2008年12月31日水曜日

1937年 南京 12月31日

今年このブログを読んでくださっている方に感謝いたします。
このブログに付き合ってくれて有難うございました!!
 良いお年をお迎えください!!
来年もよろしくお願いいたします!



「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
12月31日、アメリカ大使館員アリソンが米砲艦オアフ号に乗って南京の下関(シャーカン)埠頭に到着、大使館業務再開を要請したが、日本軍司令部に拒否された。理由は、中国兵の掃蕩がまだ続いているので、危険であるということだった。
「今日午後2時30分に到着する。岸辺はまるで殺戮場であり、市内のあちこちで小規模な火災が発生しているのが見え、銃声も聞こえる」とアリソンは国務省への電報で報告している。(「アメリカ関係資料編」)。アリソンが目撃した殺戮場の光景こそ、24日以後厳しく行われてきた「兵民分離」の名による中国人成年男子の集団殺戮の現場だった。

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)
12月31日
 今日、うちの難民(男2人)が、外をぶらついていたところを日本兵に連れて行かれて、略奪品を運ばせられた。昼、家に戻ると、かみさんの一人がひざまずいて訴えた。「お願いです!うちの人を連れ戻してください。でないと、殺されてしまいます!」みるも哀れな姿だった。しかたなく私はそのかみさんを車に乗せて、中山路でようやく連中を見つけた。
 武装した兵隊20人と向き合う。案の定2人を引き渡そうとはしない。私の立場はちょっと具合の悪いものだった。何とか連れ戻すことができたときには心底ほっとした。
 家に戻ってから難民を集めて、この2人の愚か者をみなの前で叱り飛ばした。馬鹿なことをして捕まっても知らんからな。630人もいる人間のあとをそのたびに追っかけちゃいられない。いったい何のためにここに逃げてきたんだ?また、私が助けに行くと思ったら大間違いだ。こんなことが続いたら、いずれ取り返しのつかないことになる・・・・。
 日本兵は、新年に3日、休みをもらう。兵たちがうろつかないように安全区を封鎖するといっていたが、あてになるものか。
 明日は、1938年1月1日。いよいよ「自治委員会」がおごそかに樹立される。

「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)
12月31日 金曜日
 今朝登録が行われた。学院にいる女性260人ではなく、17歳から30歳までの避難民女性およそ1000人の登録だ。彼女たちは9時には中央棟の前に整列させられ、まず日本軍将校の、次には詹栄光氏の訓示(いずれも中国語)を聞かされた。いろいろな事項が申し渡されたが、私には聞こえなかった。ただ、こんなことが耳に入った。「結婚に際しては旧来の慣習に従い、両親に段取りを決めてもらわなければならない。劇場へ行ったり、英語を学んではならない・・・・。中国と日本が一体になることによって強くなるのだ・・・・。」訓示が終わると、彼女たちは一列縦隊で一部は南に、一部は米飯売り場として私たちが囲いをした場所を通過して北へ進んで行った。ほとんどの婦女子が第一段階の切符をもらったが、髪の毛がカールしていたり、身なりが良すぎるなど、目だって見えるという理由で20人ほどが選び出された。母親か、さもなければ他の誰かが保証人になるということで、後に、全員が解放された。・・・・・・・・
 女性の登録が一通り終わると、男性の登録が再開されることになった。門衛の社によれば、夜中の2時には男性が並び始めたそうだ。列は5時には寧海路からはるか実験学校にまで達したようだ。登録は1月3日まで停止になった。・・・・・


 新年には中国に、南京に、そして金陵女子文理学院にどんなことが起こるのだろうか。信念を失ってはいけない。


「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

軍隊のお金をみんなの

暮らしのために使う世界を。

Imagine,

A world that spends money

not on armies,

but on people's lives
.



アメリカでは、イラク戦争に年間およそ1兆円も税金をつぎ込んでいます。それなのに、ハリケーンから自国民を守ることさえできませんでした。
日本が9条をなくして大きな軍隊を持てば、きっと税金は戦争の用意に回され、日本の人々の生活は苦しくなるでしょう。
そして、貧困に苦しむアフリカの人々への支援も減らされてしまうのではないでしょうか
(ケニア/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2008年12月30日火曜日

1937年 南京 12月30日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
新しく設立された自治委員会は、五色旗(北京政府時代の中国国旗)をたくさん作った。
1月1日に大がかりな公示がある。その時、この旗が振られることになっている。この「自治委員会」は我々に取って代わろうとしている。仕事を引き継いでくれると言うのなら文句はない。だが、どうも金目当てのような気がしてしかたがないのだ。
 こちらから何一つ引き渡さない。あくまでも、ごり押しされた場合にかぎる。ただし、その時も粘れるだけ粘るつもりだ。思うに、日本の外交官たちは日本軍のやり方を恥ずかしく思っているいるらしい。だからドイツの旗がついた家が40軒も略奪にあい、しかもそのうち何軒も焼き払われたなどということはうやむやにしておきたいのだ。

 ぬかるみとゴミにまみれた通称ジーメンス・キャンプの我が庭のわら小屋の中で二晩続けて子どもが生まれた。男の子と女の子。こんな宿しか産婦に与えられない世の中なのだ。
 医者も、助産婦も、看護婦もいない。おむつもない。親たちの手には汚れたぼろきれ数枚だけ。私はそれぞれの親に10ドル贈った。「お礼に」と、女の子は「ドーラ」、男の子は「ジョニー」と名づけられた。いやあ、うれしいね!(ラーベの奥さんの名は「ドーラ」です。)


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
12月30日 木曜日
 男性の登録は今も続いている。5時前、寧海路に整列する人たちの声が聞こえた。私は6時30分に起床して、そして、すでに6時にはキャンパスの外で並んでいた男性教職員や使用人たちの列に加わった。・・・・・・・登録するための第一段階である行列は、四列縦隊の形ではるか漢口路まで続いていた。最前列の男性は、午前5時からずっと並んでいると言った。
 午後、ニューヨークと呉博士に電報を送ることができるかどうかを確かめるため、再び大使館に出向いた。依然として電報は打てなかったが、大使館員たちは、数日中にはアチソンが南京に戻ってくると期待している。・・・・・・・・
 校門を入ると、一人の母親がやってきて私の前にひざまずき、今日キャンパスで服務していた兵士が24歳の娘を連れ去った、と訴えた。私は、すぐに母親を連れて詹(せん)氏の家を訪ね、そのことを報告した。詹氏も日本大使館も、今夜のうちに娘を見つけるのは無理だが、明日の朝その兵士が特定されたら、厳しく処分されるだろう、と言った。大使館員によれば、6人の兵士がすでに厳しく懲罰されたそうだ。「処刑された」という意味で彼はそう言ったと思うが、定かではない。
 明日は17歳から30歳までの女性の登録が行われる。その目的が何なのか正確なところはわからないが、聞くところによると、一番活発に反日宣伝を行っている年齢層を把握するためだそうだ。女性たちはみな、このことでおびえているが、私にはどうもよくわからない。
 午後、王さんと刁(ちょう)さんは、日本大使館で開かれた会合に出席した。元日に大がかりな宴会、つまり歓迎会が行われるらしく、熱狂的な歓迎ぶりが中国人民に期待されているようだ。各地区からかなりの数の代表を出してもらいたいそうだ。目下、「自治政府」樹立に向けて準備が進んでいる。旧来の五色旗(中華民国旗)が使用されるらしい。明日古い旗を探してみよう。



「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん
世界から戦争のなくなった
平和な世界を。

Imagine,
A peaceful world without war.

でも、どうやったら
そんな世界がやってくるのかな
一つひとつ考えてみよう。

But,how can such a world be made?
let's think about it
.



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2008年12月29日月曜日

1937年 南京 12月29日

南京事件」(笠原著:岩波新書)より
【溧水県】12月、柘搪(しゃとう)鎮に日本軍は拠点を設置して駐屯、以後付近の農民が殺害され、婦女が強姦される(被害は日中戦争期間で村民29名が殺害、婦女28名が強姦された)。

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
12月29日
(本には29日の記述がありません。ここには28日の日記の後半部分を掲載します。)

フィッチにあてたフォスターのこの手紙を見れば、南京の状態が一発でわかる。この50体のほか、委員会本部からそう遠くない沼の中にまだいくつもの死体がある。これまでにも我々はたびたび埋葬の許可を申請したが、だめだの一点張りだ。いったいどうなるのだろう。このところ雨や雪が多いのでいっそう腐敗が進んでいる。

 スマイスと私は、日本大使館に行き、福井氏や岡という少佐と2時間話し合った。岡少佐は、トラウトマン大使から私たちのことを頼まれているそうで、次のように言った。今南京にいるドイツ人は全部で5人だが、一緒に暮らしてもらえないか。そうすればこちらとしても保護しやすい。もしそれに賛成できない場合は、日本軍による保護をあきらめる旨一筆書いてもらいたい、と。私はきっぱり言った。「身の安全ということなら、中国人と同じでけっこうですよ。日本軍は中国人を保護すると約束しているんですからね。もしも中国人を見殺しにするつもりだったら、トラウトマン大使や他のドイツ人と一緒にさっさとクトゥー号で逃げていましたよ」
 岡少佐はいった。「私はあなた方の命を守るように頼まれているんです。それはともかく、日本兵に持ち物を奪われたり壊されたりしたことが証明できれば、政府が弁償するか、かわりのものを支給するかします。」それについては、ただ次のように答えるしかなかった。「南京陥落後の12月14日に委員会のメンバー全員で街を見まわりましたが、ドイツ人の家も持ち物も無事でした。略奪や放火、強姦、殺人、撲殺、こういうことが始まったのは日本軍が進駐してきてからです。誓ってもいいですがね。同じことはアメリカ人の財産にもいえるんですよ。舞い戻ってきた中国軍によって略奪された家はわずかで、みんな太平路にありました。その中には外国人の家は一軒もありませんでした。」・・・
・・・・・・・・・


 南京のことはどうか上海には黙っていてください、と福井氏から頼み込まれた。つまり、日本大使館にとって具合の悪いことは知らせないでくれということなのだ。私は請け合った。そうするほかないじゃないか?日本大使館を通さなければ手紙が出せないのだから。だが、いつの日かきっと、真実が白日のもとにさらされる日が来る。
 この時とばかり私は福井氏に、12月13日に銃殺された我が家の近くの中国兵の死体をいいかげんに埋葬するよう、軍部にかけあってくれないかと頼んでみた。福井氏は約束してくれた。

 それから、今後安全区に衛兵を派遣することになったと聞かされた。日本兵が入り込まないようするためだというのだ。あるとき私は、その衛兵とやらをじっくり観察してみた。日本兵は誰一人呼び止められるのでもなく尋問されるでもない。それどころか、奪ったものを抱えて日本兵が出てくるのを見てみぬふりしていることもある。これで「保護します」とは聞いて呆れる!



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
12月29日  水曜日
この地区及び、城内全域の多数の男性の登録が続いている。9時になるずっと前から校門のはるか向こうまで長蛇の列がつながっている。日本兵の態度は、今日は昨日にもまして厳しかった。昨日は、兵士であったことを自ら申告するよう求め、その場合には労働をさせて賃金を支払うことを約束した。今日は男性の手を調べて、疑わしいと思う者を選び出していた。もちろん、選び出された多くの者は兵士ではなかった。よろしくとりなしてほしいと頼みに来た母親や妻は数え切れない。
彼女たちの息子は仕立て職人であったり、製パン職人であったり、商人であった。残念ながら、私には何もしてやることができなかった。・・・・・・

・・・・・・・登録票は一般の日本兵士にたいしてはさほど効果がなく、彼らに破り捨てられた事例が何件かあるそうだ。
 午後、アメリカ大使館へ出かけた。今のところ外国人はまだ誰も南京に戻っていなかったし、彼らがいつ帰任できるのか、大使館は正確な情報を得ていない。今日に至るまで、私たちは依然として外界から遮断されているし、大使館員であれ商社員であれ、外部からいかなる外国人も入ってくることができない。南京が陥落してから2週間以上が経っている。軍用物資の輸送のため、上海への列車運行が開始されるそうだ。
・・・・・・・・・・・・・・・一人の女性が話しかけてきた。彼女は、郊外の国立競技場に近い孝陵衛からやってきた、と言った。彼女の話では、町は中国軍によって最初は一部が焼失し、そのあと日本兵によって完全に焼き払われたそうだ。10人家族のうち、あとに残されたのは彼女と彼女の夫、それに孫1人の3人だけである。息子2人、娘3人、嫁1人と孫1人は散りぢりになってしまい、どこにいるのか見当もつかないという。これは、毎日私たちが耳にする数多くの悲惨な話の一つに過ぎない。
 城内にいる兵士は少なくなっているので、略奪も減ってきている。もっとも、多少の略奪と焼き払いはあいかわらず続いている。ここの避難民もわずかながら減少している。登録のため、今日は粥の提供は一回しかできなかった。キャンパスは泥の海になっている。
 今夜も大使館の警官1名と女子学院の警備兵3名が任務についている。



「Imagine9」【合同出版】より

考えてみよう、

日本の憲法9条のこれから。


 日本が「9条を変えて、戦争に行ける国になるべきだ」と言う人たちがいます。誰が何のためにそう言っているのか、考えてみましょう。
 2001年の「9・11事件」以来、アメリカは「テロと戦う」といって、アフガニスタンやイラクなど世界のあちこちで戦争やその準備をしています。そしていろいろな国に「一緒に戦おう」と協力を求めています。日本の自衛隊はイラクに派遣されましたが、アメリカはこのような協力を、さらに本格的に日本に求めています。そこで邪魔になるのが、「戦争に参加してはならない」と定めた9条です。

 また、日本国内にも、戦争のためのミサイルやハイテク兵器をつくってもうけようという企業があります。彼らにとって邪魔になるのは、「武器を売ってはいけない」と定めた9条なのです。こうした理由から、アメリカ政府や日本の一部の大企業は、9条を変えたいと思っています。
 そうやって日本が「戦争できる国」になっていくことを、かつて日本に苦しめられたアジアの人々はどう感じるでしょうか。近隣の国々は、日本の軍事化をどう見るでしょうか。そして皆さんは、世界の中の日本のあり方を、どう考えるでしょうか。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2008年12月28日日曜日

1937年 南京 12月28日

「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
【江浦県】12月27日、日本軍40人が村々を捜索してまわり、農民や難民17人を殺害、婦女6人を強姦(『江浦県誌』)


「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
12月28日
 あいも変わらず、放火がくりかえされる!
 まるで重い病にでもかかっているようだ。おそるおそる時計の針に目をやるが、針は遅々として進まない。難民はだれしも新年のお祝いを恐れている。酔った勢いで、日本兵がますます乱暴を働くに決まっているからだ。心配するな、といいながらも、今ひとつ力がこもらない。それはそうだろう、そういう我々自身、自分の言葉を信じていないのだから!
 誰だか知らないが、今日が登録の最終日だといううわさを広めた人がいるらしい。そのため何万人もの人が登録所に詰めかけた。安全区の道路は人で埋まり、歩くこともできない。
 私はドイツ国旗のおかげでかろうじて前へ進める。ここではハーゲンクロイツのついた私の車を知らない者はない。何とかして道を開けようとして、ぶつかり、押し合い、へし合いしている。・・・・・

 今日、方々から新たな報告が入った。あまりの恐ろしさに身の毛がよだつ。こうして文字にするのさえ、ためらわれるほどだ。難民はいくつかの学校に収容されている。登録前、元兵士がまぎれていたら申し出るように、との通告があった。保護してやるという約束だった。ただ、労働班に組み入れたいだけだ、と。何人か進み出た。ある所では、50人くらいだったという。
彼らは直ちに連れ去られた。生き延びた人の話によると、空き家に連れて行かれ、貴重品を奪われたあと素裸にされ、5人ずつしばられた。それから日本兵は中庭で薪に火をつけ、一組ずつ引きずり出して銃剣で刺したあと、生きたまま火の中に投げ込んだというのだ。そのうちの10人が逃げ延びて塀を飛び越え、群衆の中にまぎれこんだ。人々は喜んで服をくれたという。
 これと同じ内容の報告が3方面からあった。
もう一つの例。これはさっきより人数が多い。こちらは市の西部にある古代の墓地跡で突き刺されたらしい。ベイツはいまこれについても詳しく調べている。ただ、いざ報告する時には、誰から聞いたか分からないよう、よくよく気をつけなければならない。知らしてきた人にもしものことがあったら大変だ。
 フィッチが上海から手紙を受け取った。委員会に3万5千ドルの寄付が集まったというロータリークラブからの報告だ。金をもらっても仕方がない。必要なのは、人間、それもこちらに来て協力してくれる外国人なのだ。だが、日本軍は誰も南京に入れようとしない。
 日本大使館の役人は我々の立場をもう少しましなものにしたいと思っているようだ。
だが同じ日本人同士でも、こと軍部が相手だと歯が立たないらしい。すでに我々の耳に入っていることだが、軍部は日本=中国委員会を認めようとしない。これは、日本大使館が設けたもので、ちょうど我々の委員会のような性格のものだ。初めてここへ来た時、いみじくも福田氏が言っていた「軍部は南京を踏みにじろうとしています。けれども、我々は何とかしてそれを防ぎたいと考えています!」

 残念ながら福田、田中、福井の誰一人、軍部の考えを変えさせることはできなかった!



「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
12月28日 火曜日
 現在、登録期間という新しい段階を迎えようとしている。午前八時、女子学院が安全区第5地区の登録所になった。男性が先に登録されることになるらしい。キャンパスにいる男性を集めた。まず最初に、通訳を介して彼らに訓示があり、そのあと、以前兵士だった者は正直に申し出ること、その場合、危害を加えられることはないが、労働隊に入れられると説明があった。最近まで兵士であったという意味なのか、かつて兵士であったという意味なのか、私にははっきりはわからない。
最初に申し出た男は、Y.H.陳の奉仕者仲間の一人だった。彼が兵士だったのは最近のことではないということがその後わかったので、解放してもらうよう目下努力しているところだ。男性は4列縦隊に並び、登録票を渡されたあと、登録場所になっている陳春芳の家(キャンパスの北東隅にある)へ向かって行進した。私は興味があったので、男性の顔つきをしげしげと観察した。概して、彼らは、老人か大怪我をした人か、そうでなければ、足の不自由な人たちだった。なぜなら、登録に行かれるような若者たちは、みな死んでしまっていないからだ。

 そうこうしているうちに岡中佐が来訪した。彼は、すべてのアメリカ人を保護することを上海で約束してきたと強調したあと、私たちが一ヶ所にまとまって生活することを要求した。私たちとしては、責任ある各自の部署を離れるわけにはいかない、と彼に伝えた。中佐も私も、お互いに穏やかに丁重に振舞いながらも、きちんと主張し合い、ここまでのところでは、私の方がこの戦いに勝利した。
・・・・・・・・・・・・

 午後、ミルズが来訪した。彼の報告によれば、中国人の財産だけでなくあらゆる外国人の財産が、程度の差こそあれ、ほとんどすべて略奪されたそうだ。私たちの住宅に関しては被害は軽い方だ。もしも私が一度に4ヶ所ほどまわることができたなら、多分それらも持ち去られなかったろう。私たちが略奪をこうむったその責任は、すべて私にある。私の行動がのろすぎたからだ。・・・・・・・

・・・・・・・・・・
      赤字、アンダーラインは引用者ノブがしました。

[Imagine9」【合同出版】より

考えてみよう、

日本の憲法9条のこれから。


「日本の憲法9条をあたりまえのものだとどうか思わないでください。それは、ある日突然なくなってしまうかも知れません。憲法9条があるからこそ、みなさんは戦争に行くことなく暮らせてきました。しかし、憲法9条が救っているのは、日本人の命だけではありません。世界中の人々が救われています。9条がなければ、皆さんはアメリカが第二次大戦後に攻撃してきたすべての国、つまり、朝鮮半島、ベトナム、パナマ、グラナダ、イラク、アフガニスタンなどへ戦争に行かされていたのです。 これは、アメリカの元海兵隊員で、今では世界的に平和活動を行っているアレン・ネルソンさんの言葉です。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2008年12月27日土曜日

1937年 南京 12月27日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
12月27日
 サンタクロースのまねをしようと思い、126人いる難民の子どもたちに20セント硬貨を贈ることにした。ところがさんざんな目にあってしまった。・・・・・・・

 鼓楼病院に今日、男が一人、担ぎこまれてきた。5ヶ所も銃剣で刺されている。金陵中学の難民収容所では、およそ200人の元兵士がより分けられたのだが、そのうちの一人だという。この元兵士たちは、銃殺されたのではなく、銃剣で突き刺されたのだ。目下この方法が取られている。さもないと、我々外国人が機関銃の音に耳をそばだてて、なにかあったのか、とうるさいからだ。

 今日、張と韓が、新街口(ポツダム広場)に日中合弁商店ができて、ありとあらゆる食料品が買えると知らせに来た。私は韓と一緒に確かめに行った。そしてーはからずも、この建物に放火する現場を目撃したのだ!日本軍はこの街を破壊しようというのか!

「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)
12月27日 月曜日
 今日は休息をとっている。この2日間気分がすぐれず、寝ているように、と友人たちが強く勧めてくれた。メリーがここにいてくれるおかげで休息がとれた。言い訳がたってありがたかった。
・・・・・・・・・


 城内では、依然として破壊が続いている。火災の煙がもうもうと立ち昇っているところを見ると、現在は北里門橋の方角が破壊されているようだ。南門から北里門橋までの間にある商店は軒並み略奪され、焼き払われてしまったのではないかと思う。略奪はいまやトラックを使って行われ、じゅうたんやベッドといった大きな備品が持ち去られている。それらは句容に運ばれているらしい。けさ校門内に入ってきた女性の話では、個人の住宅での略奪は依然として続いており、銅貨のような小銭さえも盗まれているそうだ。メリーによれば、日本兵がトラックで学院に乗り込み、少女3人を要求したが、彼女がその筋の手紙を見せると、出て行ったという。
 
 金陵女子文理学院が難民収容所としてどのような状態になっているかは、私の筆の力ではとうてい伝えることができない。清潔さを表彰するブルーリボン賞を学院が受賞できないのは言うまでもない。400人の避難民を初めて受け入れた時には、清潔保持という理想をもち、毎日部屋とホールの掃き掃除をさせ、紙くずを拾わせようと努力した。しかし、いまはそうではない。一万人余の避難民がいる状況では、キャンパスをトイレ代わりに使わないよう説得するだけで精一杯だ。芝生の部分を歩かせるというハリエットの理想は完全に実現されたが、その結果、芝生はほとんど残っておらず、多くの場所に、とりわけ、粥が配られている場所には泥の水溜りができている。
 樹木はいずれもむごたらしい使い方をされ、潅木の中には、踏みつけられて跡形もないところもある。晴れた日には決まって、木という木はは高い木も低い木も、手すりにも柵にもあちこちに、あらゆる種類と色のおむつやズボンがかけられている。キャンパスにやってくる外国人たちは、このような金陵女子文理学院は見たことがない、と笑い出す。
 今日までに赤ちゃんの誕生が14件、死亡が4件あった。ここでは看護婦は程先生しかおらず、先生はひどい過労に陥っている。


「Imagine9」【合同出版】より


世界は、

9条をえらび始めた。


・平和を探ることが人類の進化だと思います。
私たちが本気になって平和を模索しなければ、いろいろな問題は改善されるどころか、悪化してしまいます。(アメリカ、40代・女性)

・日本が軍隊を持たないという約束を破ろうとしているのではないかと、私はとても心配しています。日本政府が憲法9条を守り。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という決断を決して変えることがないことを願っています。(ベルギー、40代・男性)

・日本の皆さんが9条を世界に広げようとしている大義を、私たち、ケララ州コーチンの市民は、心から支持し、その取り組みに全面的に協力と支援をいたします。(インド、50代・女性)

・私の地域では、たえまない暴力が解決のめどもつかないまま50年間続いています。戦争は、プレイステーションのゲームではなく、マンガでもありません。あなたの愛する人の現実の死なのです。日本が戦争を放棄したことの意味を、もう一度見つめてください。(レバノン、20代・女性)

・武器や核兵器による絶え間ない脅威は、世界の病というべきものです。
私の国、コスタリカは武器をもたない国であり、世界のほかの国々も同じようにあるべきだと思います。現在の日本の憲法9条は非常に素晴らしいものであり、いかなる権力によってもこれは変えられるべきではないと思います。日本は永遠に平和な国として存在するべきです。
(コスタリカ、60代・男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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2008年12月26日金曜日

1937年 南京 12月26日

「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
 12月26日、そうした「査問工作」が難民区内で安全区国際委員のベイツらの立会いのもとで行われ、日本の将校が元兵士であることを「自首」すれば米と仕事を与えると説得したため、仕事と米がもらえると誤解した男子2・300人(ほとんどが市民)が「自首」したところ、夕方になって難民区の西にある五台山と漢中門外の運河の堤防に連行され、そこで刺殺または銃殺されてしまった。国際法に違反した日本軍の背信行為を目の当たりにしたベイツは義憤をこめてこう書いている。


 元兵隊であろうがなかろうが、とにかく元兵隊と認定されたものの集団虐殺となったということだ。ここは、捕虜の生命はさしせまった軍事上の必要以外においては保障されるという国際法の条文を語る場所ではないし、日本軍もまた、国際法などは眼中になく、いま南京を占領している部隊の戦友を戦闘で殺したと告白した人間に対しては復讐すると公然と言明したのである。(「英文資料編」)


「南京の真実」(ラーベ著:講談社)
12月26日 17時
 素晴らしいクリスマスプレゼントをもらったぞ。夢のようだ!なんたって600人を超す人々の命なのだから。新しくできた日本軍の委員会がやってきて、登録のために難民を調べ始めた。男は一人一人呼び出された。全員がきちんと整列しなければならない。女と子どもは左、男は右。ものすごい数の人だった。しかし、すべてうまくいった。だれひとり連れて行かれずにすんだ。隣の金陵中学校では20人以上引き渡さなければならなかったというのだ。元中国兵という疑いで処刑されるのだという。わが家の難民はだれもがほっとした。私は心から神に感謝した。いま、日本兵が4人、庭で良民証を作っている。今日中には終わらないだろうが、そんなことはどうでもいい。将校が決定した以上、もう引っ張られる心配はないのだから。・・・・・・

 昨日は日本兵が押し入ってこなかった。この2週間で初めてのことだ。やっといくらか落ち着いてきたのではないだろうか。ここの登録は昼に終わった。しかも後ろからこっそりもぐりこませた20人の新入りにも気前よく良民証が与えられた。
 使用人の劉と劉の子どもが、病気になったので、鼓楼病院のウィルソン先生のところに連れて行った。トリマー先生が病気で、いまはこのウィルソン先生一人で病院を切り盛りしている。先生から、日本兵の恐るべき残忍さを示す例をまた一つ見せられた。若い娘を世話できなかったという理由で撃たれた中年婦人だ。下腹部を銃弾がかすめており、手のひら3つ分くらいの肉がもぎ取られている。助かるかどうかわからないという話だ。

 安全区本部でも登録が行われた。担当は菊地氏だ。この人は寛容なので我々一同とても好意を持っている。安全区の他の区域から、何百人かずつ、追い立てられるようにして登録所へ連れてこられた。今までにすでに2万人が連行されたという。一部は強制労働にまわされたが、残りは処刑されるという。なんというむごいことを・・・・・・。我々はただ黙って肩をすくめるしかない。くやしいが、しょせん無理なのだ。・・・・・・・・

 そこいらじゅうに転がっている死体、どうかこれを片付けてくれ!担架にしばりつけられ、銃殺された兵士の死体を10日前に家のごく近くで見た。だが、いまだにそのままだ。だれも死体に近寄ろうとしない。紅卍字会さえ手を出さない。中国兵の死体だからだ。・・・・

 安全区の20万もの人々の食糧事情はだんだん厳しくなってきた。米はあと一週間しかもたないだろうとスマイスはいっているが、私はそれほど悲観的には見ていない。
 米を探して安全区にまわしてくれるよう、何度も軍当局に申請しているのだが、なしのつぶてだ。日本軍は、中国人を安全区から出して、家に帰らせようとしている。そのくせいつ汽車や船で上海に行けるようになるのか聞いても、肩をすくめるだけだ。「それは当方にもわかりません。川には水雷がばらまかれているので、定期的に船を出すのはとうてい無理でしょうな」・・・・

 ミス・ミニ・ヴォートリン。実はこの人について個人的にはあまりよく知らないのだが、アメリカ人で、金陵女子文理学院の教授らしい。・・・・・・・・・
 さて、日本当局は、兵隊用の売春宿を作ろうというとんでもないことを思いついた。何百人もの娘でいっぱいのホールになだれこんでくる男たちを、恐怖のあまり、ミニは両手を組み合わせて見ていた。一人だって引き渡すもんですか。それくらいならこの場で死んだ方がましだわ。ところが、そこへ唖然とするようなことが起きた。我々がよく知っている、上品な紅卍字会のメンバーが(彼がそんな社会の暗部に通じているとは思いも寄らなかったが)、なみいる娘たちに二言三言やさしく話しかけた。すると、驚いたことに、かなりの数の娘たちが進み出たのだ。売春婦だったらしく、新しい売春宿で働かされるのをちっとも苦にしていないようだった。ミニは言葉を失った。

「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)
12月26日 日曜日
 昨夜も平穏な一夜だった。正門に大使館の警官が一人いただけだが、彼の存在は、安心感を与えてくれるという点で役立った。アメリカ大使館が憲兵隊司令部になっているそうだ。・・・・・・

 午前7時30分からスタッフの礼拝集会を行った。午後2時から、キャンパスにいる中国人のために日曜礼拝を行う予定だ。鼓楼病院に行かれないのは残念だ。昨日と今日は礼拝を行っただろうか。牧師が避難してしまい、残念でならない。
 けさ魏が戻ってきたが、自分の体験したことを語れないほど疲れ果てていた。
 午後、またもや体力が尽きてしまい、休息をとった。
 金陵大学のキャンパスにいる避難民全員がきょう登録をした。たぶん、一両日中には女子学院でも同じ手続きが行われるだろうから、今夜、陳さんに名簿の作成を始めてもらった。
 昼間はいままでも晴れいて暖かい。依然として外界の情報は入ってこないし、私たちが知るかぎりでは、こちらの情報も、同盟(通信社)が提供するもの以外は伝わっていない。
 今年は、クリスマスなしの年になるだろう。友人たちのことを考える時間さえなかった。

「Imagine9」【合同出版】より


世界は、

9条をえらび始めた。


・ある国が戦争放棄を掲げるということは、世界のほかの国々への力強いメッセージになると思います。(イギリス、30代・男性)

・第二次世界大戦の悪夢を経験した一人として、私は、力ではなく正義と社会秩序による国際紛争の解決手段があること、そしてそれに基づいた国際平和と理解が達成できることを信じています。紛争解決は、交戦ではなく平和的な方法でなされるべきだと思います。(フィリピン、60代・男性)

・僕の国はベトナムで戦争をして、何百万人ものベトナム人と何万人もの自国の兵士を犠牲にし、何も得ませんでした。それなのに、今も戦争をしています。アメリカは根本的に反省しなかったんです。こういう国に従って日本が憲法を変えようとするのは、非常に残念です。(アメリカ、50代・男性)

・武器でいっぱいの世の中に暮らすことは、自分の墓を掘っているようなものだと思います。現実には、世界の指導者たちが行っていること、特に軍事力を増強していくことは、私にとって全く無益なことだと思います。お金をこうして無駄にするのではなく、教育の拡大と貧困の撲滅のために利用した方がよっぽど有効だと思います。(フィリピン、60代・男性)

・私は第二次世界大戦の経験者として、日本国憲法第9条をいかなる手段でもっても排除すべきでないと思います。戦争は、人の命を奪い、人びとを苦しめました。武器はこの世に必要ではありません。世界に脅威を与えるべきではありません。過去の過ちを繰り返さないで下さい。(ロシア、60代・男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



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2008年12月25日木曜日

1937年 南京 12月25日

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
12月25日
 昨日の午後、日記を書いているとき、張と中国人の友だちがひっそりと小さなクリスマスツリーの飾り付けをしていた。そういえば以前、張はよくこれを手伝っていた。・・・・・・・
 ミルズが来て、見張りを交代してくれたので、私は彼の車でアメリカ人の家へ向かった。深い闇の中を。死体が転がっている道を。もう12日間も野ざらしになっている。
 仲間たちはひっそりと座っていた。みな物思いに沈んでいる。ツリーはない。ただ、暖炉の赤い小さな旗に、使用人たちのせめてもの心づかいが感じられた。私たちは難民登録というさしせまった問題について話し合った。心配でたまらない。
 難民は一人残らず登録して「良民証」を受け取らなければならないということだった。しかもそれを10日間で終わらせるという。そうはいっても、20万人もいるのだから大変だ。
 早くも、悲惨な情報が次々と寄せられている。登録の時、健康で屈強な男たちが大勢より分けられた(剔出)のだ。行き着く先は強制労働か、処刑だ。若い娘も選別された。兵隊用の大がかりな売春宿をつくろうというのだ。そういう情け容赦ない仕打ちを聞かされると、クリスマス気分などふきとんでしまう。

 半時間ほどして、悪臭がふんぷんたる道を戻る。だが私の小さな収容所には平和と安らぎがあった。見張りが12人、交代中で壁づたいに歩き回り、時々ささやきあっている。眠っている仲間を起こさないよう、ちょっとした合図をしたり、とぎれとぎれの言葉をかわすだけだ。ミルズは家に帰った。私もやっと眠れる。いつものように、そのまま飛び出せるかっこうだが。日本兵が入ってきたら、すぐに放り出さなければならない。だがありがたいことに、今晩は平穏無事だった。苦しそうな息づかいやいびきがほうぼうから聞こえてきて、なかなか寝つかれなかった。合間には病人の咳。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
12月25日(土曜日)
クリスマスディナーの時にサール・ベイツが、「地獄のクリスマス」と題して記事を書いているところだ、と言った。実際のところ、この金陵女子文化学院ではそのようなことはない。このキャンパスは多少なりとも天国である。とはいえ、今年のクリスマスは、これまで金陵で経験したクリスマスとは確かに違う。
 昨夜も平穏な一夜だった。校門に警備兵が25人配置され、漢口路と寧海路を巡回してくれた。ここ何週もの間で初めて朝までぐっすり眠った。・・・・・・・

 出かけるさいに興味深い経験をした。校門を出ようとしたちょうどその時、1人の女性がやってきて、娘を救出してほしい、ついさっき家から連れ去られた、と懇願した。彼女が指し示したとおり上海路を大急ぎで南へ向かったところ、兵士たちは進路を北に変えた、と言われた。北へ向かって行こうとしたちょうどその時、車に乗っているミルズを見かけたので停車してもらい、母親、ブランチともども乗り込んだ。まもなく、兵士2人が少女を連れて歩いているところを見かけた。少女は私の姿を見るやいなや、引き返してきて助けを求め、そして母親の姿が目に入ると、飛び込むように車に乗った。兵士は事態に気づくと、私たちが無礼を働いた、としつこく言い張り、ミルズの席に座ったまま、どうしても車から降りようとしなかった。英語が多少わかる将校が通りかかったが、彼は、不必要と思われるくらい丁寧な態度でくだんの兵士に車から降りてもらうと、私たちを通してくれた。ただし、私たちが少女を連れ出したのが悪かった、とミルズが言ったことで、ようやく通してくれたのだ。・・・・・・・・

 今夜は警備兵はいない。大使館から警官1名が派遣された。日本兵は城外へ撤収しているところだ。M.S.ベイツによれば、女性の拉致に関するかぎり、金陵大学では不運な1日であったようだが、女子学院の避難民のなかには自宅に帰るものも出てきている。

「Imagine9」【合同出版】より


世界は、

9条をえらび始めた。


・平和が武器によってつくられるものではないということに世界中の国が気づき、すべての国が憲法9条をもつようになることを願ってます。(オーストラリア、20代・女性)

・このグローバル9条キャンペーンに非常に感動しました。憲法9条を維持しようというこの草の根運動には、日本がアジアとの関係に誠意を持って向かっている姿勢がうかがえます。このキャンペーンに多くの日本人が賛同し、成功することを望みます。がんばってください!(韓国、30代・男性)

・憲法9条に賛同します。このような憲法があることで、私たちは、戦争のもついかなる攻撃性に対して共に、立ち上がるような地域社会の結びつきを強くしていくことができると思います。私たち一人ひとりのの協力こそが、最高の平和の武器だと思います。(ベルギー、50代・男性)

・日本のような歴史を持つ国が、憲法9条を広めようという行動をとることは、世界のほかの国々にとっての模範です。ほかの国々もそれに続くことを祈って。私たちに必要なことは平和への挑戦です。
(コスタリカ、20代・女性)

・日本国憲法第9条の改定に反対です。(ロシア、20代・男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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