2009年10月4日日曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!


「マルタ」・「アジアの犠牲者」の叫び!!

「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』の“戦後日本”より常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※日本の敗戦直前、天皇は国体護持に執着するあまり、停戦を遅らせてしまった。そのため、日本国内では、原爆をはじめ空襲などによって多くの死者を出した。
 また、戦後昭和天皇は、占領軍の最高司令官マッカーサーと取引して、国体(天皇制)を維持することに腐心した。
 戦前・戦中と大元帥として大日本帝国に君臨し、戦争を指揮していた最高責任者は、敗戦と同時に、戦争責任をすべて東条はじめ軍部に押し付けてしまった。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。それ故、敗戦直前、ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く証拠隠滅をはかり、731部隊を日本へ戻した。これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに731で得た研究成果をアメリカに売り渡した。その結果、東京裁判では取り上げられず、国民も長いこと731のことを知らなかった。
 密約の存在は1986年に破綻したが、日本政府は常石氏によれば731の存在と蛮行を認めていないという。(1995年現在)現在の政府の見解は私には分からない。(ただ今問い合わせ中)

 これも天皇制を守るために。(ノブ)




●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
首を切っても頭は動く(田中証言)
 赤沢さんに、生体実験、生体解剖とクロロホルムの関係を聞いてから、もう少し詳しく真実を知りたかった。私は、731部隊の資材部にいた大尉の田中さん(仮名)から話を聞いた。

 クロロホルムは、全身麻酔として使用しました。ガーゼににしみ込ませてかがせると、すぐに麻酔状態になる。しかし、危険率は高く、死亡する場合がある。普通の手術は局部麻酔で、クロロホルムは使わず、脊椎の第4要椎と第5要椎の間に5寸釘ほどの注射針をさし、鼻水のような髄液が逆流してくるのを見届けて、打ち込み麻酔させ、そのまま意識があるのはお構いなしに解剖したものである。胴体にあるものを全部とってしまうのだから、麻酔からさめるもさめないもない。
 生体実験というのは、ただ事ではないが、南満州某独立守備隊でくり返し行われたものである。
 そこでは、クロロホルムなどの一切の麻酔剤を使わず、兵隊が5,6人がかりで押さえつけて、まだ中国人スパイを生きたまま解剖したことがある。しかし、これは石井中将の命令でやったものではないと思う。
 解剖学を学んだ者は、屍体ではどうにも分からぬものがある。私も医者にあとで聞いてみたが、医学を志す者にとって生体解剖というのは、ヨダレをたらすぐらいやりたいものだそうだ。ただ生体解剖は、平和な日本じゃできっこない。戦争の中で、そして敵ならやれる。軍医にとっては千載一遇のチャンスとみる。将来、大学に帰って医学を極めたい者にとって、堂々とやれる唯一の場ということだ。つまりスパイ、ゲリラはどうせ死刑で銃で撃たれてしまう。それを一体わけてくれ、というわけだ。(明日に続く)

※生体解剖や生体実験は731に限らず、中国に行った軍医などは誰もがやったようだ。何の罪の無い農民や一般庶民がスパイ容疑で捕まえられ、手術の練習台にさせられたり、生体実験などが行われた。

 「湯浅(軍医)の体験は、戦前の日本軍軍医の間では人体実験が特別なことではなかった、ということを示している。また、許されることのない人体実験を日本国内では決して行わない人が、侵略地では行ってしまうことを雄弁に語っている。そして初めは恐る恐るやっていたものが、いつしか先頭にたってやってしまう。多くの軍医が侵略地での人体実験を何とも思わないという状況の中で、731部隊の、あるいは石井のネットワークでの蛮行が異常とは思われなくなっていた。そして731部隊内部の医学者も、自分たちの行為に何の疑問も持たなくなっていったのだろう。」
『731部隊:常石敬一著:講談社現代新書』より(ノブ)


日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

劉富根(男、57歳)の証言
 1937年の冬に、日本軍の一群が家があった茶亭東街にやって来て、いたる所で人を捕まえ、人を殺し、火を放ち、人をさらい財物をかすめとって、悪事の限りを尽くしました。ある日、家に親族が2人来ました。象良明と息子の象連生とで、家のモヤシ小屋に隠れました。日本軍が人夫を捕まえに来て、象連生を捕まえました。象連生が行きたがらないので、銃床で死ぬまで殴りつけました。父の劉保栄と伯父の李保田とが状況不利と見て、逃げようとしましたが、日本軍は放たずに、2人を撃ち殺しました。同時に撃ち殺されたのにまだ大工3人と通行人2人がいました。日本軍はそれに李徳金の家3軒や、朱凱林の家4軒など、隣近所に火をつけて焼き、また李徳金の兄弟の李徳銀を捕まえていって苦役に使いましたが、三汊河の江辺で、李徳銀が逃げたところ、途中の西徳河の辺(今の鳳凰街)で撃ち殺されました。
 象良明と李徳金とのお年寄り2人はまだ健在です。象さんは今は莫愁新村に住んでいて、李さんはまだ茶亭東街に住んでいます。(楊新華と吉龍生とが記録) 
 
 ※南京に入城した日本軍は無秩序を生んだ。その結果、殺人・放火・略奪・強姦等が頻発した。
その無秩序を生んだ背景に南京への先陣争いがあった。
「先陣争いはなぜ起きたのか。
 元20連隊兵士たちは、一様に「4つの理由」をいう。
 第1に、南京陥落直前の3日間、「部隊は食べる物も飲料水もなく、飢えていた」。早く城内へ入り、糧食を補給しなければ「こっちが参ってしまう」。
 第2に、「南京さえ落とせば、この戦争は終わる。そして郷里に凱旋できる」と兵士らが信じ、しゃにむに攻略したこと。
 第3に、「友軍の中に多数の死傷者が出、兵士らが復讐、憎悪の念に燃えていた」とのこと
 第4にーこれは重要な要素であるが、各連隊ごとに、「○○部隊に負けるな」と、一番乗りレースがあおられたことによる。
 各部隊の先陣争いは、恐るべき無秩序を生んだ」【隠された連隊史(下里正樹:青木書店】より
 (ノブ)


憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

9条をつかって、

戦争のない世界をつくる。


中米の国・コスタリカも平和憲法をもっています。コスタリカは1949年、軍隊を廃止しました。
軍隊の廃止によって、国は教育や医療などにお金を使うことができるようになりました。また、軍隊がないコスタリカに攻め入ろうと考える国はありません。
 ところが、2003年に、アメリカがイラクに対する戦争を始めると、コスタリカ政府はこれを「支持する」と表明しました。これに怒った大学生ロベルト・サモラさんは、裁判所に政府を訴えました。「イラクへの戦争を支持するなんて、平和憲法への違反だ!」
 裁判所はロベルトさんの訴えを認めました。そしてコスタリカ政府は、イラク戦争への支持を取り下げました。ロベルトさんは日本に来て言いました。
「憲法はただ単に守ればよいものではありません。平和憲法は人々のもの。人々が使うためにあるのです」

 ほかにも世界の多くの国が平和憲法をもっています。イタリアや韓国の憲法は侵略戦争をしないと定めています。フィリピンは核兵器をもたないという憲法をもっています。
 スイス、オーストリア、アイルランドなどの国々は、憲法で軍事対立のどちら側にも味方しないという中立をうたっています。
 こうした平和憲法を私たちが活用し、世界にゆきわたらせていけば、戦争を起こさない世界をつくる事ができます。「イマジン 9」は、そのような世界のつくり方を、9通りにわたって、皆さんと考えたいと思います。






第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!




Please click a tag of "diary of a knob"! !

"Flag of the Rising Sun"* "Kimigayo" it's opposite! !

New Japan! !

"I'm chosen from a hereditary Imperial system and do, and it's to a presidential system!" (I ask about Emperor Showa's war responsibility.)

● "Why doing Japanese Government's always admit almost no 731 units of existence and the brutality to speak using evidence material to the foreign journalists for them or, if, I'm correcting for a writer. That's also the question by which a writer is for oneself, but in case of has answered as follows much. If it's the biggest cause that 731 units of hiding was performed by just after the loss and Japan and U.S. combination. Japan could take fact of a human body experiment and use of biological weapons down from the center stage of history by that. On the other hand the United States could monopolize data by a human body experiment by Ishii's network. It was stated at the first chapter that a secret treaty of this Japan and U.S. failed in 1986, but even if there are probably no secret treaties, unfortunately Japan would try to hide a brutality of Ishii engine. Still a secret treaty of Japan and U.S. was to make an accomplice called the United States get it, and that the role of reducing a Japanese mental burden in criminal hiding was played, I'll get a word.
There is another existence which became a big prop for mental burdened reduction in Japanese war crime hiding. That's Emperor Showa's existence. A writer was a network of Ishii who meets and has heard talk so far, and the one the medical scientists who were studying took with one voice was a word as "emperor's honor". Or a scientific research was being performed for a country because researchers of Ishii's network were an emperor by logic in their feeling. Therefore the brutality which is never performed primarily was sanctioned and carried out with "for country" "for emperor" by itself. In other words, they were making themselves convinced "A brutality was performed for an emperor." Because it's that, it's the reason which will bring disgrace on the top that an emperor tells his crime a country doesn't admit.
A country, Japan has clung to a secret treaty of Japan and U.S. just after the loss and to protect an emperor. As a result, no human body experiment Ishii's network did, victim's research excavation of a creature competition and compensation are done in this Japan. Perhaps this is reeled off 1 of firm structure a country called Japan has. An individual is located in a lower rank than a state basically for that, the structure which is never equal. Even if I compensate a state for other ones by the results and peace pacts, etc., the attitude which isn't compensated to an individual will be got. The criminal fact which is the past as a country for it, responsibility about that can't be admitted again. Or an order of this theory may be reverse. Or a crime, because I don't want to admit responsibility, it may be the one said that which doesn't make the individual a partner.
It's from the actuality an indemnification problem doesn't advance at all wartime these days that I have begun to think of this. .... ".
( "After the war, Japan" choice Tsuneishi Keiichi work of "731 units": Kodansha Publishers present-day new publication: 1995)
※ Just before Japanese defeat, the Emperor has delayed a cease-fire because I deeply attached to national polity protection. Therefore, in Japan, I sent many dead people by air raids including an atom bomb.
 In addition, the Emperor Showa had dealings with Commander in chief MacArthur of the occupation army after the war and was bent on maintaining the national polity (the Emperor system of Japan).
 I dominated Great Japanese Empire as during the second World War and a commander-in-chief, and the highest officer who commanded war has pushed all the war responsibility to the Tojo beginning military authorities with defeat before the war.
 Some royalties came and went in 731 corps, and there was the real royalty concerned with 731. Tojo went to visit it, too, and the information about 731 should have begun the ear of the commander-in-chief Emperor Showa. That is why the military authorities / the Emperor planned evidence destruction quickly as soon as the Soviet Union participated in the war just before defeat and returned 731 corps to Japan. When war crimes come out, this is because the responsibility will be asked the Emperor.
 The 731 corps executive officer made a secret agreement with U.S.A. and sold the results of research that I got with 731 in exchange for the war crime immunity from responsibility of 731 corpsmen to U.S.A. As a result, the nation did not know 731 for a long time without it being taken up at the Tokyo trial.
 The existence of the secret agreement failed in 1986, but it is said that the Japanese Government does not accept 731 existence and barbaric acts according to Mr. Tsuneishi. (As of 1995)I do not understand the opinion of the current government. (Now during an inquiry)

 So that this protects the Emperor system of Japan, too. (A knob)


● What kind of unit were 731 units? I'll see a former 731 copies of member's confession account. 越 I'd like to see the book called Sadao work (former Kwantung army transit group member with a 731st unit 3rd copy head office) "for a flag of the Rising Sun, in red tear (tear)" (publishing office: Educational publication meeting of historical sources).

I'm born in Nagano-shi in March in 1918, 越 Sadao (lower back and Sadao)....
I graduate from an industrial high school mechanical engineering course in 1934. I join up in the 642nd unit which migrates to Manchuria in 1939. I join up in the 731st unit (Ishii unit) in 1941. I work at a transit group including an after 4 year bacteria group. I leave by loss and arrive at Nagano in September in August in 1945. Suffering every day is sent while hiding the 731st copy of background as a member after the war, and it's to present.

● We, Japanese is Nanjing Massacre, I think "of this fact,*.. " should be read modestly.
I think Japanese has to know what kind of thing had happened in Nanjin more.
Many victims worry in PTSD even now! !


● 731 units "For a flag of the Rising Sun, in red tear" (越 Sadao work: Educational publication meeting of historical sources) lay ?, I wanted to know the truth a little more conversantly after I asked Mr. Akazawa who moves to a head (Tanaka testimony) even if Asahi cut off the head which rises, a relation between a living body experiment, a vivisection and chloroform. I heard talk from Mr. Tanaka, the captain who was in 731 units of materials department (pseudonym).

Chloroform was used as general anesthesia. When I make them sink in a gauze, and makes them sniff, it'll be in the anesthetic state immediately. But the risk is expensive and sometimes dead. Don't use chloroform for an ordinary operation in local anesthesia, point at 5 suns of needle like a nail between 4th linchpin chinquapin and 5th linchpin chinquapin of a backbone, ascertain that marrow liquid like runny nose is flowing backward, drive in and point at anesthesia, it was analyzed without interference to be conscious just as it is. Because all something in the body is taken, from anesthesia, it cools, cool, there are no potatoes.
It wasn't an ordinary case, but the one as a living body experiment was performed repeatedly by South Manchuria certain independent garrison.
Total anesthetic for chloroform isn't used there, and a soldier keeps down with 56 people, and I have analyzed while still living through Chinese spying. But I think this wasn't done by an order of the Ishii lieutenant general.
There is something a corpse body doesn't show at all for the person who learned an anatomy. I asked a doctor later, too, but it's said that to say a vivisection for the person who aims at medicine is something to want to do so that slaver is hung. It's impossible to be able to do a free vivisection in peaceful Japan. And an enemy can be sent in the war. It's judged as a chance of one chance in a million for a surgeon. It's said to be the only place which can be done openly and squarely for the person who would like to return to a university and win medicine in the future. In other words, anyhow spying and guerrilla are shot with a gun by a death penalty. The reason I tell on earth to distribute that. (Following tomorrow) ※ Everyone seems to have sent the surgeon who went to China as well as 731 to a vivisection and a living body experiment. What innocent farmer and ordinary people spy, a living body experiment was caught by suspicion and was made trial horse of an operation, and was made. "Yuasa's (surgeon) experience shows that a human body experiment wasn't a special thing between the prewar surgeon of the Japanese military. I'm telling eloquently that the person who never makes the human body experiment which has no permitted things in Japan acts unaffectedly. And the one first was doing cautiously, only when, it's in the van. A brutality by Ishii's network didn't seem many surgeons were 731 units in the situation that they think of a human body experiment at an invasion place as nothing or abnormal any more. And the inner medical scientist would have 731 units of no doubt any more in his act, too.", "731 units: Tsuneishi Keiichi work: Kodansha Publishers present-day new publication" (knob)

● Nanjing Massacre "Of this fact.... " (The "Nanjing Massacre" survivor testimony collection: The 侵華日軍南京大屠殺遇難 brother period sense house/volume Makoto Kato/translations) (issue: Stoke sells it: Nebula company and fixed price 2000+ tax) Furious personal slaughter of 2 and the Japanese military Damage of my father and mother Testimony of 劉 Tomine (57 years old for a man) In winter of 1937, a group of the Japanese military came to the teahouse east district where a house was here, caught a person by everywhere, killed a person, set fire to, dredged a person, was stealing a thing of goods and did the limit of the crime. On some days, 2 relatives have come to the house. It could be with elephant ream draft beer of elephant Yoshiaki and my son and be close in a sprout shed in a house. The Japanese military came to catch my person husband and caught elephant ream draft beer. Elephant ream rawness wasn't eager to go, so it was hit until I died of a gunstock. Father's 劉 Yasuei and Lee Yasuda of my uncle tried to judge as situation disadvantage and run away, but without giving off, the Japanese military shot 2 people to death. Though it was shot to death at the same time, there were still 3 carpenters and 2 passers-by. The Japanese military lit a neighborhood such as 3 houses of plum virtue money and 4 houses in 朱凱林 and baked it also were catching brother's plum virtue silver of plum virtue money and used it for hard labor to that, but plum virtue silver was shot to death at now's Chinese phoenix district) around Nishi Tokugawa in the middle of having just run away, by Ebe in Mikawa.
2 people of the elephant Yoshiaki and elderly with plum virtue money are still well. An elephant lives there for 莫愁 Shinmura now, and Mr. Lee still lives in a teahouse east district. (楊新華 and good luck Tatsuo record.) ※ The Japanese military which entered Nanjin bore disorder. As a result, murder, arson, plunder and a rape, etc. occurred frequently.
There was first-come competition to Nanjin in the background which bore the disorder.
[Why did first-come competition occur?
A former 20 regiments of soldier says "4 reasons" uniformly.
1st, 3 days just before the Nanjin surrender "were also starved of something a unit eats without drinking water". Entering in the castle early, and when not replenishing a food, "this comes".
2nd, ", when even losing Nanjin, this war ends. And you can triumph a hometown,", and, that soldiers believed it and captured furiously.
3rd, "A lot of casualties went out in the friendly army, and soldiers and others were burning with a sense of revenge and hate.", a fact 4th NIKORE is an important element, every each regiment, "Don't be defeated by an o o unit.", the first arrival race is because it was incited.
First-come competition of each unit bore terrible disorder], than [hidden regiment history, (Masaki Shimozato: Japanese laurel bookstore] (Nob).


● 9 articles of constitution "Imagine9" [It's published jointly.] lay Using 9 articles.

The world which has no wars is made.

A country in Central America and Costa Rica also have a peaceful constitution. In 1949, Costa Rica abolished military.
A country could use money for education and medical treatment now by abolition of military. There are no countries where I think I'll raid on Costa Rica where I have no military.
But, when the United States begins to go to war to Iraq in 2003, a Costa Rican government "supports" this, and, it was expressed. College student Roberto Zamora who got angry about this sued a government to a courthouse. "It's a violation to a peaceful constitution to support a war to Iraq!" a courthouse admitted Roberto's appeal. And a Costa Rican government retracted support to an Iraqi war. Roberto came to Japan and said.
"You shouldn't just obey constitutions. Something by which peaceful constitutions are people. I have that for people to use it,".

Besides many countries of the world also have a peaceful constitution. I provide that a constitution in Italy and Korea doesn't fight an aggressive war. The Philippines has the constitution in which I don't have a nuclear weapon.
Countries in Switzerland, Austria and Ireland are singing the neutrality which supports no sides of the military opposition by a constitution.
We utilize such peaceful constitution, and when making them spread over the world, it's possible to make the world which doesn't cause a war. "Imagining 9" would like to regard how to make such world as everyone over 9 ways.






Beethoven's symphony No. 9 article [renunciation of war, armaments and denial of right of belligerency]
1 Japan people crave the justice and the international peace which makes the order the basis sincerely, and use of intimidation by a movement barrel war of power of the state and the force or the force gives this up forever as the means to settle an international dispute.

2 To achieve a goal of the preceding clause, the fighting power of the land, sea and air forces and other things doesn't maintain this. National right of belligerency doesn't admit this.

Please click a tag of "diary of a knob"! !

!!「把手的日记」的标记请单击

「太阳旗」·「君之代」反对(面)!!

新的日本!!

向「从世袭的天皇制被选的做总统制!」

(问昭和天皇的战争责任。)

●「面向外国的记者们采用证据资料说的话,他们几乎决定,为何日本政府不认为那个野蛮行为是731部队的存在,向笔者质询。对笔者自己来说的疑问也有那个,不过,是多的情况,象下面一样地回答了。战败紧接之后,用日美联合731部队隐藏进行了的事是最大的原因。根据那个日本,能从历史表面舞台放下人体实验和生物兵器使用的事实。另一方面美国,能独占由于在石井的网络的人体实验的数据。这个日美的密约1986年失败了的事用第一章叙述了,不过,恐怕即使没有密约,日本虽然是遗憾也打算遮住但是石井机关的野蛮行为吧。尽管如此日美的密约,能说完成了由于美国这个共犯者使之占便宜的事,在犯罪隐藏中减轻日本的精神的负担这样的作用。
 在日本的战争犯罪隐藏中,有成为了为了精神的负担减轻的大的支柱的再1个存在。那是昭和天皇的存在。用笔者到现在为止相会听了话,石井的网络研究的医学者们异口同声说的,是「天皇的名誉」的言词。他们的心情中的逻辑,石井的网络的研究人员们为了因为天皇,或是国家进行着科学研究。因此自己正当化「因为天皇」「因为国家」,实行了要是本来绝对不进行的野蛮行为。总之他们,使之理解着自己「为了天皇进行了野蛮行为」。所以,天皇,叙说国家没承认的自己的犯罪的事,应该损害政府的名誉的。
 为了保护国家,并且天皇,日本战败紧接之后的日美的密约紧紧抱住。作为那个结果,在这个日本,石井的网络去了的人体实验和生物战的牺牲者的发掘调查和补偿什么都没被做。恐怕这个,日本这个国家有,来自(源于)1个坚固的构造。那,基本性地个人是自国家位于后面,绝对不对等的这样的构造。那个结果,对由于和平条约等除了以外的国家的赔偿去,对个人也不补偿这样的态度被取的。为此,作为国家过去的犯罪的事实,同时不能承认关于那个的责任的。这个讨论的顺序说不定逆。即,据说说不定不想承认责任犯罪,不把个人作为对方。
 从开始考虑这样的事的,近来的战时补偿问题毫不前进这样的现实。····
」(比『731部队』的"战后日本"常石敬一著:讲谈社现代新书:1995年)
※天皇由于太国体护执著于保持以至于,在马上要日本的战败的时候,推迟停战。为此,在日本国内,开始原子弹,并且拿出来了被空袭把许多死者。
 另外,昭和天皇战后跟司令官占领军的最高麦克阿瑟做生意,决定保持国体(天皇制)上绞尽脑汁了。
 作为战前/战时和大元帅君临本大日帝国,并且东条开始战争责任全部,并且正指挥战争的最高负责人在战败的同时在军事当局逼迫。
 在731部队,有几个的皇族也来来去去,并且实际有了正和731有关系的皇族。东条也搬运脚,并且大元帅昭和天皇的耳朵也应该正容纳对731的信息。刚一苏联在马上要为此,战败的时候参战就军事当局/天皇很快策划证明湮灭,并且把731部队到日本还掉了。这个当战犯暴露的时候也是因为结果是∶那个责任也被问天皇。
 731部队干部和美国订立密约,并且把被在731与731部的队员的战犯免除责任相交换地得到了的研究成果卖给了美国。其结果不被在东京判决拿起,并且国民也没长时间知道731的事情。
 密约的存在在1986年破产了,但是据说当日本政府没正据经常石头先生说承认存在和731的野蛮行为的时候。(1995年当时)我不懂现在的政府的见解。(不过在现在询问里)

 为这个也保持天皇制。(把手)

●与731部队是怎样的部队?查阅原731部队员的坦白记。我越定男著(原关东军第731部队第3部分本部付运输班组成员)想『太阳旗红在眼泪(是没有)』想查阅所说的(发行所:教育史料出版会)的书一下。

 越定男(腰·Sadao)···1918年3月长野市生。
1934年毕业工业高中机器科。1939年传到满洲,第642部队入队。1941年第731部队(石井部队)入队。运输班等工作以细菌班为首以后4年。根据1945年8月战败撤回,9月到达长野。一边遮住作为战后第731部队员的经历度过苦难的每天,达到现在一边。

●我们日本人,想谦虚应该读南京大虐杀的「···这个事实」。
更日本人想是用南京发生着怎样的事的需要知道。
现在多的受害者的各位对PTSD也烦恼!!


●731部队

『太阳旗红在眼泪』(越定男著:教育史料出版会)

? 切朝日敲
竹杠的 头头对动(田中证言)
赤泽先生,听生物实验,生物解剖和氯仿的关系之后,想再稍微详细地一点也知道真实。我,从在731部队的资材部的大尉田中先生(假名)听了话。

 氯仿,作为全身麻醉使用了。与纱布使之渗入使之闻的话,马上成为麻醉状态。可是,危险率有如果高(贵),死亡。普通的手术以局部麻醉,氯仿不使用,脊椎的第4要米槠和第5要米槠之间照射五寸钉那样的针头,看到象鼻涕一样的髓液逆流,打进使之麻醉,就那样有意识介意没有解剖了。因为全部取了躯体有的东西,从麻醉中即使醒来即使不醒没有。
 所谓生物实验,只有不是事,不过,在南满洲某独立守备队重复被进行了。
 在那里,不使用氯仿等的一切的麻醉剂,士兵以5,6人摁住,还中国人间谍活了解剖过。可是,我想这个不是由于石井中将的命令做了的东西。
 学习了解剖学的人,有用尸体体怎么也不明白的东西。我也过一会试着问了医生,不过,据说对立志医学的人来说所谓生物解剖,滴(垂下)yodare的真想做的。只有生物解剖,和平的日本的话作成不了。要是战争中,并且敌人能做。对军医来说千载看一遇的机会。对将来,返回想大学决定医学的人来说,是堂堂地能做的唯一的场。总之间谍,游击队反正由于死刑用枪被射击了。应该说到底分开那个。(接着明天)

※生物解剖和生物实验都好象不仅731,去了中国的军医等谁搞了。什么罪没有的农民和普通平民由于间谍嫌疑被捉住,让手术的练习台要,生物实验等被进行了。「汤浅(军医)的体验,表示着不是在战前的日军军医之间人体实验特别的事。同时,在雄辩里(上)谈着在日本国内绝对不进行被容许的事没有的人体实验的人,在侵略地去了的事。并且开始战战兢兢地做的东西,不知不觉前头过去了。在多的军医真的不考虑在侵略地的人体实验这样的状况中,在731部队的,或是石井的网络的野蛮行为所谓异常变得不被看作。并且731部队内部的医学者,也也是为自己们的行为什么疑问变得不持(有)的吧。」『731部队:常石敬一著:讲谈社现代新书』(把手)


●南京大虐杀

「····这个事实」

(「南京大虐杀」生存者证言集:侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念头馆/编辑加藤实/译)(发行:Stoke,发售:星云公司,定价2000+税)

2,日军的狂暴的个人的虐杀

父亲和母亲的受害

刘富根(男人,竭尽
了掠夺复习放出杀抓住有57岁的)证言1937年的冬天,日军的一群家的茶亭东街来,在各个地方人,人,火,人财物,坏事的限度。亲属来了2人某日,家。与象良明和儿子象连生,隐藏了在家的豆芽小房。日军来到捉住壮工,捉住象连生。因为象连生想不去,到枪托死狠揍了。与父亲刘保荣和叔父李保田看状况不利,打算逃跑,不过,日军不放出,击毙了2人。是同时被击毙了的还木匠3人和通行人2人在。日军而且在李德金的家3所,红凯林的家4所等,隔壁近处弄上火烧(烤),再抓住李德金的兄弟李德银为苦役使用了,不过,在三河的江边,李德银逃跑了的地方,途中的西德河的边(今的凤凰街)被击毙了。
 跟象良明和李德金的上年纪的人2人还健在。象先生现在莫愁新村住,李先生还住在茶亭东街。(与杨新华和吉龙生记录
)
※南京进城了的日军产生了无秩序。那个结果,杀人·放火·掠夺·强奸等屡次发生了。
产生了那个无秩序的背景有对南京的先锋争夺。
[为何是发生先锋争夺的?
 原20联队士兵们,一样说「4个理由」。
 对第1,南京陷落紧接之前的3天,「部队都没有吃的东西和饮用水,饥饿」。如果早点儿进入城内,不补给粮食「这边来了」。
 「只要南京丢落,这个战争以第2,结束。士兵们相信并且对乡里能凯旋」,胡乱攻占了的事。
 是对第3,「友军中多数的死者和伤者出发,士兵们报复,憎恶的念头高涨着
的」事 第4—这个重要的要素,不过,根据每各联队,最先到场花边被吹动了「别输给○○部队的」,事。
 各部队的先锋争夺,产生了可怕的无秩序](比【被掩盖了的联队史下里正树:青木书店
】 (把手)


●宪法9条

「Imagine9」【联合出版】

使用9条,

制作战争没有的世界。

中美的国家·哥斯达黎加也包含着和平宪法。哥斯达黎加1949年,废止了军队。
根据军队的废止,国家能使用钱变得教育和医疗等。同时,军队想攻进去没有的哥斯达黎加的国家没在。
 然而,2003年,美国开始对伊拉克的战争的话,哥斯达黎加政府表明了这个「支撑」。对这个不满的大学生罗伯特·samora先生,向法院控告了政府。「是支撑之类对伊拉克的战争,对和平宪法的违反!」
法院承认了罗伯特先生的诉讼。并且哥斯达黎加政府,撤消了对伊拉克战争的支持。罗伯特先生来日本说了。
「宪法只是仅仅守护不是就行了的东西。和平宪法是人们的东西。为了人们使用有」

 很多世界的国家在另外里也包含着和平宪法。意大利和韩国的宪法决定着不做侵略战争。菲律宾包含着不拿核武器这样的宪法。
 瑞士,奥地利,爱尔兰等的各国,强调着用宪法军事对立的哪边方面也不支持这样的中立。
 能如果我们活用,在世界使之普及,不发动战争的制作世界这样的和平宪法。我想「imajin 9」,经过9次,与诸位考虑那样的世界做(制作)方法。






第九条【战争放弃,军备及交战权的否认】

1日本国民,与正义诚实希求秩序作为基调的国际和平,与国家权力的作为发动的战争,由于武力的威吓又武力的使用,作为解决国际纠纷的手段,永久放弃这个。

为了达到2前项的目的,陆海空军及其他的作战能力,不保持这个。国家的交战权,不认可这个。

!!「把手的日记」的标记请单击






「노브의 일기」의 태그를 클릭 부탁합니다!!

「일장기」·「 기미가요」반대!!

새로운 일본!!

「세습의 천황제로부터 뽑혀 대통령제에! 」

(쇼와(昭和) 천황의 전쟁 책임을 묻는다. )

● 「외국의 저널리스트들을 향해서 증거자료를 이용해서 이야기하면, 그들은 대부분 확정되고, 왜 일본정부는 731부대의 존재로 그 만행을 인정하지 않는 것인가,라고 필자에게 질문해 온다. 그것은 필자자신에 있어서의 의문이기도 하지만, 많은 경우, 다음과 같이 대답해 왔다. 패전 직후, 일미합동으로 731부대숨김이 행하여 진 것이 최대의 원인인,이라고. 그것에 의해서 일본은, 인체 실험이나 생물병기사용의 사실을 역사의 겉면무대로부터 내릴 수 있었다. 다른쪽(타면) 미국은, 이시이(石井)의 네트워크에서의 인체 실험에 의한 데이타를 독점할 수 있었다. 이 일미의 밀약이 1986년에는 파탄한 것은 제1장에서 말했지만, 아마 밀약이 없어도, 일본은 유감스럽지만 이시이(石井) 기관의 만행을 감추자로 했을 것이다. 그래도 일미의 밀약은, 미국이라고 하는 공범자 이득을 보게 하는 것으로, 범죄숨김을 닮아 두어서 일본의 정신적 부담을 경감한다고 말하는 역할을 다했다고 말할 수 있자.
 일본의 전쟁 범죄숨김에 있어서, 정신적 부담 경감을 위한 큰 지주가 된 또 하나의 존재가 있다. 그것은 쇼와(昭和) 천황의 존재다. 필자가 지금까지를 만나서 이야기를 들어 온, 이시이(石井)의 네트워크로 연구하고 있었던 의학자들이 이구동성에 말한 것이, 「천황의 명예」라고 하는 말이었다. 그들의 기분 안(속)의 논리에서는, 이시이(石井)의 네트워크의 연구자들은 천황 때문에,혹은 나라를 위해서 과학연구를 가고 있었다. 그러므로 본래라면 결단코 행하지 않는 만행을, 스스로에 「천황 때문에」 「나라 때문에」라고 정당화하고, 실행했다. 즉 그들은, 「천황을 위해서 만행을 갔다」라고 자기자신을 납득시켜 있었다. 그러므로, 천황이, 나라가 인정하지 않고 있는 자기의 범죄를 이야기하는 것은, 조정의 명예를 훼손하게 되는 셈이다.
 나라를,그리고 천황을 지키기 위해서, 일본은 패전 직후의 일미의 밀약에 달라 붙어 왔다. 그 결과로서, 이 일본에서는, 이시이(石井)의 네트워크가 간 인체 실험이나 생물전의 희생자의 발굴 조사나 보상은 아무 것도 되지 않고 있다. 아마 이것은, 일본이라고 하는 나라가 가지는, 1개가 강고한 구조로부터 온다. 그것은, 기본적으로 개인은 국가에서 하위에 위치하는, 결단코 대등하지 않다고 하는 구조다. 그 결과, 평화조약등에 의한 것 외(타)의 국가에의 배상은 가도, 개인에 대하여 보상하지 않는다라고 하는 태도가 잡아지게 된다. 그 것을 위하여는, 나라로서 과거의 범죄의 사실을,또 그것에관하여서 책임을 인정하는 셈이게는 가지 않은 것이다. 혹은, 이 이론의 순서는 반대일지도 모른다. 다시 말해, 범죄를, 책임을 인정하고 싶지 않기 때문에, 개인을 상대로 하지 않는다라고 하는 것일지도 모른다.
 이런 것을 생각하기 시작한 것은, 작금의 전시 보상 문제가 조금도 진행하지 않는다라고 하는 현실로다. ·…」 (『731부대』의 “전후 일본”보다 쓰네이시(常石) 게이이치(敬一) 저:고단샤(講談社) 현대신서(신간서적):1995년)

※ 일본의 패전 직전, 천황은 국체 수호에 집착 한 나머지, 정전을 늦추어 버렸다. 그 때문에, 일본내에서는, 원폭을 시작해 공습등에 의해서 많은 사망자를 냈다.
 또, 전후 쇼와 천황은, 점령군의 최고 사령관 막카서와 거래하고, 국체(천황제)를 유지하는 것에 부심 했다.
 전쟁 전·전시중과 오모토수로서 대일본 제국에 군림해, 전쟁을 지휘하고 있던 최고 책임자는, 패전과 동시에, 전쟁 책임을 모두 토우죠 초군부에 꽉 눌러 버렸다.
 731 부대에도 몇명의 황족이 왕래해, 실제 731과 관계되고 있던 황족도 있었다. 토우죠도 발길을 옮겨, 오모토수쇼와 천황의 귀에도 731에 대한 정보는 들어가 있었을 것이다. 그러므로, 패전 직전, 소련이 참전하자 마자, 군부·천황은 재빨리 증거 인멸을 도모해, 731 부대를 일본에 되돌렸다. 이것도 전쟁 범죄가 발각되면, 천황에도 그 책임이 추궁 당하게 되기 때문이다.
 731 부대 간부는 미국과 밀약해, 731 부대원의 전범 면책과 교환에 731으로 얻은 연구 성과를 미국에 매도했다. 그 결과, 도쿄 재판에서는 다루어지지 않고, 국민도 긴 일 731을 몰랐다.
 밀약의 존재는 1986년에 파탄했지만, 일본 정부는 츠네이시씨에 의하면 731의 존재와 만행을 인정하지 않다고 한다. (1995년 현재)현재의 정부의 견해는 나는 모른다. (지금 문의중)

 이것도 천황제를 지키기 위해서. (노브)

●731부대와는 어떤 부대이었던 것일까? 전 (元)731부대원의 고백기를 보아 가자. 고시(越) 사다오(定男) 저(전 (元)간토(關東)군 제731부대 제3부본부부운수 반원) 『일장기는 빨간 눈물 (같은 정도다)에』 (발행소:교육 사료출판회)이라고 하는 책을 보고 싶다고 생각한다.

 고시(越) 사다오(定男)(허리·사다오)… 1918년3월 나가노시(長野市)에 태어난다.
1934년 공업고교 기계과를 졸업. 1939년에 만주에 건너는, 제642부대에 입대. 1941년 제731부대(이시이(石井) 부대)에 입대. 이후 4년간 세균반을 비롯해 운수반등에 근무. 1945년8월 패전에 의해 철수, 9월 나가노(長野)에게 도착한다. 전후 제731부대원으로서의 경력을 숨기면서 고난의 나날을 보내고, 현재에 이른다.

●우리들일본인은, 난징(남경)(Nanjing)대 학살의 「이 사실을…」을 겸손에 읽어야 한다고 생각한다.
난징(남경)(Nanjing)에서 어떤 것이 일어나고 있었던 것일지를 더욱 일본인은 알 필요가 있다고 생각한다.
지금도 많은 피해자의 여러분(여기저기)는 PTSD에 고민하고 있다!!


●731부대

『일장기는 빨간 눈물에』 (고시(越) 사다오(定男) 저:교육 사료출판회)에서

?  아침 해가 바가지 씌우는 해고해도 머리는 움직인다 (다나카(田中) 증언)아카자와(赤澤)씨에게, 생체 실험, 생체해부와 클로로포름의 관계를 듣고나서, 좀더 자세하게 진실을 알고 싶었다. 나는, 731부대의 자재부에 있었던 대위의 다나카(田中)씨 (가나)로부터 이야기를 들었다.

 클로로포름은, 전신마취로서 사용했습니다. 거즈를 닮아 배어들게 해서 냄새를 맡게 하면, 곧 마취 상태가 된다. 그러나, 위험율은 높이, 사망할 경우가 있다. 보통인 수술은 국부마취로, 클로로포름은 사용하지 않고, 척추의 제4요 망치와 제5요 망치의 사이에 대못 정도의 주사 바늘을 가리키고, 콧물과 같은 수액이 역류해 오는 것을 끝까지 보고 확인하고, 때려 넣기 마취시켜, 그대로 의식이 있는 것은 상관 없고서 해부한 것이다. 동체에 있는 것을 전부 잡아버리는 것이기 때문에, 마취로부터 깨나 깨지 않으나 없다.
 생체 실험이라고 하는 것은, 보통일이 아니지만, 남만주모독립 수비대에서 되풀이해 행하여 진 것이다.
 거기에서는, 클로로포름등의 일절의 마취제를 사용하지 않고, 군인이 5,6명이 달려들어서 꽉 누르고, 아직 중국인 스파이를 산 채 해부한 적이 있다. 그러나, 이것은 이시이(石井) 중장의 명령으로 한 것이 아니다고 생각한다.
 해부학을 배운 자는, 시체체에서는 어떻게도 알지 않는 것이 있다. 나도 의사에게 나중에 들어 보았지만, 의학을 뜻하는 자에 있어서 생체해부라고 하는 것은, 【요다레】를 흘릴 정도 하고 싶은 것이다고 한다. 단지 생체해부는, 평화스러운 일본은 생길 리가 없다. 전쟁 안(속)에서,그리고 적이라면 할 수 있다. 군의에 있어서는 천재일우의 기회라고 본다. 장래, 대학에 돌아가서 의학을 극에 달하고 싶은 자에 있어서, 당당하게 할 수 있는 유일한 장소라고 하는 것이다. 즉 스파이, 게릴라는 어차피 사형으로 총으로 쏘아져버린다. 그것을 도대체(일체) 나누어 줄래, 라고 하는 것이다. (내일에 이어진다)

※생체해부나 생체 실험은 731에 한하지 않고, 중국에 간 군의등은 누구라도 한 것 같다. 무슨(아무런) 죄가 없는 농민이나 일반서민이 스파이 용의로 붙들려, 수술의 연습 대에 하게 하거나, 생체 실험등이 행하여 졌다. 「유아사(湯淺)(군의)의 체험은, 전전의 일본군군의 의 사이에서는 인체 실험이 특별한 것이 아니었던,이라고 하는 것을 나타내고 있다. 또, 용서되는 적이 없는 인체 실험을 일본국내에서는 결단코 행하지 않는 사람이, 침략 땅에서는 가버리는 것을 웅변에 함께 이야기 하고 있다. 그리고 처음에는 겁내면서 하고 있었던 것이, 어느새 선두에 경과해버린다. 많은 군의가 침략 땅에서의 인체 실험을 (아뭏든)뭐라고 생각하지 않는다라고 하는 상황 안(속)에서, 731부대의,혹은 이시이(石井)의 네트워크에서의 만행이 이상이라고는 생각되지 않게 되어 있었다. 그리고 731부대내부의 의학자도, 자기들의 행위에 무슨(아무런) 의문도 가지지 않게 되어 간 것일 것이다. 」 『731부대:쓰네이시(常石) 게이이치(敬一) 저:고단샤(講談社) 현대신서(신간서적)』 (노브)

●난징(남경)(Nanjing)대 학살

「이 사실을 ·…」

(「난징(남경)(Nanjing)대 학살」생존자증언집:侵화일군 난징(남경)(Nanjing)대 도살遇어려움동포기생각관/편 가토(加藤) 미노루(實)/이유(번역)) (발행:스토크(Stoke), 발매:성운사, 정가 2000+세)

2, 일본군이 광포한 개인적 학살

아버지나 어머니의 피해

유(劉) 도미네(富根)(남자, 57세)의 증언 1937년의 겨울에, 일본군의 한 무리가 집이 있었던 다정 동가에 오고, 도처에서 사람을 붙잡고, 사람을 죽이고, 불을 떼어 놓고, 사람을 복습해 재물을 닥치는 대로 빼앗고, 나쁜 짓의 한(한계)를 최선을 다했습니다. 어느 날, 집에 친족이 2명 왔습니다. 조(象) 요시아키(良明)와 아들의 조(象) 무라지(連)생과로, 집의 건조식품 오두막집에 숨었습니다. 일본군이 인부를 붙잡으러 오고, 조(象) 무라지(連)생을 붙잡았습니다. 조(象) 무라지(連)생이 가고 싶어하지 않으므로, 총상에서 죽을때 까지 후려 갈겼습니다. 아버지의 유(劉) 야스에이(保榮)와 백부의 이보전(李保田)이 상황불리라고 보아서, 도망치자로 했습니다만, 일본군은 떼어 놓지 않고, 2명을 쏘아 죽였습니다. 동시에 쏘아 죽여졌는데도 아직 목수 3명과 통행인 2명이 있었습니다. 일본군은 거기에 리덕 김(金)의 집 3채나, 주홍색凱숲의 집 4채등, 이웃에 불을 붙여서 굽고,또 리덕 김(金)의 형제의 리덕 은을 붙잡아 가서 고역에 사용했습니다만, 미카와(三河)의 강변(江邊)에서, 리덕 은이 도망친 바, 도중의 서덕강의 근처(변)(지금의 봉황가)에서 쏘아 죽여졌습니다.
 조(象) 요시아키(良明)와 리덕 김(金)과의 노인 2명은 아직 건재합니다. 조(象)씨는 지금은 莫愁니이무라(新村)에게 살고 있어서, 이(李)씨는 아직 다정 동가에 살고 있습니다. (요(楊) 신화와 요시(吉) 다쓰오(龍生)가 기록)※난징(남경)(Nanjing)에 입성한 일본군은 무질서를 낳았다. 그 결과, 살인·방화·약탈·강간 등이 빈발했다.
그 무질서를 낳은 배경으로 난징(남경)(Nanjing)에의 선진다툼이 있었다.
[선진다툼은 왜 일어난 것인가?
 전 (元)20연대병사들은, 한결같이 「4개의 이유」를 말한다.
 제1에, 난징(남경)(Nanjing) 함락 직전의 3일간, 「부대는 먹는 물건도 음료수도 없고, 굶주리고 있었다」. 빨리 성내(城內)에 들어가고, 양식을 보급하지 않으면 「이쪽이 곤경에 빠진다」.
 제2에, 「난징(남경)(Nanjing)마저 떨어뜨리면, 이 전쟁은 끝난다. 그리고 향리에 개선할 수 있다」라고 병사들이 믿고, 무턱대고 공략한 것.
 제3에, 「우군 안(속)에 다수의 사상자가 나오고, 병사들이 복수, 증오의 생각에 타오르고 있었다」라는 것 제4에 ― 이것은 중요한 요소이지만, 각 연대마다, 「00부대에 패배하지 마라」라고, 선착자 레이스가 부채질 된 것에 따른다.
 각부대의 선진다툼은, 恐るべ와 무질서를 낳았다] 【숨겨진 연대사 (시모사토(下里) 마사키(正樹):아오키(靑木) 서점】보다 (노브)


●헌법 9조

「Imagine9」 【합동 출판】에서

9조를 사용하고,

전쟁이 없는 세계를 만든다.

중미의 국· 코스타리카도 평화헌법을 가지고 있습니다. 코스타리카는 1949년, 군대를 폐지했습니다.
군대의 폐지에 의해, 나라는 교육이나 의료등에 돈을 사용할 수 있게 되었습니다. 또, 군대가 없는 코스타리카에 쳐들어가려고 생각하는 나라는 없습니다.
 그런데, 2003년에, 미국이 이라크에 대한 전쟁을 시작하면, 코스타리카 정부는 이것을 「지지한다」라고 표명했습니다. 이것에 노한 대학생 로베르토·【사모라】는, 재판소에 정부를 고소했습니다. 「이라크에의 전쟁을 지지하다니, 평화헌법에의 위반이다! 」 재판소는 로베르토씨의 호소를 인정했습니다. 그리고 코스타리카 정부는, 이라크 전쟁에의 지지를 철회했습니다. 로베르토씨는 일본에 들어와서 말했습니다.
「헌법은 단지 단지 지키면 좋은 것이 아닙니다. 평화헌법은 사람들의 물건. 사람들이 사용하기 위해서 있습니다」

 이외에도 세계의 많은 나라가 평화헌법을 가지고 있습니다. 이탈리아나 한국의 헌법은 침략전쟁을 하지 않는다고 결정짓고 있습니다. 필리핀은 핵병기를 가지지 않는다라고 하는 헌법을 가지고 있습니다.
 스위스, 오스트리아, 아일랜드등의 각국은, 헌법으로 군사대립의 어느쪽측에도 편들지 않는다고 하는 중립을 강조하고 있습니다.
 이러한 평화헌법을 우리들이 활용하고, 세계에 널리 퍼지게 해 가면, 전쟁을 일으키지 않는 세계를 만들 수 있습니다. 「【이마진】9」은, 그러한 세계의 만드는 방법을, 9가지에 걸쳐, 여러분과 생각하고 싶습니다.






제구조 【전쟁 포기, 군비 및 교전권의 부인】

하루 본 국민은, 정의와 질서를 기조로 하는 국제평화를 성실에 희구하고, 국권의 발동된 전쟁과, 무력에 의한 위협 또는 무력의 행사는, 국제분쟁을 해결하는 수단으로서는, 영구히 이것을 포기한다.

2전항의 목적을 이루기 위해서, 육해공군기타의 전력은, 이것을 보유하지 않는다. 나라의 교전권은, 이것을 인정하지 않는다.

「노브의 일기」의 태그를 클릭 부탁합니다!!


























2009年10月3日土曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!


「マルタ」・「アジアの犠牲者」の叫び!!

「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』の“戦後日本”より常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※日本の敗戦直前、天皇は国体護持に執着するあまり、停戦を遅らせてしまった。そのため、日本国内では、原爆をはじめ空襲などによって多くの死者を出した。
 また、戦後昭和天皇は、占領軍の最高司令官マッカーサーと取引して、国体(天皇制)を維持することに腐心した。
 戦前・戦中と大元帥として大日本帝国に君臨し、戦争を指揮していた最高責任者は、敗戦と同時に、戦争責任をすべて東条はじめ軍部に押し付けてしまった。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。それ故、敗戦直前、ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く証拠隠滅をはかり、731部隊を日本へ戻した。これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに731で得た研究成果をアメリカに売り渡した。その結果、東京裁判では取り上げられず、国民も長いこと731のことを知らなかった。
 密約の存在は1986年に破綻したが、日本政府は常石氏によれば731の存在と蛮行を認めていないという。(1995年現在)現在の政府の見解は私には分からない。(ただ今問い合わせ中)

 これも天皇制を守るために。(ノブ)


●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
生体解剖はあったか(赤沢証言)
 私(越さん)は、赤沢さんの証言を聞いていて、731へ入る動機が、私とまったく同じであることに気づいた。じかに戦争に参加し、生死の境をさまよった者は、召集の恐ろしさを十分に予知できた。召集されれば、ほとんど生きては帰れない。生きて帰っても、再三再四の召集が、戦死するまで待っている。戦争のさなかに20代であった者の宿命みたいなものである。であるから、関東軍の軍属になって、召集のない道を選ぶというのは、戦争を体験した者の生き残る知恵だったのかもしれない。
 私はまた、生体解剖のことについて詳しく聞きたかったので、少し突っ込んで聞いた。しかし、このクロロホルムの臭いのしたマルタの件については、釈然としなかった。
 クロロホルムは私の知っている限りでも、ガーゼにたらせて、かがせるだけで昏睡状態に陥るのを見てきた。私自身は、解剖現場を見ていないので赤沢さんの証言に頼るしかないが、クロロホルム注射ということは、健康なマルタを強制的に昏睡か死かの半死半生の状態に追いやって、解剖したように思える。素人で分からないが、細菌の生体実験をし、さらにその影響効果を調べるために、生体解剖に近いことが行われたことは間違いないように思われた。
 私はついで、連日解剖がありながら、731部隊には解剖班というものがなかったのか疑問に思っていたが、赤沢さんの子細な証言で理解できた。解剖の切迫感が、聞く私にもひしひしと伝わってくる。(明日に続く)

※戦争当時の20代の悲惨さが分かる。召集に明け暮れし、いつ死ぬか分からぬ全く暗い時代だった。人前では、嘆くことは出来ず、お国のために頑張るとしか言えなかった時代!!
 軍部の独走ということもあるにはあったが、それを追認し、いろいろなお言葉を出し、褒め称えた昭和天皇の戦争責任を感じる。
 731部隊では、赤沢証言にあるように、生体実験はもちろんのこと、生体解剖に近いことが行われていた。
 やっている本人たちは、病理検査が目的であるとか言っているが、何とも残酷である。戦後、731部隊員は1人として、戦争犯罪の罪で問われた者は無かった。
 天皇及びアメリカの責任も大きい!!(ノブ)


日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

馬明福(男、54歳)の証言
 (昨日の続き)母が祖父の撃ち殺されたのを見て、ふところに抱いた弟を下ろす間もなく、祖父を抱きかかえに走って行きました。その時、4歳の妹も後ろから追いかけて行きました。日本兵の1発が母の胸に命中し、即死しました。母の体の血が、妹の体の一面に飛び散り、妹が「あたし撃たれちゃった!」と叫び出しましたが、そう言い終わるや、弾がまた1つお腹に飛び込んで、腸がみんな出てきてしまいました。父が走って行き、母の死体のふところからまだ活きている弟を抱き取りました。その時、くぼ地に隠れていた難民50人余りはすでに半分撃ち殺されていましたが、家と母方の祖父の家とはその場で7人死んだのです。暗くなってから、私は大人について走って逃げましたが、その時また父とはぐれ、誰か知らない人に江東門の双○鎮まで連れられて行き、20日あまり後にやっと家の人に探し出されました。(1982年8月6日〈新華日報〉より転載)

 ※○は日本の漢字に変換できない字。

 ※一般の村人が撃たれていた。日本軍は、向かってくる軍隊に対して攻撃したのではなく、無抵抗な村人に向かって銃を向けたのである。
 日中戦争の目的は「排日・抗日をやめさせるためには最後まで支那をブッたたかねばならぬ」という支那鷹徴ということであった。何とも高飛車な目的であることか?(ノブ)


憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

9条をつかって、

戦争のない世界をつくる。




「戦争をしない、軍隊をもたない」という日本国憲法9条がどうしてできたか知っていますか。
それは、日本が行った戦争への反省から生まれたのです。
 日本はかつて、朝鮮半島や台湾を植民地として支配し、中国や東南アジアの国々を侵略しました。
日本はアジア太平洋地域で2000万人の命を奪いました。日本国内では広島と長崎に原子爆弾が落とされ、沖縄では大規模な地上戦が行われ、東京など大都市は空襲を受けました。日本では300万人が戦争で亡くなったのです。
 第二次世界大戦は、1945年に日本の「敗戦」で終わりました。
その直後に、日本の平和憲法は生まれました。日本、アジアそして世界の人々に対する「二度と戦争をしません」という誓いとして憲法9条は誕生したのです。
 同時にこの憲法は、民主主義の憲法でもありました。それは国民の権利を定め、また「世界中の人々が平和のうちに生きる権利をもつ」とうたいました。




第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!



Please click a tag of "diary of a knob"! !

"Flag of the Rising Sun"* "Kimigayo" it's opposite! !

New Japan! !

"I'm chosen from a hereditary Imperial system and do, and it's to a presidential system!" (I ask about Emperor Showa's war responsibility.)

● "Why doing Japanese Government's always admit almost no 731 units of existence and the brutality to speak using evidence material to the foreign journalists for them or, if, I'm correcting for a writer. That's also the question by which a writer is for oneself, but in case of has answered as follows much. If it's the biggest cause that 731 units of hiding was performed by just after the loss and Japan and U.S. combination. Japan could take fact of a human body experiment and use of biological weapons down from the center stage of history by that. On the other hand the United States could monopolize data by a human body experiment by Ishii's network. It was stated at the first chapter that a secret treaty of this Japan and U.S. failed in 1986, but even if there are probably no secret treaties, unfortunately Japan would try to hide a brutality of Ishii engine. Still a secret treaty of Japan and U.S. was to make an accomplice called the United States get it, and that the role of reducing a Japanese mental burden in criminal hiding was played, I'll get a word.
There is another existence which became a big prop for mental burdened reduction in Japanese war crime hiding. That's Emperor Showa's existence. A writer was a network of Ishii who meets and has heard talk so far, and the one the medical scientists who were studying took with one voice was a word as "emperor's honor". Or a scientific research was being performed for a country because researchers of Ishii's network were an emperor by logic in their feeling. Therefore the brutality which is never performed primarily was sanctioned and carried out with "for country" "for emperor" by itself. In other words, they were making themselves convinced "A brutality was performed for an emperor." Because it's that, it's the reason which will bring disgrace on the top that an emperor tells his crime a country doesn't admit.
A country, Japan has clung to a secret treaty of Japan and U.S. just after the loss and to protect an emperor. As a result, no human body experiment Ishii's network did, victim's research excavation of a creature competition and compensation are done in this Japan. Perhaps this is reeled off 1 of firm structure a country called Japan has. An individual is located in a lower rank than a state basically for that, the structure which is never equal. Even if I compensate a state for other ones by the results and peace pacts, etc., the attitude which isn't compensated to an individual will be got. The criminal fact which is the past as a country for it, responsibility about that can't be admitted again. Or an order of this theory may be reverse. Or a crime, because I don't want to admit responsibility, it may be the one said that which doesn't make the individual a partner.
It's from the actuality an indemnification problem doesn't advance at all wartime these days that I have begun to think of this. .... ".
( "After the war, Japan" choice Tsuneishi Keiichi work of "731 units": Kodansha Publishers present-day new publication: 1995)
※ Just before Japanese defeat, the Emperor has delayed a cease-fire because I deeply attached to national polity protection. Therefore, in Japan, I sent many dead people by air raids including an atom bomb.
 In addition, the Emperor Showa had dealings with Commander in chief MacArthur of the occupation army after the war and was bent on maintaining the national polity (the Emperor system of Japan).
 I dominated Great Japanese Empire as during the second World War and a commander-in-chief, and the highest officer who commanded war has pushed all the war responsibility to the Tojo beginning military authorities with defeat before the war.
 Some royalties came and went in 731 corps, and there was the real royalty concerned with 731. Tojo went to visit it, too, and the information about 731 should have begun the ear of the commander-in-chief Emperor Showa. That is why the military authorities / the Emperor planned evidence destruction quickly as soon as the Soviet Union participated in the war just before defeat and returned 731 corps to Japan. When war crimes come out, this is because the responsibility will be asked the Emperor.
 The 731 corps executive officer made a secret agreement with U.S.A. and sold the results of research that I got with 731 in exchange for the war crime immunity from responsibility of 731 corpsmen to U.S.A. As a result, the nation did not know 731 for a long time without it being taken up at the Tokyo trial.
 The existence of the secret agreement failed in 1986, but it is said that the Japanese Government does not accept 731 existence and barbaric acts according to Mr. Tsuneishi. (As of 1995)I do not understand the opinion of the current government. (Now during an inquiry)

 So that this protects the Emperor system of Japan, too. (A knob)
● What kind of unit were 731 units? I'll see a former 731 copies of member's confession account. 越 I'd like to see the book called Sadao work (former Kwantung army transit group member with a 731st unit 3rd copy head office) "for a flag of the Rising Sun, in red tear (tear)" (publishing office: Educational publication meeting of historical sources).

I'm born in Nagano-shi in March in 1918, 越 Sadao (lower back and Sadao)....
I graduate from an industrial high school mechanical engineering course in 1934. I join up in the 642nd unit which migrates to Manchuria in 1939. I join up in the 731st unit (Ishii unit) in 1941. I work at a transit group including an after 4 year bacteria group. I leave by loss and arrive at Nagano in September in August in 1945. Suffering every day is sent while hiding the 731st copy of background as a member after the war, and it's to present.

● We, Japanese is Nanjing Massacre, I think "of this fact,*.. " should be read modestly.
I think Japanese has to know what kind of thing had happened in Nanjin more.
Many victims worry in PTSD even now! !


● 731 units "For a flag of the Rising Sun, in red tear" (越 Sadao work: Educational publication meeting of historical sources) lay ?, Asahi had the vivisection which rises or was asking me (You don't come.) Mr. Akazawa's testimony, and I noticed the motive which enters 731 being just same as me. The person who participated in a war and wandered a border of life and death directly could foresee the fear of the summons sufficiently. When being summoned, since living through most, you can't return. Even if I live and return, I depend until a summons of re-four is killed in a battle repeatedly. It looks like fate of the person in twenties during a war. So it'll be a civilian war worker of a Kwantung army to choose the way where I have no summonses, and it may be the one by which the person who experienced a war was Chie who survives.
I wanted to hear conversantly about a vivisection later, so I crashed in and heard a little. But I didn't make it satisfied with the Maltese matter which had the smell of this chloroform.
Even the limit I know can hang chloroform to a gauze, and I just make them sniff and it has been checked to fall into the trance. An analysis site isn't being seen, so I myself have no choice but to depend on Mr. Akazawa's testimony, but a thing as a chloroform injection seems to have driven away and have analyzed healthy Martha in the state of the half dead half a lifetime of a coma or death compulsorily. It wasn't understood by an amateur, but that a thing near a vivisection was performed seemed apparent to do a living body experiment of bacteria and moreover check its influential effect.
Though it was poured, and there was analysis every day, there was nothing as an analysis group with 731 units or I was wondering, but it could be understood by the testimony which is Mr. Akazawa's reason. Sense of urgency of analysis is being transmitted to me who hears hard, too. (Following tomorrow) ※ I know misery in twenties of the war at that time. I devoted myself to a summons and it was the just dark time when I don't know when to die. It isn't possible to grieve by the public, the time when it can be said that I exert myself for your hometown! !, I had that, but to say having everything ONE'S own way of the military war responsibility of Emperor Showa who confirmed that, took out various words and praised is felt.
A thing near a vivisection as well as a living body experiment was performed as it was in Akazawa testimony by 731 units.
There is sent person himself for a pathology check and it's being talked about, but surprisingly, it's also cruel. A member was 731 copies of crime of a war crime after the war as 1 person, and the person asked about was not.
The emperor and the American responsibility are also big! !, (Nob)

● Nanjing Massacre "Of this fact.... " (The "Nanjing Massacre" survivor testimony collection: The 侵華日軍南京大屠殺遇難 brother period sense house/volume Makoto Kato/translations) (issue: Stoke sells it: Nebula company and fixed price 2000+ tax) Furious personal slaughter of 2 and the Japanese military Damage of my father and mother I ran to hold my grandfather having no time for a testimony (yesterday's continuation) mother of Mamiyo blessings (54 years old for a man) to drop my younger brother who saw my grandfather being shot dead and held in a bosom off. Then my 4-year-old younger sister chased it from the rear and went, too. 1 shot of a Japanese soldier hit mother's chest and died. A descent of the form of my mother flies in the whole surface of the form of my younger sister, and my younger sister has begun to cry "I was shot!", I finish saying so, 1 bullet plunges into a stomach again, and a gut has left everyone. My father ran, held my younger brother who still lives from a bosom of mother's corpse and took it. Then half was shot to death already, but grandfather's house of a family and a mother's side was the place, and 7 about 50 refugees who hid in a hollow died. I ran about an adult and ran away after it became dark but I lost my father in a crowd again then, and he was taken by someone I don't know to Higashikado's o in both 鎮, and went, and it was found by a person in a house finally after about 20 days. (It's reprinted from August 6th in 1982 .)

※ The letter a circle can't change to a Japanese kanji.

※ A general villager was shot. I pointed a gun to the nonresistant villager, not the one the Japanese military attacked to the military I'm opposing.
The goal of the Sino-Japanese war was said to be 支那鷹徴 which says "BU had to hit 支那 until the end to make them stop anti-Japanese sentiment and anti-Japanese." Is it that it's a high-handed goal with everything? (Knob)

● 9 articles of constitution "Imagine9" [It's published jointly.] lay Using 9 articles.

The world which has no wars is made.



Does the Constitution of Japan to which you say "I don't have the military which don't fight a war." know why 9 articles are done?
That was born from reflection to the war Japan did.
Formerly, Japan ruled Korean Peninsula and Taiwan as a colony and invaded countries of China and South East Asia.
Japan took the life of 20,000,000 people in the Asia Pacific. An atomic bomb was dropped by Hiroshima and Nagasaki in Japan, and large-scale ground battles were performed in Okinawa, and a great city was under an air-raid Tokyo. 3,000,000 people died of a war in Japan.
The Second World War has ended in the Japanese "loss" in 1945.
A Japanese peaceful constitution was born just after it. 9 articles of constitution was born as the oath to say "I never fought a war." to people in Japan, Asia and the world.
This constitution was also democracy's constitution at the same time. That sets a national right also, "with the right through which people of all over the world live inside Heiwa", I sang.




Beethoven's symphony No. 9 article [renunciation of war, armaments and denial of right of belligerency] 1 Japan people crave the justice and the international peace which makes the order the basis sincerely, and use of intimidation by a movement barrel war of power of the state and the force or the force gives this up forever as the means to settle an international dispute.

2 To achieve a goal of the preceding clause, the fighting power of the land, sea and air forces and other things doesn't maintain this. National right of belligerency doesn't admit this.

Please click a tag of "diary of a knob"! !


!!「把手的日记」的标记请单击

「太阳旗」·「君之代」反对(面)!!

新的日本!!

向「从世袭的天皇制被选的做总统制!」

(问昭和天皇的战争责任。)

●「面向外国的记者们采用证据资料说的话,他们几乎决定,为何日本政府不认为那个野蛮行为是731部队的存在,向笔者质询。对笔者自己来说的疑问也有那个,不过,是多的情况,象下面一样地回答了。战败紧接之后,用日美联合731部队隐藏进行了的事是最大的原因。根据那个日本,能从历史表面舞台放下人体实验和生物兵器使用的事实。另一方面美国,能独占由于在石井的网络的人体实验的数据。这个日美的密约1986年失败了的事用第一章叙述了,不过,恐怕即使没有密约,日本虽然是遗憾也打算遮住但是石井机关的野蛮行为吧。尽管如此日美的密约,能说完成了由于美国这个共犯者使之占便宜的事,在犯罪隐藏中减轻日本的精神的负担这样的作用。
 在日本的战争犯罪隐藏中,有成为了为了精神的负担减轻的大的支柱的再1个存在。那是昭和天皇的存在。用笔者到现在为止相会听了话,石井的网络研究的医学者们异口同声说的,是「天皇的名誉」的言词。他们的心情中的逻辑,石井的网络的研究人员们为了因为天皇,或是国家进行着科学研究。因此自己正当化「因为天皇」「因为国家」,实行了要是本来绝对不进行的野蛮行为。总之他们,使之理解着自己「为了天皇进行了野蛮行为」。所以,天皇,叙说国家没承认的自己的犯罪的事,应该损害政府的名誉的。
 为了保护国家,并且天皇,日本战败紧接之后的日美的密约紧紧抱住。作为那个结果,在这个日本,石井的网络去了的人体实验和生物战的牺牲者的发掘调查和补偿什么都没被做。恐怕这个,日本这个国家有,来自(源于)1个坚固的构造。那,基本性地个人是自国家位于后面,绝对不对等的这样的构造。那个结果,对由于和平条约等除了以外的国家的赔偿去,对个人也不补偿这样的态度被取的。为此,作为国家过去的犯罪的事实,同时不能承认关于那个的责任的。这个讨论的顺序说不定逆。即,据说说不定不想承认责任犯罪,不把个人作为对方。
 从开始考虑这样的事的,近来的战时补偿问题毫不前进这样的现实。····
」(比『731部队』的"战后日本"常石敬一著:讲谈社现代新书:1995年)

※天皇由于太国体护执著于保持以至于,在马上要日本的战败的时候,推迟停战。为此,在日本国内,开始原子弹,并且拿出来了被空袭把许多死者。
 另外,昭和天皇战后跟司令官占领军的最高麦克阿瑟做生意,决定保持国体(天皇制)上绞尽脑汁了。
 作为战前/战时和大元帅君临本大日帝国,并且东条开始战争责任全部,并且正指挥战争的最高负责人在战败的同时在军事当局逼迫。
 在731部队,有几个的皇族也来来去去,并且实际有了正和731有关系的皇族。东条也搬运脚,并且大元帅昭和天皇的耳朵也应该正容纳对731的信息。刚一苏联在马上要为此,战败的时候参战就军事当局/天皇很快策划证明湮灭,并且把731部队到日本还掉了。这个当战犯暴露的时候也是因为结果是∶那个责任也被问天皇。
 731部队干部和美国订立密约,并且把被在731与731部的队员的战犯免除责任相交换地得到了的研究成果卖给了美国。其结果不被在东京判决拿起,并且国民也没长时间知道731的事情。
 密约的存在在1986年破产了,但是据说当日本政府没正据经常石头先生说承认存在和731的野蛮行为的时候。(1995年当时)我不懂现在的政府的见解。(不过在现在询问里)

 为这个也保持天皇制。(把手)
●与731部队是怎样的部队?查阅原731部队员的坦白记。我越定男著(原关东军第731部队第3部分本部付运输班组成员)想『太阳旗红在眼泪(是没有)』想查阅所说的(发行所:教育史料出版会)的书一下。

 越定男(腰·Sadao)···1918年3月长野市生。
1934年毕业工业高中机器科。1939年传到满洲,第642部队入队。1941年第731部队(石井部队)入队。运输班等工作以细菌班为首以后4年。根据1945年8月战败撤回,9月到达长野。一边遮住作为战后第731部队员的经历度过苦难的每天,达到现在一边。

●我们日本人,想谦虚应该读南京大虐杀的「···这个事实」。
更日本人想是用南京发生着怎样的事的需要知道。
现在多的受害者的各位对PTSD也烦恼!!


●731部队

『太阳旗红在眼泪』(越定男著:教育史料出版会)

? 是不是有
朝日敲竹杠的 生物解剖(赤
泽证言)我(越先生),发现了听着赤泽先生的证言,进入到731的动机,我完全同样的事。直接参加战争,彷徨了生死的境界的人,充分预知完成了召集的恐惧。如果被召集,几乎活不能返回。活返回,再三再四的召集,到战死也有待于着。战争的最高潮是20代的人的宿命那样的。因此,说成为关东军的军人以外的工作人员,选召集没有的道,是体验了战争的人说不定生存的智慧。
 我因为同时,想关于生物解剖的事详细地听,稍微深入听了。可是,关于这个氯仿的臭味做了的马耳他的事,没消释。
 氯仿也只是只要我知道,让纱布够,使之闻就看了陷入为昏睡状态。我自己,因为没看解剖现场向赤泽先生的证言只有依求,不过,所谓氯仿注射,认为强制地到是昏睡还是死半死不活的状态赶走健康的马耳他,解剖了。外行不明白,不过,为了做细菌的生物实验,并且调查那个影响效果,靠近生物解剖的事被进行了的事似乎没错。
 我接上,连日虽然有解剖,但是对于731部队没有解剖班感到疑问,不过,用赤泽先生的缘故的证言理解完成了。解剖的逼近感,紧紧地也传到听的我。(接着明天)

※明白战争当时的20代悲惨。是不明白为召集日往夜来做,什么时候死的完全暗的时代。在人前,不能叹息,为了家乡努力只能说的时代!!
 也有军部的一个人独跑是有,不过,事后承认那个,发出种种的您的话,感到极力称赞的昭和天皇的战争责任。
 731部队,象赤泽证言有一样地,不用说生物实验的,靠近生物解剖的事被进行。
 做的本人们,病理检验是目的说着,不过,真的残酷。战后,没有731部队员作为1人,由于战争犯罪的罪被问的人。
 天皇及美国的责任也大!!(把手)

●南京大虐杀

「····这个事实」

(「南京大虐杀」生存者证言集:侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念头馆/编辑加藤实/译)(发行:Stoke,发售:星云公司,定价2000+税)

2,日军的狂暴的个人的虐杀

父亲和母亲的受害

马明福(男人,54岁
的)证言(昨天的继续)母亲看祖父被击毙了的,卸下偶然时候抱了的弟弟的不久,到怀抱跑了去祖父。那时,4岁的妹妹从后面也追赶了。日本兵的1发母亲的胸命中,当场死亡了。母亲的身体的血,飞散向(到)妹妹的身体一面,妹妹「我被打了!开始呼喊」,不过,那样说完,子弹再跳入1个肚子,肠全体出来了。父亲跑去,抱过来母亲的尸体的偶然从时候开始还活的弟弟。那时,隐藏在洼坑地的难民50人多已经一半被击毙,不过,是家和母系的祖父的家在那个场合死7人的。变得暗之后,我关于大人跑逃跑了,不过,那时再与父亲走散,被谁不知道的人到(连)江东门的双○镇护者带,20日多后终于被家里人找出了。(1982年8月6日比<新华日报>转载)

 ※○是日本的汉字不能变换的字。

 ※普通的村民被打。日军,是对朝向的军队不是攻击了的,面向不抵抗的村民转动枪的。
 日中战争的目的「为了使之停止排日·抗日到最后bu不打支那非」的支那鹰征兆是。真的强横的目的吗?(把手)

●宪法9条

「Imagine9」【联合出版】

使用9条,

制作战争没有的世界。



「不持(有)不做战争,军队」的日本宪法9条怎么是能了还是知道?
那个,是从对日本进行了的战争的反省产生的。
 日本以前,作为殖民地统治朝鲜半岛和台湾,侵略了中国和东南亚的各国。
日本在亚太地区夺走了2000万人的生命。在日本国内在广岛和长崎里(上)原子弹被丢落,在冲绳大规模的地上战被进行,东京等大城市受到了空袭。是在日本300万人用战争死的。
 第二次世界大战,以1945年由于日本的「战败」结束了。
那个紧接之后,产生了日本的和平宪法。日本,是亚洲so做作为对世界的人们的「再不做战争」的誓约宪法9条诞生的。
 对同时这个宪法,民主主义的宪法也有。唱了那个决定,再国民的权利「全世界的人们在和平内有活的权利」。




第九条【战争放弃,军备及交战权的否认】

1日本国民,与正义诚实希求秩序作为基调的国际和平,与国家权力的作为发动的战争,由于武力的威吓又武力的使用,作为解决国际纠纷的手段,永久放弃这个。

为了达到2前项的目的,陆海空军及其他的作战能力,不保持这个。国家的交战权,不认可这个。

!!「把手的日记」的标记请单击



「노브의 일기」의 태그를 클릭 부탁합니다!!

「일장기」·「 기미가요」반대!!

새로운 일본!!

「세습의 천황제로부터 뽑혀 대통령제에! 」

(쇼와(昭和) 천황의 전쟁 책임을 묻는다. )

● 「외국의 저널리스트들을 향해서 증거자료를 이용해서 이야기하면, 그들은 대부분 확정되고, 왜 일본정부는 731부대의 존재로 그 만행을 인정하지 않는 것인가,라고 필자에게 질문해 온다. 그것은 필자자신에 있어서의 의문이기도 하지만, 많은 경우, 다음과 같이 대답해 왔다. 패전 직후, 일미합동으로 731부대숨김이 행하여 진 것이 최대의 원인인,이라고. 그것에 의해서 일본은, 인체 실험이나 생물병기사용의 사실을 역사의 겉면무대로부터 내릴 수 있었다. 다른쪽(타면) 미국은, 이시이(石井)의 네트워크에서의 인체 실험에 의한 데이타를 독점할 수 있었다. 이 일미의 밀약이 1986년에는 파탄한 것은 제1장에서 말했지만, 아마 밀약이 없어도, 일본은 유감스럽지만 이시이(石井) 기관의 만행을 감추자로 했을 것이다. 그래도 일미의 밀약은, 미국이라고 하는 공범자 이득을 보게 하는 것으로, 범죄숨김을 닮아 두어서 일본의 정신적 부담을 경감한다고 말하는 역할을 다했다고 말할 수 있자.
 일본의 전쟁 범죄숨김에 있어서, 정신적 부담 경감을 위한 큰 지주가 된 또 하나의 존재가 있다. 그것은 쇼와(昭和) 천황의 존재다. 필자가 지금까지를 만나서 이야기를 들어 온, 이시이(石井)의 네트워크로 연구하고 있었던 의학자들이 이구동성에 말한 것이, 「천황의 명예」라고 하는 말이었다. 그들의 기분 안(속)의 논리에서는, 이시이(石井)의 네트워크의 연구자들은 천황 때문에,혹은 나라를 위해서 과학연구를 가고 있었다. 그러므로 본래라면 결단코 행하지 않는 만행을, 스스로에 「천황 때문에」 「나라 때문에」라고 정당화하고, 실행했다. 즉 그들은, 「천황을 위해서 만행을 갔다」라고 자기자신을 납득시켜 있었다. 그러므로, 천황이, 나라가 인정하지 않고 있는 자기의 범죄를 이야기하는 것은, 조정의 명예를 훼손하게 되는 셈이다.
 나라를,그리고 천황을 지키기 위해서, 일본은 패전 직후의 일미의 밀약에 달라 붙어 왔다. 그 결과로서, 이 일본에서는, 이시이(石井)의 네트워크가 간 인체 실험이나 생물전의 희생자의 발굴 조사나 보상은 아무 것도 되지 않고 있다. 아마 이것은, 일본이라고 하는 나라가 가지는, 1개가 강고한 구조로부터 온다. 그것은, 기본적으로 개인은 국가에서 하위에 위치하는, 결단코 대등하지 않다고 하는 구조다. 그 결과, 평화조약등에 의한 것 외(타)의 국가에의 배상은 가도, 개인에 대하여 보상하지 않는다라고 하는 태도가 잡아지게 된다. 그 것을 위하여는, 나라로서 과거의 범죄의 사실을,또 그것에관하여서 책임을 인정하는 셈이게는 가지 않은 것이다. 혹은, 이 이론의 순서는 반대일지도 모른다. 다시 말해, 범죄를, 책임을 인정하고 싶지 않기 때문에, 개인을 상대로 하지 않는다라고 하는 것일지도 모른다.
 이런 것을 생각하기 시작한 것은, 작금의 전시 보상 문제가 조금도 진행하지 않는다라고 하는 현실로다. ·…」 (『731부대』의 “전후 일본”보다 쓰네이시(常石) 게이이치(敬一) 저:고단샤(講談社) 현대신서(신간서적):1995년)
※ 일본의 패전 직전, 천황은 국체 수호에 집착 한 나머지, 정전을 늦추어 버렸다. 그 때문에, 일본내에서는, 원폭을 시작해 공습등에 의해서 많은 사망자를 냈다.
 또, 전후 쇼와 천황은, 점령군의 최고 사령관 막카서와 거래하고, 국체(천황제)를 유지하는 것에 부심 했다.
 전쟁 전·전시중과 오모토수로서 대일본 제국에 군림해, 전쟁을 지휘하고 있던 최고 책임자는, 패전과 동시에, 전쟁 책임을 모두 토우죠 초군부에 꽉 눌러 버렸다.
 731 부대에도 몇명의 황족이 왕래해, 실제 731과 관계되고 있던 황족도 있었다. 토우죠도 발길을 옮겨, 오모토수쇼와 천황의 귀에도 731에 대한 정보는 들어가 있었을 것이다. 그러므로, 패전 직전, 소련이 참전하자 마자, 군부·천황은 재빨리 증거 인멸을 도모해, 731 부대를 일본에 되돌렸다. 이것도 전쟁 범죄가 발각되면, 천황에도 그 책임이 추궁 당하게 되기 때문이다.
 731 부대 간부는 미국과 밀약해, 731 부대원의 전범 면책과 교환에 731으로 얻은 연구 성과를 미국에 매도했다. 그 결과, 도쿄 재판에서는 다루어지지 않고, 국민도 긴 일 731을 몰랐다.
 밀약의 존재는 1986년에 파탄했지만, 일본 정부는 츠네이시씨에 의하면 731의 존재와 만행을 인정하지 않다고 한다. (1995년 현재)현재의 정부의 견해는 나는 모른다. (지금 문의중)

 이것도 천황제를 지키기 위해서. (노브)

●731부대와는 어떤 부대이었던 것일까? 전 (元)731부대원의 고백기를 보아 가자. 고시(越) 사다오(定男) 저(전 (元)간토(關東)군 제731부대 제3부본부부운수 반원) 『일장기는 빨간 눈물 (같은 정도다)에』 (발행소:교육 사료출판회)이라고 하는 책을 보고 싶다고 생각한다.

 고시(越) 사다오(定男)(허리·사다오)… 1918년3월 나가노시(長野市)에 태어난다.
1934년 공업고교 기계과를 졸업. 1939년에 만주에 건너는, 제642부대에 입대. 1941년 제731부대(이시이(石井) 부대)에 입대. 이후 4년간 세균반을 비롯해 운수반등에 근무. 1945년8월 패전에 의해 철수, 9월 나가노(長野)에게 도착한다. 전후 제731부대원으로서의 경력을 숨기면서 고난의 나날을 보내고, 현재에 이른다.

●우리들일본인은, 난징(남경)(Nanjing)대 학살의 「이 사실을…」을 겸손에 읽어야 한다고 생각한다.
난징(남경)(Nanjing)에서 어떤 것이 일어나고 있었던 것일지를 더욱 일본인은 알 필요가 있다고 생각한다.
지금도 많은 피해자의 여러분(여기저기)는 PTSD에 고민하고 있다!!


●731부대

『일장기는 빨간 눈물에』 (고시(越) 사다오(定男) 저:교육 사료출판회)에서

?  아침 해가 바가지 씌우는 생체해부는 있었는가 (아카자와(赤澤) 증언)나(고시(越)씨)은, 아카자와(赤澤)씨의 증언을 듣고 있어서, 731에 들어가는 동기가, 나와 똑 같은 것을 알아차렸다. 곧 전쟁에 참가하고, 생사의 경계를 방황한 자는, 소집의 무서움을 충분히 예지할 수 있었다. 소집되면, 대부분 살아서는 돌아갈 수 없다. 살아서 돌아가도, 여러 번의 소집이, 전사할때 까지 기다리고 있다. 전쟁의 한창 때에 20대이었던 자의 숙명 같은 것이다. 이므로, 간토(關東)군의 군속이 되고, 소집이 없는 길을 선택한다고 하는 것은, 전쟁을 체험한 자가 살아 남는 지혜이었던 것일지도 모른다.
 나는 또, 생체해부에 대해서 자세하게 듣고 싶었으므로, 조금 돌입해서 들었다. 그러나, 이 클로로포름의 냄새가 한 몰타의 건(件)에 대해서는, 석연치 않았다.
 클로로포름은 내가 알고 있는 한이라도, 거즈에 대구せて, 냄새를 맡게 할만으로 혼수 상태에 빠지는 것을 보고 왔다. 나자신은, 해부 현장을 보지 않고 있으므로 아카자와(赤澤)씨의 증언에 의지하는 수 밖에 없지만, 클로로포름 주사라고 하는 것은, 건강한 몰타를 강제적으로 혼수인가 죽음인가의 반생 반사의 상태에 쫓아 보내고, 해부한 것 같이 생각된다. 아마추어로 모르지만, 세균의 생체 실험을 하고, 게다가 그 영향 효과를 조사하기 위해서, 생체해부에 가까운 것이 행하여 진 것은 틀림 없는 것 같이 생각되었다.
 나는 잇고, 연일 해부가 있으면서, 731부대에는 해부반이라고 하는 것이 없었던 것일지 의문에 생각하고 있었지만, 아카자와(赤澤)씨의 자세한 증언으로 이해가 갔다. 해부의 절박감이, 듣는 나에게도 오싹오싹 전해져 온다. (내일에 이어진다)

※전쟁 당시의 20대의 비참함을 안다. 소집에 몰두하고, 언제 죽을지 알지 않는 전혀 어두운 시대이었다. 남들 앞에서는, 한탄할 수는 있지 않고, 나라를 위해서 열심히 한다고밖에 말할 수 없었던 시대!!
 군부의 독주라고 하는 것도 있긴 있었지만, 그것을 추인하고, 여러가지 말씀을 내고, 극구 칭찬한 쇼와(昭和) 천황의 전쟁 책임을 느낀다.
 731부대에서는, 아카자와(赤澤) 증언에 있는 듯이, 생체 실험은 물론, 생체해부에 가까운 것이 행하여 지고 있었다.
 하고 있는 본인들은, 병리검사가 목적이다든가 말하고 있지만, (아뭏든)뭐라고 잔혹하다. 전후, 731부대원은 1명으로서, 전쟁 범죄의 죄로 문제된 자는 없었다.
 천황 및 미국의 책임도 크다!! (노브)

●난징(남경)(Nanjing)대 학살

「이 사실을 ·…」

(「난징(남경)(Nanjing)대 학살」생존자증언집:侵화일군 난징(남경)(Nanjing)대 도살遇어려움동포기생각관/편 가토(加藤) 미노루(實)/이유(번역)) (발행:스토크(Stoke), 발매:성운사, 정가 2000+세)

2, 일본군이 광포한 개인적 학살

아버지나 어머니의 피해

말명복(남자, 54세)의 증언(어제의 계속)어머니가 할아버지가 쏘아 죽여진 것을 보고, 품(호주머니)에 안은 남동생을 내리는 머지않아, 할아버지를 껴안으러 달려갔습니다. 그 때, 4세의 여동생도 뒤에서 쫓아갔습니다. 일본병의 1발이 어머니의 가슴에 명중하고, 즉사했습니다. 어머니의 몸의 피가, 여동생의 몸의 한 면에 흩날리고, 여동생이 「나 쏘아졌다! 」이라고 외치기 시작했습니다만, 그렇게 말을 끝내자마자, 탄알이 또 1개 배에 뛰어들고, 장이 모두 나와버렸습니다. 아버지가 달려가고, 어머니의 사체의 품(호주머니)로부터 아직 살고 있는 남동생을 받아 안았습니다. 그 때, 움푹 팬 땅에 숨고 있었던 난민 50명남짓은 이미 반 쏘아 죽여져 있었습니다만, 집과 외가의 할아버지의 집과는 그자리에서 7명 죽은 것입니다. 어두워지고나서, 나는 어른에 대해서 달려서 도망쳤습니다만, 그 때 또 아버지와 놓쳐, 누구인가 모르는 남에게 고토(江東) 문의 쌍 0진정시킴까지 끌려 가 가, 20일여후에 드디어 집의 사람에게 찾아내졌습니다. (1982년8월6일 <신화 일보>보다 전재)

 ※0은 일본의 한자로 변환할 수 없는 글자.

 ※일반의 마을사람이 쏘아져 있었다. 일본군은, 향해 오는 군대에 대하여 공격한 것이 아니고, 무저항한 마을사람을 향해서 총을 향한 것이다.
 중일전쟁의 목적은 「배일·항일을 그만두게 하기 위해서는 최후까지 시나(支那)를 【붓】 치지 않으면안된다」라고 하는 시나(支那) 다카(鷹) 보람이라고 하는 것이었다. (아뭏든)뭐라고 고압적인 태도인 목적인 것인가? (노브)

●헌법 9조

「Imagine9」 【합동 출판】에서

9조를 사용하고,

전쟁이 없는 세계를 만든다.



「전쟁을 하지 않는, 군대를 가지지 않는다」라고 하는 일본국헌법 9조가 어째서 할 수 있었는지 알고 있습니까?
그것은, 일본이 행한 전쟁에의 반성으로부터 생긴 것입니다.
 일본은 일찌기, 한반도(朝鮮半島)나 타이완을 식민지로서 지배하고, 중국이나 동남아시아의 각국을 침략했습니다.
일본은 아시아·태평양지구에서 2000만사람의 생명을 빼앗았습니다. 일본국내에서는 히로시마(廣島)와 나가사키(長崎)에게 아토믹 봄(atomic bomb)이 처리되어, 오키나와(沖繩)에서는 대규모인 지상전이 행하여 지고, 도쿄(東京)등 대도시는 공습을 받았습니다. 일본에서는 300만명이 전쟁으로 돌아가신 것입니다.
 제2차 세계대전은, 1945년으로 일본의 「패전」으로 끝났습니다.
그 직후에, 일본의 평화헌법은 생겼습니다. 일본, 아시아そ 해서 세계의 사람들에게 대한 「두번 다시 전쟁을 하지 않습니다」라고 하는 맹세로서 헌법 9조는 탄생한 것입니다.
 동시에 이 헌법은, 민주주의의 헌법이었습니다. 그것은 국민의 권리를 결정짓고,또 「온세계의 사람들이 평화의 사이에 사는 권리를 가진다」라고 노래 불렀습니다.




제구조 【전쟁 포기, 군비 및 교전권의 부인】

하루 본 국민은, 정의와 질서를 기조로 하는 국제평화를 성실에 희구하고, 국권의 발동된 전쟁과, 무력에 의한 위협 또는 무력의 행사는, 국제분쟁을 해결하는 수단으로서는, 영구히 이것을 포기한다.

2전항의 목적을 이루기 위해서, 육해공군기타의 전력은, 이것을 보유하지 않는다. 나라의 교전권은, 이것을 인정하지 않는다.

「노브의 일기」의 태그를 클릭 부탁합니다!!
"Дневник ручка" Спасибо нажмите на Tag! !

"Rising Sun", "национальный гимн" оппозиции! !

Новые Японии! !

"Сэкай выбраны из президентской системе наследственных императора!"

(Спросите войны ответственности императора Сева's.)

● "Когда вы говорите помощью документальных доказательств по отношению к иностранным журналистам, они решили, что, почему бы японскому правительству признать, 731 или присутствия войск и их зверств, но со мной. Это для моих собственных Есть также вопросы, во многих случаях были ответили следующим образом. Сразу после поражения, Соединенные Штаты совместно нести ответственность за до 731, потому что был скрыт единицы, и. Японию, и человек экспериментов возможности тянуть вниз со сцены истории тот факт, что применение биологического оружия. Америку с другой стороны, смогла монополизировать сеть передачи данных в экспериментах человека была сломана Исии. тайного договора Соединенными Штатами в 1986 году Было отмечено, в первой главе, возможно, без тайного соглашения, Япония пыталась скрыть жестокость учреждение будет Исии, к сожалению. тайное соглашение в сенате не менее, она может принести в Соединенных Штатах сообщника, скрытое преступление言EYOU и что сыграло определенную роль в снижении бремени в духе Японии.
Скрытые в военных преступлениях, Японии, стала еще одним из главных опор для уменьшения нагрузки на существование одного психических одна. Это присутствии императора Сева. Слышал, что я когда-либо встречал, но был вынужден говорить в один голос, который изучал медицину сеть Ишии, "честь императора" было слово. Логика в их мнению, сеть научных работников для императора Исии делать научных исследований или для страны. Поэтому не злодеяния никогда не будет верным себе "для императора", "для страны" и оправданным, и казнили. Это означает, что они "пошли на жестокость императора" и должен был убедить самого себя. Итак, император, чтобы сказать, что преступники не позволит их стране, оно оскорбляет императора.
Стране, защитить императора и Япония уже спрашивал тайный договор Соединенных Штатов после войны. В результате, в Японии раскопок и компенсации жертвам биологической войны и человеческие опыты сеть не имеет ничего Исии. Возможно, это страна с Японией, одного представителя от одного монолитную структуру. Это в основном расположены в отдельных лиц из суб-национальные структуры, которая никогда не на равных основаниях. В результате, компенсации и для других стран мира с договорами, и т.д. Мы также будут приняты без компенсации индивидуальный подход. Чтобы сделать это, факты прошлых преступлений, как нация, не может нести ответственность за это, но этого не делает. Кроме того, эта теория в обратном порядке. Иными словами, преступление, из-за нежелания брать на себя ответственность, которая может быть человек, который этого не делает.
Я начал думать, что это получили исходить из реальности военных вопросов сегодняшнего компенсации. "
(731 『войск" в послевоенной Японии "по Keiichi Tsuneishi от: Kodansha Гендай: 1995)

※ незадолго до поражения Японии, император многое придерживаться защищать национальные политикой, была задержана за прекращением огня. Таким образом, в Японии, и в том числе в результате взрыва бомбы, убив много.
Война является работа с Макартур Верховный главнокомандующий оккупационными силами пытается сохранить императора.
Маршал во время войны, как император Японской империи и был главным в команде войны, в то время как поражение, военные ввели на себя всю ответственность войны Touzyou Hazime.
И 731 посещений в некоторых из императорского войска, царская семья была фактически участвует в 731. Тодзио проводить пешком, 731 информация о император Хирохито маршала должны были обнаружить. Таким образом, как только последняя война победить Советский Союз, содействия уничтожению доказательств быстрее бежал. Военные преступления и будет пойман снова, от его ответственности будут для императора. Тайный сговор с Соединенными Штатами после войны 731 человека прежде, чем проблема не была раскрыта. Существование тайных пакт был нарушен в 1986 году, по данным правительства Японии подтвердил существование 731 Tsuneishi и жестокости. (Перепись 1995). Текущая позиция правительства, я не знаю. (Я не в ходе расследования)
Это также, чтобы защитить императора. (Кнопка)

● 731 войска и войска или то, что будет? Давайте посмотрим на историю из 731 бывших признаться солдат. По Садао Вьетнам (статья 731 Квантунской армии силами трех бывших членов группы со штаб-квартирой Департамента транспорта) 『泪красный флаг (слезы) в』 (место выдачи: исторические публикации Комитета по образованию), и я хочу видеть говорится в книге.

Садао Вьетнам (это ваша поэма), 1918, 3, родился в городе Нагано.
Промышленное оборудование г. окончила среднюю школу 1934. Маньчжурии в 1939 году в течение года, вступил в силу 642. 1941 Первые 731 Годы войск (сил Исии) Регистрация. Проработав четыре экипажа, в том числе бактериальной транспорту и года группа. Пн 1945 спасенные от поражения, добраться до Нагано 9. Первый день судебного разбирательства после войны, скрываясь 731 кадровых военнослужащих отправлены к людям, до настоящего времени.

● японского народа, резни в Нанкине, "это факт", я думаю, вам следует прочитать смирение.
Больше японских или, что происходит в Нанкине, я думаю, вы должны знать.
Сколько жертв еще люди, которые страдают от посттравматического стрессового расстройства! !


● 731 единицы

Красный флаг泪『』 (по Садао Вьетнаме: исторические публикации Комитета по образованию) из

? Нобору Асахи
Что вивисекция (свидетельство Аказава)
I (越SAN), слушает показания г-на Аказава 731 Ввод мотив, я заметил, что точно так же. Непосредственное участие в войне, который бродил между жизнью и смертью смог предвидеть весь ужас вызова. Если специальной сессии большинство帰Renai жив. Еще живы назад, вновь и вновь призывают, ожидая, пока мертвые. В разгар войны, как судьба 20 человек, которые были подростки. С каких это Квантунской армии гражданскими, а не созывать выбрать путь, у вас могут возникнуть была мудрость тех, кто пережил войну.
Я также хотел бы больше услышать о том вивисекции, потому что я слышал мало раскопок. Тем не менее, вопрос о Мальте был запах хлороформа не является подозрительным.
Хлороформ также, насколько я знаю, марля трески мы стали свидетелями падения в кому надо просто вдыхать. Я сам, приходится полагаться на показания г-на Аказава я не видел вскрытие сцене, то есть вводится хлороформ, водить полумертвом состоянии комы или смерти, или заставить здоровых Мальта, а вскрытие показаться. Я не знаю, любительских, так и биологические эксперименты, в целях дальнейшего изучения последствий своего влияния, близка к, что было сделано, кажется, нет сомнений, что это вивисекция.
Я проходил мимо, но каждый день по анатомии, 731 войска, но мне было интересно, что было названо вскрытие команде, я понял, полный отчет о показаниях г-Аказава. Анатомия в срочном порядке проходит через громко и остро слушать меня. (Продолжение завтра)

※ 20 на момент понимают ужасы войны поколения.明Ke暮Reshi призыв к оружию, не зная, были убиты, когда любой темный период. Перед людьми, не может грустить, и падение со временем, но не могу сказать за свою страну! !
Он также преобладанием военных были ратифицировать его, и положил много слов вы чувствуете похвалил войны ответственности императора Сева's.
731 войска, а в показаниях Аказава, не говоря уже о биологических экспериментах, он был близок к вивисекции.
Мы делаем свою волю, или сказать, что цель патологии, жестокое ничего. После войны, 731 солдат, как один, кто был осужден по обвинению в военных преступлениях, сделал.
И Соединенные Штаты также несут ответственность за императора! ! (Кнопка)


● Nanjing Massacre

"Это факт"

( "Нанкин резня" Survivor Отзыв: мемориального зала трудновоспламеняющимися рассматриваться сослуживцев убил Нанкин ВС侵华/ Katou Макото Хен / перевод) (издано: Сток, дата: 'S туманности, цена 2000 + НДС)

2, японские войска уничтожили отдельные изгои

Жертва матери и отца

Ма Фу Минь (мужчина, 54 года) показаний
(Продолжение со вчерашнего дня), чтобы увидеть мать моего деда был застрелен, вскоре после проведения его брата кошелек пошел лелеять Дед побежал охапку. В это время поднялся из-за четырех-летняя сестра. Японские солдаты затем ударил одного из груди развития его матери, был убит на месте. Тело крови матери, тело всплеск на одной стороне его сестра, сестру: "Мы застрелили ATASHI" выпускается и плакать, я言终Вар или так, и что одной пулей в живот одного перехода, каждый из кишечника Я не приду. Отец побежал,活Ги抱Ги取RIMASHITA брата до сих пор тело матери из кошелька. В то время, беженцы прятались в полые области, что около 50 человек были застрелены в половине уже и дом, дома его деда на месте, и я人死7. После наступления темноты, я просто бежал и бежал, но и для взрослых, а затем отделяются от отца, кото-двойной ворот не знаю никого, кто молод в镇Ма ○ отправились 20 человек, из дома, заботиться о маленьких едва ВС был. (Август 6, 1982 "Синьхуа Ежедневно" Перепечатано из списка)

※ ○ японских иероглифов кандзи не может быть преобразован.

※ простые крестьяне были расстреляны. Японские войска, вместо того чтобы нападать войска направились в оглушить для пушки в направлении деревни.
В день, цель войны "против Японии, чтобы остановить排日Tatakane blap таблетки до конца Шина" было то, что ястреб симптом Шина. Босси или то, что цель? (Кнопка)

● Конституция, статья 9

"Imagine9" [больше] Совместная публикация

Tsukatsu статьи 9,

Создать мир, свободный от войны.



"Ни войны, не имеют армии", что Конституция была 9 Знаете ли вы, почему статья.
Она родилась из размышлений о войны, развязанной Японией.
Япония была когда-то управляла Кореей как колонией и на Тайване, Китае и Юго-Восточной Азии были агрессией.
Япония находится в Азии и Тихоокеанском регионе за 2000夺Imashita миллионов жизней. В Японии, атомная бомба была сброшена на Хиросиму и Нагасаки, и на острове Окинава находится на большой войной земле масштаба, воздушные рейды в крупных городах, таких как Токио получил. В Японии 300 миллионов человек погибло в ходе войны.
Второй мировой войне, Япония, в 1945 году "победили" закончил с.
Вскоре родилась мира конституция Японии. Япония, Азия и народы мира для народа "не воевать снова" в качестве залога до 9 Конституции гласит рождения.
Конституция в то же время, существует также конституционной демократии. Это закреплено право народа, и "люди во всем мире имеют право жить в мире" и Utaimashita.




[Войной отказе от статьи 9, а также лишение права воюющей оружия]

Япония является одной нации, стремящейся уважением к международному миру, справедливости и порядка речь,発动Тара войны и суверенитета, угроза силой или применение силы с использованием вооруженной силы как средства разрешения международных споров является постоянное отказаться от этого делать.

Для достижения целей пункта 2, вооруженных сил и других войск не будет сохранен. Право на ведение государством войны не признается.

"Дневник ручка" Спасибо нажмите на Tag! !
















2009年10月2日金曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!


「マルタ」・「アジアの犠牲者」の叫び!!

「日の丸」・「君が代」反対!!

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」

(昭和天皇の戦争責任を問う。)


●「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者得させることで、犯罪隠しににおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』の“戦後日本”より常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※日本の敗戦直前、天皇は国体護持に執着するあまり、停戦を遅らせてしまった。そのため、日本国内では、原爆をはじめ空襲などによって多くの死者を出した。
 また、戦後昭和天皇は、占領軍の最高司令官マッカーサーと取引して、国体(天皇制)を維持することに腐心した。
 戦前・戦中と大元帥として大日本帝国に君臨し、戦争を指揮していた最高責任者は、敗戦と同時に、戦争責任をすべて東条はじめ軍部に押し付けてしまった。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。それ故、敗戦直前、ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く証拠隠滅をはかり、731部隊を日本へ戻した。これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに731で得た研究成果をアメリカに売り渡した。その結果、東京裁判では取り上げられず、国民も長いこと731のことを知らなかった。
 密約の存在は1986年に破綻したが、日本政府は常石氏によれば731の存在と蛮行を認めていないという。(1995年現在)現在の政府の見解は私には分からない。(ただ今問い合わせ中)

 これも天皇制を守るために。(ノブ)



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅴ 朝日のぼる
生体解剖はあったか(赤沢証言)
 最初のうちは解剖はつらく、飯もよくのどを通らなかったが、これも仕事だ、運命だ、任務だと割り切れるようになっていた。そのうちに、「今日も解剖か」というくらいな気持ちになり、平気でせっせと刀を研いだりするようになった。
 解剖の中で、もっとも気持ちの悪かったのは、どんな理由かわからないが、墓場から腐乱死体を取り出して、解剖させられたことである。メスを入れると、どっと肉がはじけるようで、臭いがまた大変なもので、1週間くらい食事がまともにできなかったものである。
 その夜私は、1棟の宿直であった。たまたま3棟の宿直であった五味という技手と一緒になり話をしたことがあった。その時五味技手が、「今日は実験に失敗しちゃった」と暗いまなざしでつぶやいた。翌朝、五味技手は急きょ隔離され、昼には死んでしまった。彼は、ペスト菌製造の班で、仕事をしていたのである。それは肺ペストの感染であった。
 そのことを聞いて、私はそれこそぞっとし、2,3日気が気ではなかった。五味技手を看護した看護婦も相ついで死亡した。
 また、昭和12年のことであったと思う。北支で任務についている時、便衣隊(スパイ)をとらえたことがあった。大村大尉という直属の上官が、私に首をはねろと命じた。私は、南信濃の家に伝わる古刀を軍刀にしこんでいたが、その「筒井越中守輝政入道法充」で首を切り落とした。鮮血が2メートルも噴き上げ、前に落ちた首が10日程度呼吸するように口をがくがくさせた。
 私は吐き気をもようし、膝が震えて、座り込みたくなった。練士という肩書きを持つ大尉は「そういう切り方はまずい。首を落としてはいかん。のどの皮を残すのだ。みておれ」と言うと、やにわに腰の刀を一閃させて、別の便意隊へ向かった。大尉のいう通り、のどもとの皮1つ残して首がガクンとたれた。私は冷静、沈着にしてみごとな大尉の手練に敬服し、臆してはいかん、俺はまだ真の軍人になり切っていないと強く反省したものであった。(明日に続く)

※赤沢さんは、生体解剖については積極的には語っていないが、ほとんど毎日のように解剖をやり、標本をつくったのだろう。慣れてくると、あまり気にならなくなってしまったようだ。
 腐乱死体の解剖までやるとは驚きだ!!何か解剖でミスがあってやり直したのか?
 また、ここでも日本人がペストにかかって死んでいる。731では実験のミスでこのようなことが多発したと聞いている。
 最後の証言は、どうも731に入隊する前のことのようだ!!
 私のブログに時々投稿があるが、中でも「日本刀ではそんなに人は斬れない」という質問が多い。  ここの証言は昭和12年(1937年)のことを言っている。ちょうど南京大虐殺が行われた年である。中国に積極的に侵略した時期である。
 北支での出来事か?便衣隊(スパイ)を日本刀で斬ったとある。日本軍はあやしい者をスパイにしたて十分な証拠も無いの処刑したりしていた。
 これも、中国の一般市民であると思われる。座らせて、首を斬ったのだろう。このようなやり方で多くの中国の方が死んでしまった。
 大尉の斬った者も、同じようにスパイの嫌疑がかけられ捕らえられていたのだろう。ここでは詳しく書かれていないが、便衣隊と日本刀で戦ったのではない!
 捕らえられているスパイを座らせて、斬ったようだ。首の皮一枚残して。
 このような光景は日本軍が侵略していった中国各地で行われていた。あまりにもむごいことである。 日本刀では100人は斬れっこ無いという人があるが、ほとんどは無抵抗な捕虜や一般市民を座らせて斬ったすえもの斬りであったのが事実であり、たくさんの人を斬って、地方紙に英雄として紹介されたりもしていた。詳しく知りたい方は、『「百人斬り競争」と南京事件』(笠原十九司著:大月書店)をぜひ読んでください!!(ノブ)


日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

馬明福(男、54歳)の証言
 日本の軍隊が南京を占領した時、私はやっと7歳でしたが、家は中華門の近くで、父が塩漬け家鴨の店を経営していました。あの時家は6人で、父が38歳、母が30歳、姉が9歳、妹が4歳、弟がやっと1歳、それに私でした。避難しに、家中で沙洲圩の母方の祖母の家まで逃げて行きました。
 明くる日の午後日本兵が来たので、村の人7,80人が家から1里余り離れたくぼ地まで逃げていって隠れました。日本兵は村に入るなり、火を放って家を焼きました。暗くなってからも、みんな家に帰れなく、その夜の内にくぼ地の真ん中に穴を1つ掘り、木の枝で上をおおいました。3日目の午前10時頃、日本兵がくぼ地に人が隠れているのを見つけ、くぼ地を包囲して、射撃し始めました。その時くぼ地にはまだ50人余り隠れていたのですが、祖母と叔父2人とがもう1つ別のあばら屋に隠れていたために、銃声が響くや、祖父が祖母の安全を心配し、危険を冒して小屋の方へ走って行ったら、日本軍に見られ、一撃をくらって地に打ち倒されました。(明日に続く)

※日本軍は、くぼ地に隠れているのが村人であって、兵士ではないことが分かっていて発砲した。 日本軍による一般市民の殺害も多かった。(ノブ)


憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

9条がゆきわたった世界を。


Imagine,

A world filled 

with Article 9.


憲法9条は、日本という「国」のものではありません。日本に住んでいる「人びと」、つまりみなさん自身のものです。そしてそれは、日本国民にとってだけではなく、すべての人類にとって重要なのです。(アメリカ/男性)





第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!



Please click a tag of "diary of a knob"! !

"Flag of the Rising Sun"* "Kimigayo" it's opposite! !

New Japan! !

"I'm chosen from a hereditary Imperial system and do, and it's to a presidential system!" (I ask about Emperor Showa's war responsibility.)

● "Why doing Japanese Government's always admit almost no 731 units of existence and the brutality to speak using evidence material to the foreign journalists for them or, if, I'm correcting for a writer. That's also the question by which a writer is for oneself, but in case of has answered as follows much. If it's the biggest cause that 731 units of hiding was performed by just after the loss and Japan and U.S. combination. Japan could take fact of a human body experiment and use of biological weapons down from the center stage of history by that. On the other hand the United States could monopolize data by a human body experiment by Ishii's network. It was stated at the first chapter that a secret treaty of this Japan and U.S. failed in 1986, but even if there are probably no secret treaties, unfortunately Japan would try to hide a brutality of Ishii engine. Still a secret treaty of Japan and U.S. was to make an accomplice called the United States get it, and that the role of reducing a Japanese mental burden in criminal hiding was played, I'll get a word.
There is another existence which became a big prop for mental burdened reduction in Japanese war crime hiding. That's Emperor Showa's existence. A writer was a network of Ishii who meets and has heard talk so far, and the one the medical scientists who were studying took with one voice was a word as "emperor's honor". Or a scientific research was being performed for a country because researchers of Ishii's network were an emperor by logic in their feeling. Therefore the brutality which is never performed primarily was sanctioned and carried out with "for country" "for emperor" by itself. In other words, they were making themselves convinced "A brutality was performed for an emperor." Because it's that, it's the reason which will bring disgrace on the top that an emperor tells his crime a country doesn't admit.
A country, Japan has clung to a secret treaty of Japan and U.S. just after the loss and to protect an emperor. As a result, no human body experiment Ishii's network did, victim's research excavation of a creature competition and compensation are done in this Japan. Perhaps this is reeled off 1 of firm structure a country called Japan has. An individual is located in a lower rank than a state basically for that, the structure which is never equal. Even if I compensate a state for other ones by the results and peace pacts, etc., the attitude which isn't compensated to an individual will be got. The criminal fact which is the past as a country for it, responsibility about that can't be admitted again. Or an order of this theory may be reverse. Or a crime, because I don't want to admit responsibility, it may be the one said that which doesn't make the individual a partner.
It's from the actuality an indemnification problem doesn't advance at all wartime these days that I have begun to think of this. .... ".
( "After the war, Japan" choice Tsuneishi Keiichi work of "731 units": Kodansha Publishers present-day new publication: 1995)
※ Just before Japanese defeat, the Emperor has delayed a cease-fire because I deeply attached to national polity protection. Therefore, in Japan, I sent many dead people by air raids including an atom bomb.
 In addition, the Emperor Showa had dealings with Commander in chief MacArthur of the occupation army after the war and was bent on maintaining the national polity (the Emperor system of Japan).
 I dominated Great Japanese Empire as during the second World War and a commander-in-chief, and the highest officer who commanded war has pushed all the war responsibility to the Tojo beginning military authorities with defeat before the war.
 Some royalties came and went in 731 corps, and there was the real royalty concerned with 731. Tojo went to visit it, too, and the information about 731 should have begun the ear of the commander-in-chief Emperor Showa. That is why the military authorities / the Emperor planned evidence destruction quickly as soon as the Soviet Union participated in the war just before defeat and returned 731 corps to Japan. When war crimes come out, this is because the responsibility will be asked the Emperor.
 The 731 corps executive officer made a secret agreement with U.S.A. and sold the results of research that I got with 731 in exchange for the war crime immunity from responsibility of 731 corpsmen to U.S.A. As a result, the nation did not know 731 for a long time without it being taken up at the Tokyo trial.
 The existence of the secret agreement failed in 1986, but it is said that the Japanese Government does not accept 731 existence and barbaric acts according to Mr. Tsuneishi. (As of 1995)I do not understand the opinion of the current government. (Now during an inquiry)

 So that this protects the Emperor system of Japan, too. (A knob)

● What kind of unit were 731 units? I'll see a former 731 copies of member's confession account. 越 I'd like to see the book called Sadao work (former Kwantung army transit group member with a 731st unit 3rd copy head office) "for a flag of the Rising Sun, in red tear (tear)" (publishing office: Educational publication meeting of historical sources).

I'm born in Nagano-shi in March in 1918, 越 Sadao (lower back and Sadao)....
I graduate from an industrial high school mechanical engineering course in 1934. I join up in the 642nd unit which migrates to Manchuria in 1939. I join up in the 731st unit (Ishii unit) in 1941. I work at a transit group including an after 4 year bacteria group. I leave by loss and arrive at Nagano in September in August in 1945. Suffering every day is sent while hiding the 731st copy of background as a member after the war, and it's to present.

● We, Japanese is Nanjing Massacre, I think "of this fact,*.. " should be read modestly.
I think Japanese has to know what kind of thing had happened in Nanjin more.
Many victims worry in PTSD even now! !


● 731 units "For a flag of the Rising Sun, in red tear" (越 Sadao work: Educational publication meeting of historical sources) lay Ⅴ Whether there was a vivisection up which Asahi goes (Akazawa testimony) The first inside was hard on analysis, and a feed didn't also pass through the throat well, this is also work, it's destiny, if it was duty, did it divide? I say "Do you also analyze today?" over it, eat, it was feeling and I came to sharpen a sword diligently calmly.
I don't know what kind of reason it's that I felt worst in the analysis, but it's that you could take a decomposed body out from a graveyard and make them analyze. When a searching inquiry was made, meat seemed to burst suddenly, and the smell was serious again, and you couldn't have a meal directly for about 1 week.
I was a house of night duty the evening. I became same with an operator called Gomi who was 3 houses of night duty by chance and had talked. Then Gomi operator murmured "He had failed in an experiment today." by a dark look. Gomi operator is isolated in a hurry and has died at noon in the next morning. He was working by a group of plague bacillus production. That was infection of a pulmonary plague.
I heard the thing, and shuddered at that, and intention wasn't intention for 23 days. The nurse who nursed Gomi operator has been successive and dead, too.
I think it was a thing in 1937. When being on duty at Hokushi, a flight corps of clothes (spying) had been caught. Omura captain and the senior official under direct control who says ordered me to cut off a head. I was teaching the old sword transmitted to a house in Minami-shinano to a saber, but a neck was cut off by its Tsutsui Etchu Terumasa Mori monk way Mitsuru". Before 2 meters of fresh blood also welled out, the neck which fell made the mouth shake so that I might breathe for about 10 days.
The knee also needed nausea and shook, and I felt like sitting. A captain with a title as 練士, "such, how to cut it is bad. You aren't supposed to drop a neck. Leather of the throat is left. See,", and, I made the sword which is a lower back short when I said, flash, and went to the different defecation desire corps. The street a captain says and 1 of leather with the throat, it's left, and, that a neck is a jerk, it hung down. I was calmness, and I who isn't supposed to make it cool, admire captain's excellent tact and hesitate was the one which regretted hard that I had not finished becoming true military personnel yet. (Following tomorrow) ※ He isn't telling about a vivisection aggressively, but Mr. Akazawa would almost analyze like every day and make a specimen. When I'm being familiar, they don't seem too interested any more.
It's surprise to analyze a decomposed body! !, did a mistake meet you again by any analysis?
Japanese has a plague and is dead even here. I hear that that such thing occurred frequently by an experimental mistake in 731.
Somehow the last testimony seems to be the front where I join up in 731! !, there is sometimes contribution in my blog, but there are a lot of questions to which I also say "A person can't cut it with a Japanese sword so much." at the inside. Testimony here is talking about a thing in 1937 (1937). Nanjing Massacre is a performed year exactly. The time when China was invaded aggressively.
An affair at Hokushi? That a flight corps of clothes (spying) was cut with a Japanese sword, I have that. The Japanese military have just made the doubtful person spying, it had been also executed that there is also no enough evidence.
If it's Chinese general citizen, this also seems. I make them sit down, and would cut off head. Much China has died of such method.
The person a captain cut can suspect of spying in the same way, too, and it would be caught. It wasn't written conversantly here, but I didn't fight against a flight corps of clothes by a Japanese sword!
I make a caught informer sit down, and they seem to have cut it. One of leather of a neck, please leave it for me.
Such view was performed at Chinese all part the Japanese military were invading. A too cruel thing. There was a person who can't be able to cut 100 people with a Japanese sword, but that it was a cut as much as stopped appointment made a nonresistant prisoner and general citizen sit down, and was fact, and most cut a lot of people, and was also introduced to a local paper as a hero. The person who would like to know conversantly read " "one hundred murderer competition" and the Nankin massacre" (Tokushi Kasahara work: Otsuki bookstore) by all means, please! !, (Nob)
● Nanjing Massacre "Of this fact.... " (The "Nanjing Massacre" survivor testimony collection: The 侵華日軍南京大屠殺遇難 brother period sense house/volume Makoto Kato/translations) (issue: Stoke sells it: Nebula company and fixed price 2000+ tax) Furious personal slaughter of 2 and the Japanese military Damage of my father and mother Testimony of Mamiyo blessings (54 years old for a man) When Japanese military occupied Nanjin, I was 7 years old finally, but a house was near the Chinese gate, and my father was managing a store of a corning duck. Houses are 6 at that time, my father, 38 years old and my mother, 30 years old and my elder sister, 9 years old and my younger sister, 4 years old and my younger brothers were 1 year old and I finally. To take refuge, I escaped to grandmother's house of a mother's side of 沙洲 by the whole family and went.
A Japanese soldier had come in the afternoon of the day Akira reels, so 780 people of a village were escaping to the hollow where it's about 1 ri away from the house and hid. As soon as he entered a village, a Japanese soldier set fire to and baked a house. Everyone couldn't go home after it became dark, and I dug 1 hole in the middle of the hollow over the evening, and covered the top with a wooden branch. Around 10 o'clock a.m. on the 3rd, a Japanese soldier has begun to find that a person hides in a hollow, surround a hollow and shoot. Then about 50 people still hid in a hollow, if my grandfather worried about grandmother's safety, took risks and ran to a way to the shed as soon as a report of a gun sounded because my grandmother and 2 uncles hid in a tumble-down house according to another, I was seen by the Japanese military, ate a blow and was floored in the place. (Following tomorrow) ※ Did the Japanese military know that it's a villager and isn't a soldier to hide in a hollow and fire a gun? There was also a lot of killing of general citizen by the Japanese military. (Knob)

● 9 articles of constitution "Imagine9" [It's published jointly.] lay Try imagining.

The world over which 9 articles spread.


Imagine.

A world filled with Article 9.

9 articles of constitution isn't a one of "country" called Japan. The "people" who live in Japan in other words everyone are oneself's. And that, for Japan people, as well as, it's important for all human races. (The United States/man) Beethoven's symphony No. 9 article [renunciation of war, armaments and denial of right of belligerency] 1 Japan people crave the justice and the international peace which makes the order the basis sincerely, and use of intimidation by a movement barrel war of power of the state and the force or the force gives this up forever as the means to settle an international dispute.

2 To achieve a goal of the preceding clause, the fighting power of the land, sea and air forces and other things doesn't maintain this. National right of belligerency doesn't admit this.

Please click a tag of "diary of a knob"! !


!!「把手的日记」的标记请单击

「太阳旗」·「君之代」反对(面)!!

新的日本!!

向「从世袭的天皇制被选的做总统制!」

(问昭和天皇的战争责任。)

●「面向外国的记者们采用证据资料说的话,他们几乎决定,为何日本政府不认为那个野蛮行为是731部队的存在,向笔者质询。对笔者自己来说的疑问也有那个,不过,是多的情况,象下面一样地回答了。战败紧接之后,用日美联合731部队隐藏进行了的事是最大的原因。根据那个日本,能从历史表面舞台放下人体实验和生物兵器使用的事实。另一方面美国,能独占由于在石井的网络的人体实验的数据。这个日美的密约1986年失败了的事用第一章叙述了,不过,恐怕即使没有密约,日本虽然是遗憾也打算遮住但是石井机关的野蛮行为吧。尽管如此日美的密约,能说完成了由于美国这个共犯者使之占便宜的事,在犯罪隐藏中减轻日本的精神的负担这样的作用。
 在日本的战争犯罪隐藏中,有成为了为了精神的负担减轻的大的支柱的再1个存在。那是昭和天皇的存在。用笔者到现在为止相会听了话,石井的网络研究的医学者们异口同声说的,是「天皇的名誉」的言词。他们的心情中的逻辑,石井的网络的研究人员们为了因为天皇,或是国家进行着科学研究。因此自己正当化「因为天皇」「因为国家」,实行了要是本来绝对不进行的野蛮行为。总之他们,使之理解着自己「为了天皇进行了野蛮行为」。所以,天皇,叙说国家没承认的自己的犯罪的事,应该损害政府的名誉的。
 为了保护国家,并且天皇,日本战败紧接之后的日美的密约紧紧抱住。作为那个结果,在这个日本,石井的网络去了的人体实验和生物战的牺牲者的发掘调查和补偿什么都没被做。恐怕这个,日本这个国家有,来自(源于)1个坚固的构造。那,基本性地个人是自国家位于后面,绝对不对等的这样的构造。那个结果,对由于和平条约等除了以外的国家的赔偿去,对个人也不补偿这样的态度被取的。为此,作为国家过去的犯罪的事实,同时不能承认关于那个的责任的。这个讨论的顺序说不定逆。即,据说说不定不想承认责任犯罪,不把个人作为对方。
 从开始考虑这样的事的,近来的战时补偿问题毫不前进这样的现实。····
」(比『731部队』的"战后日本"常石敬一著:讲谈社现代新书:1995年)
※天皇由于太国体护执著于保持以至于,在马上要日本的战败的时候,推迟停战。为此,在日本国内,开始原子弹,并且拿出来了被空袭把许多死者。
 另外,昭和天皇战后跟司令官占领军的最高麦克阿瑟做生意,决定保持国体(天皇制)上绞尽脑汁了。
 作为战前/战时和大元帅君临本大日帝国,并且东条开始战争责任全部,并且正指挥战争的最高负责人在战败的同时在军事当局逼迫。
 在731部队,有几个的皇族也来来去去,并且实际有了正和731有关系的皇族。东条也搬运脚,并且大元帅昭和天皇的耳朵也应该正容纳对731的信息。刚一苏联在马上要为此,战败的时候参战就军事当局/天皇很快策划证明湮灭,并且把731部队到日本还掉了。这个当战犯暴露的时候也是因为结果是∶那个责任也被问天皇。
 731部队干部和美国订立密约,并且把被在731与731部的队员的战犯免除责任相交换地得到了的研究成果卖给了美国。其结果不被在东京判决拿起,并且国民也没长时间知道731的事情。
 密约的存在在1986年破产了,但是据说当日本政府没正据经常石头先生说承认存在和731的野蛮行为的时候。(1995年当时)我不懂现在的政府的见解。(不过在现在询问里)

 为这个也保持天皇制。(把手)

●与731部队是怎样的部队?查阅原731部队员的坦白记。我越定男著(原关东军第731部队第3部分本部付运输班组成员)想『太阳旗红在眼泪(是没有)』想查阅所说的(发行所:教育史料出版会)的书一下。

 越定男(腰·Sadao)···1918年3月长野市生。
1934年毕业工业高中机器科。1939年传到满洲,第642部队入队。1941年第731部队(石井部队)入队。运输班等工作以细菌班为首以后4年。根据1945年8月战败撤回,9月到达长野。一边遮住作为战后第731部队员的经历度过苦难的每天,达到现在一边。

●我们日本人,想谦虚应该读南京大虐杀的「···这个事实」。
更日本人想是用南京发生着怎样的事的需要知道。
现在多的受害者的各位对PTSD也烦恼!!


●731部队

『太阳旗红在眼泪』(越定男著:教育史料出版会)

是不是有Ⅴ朝
日敲竹杠的 生物解剖(赤
泽证言)最初里面解剖没很苦,饭很好地也通过喉咙,不过,能除得开这个也是是工作,是命运,任务。对过几天,变成没有心情持久性「今天也解剖吗」的,不在乎拼命地变得磨刀。
 在解剖中,最心情坏的,怎样的理由不明白,不过,从坟地取出腐烂尸体,是使之解剖。动手术刀的话,一齐肉好象裂开,臭味由于又严重的东西,对1周左右吃饭癞蛤蟆一起不能。
 那个夜晚我,是1栋值宿员。与偶然是3栋值宿员的五味这个技术员一起或者是说过话。那时五味技术员,以暗「今天实验失败了的」目光嘟哝了。第二天早晨,五味技术员急忙被隔离,白天(中午)死了。他,是在鼠疫菌制造的班,做着工作的。那是肺鼠疫的感染。
 听说那个事,我正是那个打寒战做,2,3日气不是气。护理了五味技术员的护士相继发生也死亡了。
 同时,我想是昭和12年的事。北支关于任务需要的时候,抓住过便服队(间谍)。命令了大村大尉这个直属的上司,头跳跃向(到)我。我,向(以)军刀教育着流传到南信浓的家的古刀,不过,那个「筒井越中守辉政出家人法充」剪掉了头。象鲜血喷出提高2米,落入了前的头10日左右呼吸一样地颤动使之有了口。
 我想也需要恶心,膝震动,坐下不动了。有练人这个头衔的大尉「那样的终结方面不好吃。丢掉头不去。剩下喉咙的皮。说看着」的话,突然腰的刀使之一闪,去了另外的便意队。大尉说的那样,留下咽喉的皮1个头猛然垂下了。我冷静,沉着漂亮的大尉的娴熟敬佩,畏惧如何,我还没成为切真正的军人很强地反省了。(接着明天)

※赤泽先生,关于生物解剖积极没谈,不过,几乎象每天一样地搞解剖,制作了标本吧。好象习惯的话,过分要是气丢失了。
 到(连)腐烂尸体的解剖做是惊恐!!是用解剖错误有重做什么的吗?
 同时,这里日本人患鼠疫也死了。听说着731由于实验的错误这样的事多发了。
 最后的证言,好象实在731入队之前的事的!!
 我的博客时常有投稿,不过,尤其「日本刀没有那么人斩re」的问题多。  这里的证言讲述着昭和12年(1937年)的事。是正好南京大虐杀进行了的年。是积极地侵略了中国的时期。
 在北支的事情吗?有用日本刀切了便服队(间谍)。日军为间谍缝纫可疑的人也没有充分的证据的处刑。
 一般认为这个,也是中国的普通市民。使之坐,切了头吧。用这样的做法多的中国死了。
 是大尉切了的人,象也能同样一样地赋予间谍的嫌疑的被捉住的吧。在这里没详细地被写,不过,与便服队用日本刀不是作战了的!
 好象让被捉住的间谍坐,切了。请留下头的皮一张(件)。
 在这样的景象日军侵略了的中国各地进行。是过分凄惨的事。 日本刀100人有斩reko没有这样的人,不过,大部分不抵抗的是让俘虏和普通市民坐切了的安设是东西切事实,切很多的人,在地方报纸里(上)作为英雄被介绍也做着。请无论如何想详细地知道的一方,『『一百刽子手竞赛」南京事件』(笠原十九衙门著:大月书店)试着读!!(把手)

●南京大虐杀

「····这个事实」

(「南京大虐杀」生存者证言集:侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念头馆/编辑加藤实/译)(发行:Stoke,发售:星云公司,定价2000+税)

2,日军的狂暴的个人的虐杀

父亲和母亲的受害

马明福(男人,54岁的
)证言日本的军队占领了南京的时候,我终于是7岁,不过,家在中华门附近,父亲经营着盐腌鸭子的店。那个时候家是6人,父亲38岁,母亲30岁,姐姐9岁,妹妹4岁,弟弟终于1岁,而且是我。对避难,在合家到沙州的外婆的家逃跑了。
 因为翌日的下午日本兵来了,村的人7,80人从家到相隔了1里多的洼坑地逃跑隐藏了。日本兵一进入村,放出火就烧了家。变得暗之后,也不能返回到大家家,那个夜晚内在洼坑地正中挖1个孔,用树枝盖住了上面。第3日的上午10点左右,日本兵发现人隐藏在洼坑地,包围洼坑地,开始射击。那时还隐藏50人多在洼坑地,不过,为了祖母和叔父2人再隐藏1个在另外的肋骨铺,如果枪声回响,祖父担心祖母的安全,冒着危险跑了去到小房,被日军看,吃一击在地被打倒了。(接着明天)

 ※日军,是明白隐藏在洼坑地是村民,不是士兵的事开枪的吗?由于日军的普通市民的杀害也多。(把手)


●宪法9条

「Imagine9」【联合出版】

想象ran,

9条普及了的世界。


Imagine,

A world filled

with Article 9.

宪法9条,不是所说的日本的「国家」的东西。住在日本的「人bi」,总之是诸位自己的东西。并且那个,对日本国民来说只是没有,对全部的人类来说重要。(美国/男性)





第九条【战争放弃,军备及交战权的否认】

1日本国民,与正义诚实希求秩序作为基调的国际和平,与国家权力的作为发动的战争,由于武力的威吓又武力的使用,作为解决国际纠纷的手段,永久放弃这个。

为了达到2前项的目的,陆海空军及其他的作战能力,不保持这个。国家的交战权,不认可这个。

!!「把手的日记」的标记请单击





「노브의 일기」의 태그를 클릭 부탁합니다!!

「일장기」·「 기미가요」반대!!

새로운 일본!!

「세습의 천황제로부터 뽑혀 대통령제에! 」

(쇼와(昭和) 천황의 전쟁 책임을 묻는다. )

● 「외국의 저널리스트들을 향해서 증거자료를 이용해서 이야기하면, 그들은 대부분 확정되고, 왜 일본정부는 731부대의 존재로 그 만행을 인정하지 않는 것인가,라고 필자에게 질문해 온다. 그것은 필자자신에 있어서의 의문이기도 하지만, 많은 경우, 다음과 같이 대답해 왔다. 패전 직후, 일미합동으로 731부대숨김이 행하여 진 것이 최대의 원인인,이라고. 그것에 의해서 일본은, 인체 실험이나 생물병기사용의 사실을 역사의 겉면무대로부터 내릴 수 있었다. 다른쪽(타면) 미국은, 이시이(石井)의 네트워크에서의 인체 실험에 의한 데이타를 독점할 수 있었다. 이 일미의 밀약이 1986년에는 파탄한 것은 제1장에서 말했지만, 아마 밀약이 없어도, 일본은 유감스럽지만 이시이(石井) 기관의 만행을 감추자로 했을 것이다. 그래도 일미의 밀약은, 미국이라고 하는 공범자 이득을 보게 하는 것으로, 범죄숨김을 닮아 두어서 일본의 정신적 부담을 경감한다고 말하는 역할을 다했다고 말할 수 있자.
 일본의 전쟁 범죄숨김에 있어서, 정신적 부담 경감을 위한 큰 지주가 된 또 하나의 존재가 있다. 그것은 쇼와(昭和) 천황의 존재다. 필자가 지금까지를 만나서 이야기를 들어 온, 이시이(石井)의 네트워크로 연구하고 있었던 의학자들이 이구동성에 말한 것이, 「천황의 명예」라고 하는 말이었다. 그들의 기분 안(속)의 논리에서는, 이시이(石井)의 네트워크의 연구자들은 천황 때문에,혹은 나라를 위해서 과학연구를 가고 있었다. 그러므로 본래라면 결단코 행하지 않는 만행을, 스스로에 「천황 때문에」 「나라 때문에」라고 정당화하고, 실행했다. 즉 그들은, 「천황을 위해서 만행을 갔다」라고 자기자신을 납득시켜 있었다. 그러므로, 천황이, 나라가 인정하지 않고 있는 자기의 범죄를 이야기하는 것은, 조정의 명예를 훼손하게 되는 셈이다.
 나라를,그리고 천황을 지키기 위해서, 일본은 패전 직후의 일미의 밀약에 달라 붙어 왔다. 그 결과로서, 이 일본에서는, 이시이(石井)의 네트워크가 간 인체 실험이나 생물전의 희생자의 발굴 조사나 보상은 아무 것도 되지 않고 있다. 아마 이것은, 일본이라고 하는 나라가 가지는, 1개가 강고한 구조로부터 온다. 그것은, 기본적으로 개인은 국가에서 하위에 위치하는, 결단코 대등하지 않다고 하는 구조다. 그 결과, 평화조약등에 의한 것 외(타)의 국가에의 배상은 가도, 개인에 대하여 보상하지 않는다라고 하는 태도가 잡아지게 된다. 그 것을 위하여는, 나라로서 과거의 범죄의 사실을,또 그것에관하여서 책임을 인정하는 셈이게는 가지 않은 것이다. 혹은, 이 이론의 순서는 반대일지도 모른다. 다시 말해, 범죄를, 책임을 인정하고 싶지 않기 때문에, 개인을 상대로 하지 않는다라고 하는 것일지도 모른다.
 이런 것을 생각하기 시작한 것은, 작금의 전시 보상 문제가 조금도 진행하지 않는다라고 하는 현실로다. ·…」 (『731부대』의 “전후 일본”보다 쓰네이시(常石) 게이이치(敬一) 저:고단샤(講談社) 현대신서(신간서적):1995년)

※ 일본의 패전 직전, 천황은 국체 수호에 집착 한 나머지, 정전을 늦추어 버렸다. 그 때문에, 일본내에서는, 원폭을 시작해 공습등에 의해서 많은 사망자를 냈다.
 또, 전후 쇼와 천황은, 점령군의 최고 사령관 막카서와 거래하고, 국체(천황제)를 유지하는 것에 부심 했다.
 전쟁 전·전시중과 오모토수로서 대일본 제국에 군림해, 전쟁을 지휘하고 있던 최고 책임자는, 패전과 동시에, 전쟁 책임을 모두 토우죠 초군부에 꽉 눌러 버렸다.
 731 부대에도 몇명의 황족이 왕래해, 실제 731과 관계되고 있던 황족도 있었다. 토우죠도 발길을 옮겨, 오모토수쇼와 천황의 귀에도 731에 대한 정보는 들어가 있었을 것이다. 그러므로, 패전 직전, 소련이 참전하자 마자, 군부·천황은 재빨리 증거 인멸을 도모해, 731 부대를 일본에 되돌렸다. 이것도 전쟁 범죄가 발각되면, 천황에도 그 책임이 추궁 당하게 되기 때문이다.
 731 부대 간부는 미국과 밀약해, 731 부대원의 전범 면책과 교환에 731으로 얻은 연구 성과를 미국에 매도했다. 그 결과, 도쿄 재판에서는 다루어지지 않고, 국민도 긴 일 731을 몰랐다.
 밀약의 존재는 1986년에 파탄했지만, 일본 정부는 츠네이시씨에 의하면 731의 존재와 만행을 인정하지 않다고 한다. (1995년 현재)현재의 정부의 견해는 나는 모른다. (지금 문의중)

 이것도 천황제를 지키기 위해서. (노브)
●731부대와는 어떤 부대이었던 것일까? 전 (元)731부대원의 고백기를 보아 가자. 고시(越) 사다오(定男) 저(전 (元)간토(關東)군 제731부대 제3부본부부운수 반원) 『일장기는 빨간 눈물 (같은 정도다)에』 (발행소:교육 사료출판회)이라고 하는 책을 보고 싶다고 생각한다.

 고시(越) 사다오(定男)(허리·사다오)… 1918년3월 나가노시(長野市)에 태어난다.
1934년 공업고교 기계과를 졸업. 1939년에 만주에 건너는, 제642부대에 입대. 1941년 제731부대(이시이(石井) 부대)에 입대. 이후 4년간 세균반을 비롯해 운수반등에 근무. 1945년8월 패전에 의해 철수, 9월 나가노(長野)에게 도착한다. 전후 제731부대원으로서의 경력을 숨기면서 고난의 나날을 보내고, 현재에 이른다.

●우리들일본인은, 난징(남경)(Nanjing)대 학살의 「이 사실을…」을 겸손에 읽어야 한다고 생각한다.
난징(남경)(Nanjing)에서 어떤 것이 일어나고 있었던 것일지를 더욱 일본인은 알 필요가 있다고 생각한다.
지금도 많은 피해자의 여러분(여기저기)는 PTSD에 고민하고 있다!!


●731부대

『일장기는 빨간 눈물에』 (고시(越) 사다오(定男) 저:교육 사료출판회)에서

Ⅴ아침 해가 바가지 씌우는 생체해부는 있었는가 (아카자와(赤澤) 증언)최초의 동안은 해부는 괴롭고, 밥도 자주(잘) 목을 넘어가지 않았지만, 이것도 일인, 운명인, 임무라고 나눠 떨어지게 되고 있었다. 일간에, 「오늘도 해부인가」라고 하는 정도인 기분이 되고, 태연하게 부지런히 칼을 닦거나 하게 되었다.
 해부 안(속)에서, 가장 기분이 나빴던 것은, 어떤 이유인가 모르지만, 묘지로부터 부란 사체를 꺼내고, 해부시켜진 것이다. 메스를 넣으면, (와)우르르 고기가 여물어서 터지는 것 같아서, 냄새가 또 대단한 것으로, 1주일정도 식사가 정면으로 할 수 없었던 것이다.
 그 밤 나는, 1동의 숙직이었다. 우연히 3동의 숙직이었던 오미라고 하는 기수와 하나가 되어 이야기를 한 적이 있었다. 그 때 오미기수가, 「오늘은 실험에 실패했다」라고 어두운 눈의 표정(눈길)로 중얼댔다. 다음날 아침, 오미기수는 갑작스럽게 격리되어, 낮에는 죽어버렸다. 그는, 페스트균(plague bacteria) 제조의 반에서, 일을 하고 있었던 것이다. 그것은 폐 페스트의 감염이었다.
 그 것을 듣고, 나는 그것이야말로 소름끼치고, 2,3일 기가 기가 아니었다. 오미기수를 간호한 간호원(간호사)도 잇따라서 사망했다.
 또, 쇼와(昭和)12년이었다라고 생각한다. 중국북부에서 임무에 대해서 있을 때, 평상복대 (스파이)을 잡은 적이 있었다. 오무라(大村) 대위라고 하는 직속의 상관이, 나에게 목을 뛰어 올라라고 명했다. 나는, 남시나노의 집으로 전해지는 옛날칼을 군도에 가르치고 있었지만, 그 「쓰쓰이(筒井) 고시(越)중 모리(守) 데루마사(輝政) 입도(출가)법 마코토(充)」로 해고해 떨어뜨렸다. 선혈이 2미터도 분출해 드리고, 앞에 떨어진 목이 10일정도 호흡하게 입을 흔들흔들 시켰다.
 나는 구역질도 필요로 하고, 무릎이 흔들리고, 주저앉고 싶어졌다. 練사라고 하는 직함을 가지는 대위는 「그러한 한정쪽은 좋지 않다. 목을 떨어뜨려서는 가지 않는다. 목의 가죽(껍질)을 남기는 것이다. 보고 있어라」라고 하면, 갑자기 허리의 칼을 번쩍시켜서, 다른 변의대에 향했다. 대위가 말하는 대로, 목구멍 맨 안쪽의 가죽(껍질) 1개 남겨서 목이 탁(폭삭) 떨어졌다. 나는 냉정, 침착하게 해서 훌륭한 대위의 농간에 탄복하고, 겁내서는 여하, 나는 아직 참된 군인이 끝까지 되지 않고 있으면 강하게 반성한 것이었다. (내일에 이어진다)

※아카자와(赤澤)씨는, 생체해부에 대해서는 적극적으로는 함께 이야기 하지 않고 있지만, 대부분 매일과 같이 해부를 치우고, 표본을 만든 것일 것이다. 익숙해지면, 그다지 기가 안되어져버린 것 같다.
 부란 사체의 해부까지 한다고는 놀람이다!! 무엇인가 해부로 실수가 있어서 다시 한 것인가?
 또, 여기에서도 일본인이 페스트에 걸려서 죽어있다. 731에서는 실험의 실수로 이러한 것이 다발했다고 듣고 있다.
 최후의 증언은, 정말로 731에 입대하기 전인 것 같다!!
 나의 블로그에 때때로 투고가 있지만, 중에서도 「일본도에서는 그렇게인은 斬れ 없다」라고 하는 질문이 많다.   여기의 증언은 쇼와(昭和)12년(1937년)의 것을 말하고 있다. (꼭)정확히 난징(남경)(Nanjing)대 학살이 행하여 진 해다. 중국에 적극적으로 침략한 시기다.
 중국북부에서의 사건인가? 평상복대 (스파이)을 일본도로 잘랐다고 있다. 일본군은 수상한 자를 스파이에게 만들어 충분한 증거도 없는 것 처형하거나 하고 있었다.
 이것도, 중국의 일반시민이다라고 생각된다. 앉히고, 목을 자른 것일 것이다. 이러한 방식으로 많은 중국쪽이 죽어버렸다.
 대위가 자른 자도, 같이 스파이의 혐의가 채워져 붙잡혀 있었던 것일 것이다. 여기에서는 자세하게 씌어져 있지 않지만, 평상복대와 일본도로 싸운 것이 아니다!
 붙잡혀 있는 스파이를 앉히고, 자른 것 같다. 목의 가죽(껍질) 1장 남겨.
 이러한 광경은 일본군이 침략해 간 중국 각지에서 행하여 지고 있었다. 매우 비참한 것이다.  일본도에서는 100명은 斬れっこ 없다고 하는 사람이 있지만, 대부분은 무저항한 포로나 일반시민을 앉혀서 자른 하는 사냥감 잘라이었던 것이 사실이며, 많은 사람을 자르고, 지방지에 영웅으로서 소개되거나도 하고 있었다. 자세하게 알고 싶은 분은, 『『100망나니 경쟁」이라고 난징(남경)(Nanjing) 사건』 (가사하라(笠原)19사(관)저:오쓰키(大月) 서점)을 부디 읽어 보아 주십시오!! (노브)

●난징(남경)(Nanjing)대 학살

「이 사실을 ·…」

(「난징(남경)(Nanjing)대 학살」생존자증언집:侵화일군 난징(남경)(Nanjing)대 도살遇어려움동포기생각관/편 가토(加藤) 미노루(實)/이유(번역)) (발행:스토크(Stoke), 발매:성운사, 정가 2000+세)

2, 일본군이 광포한 개인적 학살

아버지나 어머니의 피해

말명복(남자, 54세)의 증언 일본의 군대가 난징(남경)(Nanjing)을 점령했을 때, 나는 드디어 7세이었습니다만, 집은 중화문의 가까이에서, 아버지가 소금절이 집오리의 가게를 경영하고 있었습니다. 그 때 가는 6사람이, 아버지가 38세, 어머니가 30세, 누나가 9세, 여동생이 4세, 남동생이 드디어 1세, 거기에 나이었습니다. 피난하러, 집안에서 沙주의 외할머니의 집까지 도망쳐 갔습니다.
 이튿날의 오후 일본병이 왔으므로, 마을의 사람 7,80명이 집에서 1리남짓 떨어진 움푹 팬 땅까지 도망쳐 가서 숨겨졌습니다. 일본병은 마을에 들어가자마자, 불을 떼어 놓아서 집을 태웠습니다. 어두워지고나서도, 모두가에게 돌아갈 수 없고, 그 밤의 안에 움푹 팬 땅의 한복판에 구멍을 1개 파내고, 나무가지로 위를 덮었습니다. 3일째의 오전 10시경, 일본병이 움푹 팬 땅에 사람이 숨고 있는 것을 찾고, 움푹 팬 땅을 포위하고, 사격하기 시작했습니다. 그 때 움푹 팬 땅에는 아직 50명남짓 숨고 있었던 것입니다만, 조모와 백부 2명이 또 하나 다른 폐가에 숨겨지고 있었기 때문에, 총성이 울리자마자, 할아버지가 조모의 안전을 걱정하고, 위험을 무릅써서 오두막집쪽에 달려가면, 일본군에 보여져, 일격을 먹어서 땅에 때려 눕혀졌습니다. (내일에 이어진다)

 ※일본군은, 움푹 팬 땅에 숨고 있는 것이 마을사람이며, 병사가 아닌 것을 알고 있어서 발포한 것일까? 일본군에 의한 일반시민의 살해도 많았다. (노브)

●헌법 9조

「Imagine9」 【합동 출판】에서

상상해 보렴,

9조가 널리 퍼진 세계를.


Imagine,

A world filled

with Article 9.

헌법 9조는, 일본이라고 하는 「나라」의 물건이 아닙니다. 일본에 살고 있는 「사람들」, 즉 여러분 자신의 물건입니다. 그리고 그것은, 일본 국민에 있어서뿐만 아니라, 모든 인류에 있어서 중요합니다. (미국/남성)





제구조 【전쟁 포기, 군비 및 교전권의 부인】

하루 본 국민은, 정의와 질서를 기조로 하는 국제평화를 성실에 희구하고, 국권의 발동된 전쟁과, 무력에 의한 위협 또는 무력의 행사는, 국제분쟁을 해결하는 수단으로서는, 영구히 이것을 포기한다.

2전항의 목적을 이루기 위해서, 육해공군기타의 전력은, 이것을 보유하지 않는다. 나라의 교전권은, 이것을 인정하지 않는다.

「노브의 일기」의 태그를 클릭 부탁합니다!!






"Дневник ручка" Спасибо нажмите на Tag! !

"Rising Sun", "национальный гимн" оппозиции! !

Новые Японии! !

"Сэкай выбраны из президентской системе наследственных императора!"

(Спросите войны ответственности императора Сева's.)

● "Когда вы говорите помощью документальных доказательств по отношению к иностранным журналистам, они решили, что, почему бы японскому правительству признать, 731 или присутствия войск и их зверств, но со мной. Это для моих собственных Есть также вопросы, во многих случаях были ответили следующим образом. Сразу после поражения, Соединенные Штаты совместно нести ответственность за до 731, потому что был скрыт единицы, и. Японию, и человек экспериментов возможности тянуть вниз со сцены истории тот факт, что применение биологического оружия. Америку с другой стороны, смогла монополизировать сеть передачи данных в экспериментах человека была сломана Исии. тайного договора Соединенными Штатами в 1986 году Было отмечено, в первой главе, возможно, без тайного соглашения, Япония пыталась скрыть жестокость учреждение будет Исии, к сожалению. тайное соглашение в сенате не менее, она может принести в Соединенных Штатах сообщника, скрытое преступление言EYOU и что сыграло определенную роль в снижении бремени в духе Японии.
Скрытые в военных преступлениях, Японии, стала еще одним из главных опор для уменьшения нагрузки на существование одного психических одна. Это присутствии императора Сева. Слышал, что я когда-либо встречал, но был вынужден говорить в один голос, который изучал медицину сеть Ишии, "честь императора" было слово. Логика в их мнению, сеть научных работников для императора Исии делать научных исследований или для страны. Поэтому не злодеяния никогда не будет верным себе "для императора", "для страны" и оправданным, и казнили. Это означает, что они "пошли на жестокость императора" и должен был убедить самого себя. Итак, император, чтобы сказать, что преступники не позволит их стране, оно оскорбляет императора.
Стране, защитить императора и Япония уже спрашивал тайный договор Соединенных Штатов после войны. В результате, в Японии раскопок и компенсации жертвам биологической войны и человеческие опыты сеть не имеет ничего Исии. Возможно, это страна с Японией, одного представителя от одного монолитную структуру. Это в основном расположены в отдельных лиц из суб-национальные структуры, которая никогда не на равных основаниях. В результате, компенсации и для других стран мира с договорами, и т.д. Мы также будут приняты без компенсации индивидуальный подход. Чтобы сделать это, факты прошлых преступлений, как нация, не может нести ответственность за это, но этого не делает. Кроме того, эта теория в обратном порядке. Иными словами, преступление, из-за нежелания брать на себя ответственность, которая может быть человек, который этого не делает.
Я начал думать, что это получили исходить из реальности военных вопросов сегодняшнего компенсации. "
(731 『войск" в послевоенной Японии "по Keiichi Tsuneishi от: Kodansha Гендай: 1995)

※ незадолго до поражения Японии, император многое придерживаться защищать национальные политикой, была задержана за прекращением огня. Таким образом, в Японии, и в том числе в результате взрыва бомбы, убив много.
Война является работа с Макартур Верховный главнокомандующий оккупационными силами пытается сохранить императора.
Маршал во время войны, как император Японской империи и был главным в команде войны, в то время как поражение, военные ввели на себя всю ответственность войны Touzyou Hazime.
И 731 посещений в некоторых из императорского войска, царская семья была фактически участвует в 731. Тодзио проводить пешком, 731 информация о император Хирохито маршала должны были обнаружить. Таким образом, как только последняя война победить Советский Союз, содействия уничтожению доказательств быстрее бежал. Военные преступления и будет пойман снова, от его ответственности будут для императора. Тайный сговор с Соединенными Штатами после войны 731 человека прежде, чем проблема не была раскрыта. Существование тайных пакт был нарушен в 1986 году, по данным правительства Японии подтвердил существование 731 Tsuneishi и жестокости. (Перепись 1995). Текущая позиция правительства, я не знаю. (Я не в ходе расследования)
Это также, чтобы защитить императора. (Кнопка)

● 731 войска и войска или то, что будет? Давайте посмотрим на историю из 731 бывших признаться солдат. По Садао Вьетнам (статья 731 Квантунской армии силами трех бывших членов группы со штаб-квартирой Департамента транспорта) 『泪красный флаг (слезы) в』 (место выдачи: исторические публикации Комитета по образованию), и я хочу видеть говорится в книге.

Садао Вьетнам (это ваша поэма), 1918, 3, родился в городе Нагано.
Промышленное оборудование г. окончила среднюю школу 1934. Маньчжурии в 1939 году в течение года, вступил в силу 642. 1941 Первые 731 Годы войск (сил Исии) Регистрация. Проработав четыре экипажа, в том числе бактериальной транспорту и года группа. Пн 1945 спасенные от поражения, добраться до Нагано 9. Первый день судебного разбирательства после войны, скрываясь 731 кадровых военнослужащих отправлены к людям, до настоящего времени.

● японского народа, резни в Нанкине, "это факт", я думаю, вам следует прочитать смирение.
Больше японских или, что происходит в Нанкине, я думаю, вы должны знать.
Сколько жертв еще люди, которые страдают от посттравматического стрессового расстройства! !


● 731 единицы

Красный флаг泪『』 (по Садао Вьетнаме: исторические публикации Комитета по образованию) из

Ⅴ Нобору Асахи
Что вивисекция (свидетельство Аказава)
Анатомия больно сначала рис, часто проводят до горла, они работают, тоже судьба, говорит, что его миссия заключается такой делимый. Со временем ", или сегодня Анатомия" и ощущение, что многое было точить меч Гости хладнокровно.
В анатомии, наиболее плохие чувства, я не знаю ни одной причины, удалить разложившийся труп с кладбища, и это было сделано вскрытие. И положил нож в мясо Popping Dotto, который также запах большое, что может быть одно достойное питание в неделю.
В ту ночь я был одним из здания на ночное дежурство. Существовали три этажа, что оказался помощником инженера в здании, которое было Гоми на ночное дежурство. Помощник инженера в то время Гоми "Я не выдержал тест на сегодня", пробормотал в темноте глаза. На следующее утро, помощник инженера бросились Гоми изолирован, ночью умер. Он является производство команде палочка Yersinia, которая работает. Она была заражена с легочной чумой.
Услышать об этом, я ужаснулся, что это было два или три дня чувство слишком хорошо.相Цуй также умер в уходе за медсестрой помощник инженера Гоми.
Кроме того, что 1937 год был годом я думаю. Уставный а на станцию на севере,便衣队(Spy) должны были быть приняты. Омура отчитаться перед своим начальством, что капитан приказал мне Hanero шею. Я была в корне зуба в сабля古刀Minamishinano переданы в доме, "Вырезать Священник Закон Мицуру Мори Terumasa Цуцуи Nakakoshi" OFF шею. Свежая кровь喷Ги上Ge 2 метра, глава 10, прежде чем он упал прямо в рот, чтобы дышать откровенных около одного дня.
Я Симо Вы тошнота, дрожали колени, было座Ри込Mitaku. Капитан с названием профессиональных练"плохих людей от подобного. Это шеи вниз, тоже. Но оставить на коже горла. Попробуйте меня" и сказал, пусть меч一闪Yaniwani бедро, другая команда порядке пошел. Скорее, как капитан, один минус горле под кожу шеи, оставив с одного рывка. Я был спокоен и восхищение в ослепительно ловкость рук в осаждение капитан, и равнодушным глубине души, что я сожалею, что не была достаточно сильна еще стать настоящим солдатом. (Продолжение завтра)

Г-н ※ Аказава это вивисекция около активно не говорю, как почти каждый день, чтобы сделать вскрытие, образец будет сделано. И привыкнуть, кажется, действительно помощь, если она исчезла.
Анатомия разлагающихся трупов и дать ему сюрприз! ! Есть ли ошибки в анатомии Яри-то直Сити?
Кроме того, японские люди умирали от чумы здесь, тоже. Я слышал, что 731 таких нападений, что ошибка в эксперименте.
Последний свидетель, а 731 кажется многое, прежде чем он вступил в систему! !
Когда люди в моем блоге, особенно "Японский меч не так уж много людей斩Re" Многие просили. Вот свидетельство 1937 года идет речь. Nanjing Massacre которая состоялась всего через год. Настало время агрессивную вторглись в Китай.
То, что произошло на севере платят?便衣队(Spyware)斩TTA с мечом в Японии. Японской армии не было казней или достаточных доказательств шпиона, который вызывает сомнения.
Это также, как представляется, китайские граждане. Садись, будет斩TTA шею. В Китае было много людей погибло таким образом.
斩TTA также с капитаном, если бы мы поймали человек, обвиняемый в шпионаже. Это не записано в деталях, в便衣队и Япония не воевала с мечом!
Сядьте был пойман шпионаже кажется斩TTA. Оставьте кожу шеи кусок.
Эти сцены ставились по всей китайские войска начали вторжение в Японию. Не слишком ли жесток. Японский меч является то, что есть 100 человек, которые называются Ко无я斩Re Тсу, наиболее меча также верно, что он был самым младшим ребенком сидеть斩TTA и сопротивлении заключенных и гражданских лиц, и斩Tsu много людей, была введена в качестве героя даже в местных газетах. Если вы хотите более подробную информацию см. в 100 человек Racing, меч ", и в Нанкине Инцидент』 (90 Такаши Касахара:大月书店) Зехи нравиться читать! ! (Кнопка)

● Nanjing Massacre

"Это факт"

( "Нанкин резня" Survivor Отзыв: мемориального зала трудновоспламеняющимися рассматриваться сослуживцев убил Нанкин ВС侵华/ Katou Макото Хен / перевод) (издано: Сток, дата: 'S туманности, цена 2000 + НДС)

2, японские войска уничтожили отдельные изгои

Жертва матери и отца

Ма Фу Минь (мужчина, 54 года) показаний
Когда японские войска оккупировали Нанкин, мне едва исполнилось семь лет, дом у ворот Чайнатаун, магазин был запущен отцом соленая утка. В это время шесть человек домой, 38-летний отец, 30-летняя мать, 9-летнюю сестру, 4-летнюю сестру, едва одну-летнего брата, я это сделал. Жилье, бежать я пошел к дому дома его бабушки в Ша Чжоу圩.
Японские солдаты пришли вчера таким明курить日, 7,80 из дома в деревне людей покинуть низколежащие隠Remashita захочет оставить больше, чем RI. Японские солдаты вошли в деревню и,焼Kimashita пожара в одиночку. Даже после наступления темноты, все帰Renaku дома, дыры в середине ночи в одной низменной трудность протирая ветви деревьев на Ooimashita. Около 10:00 утра на третий день, найти людей, прячущихся в низменной исследование японских солдат, окружили район и депрессии, и начал стрелять. Полые области 50 В то время я был еще скрывается человек, в том числе его бабушки и дяди и двух других человек были скрываться в течение еще двух хижин, и звуки выстрелов, и беспокоиться о безопасности своей бабушки, дедушки, Я пошел работать на дому в опасности, был найден в японской армии, был свергнут в результате поспешных землю ударом. (Продолжение завтра)

※ японской армии, и даже жители прячутся в полые области в солдаты открыли огонь, иначе они не будут знать, что? Было много гражданских лиц, убитых японскими войсками. (Кнопка)

● Конституция, статья 9

"Imagine9" [больше] Совместная публикация

Представьте себе,

Статья 9 Yukiwatatta мира.


Представьте себе,

Мир заполнен

со статьей 9.

9 Конституции гласит, что Япония "страна" не предназначен. Жизнь в Японии "народ", то есть, что вы владеете. И это не только для народа Японии, является важной для всего человечества. (США / мужчины)





[Войной отказе от статьи 9, а также лишение права воюющей оружия]

Япония является одной нации, стремящейся уважением к международному миру, справедливости и порядка речь,発动Тара войны и суверенитета, угроза силой или применение силы с использованием вооруженной силы как средства разрешения международных споров является постоянное отказаться от этого делать.

Для достижения целей пункта 2, вооруженных сил и других войск не будет сохранен. Право на ведение государством войны не признается.

"Дневник ручка" Спасибо нажмите на Tag! !

























フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中