「先端医療と医の倫理」・「ITの進歩と医療」を主テーマとして2004年世界医師会東京総会を、日本医師会主催により開催した。これまでに第29代武見太郎(1975年就任)、第52代坪井栄孝(2000年就任)が会長に推戴されている。(ウキペディアより)
※世界医師会における戦争医学犯罪の追及
ナチスによって近親者を虐殺された米カリフォルニア大のフランツブラウ教授(皮膚科学)らは、1970代からナチスに加担した医師を追及してきました。・・・・731部隊の戦争犯罪を知ったフランツブラウ教授は「731の問題から目をそらすことは、日本の医師が自ら品位をおとしめる」として日本医師会の責任を行って来ました。・・・・
日本医師会はすでに議論済みとし、「この案件を無期限に延期する」動議を提出しました。日本の医学界では「人間の価値」のような検証と反省がないばかりか、隠蔽し不問に付したままの状況が続いています。(『パネル集 戦争と医の倫理』より)
茅誠司
*同墓所にはノーベル物理学賞受賞者である朝永振一郎とアメリカの物理学者であるハリー・C・ケリーも眠る。
仁科芳雄の墓の脇にある墓誌にはこう書いてある。
「ハリー シー ケリー 1976年2月2日
米国ノースカロライナ州 ラーレーにて没」
茅誠司記
茅誠司
日本学術会議も原爆開発や731に対して批判をしていない!!
日本学術会議会長、南極観測特別委員長として、日本の南極観測参加に尽力する。 また、日本の原子力研究の創始に当たっては、それを平和利用研究に限る証として「自主、民主、公開」の三原則を伏見康治とともに提唱し、「茅・伏見の原子力三原則」と呼ばれた。
※南極特別委員会には731部隊第2代隊長、北野政次(東京血液研究所所長)、731部隊で悲惨な凍傷実験の人体実験を行った吉村寿人(京都府立医大教授)、戦争中京都大学教授で弟子を731部隊に送り込んだ戸田正三(金沢大学学長)も参加している。
※日本の原子力研究において、この三原則「自主、民主、公開」は全く機能していないのでは??積極的にアメリカに追随して、全ての情報を隠蔽している!!
原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~
安倍首相も731を訪問したら!
シャーマン前国務次官は、「将来、米国人の過半数が原爆投下を『誤り』と思うかもしれない」と指摘する。
オバマ大統領は09年4月のプラハ演説で「核兵器を使用した唯一の国として、行動する道義的な責任がある」と表明。翌10年から駐日米大使ら米政府高官が毎年、広島、長崎を訪れるようになった。
米世論の変化が後押し=オバマ氏広島訪問
NHK世論調査 米大統領の広島訪問 「してほしい」70%
アメリカはじめ、核保有国は核実験(未臨界実験も含めて)をやめろ!!
軍事費が国家財政を破綻させる!!
世界のどの場所でどのくらい核爆発が起きたのか
核兵器
政府の唱える非核3原則は嘘っぱち!!なぜ、核融合の研究・原発再稼動する??
オバマ氏広島訪問 韓国メディアは反発と警戒 「加害者を被害者に変える」
米政府が言及 広島は“核なき世界の象徴”
原発再稼動、「反対」が43%、「賛成」が18%
安保関連法 評価する42% 評価しない48%
「メルトダウン」事実と異なる説明 徹底解明を要請
<G7外相会合>「被爆した最後の館長」が思い…10日開幕
除染などの費用 今年度までだけで3兆円以上の試算
憲法に優先する安保条約であるなら、アメリカと合同で極秘に核兵器開発を進めることも不可能では無いのではないか。
この甚大な被害をもたらした大地震の原因の究明はされていない!!地震学者も驚いているではないか!通常の地震とは違った!!
何で国は、北朝鮮からのミサイル攻撃の時の原発の被害想定などを国民の目から隠す!!被害は甚大である。
プルトニウム44tを何に使う??核兵器がそんなにほしいのか??
小出裕章先生:一番大切なのは多くの人達が真実を知る。そして一人ひとりが責任を持って声を挙げること
2011年3月11日 車が流される 人が飲まれる 津波
原発事故の原因が究明されずになぜ再稼動??
原発事故の原因はなぜ解明されない??
20150502 R/F #121「小出裕章ジャーナル」【原発攻撃被害報告書が明るみに】
巨大地震、津波の原因は??
なぜ、地震学者が驚く!!
1つ目の㊙
原発がもし日本で事故を起こしたらどれほどの被害が出るのか?(1959年)
2つ目の㊙
原発が攻撃されたらどんな被害がでるのか?(1984年)
「2つの㊙と再稼動」
やはり、日本は核兵器を既に持っているのか??
政府、「憲法は核兵器保有を禁止していない」とする答弁書を決定
(以下「高知新聞」より)
要約すれば、憲法は理論上は全ての核兵器の使用を禁じていない。だが、「現実」がその歯止めになると読み取れる。
現実が憲法を超えるとするなら、政府が守ると言っている憲法の平和主義も、核兵器を「持たず」「つくらず」「持ち込ませず」の「非核三原則」の国是も一気に空洞化する。
法的な歯止めではない現実は、刻々と変わる。時の政権の判断によって、核兵器の使用が可能になる余地が残る。
国会の場で、日本の核兵器使用が現実味を持って公然と語られる現状にも驚きを禁じ得ない。
【法制局長官答弁】核使用まで容認とは驚く
この人は核兵器と通常兵器を全く区別していない!!
「核兵器の使用」横畠裕介・内閣法制局長官の答弁記録3 18参院・予算委員会
日本も地下核実験をやっているのか?(アメリカと合同で)
人工地震津波兵器は国際政治軍事上の常識!浜田復興担当政務官
地震学者の「今までやってきた研究が全て無駄だった」という発言は、本当に東日本大震災の原因は何だったのかを考えさせられる!!!
いまだ福島原発事故の解明はされていないのになぜ原発再稼動!!なぜ原発輸出!!
明らかに、全く戦争の反省がない日本は本気で核兵器の保有を考えている!!
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
3回の破壊って何のこと??
東日本大震災人工地震
この施設ではいったいどんな研究が行われているのか?水爆の開発??
核融合科学研究所
宇野正美 311人工地震攻撃は日本のプルトニウム製造を阻止するのが目的だった
三権分立は日本にはない!!
原発訴訟の希望と絶望
元東京電力社員・木村俊雄が告発する福島原発事故の真相 2 1
自衛隊技術者15人は311テロ計画を知らないで爆弾製造に携わっていたようです
あの戦争で日本軍のしていたことを全く反省していない日本。
だから、戦後も、自衛隊を中心に『防護の為』と称して、核兵器の開発、毒ガスの製造、生物兵器の開発が行われているだろう!!
毒ガスの製造は確認できた!!生物兵器は勿論核兵器もか??
そして、戦争になって初めて、自国がどんな兵器を持っているか気付かされるのでないか?
<小出裕章さんに聞く>日本のメーカーはなぜ原発にこだわり続けるのか
小出:炉心にあった燃料はすべて使用済み燃料プールに移されていた。溶け落ちなかったんですから、ホントだったら水素爆発は起きないはずだったんですが、なぜか4号機でも、巨大な水素爆発が起きました。(ビデオ27分過ぎ)なぜ、4号機で爆発が起きたんだ??原因究明が全くなされてない!!
小出裕章講演会 20160124 山口市県教育会館
地震発生(1944年12月7日)の翌日8日の新聞のトップは昭和天皇の写真。(開戦記念日)
地震の詳細は掲載されない!!被害は隠す!!
東南海地震:「地震の次は何をお見舞いしましょうか」とB29がビラ
元NHK五十嵐さんが命をかけ伝えたかった人工地震の真実
●憲法9条
安倍政権下での「改憲反対」56%について。- 2016.04.30
国連とは何か??(アメリカ中心主義??)
国連の役割
八王子から日本を変える!!
NO WAR!八王子アクション
2015.11.14 第5回 NO WAR ! 八王子アクション@八王子駅北口
脱戦争!!軍事費が国家財政を破綻させる!!
現代の戦争(ハイテク戦争)
ハイテク兵器
彼らは本気だ。安倍晋三首相は、夏の参院選で改憲勢力による「3分の2」の議席を目指すという。
彼らと真逆の憲法は作れないか?
・憲法9条を守る!!・外交を強化する・自衛隊は災害救助隊に
・象徴天皇制を廃止して、大統領制にする
・脱原発 ・靖国神社を廃止して、戦争懺悔慰霊碑の建立
・日米安保条約廃止・国連改革
・憲法9条(侵略戦争の反省から憲法9条が生まれた!)
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
米軍はダメだが、自衛隊はいい?米軍も自衛隊も同じ仕様の武器を使っている。
沖縄にはたくさんの米軍基地・自衛隊の基地がある。最近では与那国島に監視レーダー施設ができ、石垣島、宮古島、奄美大島にも地対艦ミサイルの基地ができるという。これでいいのだろうか?
与那国島のレーダー施設
05
想像してごらん、
基地をなくして緑と海を
取りもどしていく世界を。
Imagine,
A world that gets rid of
military bases and reclaims
the forests and the oceans.
Представить,
Мир, который избавляется от
военные базы и Reclaims
леса и океаны.
想像,
该摆脱的世界
军事基地,并收回
森林和海洋。
IMAGINE9 (『イマジン9 想像してごらん、戦争のない世界を。』(文:星川淳・川崎哲、絵:成瀬政博 2007年12月1日発行、合同出版)
IMAGINE9
解説
05
基地をなくして緑と海を取りもどしていく世界
戦争は最大の環境破壊です。油田が燃やされ、爆破された工場は有毒物質をたれ流し、ときには「劣化ウラン弾」(放射性物質の兵器)が使用され、周辺の環境を何世代にもわたり破壊します。しかし、環境に深刻な影響をもたらすのは、 実際の戦争だけではありません。
世界中に、戦争に備えるための軍事基地がつくられています。アメリカは、40カ国700カ所以上に軍事基地をもち、世界規模で戦争の準備をしています。
日本にもたくさんの基地があります。
基地の周りでは、兵士による犯罪が大きな問題になっています。基地周辺の女性が暴力にあう事件がひんぱんに起きています。ひどい騒音もあります。
基地による環境汚染は深刻です。ジェット機の燃料がたれ流されたり、危険な毒物、金属、化学物質が土地を汚染しています。こうした問題を、国はいつも隠そうとします。国は、汚染した土地の後始末にさえまじめに取り組もうとはしません。それでいて、「基地は平和と安全を守る」と繰り返しています。基地の周りの人びとの暮らしは「平和や安全」とはとても言えたものではありません。
軍事基地はつねに、植民地に設置されるなど、立場の弱い人たちに押しつける形でつくられてきました。先住民族は押さえつけられ、その権利や文化は奪われ、人びとの精神や心理さえもむしばまれてきました。
基地をなくして、緑や美しい海を取りもどし、きれいな空気がよみがえる。それが、人びとにとっての本当の「平和」ではないでしょうか。それは、人びとが 「平和に生きる権利」を確保することでもあります。
フィリピンでは、1992年、国民的な運動の結果、米軍基地はなくなりました。韓国ではピョンテクという場所に新たな米軍基地がつくられようとしていることに対して、人びとは反対運動を続けています。
沖縄では「もう基地はいらない。美しい海を守りたい」と、辺野古での新しいヘリポート建設に反対する人たちが活動しています。自分たちの土地がイラクやアフガニスタンを攻撃する拠点と して使われることに黙っていられないと、世界の人びとは立ち上がっているのです。
かつて日本やアメリカに占領されてきた歴史をもつミクロネシアの憲法は、その前文で、次のようにうたつています。
「ミクロネシアの歴史は、人びとがイカダやカヌーで海を旅したときから始まった。私たちの祖先は、先住民を押しのけてここに住んだのではない。ここに住んでいる私たちは、この地以外に移ろうとは望まない。私たちは、戦争を知るがゆえに平和を願い、分断された過去があるがゆえに統一を望む」
現在の森林伐採の水準が今後も続けば、世界の熱帯雨林は今後100年内に完全に消滅するとの指摘もある。
ノルウェー、森林破壊を認めない国に 世界初
武器輸出三原則
今の現状防衛装備移転三原則
●ご案内
秘密国家日本!!
日本だけの無期限秘密(『日本の国家機密』藤井治夫著 1972年)
アメリカではニュヨーク・タイムズによるベトナム秘密文書公表事件いらい、世論の批判が高まったためもあって72年6月1日、秘密文書取扱規則が改正されている。これにより一般秘密文書は、一定期間とに秘密区分をダウンレードし、10年後にはすべて公開することになった。また、国家安全保障にかかわる文書についても、30年を経過したときは自動的に秘密解除されることになった。ただし国務省、国防総省、CIAの文書および外国政府と取り交わした、とくに重要な文書については、関係官庁の長官が必要と認めたときは例外措置がとられる。
このほか各国の状況をみると、学術研究者には全く制限を付さないのがアラブ連合、25年ないし35年で原則的に解除するのが東ドイツ、ハンガリー、アイスランドなど6ヵ国、50年で制限を解くのがイギリス、イタリアなど16ヵ国、100年で解除されるのがスペイン、バチカン、ベルギーの3ヵ国となっている(総理府調べ)。無期限なのは日本だけで、スペインやバチカンより悪質ということになる。政府資料は、とうぜん国民に帰属する。そうした観念を全くもたないのが、わが支配階級なのである。
●昭和天皇と731部隊(細菌戦、毒ガス戦)
中国では、現在、細菌戦の調査が着々と進められている。日本政府は反対に細菌戦に対し、全く無視し、過去を消し去ろうとしている。
細菌戦裁判(1997年~2007年)
終戦50周年731部隊
細菌戦被害の人々
(毒ガス戦)
日本鬼子のおきみやげ(毒ガス)
暴かれる毒ガス戦の真実
(毒ガス戦)
さらに昭和天皇は毒ガスの使用について直接的な責任がある。毒ガス兵器は多くの中国やモンゴルの戦闘員・非戦闘員を死に至らしめた。「日華事変」が全面戦争となる前、すでに天皇は化学兵器の要員と装備を中国に送ることを裁可していた。ベルサイユ条約第171条ならびに、第1次世界大戦後、日本が調印した国際的な協定は、催涙ガスを含め毒ガスの使用を禁止していた。しかし、軍事技術の面で劣った敵に対してはこの禁止を守らなくても問題はないと陸軍は考えていた。昭和天皇も明らかに同じ考えであった。天皇が化学兵器使用を最初に許可したのは、1937年7月28日のことであり、それは閑院宮参謀総長により発令された。北京-通州地区の掃討について、「適時催涙筒を使用することを得」と書かれていた命令である。天皇の2度目の命令は、1937年9月11日に出され、このときも閑院宮参謀総長により発令された。いくつかの特別な化学兵器部隊を上海に配備することを許可したものである。当初は実験的で、非常に小さな規模でこれらの命令が許可されたが、1938年の春・夏になると、中国、モンゴルの主要な戦闘地域で大規模に毒ガスが使用されることとなった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
(細菌戦)
昭和天皇はまた、1940年中国で最初の細菌兵器の実験的な使用を許可した。現存する文書史料で、昭和天皇を細菌兵器と直接、結びつけるものはない。しかし、科学者の側面を持ち几帳面で、よく分からないことには質問し事前に吟味することなく御璽(ぎょじ)を押すことは拒絶する性格から見て昭和天皇は、おそらく自らが裁可した命令の意味を理解していただろう。細菌戦を担当した関東軍731部隊に参謀総長が発令した大本営の指令の詳細は、原則として天皇も見ていた。そして、このような指令、すなわち「大陸指」の根拠となった「大陸命」に天皇は常に目を通していた。中国での細菌兵器の使用は1942年まで続いたが、日本がこの細菌戦化学戦に依存したことは、第2次世界大戦が終了すると、アメリカにとって、にわかに重大な意味を持つこととなった。まず、トルーマン政権は大規模な細菌戦・化学戦の計画に予算を支出したが、それは日本の細菌・化学研究の発見と技術に基づいていた。次いで、それはベトナム戦争でアメリカが大量の化学兵器を使用することへとつながった。 (ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
澤田茂司令官は細菌戦に反対だった!!
『「澤田日誌」からみた浙贛(せっかん)作戦における日本軍の細菌戦』
松野誠也(明治大学大学院)【当時】より
・・・・・・(略)
澤田日誌には6月25日に再び関連する記述が登場します。
これは非常に重要な内容でありまして、支那派遣軍の反対意見が参謀本部によって握り潰されるということが記されています。内容は次の通りです
石井部隊の使用総軍〔支那派遣軍〕よりも反対意見を開陳せしも大本営の容る処とならす大陸命〔大陸指の誤りか〕を拝したりと。命令ならは致方なきも作戦ハ密なるを要す。若き作戦課の人達を抑へる□に総長〔参謀総長・杉山元大将〕の力なからさるへからす。遺憾なり。ペスト防疫の為 一部家屋ハ焼却の命令を出す。
これを見ますと、陸軍中央と現地軍が一致して細菌戦に賛成していたのではなく、現地軍は反対していたが、大本営から指示なり命令がきて、それに従わざるえなくなったという構図が描けるわけです。しかも、トツプに立っている参謀総長は、幕僚たちがいろいろ意見を突き上げてくることを「抑へる」ことができない。それは非常に遺憾なことであると書いているのも非常に注目されます。澤田将軍は参謀次長を務めた経験があるので、参謀本部の下僚を「抑へる」ことの重要性と難しさをよく知っていたのでしょう。
次に澤田日誌に細菌戦関係の記事が出てくるのが7月11日です。石井四郎が戦線の第13軍司令部にやってきたという記述が出てきます。
石井少将連絡の為来着す。其の報告を聞きても余り効果を期待し得ざるが如し。効果なく弊害多き本作戦を何故強行せんとするや諒解に苦しむ。堂々王者の戦をなせば可なり。
何故こんな手段を執るや予には不可解なり。何れとも既に命令を受けたる以上実施せさるへからす。
仍(よ)つて次の三点に就て特に注意せしむ。/1、秘密の絶対保持/2、□□の予防/3、飛行場に攻撃を向くる事。
石井四郎の報告を聞いても、細菌戦の「効果」に対する疑問と「弊害」に対する認識は変わらず、命令だから嫌々ながらもやらざるを得ないという、澤田中将の参謀本部にたいする不満がよく伝わる一文です。あげくの果てに「何故こんな手段を執るや予には不可解なり」とまで書いています。・・・・・・(略)
赤坂離宮内の生物学研究所【1925(大正14)年】
・昭和天皇は生物に関心があった!!勿論、細菌にも関心はあっただろう!!
・日本は富国強兵を目指した!!
1921年昭和天皇フランス視察
1929年11月7日陸軍軍医学校(731部隊に指令を出していた防疫研究室はこの中にあった)視察
・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
恐るべき遠足
死体を解剖して、肺臓、脾臓など各部分からそれぞれ検査用塗抹標本を作る手伝いをさせられたのだったが、与えられた仕事を理解しようとする心のゆとりもなく、ただ反射的に手を動かしていた。周囲の壁を通して悲痛なうめきが聞こえ、金網の外には、取り出した臓腑をかぎつけた蠅どもがうなっている。
わずか1時間足らずの時間だったろうが、私は体も神経も蒸されたようにふらふらとなって部隊に帰った。
部落は一週間ほどたって全部焼き払われた。中には生き残った者もあったろうが、極秘の実験であるから、実験後には一人残らず殺されたのだそうである。
・パネル展
「細菌戦裁判」の第1審の東京地裁で事実認定された日本軍の細菌戦
話は今につながっている!!幽霊が出る!!
石井隊長の戦後3
筑紫哲也さんはガンで死んだのではない。
ガン治療のウラ 3/8
「ミドリ十字」という会社
内藤良一・・・731部隊員、陸軍軍医学校防疫研究室の責任者として、731部隊が主導した細菌兵器の開発・研究や人体実験に関与した。
厚労省の敷地内に『誓いの碑』がある。そこにはこう書いてある。
命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような
医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう
医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていくことをここに銘記する
千数百名もの感染者を出した
「薬害エイズ」事件
このような事件の発生を反省し
この碑を建立した
平成11年8月 厚生省
碑を建てても薬害は続く!!
イレッサ判決・大阪高裁で原告の逆転全面敗訴
イレッサ訴訟
子宮頸がんワクチン接種後の症状
以下、ウィキペディアより
・ライシャワー事件から売血批判が巻き起こり、1964年8月28日の閣議決定により、血液銀行の業務が日本赤十字社に一本化された。路線転換を迫られ、血液製剤や人工血液、医薬品への移行を模索する。1964年8月に社名を創業以来の社章だった「緑十字形」からミドリ十字に改称した。
・1982年、創業者・内藤良一の急死後、厚生省薬務局長を務めた松下廉蔵(社長に就任)など多数の厚生省出身の天下り官僚らにより経営の実権は握られることとなった。当時の薬事行政では、すべての製薬会社は官僚の天下り先にされていたので、多数の厚生官僚出身者が業界首位の同社経営に携わることとなった。具体的には、当時の副社長には厚生省薬務局細菌製剤課長補佐経験者、取締役には同薬務局企画課長補佐経験者、薬事部長には同薬務局経済課長補佐経験者などが就いた[1]。
・ミドリ十字は、血液製剤の企業として安定した収益があり、合併先には大手製薬会社の名前も取りざたされたが、吉富製薬と合併して法人格は消滅した。その後、医薬品業界の大規模な再編が進む中で三菱ウェルファーマとなり、医薬品業界の合併を経て現在は田辺三菱製薬となっている。
ヒロシマからフクシマへ
戦後放射線影響調査の光と影
堀田伸永
プロローグ>
第5章 放射線医学への「脚光」の下で
予研・ABCC体制
7月1日、ABCCが正式発足した。予研とABCCの連携体制が構築されることが確実になると、GHQ民政局は、同年7月18日に、都築正男の公職追放除外を取り消す決定を出している。中泉正德は、都築にかわって、原爆症研究の権威になっていった。1948年1月、予研が正式にABCCの研究に参加した。2月3日には、予研原爆傷害部遺伝委員会とABCCの合同会議が東京都内で開かれ、日本側から小林六造、永井勇、前月に起きた帝銀事件の被害者の遺体解剖を行った医学者、古畑種基らとともに中泉も出席している。中泉が予研やABCCの関係者に認められていた証しだろう。
原子爆弾投下後の広島市内(1946年3月21日撮影)
放射能汚染地図「川で何が起きているか?」
封印された原爆報告書
●毒ガス問題
日本や中国各地に毒ガスが遺棄されている!!生活に支障をきたさないのか?
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
北宏一朗
アメリカは毒ガス兵器使用の件に関しても全く裁いていない!!原爆の投下の後ろめたさがあったのか、731や毒ガスのことについては東京裁判では不問に付し、誰一人裁かれていない!!
データだけは戦後自国の兵器開発に利用した!
・自衛隊とサリン
自衛隊は防護のためと称して昭和20年代後半から毒ガスの研究をし、1964年にはサリンを合成し、VXガス、タブンも作った。最新の無能力化ガスBZは1973年に成功している。1970年日本政府ジュネーブ議定書締約、1993年化学兵器禁止条約日本署名、1994年6月松本サリン事件、1995年3月地下鉄サリン事件発生、自衛隊とオウムの関係は?
2013年度の「核・生物・化学兵器対処関連事業」費71億8200万円。何に使っているのだろうか?
死者13人、約6300人の被害者を出した地下鉄サリン事件(1995年3月20日発生)
1950年代に、自衛隊は秘密裡にアメリカ側のデータを下に毒ガス製造をはじめ、1964年(東京オリンピックの年)にサリンの製造に成功している。オウム真理教の土屋正美(事件発生当時30歳)だけの知識で果たしてサリンが製造できたのか?プラントの知識もなくては製造不能!!
自衛隊員の関与や化学学校のデータが漏れていなかったのか?それとも、自衛隊も事件に関わっていたのか??
「地下鉄サリン事件」ザ!世界仰天ニュース
・自衛隊では、サリン合成に成功したのは東京オリンピック(1964年)の年だった。
・1973年、自衛隊は、当時最新の毒ガスBZガスの合成に成功。
週間金曜日 2013年5月31日号
自衛隊とサリン 第3回
自衛隊は政府自民党をも欺いたのか?
1969年当時、「この種の兵器使用の可能性をなくすため、進んで開発及び製造を禁止し、すでに貯蔵されているものをも破棄しなければならない」と国会答弁した佐藤栄作首相。(70年2月、国会での施政方針演説。)
・1950年代には米軍から毒ガス譲渡、60年代にはサリン製造。
・日本政府は再三にわたり毒ガス製造を否定!!
・毒ガスは「持たず、作らす、持ち込ませず」1970年代当時の日本政府の見解、全くの嘘だった!!
1970年当時の日本政府の見解
毒ガスは「持たず、作らず、持ち込ませず」
そもそも日本政府は毒ガスについてどのような見解を示してきたのか。
いわゆる毒ガスについて日本の国会で論戦に上がったのは大きく分けて次のような事件・事故、条約批准に絡んだ時期だ。
①沖縄の米軍・知花弾薬庫での毒ガス漏洩事故(1969年7月発生)及び毒ガス使用禁止を定めたジュネーブ議定書の批准(70年5月)。
②旧日本軍の毒ガス弾等全国調査(73年開始、2003年に結果発表)。
③地下鉄サリン事件(95年3月)及び化学兵器禁止条約の批准(同年9月)。
④中国での旧日本軍化学兵器遺棄問題(2000年から処理作業開始)や日本各地での旧軍の毒ガス弾など発見。
このうち、①の時期に絞って、毒ガスをめぐる日本政府の発言内容を紹介する。連載2回目(5月24日号)で山里洋介・元陸上幕僚監部化学室長が「サリンの合成に成功した」と証言した1964年の5、6年後だ。
まず、沖縄での毒ガス事故直後の1969年7月24日、第61回国会衆院本会議での佐藤栄作総理大臣(当時)の答弁を抜粋する。
〈政府の基本的な態度は、去る7月3日、ジュネーブの軍縮委員会における朝海代表の発言でおわかりの通り、この種の兵器使用の可能性をなくすため、進んでその開発及び製造を禁止し、既に貯蔵されているものをも破棄しなければならないとするものであります〉。
また、翌70年の第63回国会で愛知揆一外務大臣(当時)も、ジュネーブ議定書批准(同年5月承認)に向けて日本政府の姿勢について、次のように答弁した。
〈日本政府の従来からの主張は、なるべく範囲を広くし、かつ、使用だけではなくて、製造あるいは貯蔵においてもこれを禁止するのが理想であるという主張をいたしておるわけでございます〉=衆議院予算委員会、70年2月26日。
こうした一連の発言が毒ガスは「持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則と同様の日本政府の見解となってきた。
第63回国会では、興味深いやりとりがある。衆議院予算委員会での楢崎弥之助議員と中曽根康弘防衛庁長官(いずれも当時)との質疑応答の中で、「サリン」が登場するのである。要旨を抜粋し、紹介しよう。
楢崎:現在、自衛隊はBC(生物、化学)兵器関係の催涙剤も含めて、どういう種類のものをお持ちか。
中曽根:自衛隊が持っているのは催涙性のガスで、これは治安の場合に使うという程度のものであります。
楢崎:これ以外に置いてあるものはありませんか。
中曽根:それ以外にはありません。
楢崎:昨年、沖縄の米軍基地で問題になった、例のGBサリン、これを持っておるでしょう。
中曽根:政府答弁書にも書いてありますが、Gガスは持っておりません。(その後、実験用、研究用ではどうかなどと追及されると「浜田政府委員」が答弁に立ち・・・・)
浜田政府委員:実は、水の溶けました農薬あるいはそれに類するもの、それに対する浄水装置の試験でございまして、サリンを使ったものではございません。残念ながら、サリンそのものは作り出すことは現在の段階では出来ないのでありまして・・・・。
などと答えている。
「Gガス」とはジャーマンガス(ドイツのガス)のことで、「GB」とは米軍によるサリンのコードネームである(連載2回目参照)。
山里・元陸上幕僚監部化学室長の証言どおり、陸上自衛隊化学学校でサリンの合成に成功したのが1964年とすれば、ここに紹介した国会での政府側答弁はすべて実態を隠蔽した虚偽発言ということになる。かりに政府が自衛隊によるサリン製造の事実を知らなかったとすれば、シビリアンコントロール(文民統制)を無視した自衛隊の暴走ということにならないか。
それとも、自民党も毒ガスの製造、貯蔵のことを知っていたが、嘘を言って国民をだましているのか?
※サリンなどの毒ガス製造が「防護目的」であれば、つまり兵器として使用しなければその製造が許されるとしたら、同じ理屈で核兵器や生物兵器の「防護研究」も可能ということになる。
戦争前は「防護目的」、戦争になったら大量生産?毒ガス兵器、生物兵器、核兵器!!
日本は現在も毒ガスを製造している!!(この公表された数字を鵜呑みにしてはいけない!!もっとたくさん生産している!!)
国会答弁書
・非核3原則も嘘だった!!
ノーベル賞自体が、おかしくないか??(原爆開発者や毒ガス開発者にも贈られている!!)
佐藤栄作の遺族は早く故人のノーベル平和賞を返上しろよ
核を求めた日本!
本来、アメリカが出すべきお金を、日本政府が肩代わりして出していた現実!!
こんな問題もあった!!沖縄密約
沖縄毒ガス
日本軍の毒ガス被害
昭和天皇の“沖縄メッセージ”
●マレーシアの旅
マレーシア番外編(2) -自転車の旅
8月17日(月)~9月2日(水)
鈴木和良
8月23日(日)
午前中再度ランカップのお墓参りをしてから、ビドーの町へ戻る。夕方劉建彰さんに会いに中華料理店へ向かう。少し立ち寄っただけでしたが、夕食をご馳走してくれました。お礼をし別れた後、明日のためにお花を購入してホテルへ帰る。走行距離約35キロ。
8月24日(月)
KTCホテル ⇒ ビドー孤墳墓 ⇒ 抗日烈士墓 ⇒ 昼食 ⇒ イポー市育才中学
⇒ 洞窟元日本軍武器庫 ⇒ ドクター・シーニバサガン公園 ⇒ 首がさらされたロータリー ⇒ シビル・カシガスさんのお墓 ⇒
夕食 ⇒ バスターミナル⇒ ビドー
7:15
KTCホテルのロビーで待機していると、男性から声を掛けられました。愛想の良いこの男性は、韓應基さん。霹靂反菜納斯稀士歷支援會等委會の副主席をされていて、これから行くビドーの墓碑を案内してくださる方である。奥さんの廖玉清さん、娘さんの韓旭紅さんともそれぞれ挨拶を交わしました。片言の英語と筆談を交えて、これまでの経緯を話しました。ここでも『マレーシア』は好評で興味津々に読まれていた。ページをめくりながら、ハッと気づいたように「劉道南さんは私の友達だ。この後一緒にイポーへ行こう!」と言われ、話しは急展開。当初、5人ほどの遺族の方に同行させてもらうイメージでしたが、予想以上に人が集まってきて、団体旅行に出掛けるかの勢いであった。
●多磨霊園と大日本帝国
・多磨霊園・・・・多磨霊園(たまれいえん)は、東京都府中市および小金井市をまたいだ場所にある都立霊園。日本初の公園墓地であり、以後の日本の墓地のありかたのひな型となった。面積は都立霊園で最大の128万平方メートル『40万坪』『東京ドーム27個分』。
関東大震災直前の1923年(大正12年)、東京市により、北多摩郡多磨村に開園。当初は多磨墓地といい、1935年(昭和10年)に多磨霊園と改称された。
緑の多い公園墓地であり、被葬者の絶対数が多いこともあり有名人の墓地も多い。
日本の細菌兵器の開発・人体実験
二木秀雄(ふたき ひでお)
「731部隊」とは大日本帝国陸軍の関東軍防疫給水部本部の事。関東軍管轄区域内の防疫・給水業務を行うことを目的に設置された。細菌・化学戦研究の為に人体実験・生体解剖などを行い細菌兵器を開発したことで知られる。初代部隊長の石井四郎(1892-1959・陸軍軍医中将)に因んで石井部隊とも呼ばれた。1936(S11)東郷部隊が天皇の認可により、正式な部隊(皇軍)となる。東郷部隊を母体として関東軍防疫給水部を編成。'39.5.11ノモンハン事変勃発により、野戦防疫給水部長として石井らは出動。石井部隊の防疫成果が認められ、関東軍より感状が授与される。'41.4部隊名を秘匿名、「満州第731部隊」と改める。この頃より、本格的に人体実験・生体解剖が行われるようになる。
二木は金沢医科大学で細菌学者から転じ、731部隊6等技師として第一部の細菌研究の中にある第十一課(結核) 二木班(結核研究)の班長として携わった。終戦直後、石井の右腕であった内藤良一がマレー・サンダース軍医中佐と交渉し、米軍が手に入れたかった人体実験の資料と交換条件として731部隊関係者は戦犯免責となった。これにより、東京裁判でも起訴されずに済む。'45.8 撤退時の731部隊の博士号をもつ医官は53名いた。731部隊の最大人員数は約3900人(支部含め)といわれ、陸軍防疫給水部隊の総数は約5千人といわれる。これが全て無罪放免となった。
免責となった二木は金沢医科大学の細菌学者に戻る。また、政界ジープ社社長として、右翼系政界誌「政界ジープ」発行者となる。
'50.11 二木は免責された731部隊の仲間である内藤良一(陸軍軍医学校防疫研究室責任者として731部隊に深く関与)と北野政次(731部隊第2代部隊長)と「日本ブラッド・バンク」の発起人となり、政界、財界との共同、神戸銀行の出資で創立して取締役になる。なお創立時の取締役会長は国務大臣の岡野清豪、代表取締役専務は内藤良一、取締役に北野政次と二木、常務取締役は小山栄二というメンバーであった。この日本ブラッドバンク社は日本初の血液銀行として、朝鮮戦争時には米軍が血液を大量購入し事業が繁栄した。後にミドリ十字('64名称変更)となりエイズウイルス入りの血液製剤を輸入し薬害エイズ事件を引き起こしていくことになる。
'55.8.13二木は精魂会代表として多磨霊園に「懇心平等万霊供養塔」を建之した。その後、日本イスラム教団設立者としても活動した。享年84歳。
【731部隊と石井四郎】
石井四郎(1892-1959 最終階級は陸軍軍医中将)は中国での戦線拡大に伴う物資不足を解決するため、当時国際的に禁止されていた細菌兵器に目をつけ、鉄資源に乏しい日本において細菌兵器は安上がりで最も有効な兵器と提唱し陸軍のトップを動かす。1936(S11)軍令により関東軍防疫給水部(大日本帝国陸軍731部隊)が設立され、隊長としてハルビンにて細菌兵器を開発していくことになる。飛行場、神社、プール等もある巨大な施設で冷暖房も完備された近代的な施設を持ち、監獄も完備してあり、少なくとも3000人近い人を実験により殺したとされる。
施設の中心のロ号棟(ろごうとう)でペスト菌や炭疽菌、チフス、凍傷、毒ガス等の人体実験を行った。'40当時、年間予算1000万円(現在の90億円)が会計監査なしで支給されていた。ロ号棟の中庭にある特設の監獄2棟に日本軍に抵抗したとして捕らえた中国人、朝鮮人、ロシア人、モンゴル人等を人体実験のために収容し、その囚人をマルタと呼んだ。憲兵・警察等が裁判を行わずに容疑者を731部隊に移送できる特移扱(特別移送扱い)という制度まであり、憲兵は特移を増やせば出世していた。
マルタに対しワクチンが効かない細菌製造のため、より毒性の強い細菌を注射し、感染して発熱すると大喜びした。瀕死の状態の時に解剖して内臓から菌を取り出した。'40~'42にかけて井本熊男の作戦の元、ペスト菌を中国にばらまくことになる。'45.8大本営作戦参謀朝枝繁春より撤退を告げられ、石井の命令により、施設を証拠隠滅のため根こそぎ爆破、収容していた人体実験用の中国人ら約400人をガスで殺した後、自らの家族と幹部らともに特別列車で引き揚げた。
戦後は石井は戦犯追及を恐れ、病死を装い偽の葬式まで千葉で行い行方をくらまし、米兵相手の売春宿を経営してひっそりと暮らしていた。石井の右腕であった内藤良一がマレー・サンダース軍医中佐と交渉、人体実験の資料と交換条件として731部隊関係者は戦犯免責となった。石井の墓は河田町の月桂寺。
●情報公開(戦争への道を阻止するために!!
防衛省、外務省は積極的に国民に情報開示し、戦争を防止する義務がある!!
毒ガスを製造しているんだから、勿論、現在、生物兵器、核兵器の研究・開発・製造もやっているのでしょう。
情報開示への政府の姿勢が問われそうだ。
特定秘密の国会監視 実効性高められるかが課題
PKO陸自宿営地に着弾 南スーダン、政府公表せず
・2016年3月9日、東京都世田谷区にある三宿駐屯地の自衛隊衛生学校の彰古館(しょうこかん)に元衛生学校校長の金原節三氏の寄贈した『金原文書』を探しに行ってきた。私は前回1月に行ったので2回目である。戦前、戦中731部隊で生物兵器を開発し、実戦に使用しているので、戦後の自衛隊ではどうなっているのかを調べるためである。『衛生学校記事』の第1号には生物戦に関する翻訳記事が実際に載っている。
なぜ、『金原文書』を探すのかといえば、その中に、731部隊関連資料で私たちが公開を求めている『衛生学校記事』(「金原寄贈目録」には延べ冊数88冊)が含まれているからである。
『衛生学校記事』は、最初、「情報公開法」に基づき、開示請求したが、防衛大臣が、「保有していない」ことを理由に、不開示にした。こんなことが世間であるだろうか?
『衛生学校記事』を発行しているのは、自衛隊の衛生学校である。なぜ発行元が1冊も保有していない?おかしくないですか。
それで、公開されないもんだから、なんと裁判にまで、訴えて、公開を求めているのである。
1昨年(2014年)、裁判の途中で被告の防衛省側から「『衛生学校記事』の一部(28冊)が見つかりました。発見された文書には731の記述はありませんでした。」という回答が口頭であった。だが、見つかった場所は、発行元ではない「防衛医科大学の図書室」からである。これも色々考えると、さもありなんなんか?医科大学で生物兵器の研究?731 の記述はないが生物戦の記述はどうだったのか?文書での回答はない。
前回、1月に行って調べた時にも、「金原寄贈目録」2028点のうち防衛省は641は彰古館にあると回答していたが、我々が調べるとその他にも16点見つかった。そして昨日行ったらまた、何点か見つかった。資料の管理はどうなっているのだろうか?
そもそも、自衛隊の衛生学校の元校長が寄贈したものを、衛生学校が一部を廃棄するとは考えられない。国民の税金で、運営されている機関であれば、そんなことは絶対あってはならない。縦社会の厳しい自衛隊で、元校長が寄贈した物を簡単に廃棄するとは考えられない!!
ましてや、外務省や防衛省などは、色々な情報を国民に積極的に開示しなければならない機関だと思う。戦争を防ぐためにも。
※金原節三は戦時中、1941年当時陸軍省医事課長として731部隊細菌戦に深く関与していた軍医大佐であり、戦後自衛隊衛生学校の校長にもなった。
※『衛生学校記事』は1957(昭和32)年7月~1959(昭和34)年まで月刊で18号出版され、その後、1961(昭和36)~1967(昭和42)年までは季刊本で24冊、出版された。
その後は、誌名を『ふかみどり』に変更し、1971(昭和46)年からは、衛生学校にきちんと保管されている。しかし、『ふかみどり』の1~15巻は、無い。「30年保存なので、満期になったものから徐々に廃棄しました」という回答。何で廃棄する?
※衛生学校に行ったら、教範(自衛隊の教科書)は情報公開請求しないと見せてくれないと言う。何で自国民に見せてくれないのだろうか。「武器の性能などがばれると、まずい」と言う。自衛隊は、サリン等の毒ガスを作っておきながら、それも伏せていた。影で、化学兵器、生物兵器、核兵器開発の「防護」のためと言って、何をやっているのか、国民は全く知らされていない!!
いや、シビリアンコントロールするはずの政府でさえ、自衛隊が何をしているのか、詳しくは知らないのではないか?
・防衛研究所 戦史史料室
先日、防衛研究所に行って来た。閉架式図書室である。コピー、写真撮影は係員が有料でやるとのこと。後日郵送。貸し出しは出来ないとのこと。全く不便である。お金がかかる。
三宿の彰古館では、自分で写真撮影が出来たのに、なぜここでは出来ない。
担当者の話では、戦後、日本軍の史料は、証拠隠滅のため、重要機密書類はほとんど焼却されたと言う。戦後も、史料は大事にされず、管理が杜撰だったと言う。
「寄贈資料一覧はあるんですかと」、聞くとあることはあるが、「それは市ヶ谷の防衛省の情報公開室に行って、情報公開の手続をしてください」との答え。
戦史史料室に一覧がありながら、それは見られない。そして最後には一覧は行政文書だから保存期間10年で処分してしまうと言う。それでは、大事な過去の資料の履歴が分からなくなるではないか。どうしてこうまでして資料を隠す!!全く、過去の戦争のことを反省していない。過去を消そうとしている。
寄贈した資料は廃棄することはないという。登録はしない資料もあるという。部内者が見ることはあるという。
なんで、寄贈された資料はすべて登録しない!!おかしい!!
※防衛省は、自分でところで研究した文書(勿論国民の血税で作られた文書)を、いとも簡単に廃棄しているというのは本当なのか?国民には軍事上の機密として、全てが伏せられているのではないか??この審査会も税金の無駄遣いではないのか!!
この下記の審査会の答申には全く納得がいかない!!年々、着実に日本は毒ガス研究、生物戦研究・核兵器研究を深めている!!
情報公開・個人情報保護審査会の答申
審査会の結論
「『化学学校記事』1号ないし最新号」につき、これを保有してしていないとして不開示として決定は、妥当である。
審査会の結論
「『衛生学校30年のあゆみ』衛生学校30年のあゆみ編さん委員会編(1982年10月)第4編の資料中の『研究の実績』の昭和55年度(265頁)の『衛生戦史資料の体系化』と題する論文」(以下「本件対象文書」という。) につき、これを保有していないとして不開示とした決定は、妥当である。
思うに、審査会が独自の権限で、内部を調べられないことが残念である!!防衛省の見解をそのまま踏襲。異議を申し立てて4年かかってこの回答。審議は2回だけ??
「国家政策の中で国防機関の発言力が強化され、軍事的観点が占める比重が高まるに伴い、軍事機密は外交、治安、経済など国政のあらゆる分野をおおい尽くすにいたる。この過程に照応して国民は政治の意思決定過程から排除されていく。参政権は骨抜きにされ、知る権利と表現の自由が抑圧される。国会は国権の最低機関に転落する。これこそ軍国主義の発生と成長の一般的法則なのである。最後に来るのは戦争である。
戦争を始めるかどうかの決定に、もはや国民はまったく参加することができない。戦争準備は極秘裏に進められ、ある日突如として戦争の火蓋が切られる。国民はただ肉弾として運命を甘受する他なかったのが、かつての軍国主義日本であった。いや、政府や参謀本部の決定さえ無しに、関東軍が勝手に戦争をおっぱじめ、その「既成事実」を否応なく追認させられつつ、破壊的な侵略戦争にエスカレートしていったのであった。アメリカのベトナム戦争もまた、そうであった。」(『日本の国家機密』藤井治夫著より)
※柳条湖事件も、初めから作戦の一環で、昭和天皇も知っていた。決して軍の独走ではない。
●『日本の国家機密』
今の情報を公開しない姿勢は、戦前からずっと続いている!!
秘密保護法施行・・・何を政府はたくらんでいる?
防衛の名のもとに、軍事力は増強されている!!
特定秘密保護法はジャーナリズムに何をもたらすか(ラジオフォーラム#158)
ちょっと古いが、参考になる本なので紹介します。1972(昭和47)年10月9日初版藤井治夫著『日本の国家機密』より
第3章 秘密保全の機構と体制
3 産軍複合の秘密
金にまつわる秘密漏洩
産軍複合体の秘密漏洩ルートは、退職将校を媒介としてつくられている。空将(空軍中将にあたる)で退職し某社に天下りした固武二郎が、『航空自衛隊幹部学校記事』(69年11月号)に書いている内輪話は、こうである。「私の現在の待遇は、旧職場の元二佐、某君より相当低い。退官時の廻り合せにもよろうが、その決定的要素は、職場の適否と実力の再評価である」。彼は、入社早々、上役から4次防の概況を求められて資料の収集に腐心し、またF104の着地スピードを問われて面喰らった。前者は、会社の長期企業計画策案の要素であり、後者は、ある電子計器設計上のポイントであった・・・」とも述べている。固武元空将は軍隊社会から脱け切れなかったのか、企業にとってあまり有用ではなかったらしい。
だが、いずれにせよ天下りした退役将校は、会社の長期計画立案のために必要な防衛力整備計画についての資料収集や、特殊な防衛機器設計に必要な技術的知識の提供等々を求められることがわかる。
(番外編)長沼ナイキ基地訴訟裁判長に聞く
(新聞と9条:258)長沼裁判:30
※南京大虐殺があったことは国民に知らせず(これも国家機密であったのか?)、陥落を喜ぶニュース映像!
南京陥落 東京の風景
※しかし、溥儀が恐れるほど関東軍が強くないことを証明したのが、1938年の張鼓峰(ちょうこほう)事件と1939年のノモンハン事件である。いずれもソ連との国境紛争で、関東軍は惨敗した。両事件ともソ連軍の戦車・航空機・大砲・兵員が、質量とも圧倒的に勝っていた。日本軍は2度の敗戦をひた隠しに隠した。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)
※日本は、ノモンハンの敗北を封印することに腐心する。帰還した将兵には緘口(かんこう)令を敷き、戦闘に参加した将校を自決させ、作戦を立案した参謀を更迭した。
●現在の日本
日本は、アメリカと情報交換しながら、生物兵器、化学兵器、核兵器を、秘密裡に開発しているのではないか??
全く戦争の反省をしていないのだから。
戦後、全く裁かれなかった731部隊員の上級隊員は、大学教授や国立予防衛生研究所(現在の国立感染症研究所)、製薬会社などで、重要なポストに就いていた。
また、原爆製造に関わった研究者(ニ号研究・F研究)の後継者なども、そのまま反省することなく、核融合などの研究を続けているのではないか。
731部隊→ABCC(被爆者は治療もされずに、原爆の影響を調べられた。・・・731部隊員の協力)→放影研→重松逸造・・チェルノブイリ原発事故について・・・汚染地帯の住民には放射能による健康影響は認められない。→福島原発事故・・原子力を進めてきた人たちは、福島で今、甲状腺がんが多発しているけれども、それは被曝との因果関係はないと主張している。
日本の原爆開発
核融合はやるべきではない!!
この施設ではいったいどんな研究が行われているのか?水爆の開発??
核融合科学研究所
原子力開発と核開発 ミサイル発射とロケット発射 日本の野心とは!?
”核”を求めた日本ー被爆国の知られざる真実ー(内容全て書き出しました)
どんな生物兵器を作るのか??「周辺住民の理解を得ながら進めていきたい」と話しています。周辺住民が納得するのだろうか??
国立感染症研究所 「レベル4」施設で5月から実験
国立感染症研究所の危険性!!
科学者・軍隊は、戦争になる前から殺人兵器の開発に夢中になる!!
『「盗まれた最高機密~原爆・スパイ戦の真実~」』
●南京大虐殺
ベイツはティムパレイ『日本軍の中国での凶暴な行為』(1938年6月)の主たる企画者であった。日本を7回短く訪れインドを1回訪れて会議に参加したほかは、ベイツは1937年から1941年までずっと南京に留まり、日本当局の暴虐行為に、とりわけ麻薬貿易に挑戦した。彼は南京国際救済委員会を代表してパンフレットを2冊書いたが、1冊が『南京地域の食料調査』、もう1冊が『南京の人口』で、両者ともに我々が南京大虐殺を了解するのに役立っている。戦後に彼は召し出されて東京裁判に証人として出席し、引き続き中国の日本戦犯に対する裁判に出席して証言した。
友人たちへの手紙(1938年1月10日)
親愛なる友人がた:
・・・
アメリカ大使館、南京
親愛なるアリソン様:
憲兵は塀を乗り越えて入室し、金陵大学教師たちの個人財産で、病院のブレイディ博士の住宅を、1時間引っ掻き回していたのです。住宅は上に述べました事務所から、約250ヤードの所です。
今日午前中に我々は間接的に報告を受けたのですが、江塘街の教会堂が15日か16日の晩に焼かれました。目撃者はアメリカ人宣教師の用務員で、彼が17日の午前にそこに戻って来て、梁がまだ煙を出しているのを見たのでして、その用務員はミス・プレソーストウの家で働いており、彼女はそこに夏までずっと住んでいたのです。我々が聞いた最初の報告は、教会堂のある年齢の高い女のお手伝いさんが伝えたもので、日本軍が何度も教会堂に闖入して来た後、15日の午前中に彼女は教会堂を出たのですが、その時はまだなんでもなかったのです。14日の夜日本兵2人がそこで眠り、別のもう2人が、15日の午前中に略奪と他人を脅すのを始めたのです。
貴殿への尊敬をこめて M.S.ベイツ
しゃべってから死ぬ!南京大虐殺
南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分
昭和天皇・皇族はすべてを知っていた!!
ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(上)より
第3部 陛下の戦争(1931年~1945年)
第9章 聖戦
日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台がこの時期に築かれた。・・・・・
1929年には、枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約(1929年調印の「捕虜の処遇に関する条約」)の批准を保留した。枢密顧問官は、天皇の兵士は捕虜になる事を許されない以上、捕虜の処遇に関する条項は寛大すぎて実行できないという。陸海軍大臣と外務大臣の主張を容れたのである。・・・p171
・・・・・・・・
(南京大虐殺)
皇族は皆、大虐殺があり、軍紀が崩壊同然にあることを知っていた。そして、この皇族には、松井大将指揮による南京攻略戦で司令官を務め、虐殺が最も激しかった時点で南京駐在の最高級将校だった、皇后良子の叔父で50歳の朝香宮、関東航空本部長で、やはり皇后良子の叔父にあたる49歳の東久邇宮、参謀総長を務める71歳の閑院宮が含まれていた。もとより、杉山陸相も知っていた。大本営の多くの中級、上級将校も知っていた。衆議院議員で予備役の江藤大将も知っていた。外務省は確実に知っていた。外務省東亜局長の石射猪太郎(いしいいたろう)はその日記に、「上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦目も当てられぬ惨状とある。嗚呼(ああ)之れが皇軍か」と嘆いている。外交官であり、老練な中国通であった重光葵(しげみつまもる)は、その後、戦時中に特命全権大使として南京に駐箚(チュウサツ)した際に「南京占領当時の罪科を償ふ為め支那に善政を布くことを極力努めた」と記している。
したがって、近衛内閣は南京での強姦や強奪を知っていたが、多くの報告を受けていた天皇は知らなかった、というのはありそうもないことである。昭和天皇は指揮命令系統の頂点にあり、たとえその指揮系統にどんな欠点があろうとも命令のまさに初期の起点に位置する天皇が、上位、中位の段階での決定を知らずにいることは容易にありえないことだった。天皇は、あらゆる日本軍の動静を詳細に追っており、外信に目を通し、毎日、新聞に目を通し、そして、そのようにして知ったことについて、しばしば側近に質問をしていた。南京奪取と占領を裁可した最高司令官として、日本の精神的な指導者―中国の「膺懲」に正当性を与えた個人―としての天皇は、公にではないにせよ、軍紀崩壊に少しは関心を持つ義務を、憲法上はもちろんとして、最低限の道義的義務として負っていた。天皇は決してそれを行ったようには見えない。p290より
※南京事件の悪評に苦慮した日本軍上層部は、杉山元陸相、梅津美治郎(よしじろう)中将、今村均(ひとし)中将らを中心に1938年3月4日、日本軍のいる所に「慰安所」の設置を決め、通達した。しかし、日本内地の娼婦だけでは到底間に合わず、ついには朝鮮半島の若い女性たちが生贄(いけにえ)にされた。その発端は、「朝鮮の若い女性は性病がなく、危険が少ない」という麻生軍医の上申書であった。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)
世界初の「南京大虐殺辞典」出版される
●中国残留孤児問題!!(中国残留孤児の書いた奇跡の書「この生あるは」)
映画化したら、過酷な運命・そして中国人の人間愛がよくわかる!!
敗戦時3歳、この中国残留孤児の過酷な運命に対して、国はきちんと補償したのだろうか?
この本の中に、米軍が1950年代の朝鮮戦争時、北朝鮮に行った細菌戦に神経を尖らせている中国の一般民衆の生活や反核運動の様子が描かれている。
中国の恩に報いたいー半生記を出版した残留孤児 中島幼八さん
2016年1月18日記(武漢大学客員教授・日本記者クラブ会員)
残留孤児の一冊<本澤二郎の「日本の風景」(2238)
<「この生あるは」(中島幼八著)>
中国・新華社通信の友人に紹介された残留孤児・中島幼八さんの記録「この生あるは」(幼学堂)の日本語版を読んだ。その悲しい運命から、気が重くなる厳しい内容ゆえに、同じ時代を日本で生きてきた者には、とても興味を引く本である。人間は一人では生きられない、そのことを痛切に教えてくれる人間性のあふれる内容である。同時に「2度と侵略や戦争を起こしてはならない」ということを、日本の為政者に訴えている。全国の図書館に置いて、多くの国民が読むべきである。
<戦争を知らない世代の必読本>
日本の歴史教育は、特に近現代史のそれはあまりにも問題がありすぎる。多くの日本人は、日中戦争や侵略について、ほとんど理解しないまま大人になっている。
このことが、隣人との友好の阻害要因となっている。残留孤児について知らない若者が多いだろう。この中島本を学生に教えるといい。歴史を教える教師の副読本にしたらいい。
発売元 亜東書店 03-3835-7091
中国語版 北京三聯書店「何有此生」
●731問題
・日本政府・医学界は731問題を真剣に反省し、国立の「731・細菌戦資料センター」を作ったらどうか?
医の倫理は、向上すると思う!!
中国の虚空を日本人に慰霊されない多くの犠牲者の霊がさまよっている!!
夏草をふみしめ引込み線を歩いた
視界が不意に三角形に切り取られ
やがて歴史の暗渠(あんきょ)に足を踏み入れる
見上げれば天を突く巨大な残骸
ただれ崩れ落ち、悲しみの肉塊のように
灰色の空の下で泣いている
【「哈爾濱(ハルビン)残照「731」の記憶 田中寛著】より
日本人よ、血の債務をあがなえ!終戦から70年、いまだ消えぬ731部隊の傷跡―仏メディア
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
・「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
解説
―この作品の信憑性について―
編集部 竹村 一
(2)
次にこの作品の信憑性についてである。これが、虚構の上に成り立つ創作ならば、日本に対する限りなき冒涜であり、日本民族への反逆である。いかに迫真力人をうつと言えども、あるいは文学史上稀に見る傑作だと言えども、かくの如く、真実を装うことは許されない。
この作品は、事実だけを中心に、原稿用紙30枚に圧縮して昭和30年8月号の「文藝春秋」誌上に発表された。文藝春秋社は、この作品の信憑性確認のため、東奔西走されたと聞く。小社も、この特異な作品に対して、可能な限りの調査をし、優柔不断と云われるほど慎重な態度で臨んだ。こと、日本人に関する問題である。もし、事実であれば、徹底的にこれを暴き、このような非人間的行為に、終止符を打たねばならない。だが、万一虚構から生まれた作品であるならば、由々しき問題である。しかし、不幸にも、この作品はすべて事実であった。
小泉親彦(ちかひこ)
※小泉親彦(ちかひこ)・・・陸軍軍医学校校長、陸軍軍医総監、陸軍医務局長、厚生大臣を歴任、毒ガス戦、細菌戦を積極的に推し進めた人物
1945年9月、自決。
真生体解剖証言実を知ろう!!(権力側が流す情報にだまされるな!!)
寧波細菌戦防疫証言
ガン治療のウラ 5/8
「健康診断・検診を受けてはいけない 」船瀬俊介の船瀬塾
「悪魔の飽食」から「小食へ」(体質改善への道)
医師 甲田光雄2/6 ラジオ深夜便
●ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(下)より
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十四章 創り直された君主制
Ⅲ
10月10日と11日、GHQは500人近い共産党の政治犯を釈放し、「五大改革」すなわち、女性解放、労働組合の結成奨励、教育・法律・経済制度の民主化を指令した。これらの目標を公表したことで占領政策は新たな局面へと移った。 国民は自分たちの政治や天皇、さらには君主制を批判する自由を獲得したのである。諸政党はほどなく活動を再開した。共産主義者は天皇を公然と批判するとともに、10年余りの無益な戦争に関する天皇の法的、道義的な責任問題を追及し始めた。
GHQは10月22日に教育改革と、軍国主義を主張し占領政策に敵意を示すすべての教師の追放を命ずる指令を発した。以後も、各方面の戦時指導者たちは危機にさらされた。1945年10月30日、GHQは、宮内省提供の大幅に低く見積もられた数字に基づいて皇室の総資産を公表した。天皇の臣民はこのとき、彼が15億9000万円の資産を有していることを知った。豊かな森林、牧場、株式、国債・都道府県債・地方債など莫大な保有物からの収入、さらに巨額の金塊や通貨を所有していたことからも明らかなように、天皇は他の追随を許さぬ大地主であり、もっとも裕福な人間であった。幣原内閣と帝国議会の政治家たちは、民衆が天皇の有する巨額の富の問題に飛びつき、もつとも高名な戦争指導者たちに対する批判が日々、紙面をにぎわし、さらには共産党が「天皇制」の廃止を要求するのを目の当たりにして、「国体」ばかりか、自分たち自身の地位すら維持できるかどか確信が持てくなっていた。
1945(昭和20)年9月27日。 アメリカ大使館での会見で撮影されたマッカーサー元帥と天皇の有名な写真は、相互の協力関係の始まりを示すものだった。この直後に日本の新聞に掲載されたが、アメリカ風の形式ばらないスタイルが天皇への不遜ととられかねない境界線上の写真だつた(写真提供・共同通信社)
瀋陽軍事裁判 「731榊原、満州国次長古海、皇帝溥儀等の証言、アヘン政策、三光作戦鈴木啓久 」
●『天皇の陰謀』
天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
ディビット・バーガミニ 著
松崎 元 訳より
敗戦
(その4)
宮廷人質
この東久邇の主張にも拘らず、連合軍総司令部は、A級戦犯のリストに容疑者の名を加え続けていた。ただしそれは、捕虜虐待がゆえではなく、「侵略戦争の計画」と「平和に対する罪」を犯した「謀略」がゆえであった(101)。それはまた、日本人をして軍国主義から目覚まさせるための、見せしめの裁きの眼目でもあった。アメリカのねらいとしては、裁きにかけられる者たちが、戦争開始にあたって最も罪深い者である必要はなく、典型的なものとして十分証拠立てられるならば、どんな指導者であってもかまわなかった。その者が、たとえ立派な日本紳士であったとしても、神格化した天皇に盲目的に従った者であるなら、あるいは、たとえ独特な楽観主義者であったとしても、裕仁の野心を己のために利用しようとした者であるなら、いずれも問題ではなかった。そうした十分使いうる者たちが、総司令部リストに羅列され、裕仁には、そこから一体、幾人かを排除できるかが問われていた。木戸内大臣の秘書、松平康昌はこのリストを精査し、そうした戦犯容疑者に裁判にのぞむ決意を打診した。そして、どの者が信頼でき、どの者が、望むべく、裁判から除かれるべきかを、木戸と天皇に報告した。マッカーサーも裕仁も、こうした取扱いの各々の煩瑣な詳細に関わり合わなければならないわけではなかったが、その結果に目を通し、それに同意しなけらばならなかった。連合軍総司令部は、数週間ごとに、収監のために出頭すべきものを挙げた新たな名簿を公表していた。
昭和天皇 戦争終結 「これ以上戦争を続けることは非常に・・」と米記者に
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