ノブの雑感のタグをクリックしてください!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
5、細菌兵器を実戦に
大規模な細菌戦実施は、731部隊の細菌の研究と生産の目的である。1939年、731部隊はノモンハン戦争で細菌兵器を使用し、その後、1940年に浙江省(せっこうしょう)の寧波地域、1941年に湖南の常徳地域、1942年には浙贛鉄道沿線など地域にて、日本軍の侵攻戦に呼応して細菌攻撃を行い、多くの罪無き庶民に被害を与えた。その他、南京1644部隊(細菌戦部隊)の協力の下に、日本軍華北方面軍第12軍は1943年の8月から10月にかけて山東省西部衛河流域で「方面軍第12軍18秋魯西作戦」と呼ばれる細菌戦を実施した。第二次世界大戦終了後、この細菌戦に参加した当時日本軍第12軍軍医部長だった川島清を含む多くの戦争捕虜の自白と中国側の計算によれば、魯西の聊城、臨清を含む18の県だけで少なくとも20万人がこの細菌戦で惨死している。これら細菌戦に参加し、なおも生きている一部者どもは、その罪状を否定しているが、被害地域に健在する被害者たちは弁護士の協力の下に日本政府に訴訟を起こしている。
細菌戦訴訟
●主な細菌戦731部隊による細菌戦 ノモンハン細菌戦 寧波細菌戦 常徳細菌戦 浙贛細菌戦 作戦期間 1939年8月 1940年7月~12月 1941年11月 1942年7月~8月 作戦地点 ノモンハン 杭州ー寧波(にんぽー) 南昌 杭州金華 参加人数 200人 100人 40~50人 160人 現場指揮官 石井四郎大佐 石井四郎大佐 太田澄大佐 石井四郎少将 碇常重大佐 太田澄大佐 碇常重大佐 村上隆中佐 使用細菌 腸チフス菌 ペスト菌 ペスト菌 ペスト菌、腸チフス菌 腸チフス菌 パラチフス菌、コレラ菌 コレラ菌 炭疽菌 投与法 河に投入 高空投下 高空投下 高空投下 731部隊は遠征隊を常に派遣し、各部隊に協力し侵略戦争に参加していた。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
朱錫生(男、74歳)の証言
私の生まれた家は安徽省(あんきしょう)の寿県で、ちょうど満1歳の時に母が死にました。民国20年くらいかに、生家では生活していけなくて、父が私を連れて南京にやって来たのですが、父は天秤棒で大きなかごを担いで廃品を回収したり、その廃品を売ったりし、私はそれについて歩いてくずやぼろを集め、何とか暮らしを立てていました。
民国26年(1937年)には、私は22歳でした。日本兵が南京を攻めに来て、陰暦の冬月11日に入って来たのでした。入ってくる前に、私は父と一緒に難民所に行きましたが、そこはそのころ福音堂と呼ばれた所で、今の19中学です。何日もしないある日の午後4時くらいでしたか、日本兵が人を捕まえにやって来たので、私は病気の振りをして地べたに横たわり、布団をかぶっていて、難民所の証明の紙を取り出して見せましたが、日本兵は見もしないで破り捨てました。私を入れて3人捕まりましたが、他の2人は知らない人でした。捕まってから、日本兵は私たち3人を河岸の方へ連れて行き、河岸まで来た時に、その2人は日本兵に刀で斬り殺されました。1人の日本兵が私を斬ろうとするので、私は家に80過ぎの年寄りがいて私に頼って生きているので・・・などと哀願したのですが、聞いてもわからないと思い、手まねを加えて、老人のひげが長くて長くて、などとやったりしたのです。そこへ、不意に又3人日本兵がやって来て、まだ私にははっきりとは見えない内に、その内の1人に後ろから刀で首の後ろを斬り付けられ、ばったり地に倒れました。その時そうだと思い付き、着ていたのが破れたオーバーだったので、歯でしっかり衿をかんだまま、息が口から漏れないようにし、既に斬り殺された振りをしました。何分かたって、日本兵が脚で私を何度もけりましたが、死を装ったまま動かないでいたら、「スーラスーラトィ(死了死了的=死んじまえ、しんでしまえ)」と言うのが聞こえ行ってしまいました。それがもう夕方5時くらいになっており、暗くもなって来ていて、痛くてたまらなく、着物が何処も血でべとべとでした。暗くもなり、日本軍の行ってしまったら、すぐに逃げ出してやろうと思いました。(明日に続く)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
武器を使わせない世界
核兵器を全面禁止することこそ必要です。世界のNGOは、「核兵器禁止条約」をつくることを提案しており、国連で交渉を始めることを呼びかけています。
生物・化学兵器は、国際条約ですでに全面禁止されています。もちろん禁止しても、隠れて開発する国や人々が出てくる可能性はあります。その時には国際機関が査察を行い、科学技術を用いて調査し、法に従って解決すべきです。
ノルウェーは2006年、地雷や核兵器といった非人道兵器を製造している企業に対しては、国の石油基金からの投資を止めることを決めました。日本は、「核兵器をつくらない」「もたない」「もちこませない」という「非核三原則」をもっています。
原爆を投下された日本は、「やり返す(報復)」のではなく「この苦しみを誰にも繰り返させたくない。だから核兵器を廃絶しよう」という道を選びました。私たちは、この考え方をさらに強化して、世界に先駆けた行動をとることができるはずです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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731を問う!!
2009年6月20日土曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
2009年6月19日金曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
5、細菌兵器を実戦に
大規模な細菌戦実施は、731部隊の細菌の研究と生産の目的である。1939年、731部隊はノモンハン戦争で細菌兵器を使用し、その後、1940年に浙江省(せっこうしょう)の寧波地域、1941年に湖南の常徳地域、1942年には浙贛鉄道沿線など地域にて、日本軍の侵攻戦に呼応して細菌攻撃を行い、多くの罪無き庶民に被害を与えた。その他、南京1644部隊(細菌戦部隊)の協力の下に、日本軍華北方面軍第12軍は1943年の8月から10月にかけて山東省西部衛河流域で「方面軍第12軍18秋魯西作戦」と呼ばれる細菌戦を実施した。第二次世界大戦終了後、この細菌戦に参加した当時日本軍第12軍軍医部長だった川島清を含む多くの戦争捕虜の自白と中国側の計算によれば、魯西の聊城、臨清を含む18の県だけで少なくとも20万人がこの細菌戦で惨死している。これら細菌戦に参加し、なおも生きている一部者どもは、その罪状を否定しているが、被害地域に健在する被害者たちは弁護士の協力の下に日本政府に訴訟を起こしている。
細菌戦訴訟
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
長江北岸の浦口での集団虐殺
翁錫栄(男、73歳)の証言
1937年は、私は25歳で、家は卸甲甸でした。1937年の12月末から翌年1月にかけてのある日、私は呉修葉や翁錫華など何人もと浦口(旧の江口)の油倉庫まで油を弄(まさぐ)りに行きました。油を弄りに行く道で蒋窪楊荘の楊春華のお父さんとお兄さんにも出くわしました。その日の夜およそ12時頃に、私たち油倉庫に着きました。油をやる人がいっぱいで、私たちすぐにはぐれてしまいました。私が油倉庫の方へ行って、油を弄ろうとした時に、突然日本軍が2人倉庫から出て来ました。私は日本軍に見つかって、ひざまずかせられ、私と同時にひざまずいたのに私の知らない小さい男の子が1人いました。日本軍がすぐに銃剣で私を刺しに来ましたが、初めの2太刀とも私はかわせました。3太刀目を刺して来た時、私は片方の手で銃剣を強くつかんで押し返してやりました。私はその頃力があったので、すぐに立ち上がり逃げてしまいました。その小さな子がどうなったか、後になっても分かりませんでした。そこから遠くない小さな河の北側にあった学校まで走って行ってその傍らに隠れたら、すぐに機関銃の音が聞こえました。学校の近くにしばらく隠れていてから、私は1人で手探り歩き始め、黄橘洲の芦の薪の堆があるところまでずっと手探りで行き、明くる日の朝になってやっと帰ってきたのでして、もうちょっとで私も命を亡くすところでした。帰ってきて何日も眠りずっとご飯を食べられなかったほどに恐かったですが、後になって、楊春華のお父さんもお兄さんも日本軍に撃ち殺され、長江に押し入れられて行ったと、誰かが言っているのを聞きました。(呉大興と章歩錦が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
武器を使わせない世界
世界中の兵器をいっぺんになくすことはできません。それでも人類は、二つの世界大戦を通じて国際法をつくり、残酷で非人道的な兵器の禁止を定めてきました。
たとえば、地雷は、踏むと反応する爆弾で、人を殺さず手や足だけ奪う兵器です。NGOが運動を起こし、カナダ政府と協力して、1997年に「対人地雷全面禁止条約」を実現しました(オタワ条約)。
また『クラスター爆弾」は、爆発すると周辺一帯に大量の「小さい爆弾」が飛び散るようにつくられた爆弾です。あたり一帯に不発弾が残り、地雷と同じ働きをします。クラスター爆弾も全面的に禁止するべきだと、ノルウェー政府とNGOが動き始めています。
広島と長崎に落とされた2発の原爆は、瞬時に20万人の命を奪いました。被爆者たちは、60年以上たった今も、放射能によって健康をむしばまれています。
このような核兵器が、世界に26,000発もあります。その大部分はアメリカとロシアのものです。核保有国は「自分たちの核兵器は許されるが、ほかの国が核兵器をもつのは許さない」と言います。アメリカは自ら核兵器の強化を図っているのに、イランや北朝鮮の核開発には制裁を課し、イラクに対しては「核疑惑」を理由に戦争を始めました。
いわば「タバコをくわえながら『みんなタバコをやめろ』といっているようなもの」(エルバラダイ国際原子力機関事務局長、ノーベル平和賞受賞者)です。自分たちの核はいいのだと大国が言い続けている限り、ほかの国々もそれに続こうとするでしょう。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月18日木曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
4、細菌兵器の研究開発
14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。
3、防疫体系
731部隊は細菌の研究開発と同時に、部隊自身の防疫に十分注意していた。日本の作家森村誠一氏は《悪魔の飽食》で、細菌製造班の隊員は、「まず更衣し、必ず‘入浴’してから職場に出勤した。更衣室で裸になり、白い作業服にガーゼ7~8枚を重ねたマスクをかけ白帽をつけ、ゴム製の前掛けを首から足首上まで当て、ひざ下まであるゴム長靴をはく。ゴムの手袋をはめて特別製のメガネをかけると完全装備になる。この姿で浴場に入るのである。浅い浴槽には石炭酸液が張ってある。消毒液の中をざぶざぶと歩いていくと、浴槽を渡り終えたところで、ひざから下が無菌状態となる。消毒の川であった」と書いている。
濾水車、濾水器、濾水機は野外での細菌作戦のときに、本部隊兵士たちが細菌に感染されることを防ぐための浄水用道具である。また、731部隊は「超音波」によるワクチン生産を研究し、この技術をワクチンの生産作業に応用した。石井四郎は日本の超音波技術の著名専門家渡辺博士を731部隊に呼び寄せ、この技術の研究を強要した。しかし渡辺博士は生物戦争における医学技術の応用に終始反対し、のちに不審な交通事故で死亡している。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
長江北岸の浦口での集団虐殺
張福龍(男、65歳)の証言
(昨日の続き)もうじき私の番になる、という時に、どうせ死ぬに決まっているのなら、日本兵1人を道ずれにしてやる方法を考えねば、と思いました。小高い所まで行った時に、私が左手を伸ばしたら、すぐに日本軍のもう1人に見つかって、たちまち私を刺しにきて、長江に押し落とされてしまいました。私は小さいときから堤防で囲まれた水地帯で育ったので、水には割りに強く、水中で懸命に振り切って逃げようとしたら、間もなく縄が振り切れたので、水にもぐって、急な流れに任せて東へ泳ぎ、およそ7,8分後に、七里洲に泳ぎ着きました。その頃の七里洲は今よりずっと大きくて、今の南京長江大橋の下も洲になっていました。私は七里洲でおよそ2時間余り休んで、浦口埠頭の明かりが消え、銃声が響かなくなってから、又水に入って向こう岸の橘子洲(今の南京鋼鉄廠の近く、今はもう田畑になっている)の方へ泳いで行きました。長江の水は死んだ人の血で真っ赤に染められ、水の面には死人がびっしり隙間なく浮かんで下流へと漂って行くので、私は死んだ人の体のその又上を泳いで行くしかありませんでした。岸に上がった時は東の方がもう白んでいました。橘子洲は至る所死人ばかりで、脚を降ろす処が無く、地面には百近い支柱で支えた芦葦の堆もありましたが、私が十余りずうっと見て行った芦葦の堆の中には、みんな死人がいて、私はある堆の中に潜り込んで死人と一緒に眠るしかありませんでした。その時は疲れたのか、それとも気を失ったのかも分からずに、太陽が今にも山に沈もうとする頃までずうっと眠ってやっと目が覚めたのでした。私は父が岸辺の畠で仮住まいしている所まで走って行き、まだ小屋に入らない内から、父が上の兄に私を連れ出すべきではなかったと責め立てているのが聞こえていたのですが、2人が私を一目見るなり首を抱いて大泣きし出したというのに、私は気を失ってしまって、何も分からなかったのでした。目が覚めたら、既に上の兄が家にいたのです。その時に初めて分かったですが、長江に押し落とされた時にぶつかって歯が4本折れ、首が竹の大駕籠のように腫れ、右腕の中ほどが奥まで刺されていて、傷口のところが水ぶくれし肉までめくれてぐしゃぐしゃになってきていたりし、今になっても傷痕があります。上の兄の家で一ヶ月余りほど休んでから、傷口がだんだん好くなって来ました。
この惨憺たる事件は40年余り経ったのですが、その血の教訓は私たちは終生忘れることができません。青少年たちにも常にこの歴史を話してやって、言うのですが、人が窮すると至る所で侮辱され、国家が窮すると普通の人々が災禍に見舞われます。どうしても今日の幸せな生活を大事にし、奮起一番学習に努め、仕事に励み、「4つの現代化」に貢献しなければなりません。(呉大興と謝興栄が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
おたがいに戦争しないと
約束した世界
地球規模では、世界各国では軍隊を減らす一方、国連に「緊急平和部隊」をつくり、紛争や人権侵害を防止しようという提案がなされています。また、イタリア憲法11条は、日本国憲法9条と同様に「戦争の放棄」をうたっていますが、そこには「国どうしの平和的関係のためには、国の主権が制限される場合もある」と定められています。つまり、国際的なルールや制度によって平和を保つ事が重要であり、「自国を守るため」といって勝手な行動をとることは許されないということです。
グローバル化の時代、人々は国境を越えて行き来し、経済や社会はつながりあっています。安全を自国の軍事力で守ろうとすることよりも、国どうしで約束をつくり、国際的に平和のシステムをつくることの方が、現実的に必要とされてきているのです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月17日水曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
4、細菌兵器の研究開発
14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。
2、細菌の感染ルート
野外実験
731部隊は各種細菌兵器の野外における実践効果を試すため、数多くの野外実験場を置き、主には城子身溝、安達と陶頼昭の野外実験場がある。実験内容は被験者を実験場のそれぞれ異なった場所に固定し、空中あるいは遠い地点から爆弾を放ち、被爆した被験者からの各種効果と反応を観察すること。しかし、多くの実験場で行われたのは細菌兵器の実験だけでなく、通常兵器の実験もあった。例えば、ある地点から100メートル、200メートルと500メートルそれぞれ先に、異なる数の被験者一緒に縛りつけ、発砲して弾丸の人体貫通能力を試した。
第ニ章 症例
第1地域陣地内被験者の症状及びその後の経過
287号
9月7日、黄弾射撃後4時間、全身倦怠、口囲発赤を認め、翌8日、1時ごろより全身倦怠、脱力感を覚え、頚部発赤、顔面浮腫、眼瞼浮腫状、前臍背面部発赤、22時ごろより口囲に粟粒大水疱発生あり。
9日22時ごろより口囲に多数粟粒大乃至米粒大の水泡蔟生。
10日17時発熱37度。肩胛部、頸前胸、腹、四肢、陰嚢一般に発赤し羞明。眼痛、結膜浮腫、角膜混濁、眼脂を認む。鼻汁、咳嗽、咽頭後壁発熱を呈す。
9月11日17時、全身彌漫性発赤、腫脹、陰嚢発赤、疼痛及び鼻汁、嗄声、咳嗽、頸内掻破感を訴える。
9月12日10時、顔面腫脹、疼痛、項部諸所に痂皮を存す。肩胛部発赤、頚部水泡、一部濃泡化。四肢、腹発赤、陰嚢靡爛、陰茎諸所に痂皮に痂皮あり。眼症状も漸次増悪の傾向ありて、眼瞼浮腫、結膜充血著明なり。
12日、水泡内容を無菌的に穿刺吸引し、次の試験に供す。
(1)479号の右上膊部に該液0.2ミリリットルを皮下注射す。12時間と24時間後、観察するになんらの発見しえず、毒力試験は陰性に終わる。
(2)479号の左角膜内に0.1cc注射し、一昼夜にして軽度の罩膜充血並び結膜充血を認むるに2昼夜にして正常となる。
(3)485号、468号、358号、372号計4の左上膊、右上膊に該液0.2の腕の前肘部からこの溶液を0.2ミリリットル皮下注射し、一昼夜観察するに、何等の反応症状を発見するを得ず。
毒力試験は陰性に終わる。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
長江北岸の浦口での集団虐殺
張福龍(男、65歳)の証言
抗戦が始まる前は、家の生活が苦しく、私は父と卵を集めて売ることで、ささやかな商売にし口過ぎしていました。1938年の旧正月が過ぎ何日もしない頃に、父が私に上の兄を探しに潘家営へ行かせ、兄に家を少し助けさせようとしました。兄が「浦口の煤炭港に油の倉庫がある。人がいっぱい油を担ぎに行って売っている。今晩俺たちも行こうや」と言いました。それもいいだろう、力が有るんだから、と思いました。まだそれほど暗くなっていない頃に、私たち桶を天秤で担ぎ、長江辺りの小道に沿って浦口へと急ぎました。
浦口に着いたら、もう真っ暗になっていました。油倉庫の周りは人の波で、あっという間に兄とはぐれてしまい、私は人込みの中をあちこち探しまわりました。2時間余りして、岸辺の方から突然「タッタッタ」という機関銃の音がしてきて、途端に人の群れが蜂の巣を突っつかれた蜂の子のように四方八方へ逃げ走り、ある者は桶すらも構っていられないほどでした。私は走るのは速い方の1人なのですが、日本兵が2,3千人とっくに人の群れをまん丸く取り囲んでいたので、やはり逃げ切れませんでした。日本軍は私を捕まえてから、荒縄でみんなを数珠繋ぎに縛るのに、1本で12,3人ずつ縛って行き、私は右手を縛られました。日本軍は銃を構え、銃剣を着けて、私たちを岸辺の方へ追い立てました。岸辺まで来て、私は1列ずつ人が日本軍に小高い所から長江へと押し落とされているのを見かけました。長江の真ん中に並んだ艦船10何隻かの上の機関銃と、加えて岸の上の機関銃3挺とが、探照燈10何台かの光に照らされながら、水の中でもがいている人の群れを掃射し、機関銃の音と泣き喚く声とが1つとなって、何とも見るに忍びなくさせました。(明日に続く)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
おたがいに戦争しないと
約束した世界
「相手が攻めてくるから、準備しなければならない」
軍隊は、いつもそう言って大きくなってきました。でも、こちらが準備することで、相手はもっと不安に感じ、さらに軍備を増やしていきます。その結果、安全になるどころか、互いに危険がどんどん増えていきます。
このような競争や衝突を避けるため、国々は「お互いに攻めない」という約束を結ぶ事ができます。
とくに、地域の中でこのような取り決めを行っているところは多く、ヨーロッパには「欧州安全保障・協力機構(OSCE)」が、東南アジアには「東南アジア諸国連合(ASEAN)」が、アフリカには「アフリカ聯合(AU)」が地域の平和のための枠組みとして存在します。
日本を取り囲む東北アジア地域には、このような枠組みはありません。朝鮮半島は南と北に分断されており、中国と台湾は軍事的ににらみ合っています。日本では多くの人が「北朝鮮が怖い」と感じていますが、逆に朝鮮半島や中国の人たちの間では「日本の軍事化が怖い」という感情が高まっています。
NGOは、「東北アジア地域に平和メカニズムをつくろう」と提案しています。
その一つのアイデアは、東北アジアに「非核地帯」をつくることです。
日本や韓国、北朝鮮は核を持たないことを誓い、一方でアメリカ、中国、ロシアなどの核保有国はこれらの国に「核による攻撃や脅しをしない」という法的義務を負うような条約をつくるのです。すでにこのような非核地帯条約は南半球のほとんどにできており、最近では中央アジアにもできました。
また、日本とロシアの間で争いになっている「北方領土」周辺に平和地帯をつくるとか、中国と台湾それぞれが軍備を減らし平和交流を増やすといった提案がなされています。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月16日火曜日
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
4、細菌兵器の研究開発
14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。
2、細菌の感染ルート
野外実験
731部隊は各種細菌兵器の野外における実践効果を試すため、数多くの野外実験場を置き、主には城子身溝、安達と陶頼昭の野外実験場がある。実験内容は被験者を実験場のそれぞれ異なった場所に固定し、空中あるいは遠い地点から爆弾を放ち、被爆した被験者からの各種効果と反応を観察すること。しかし、多くの実験場で行われたのは細菌兵器の実験だけでなく、通常兵器の実験もあった。例えば、ある地点から100メートル、200メートルと500メートルそれぞれ先に、異なる数の被験者一緒に縛りつけ、発砲して弾丸の人体貫通能力を試した。
第一章 緒言
昭和15年(1940年)9月7日から昭和15年9月10日に至り、野砲4門(600発)、十榴(10センチ榴弾砲)8門(600発)による黄弾(イペリット弾或いはルイス式毒ガス弾)射撃を実施せり。
第1地域発射弾数は毎ヘクタール100発、総数1800発(野砲に換算す)。射撃時間は40分、15分間射撃後、15分間休、10分間射撃なり。
第2地域に於いては、射撃弾数は毎ヘクタールに200発。総数3200発。
第3地域は発弾数、毎ヘクタール300発、総数4800発なり。被検物は地域内の野砲偽掩体、軽棲息所、観測所、掩蓋MG座監視所、特殊構築物内等に各々配備せり。
第1地域陣地に配置せるものは、皆無帽、満服、下着、上靴を着用せしめ、無装面とす。
第2地域陣地にては、無帽、夏軍衣、袴を着用せしめ、無装面者3名。
第3地域陣地に配備せるものは、夏軍衣、袴を着用せしめ、無装面者2名。装面者3名とす。
黄弾射撃後4時間、12時間、24時間、2日目、3日目或いは5日目に於ける一般症状(精神障害を伴うものを含む)、皮膚症状、眼部、呼吸器、消火器に於ける症状経過を観察せり。尚、水泡内溶液の人体接種試験、血液像並び屎尿検査を実施せり。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
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中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
長江北岸の浦口での集団虐殺
常玉華(女、66歳)の証言
1937年には私の家は葛塘郷の大倪荘でした。私はやっと9歳でしたが、家の生活が苦しいのに迫られ、母(常倪氏)はよく私と3番目の兄(常大富)とを連れて旧の江口(浦口)まで商売をしに行っていました。1937年の12月15日に、私は日本軍が江口のところで中国人を縦(ほしいまま)に虐殺しているのをこの目で見ました。ある日、私達母子3人で江口で小さな商売をしていました。しばらくしたら、遠くから日本兵が何十人かやってくるのが見えたのですが、江口に着くなり人を捕まえたり縛ったりで、その時商売をしていた3番目の兄の常大富が捕まり、連れて行かれてから針金で船着き場にくくりつけられてしまい、兄と同時にくくられたのが30人余りいました。岸の上にも日本兵に針金を鼻に突き通されて縛り付けられている人がたくさんいて、機関銃で掃射され、途端に縛られていた人たち全部が倒れて、船着き場と岸辺とが血で真っ赤に染まりました。次に、日本軍は死体を長江に押し込みました。私と母とは死ぬほどに泣き叫び、母は泣いて泣いて目が見えなくなりました。それからは、私と母の2人は生活していけなくて、故郷の葛塘郷大倪荘へ帰るしかありませんでした。帰ってからも母が泣き過ぎで目が見えなくなったために、私を養っていけなくなり、そこで、その年の末にお金で幼少妻に娶られてしまいました。(章歩錦と呉大興が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
武器をつくったり
売ったりしない世界
世界では今、武器貿易を取り締まるための「武器貿易条約(ATT)」をつくることが提案されています。世界的な市民運動の結果、このような条約をつくろうということが2006年に国連総会で決議され、そのための準備が始まっています。
しかし、世界的には武器をつくること自体、また、武器を売ること自体が禁止されているわけではありません。提案されている条約も、武器貿易を登録制にしようというものであり、武器貿易の全面禁止にはほど遠い内容です。
日本は、憲法9条の下で「武器輸出を原則的に行わない」という立場をとっています(武器輸出三原則)。このような日本の立場は、世界でも珍しい先進的なものです。
しかし、一方で、日本はアメリカと共同でミサイル防衛の兵器開発を進めており、この分野は武器輸出禁止の「例外」として認めています。
ミサイル開発に携わる企業からは、武器輸出を認めるよう求める声が高まっています。「日本は将来、憲法9条をなくして、ハイテク技術を駆使して武器をつくり世界に売り始めるのではないか」と心配する人も増えてきています。
私たちは、武器を輸出する国になるのか、それとも「武器の禁止」を世界に輸出する国になるのか、分かれ道にいます。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月15日月曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
4、細菌兵器の研究開発
14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。
2、細菌の感染ルート
野外実験
731部隊は各種細菌兵器の野外における実践効果を試すため、数多くの野外実験場を置き、主には城子身溝、安達と陶頼昭の野外実験場がある。実験内容は被験者を実験場のそれぞれ異なった場所に固定し、空中あるいは遠い地点から爆弾を放ち、被爆した被験者からの各種効果と反応を観察すること。しかし、多くの実験場で行われたのは細菌兵器の実験だけでなく、通常兵器の実験もあった。例えば、ある地点から100メートル、200メートルと500メートルそれぞれ先に、異なる数の被験者一緒に縛りつけ、発砲して弾丸の人体貫通能力を試した。
●731部隊は各種細菌兵器の効能を試すため、野外で各種「実践演習」を行った。
●731部隊はその「成果」に基づき、随時野外で模擬演習をするため、これらの実験場をいずれも731部隊付近と周辺に置いていた。どのような実験場を作るかは、その実験内容、目的や地理的位置によって決められる。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
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●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
長江北岸の浦口での集団虐殺
謝宝倫(男、66歳)の証言
1937年の、農暦臘月8日から11日までの何日かに、私は村の鄭さんの家の人が3,4人で油を担ぎに浦口へ行くのを見かけました。家は貧しい方だったので、人が油を弄(まさぐ)りに行くのを見て、私も弄(まさぐ)りに行きました。2日目の午後5時頃に、私と鄭兆禄など20人余りとが卸甲甸の芦葦洲まで行って船に乗り菜種油を担ぎに浦口へ行きました。浦口の油倉庫へ行ったら、小さい油タンクはみんなに持って行かれてしまって、残っていたのはどれも大きな桶で持てませんでした。私が行こうとしていた時に、日本軍が油スタンドの上から降りてくるのが見えたので、すぐ逃げて小さい河の西側の土手まで行ったら、日本軍が群衆を囲みこんでいるのが見え、すぐ続いて縄でみんなを一緒に縛り、長江の中の土の盛り上がったところまで追い立てて、銃剣で人々を水の中へ押し入れて行くのが見えました。鄭方氏さんたちが日本軍に長江へ押し落とされて行くのを目撃したのです。鄭方氏さんは日本軍が警備を緩めているすきに、縄をほどいて、土の盛り上がったところに掴まり、一緒に油を担ぎに行った韓兆礼と泳いで家に帰りましたが、ほかのおよそ100人余りは日本軍に機銃掃射されて長江で死んだのです。私は油を弄ること無く、危うく命を落とす危険を冒しただけで、家へ逃げ帰りました。(章歩錦と呉大興が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
武器をつくったり
売ったりしない世界
「武器はどこから来るのでしょうか?
ヨーロッパやアメリカから来るのです。彼らは、武器貿易の達人です。アフリカの私たちは戦う必要も、殺しあう必要もないのです。だから、憲法9条は、アフリカにこそ導入されるべきだと思います。9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ってこさせないようにする事ができます。」
これは、2007年1月にナイロビで開催された「世界社会フォーラム」で、ケニアの青年が語った言葉です。アフリカには、スーダンやソマリアなど、数多くの内戦に苦しんでいます。子どもたちまでもが兵士とさせられ、武器をもたされ、傷つき、多くの民間人が命を落としています。
世界でもっとも多く武器を輸出している国々は、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、オランダ、イギリス、中国といった大国です。これらの国々から、中東、アジア、アフリカ、中南米へと、武器が売られています。紛争で使われる小型武器は、世界中に6億個以上あり、さらに毎年800万個がつくられていると言われています。これらの武器によって、世界で年間50万人の死者が出ていると推定されており、これは「一分で一人」をいう計算になります(「コントロール・アームズ・キャンペーン」による)。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月14日日曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
4、細菌兵器の研究開発
14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。
2、細菌の感染ルート
細菌爆弾の研究開発
●陶器爆弾は731部隊が独創した細菌兵器。その大量生産のため、731部隊は爆弾の外殻製造窯を造った。今は2つが残っている。
●陶器爆弾を装置したのは山口班。外殻ができると、山口班は爆弾の装置を担当する。山口班の地下倉庫では、装置完了のの陶器爆弾を保管していた。
●陶器爆弾は石井四郎が開発した特殊な細菌爆弾である。通常の爆弾は鋼鉄製で、爆発後に高熱を放つ。それに比べて陶器爆弾は陶磁器や珪藻土で作られ、少量の火薬だけで破裂し、高熱も無く、細菌を傷つけないことから、鋼鉄製爆弾の高熱による細菌殺傷がなく、日本軍による細菌戦実施での主な兵器となった。
●『注』:喬世興、男、1925年生まれ。本籍はハルピン市平房区大喬家。1942年1月から1944年12月まで731部隊で労働者として働き、山口班の装置が終わっていない爆弾を目撃。
●兵器班は731部隊第4部に所属していた。菌苗、ワクチンの生産と各種小型細菌兵器の開発を主に担当していた。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
長江北岸の浦口での集団虐殺
唐世杰(男、1925年12月生まれ)の証言
中国侵略日本軍が1937年に南京を占領した時、私はわずか12歳で、家は下関の鮮魚巷83号でした。陥落する前に、私と妹とは父母や祖母と一緒に六合県の大営集まで逃げて行きました。
鮮魚巷83号で、我が家は個人商店と人と一緒の洗濯屋とをしていたので、伯父の唐春山と叔母の夫の高有銘とボイラー焚きの助手1人(男、30過ぎ)とが居残ってやっていました。日本軍が12月13日に南京を攻め落とした時、3人が小舟で長江を渡り、浦口へ行きましたが、一緒に渡った難民がほかに十数人いました。浦口まで逃げたとは言え、危険を脱したわけではなく、何と日本軍に捕まり、3人とも浦鎮東門まで引っ立てられ機関銃で殺害されたのですが、一緒にやられた難民が4,5百人いました。唐春山たちが殺された後、その子の唐寛栄と娘とが浦鎮まで死体を探しに行き、その難に遭った所に墓を建てました。
1937年の終わりに、日本軍が南京を占領した時、母方の祖父の蘇宝臣と蘇宝泉の兄弟2人は、塩倉橋の北祖師庵30号に住んでいて、左官をして暮らしていました。ある日、日本兵が略奪し人を捕まえようと家にやって来て、祖父の蘇宝臣が門を開けた時に、その場で刺し殺され、それから又奥の家に入り込んだ日本兵に蘇宝泉も刺し殺されたのです。2人とも60過ぎでした。
中国侵略日本軍は人を殺し略奪したほかに、至る所で火を着けて燃やしました。日本軍が入って来てから、我が家の鮮魚巷83号のお店と住まいでみんなで15軒あったのを、すべて焼き尽くしました。同時に焼かれたのが我が家の東側の瑞記ガラス店とすごく大きな住まいとでした。(劉相雲が唐世杰の口述を基にして整理)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
軍隊のお金をみんなの暮らし
のために使う世界
世界中の政府は、2000年に、貧困をなくすための一連の目標に合意しました。国連の「ミレニアム開発目標」と呼ばれるもので、2015年までに次のような目標を達成するとしています。
●極端な貧困や飢餓をなくす(1日1ドル以下で暮らす人を半減する)。
●すべての子どもたちが、女の子でも男の子でも差別なく、学校に行けるようにする。
●赤ちゃんが栄養失調で命を落としたり、お母さんが出産時に亡くなってしまうことを防ぐ。
●HIV(エイズ)、マラリアなどの感染症の広がりを止める。
こうした目標を達成するためには、世界的に軍事費を減らし、人々の暮らしや発展のためにお金を回すことが不可欠です。
国連憲章には、「世界各国は軍事費に回すお金や資源を最小限にしなければならない」(第26条)と書かれています。世界のNGO(非政府組織)は、この国連憲章26条を今こそ実行し「軍事を減らして人々の発展に回そう」という運動を始めています。そうした世界の人々の中からは「国連憲章26条と日本国憲法9条は、同じ目標のための双子のようなものだ。ともに発展させよう」という声が上がっているのです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
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