日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!!
全国戦没者追悼式反対!!
日本は焦土と化していた!!
1945年7月26日 ポツダム宣言発表
日本政府 黙殺!!国体(天皇制)護持にこだわる!!
大元帥(昭和天皇)動かず!! 戦争の惨禍が拡がる!!
8月5日 前橋・高崎空襲 B29・92機。死傷者1323人。
きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!!
「怨」
No More 731!! No More Nanking!!
No More War!!
武器よ!!さらば!!
沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!
新しい日本!!
世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!
沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!! 脱原発!!
福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕)
東電のカネに汚染した東大に騙されるな!
日本を導く頼もしい学者先生方
医学は水俣病で何をしたか(抜粋)
水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって...
1/2 放射能汚染と奇病
増殖炉事故「もんじゅ」現場で何が・・内部取材1/2
原発のコストと再生可能エネルギーのコスト
急遽決定!8月5日午後3時より児玉龍彦(東大先端研教授)ユーストリーム生中継
【汚染】柏市が小学校や住宅街に隣接する最終処分場に「最高70800ベクレル/kgの放射能焼却灰」25トンを埋め立てていた
【汚染】新潟ガソリンスタンドの洗車場汚泥からセシウム 最大9万ベクレル検出
スイス気象会社の拡散予測
●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
Ⅵ 米謀略資金とツツガ虫病人体実験
組織的に全国の精神病院で人体実験
北海道衛生研究所の中村豊は次のように報告している。
「えぞ熱のリッケチアはサルに病原性が強く、また、発熱療法を必要とする患者に本病毒を接種し、人工的に発熱せしめることができた。すなわち人間に対する病原性があることが確認された」
東大伝研の北本治は追加して、報告している。
「感染実験に用いたサルは2頭中1頭がこのためについに感染死を遂げた。これは他のリケッチアには見られないことだ。・・・・このリケッチアが病原性を有する事は、発熱療法を必要とする患者にこのリケッチアを接種し、人工的に発熱させることができた例から明らかにされたが、さらに5例を観察することができた」
九大は「風土病の鏡熱を志願者に人体接種試験を行なった」と報告した。
精神医学研究所(慶応系)はツツガ虫発熱療法の名のもとに大量の患者に人体実験を行なった例を報告した。私はこの研究所の論文を調査し、全く桂らが行なった人体実験に匹敵する、あるいはそれ以上の実験がここで行なわれているのを知った。これらの研究論文は、スマデルら米軍に引き渡されたのである。
私はこうして、新潟大学桂重鴻内科教授が精神障害者に対して行なった人権侵害事件が米軍資金による人体実験であり、しかも全国で行なわれているものであること、そして窓口となった浅沼のほか731部隊の影の濃いものであることを立証した。
米軍―731部隊・同仁会という実際上の軍事医学、それは戦前―戦後を通じてマルタを探し求め、そのマルタを「物」として自由に扱える暗黒の隠蔽施設を求め続ける。その思想は戦前、戦後を通じて全く変わらないことを、読者はこの実態を見て知るだろう。
ごく普通の人々、そしておそらく日常生活では紳士的な常識人たちによって、人体実験が行なわれるナゾにさらに迫らなければならない。
※戦後の日本の医学界の中枢でこのような人体事件が行なわれていたことに驚きを感じる。731部隊の影があちこちに見られ、そして、患者を人として接するのではなく、「物」として見ていた。多くの精神疾患を病んだ人たちが、病原体を接種され、苦しんで死んでいったことだろう!!
また、この時期水俣で広がっていた水銀汚染に対しても、田宮グループは窒素からお金を受け取り、熊本大学のチッソ水俣工場が垂れ流している「有機水銀説」を否定した。
真理を探求するはずの医学界は、お金で汚染されていた。
今回の原発事故を巡る対応で今までと違い驚いたのは、多くの学者が原発の推進の御用学者のようになっている中で京大の小出氏や東大の小佐古氏や児玉氏が政府に対して強く抗議し、行動していることだ。
小佐古内閣官房参与辞任・20ミリシーベルト問題
【動画】「国の原発対応に満身の怒りを表明します!私は法律を犯しています!」東京大学-児玉龍彦教授(これは観てください!)
福島原発 1年後 10年後 小出裕章先生.
医学は水俣病で何をしたか(抜粋)
東電のカネに汚染した東大に騙されるな!
原発学者に総額8億円 一部民間会社「答える立場にない」
日本を導く頼もしい学者先生方
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)
※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本人必見-七三一部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言
731と関東軍 - (下)F4V
黒い太陽731
黒い太陽731 5
「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする)
“戦争を語る”人々
戦犯たちの戦後
日本人中国抑留の記録3
朝日新聞より 2011年7月9日15時30分
中国の731部隊跡地に謝罪の碑
日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す
日中戦争中に人体実験をしていたとされる旧日本軍の731部隊があった中国黒竜江省ハルビン郊外の「侵華日軍第731部隊遺跡」に9日、日本人の募金で石碑「謝罪と不戦平和の誓い」が建てられた。謝罪の意を明確にした日本人による記念碑は中国でも珍しいという。
除幕式には日本人有志のほか、中国の研究者や犠牲者の遺族ら約80人が参列。碑文には「731部隊は世界史上類をみない国家的な罪を犯しました。加害国の市民として、惨殺された多くの罪のない中国人民とその遺族に心から謝罪します」などと書かれている。
731部隊の正式名は「関東軍防疫給水部」で1936年に開設。ペストやコレラによる細菌兵器を開発、中国人やロシア人捕虜を人体実験に使い、多くの犠牲者が出たとされる。
(日本政府が正式に謝罪すべきだ!!)
731部隊では何が行われたのか
※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
※エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
極東国際軍事裁判での証言(1946年7月29日)
1946年7月29日、月曜日
日本、東京、陸軍省ビル
極東国際軍事裁判法廷
ベイツが検察側証人として喚問され、まず宣誓してから、以下のごとく証言した。
アヘンの独占につながっていた役人たちは、ヘロイン使用者たちを逮捕したり法廷で起訴したりして、アヘンの使用に引っ張り込もうと試みました。
私は報告全部を日本の総領事に渡してもらい、こうした事実を考究し糾明しようと要求しました。そして10日後に上海でそれを出版しましたが、その時もそのしばらく後も、当局からの反対や抗議は受けませんでした。
その次の秋になると、(麻薬販売の)体系がずっと拡大し確立しました。私たちもう一度調査しました。今度は私たち175軒の証書のある吸飲館の検査員のところで、具体的な時間や具体的な時期(period地点の誤りらしい―訳者)の記された帳簿があるのを、見かけることができ、ある娘さんが記載しているのを、見ることができましたが、彼女は当時の南京城内の(アヘン)売上額を、毎日3000両と分析していました。そういう仕方で得られた消費と税収との数字が、傀儡(かいらい)政府(当時は維新政府と称した)財政部報告の中の数字と、非常に接近していました。この政府の未出版でガリ版刷りの財政報告が表明しているのでは、1939年秋季の毎月の収入が300万ドルで、その財源は100万オンスのアヘンに1オンス3ドル徴収する、謂う所の税款でした。財政担当者たちの絶えず嘆いているのが、まだたくさん売り上げがあるのに、官僚制度で力及ばないことなのです。この100万オンスが、当時の維新政府の抑えていられた3つの省で、使用されていたのです。
東京裁判
【お知らせ】(転載)
一日限りの上映!!
「南京!南京!」上映会開催 /陸川監督来日!!
南京事件(1937年)から70周年となった2007年前後に、世界各地でこの事件をテーマとした大型の劇映画がいくつも製作されました。『ジョン・ラーベ』(独・仏・中)『アイリス・チャン』(カナダ)『チルドレン・オブ・フォアンシー』(豪・中・独)……。これらの作品は、いまだ日本において商業的に公開されたことがありません。サンセバスチャン国際映画祭(2009年)でゴールデン・シェル賞(最優秀作品賞)・審査員賞(最優秀撮影監督賞)を受賞するなど、国際的にも注目された陸川監督『南京!南京!』も、公開を望む声が多くあるにもかかわらず、日本では公開されないまま今日に至っています。
そこで私たちは、2009年に開催した上映会(南京事件にかかわる四つの映画作品を一挙上映)につづき、『南京!南京!』の上映実現に向けて動き始めました。紆余曲折はありましたが、ついに今年夏、上映が実現しました。この一日だけの上映です。
第一回目の上映後、陸川監督を招いてトークショーを開きます。
ぜひお見逃しのないよう!
*********************************************************************
【日時】
2011年8月21日(日)
第1回 12;30 上映、15:00 陸川監督トークショー
第2回 16:45 上映
【料金】
第1回上映(映画+トークショー) 前売り1500円・当日1800円
第2回上映(映画) 前売り1300円・当日1500円
【開催場所】
なかのZERO 小ホール(550席)
東京都中野区中野2-9-7
[交通]JRまたは東京メトロ東西線の中野駅南口から徒歩8分
http://www.nices.jp/access/zero.html
【チケット】
インターネットで、あるいは電話にてご予約いただき、セブンイレブンでの発券となります。代金はチケット受け取りの際にセブンイレブンでお支払いいただきます。ご予約時に発行される払い込み番号をセブンイレブンのレジにて提示することで、チケットが発券されます。
電話予約カンフェティチケットセンター
0120-240-540(平日10:00~18:00)
インターネット予約(カンフェティの会員登録が必要になります)
http://jijitu.com/filmfestival2011/access
【主催団体】
史実を守る映画祭実行委員会
映画祭HPアドレス:http://jijitu.com/filmfestival2011
E-mail: nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp
シネマトゥデイでも紹介されました↓
http://www.cinematoday.jp/page/N0033527
日中戦争 (1937-1938)
南京大屠殺 ( Nanking Massacre )
兵士たちが記録した南京大虐殺1
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚)
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。
●昭和天皇の戦争指導
【重慶大爆撃】 NHK 「重慶爆撃をひも解く」
重慶大爆撃とは①
戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
731を問う!!
2011年8月5日金曜日
2011年8月4日木曜日
この世の地獄!原発・731・南京!!
日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!!
全国戦没者追悼式反対!!
日本は焦土と化していた!!
1945年7月26日 ポツダム宣言発表
日本政府 黙殺!!国体(天皇制)護持にこだわる!!
大元帥(昭和天皇)動かず!! 戦争の惨禍が拡がる!!
きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!!
「怨」
No More 731!! No More Nanking!!
No More War!!
武器よ!!さらば!!
沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!
新しい日本!!
世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!
沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!! 脱原発!!
福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕)
東電のカネに汚染した東大に騙されるな!
日本を導く頼もしい学者先生方
医学は水俣病で何をしたか(抜粋)
水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって...
1/2 放射能汚染と奇病
増殖炉事故「もんじゅ」現場で何が・・内部取材1/2
原発のコストと再生可能エネルギーのコスト
【東京新聞】衆院委出席の児玉教授「汚染、広島原爆29.6個分」「7万人が自宅を離れてさまよっている時に国会は一体何をやっているのか」
【腐葉土】京都府で2万6600ベクレル/kg、長野県は小中11校が購入し使用
今日からの放射性物質拡散予測
【海外】英セラフィールドのMOX工場閉鎖へ フクシマの影響
浄化設備 仮設のホース設置へ(8月4日 6:12更新)
牛肉汚染 東電職員「稲わら農家の責任」 抗議受け本社謝罪
原発廃炉への道筋 検討始まる
●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
Ⅵ 米謀略資金とツツガ虫病人体実験
組織的に全国の精神病院で人体実験
座長を務めた桂重鴻(しげひろ)の態度は際立っている。「リケッチア研究者はあまり容易に人体実験をやりすぎるのではないだろうか!」たまりかねてこう発言した山本という人物の発言に対して、桂重鴻は、後にマスコミに対して発言したのと同じ事を言った。
「リケッチア研究者が行なっている人体実験接種はあくまでも発熱療法のためのものであって、治療するなかで付属的にツツガ虫リケッチアの研究ができるわけで、しかも今日では抗生物質を自由に使えるので療法としても安全になっていますし・・・・」
参加者の中からは山本の発言に対し「リケッチアの権威故川村鱗也先生は生きたリケッチアを使わなければ免疫ができないといっておられた」という発言もあった。
患者を研究のための材料と考えて全く不思議とも何とも思わない桂の発言であった。「マルタ」思想は731部隊の専売特許ではないのだろう。
桂氏は、新潟精神病院で行なっている人体実験を「抗生剤の少量長期投与実験」と報告した。アメリカで開発した薬の効果を日本の精神障害者を利用して人体実験をしていることの告白であった。
※桂という人は人体実験の反省を全くしていない!!発熱療法のためといってもその患者たちは発熱療法を受ける必要がなかった。149人という多くの人にツツガ虫病原体を注射し、8人が死亡し1人が自殺したという重大な事件になったにもかかわらずその反省がないとはどういうことだろうか?亡くなった方はどんなに苦しんだのだろうか?
組織的に行なわれた国家プロジェクトのようなものだったから全然責任を感じなかったのだろうか?背後に米軍という大きな砦があったからか?
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)
※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本人必見-七三一部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言
731と関東軍 - (下)F4V
黒い太陽731 4
「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする)
“戦争を語る”人々
戦犯たちの戦後
日本人中国抑留の記録2
朝日新聞より 2011年7月9日15時30分
中国の731部隊跡地に謝罪の碑
日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す
日中戦争中に人体実験をしていたとされる旧日本軍の731部隊があった中国黒竜江省ハルビン郊外の「侵華日軍第731部隊遺跡」に9日、日本人の募金で石碑「謝罪と不戦平和の誓い」が建てられた。謝罪の意を明確にした日本人による記念碑は中国でも珍しいという。
除幕式には日本人有志のほか、中国の研究者や犠牲者の遺族ら約80人が参列。碑文には「731部隊は世界史上類をみない国家的な罪を犯しました。加害国の市民として、惨殺された多くの罪のない中国人民とその遺族に心から謝罪します」などと書かれている。
731部隊の正式名は「関東軍防疫給水部」で1936年に開設。ペストやコレラによる細菌兵器を開発、中国人やロシア人捕虜を人体実験に使い、多くの犠牲者が出たとされる。
(日本政府が正式に謝罪すべきだ!!)
731部隊では何が行われたのか
※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
※エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
極東国際軍事裁判での証言(1946年7月29日)
1946年7月29日、月曜日
日本、東京、陸軍省ビル
極東国際軍事裁判法廷
ベイツが検察側証人として喚問され、まず宣誓してから、以下のごとく証言した。
1938年の秋(11月)に、何人かの親しい友人たちの助けで、私は少数のアヘン商店と大量の吸引館とを訪問しました。それに私達は、官側の専売局が交易する者を制約しようとした、規則の複製したものを手にし、それに交易者が専売局に届けた税の明細書と税務報告もありました。その当時に合法とされた体系では、175軒の吸飲館に許可証が出ていて、それらの吸飲館(の間)に30軒の(アヘン)商店が散在していました。官側では毎日6000オンス売り出すと限定していましたが、交易者の報告した数字がすでに、この限度を超えていたのは、南京以外の農業県での需要がそんなにも大きかったからです。売り出し価格は1オンス11中国元で、売り出し総額は毎日6000オンスに達するのですから、毎月約200万元となります。
特務機関のある中国人エイジェントが私達に漏らしたのでは、特務機関の統制下にあるヘロインの販売は、同じ時期に毎月300万元にも達していました。市政府警察局の麻酔剤にかかわる部分の数字は、ずっと高かったですが、私の調査した結論は保守的で、ヘロインを使用する人は5万人で、当時の人口の1/8に相当します。ヘロインの吸飲人口は猛烈な勢いで増大し、1人1人に重大な問題をもたらしましたが、金陵大学にもそうでした。
東京裁判
【お知らせ】(転載)
一日限りの上映!!
「南京!南京!」上映会開催 /陸川監督来日!!
南京事件(1937年)から70周年となった2007年前後に、世界各地でこの事件をテーマとした大型の劇映画がいくつも製作されました。『ジョン・ラーベ』(独・仏・中)『アイリス・チャン』(カナダ)『チルドレン・オブ・フォアンシー』(豪・中・独)……。これらの作品は、いまだ日本において商業的に公開されたことがありません。サンセバスチャン国際映画祭(2009年)でゴールデン・シェル賞(最優秀作品賞)・審査員賞(最優秀撮影監督賞)を受賞するなど、国際的にも注目された陸川監督『南京!南京!』も、公開を望む声が多くあるにもかかわらず、日本では公開されないまま今日に至っています。
そこで私たちは、2009年に開催した上映会(南京事件にかかわる四つの映画作品を一挙上映)につづき、『南京!南京!』の上映実現に向けて動き始めました。紆余曲折はありましたが、ついに今年夏、上映が実現しました。この一日だけの上映です。
第一回目の上映後、陸川監督を招いてトークショーを開きます。
ぜひお見逃しのないよう!
*********************************************************************
【日時】
2011年8月21日(日)
第1回 12;30 上映、15:00 陸川監督トークショー
第2回 16:45 上映
【料金】
第1回上映(映画+トークショー) 前売り1500円・当日1800円
第2回上映(映画) 前売り1300円・当日1500円
【開催場所】
なかのZERO 小ホール(550席)
東京都中野区中野2-9-7
[交通]JRまたは東京メトロ東西線の中野駅南口から徒歩8分
http://www.nices.jp/access/zero.html
【チケット】
インターネットで、あるいは電話にてご予約いただき、セブンイレブンでの発券となります。代金はチケット受け取りの際にセブンイレブンでお支払いいただきます。ご予約時に発行される払い込み番号をセブンイレブンのレジにて提示することで、チケットが発券されます。
電話予約カンフェティチケットセンター
0120-240-540(平日10:00~18:00)
インターネット予約(カンフェティの会員登録が必要になります)
http://jijitu.com/filmfestival2011/access
【主催団体】
史実を守る映画祭実行委員会
映画祭HPアドレス:http://jijitu.com/filmfestival2011
E-mail: nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp
シネマトゥデイでも紹介されました↓
http://www.cinematoday.jp/page/N0033527
日中戦争 (1937-1938)
南京大屠殺 ( Nanking Massacre )
兵士たちが記録した南京大虐殺1
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚)
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。
●昭和天皇の戦争指導
【重慶大爆撃】 NHK 「重慶爆撃をひも解く」
重慶大爆撃とは①
戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
全国戦没者追悼式反対!!
日本は焦土と化していた!!
1945年7月26日 ポツダム宣言発表
日本政府 黙殺!!国体(天皇制)護持にこだわる!!
大元帥(昭和天皇)動かず!! 戦争の惨禍が拡がる!!
きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!!
「怨」
No More 731!! No More Nanking!!
No More War!!
武器よ!!さらば!!
沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!
新しい日本!!
世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!
沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!! 脱原発!!
福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕)
東電のカネに汚染した東大に騙されるな!
日本を導く頼もしい学者先生方
医学は水俣病で何をしたか(抜粋)
水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって...
1/2 放射能汚染と奇病
増殖炉事故「もんじゅ」現場で何が・・内部取材1/2
原発のコストと再生可能エネルギーのコスト
【東京新聞】衆院委出席の児玉教授「汚染、広島原爆29.6個分」「7万人が自宅を離れてさまよっている時に国会は一体何をやっているのか」
【腐葉土】京都府で2万6600ベクレル/kg、長野県は小中11校が購入し使用
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【海外】英セラフィールドのMOX工場閉鎖へ フクシマの影響
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牛肉汚染 東電職員「稲わら農家の責任」 抗議受け本社謝罪
原発廃炉への道筋 検討始まる
●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
Ⅵ 米謀略資金とツツガ虫病人体実験
組織的に全国の精神病院で人体実験
座長を務めた桂重鴻(しげひろ)の態度は際立っている。「リケッチア研究者はあまり容易に人体実験をやりすぎるのではないだろうか!」たまりかねてこう発言した山本という人物の発言に対して、桂重鴻は、後にマスコミに対して発言したのと同じ事を言った。
「リケッチア研究者が行なっている人体実験接種はあくまでも発熱療法のためのものであって、治療するなかで付属的にツツガ虫リケッチアの研究ができるわけで、しかも今日では抗生物質を自由に使えるので療法としても安全になっていますし・・・・」
参加者の中からは山本の発言に対し「リケッチアの権威故川村鱗也先生は生きたリケッチアを使わなければ免疫ができないといっておられた」という発言もあった。
患者を研究のための材料と考えて全く不思議とも何とも思わない桂の発言であった。「マルタ」思想は731部隊の専売特許ではないのだろう。
桂氏は、新潟精神病院で行なっている人体実験を「抗生剤の少量長期投与実験」と報告した。アメリカで開発した薬の効果を日本の精神障害者を利用して人体実験をしていることの告白であった。
※桂という人は人体実験の反省を全くしていない!!発熱療法のためといってもその患者たちは発熱療法を受ける必要がなかった。149人という多くの人にツツガ虫病原体を注射し、8人が死亡し1人が自殺したという重大な事件になったにもかかわらずその反省がないとはどういうことだろうか?亡くなった方はどんなに苦しんだのだろうか?
組織的に行なわれた国家プロジェクトのようなものだったから全然責任を感じなかったのだろうか?背後に米軍という大きな砦があったからか?
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)
※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本人必見-七三一部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言
731と関東軍 - (下)F4V
黒い太陽731 4
「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする)
“戦争を語る”人々
戦犯たちの戦後
日本人中国抑留の記録2
朝日新聞より 2011年7月9日15時30分
中国の731部隊跡地に謝罪の碑
日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す
日中戦争中に人体実験をしていたとされる旧日本軍の731部隊があった中国黒竜江省ハルビン郊外の「侵華日軍第731部隊遺跡」に9日、日本人の募金で石碑「謝罪と不戦平和の誓い」が建てられた。謝罪の意を明確にした日本人による記念碑は中国でも珍しいという。
除幕式には日本人有志のほか、中国の研究者や犠牲者の遺族ら約80人が参列。碑文には「731部隊は世界史上類をみない国家的な罪を犯しました。加害国の市民として、惨殺された多くの罪のない中国人民とその遺族に心から謝罪します」などと書かれている。
731部隊の正式名は「関東軍防疫給水部」で1936年に開設。ペストやコレラによる細菌兵器を開発、中国人やロシア人捕虜を人体実験に使い、多くの犠牲者が出たとされる。
(日本政府が正式に謝罪すべきだ!!)
731部隊では何が行われたのか
※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
※エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
極東国際軍事裁判での証言(1946年7月29日)
1946年7月29日、月曜日
日本、東京、陸軍省ビル
極東国際軍事裁判法廷
ベイツが検察側証人として喚問され、まず宣誓してから、以下のごとく証言した。
1938年の秋(11月)に、何人かの親しい友人たちの助けで、私は少数のアヘン商店と大量の吸引館とを訪問しました。それに私達は、官側の専売局が交易する者を制約しようとした、規則の複製したものを手にし、それに交易者が専売局に届けた税の明細書と税務報告もありました。その当時に合法とされた体系では、175軒の吸飲館に許可証が出ていて、それらの吸飲館(の間)に30軒の(アヘン)商店が散在していました。官側では毎日6000オンス売り出すと限定していましたが、交易者の報告した数字がすでに、この限度を超えていたのは、南京以外の農業県での需要がそんなにも大きかったからです。売り出し価格は1オンス11中国元で、売り出し総額は毎日6000オンスに達するのですから、毎月約200万元となります。
特務機関のある中国人エイジェントが私達に漏らしたのでは、特務機関の統制下にあるヘロインの販売は、同じ時期に毎月300万元にも達していました。市政府警察局の麻酔剤にかかわる部分の数字は、ずっと高かったですが、私の調査した結論は保守的で、ヘロインを使用する人は5万人で、当時の人口の1/8に相当します。ヘロインの吸飲人口は猛烈な勢いで増大し、1人1人に重大な問題をもたらしましたが、金陵大学にもそうでした。
東京裁判
【お知らせ】(転載)
一日限りの上映!!
「南京!南京!」上映会開催 /陸川監督来日!!
南京事件(1937年)から70周年となった2007年前後に、世界各地でこの事件をテーマとした大型の劇映画がいくつも製作されました。『ジョン・ラーベ』(独・仏・中)『アイリス・チャン』(カナダ)『チルドレン・オブ・フォアンシー』(豪・中・独)……。これらの作品は、いまだ日本において商業的に公開されたことがありません。サンセバスチャン国際映画祭(2009年)でゴールデン・シェル賞(最優秀作品賞)・審査員賞(最優秀撮影監督賞)を受賞するなど、国際的にも注目された陸川監督『南京!南京!』も、公開を望む声が多くあるにもかかわらず、日本では公開されないまま今日に至っています。
そこで私たちは、2009年に開催した上映会(南京事件にかかわる四つの映画作品を一挙上映)につづき、『南京!南京!』の上映実現に向けて動き始めました。紆余曲折はありましたが、ついに今年夏、上映が実現しました。この一日だけの上映です。
第一回目の上映後、陸川監督を招いてトークショーを開きます。
ぜひお見逃しのないよう!
*********************************************************************
【日時】
2011年8月21日(日)
第1回 12;30 上映、15:00 陸川監督トークショー
第2回 16:45 上映
【料金】
第1回上映(映画+トークショー) 前売り1500円・当日1800円
第2回上映(映画) 前売り1300円・当日1500円
【開催場所】
なかのZERO 小ホール(550席)
東京都中野区中野2-9-7
[交通]JRまたは東京メトロ東西線の中野駅南口から徒歩8分
http://www.nices.jp/access/zero.html
【チケット】
インターネットで、あるいは電話にてご予約いただき、セブンイレブンでの発券となります。代金はチケット受け取りの際にセブンイレブンでお支払いいただきます。ご予約時に発行される払い込み番号をセブンイレブンのレジにて提示することで、チケットが発券されます。
電話予約カンフェティチケットセンター
0120-240-540(平日10:00~18:00)
インターネット予約(カンフェティの会員登録が必要になります)
http://jijitu.com/filmfestival2011/access
【主催団体】
史実を守る映画祭実行委員会
映画祭HPアドレス:http://jijitu.com/filmfestival2011
E-mail: nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp
シネマトゥデイでも紹介されました↓
http://www.cinematoday.jp/page/N0033527
日中戦争 (1937-1938)
南京大屠殺 ( Nanking Massacre )
兵士たちが記録した南京大虐殺1
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚)
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。
●昭和天皇の戦争指導
【重慶大爆撃】 NHK 「重慶爆撃をひも解く」
重慶大爆撃とは①
戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
2011年8月3日水曜日
この世の地獄!原発・731・南京!!
日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!!
全国戦没者追悼式反対!!
日本は焦土と化していた!!
1945年7月26日 ポツダム宣言発表
日本政府 黙殺!!国体(天皇制)護持にこだわる!!
大元帥(昭和天皇)動かず!! 戦争の惨禍が拡がる!!
きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!!
「怨」
No More 731!! No More Nanking!!
No More War!!
武器よ!!さらば!!
沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!
新しい日本!!
世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!
沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!! 脱原発!!
福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕)
東電のカネに汚染した東大に騙されるな!
日本を導く頼もしい学者先生方
医学は水俣病で何をしたか(抜粋)
水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって...
1/2 放射能汚染と奇病
増殖炉事故「もんじゅ」現場で何が・・内部取材1/2
原発のコストと再生可能エネルギーのコスト
【ラジオ】小出先生「燃料から直接でないと10シーベルトは出ない、使用済み燃料のプールが爆発して、その中身が吹き飛んで来たのでは」
【琉球新報】世界の信用を失う政府 欺瞞の被ばく比較こそ犯罪(必読です)
【放射能汚染】2011年3月の放射性物質の都道府県別月間降下量(文部科学省)
【放射性物質拡散予報】8月3日午前9時からの予報 [*天気・風向き]
1号機建屋内 極めて高い放射線量(8月2日 19:45更新)
園児2千人が退園・県外へ…福島の私立幼稚園
●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
Ⅵ 米謀略資金とツツガ虫病人体実験
組織的に全国の精神病院で人体実験
桂重鴻は、このシンポジウムの主要参加者の1人として分科会の座長として参加し、リポートも行なって活躍していた。私は田宮猛雄の挨拶を見た。
「私どもは昨年(昭和29年)11月より、ツツガ虫病の病原、疫学、医動物学の三方面において、総合的調査研究を行なうために、新たに米国政府の援助を受けて予研北岡、大久保、宍戸の諸氏、東京医科歯科大学加納、熊田、清水、相沢の諸氏を中心として、田宮班を組織し、東大衛生学教室の羽里氏の強力を得、また、新潟大学伊藤学長、桂教授等の参加を得て研究を進めることができた」と話している。
この挨拶で、私の「新潟精神病院での桂重鴻教授らによるツツガ虫人体実験」と「米軍資金によるツツガ虫研究」は一体のものであるという仮説は完全に証明された。
私が発見したのはそれだけではない。この研究目的のために非常に多くの精神病院を利用して、新潟の人権侵害と同様な人体実験が行なわれたことが明らかであった。このシンポジウムはまさに「ツツガ虫リケッチア人体実験報告集会」そのものであった。
※ツツガ虫の人体実験は新潟精神病院だけではないことが分かる。多くの精神病院でも行なわれた。田宮を中心とした東大系の組織を使い、資金は米軍から出ていた!!そして、その研究成果はもしかしたらベトナム戦争に細菌兵器として使われた?
731部隊とベトナム戦争とのかかわりについては以下の本に次のような記述がある。
アメリカ軍は731豚の研究成果を発展させて枯葉剤を作ったのだろう。
『【真相】石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
第2部5課(攻撃・実戦担当 K・S
第2部には、我々の他に、八木沢班というのがあった。ここは植物や穀物を枯らす細菌の研究をしていた。ベトナム戦争の時に、アメリカ軍が、ベトナムで枯葉作戦というのを行なったということを知った。そして、この枯葉作戦は、731部隊八木沢班の研究が発展させられたものであるということを聞いた。何ともやりきれない想いにとらわれてしまった。
戦争は2度と起こしてはいけないと、心の中で念じつつ、筆を置くことしかできない今の自分を残念に思うことしきりである。
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)
※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本人必見-七三一部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言
731と関東軍 - (下)F4V
黒い太陽731
黒い太陽731 3
「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする)
“戦争を語る”人々
戦犯たちの戦後
"戦犯"たちの告白4と日本人中国抑留の記録1
朝日新聞より 2011年7月9日15時30分
中国の731部隊跡地に謝罪の碑
日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す
日中戦争中に人体実験をしていたとされる旧日本軍の731部隊があった中国黒竜江省ハルビン郊外の「侵華日軍第731部隊遺跡」に9日、日本人の募金で石碑「謝罪と不戦平和の誓い」が建てられた。謝罪の意を明確にした日本人による記念碑は中国でも珍しいという。
除幕式には日本人有志のほか、中国の研究者や犠牲者の遺族ら約80人が参列。碑文には「731部隊は世界史上類をみない国家的な罪を犯しました。加害国の市民として、惨殺された多くの罪のない中国人民とその遺族に心から謝罪します」などと書かれている。
731部隊の正式名は「関東軍防疫給水部」で1936年に開設。ペストやコレラによる細菌兵器を開発、中国人やロシア人捕虜を人体実験に使い、多くの犠牲者が出たとされる。
(日本政府が正式に謝罪すべきだ!!)
731部隊では何が行われたのか
※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
※エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
極東国際軍事裁判での証言(1946年7月29日)
1946年7月29日、月曜日
日本、東京、陸軍省ビル
極東国際軍事裁判法廷
ベイツが検察側証人として喚問され、まず宣誓してから、以下のごとく証言した。
ブルックス氏: 法廷はもっと遠大にやられてしかるべきと、私はみなしていまして、私が言っているのは、ここでアヘン交易を談じすぎているということなのですが、過去何百年にもわたって、個人のや政府側のや、中国のや外国のや、様々な要素のがその時々に、麻酔剤交易をやってきて発展させたのです。法廷がもしこういう見方で、しかも証人がそういう路線に沿って証言するのなら、これから後のいかなる尋問にも反対してしかるべきと、私がみなしますのは、それが美辞麗句の積み重ねに他ならないからです。
裁判長: 大量の証人が同一の事柄について立証する必要があるという情況のもとでは、証言の言葉は累積に継ぐ累積になるしかない。反対は却下される。
スットン氏による尋問:
問: ベイツ博士、応答を続けて差し支えありません。
答: 麻薬交易を調査するのはたやすいことではありませんでした―大っぴらに売り出されているとは言え、その経営と財務の情報は厳重に秘密とされていて、自ずとここにははっきりした誠実な官側の報告はありませんでした。
東京裁判
【お知らせ】(転載)
一日限りの上映!!
「南京!南京!」上映会開催 /陸川監督来日!!
南京事件(1937年)から70周年となった2007年前後に、世界各地でこの事件をテーマとした大型の劇映画がいくつも製作されました。『ジョン・ラーベ』(独・仏・中)『アイリス・チャン』(カナダ)『チルドレン・オブ・フォアンシー』(豪・中・独)……。これらの作品は、いまだ日本において商業的に公開されたことがありません。サンセバスチャン国際映画祭(2009年)でゴールデン・シェル賞(最優秀作品賞)・審査員賞(最優秀撮影監督賞)を受賞するなど、国際的にも注目された陸川監督『南京!南京!』も、公開を望む声が多くあるにもかかわらず、日本では公開されないまま今日に至っています。
そこで私たちは、2009年に開催した上映会(南京事件にかかわる四つの映画作品を一挙上映)につづき、『南京!南京!』の上映実現に向けて動き始めました。紆余曲折はありましたが、ついに今年夏、上映が実現しました。この一日だけの上映です。
第一回目の上映後、陸川監督を招いてトークショーを開きます。
ぜひお見逃しのないよう!
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【日時】
2011年8月21日(日)
第1回 12;30 上映、15:00 陸川監督トークショー
第2回 16:45 上映
【料金】
第1回上映(映画+トークショー) 前売り1500円・当日1800円
第2回上映(映画) 前売り1300円・当日1500円
【開催場所】
なかのZERO 小ホール(550席)
東京都中野区中野2-9-7
[交通]JRまたは東京メトロ東西線の中野駅南口から徒歩8分
http://www.nices.jp/access/zero.html
【チケット】
インターネットで、あるいは電話にてご予約いただき、セブンイレブンでの発券となります。代金はチケット受け取りの際にセブンイレブンでお支払いいただきます。ご予約時に発行される払い込み番号をセブンイレブンのレジにて提示することで、チケットが発券されます。
電話予約カンフェティチケットセンター
0120-240-540(平日10:00~18:00)
インターネット予約(カンフェティの会員登録が必要になります)
http://jijitu.com/filmfestival2011/access
【主催団体】
史実を守る映画祭実行委員会
映画祭HPアドレス:http://jijitu.com/filmfestival2011
E-mail: nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp
シネマトゥデイでも紹介されました↓
http://www.cinematoday.jp/page/N0033527
日中戦争 (1937-1938)
南京大屠殺 ( Nanking Massacre )
兵士たちが記録した南京大虐殺1
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚)
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。
●昭和天皇の戦争指導
【重慶大爆撃】 NHK 「重慶爆撃をひも解く」
重慶大爆撃とは①
戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
全国戦没者追悼式反対!!
日本は焦土と化していた!!
1945年7月26日 ポツダム宣言発表
日本政府 黙殺!!国体(天皇制)護持にこだわる!!
大元帥(昭和天皇)動かず!! 戦争の惨禍が拡がる!!
きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!!
「怨」
No More 731!! No More Nanking!!
No More War!!
武器よ!!さらば!!
沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!
新しい日本!!
世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!
沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!! 脱原発!!
福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕)
東電のカネに汚染した東大に騙されるな!
日本を導く頼もしい学者先生方
医学は水俣病で何をしたか(抜粋)
水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって...
1/2 放射能汚染と奇病
増殖炉事故「もんじゅ」現場で何が・・内部取材1/2
原発のコストと再生可能エネルギーのコスト
【ラジオ】小出先生「燃料から直接でないと10シーベルトは出ない、使用済み燃料のプールが爆発して、その中身が吹き飛んで来たのでは」
【琉球新報】世界の信用を失う政府 欺瞞の被ばく比較こそ犯罪(必読です)
【放射能汚染】2011年3月の放射性物質の都道府県別月間降下量(文部科学省)
【放射性物質拡散予報】8月3日午前9時からの予報 [*天気・風向き]
1号機建屋内 極めて高い放射線量(8月2日 19:45更新)
園児2千人が退園・県外へ…福島の私立幼稚園
●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
Ⅵ 米謀略資金とツツガ虫病人体実験
組織的に全国の精神病院で人体実験
桂重鴻は、このシンポジウムの主要参加者の1人として分科会の座長として参加し、リポートも行なって活躍していた。私は田宮猛雄の挨拶を見た。
「私どもは昨年(昭和29年)11月より、ツツガ虫病の病原、疫学、医動物学の三方面において、総合的調査研究を行なうために、新たに米国政府の援助を受けて予研北岡、大久保、宍戸の諸氏、東京医科歯科大学加納、熊田、清水、相沢の諸氏を中心として、田宮班を組織し、東大衛生学教室の羽里氏の強力を得、また、新潟大学伊藤学長、桂教授等の参加を得て研究を進めることができた」と話している。
この挨拶で、私の「新潟精神病院での桂重鴻教授らによるツツガ虫人体実験」と「米軍資金によるツツガ虫研究」は一体のものであるという仮説は完全に証明された。
私が発見したのはそれだけではない。この研究目的のために非常に多くの精神病院を利用して、新潟の人権侵害と同様な人体実験が行なわれたことが明らかであった。このシンポジウムはまさに「ツツガ虫リケッチア人体実験報告集会」そのものであった。
※ツツガ虫の人体実験は新潟精神病院だけではないことが分かる。多くの精神病院でも行なわれた。田宮を中心とした東大系の組織を使い、資金は米軍から出ていた!!そして、その研究成果はもしかしたらベトナム戦争に細菌兵器として使われた?
731部隊とベトナム戦争とのかかわりについては以下の本に次のような記述がある。
アメリカ軍は731豚の研究成果を発展させて枯葉剤を作ったのだろう。
『【真相】石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
Ⅲ ペスト攻撃班、恐怖の実戦秘録
第2部5課(攻撃・実戦担当 K・S
第2部には、我々の他に、八木沢班というのがあった。ここは植物や穀物を枯らす細菌の研究をしていた。ベトナム戦争の時に、アメリカ軍が、ベトナムで枯葉作戦というのを行なったということを知った。そして、この枯葉作戦は、731部隊八木沢班の研究が発展させられたものであるということを聞いた。何ともやりきれない想いにとらわれてしまった。
戦争は2度と起こしてはいけないと、心の中で念じつつ、筆を置くことしかできない今の自分を残念に思うことしきりである。
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)
※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本人必見-七三一部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言
731と関東軍 - (下)F4V
黒い太陽731
黒い太陽731 3
「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする)
“戦争を語る”人々
戦犯たちの戦後
"戦犯"たちの告白4と日本人中国抑留の記録1
朝日新聞より 2011年7月9日15時30分
中国の731部隊跡地に謝罪の碑
日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す
日中戦争中に人体実験をしていたとされる旧日本軍の731部隊があった中国黒竜江省ハルビン郊外の「侵華日軍第731部隊遺跡」に9日、日本人の募金で石碑「謝罪と不戦平和の誓い」が建てられた。謝罪の意を明確にした日本人による記念碑は中国でも珍しいという。
除幕式には日本人有志のほか、中国の研究者や犠牲者の遺族ら約80人が参列。碑文には「731部隊は世界史上類をみない国家的な罪を犯しました。加害国の市民として、惨殺された多くの罪のない中国人民とその遺族に心から謝罪します」などと書かれている。
731部隊の正式名は「関東軍防疫給水部」で1936年に開設。ペストやコレラによる細菌兵器を開発、中国人やロシア人捕虜を人体実験に使い、多くの犠牲者が出たとされる。
(日本政府が正式に謝罪すべきだ!!)
731部隊では何が行われたのか
※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
※エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
極東国際軍事裁判での証言(1946年7月29日)
1946年7月29日、月曜日
日本、東京、陸軍省ビル
極東国際軍事裁判法廷
ベイツが検察側証人として喚問され、まず宣誓してから、以下のごとく証言した。
ブルックス氏: 法廷はもっと遠大にやられてしかるべきと、私はみなしていまして、私が言っているのは、ここでアヘン交易を談じすぎているということなのですが、過去何百年にもわたって、個人のや政府側のや、中国のや外国のや、様々な要素のがその時々に、麻酔剤交易をやってきて発展させたのです。法廷がもしこういう見方で、しかも証人がそういう路線に沿って証言するのなら、これから後のいかなる尋問にも反対してしかるべきと、私がみなしますのは、それが美辞麗句の積み重ねに他ならないからです。
裁判長: 大量の証人が同一の事柄について立証する必要があるという情況のもとでは、証言の言葉は累積に継ぐ累積になるしかない。反対は却下される。
スットン氏による尋問:
問: ベイツ博士、応答を続けて差し支えありません。
答: 麻薬交易を調査するのはたやすいことではありませんでした―大っぴらに売り出されているとは言え、その経営と財務の情報は厳重に秘密とされていて、自ずとここにははっきりした誠実な官側の報告はありませんでした。
東京裁判
【お知らせ】(転載)
一日限りの上映!!
「南京!南京!」上映会開催 /陸川監督来日!!
南京事件(1937年)から70周年となった2007年前後に、世界各地でこの事件をテーマとした大型の劇映画がいくつも製作されました。『ジョン・ラーベ』(独・仏・中)『アイリス・チャン』(カナダ)『チルドレン・オブ・フォアンシー』(豪・中・独)……。これらの作品は、いまだ日本において商業的に公開されたことがありません。サンセバスチャン国際映画祭(2009年)でゴールデン・シェル賞(最優秀作品賞)・審査員賞(最優秀撮影監督賞)を受賞するなど、国際的にも注目された陸川監督『南京!南京!』も、公開を望む声が多くあるにもかかわらず、日本では公開されないまま今日に至っています。
そこで私たちは、2009年に開催した上映会(南京事件にかかわる四つの映画作品を一挙上映)につづき、『南京!南京!』の上映実現に向けて動き始めました。紆余曲折はありましたが、ついに今年夏、上映が実現しました。この一日だけの上映です。
第一回目の上映後、陸川監督を招いてトークショーを開きます。
ぜひお見逃しのないよう!
*********************************************************************
【日時】
2011年8月21日(日)
第1回 12;30 上映、15:00 陸川監督トークショー
第2回 16:45 上映
【料金】
第1回上映(映画+トークショー) 前売り1500円・当日1800円
第2回上映(映画) 前売り1300円・当日1500円
【開催場所】
なかのZERO 小ホール(550席)
東京都中野区中野2-9-7
[交通]JRまたは東京メトロ東西線の中野駅南口から徒歩8分
http://www.nices.jp/access/zero.html
【チケット】
インターネットで、あるいは電話にてご予約いただき、セブンイレブンでの発券となります。代金はチケット受け取りの際にセブンイレブンでお支払いいただきます。ご予約時に発行される払い込み番号をセブンイレブンのレジにて提示することで、チケットが発券されます。
電話予約カンフェティチケットセンター
0120-240-540(平日10:00~18:00)
インターネット予約(カンフェティの会員登録が必要になります)
http://jijitu.com/filmfestival2011/access
【主催団体】
史実を守る映画祭実行委員会
映画祭HPアドレス:http://jijitu.com/filmfestival2011
E-mail: nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp
シネマトゥデイでも紹介されました↓
http://www.cinematoday.jp/page/N0033527
日中戦争 (1937-1938)
南京大屠殺 ( Nanking Massacre )
兵士たちが記録した南京大虐殺1
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚)
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。
●昭和天皇の戦争指導
【重慶大爆撃】 NHK 「重慶爆撃をひも解く」
重慶大爆撃とは①
戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
2011年8月2日火曜日
この世の地獄!原発・731・南京!!
日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!!
全国戦没者追悼式反対!!
日本は焦土と化していた!!
1945年7月26日 ポツダム宣言発表
日本政府 黙殺!!国体(天皇制)護持にこだわる!!
大元帥(昭和天皇)動かず!! 戦争の惨禍が拡がる!!
8月2日 富山大空襲 B29・174機。死者2737人。負傷者7900人。焼失家屋24,914戸(市街地の99.5%)。罹災人口109,592人。広島・長崎の原爆を除けば地方都市として最大の被害。
富山大空襲
きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!!
「怨」
No More 731!! No More Nanking!!
No More War!!
武器よ!!さらば!!
沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!
新しい日本!!
世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!
富山大空襲
沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!! 脱原発!!
福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕)
東電のカネに汚染した東大に騙されるな!
日本を導く頼もしい学者先生方
医学は水俣病で何をしたか(抜粋)
水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって...
1/2 放射能汚染と奇病
増殖炉事故「もんじゅ」現場で何が・・内部取材1/2
原発のコストと再生可能エネルギーのコスト
【速報】原発から最も高い放射線量、1時間当たり10シーベルトを超える放射線量を計測!(場所画像追加しました)
【動画】児玉龍彦教授 『満身の怒り!』-テレビ朝日モーニングバード
【放射性物質拡散予報】8月2日午前9時からの予報 [*天気・風向き]
毎時1万ミリシーベルト超の放射線量(8月1日 21:00更新)
「信用できない」佐賀知事発言に抗議相次ぐ
●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
Ⅵ 米謀略資金とツツガ虫病人体実験
組織的に全国の精神病院で人体実験
私は、田宮猛雄らを中心に浅沼や北岡らが一体どの程度の規模で、どんな内容で、ツツガ虫研究を行なったのかを調査した。
幾つかのツツガ虫に関する調査はどんどんふくらんでいき、えぞ熱という風土病に関する膨大な研究班が東大伝研や北海道大学などを中心に組織され、川村明義らが「47歳の発熱療法を必要とする進行性マヒの患者に治療に付随した実験を行なった」ことなどを調べ、北海道まで飛んで、えぞ熱研究の実態を調査した。
やがて私は、米軍のツツガ虫研究への資金の問題と、新潟精神病院で行なわれたツツガ虫病原体の患者への接種事件(日弁連が取り上げた乳児人体実験と並ぶ人権侵害事件)が完全に結びつくものであるという証拠を発見した。
それはある国立大学医学部図書館で、米軍研究資金にかかわった人々の研究論文を調査してときであった。
「ウイルス」という日本ウイルス学会の雑誌をみていたところ、1956年の6巻3号に「昭和30年度リケッチア・シンポジウム記録」という特集を見つけ出したのだ。
私はその冒頭の参加者名簿を見て驚いた。
〔東大伝研〕田宮猛雄(囚人人体実験)、佐々学、川村明義(えぞ熱実験)、山本正(ツツガ虫研究)。
〔東大医学部〕羽里彦左衛門(華北同仁会)。
〔国立予防衛生研究所〕北岡正見(囚人人体実験)、宍戸亮(囚人人体事件関連研究)。
〔新潟大学〕桂重鴻(しげひろ)(ツツガ虫研究)
〔慶応系精神医学研究所〕(ツツガ虫人体実験)
〔731関係者〕浅沼靖(流行性出血熱)、早川清(南方軍防疫給水部)、笠原四郎(流行性出血熱、名簿非記載―シンポジウム討論参加記録に記載あり)
※新潟精神病院で行なわれたツツガ虫病の人体実験は米軍資金と関係していた。このツツガ虫研究は組織的に行なわれていたために、警察・検察に大きな圧力が働いたのではないか?
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)
※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本人必見-七三一部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言
731と関東軍 - (下)F4V
黒い太陽731
黒い太陽731 2
「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする)
“戦争を語る”人々
戦犯たちの戦後
"戦犯"たちの告白3
朝日新聞より 2011年7月9日15時30分
中国の731部隊跡地に謝罪の碑
日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す
日中戦争中に人体実験をしていたとされる旧日本軍の731部隊があった中国黒竜江省ハルビン郊外の「侵華日軍第731部隊遺跡」に9日、日本人の募金で石碑「謝罪と不戦平和の誓い」が建てられた。謝罪の意を明確にした日本人による記念碑は中国でも珍しいという。
除幕式には日本人有志のほか、中国の研究者や犠牲者の遺族ら約80人が参列。碑文には「731部隊は世界史上類をみない国家的な罪を犯しました。加害国の市民として、惨殺された多くの罪のない中国人民とその遺族に心から謝罪します」などと書かれている。
731部隊の正式名は「関東軍防疫給水部」で1936年に開設。ペストやコレラによる細菌兵器を開発、中国人やロシア人捕虜を人体実験に使い、多くの犠牲者が出たとされる。
(日本政府が正式に謝罪すべきだと思う!!・・ノブ)
731部隊では何が行われたのか
※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
※エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
極東国際軍事裁判での証言(1946年7月29日)
1946年7月29日、月曜日
日本、東京、陸軍省ビル
極東国際軍事裁判法廷
ベイツが検察側証人として喚問され、まず宣誓してから、以下のごとく証言した。
午後の部
法廷副警備長: 極東国際軍事裁判がただいまから再開されます。
ベイツが検察側証人として喚問され、再びせきについて以下の通り証言した。
直接尋問※①(続き)
裁判長: ブルックス大尉※②。
ブルックス氏: 法廷が許されるならば、彼(検察官を指す―訳者)がいま拡張しているアヘンに関する尋問は、単に証人の提供する証拠を累積しているにすぎず、それゆえにそれに基づいて反対される可能性があると私はみなします。しかも、こうした大量なアヘンの状況にかかわる事柄を排除する可能性が大いにあると私はみなしますし、それに法廷が裁判所として判断を下してしかるべきと私の感じますには、アヘンは中国では古くからのしかも巨大なる邪悪でして、中国の民衆は他のいかなる者たちにもまして、アヘン吸飲の嗜好に染まりやすいのです。
裁判長: よろしい。あなたは、日本人がアヘンの販売を大量に推し進め、しかも全く大っぴらにアヘンを売り出していると、私たちが裁判所として判断を下せると示唆してはいない!私はこれが事実だと言っているのではないが、それは証言の言葉なのだ。
※①・・・法律用語で、当事者や弁護人が証人に対してする初歩的な問い詰めの意。
※②・・・布魯克はA級戦犯小磯国昭の弁護人となった弁護士。小磯はかつて関東軍参謀長の任にあって、いかさま満州傀儡(かいらい)政権をでっち上げ、1944年には内閣首相に任じた。
東京裁判
【お知らせ】(転載)
一日限りの上映!!
「南京!南京!」上映会開催 /陸川監督来日!!
南京事件(1937年)から70周年となった2007年前後に、世界各地でこの事件をテーマとした大型の劇映画がいくつも製作されました。『ジョン・ラーベ』(独・仏・中)『アイリス・チャン』(カナダ)『チルドレン・オブ・フォアンシー』(豪・中・独)……。これらの作品は、いまだ日本において商業的に公開されたことがありません。サンセバスチャン国際映画祭(2009年)でゴールデン・シェル賞(最優秀作品賞)・審査員賞(最優秀撮影監督賞)を受賞するなど、国際的にも注目された陸川監督『南京!南京!』も、公開を望む声が多くあるにもかかわらず、日本では公開されないまま今日に至っています。
そこで私たちは、2009年に開催した上映会(南京事件にかかわる四つの映画作品を一挙上映)につづき、『南京!南京!』の上映実現に向けて動き始めました。紆余曲折はありましたが、ついに今年夏、上映が実現しました。この一日だけの上映です。
第一回目の上映後、陸川監督を招いてトークショーを開きます。
ぜひお見逃しのないよう!
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【日時】
2011年8月21日(日)
第1回 12;30 上映、15:00 陸川監督トークショー
第2回 16:45 上映
【料金】
第1回上映(映画+トークショー) 前売り1500円・当日1800円
第2回上映(映画) 前売り1300円・当日1500円
【開催場所】
なかのZERO 小ホール(550席)
東京都中野区中野2-9-7
[交通]JRまたは東京メトロ東西線の中野駅南口から徒歩8分
http://www.nices.jp/access/zero.html
【チケット】
インターネットで、あるいは電話にてご予約いただき、セブンイレブンでの発券となります。代金はチケット受け取りの際にセブンイレブンでお支払いいただきます。ご予約時に発行される払い込み番号をセブンイレブンのレジにて提示することで、チケットが発券されます。
電話予約カンフェティチケットセンター
0120-240-540(平日10:00~18:00)
インターネット予約(カンフェティの会員登録が必要になります)
http://jijitu.com/filmfestival2011/access
【主催団体】
史実を守る映画祭実行委員会
映画祭HPアドレス:http://jijitu.com/filmfestival2011
E-mail: nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp
シネマトゥデイでも紹介されました↓
http://www.cinematoday.jp/page/N0033527
日中戦争 (1937-1938)
南京大屠殺 ( Nanking Massacre )
兵士たちが記録した南京大虐殺1
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚)
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。
●昭和天皇の戦争指導
【重慶大爆撃】 NHK 「重慶爆撃をひも解く」
重慶大爆撃とは①
戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
全国戦没者追悼式反対!!
日本は焦土と化していた!!
1945年7月26日 ポツダム宣言発表
日本政府 黙殺!!国体(天皇制)護持にこだわる!!
大元帥(昭和天皇)動かず!! 戦争の惨禍が拡がる!!
8月2日 富山大空襲 B29・174機。死者2737人。負傷者7900人。焼失家屋24,914戸(市街地の99.5%)。罹災人口109,592人。広島・長崎の原爆を除けば地方都市として最大の被害。
富山大空襲
きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!!
「怨」
No More 731!! No More Nanking!!
No More War!!
武器よ!!さらば!!
沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!
新しい日本!!
世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!
富山大空襲
沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!! 脱原発!!
福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕)
東電のカネに汚染した東大に騙されるな!
日本を導く頼もしい学者先生方
医学は水俣病で何をしたか(抜粋)
水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって...
1/2 放射能汚染と奇病
増殖炉事故「もんじゅ」現場で何が・・内部取材1/2
原発のコストと再生可能エネルギーのコスト
【速報】原発から最も高い放射線量、1時間当たり10シーベルトを超える放射線量を計測!(場所画像追加しました)
【動画】児玉龍彦教授 『満身の怒り!』-テレビ朝日モーニングバード
【放射性物質拡散予報】8月2日午前9時からの予報 [*天気・風向き]
毎時1万ミリシーベルト超の放射線量(8月1日 21:00更新)
「信用できない」佐賀知事発言に抗議相次ぐ
●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
Ⅵ 米謀略資金とツツガ虫病人体実験
組織的に全国の精神病院で人体実験
私は、田宮猛雄らを中心に浅沼や北岡らが一体どの程度の規模で、どんな内容で、ツツガ虫研究を行なったのかを調査した。
幾つかのツツガ虫に関する調査はどんどんふくらんでいき、えぞ熱という風土病に関する膨大な研究班が東大伝研や北海道大学などを中心に組織され、川村明義らが「47歳の発熱療法を必要とする進行性マヒの患者に治療に付随した実験を行なった」ことなどを調べ、北海道まで飛んで、えぞ熱研究の実態を調査した。
やがて私は、米軍のツツガ虫研究への資金の問題と、新潟精神病院で行なわれたツツガ虫病原体の患者への接種事件(日弁連が取り上げた乳児人体実験と並ぶ人権侵害事件)が完全に結びつくものであるという証拠を発見した。
それはある国立大学医学部図書館で、米軍研究資金にかかわった人々の研究論文を調査してときであった。
「ウイルス」という日本ウイルス学会の雑誌をみていたところ、1956年の6巻3号に「昭和30年度リケッチア・シンポジウム記録」という特集を見つけ出したのだ。
私はその冒頭の参加者名簿を見て驚いた。
〔東大伝研〕田宮猛雄(囚人人体実験)、佐々学、川村明義(えぞ熱実験)、山本正(ツツガ虫研究)。
〔東大医学部〕羽里彦左衛門(華北同仁会)。
〔国立予防衛生研究所〕北岡正見(囚人人体実験)、宍戸亮(囚人人体事件関連研究)。
〔新潟大学〕桂重鴻(しげひろ)(ツツガ虫研究)
〔慶応系精神医学研究所〕(ツツガ虫人体実験)
〔731関係者〕浅沼靖(流行性出血熱)、早川清(南方軍防疫給水部)、笠原四郎(流行性出血熱、名簿非記載―シンポジウム討論参加記録に記載あり)
※新潟精神病院で行なわれたツツガ虫病の人体実験は米軍資金と関係していた。このツツガ虫研究は組織的に行なわれていたために、警察・検察に大きな圧力が働いたのではないか?
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)
※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本人必見-七三一部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言
731と関東軍 - (下)F4V
黒い太陽731
黒い太陽731 2
「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする)
“戦争を語る”人々
戦犯たちの戦後
"戦犯"たちの告白3
朝日新聞より 2011年7月9日15時30分
中国の731部隊跡地に謝罪の碑
日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す
日中戦争中に人体実験をしていたとされる旧日本軍の731部隊があった中国黒竜江省ハルビン郊外の「侵華日軍第731部隊遺跡」に9日、日本人の募金で石碑「謝罪と不戦平和の誓い」が建てられた。謝罪の意を明確にした日本人による記念碑は中国でも珍しいという。
除幕式には日本人有志のほか、中国の研究者や犠牲者の遺族ら約80人が参列。碑文には「731部隊は世界史上類をみない国家的な罪を犯しました。加害国の市民として、惨殺された多くの罪のない中国人民とその遺族に心から謝罪します」などと書かれている。
731部隊の正式名は「関東軍防疫給水部」で1936年に開設。ペストやコレラによる細菌兵器を開発、中国人やロシア人捕虜を人体実験に使い、多くの犠牲者が出たとされる。
(日本政府が正式に謝罪すべきだと思う!!・・ノブ)
731部隊では何が行われたのか
※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
※エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
極東国際軍事裁判での証言(1946年7月29日)
1946年7月29日、月曜日
日本、東京、陸軍省ビル
極東国際軍事裁判法廷
ベイツが検察側証人として喚問され、まず宣誓してから、以下のごとく証言した。
午後の部
法廷副警備長: 極東国際軍事裁判がただいまから再開されます。
ベイツが検察側証人として喚問され、再びせきについて以下の通り証言した。
直接尋問※①(続き)
裁判長: ブルックス大尉※②。
ブルックス氏: 法廷が許されるならば、彼(検察官を指す―訳者)がいま拡張しているアヘンに関する尋問は、単に証人の提供する証拠を累積しているにすぎず、それゆえにそれに基づいて反対される可能性があると私はみなします。しかも、こうした大量なアヘンの状況にかかわる事柄を排除する可能性が大いにあると私はみなしますし、それに法廷が裁判所として判断を下してしかるべきと私の感じますには、アヘンは中国では古くからのしかも巨大なる邪悪でして、中国の民衆は他のいかなる者たちにもまして、アヘン吸飲の嗜好に染まりやすいのです。
裁判長: よろしい。あなたは、日本人がアヘンの販売を大量に推し進め、しかも全く大っぴらにアヘンを売り出していると、私たちが裁判所として判断を下せると示唆してはいない!私はこれが事実だと言っているのではないが、それは証言の言葉なのだ。
※①・・・法律用語で、当事者や弁護人が証人に対してする初歩的な問い詰めの意。
※②・・・布魯克はA級戦犯小磯国昭の弁護人となった弁護士。小磯はかつて関東軍参謀長の任にあって、いかさま満州傀儡(かいらい)政権をでっち上げ、1944年には内閣首相に任じた。
東京裁判
【お知らせ】(転載)
一日限りの上映!!
「南京!南京!」上映会開催 /陸川監督来日!!
南京事件(1937年)から70周年となった2007年前後に、世界各地でこの事件をテーマとした大型の劇映画がいくつも製作されました。『ジョン・ラーベ』(独・仏・中)『アイリス・チャン』(カナダ)『チルドレン・オブ・フォアンシー』(豪・中・独)……。これらの作品は、いまだ日本において商業的に公開されたことがありません。サンセバスチャン国際映画祭(2009年)でゴールデン・シェル賞(最優秀作品賞)・審査員賞(最優秀撮影監督賞)を受賞するなど、国際的にも注目された陸川監督『南京!南京!』も、公開を望む声が多くあるにもかかわらず、日本では公開されないまま今日に至っています。
そこで私たちは、2009年に開催した上映会(南京事件にかかわる四つの映画作品を一挙上映)につづき、『南京!南京!』の上映実現に向けて動き始めました。紆余曲折はありましたが、ついに今年夏、上映が実現しました。この一日だけの上映です。
第一回目の上映後、陸川監督を招いてトークショーを開きます。
ぜひお見逃しのないよう!
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【日時】
2011年8月21日(日)
第1回 12;30 上映、15:00 陸川監督トークショー
第2回 16:45 上映
【料金】
第1回上映(映画+トークショー) 前売り1500円・当日1800円
第2回上映(映画) 前売り1300円・当日1500円
【開催場所】
なかのZERO 小ホール(550席)
東京都中野区中野2-9-7
[交通]JRまたは東京メトロ東西線の中野駅南口から徒歩8分
http://www.nices.jp/access/zero.html
【チケット】
インターネットで、あるいは電話にてご予約いただき、セブンイレブンでの発券となります。代金はチケット受け取りの際にセブンイレブンでお支払いいただきます。ご予約時に発行される払い込み番号をセブンイレブンのレジにて提示することで、チケットが発券されます。
電話予約カンフェティチケットセンター
0120-240-540(平日10:00~18:00)
インターネット予約(カンフェティの会員登録が必要になります)
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【主催団体】
史実を守る映画祭実行委員会
映画祭HPアドレス:http://jijitu.com/filmfestival2011
E-mail: nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp
シネマトゥデイでも紹介されました↓
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日中戦争 (1937-1938)
南京大屠殺 ( Nanking Massacre )
兵士たちが記録した南京大虐殺1
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚)
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。
●昭和天皇の戦争指導
【重慶大爆撃】 NHK 「重慶爆撃をひも解く」
重慶大爆撃とは①
戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
2011年8月1日月曜日
この世の地獄!原発・731・南京!!
日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!!
全国戦没者追悼式反対!!
日本は焦土と化していた!!
1945年7月26日 ポツダム宣言発表
日本政府 黙殺!!国体(天皇制)護持にこだわる!!
大元帥(昭和天皇)動かず!! 戦争の惨禍が拡がる!!
8月1日 水戸空襲 B29・99機。死傷者1535人。
8月1日 八王子空襲 B29・169機。死傷者2450人。焼失家屋14,000戸。罹災人口77,000人。
8月1日 長岡空襲 B29・125機。死者1470人余。焼失家屋11,986戸。
きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!!
「怨」
No More 731!! No More Nanking!!
No More War!!
武器よ!!さらば!!
沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!
新しい日本!!
世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!
沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!! 脱原発!!
福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕)
東電のカネに汚染した東大に騙されるな!
日本を導く頼もしい学者先生方
医学は水俣病で何をしたか(抜粋)
水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって...
1/2 放射能汚染と奇病
増殖炉事故「もんじゅ」現場で何が・・内部取材1/2
原発のコストと再生可能エネルギーのコスト
【放射能汚染】沖縄県糸満市で「セシウム汚染疑い土」861袋販売
【中国】29日大連港で中国海軍の原子力潜水艦で事故が発生し、放射能が漏れている?
【放射性物質拡散予報】8月1日午前9時の予報 [*天気・風向き]
<原水爆禁止大会>初の福島開催 「脱原発」訴え
●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
Ⅵ 米謀略資金とツツガ虫病人体実験
ベトナム戦争の影
そして、「流行性出血熱はツツガ虫とかかわりは全然ありませんよ」、と。
―失礼なことをうかがいますが、先生ご自身は731部隊ではなかったのですか?
「ああ、いや、僕はずっと資源研の人間です。関東軍防疫給水部の仕事というのは特殊な例を除いて、民間とは全然別だった。しかし、ただ流行性出血熱の病原体をうつす動物がよく分からないから調べに来てくれと言われたんです。あの当時、僕なんか若僧でしたが、その研究についてはタッチしました」
―でツツガ虫と流行性出血熱は関係がなかった?
「ツツガ虫だろうと思って文献は随分持って行きましたが、わかりませんね。ただ、ネズミに寄生しているツツガ虫とは別なダニが病原体を持っていたという事は言えるんですけど・・・・。それは北満トゲダニというんですが。それから病原体は分離できた」
―でも人間に対する病原体だということがどうしてわかったんですか?
「ですから、病原体は分離できても、それは動物への病原であっても、人間への病原だということにならん、という立場を堅持しました。若僧なりに・・・・」
―はあ。それで、人間への病原性があるとわかったのは?
「それが731部隊の叩かれているところなんですねえ。人体実験で病原体がウイルスだということを結論づけたんですねえ」
浅沼がポンと言った言葉は、おそらく731部隊ないしはその研究に携わった人間から、731部隊の流行性出血熱ウイルスが人体実験によって確認されたことを日本で証言した最初のものであっただろう。
私は、米軍406部隊からの研究資金の窓口契約者となった浅沼が、731部隊で人体実験によってその病原性を確認した流行性出血熱の研究の主要な参加者の1人であった事は確認した。
彼は、当時、流行性出血熱を媒介する病原体がツツガ虫ではないかと考えていたというのである。
※流行性出血熱の病原体は北満トゲダニが持っていた。それを証明するために残酷な人体実験を行なった。浅沼はじめ、多くの優秀な医学者?は残酷な人体実験を次から次へと繰り返し、細菌兵器を開発していった。日本政府はまだこれらのことを闇に葬っていたが、ついに浅沼がポンと言ってしまった。「それが731部隊の叩かれているところなんですねえ。人体実験で病原体がウイルスだということを結論づけたんですねえ」と!!
中国で、流行性出血熱の人体実験が行なわれていた初の証言である!!
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)
※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本人必見-七三一部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言
731と関東軍 - (下)F4V
黒い太陽731
黒い太陽731 1
「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする)
“戦争を語る”人々
戦犯たちの戦後
"戦犯"たちの告白2
朝日新聞より 2011年7月9日15時30分
中国の731部隊跡地に謝罪の碑
日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す
日中戦争中に人体実験をしていたとされる旧日本軍の731部隊があった中国黒竜江省ハルビン郊外の「侵華日軍第731部隊遺跡」に9日、日本人の募金で石碑「謝罪と不戦平和の誓い」が建てられた。謝罪の意を明確にした日本人による記念碑は中国でも珍しいという。
除幕式には日本人有志のほか、中国の研究者や犠牲者の遺族ら約80人が参列。碑文には「731部隊は世界史上類をみない国家的な罪を犯しました。加害国の市民として、惨殺された多くの罪のない中国人民とその遺族に心から謝罪します」などと書かれている。
731部隊の正式名は「関東軍防疫給水部」で1936年に開設。ペストやコレラによる細菌兵器を開発、中国人やロシア人捕虜を人体実験に使い、多くの犠牲者が出たとされる。
(日本政府が正式に謝罪すべきだと思う!!・・ノブ)
731部隊では何が行われたのか
※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
※エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
極東国際軍事裁判での証言(1946年7月29日)
1946年7月29日、月曜日
日本、東京、陸軍省ビル
極東国際軍事裁判法廷
ベイツが検察側証人として喚問され、まず宣誓してから、以下のごとく証言した。
問: あなたがやった調査は、あなた本人を代表してですか、それともアメリカ政府を代表したものですか。
答: アメリカ政府はこのことと何らの関連も無く、この報告が出版された後は、私もそれらの情況を了解していません。
問: 1937年12月に日本軍が占領する前は、南京のアヘン販売に関わる状況はどんなでしたか。
答: 1937年の事変の前10年は、ここには大っぴらな麻酔剤売出しとアヘン吸飲はありませんでした。アヘンは裏の部屋でだけしか吸飲できず、主には紳商タイプの老人ですが、若い人の面前で大っぴらにひけらかすことは決してできません。実際のところ、私が1920年から1937年までこの地に居住して間は、アヘンを見たこともなければ、その香りや形を弁別できたりはしませんでした。
裁判長: 今から休憩し、1時半に開廷する。
(そこで、12時に休憩した)
東京裁判
【お知らせ】(転載)
一日限りの上映!!
「南京!南京!」上映会開催 /陸川監督来日!!
南京事件(1937年)から70周年となった2007年前後に、世界各地でこの事件をテーマとした大型の劇映画がいくつも製作されました。『ジョン・ラーベ』(独・仏・中)『アイリス・チャン』(カナダ)『チルドレン・オブ・フォアンシー』(豪・中・独)……。これらの作品は、いまだ日本において商業的に公開されたことがありません。サンセバスチャン国際映画祭(2009年)でゴールデン・シェル賞(最優秀作品賞)・審査員賞(最優秀撮影監督賞)を受賞するなど、国際的にも注目された陸川監督『南京!南京!』も、公開を望む声が多くあるにもかかわらず、日本では公開されないまま今日に至っています。
そこで私たちは、2009年に開催した上映会(南京事件にかかわる四つの映画作品を一挙上映)につづき、『南京!南京!』の上映実現に向けて動き始めました。紆余曲折はありましたが、ついに今年夏、上映が実現しました。この一日だけの上映です。
第一回目の上映後、陸川監督を招いてトークショーを開きます。
ぜひお見逃しのないよう!
**************************************************************
【日時】
2011年8月21日(日)
第1回 12;30 上映、15:00 陸川監督トークショー
第2回 16:45 上映
【料金】
第1回上映(映画+トークショー) 前売り1500円・当日1800円
第2回上映(映画) 前売り1300円・当日1500円
【開催場所】
なかのZERO 小ホール(550席)
東京都中野区中野2-9-7
[交通]JRまたは東京メトロ東西線の中野駅南口から徒歩8分
http://www.nices.jp/access/zero.html
【チケット】
インターネットで、あるいは電話にてご予約いただき、セブンイレブンでの発券となります。代金はチケット受け取りの際にセブンイレブンでお支払いいただきます。ご予約時に発行される払い込み番号をセブンイレブンのレジにて提示することで、チケットが発券されます。
電話予約カンフェティチケットセンター
0120-240-540(平日10:00~18:00)
インターネット予約(カンフェティの会員登録が必要になります)
http://jijitu.com/filmfestival2011/access
【主催団体】
史実を守る映画祭実行委員会
映画祭HPアドレス:http://jijitu.com/filmfestival2011
E-mail: nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp
シネマトゥデイでも紹介されました↓
http://www.cinematoday.jp/page/N0033527
日中戦争 (1937-1938)
南京大屠殺 ( Nanking Massacre )
兵士たちが記録した南京大虐殺1
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚)
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。
●昭和天皇の戦争指導
【重慶大爆撃】 NHK 「重慶爆撃をひも解く」
重慶大爆撃とは①
戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
全国戦没者追悼式反対!!
日本は焦土と化していた!!
1945年7月26日 ポツダム宣言発表
日本政府 黙殺!!国体(天皇制)護持にこだわる!!
大元帥(昭和天皇)動かず!! 戦争の惨禍が拡がる!!
8月1日 水戸空襲 B29・99機。死傷者1535人。
8月1日 八王子空襲 B29・169機。死傷者2450人。焼失家屋14,000戸。罹災人口77,000人。
8月1日 長岡空襲 B29・125機。死者1470人余。焼失家屋11,986戸。
きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!!
「怨」
No More 731!! No More Nanking!!
No More War!!
武器よ!!さらば!!
沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!
新しい日本!!
世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!
沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。
城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!! 脱原発!!
福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕)
東電のカネに汚染した東大に騙されるな!
日本を導く頼もしい学者先生方
医学は水俣病で何をしたか(抜粋)
水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって...
1/2 放射能汚染と奇病
増殖炉事故「もんじゅ」現場で何が・・内部取材1/2
原発のコストと再生可能エネルギーのコスト
【放射能汚染】沖縄県糸満市で「セシウム汚染疑い土」861袋販売
【中国】29日大連港で中国海軍の原子力潜水艦で事故が発生し、放射能が漏れている?
【放射性物質拡散予報】8月1日午前9時の予報 [*天気・風向き]
<原水爆禁止大会>初の福島開催 「脱原発」訴え
●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
Ⅵ 米謀略資金とツツガ虫病人体実験
ベトナム戦争の影
そして、「流行性出血熱はツツガ虫とかかわりは全然ありませんよ」、と。
―失礼なことをうかがいますが、先生ご自身は731部隊ではなかったのですか?
「ああ、いや、僕はずっと資源研の人間です。関東軍防疫給水部の仕事というのは特殊な例を除いて、民間とは全然別だった。しかし、ただ流行性出血熱の病原体をうつす動物がよく分からないから調べに来てくれと言われたんです。あの当時、僕なんか若僧でしたが、その研究についてはタッチしました」
―でツツガ虫と流行性出血熱は関係がなかった?
「ツツガ虫だろうと思って文献は随分持って行きましたが、わかりませんね。ただ、ネズミに寄生しているツツガ虫とは別なダニが病原体を持っていたという事は言えるんですけど・・・・。それは北満トゲダニというんですが。それから病原体は分離できた」
―でも人間に対する病原体だということがどうしてわかったんですか?
「ですから、病原体は分離できても、それは動物への病原であっても、人間への病原だということにならん、という立場を堅持しました。若僧なりに・・・・」
―はあ。それで、人間への病原性があるとわかったのは?
「それが731部隊の叩かれているところなんですねえ。人体実験で病原体がウイルスだということを結論づけたんですねえ」
浅沼がポンと言った言葉は、おそらく731部隊ないしはその研究に携わった人間から、731部隊の流行性出血熱ウイルスが人体実験によって確認されたことを日本で証言した最初のものであっただろう。
私は、米軍406部隊からの研究資金の窓口契約者となった浅沼が、731部隊で人体実験によってその病原性を確認した流行性出血熱の研究の主要な参加者の1人であった事は確認した。
彼は、当時、流行性出血熱を媒介する病原体がツツガ虫ではないかと考えていたというのである。
※流行性出血熱の病原体は北満トゲダニが持っていた。それを証明するために残酷な人体実験を行なった。浅沼はじめ、多くの優秀な医学者?は残酷な人体実験を次から次へと繰り返し、細菌兵器を開発していった。日本政府はまだこれらのことを闇に葬っていたが、ついに浅沼がポンと言ってしまった。「それが731部隊の叩かれているところなんですねえ。人体実験で病原体がウイルスだということを結論づけたんですねえ」と!!
中国で、流行性出血熱の人体実験が行なわれていた初の証言である!!
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)
※寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本人必見-七三一部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言
731と関東軍 - (下)F4V
黒い太陽731
黒い太陽731 1
「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする)
“戦争を語る”人々
戦犯たちの戦後
"戦犯"たちの告白2
朝日新聞より 2011年7月9日15時30分
中国の731部隊跡地に謝罪の碑
日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す
日中戦争中に人体実験をしていたとされる旧日本軍の731部隊があった中国黒竜江省ハルビン郊外の「侵華日軍第731部隊遺跡」に9日、日本人の募金で石碑「謝罪と不戦平和の誓い」が建てられた。謝罪の意を明確にした日本人による記念碑は中国でも珍しいという。
除幕式には日本人有志のほか、中国の研究者や犠牲者の遺族ら約80人が参列。碑文には「731部隊は世界史上類をみない国家的な罪を犯しました。加害国の市民として、惨殺された多くの罪のない中国人民とその遺族に心から謝罪します」などと書かれている。
731部隊の正式名は「関東軍防疫給水部」で1936年に開設。ペストやコレラによる細菌兵器を開発、中国人やロシア人捕虜を人体実験に使い、多くの犠牲者が出たとされる。
(日本政府が正式に謝罪すべきだと思う!!・・ノブ)
731部隊では何が行われたのか
※アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
※帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
※エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2
問題提起(731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。
一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。
ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。
731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。
●戦後の医学界・薬学界・政界
731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
極東国際軍事裁判での証言(1946年7月29日)
1946年7月29日、月曜日
日本、東京、陸軍省ビル
極東国際軍事裁判法廷
ベイツが検察側証人として喚問され、まず宣誓してから、以下のごとく証言した。
問: あなたがやった調査は、あなた本人を代表してですか、それともアメリカ政府を代表したものですか。
答: アメリカ政府はこのことと何らの関連も無く、この報告が出版された後は、私もそれらの情況を了解していません。
問: 1937年12月に日本軍が占領する前は、南京のアヘン販売に関わる状況はどんなでしたか。
答: 1937年の事変の前10年は、ここには大っぴらな麻酔剤売出しとアヘン吸飲はありませんでした。アヘンは裏の部屋でだけしか吸飲できず、主には紳商タイプの老人ですが、若い人の面前で大っぴらにひけらかすことは決してできません。実際のところ、私が1920年から1937年までこの地に居住して間は、アヘンを見たこともなければ、その香りや形を弁別できたりはしませんでした。
裁判長: 今から休憩し、1時半に開廷する。
(そこで、12時に休憩した)
東京裁判
【お知らせ】(転載)
一日限りの上映!!
「南京!南京!」上映会開催 /陸川監督来日!!
南京事件(1937年)から70周年となった2007年前後に、世界各地でこの事件をテーマとした大型の劇映画がいくつも製作されました。『ジョン・ラーベ』(独・仏・中)『アイリス・チャン』(カナダ)『チルドレン・オブ・フォアンシー』(豪・中・独)……。これらの作品は、いまだ日本において商業的に公開されたことがありません。サンセバスチャン国際映画祭(2009年)でゴールデン・シェル賞(最優秀作品賞)・審査員賞(最優秀撮影監督賞)を受賞するなど、国際的にも注目された陸川監督『南京!南京!』も、公開を望む声が多くあるにもかかわらず、日本では公開されないまま今日に至っています。
そこで私たちは、2009年に開催した上映会(南京事件にかかわる四つの映画作品を一挙上映)につづき、『南京!南京!』の上映実現に向けて動き始めました。紆余曲折はありましたが、ついに今年夏、上映が実現しました。この一日だけの上映です。
第一回目の上映後、陸川監督を招いてトークショーを開きます。
ぜひお見逃しのないよう!
**************************************************************
【日時】
2011年8月21日(日)
第1回 12;30 上映、15:00 陸川監督トークショー
第2回 16:45 上映
【料金】
第1回上映(映画+トークショー) 前売り1500円・当日1800円
第2回上映(映画) 前売り1300円・当日1500円
【開催場所】
なかのZERO 小ホール(550席)
東京都中野区中野2-9-7
[交通]JRまたは東京メトロ東西線の中野駅南口から徒歩8分
http://www.nices.jp/access/zero.html
【チケット】
インターネットで、あるいは電話にてご予約いただき、セブンイレブンでの発券となります。代金はチケット受け取りの際にセブンイレブンでお支払いいただきます。ご予約時に発行される払い込み番号をセブンイレブンのレジにて提示することで、チケットが発券されます。
電話予約カンフェティチケットセンター
0120-240-540(平日10:00~18:00)
インターネット予約(カンフェティの会員登録が必要になります)
http://jijitu.com/filmfestival2011/access
【主催団体】
史実を守る映画祭実行委員会
映画祭HPアドレス:http://jijitu.com/filmfestival2011
E-mail: nankin-eigasai-owner@yahoogroups.jp
シネマトゥデイでも紹介されました↓
http://www.cinematoday.jp/page/N0033527
日中戦争 (1937-1938)
南京大屠殺 ( Nanking Massacre )
兵士たちが記録した南京大虐殺1
●「南京!南京!」が見られる映画サイト
●731部隊と天皇
欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!
マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。
戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*
731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚)
日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】
●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。
●昭和天皇の戦争指導
【重慶大爆撃】 NHK 「重慶爆撃をひも解く」
重慶大爆撃とは①
戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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