731からフクシマへ!!

731を問う!!

2009年3月2日月曜日

1938年 南京 4月のヴォートリンの日記

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「南京事件の日々」(ヴォートリン著/笠原解説:大月書店)より うちつづく悲劇ー南京安全区解消までの日記からー  9日には、中華門の城外南方の農村地域の婦人たちが、次々と嘆願署名にやってきて、悲しい顔で彼女たちの悲劇を語っていた。同地域では、農家が焼かれ、水牛が日本軍の食肉用に殺害...
2009年3月1日日曜日

1938年 南京 4月のヴォートリンの日記

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「南京事件の日々」(ヴォートリン著/笠原解説:大月書店)より うちつづく悲劇ー南京安全区解消までの日記からー  1938年3月28日の中華民国維新政府の成立以降、南京の秩序も表面的には回復し、日本軍の残虐行為もずっと少なくなったので、南京大虐殺事件、略称としての南京事件は一応この...
2009年2月28日土曜日

1938年 南京 その後のヴォートリンの日記

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「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より 2月28日 月曜日  うららかな天気が続いている。避難民たちは、日なたにぶらぶらと出て行くのが大好きだ。いたるところで「芝地」が濃くなりつつある。庭師は、折れたり踏みつけられたりした潅木を引き抜き、そのあとによりましな木を植えて...
2009年2月27日金曜日

1938年 南京 2月27日とラーベのその後

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「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より  帰国後のラーベ(エルヴィン・ヴィッケルト編) 尋問は厳しいものではなかった。ゲシュタポはラーベを、彼自身が常日頃強調してように「百パーセント、ドイツの政策に従順」であり、面倒を起こす人間ではないと見てとったのだろう。正しかろうと、間違って...
2009年2月26日木曜日

1938年 南京 2月26日とラーベのその後

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「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より 30年の中国滞在を終え、再び祖国へ(エルヴィン・ヴィッケルト編)  1938年3月16日、ドーラとコンテ・ビアンカ・マーノ号で祖国へ向かった。香港では、先に行っていた汪がクワイ埠頭で出迎えてくれた。19歳の奥さんとその一族も一緒だった。香港...
2009年2月25日水曜日

1938年 南京 2月25日

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「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より 2月25日  フィッチとジーメンス中国本社に無線電信で私の到着を知らせた。それぞれアメリカ総領事館と、ドイツ総領事館に打電してもらった。明日の午後、フィッチはアメリカに発つという。その前に是非フィッチに会って南京から持ってきた郵便物を渡した...
2009年2月24日火曜日

1938年 南京 2月24日

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「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より 2月24日(ビー号艦内にて)  11時頃、江陰砲台を通り過ぎた。新聞で読んだほどにはやられていなかった。畑で働いている中国人の姿が見える。軍艦の残骸を通り過ぎた。全部で3隻。日本の砲艦、中国の砲艦、それから中国の巡洋艦海鷹だ。   「南京事...
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