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●(転載)(夏淑琴【か・しゅくきん】さん名誉毀損裁判)
皆さんのご支援のおかげで
今年の2月に最高裁で完全勝利を勝ち取ることができました。
皆さんとこの素晴らしい勝利をお祝いしたいと思いますので
ぜひぜひご参加ください。
夏さんや南京の弁護士、
笠原先生や日本の弁護団からも
お話をしていただきます。
夏淑琴さん、南京大虐殺記念館長が来日します!!
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夏淑琴さん名誉毀損裁判
大勝利記念集会のお知らせ
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南京大虐殺の被害者・夏淑琴さんに対する名誉既存裁判は、今年の2月5日、2月5日
、最高裁第一小法廷より棄却する決定を受け、最高裁での勝利が確定しました。
この勝利判決を祝して、中国より原告の夏淑琴さんをお招きし、勝利報告集会を開催い
たします。
ご支援くださった皆様とともに、この裁判の意義を確認し、そして勝利をお祝いしたい
と思います。
・日時 7月5日(日) 午後1時30分~4時30分
・場所: 江東区豊洲文化センター 第5・第6会議室
※地下鉄メトロ有楽町線 豊洲駅徒歩2分
・参加費:800円
・お問い合わせ
事務局・荒川 090-3801-7184
▽南京大虐殺の被害者・夏淑琴さん
1937年12月13日、南京での凄惨な虐殺が巻き起こる中、日本軍によって夏淑琴さんの
家族、そして隣家の人々が、夏淑琴さん(当時八歳)とその妹(当時四歳)を除いて皆殺
しされました。夏さんご自身も日本軍に銃剣で刺されるなどの被害を受けましたが、妹と
ともに、奇跡的な生還を遂げました。
▽夏淑琴さん名誉毀損裁判とは?
南京大虐殺否定派の中心人物である東中野修道氏(亜細亜大学教授)は、『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社、1998年)で、夏さんを強引な理屈で「ニセ証人」だと侮辱しま した。
この事実を知った夏さんは、00年11月、中国・南京で名誉毀損訴訟を起こしました。
東中野氏と松村俊夫氏及び展転社を被告とした裁判でしたが、被告人らは代理人も立てず、
一度も出廷することなく敗訴が決定しました。
この中国での訴訟に対し、05年1月、東中野氏と展転社は、中国の裁判での賠償金支払
い 命令に関し、日本国内での支払い義務がないことを確認する「債務不存在確認訴訟」を
起こします。
この訴訟に対し、06年5月、夏淑琴さんが原告となり、東中野修道と展転社を被告とし、
反訴として名誉毀損訴訟を提起し、国内で本格的に裁判で戦うことになりました。
▽判決の内容
一審では、ほぼ原告側の主張を認め、東中野氏と展転社に対して350万円、東中野氏に
対し50万円、総額400万円の支払いを命じる判決が下されました。
しかし、注目すべきは金額もさることながら、判決文で東中野氏の研究姿勢について
「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果という
に 値しないと言っても過言ではない」 と厳しく断じている点です。
二審の東京高裁では被告・原告ともに控訴を棄却、最高裁でも被告の上告を棄却したことにより、一審でのほぼ完全な形の勝利判決が確定しました。
> *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
事実・COM(南京への道・史実を守る会公式HP)
http://jijitu.com/
「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
7、戦争責任を追及すべし
2、責任追及を止めず
戦後、日本の右翼勢力と保守勢力は731細菌部隊と細菌戦の責任を懸命に隠そうとしたが、目覚めた一部の元日本軍人と進歩勢力は日本の細菌戦責任の追及に努め、追求活動は進展を収めた。
●1992年から、日本の平和団体が「731部隊展実行委員会」を設置し、日本各地にて日本軍による細菌戦と生体実験の犯罪行為を公表している。同時に一部の元日本軍人も展示場に足を運び証言を提供した。かつて中国人をハルピンに護送した元憲兵の三尾豊しは、のちにかの中国人たちが731部隊で殺害されたことを知った。
●「731部隊展」では、大量の分かりやすい資料で日本軍の暴行を紹介しており、多くの人々が戦争中の日本軍人の残忍さを初めて知り、これは日本社会で大きな反響を呼んだ。
●展示と同時に、日本の平和を愛する人々は募金活動を行い、中国での731細菌部隊罪証陳列館の設置と731部隊旧跡の保護に充てた。
●田村(篠塚)良雄氏は当時自分が解剖室の助手として被験者の顔にブラシをかけたことを証言した。
●小笠原氏はその証言で、当時、731部隊標本陳列室を掃除したとき、ホルマリン溶液に漬けられたソ連人被験者の首を見たことなどの状況を話した。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
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大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
蒼開甲(男、67歳)の証言
日本の侵略軍が南京を占領した時、私は20歳で、玄武湖の老齢洲(今の動物園)に住んでいましたが、もう結婚していて、1歳余りの男の子が1人いました。家中が私の玄武湖で魚を捕るので生活していました。日本軍が掃蕩するので、妻は朝子供を連れて芦葦にもぐって隠れ、夜家に帰って夜を過ごしていました。
1938年の1月2日、昼の1時頃、家で昼飯を作っていたら、突然完全武装した日本兵が2人闖入して来て、「ホアクーニャン(=若い綺麗な女の子)」を出せと言いました。いないと言うと、すごく怒って、その内の1人が小銃を手にして私の腹部に1発撃ったので、弾が腹部を貫き、私は地に倒れ、血が止まらず、くらんで分からなくなりました。父がすでに日本軍に捕まって使われていたので、家に誰が居て私を救護してくれたと言うのでしょう。日本軍が行ってしまってから、村の人たちが戻って来て私の惨状を見、みんな私が死んだと思って、洞穴まで運びました。気が付いたら、死人が1人私の体を上から押し付けていると分かり、骨折ってその人を押しのけ、頑張って洞穴を這い出たら、もう午後の5時頃で、夜、父が逃げ帰って来て、やっと私を連れ戻してくれました。それから膏薬で治療して、傷口はだんだん好くなりましたが、今でも傷痕はまだあるのです。
後で分かったのですが、私の上で押さえつけていたあの死んだ人は周太山という人で、私がやられた後で日本軍に撃ち殺されたのです。(張登風と田梅が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
9条がゆきわたった世界
「武力によらずに平和をつくる」という日本国憲法9条の考え方は、国家や人種、民族の壁を越えて「地球市民」として生きていくための共通の鍵となります。
「世界中の国が憲法9条をもてば、すべての国は戦争ができなくなる」、それは無理なのでしょうか。いいえ。奴隷制に苦しんだ黒人の人々が、人間として生きる権利を獲得したように、長いあいだ社会から排除されてきた女性たちが参政権を得たように、戦争も、私たちが働きかければなくせるものなのです。
第2次世界大戦を経験した人類は、「もう2度と悲惨な戦争を繰り返してはならない」という思いで、国連をつくりました。国連憲章は、「武力行使をしない」「軍事費は最小限にする」ことを定めました。しかしその国連憲章がつくられたあとに、広島と長崎に原爆が落とされ、戦争は終わりました。そして、日本の憲法9条が生まれました。
国連憲章も日本の9条も、目標は同じ「戦争をなくす」ということです。
同じ目標のもとで、日本の9条は、国連憲章よりもさらに一歩前に踏み出しました。9条は、戦争につながるような軍隊をもつことを否定したのです。9条が一歩踏み出したその先に続くのは、私たちです。9条から見えてくる世界の創り手は、私たち一人ひとりなのです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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15年戦争時に、中国・日本で起こったことを書きたい!!
2009年6月30日火曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
2009年6月29日月曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
7、戦争責任を追及すべし
2、責任追及を止めず
戦後、日本の右翼勢力と保守勢力は731細菌部隊と細菌戦の責任を懸命に隠そうとしたが、目覚めた一部の元日本軍人と進歩勢力は日本の細菌戦責任の追及に努め、追求活動は進展を収めた。
●1941年12月、湯浅氏は軍医として中国山西省潞安陸軍医院で、中国人への生体解剖を目撃した。責任を強く感じた湯浅氏はこの犯罪行為を暴く活動に積極的に参加し、80歳を超えたにも関わらず、今も日本各地で講演を行い、自らの経験を以って若い世代を教育し、またそれを通じて悔恨と謝罪の意を表している。
●陰地氏は、元日本関東軍憲兵隊憲兵。1944年に2名の中国抗日人士を黒龍江省福錦県からハルピンまで護送。後にこの2人が生体実験により無残に殺されたことを知った彼は、自分の責任を強く感じた。敗戦当時、部隊から戦時状況の他言禁止の「緘口令」が出ていたが、彼は毅然として当時の事情を公表し、日本軍の暴行を暴いた。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
張文泉(男、72歳)の証言
1937年までは、家は大輝復巷10号でした。日本軍が南京に侵入した時、私は金陵中学の難民区の中に住まっていましたが、難民が割りに多いのに、中学には井戸が1つしかなく、水が足らないので、私は水を担ぎに外へ行きました。1937年の冬月14日の早朝、私が外へ出て直ぐ、日本軍の一隊に出くわしたところ、彼らは私が水を天秤で担ぐその桶を取り上げ、地に放り投げて、脚で桶を踏みつけ、自分たちが背中に背負っていた物をおろして、(40斤くらい)、替わりに私に強引に背負わせ、その隊伍に付いて行かせました。昼の12時くらいに、板橋まで来ると、又無理に私にご飯を炊かせ、炊き終わったら私が毒を入れていないかと恐れて、私に先に毒見をさせてから、やっと自分たちも食べたのでした。飯を食い終わったら、又日本軍の別の一隊が来て、その中の馬に乗っているのが、馬の左脚の蹄(ひづめ)が落っこったので、、それを打ち付けました。ところが馬がおそらくは痛みから身をかばおうとして、突然片足をあげたのが、ちょうどこの男の口に当たり、顔が途端にふくれあがりました。そうしたら、その日本兵が怒って、私に当たり散らし、直ぐに腰から日本刀を抜いて、下腹をめがけてこっ酷く2太刀突いてきました。ベルトは消防ホース用のズックで出来ていて、とてもぶ厚く、突かれた時は痛く感じませんでした。午後、また続いて彼らのついて出かけ、4,5里くらい行った頃に、何となく体が熱っぽいので、自分でちょっと手でなでたら、手が血でべっとりし、その時やっと痛みがたまらないくらい感じて来たのですが、声を上げるわけにもいかず、ベルトで傷口をしっかり押さえるしかなく、しばらくして痛みも止まりました。
夜になったら、私と同時に捕まった馬大福たちが、こっそり私に「暗くて日本軍に見えないから、俺たち逃げようや!」と言いました。それを聴いて、この連中についていち早く走りました。ところが、ちょうど江寧橋の北まで走った所で、後ろから機関銃が突然響いてきて、私の後ろを走っていた何人かが、みんな撃ち殺されました。その時、私は逃げ切れないんだと知って、もう走らずに、また、新たに日本軍に捕まって帰って行きました。私と同時にもう一度捕まったのは、張道全(句容の人で30歳余り)と余勝顔(淮安の人で30歳余り)の2人で、また日本軍に強いられて江寧の「張而生薬店」で飯を炊かされました。腊月の20日に、また日本軍について南京の昇州路まで行くのに、3人で道々どうやって逃げ出すか相談していました。黒廊巷まで行って、私たちある人家の内庭に駆け込んで隠れてしまい、日本軍がどんなに大声で私たちを呼ぼうとも、死んでも答えず出ても行かずで、彼らはどうしようもなくて、行ってしまいました。私は何とか生き延びられて、また難民区に帰ってきたのです。(井升安と丁亜慶が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
9条がゆきわたった世界
みなさんは学校で、どんな歴史を学んできましたか?
国内で行われた戦国時代の戦い以外に、日本がほかの国々と行った戦争について、どのように教わってきましたか?
多くの国々では、自分の国がいかに正しく、立派であり、誇らしいものであるかを繰り返し強調してきました。その影で、自分の国がほかの国の人々に被害を与えたことについては、忘れられる事が多かったのです。
「国のためではなく人々のために歴史を教えたい」そう願う日本、韓国、中国の市民や研究者たちは、一緒になって一つの歴史教材をつくりました。(日中韓3国共通歴史教材委員会編『未来をひらく歴史』、高文研、2006年)。傷つけた側、傷を受けた側が、共通の歴史をとらえ直そうとしているのです。
イスラエルは、60年にわたりパレスチナの土地を占領しています。それが理由となって、中東地域全体で暴力の連鎖が続いています。そんな中にあっても、イスラエルの若者とパレスチナの若者が出会い交流を進めています。
インドとパキスタンは、国境のカシミール地方の領有権をめぐる対立を60年間にわたって続けています。国境では衝突が絶えず、両国は核兵器をもちミサイル開発を続けながらにらみ合っています。それでも、平和を求める市民は、国境を越えた交流を進めています。
南アフリカでは、人種隔離政策(アパルトヘイト)の中で白人が黒人を抑圧してきました。アパルトヘイトは終わり、「真実と和解委員会」がつくられ、過去を見つめて和解を進めました。それぞれの問題において、一人ひとりの「対話」で少しずつ、ゆっくりと解決をしようと努力が続けられています。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月28日日曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
7、戦争責任を追及すべし
1、審判
1945年8月8日、ポツダム宣言に基づき、ソ連は日本に正式に宣戦布告。交戦後、ソ連は一部逃走中の731部隊隊員を捕獲した。1949年、ハバロフスク裁判では山田乙三をはじめとする元関東軍戦犯が裁かれ、中には731部隊の生産部部長川島清、細菌生産班班長の柄沢十三夫、孫呉支隊隊長西郡英及び牡丹江支隊隊長の尾村正男などもいた。裁判では、川島清と柄沢十三夫が第四部の細菌製造量などの仔細な問題について証言している。その他、彼らは731部隊の中国の寧波、常徳、及び浙贛鉄道沿線地区での細菌戦実施に関する状況も認めた。こうして山田乙三、川島清には懲役25年、柄沢十三夫、西郡英などには懲役15年から20年の判決が言い渡された。
●張清林さんはかつて162支隊の労働者で、細菌部隊が当時使用したネズミ飼育用の鉄カゴを提出し、日本軍による細菌兵器研究の犯罪行為を証拠立てた。
●瀋陽軍事裁判での榊原秀夫に対する尋問時の対話:
以下大意
問:医学専門知識を持つあなたは、細菌兵器は人類にどんな結果をもたらすのか当時すでに知っていたでしょう?
答:私は細菌兵器は反人類であること、「ジュネーブ条約」に反することを知っていましたが、私は完全に意識的に国際条約に背きました。私は自分が極端残忍で非道な罪を犯したことを認めます。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
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・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
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大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
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●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
薛家林(男、74歳)の証言
家は棲霞山衡陽寺でした。1937年の冬月に、日本兵が村に入って来ました。村の人は、行くのは行き、隠れるのは隠れました。私は行くのに間に合わなくて、日本軍に捕まりました。日本軍2人が私に道案内を命じ、ホアクーニャン(花姑娘=若くてきれいな女の子)を探しに行きました。日本軍は陳徳山の家の門を蹴り開けて、炉端に近寄り、鍋の蓋を開け、ぐつぐつ煮えているお粥を見つけました。日本軍の1人が首をかしげ「うん?」と一声発したのは、「こんなにたくさん粥がたけてて、人はどこへ行ったんだ?」という意味のようでした。もう1人の日本軍に「ホアクーニャン、いるのか?」と聴かれ、私は思わず「いないよ」と応じてしまいました。この日本兵は怒って、猛然と刀を抜いて斬りかかってきました。ひょいと首をかしげ、この一太刀をかわしたかったのですが、「カチン」とだけ聞こえて、日本刀が私の口に来ました。私は何も構わず、身を巡らして、いち早く駆け出しました。角は曲がるは、路地は抜けるはで、日本軍は私に振り切られ、私は後山の林に潜り込んで隠れました。その時分かったのですが、唇が上下とも切れて四つに別れ、左の歯が5つ6つ切り落とされていて、血が下あごから滴り落ち、汗が全身から噴き出し、痛くてたまらないのに、叫べもしませんでした。
その時、私は九死に一生を得、生きて来れたとは言うものの、口の傷痕は永遠に日本軍の犯罪行為を記録しているのです。(張良と李家坤が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
ひとりひとりの安全を
大事にする世界
また、地球上の人々の生命と権利を守る責任は国際社会全体にあるのだ、という考え方も広がりつつあります。たとえば、国の中で紛争状態や人権侵害があるときに、その国の政府が「これは国の内部の問題だから外国は口出しするな」などということは、もはや許されないのです。国と国が戦争をしていないからといって、それは平和を意味しません。人々の生命や権利が脅かされているかぎり、それは平和ではないのです。
日本国憲法には、9条と並んで、もう一つ重要な部分があります。
それは前文の次の言葉です。
「我らは、全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏からまぬかれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
世界には、戦争に行くことを正しいことではないと考えて、兵隊に行くのを拒む人々もいます。これを「良心的兵役拒否」の権利と呼びますが、この権利を国際的に保障しようという動きも活発化しています。
平和は、国から市民へ降りてくるものではなく、市民が国を動かし、国際社会を動かしてつくり上げていくものなのです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月27日土曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
6、罪証を隠滅、狼狽な逃亡
1945年、日本軍のアジアと太平洋の戦場におけるたび重なる敗北に伴い、石井四郎は日本の大勢がすでに去ったことを知り、その年頭に731部隊の留守者リストを作成した。731部隊の行為が国際条約にひどく違反していることを日本関東軍は十分に承知していたことから、その罪を隠すため、731部隊は逃亡前にすべての施設を完全に爆破し、重要物資と核心資料を日本に持ち帰った。
●731部隊隊員の大部分は中国の通化を経過し、丹東及び韓国釜山(ぷさん)を経由し帰国した。
●日本軍投降後、731部隊隊員のほとんどは日本に戻り、少数の支隊隊員だけが捕虜となった。
●
| 日本に戻った一部731部隊隊員の名簿と職務 | |
| 石井四郎 | 初代部隊長 |
| 北野政次 | 第二代部隊長。帰国後は図書館の翻訳、「中村公衆衛生研究所」所長や |
| 東京血液研究所所長などの職につく。 | |
| 菊池斎 | 731部隊第一部細菌研究部部長 |
| 太田澄 | 731部隊第二部細菌研究部部長 |
| 碇常重 | 医学博士。731部隊炭疽菌研究班班長 |
| 園田太郎 | 病理研究班班長。帰国後は芦屋市太原町で病院を開き、院長を務める。 |
| 永山太郎 | 731部隊診療部部長。帰国後は内科診療所を開く。 |
| 田部井和 | 医学博士。かつては第一部細菌研究部部長を担当し、 |
| 帰国後は兵庫県立医科大学細菌学教授。 | |
| 伊地知俊雄 | 総務部調査課課長 |
| 石井剛男 | 731部隊特別班(特設監獄管理)班長 |
| 石井三男 | 実験用動物飼育、採血班班長 |
| 坂井居江 | 731部隊第三部運輸班班長 |
| 西郡彦嗣 | 731部隊細菌検査班班長 |
| 関根(安川)隆 | 731部隊細菌研究技師。帰国後は水産大学学長 |
| 高橋正彦 | 医学博士。第一部ペスト研究班班長 |
| 川上漸 | 病理学博士。第一部川上病理研究班班長、病理解剖技師を担当。 |
| 帰国後は慶応大学医学部教授 | |
| 笠原四郎 | 病理学博士。病毒研究班班長。帰国後は北里研究所濾過性病毒研究部部長。 |
| 岡本構造 | 病理研究班班長、解剖技師。帰国後は東京帝国大学の病理学教授 |
| 田中英雄 | 昆虫研究班班長。帰国後は大阪市立大学教授 |
| 吉村寿人 | 生理学博士、凍傷研究班班長。帰国後は京都府立医科大学生理学教授 |
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
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大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
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●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
周兆坤(男、70歳)の証言
1937年には、家は西芦柴廠178号で、父(その時50歳足らず)と母と兄と私の妻とでみんなで5人でした。家中がむしろを編むのを業としていました。日本軍が入ってくる一日前に、我が家は三岔牌(つまり今の江東郷清江村)に引っ越して住まいました。
日本軍が南京を占領した2日目の午前8時か9時に、私は様子を見に出て来たいと思い、漢中門までまだ来ない内に、日本軍が何十人か向こうから来ました。日本軍の偉そうにしてたのが軍刀を手にして、私の面前まで来て斬り付けて来、私が首をちょっと左に避けたので、頭の右上の所が斬られて、血がぱっと出ました。幸い私は頭に厚い綿の帽子をかぶっていて、思いがけなくそれが防御になってくれ、そうでなかったらとっくに命は無かったのでした。その後で通訳みたいな人が私は兵士ではないようだと言ったので、日本軍はやっと手を止めて私を放ちました。私を痛みを堪え傷口をしっかり押さえて家に帰り、それからはもう家の門を出られませんでした。頭の傷口は10針以上縫い、1ヵ月余り大事にしてやっと癒着しました。今も頭に長さ3寸余りの傷痕が残っています。(袁史明と湯雲龍が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
ひとりひとりの安全を
大事にする世界
これまで多くの人々は、平和とは「国を守ること」と考え、国を守るためという目的で大きな軍隊がつくられ、国の中での争いが放置されてきました。しかし近年では、「国家の安全」だけではなく「人間の安全」という考え方を大切にしようという事が、世界的に言われ始めました。
緒方貞子・元国連難民高等弁務官などが中心となった国際専門家委員会が、2003年に「今こそ"人間の安全保障”を」という報告書を発表し、国連に提出しました。そこには、「国どうしが国境を越えて相互依存を深めていく中、国家ではなく人々を中心とした安全保障の考え方が今こそ必要である」という事が述べられています。
武力紛争下の人々、国境を越えて移動する移住労働者たち、国内外に逃れる難民たち、極度の貧困、HIV(エイズ)などの感染症との戦い、女性の性と生殖に関する健康といった問題は、「国家の安全」だけを考えていたら見落とされてしまいがちな、しかも深刻な「人間の安全」に関わる問題です。
2005年の国連世界サミットでは、「人間の安全保障」という言葉が初めて最終文書に盛り込まれました。じつは、これを推進したのは日本政府でした。「人間の安全保障」という考え方は、「武力によらずに平和をつくる」という憲法9条の考え方と通じ合うものがあります。私たちは、こうした考え方をもっと世界の中で広めていく必要があるでしょう。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月26日金曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
6、罪証を隠滅、狼狽な逃亡
1945年、日本軍のアジアと太平洋の戦場におけるたび重なる敗北に伴い、石井四郎は日本の大勢がすでに去ったことを知り、その年頭に731部隊の留守者リストを作成した。731部隊の行為が国際条約にひどく違反していることを日本関東軍は十分に承知していたことから、その罪を隠すため、731部隊は逃亡前にすべての施設を完全に爆破し、重要物資と核心資料を日本に持ち帰った。
●細菌実験センターであった「四方楼」は完全に爆破され、特設監獄に監禁された最後の被験者たちも爆破前に全員毒ガスで殺され、死体も焼却された。しかし、その数が多いため、短期間に全部は焼却できず、731部隊運輸班は焼却しきれない死体を秘密裏にトラックで運び松花江に捨てた。
●隊員たちは、動力班の3台の機会で、被験者のレントゲンと日本に持ち帰れない重要資料を毀棄(きき)してから機械を爆破した。その他、兵器班、高橋班、焼却炉などの施設も爆破された。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
馬金義(男、76歳)の証言
日本軍が南京を占領した時、私は29歳で、妻と銅坊苑5号に住んでいました。私は夫子廟のある食べ物屋で料理人をしていました。
1937年12月16日の午前9時過ぎに、私が中庭に立っていた時、門を猛烈に叩くのがいて、鍾という隣人が門を開けると、頬にひげをいっぱい生やした日本兵が1人入って来て、自転車を1台押し、刀を体にかけていましたが、様子からして下級将校でした。私を手招きし、自分について来るようにとの素振りなので、私は付いて出て行くしかありませんでした。道々通りの両側とも火が盛んに燃えているのしか見えないみたいで、日本軍が勝手に火を放ち焼きまくっているのでした。私が付いて行き三坊巷の前の電報局の所まで行くと、門に「清水大隊」という札がかかっていました。門を入ると日本兵が私を指し「中国兵だ」と言いました。すると日本兵が4,5人かかって来て手で殴るやら脚で蹴るやら、着ていた綿入れを引き破るやらし、黒い布で目隠しをして、「スーラスーラトィ」(死んじまえ、死んじまえ)と言いました。私の腰のベルトを外して首に巻き、2人が片方ずつ持って、同時に力を入れて引っ張り、私が気を失うと、少し緩め、気が付くと、又力を込めて引っ張りました。そんな風に締めたり緩めたりして、私を何回か目がくらんで分からなくさせたのです。
もう直ぐ暗くなろうとする頃に、私が気が付いたら、むしろが1枚体にかかっていて、電報局の後ろの花壇に横たわっていましたが、周りは何処もかしこも死体ばかりで、ぞっとしました。やがて、日本兵が2人むしろを2枚持ってやって来て、私を脚で2度蹴り、1度はちょうど左の目を蹴ったのですが、痛いのを堪えて動かなかったので、私が死んだと思い、身を巡らして行ってしまいました。
暗くなり、あたりに人声がしなくなってから、私はゆっくり囲い塀の辺まで這って行きましたが、塀の外は高家巷の四聖堂に通じていて、塀の脇の大きな木の下に肥え桶が置いてあったので、私は木につかまり肥え桶の上に立って塀に這い上がり逃げ出ました。上浮橋一帯は日本軍が見張っていて、家には帰れず、水倉巷の妻の兄弟の家まで行って隠れるしかありませんでした。左の目がはれて開けられず、腿も塀を跳び越えた時に転んで悪くしてしまい、行き来に不便で、体がとても弱り、1ヶ月余りふせっていてやっと次第に回復しました。やがて上浮橋を見張っていた日本軍が撤収したと聴いて、やっと杖を突き付き家へ帰りました。私の左の目はこの時から視力が減退して、半年で失明し、一生私は1つ眼の障害者に成ったのです。(劉淑芳と梅嘉福と顧蘇寧が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
戦争にそなえるより
戦争をふせぐ世界
また、資源などを狙う外国が、その国の中の武力紛争を悪化させることも少なくありません。平和づくりはその国の人々が主人公になるべきであり、人々が自分たちの土地や資源に対してきちんとした権利を持つ事が重要です。貧しい国に「援助してあげる」のではなく、人々の権利を保障していく事が、平和の基盤をつくるのです。
いわゆる「テロ問題」も同じです。テレビでは連日、イラクなどでの「自爆テロ」が報道されています。それに対して軍が投入されても、「テロ」はなくなるどころか、かえって増えていってしまいます。「テロリスト」と言う言葉が独り歩きしていますが、このような暴力をふるう人たちは、いったいどのような動機からそうしているのでしょうか。
「貧困、不正義、苦痛、戦争をなくしていくことによって、テロを行おうとする者たちの口実となる状態を終わらせる事ができる」と、コフィ・アナン国連前事務総長は語っています。暴力に対してさらに大きな暴力で対処しようとすることは、結果的に暴力を拡大させ、人々の命を奪い、人々を大きな不安の中におとしいれます。どうすれば人々が暴力に走ることを予防できるのか考える事が大事です。
そのための鍵は、軍隊の力にあるのではなく、市民どうしの対話と行動にあるのです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月25日木曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
5、細菌兵器を実戦に
大規模な細菌戦実施は、731部隊の細菌の研究と生産の目的である。1939年、731部隊はノモンハン戦争で細菌兵器を使用し、その後、1940年に浙江省(せっこうしょう)の寧波地域、1941年に湖南の常徳地域、1942年には浙贛鉄道沿線など地域にて、日本軍の侵攻戦に呼応して細菌攻撃を行い、多くの罪無き庶民に被害を与えた。その他、南京1644部隊(細菌戦部隊)の協力の下に、日本軍華北方面軍第12軍は1943年の8月から10月にかけて山東省西部衛河流域で「方面軍第12軍18秋魯西作戦」と呼ばれる細菌戦を実施した。第二次世界大戦終了後、この細菌戦に参加した当時日本軍第12軍軍医部長だった川島清を含む多くの戦争捕虜の自白と中国側の計算によれば、魯西の聊城、臨清を含む18の県だけで少なくとも20万人がこの細菌戦で惨死している。これら細菌戦に参加し、なおも生きている一部者どもは、その罪状を否定しているが、被害地域に健在する被害者たちは弁護士の協力の下に日本政府に訴訟を起こしている。
細菌戦訴訟
●4、1942年に浙贛鉄道で実施した細菌戦
《井本熊男日記》731部隊遠征軍の浙贛作戦実施に関する記述から以下は大意
常徳細菌戦の実施成功後、1942年春には、規模のより大きな細菌戦の企画活動を開始。以下は攻撃目標:
1、昆明
2、麗水、玉山、桂林、衢県、南寧(沿線飛行基地)
3、濠(豪?)州の各地要所
太平洋戦争の侵略作戦が一段落した後、日本軍は中国内地の麗水、玉山、桂林、衢県、南寧など華中、華南の都市攻撃を企み、同時にアメリカのアラスカ、オーストラリアとインドをも攻撃目標として討議したが、1942年の細菌戦進行地点は中国の華中、華南にある上述の都市にすることを決めた。
日本軍は玉山撤退の際、井戸に細菌入りのオイル缶を投入すると同時に、空中から大量のノミを投じた。この井戸の水を飲んだ村民の多くは嘔吐、下痢し、間もなく死んだ。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
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大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
黄広林(男、66歳)の証言
解放前は、家が貧しく、私は1936年に父母や弟妹たちについて南京へ来て、中華門の龍泉巷7号に住み、餅や団子を造ったり飯を蒸したりして生計を立てていました。1937年には日本軍が攻め込んできて、五台山の近くの難民キャンプに移り住むよう迫られました。その時私は18歳でした。12月13日に、日本の侵略者が南京を占領しました。12月14日の午前中に、私は一緒に住まっていた丁乃成(今は溧水の孔鎮郷の人)とそのほかの青年2人(1人は今は溧水県の和風郷黄家大隊甘村の人で、もう1人は南京の人)とを誘い、中華門の家まで見に行きました。私たち4人が一緒に楊公井まで来た時に、日本兵の一隊が正面から、馬や羊を牽いて私たちの方へ来るのに出逢い、日本軍2人が前まで来たので、羊や馬を牽かせるのに私たちを引っ張ろうとするだろうと、私は思いました。ところが、この日本軍2人は私たちを縦に並ばせました。私は一番後ろに並びました。日本軍の1人が銃を持ち上げ、私たちの前の3人を1人1人撃ち殺しました。私に撃って来ようとした時に、私はいち早く駆け出し、何十メートルか遠くまで駆けていて、日本軍が私を目掛けて一発撃ちましたが、当たりませんでした。私は道端の溝につまづき倒れ込みました。直ぐに日本軍2人が来て、まず左の腰を一太刀(ひとたち)突っついたので、私が向きを変えると、又右肩の上と、右の肋間、右の腰と、背中とに四太刀突いて来ました。こうして、私は日本軍に五太刀突っつかれ、傷口が7つでき、今も傷痕が7箇所残っています。私はその時気を失いました。しばらくして、ぼんやりとながらも革靴の音が聞こえなくなったようだったので、家へ帰ろうと何とか起き上がり、街の中心まで来た時に、又日本軍2人に出くわし、私の前までやって来た2人は、私がかぶっていた帽子をつかみ下ろし、額と手とをなでて、それから、又何やらぺちゃくちゃ喋っていてから、行ってしまいました。私は全身傷が痛いのを堪えて、何とか引きずり引きずり五台山までやってきたのは、もう夕方時分でした。
私は難民キャンプに戻ったら、父と母が私を見るなり、首を抱いて大泣きに泣き出しました。そしたら、私は身体中の力が抜けてしまって、立っていられなくなり、地べたに倒れこんでしまいました。私と一緒に街へ行った2人の奥さんたちが、日本軍に夫たちが撃ち殺されてしまっていたと知って、吠えるかのように泣く様が何とも悲惨で、何と痛ましかったことでしょう!父や母が私の衣服が血でべったり体に引っ付いているのを見て、はさみで綿入れを切り開いたら、全身に血の斑点が広がっていて、傷口の中は膿だらけでした。ぼろや綿で傷口を拭いてくれ、私を隠してくれたので、幸い寒い時で、ただれずに、2ヶ月余りも休んだら、傷がだんだん好くなって来ました。今思い出すとこの不幸なめぐり合わせは、何とも痛ましく忘れがたいことです!(姜継安が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
戦争にそなえるより
戦争をふせぐ世界
「反応ではなく予防を」。これは、2005年にニューヨークの国連本部で開かれた国連NGO会議(GPPAC世界会議)で掲げられた合言葉です。紛争が起きてから反応してそれに対処するよりも、紛争が起こらないようにあらかじめ防ぐこと(紛争予防)に力を注いだ方が、人々の被害は少なくてすみ、経済的な費用も安くおさえられるのです。
紛争予防のためには、日頃から対話をして信頼を築き、問題が持ち上がってきたときにはすぐに話し合いで対処する事が必要です。こうした分野では、政府よりも民間レベルが果たせる役割の方が大きいと言えます。どこの国でも、政府は、問題が大きくなってからようやく重い腰を上げるものです。ましてや軍隊は、問題が手におえなくなってから出動するものです。市民レベルの交流や対話が、紛争予防の基本です。市民団体が、政府や国連と協力して活動する仕組みをつくり上げることも必要です。
2005年、国連に「平和構築委員会」という新しい組織が生まれました。これは、アフリカなどで紛争を終わらせた国々が、復興や国づくりをしていくことを支援する国際組織です。このような過程で、再び武力紛争が起きないような仕組みをつくる事が大事です。貧困や資源をめぐる争いが武力紛争の大きな原因になっている場合も多く、こうした原因を取り除いていく必要があります。つまり、紛争を予防するためには、経済や環境に対する取り組みが重要なのです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月24日水曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
5、細菌兵器を実戦に
大規模な細菌戦実施は、731部隊の細菌の研究と生産の目的である。1939年、731部隊はノモンハン戦争で細菌兵器を使用し、その後、1940年に浙江省(せっこうしょう)の寧波地域、1941年に湖南の常徳地域、1942年には浙贛鉄道沿線など地域にて、日本軍の侵攻戦に呼応して細菌攻撃を行い、多くの罪無き庶民に被害を与えた。その他、南京1644部隊(細菌戦部隊)の協力の下に、日本軍華北方面軍第12軍は1943年の8月から10月にかけて山東省西部衛河流域で「方面軍第12軍18秋魯西作戦」と呼ばれる細菌戦を実施した。第二次世界大戦終了後、この細菌戦に参加した当時日本軍第12軍軍医部長だった川島清を含む多くの戦争捕虜の自白と中国側の計算によれば、魯西の聊城、臨清を含む18の県だけで少なくとも20万人がこの細菌戦で惨死している。これら細菌戦に参加し、なおも生きている一部者どもは、その罪状を否定しているが、被害地域に健在する被害者たちは弁護士の協力の下に日本政府に訴訟を起こしている。
細菌戦訴訟
●4、1942年に浙贛鉄道で実施した細菌戦
1942年4月18日、日本侵略軍の上海第13軍団と武漢第11軍団は、浙贛戦役を配置し、浙贛鉄道を貫通させよとの大本営の命令を受けた。戦いは5月から始まり、日本軍は金華、衢州、玉山、広豊、麗水などの地区を相次いで占領し、浙贛鉄道沿線にある3空港を破壊した。しかし兵力不足のため、日本軍は以上地区での長期駐屯ができず、破壊した空港も再建できないため、大本営は「浙贛行動」という細菌戦の実施を731部隊に命じた。1942年8月、731部隊はまたも遠征部隊を編成し、南京の「栄」字第1644部隊と共同行動をとった。この遠征隊は120人の士官と雇用隊員で編成され、7月に汽車でハルピンを出発し、まずは南京華中派遣軍防疫給水部「栄」字第1644部隊の陣営に駐屯した。出発前、731部隊はすでに倉庫で炭疽菌、パラチフス菌とペスト菌など約130キロの細菌瓶を箱に詰め、1644部隊の専用空港に送り、そこから「給水」の標識がある飛行機で南京へと運送した。細菌投入は空中投下と地面投入の方法がとられた。作戦実施の日本軍に対する同時感染防止のため、731部隊は投下地点を住民が避難した後の無人の町や村とし、住民は帰還後に即時感染した。空中投下はのち中国側が国際社会に激しく訴えたため、一度は地面投入のみに変更された。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
呉芝生(男、72歳)の証言
日本兵が入ってくる半月前に、私たちは元々住んでいた大丁家巷38号から難民区へ引き移り、今の華僑橋の近くに住まいました。私と弟の呉芝坤とは「仁○」と呼んでた家に一緒に住まい、母と前の妻の蔡芙蓉とは別の所に一緒に住まいました。1937年の冬月23日(「送竃」節)の午前中に、私と芝坤と一緒にドイツのシーメンス電器会社の南京事務所へ米を買いに行ったのですが、米を買う人がたくさんで、押し合いへし合いながら米を買っていた時に、不意に日本兵が2,3人やって来て、男の人を捕まえては頭を見たり、手を見たりして、「中央軍」がどうかを検査しました。私は人に文書を書き写してやる「代書屋」でしたが、やはりとても恐い気持ちでした。私は芝坤を人込みの中に押しやって、いち早く駆け出しましたが、日本兵に見られ、後頭部に狙いをつけられ一太刀やられました。途端に、首が血だらけになり、ネクタイがびっしょりになりました。私は死んだ振りをして腹ばいとなり、日本兵が一蹴りしましたが、私が動かないのを見て行ってしまいました。やがて弟と別の米を買ってた隣の人とが私を抱えて家に帰らせ、香炉の灰を傷口に塗って血を止めてくれました。その後、私は「仁○」で横たわって静養し、弟に世話してもらいました。今も後頭部の傷痕ははっきり見え、凸型になっていて、長さ2ミリ半です。
前の妻の蔡芙蓉は、その頃23歳で、日本兵に引っ張られました。岳父があちこち人に頼んで、蒼義成という通訳を見つけて方法を考えてもらい、一月近くしてやっと娘を帰らせてもらいました。(徐朝春と董明征が記録) ○は漢字に変換できない字
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
女性たちが
平和をつくる世界
ノーベル平和賞を受賞した女性たちの会「ノーベル女性イニシアティブ」は、次のように宣言しています。「平和とは、単に戦争のない状態ではない。平和とは、平等と正義、そして民主的な社会を目指す取り組みそのものである。女性たちは、肉体的、経済的、文化的、政治的、宗教的、性的、環境的な暴力によって苦しめられてきた。女性の権利のための努力は、暴力の根源的な原因に対処し、暴力の予防につながるものである」
この会には、地雷禁止運動のジョディ・ウィリアムズ、「もったいない!」で有名なケニアの環境活動家ワンガリ・マータイさん、北アイルランドの平和活動家マイレッド・マグワイアさん、ビルマ民主化運動のアウンサン・スーチーさん、イランの弁護士シリン・エバティさん、グァテマラ先住民族のリゴベルタ・メンチュさんらが参加しています。
国連では、「すべての国は、女性に対する暴力を止めさせる責任がある。そして、あらゆる平和活動の中で、女性の参加を拡大しなければならない」と決議しました(2000年、国連安保理決議1325)
紛争後の国づくりや村おこしなど、平和活動の中心には常に女性たちがいなければならない、ということです。実際、アメリカやヨーロッパはもちろんのこと、韓国をはじめとするアジア諸国でも、NGOなど市民による平和活動の中心を女性たちが担っています。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月23日火曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
5、細菌兵器を実戦に
大規模な細菌戦実施は、731部隊の細菌の研究と生産の目的である。1939年、731部隊はノモンハン戦争で細菌兵器を使用し、その後、1940年に浙江省(せっこうしょう)の寧波地域、1941年に湖南の常徳地域、1942年には浙贛鉄道沿線など地域にて、日本軍の侵攻戦に呼応して細菌攻撃を行い、多くの罪無き庶民に被害を与えた。その他、南京1644部隊(細菌戦部隊)の協力の下に、日本軍華北方面軍第12軍は1943年の8月から10月にかけて山東省西部衛河流域で「方面軍第12軍18秋魯西作戦」と呼ばれる細菌戦を実施した。第二次世界大戦終了後、この細菌戦に参加した当時日本軍第12軍軍医部長だった川島清を含む多くの戦争捕虜の自白と中国側の計算によれば、魯西の聊城、臨清を含む18の県だけで少なくとも20万人がこの細菌戦で惨死している。これら細菌戦に参加し、なおも生きている一部者どもは、その罪状を否定しているが、被害地域に健在する被害者たちは弁護士の協力の下に日本政府に訴訟を起こしている。
細菌戦訴訟
●3、1941年に湖南常徳で実施した細菌戦
常徳は中国湖南省にあり、ここは四省の相接地であることから重要な交通要地である。抗日戦争時代は中国の重要な糧食備蓄基地であった。その重要な役割の破壊と食糧の供給阻止のため、731部隊は日本関東軍司令部から「中国軍隊占領下の重要中枢区常徳及び鉄道道路沿線地区を破壊すべし」との命令に基づき、第2次遠征隊を派遣した。第2部部長太田澄大佐が100人以上の部下を率いて、1941年の年始と年末の2回にわたり常徳地区で、大量のペスト菌で汚染されたノミ、米、綿を空中投下したため、常徳県県庁所在地及びその郊外農村でペスト病の大規模な流行を引き起こした。
《井本熊男日記》の731部隊による常徳作戦から:以下は大意
11月4日、目的地は天気良好との知らせを受け、増田美保少佐が97式小型爆撃機を操縦し。5:30出発。6:50に目的地上空に到達。濃霧のため、飛行高度を下げて投下地点探索。地上800メートルの上空で群雲発生したため、1000メートル以下の投下を決定。(投下中に投下物を入れた箱が十分開かなかったため、最後は投下物を洞庭湖に投下。投下物はペスト・ノミ36kgとその他の予定穀物。)
11月6日、常徳付近にて中毒事件発生(日本軍の一飛行機が常徳付近で投下し、投下物に接触した人はいずれも強い中毒反応が起きた。)
11月20日、ペストが大流行。各戦区で。衛生防疫材料を全面的に収集。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
沙官朝(男、77歳)の証言
(昨日の続き)日本兵が見るなり、後ろから追って来ました。私は人力車をひいていましたから、脚で走るのは速いし、大きな通り小さな横丁とよく知っていたしで、日本兵が力いっぱい追っても追い付かず、私に向けて発砲射撃してきて、一発が肩に当たりました。2人は満足したみたいで、かか大笑いして去って行きました。私は隣6人が腹ばいに地に倒れ、どれもこれも日本軍の蛮刀の下に惨死しているのを目にし、自分自身も又何太刀かと一発食らい、刀傷と銃傷とを受けて、悔やむ想いと急く想いとで、狂わんばかりに懸命に走り、人里離れた路を何本か近道し、木料市や小王府園一帯に沿って難民区までまっすぐ走って行きました。難民区に帰ってからは、傷口が痛くてたまらなく、妻が見るなり気をもんで、私に手を貸して鼓楼医院に連れて行き、医者が見て入院させてくれました。11日入院しましたが、寝ていたのは267号ベッドだったと覚えています。そこに寝泊りしていても平穏だったわけではないのは、日本軍がしょっちゅう医院に調べに来ようとするからでした。医者が私に、日本兵に刺されたと言っては駄目で、爆撃で受けた傷だと言うようにと、言い含めてくれました。果たせるかなある日の夕方日本兵が病院に来て、私の布団をまくって聞いてきたので、私は医者に言われていた通りに話したのですが、暗くなっててはっきり見えなかったこともあってか、うまくごまかすことができたのでした。傷口がだいぶよくなって、退院して家に帰り、中国の薬草で続けて治療し、長い時間かかって治り、傷口がやっと癒えてだんだん着いてくるようになり、やがて健康が回復しました。(戦国利と楊正元が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
女性たちが
平和をつくる世界
戦争で一番苦しむのは、いつも女たちです。戦争で女たちは、強姦され、殺され、難民となってきました。それだけでなく女たちは、男たちが戦場に行くことを支えることを強いられ、さらに男たちがいなくなった後の家族の生活も支えなければなりません。戦場では軍隊の「慰安婦」として、女たちは強制的に男たちの相手をさせられてきました。これは「性の奴隷制」であると世界の人々は気づき、このような制度を告発しています。
男が働き、戦う。女はそれを支える。昔から、このような考え方が正しいものだとされてきました。最近では日本の大臣が「女は子を生む機械だ」と発言して問題になりました。その背景には「女は子を生む機械だ。男は働き戦う機械だ」という考え方があったのではないでしょうか。第二次世界大戦下、日本の政府は、こういう考え方をほめたたえ、人々を戦争に駆り立ててきました。このような男女の役割の考え方と、軍国主義はつながっているのです。
「男は強く女は弱い」という偏見に基づいた、いわゆる「強さ」「勇敢さ」といった意識が、世界の武力を支えています。外からの脅威に対して、武力で対抗すれば「男らしく勇ましい」とほめられる一方、話し合おうとすれば「軟弱で女々しい」と非難されます。しかし、平和を追求することこそ、本当の勇気ではないでしょうか。私たちが、国々や人々どうしがともに生きる世界を望むならば、こうした「男らしさ、女らしさ」の価値観を疑ってかかり、「強さ」という考え方を転換する必要があります。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月22日月曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
5、細菌兵器を実戦に
大規模な細菌戦実施は、731部隊の細菌の研究と生産の目的である。1939年、731部隊はノモンハン戦争で細菌兵器を使用し、その後、1940年に浙江省(せっこうしょう)の寧波地域、1941年に湖南の常徳地域、1942年には浙贛鉄道沿線など地域にて、日本軍の侵攻戦に呼応して細菌攻撃を行い、多くの罪無き庶民に被害を与えた。その他、南京1644部隊(細菌戦部隊)の協力の下に、日本軍華北方面軍第12軍は1943年の8月から10月にかけて山東省西部衛河流域で「方面軍第12軍18秋魯西作戦」と呼ばれる細菌戦を実施した。第二次世界大戦終了後、この細菌戦に参加した当時日本軍第12軍軍医部長だった川島清を含む多くの戦争捕虜の自白と中国側の計算によれば、魯西の聊城、臨清を含む18の県だけで少なくとも20万人がこの細菌戦で惨死している。これら細菌戦に参加し、なおも生きている一部者どもは、その罪状を否定しているが、被害地域に健在する被害者たちは弁護士の協力の下に日本政府に訴訟を起こしている。
細菌戦訴訟
●2、1940年の浙江東部寧波など地区での細菌戦
1940年7月、「関東軍作戦命令丙字第659号」令に基づき、将官1名と士官39名からなる「奈良部隊」が臨時編成され、石井四郎自らが指揮を執り、浙江東部の寧波(ニンポー)地域に赴き細菌作戦を実施した。部隊は細菌戦用器材を携えて7月末に平房を出発。その事情をかつて日本大本営の参謀であった井本熊男が日記に記している。この日記は1959年に本人が戦史資料として日本防衛庁に寄付した。
《井本熊男日記》の731部隊による寧波、衢県作戦の記載(吉見義明/伊香俊哉『731部隊と天皇・陸軍中央』岩波書店):(以下、大意)
●8月16日、井本少佐自ら杭州に赴き、奈良部隊に伝令し、同時に具体的な攻撃目標の選択を始めた。
●9月10日、攻撃目標を捜し、最終的に寧波に決める。
●9月10日、最初の弾薬未到、やがて到達する見込み。この最初の弾薬運送中に、元のコレラ菌が腸チフス菌に替えられる。
●1940年の9月18日から10月7日にかけて、日本軍は浙江省で6回にわたって細菌攻撃を実施した。それは主に細菌液とペスト菌に感染したノミが使用され、寧波市開明街の上空からノミを混ぜた小麦と粟を投下し、寧波の軍民たちに感染・到病させ、死亡数は100人を超えた。このため開明街一帯は閉鎖され焼壊された。その後20世紀の60年代半ばまで、ここには住民はなく、当時kの通りは「ペスト通り」と呼ばれた。
●1940年10月4日、日本軍は同手段で衢州県にノミの付いた小麦と粟などを散布した。検査の結果、このノミは「ペスト・ノミ」と判明された。散布したから38日後、衢州県ではペスト感染者が22人に達し、全員亡くなった。
●1941年9月、義烏市(旧称義烏県)から流行り始めたペスト病は日本軍が前の年衢州に投下したペスト菌感染が原因である。1943年まで、ペスト病はこの周辺地区での流行病となっていた。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
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●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
沙官朝(男、77歳)の証言
1937年に日本軍が南京を占領し、人民は塗炭の苦しみの内に置かれ、無数の同胞が殺害されましたが、私がその生き残りです。
抗戦したあの年は、私は30歳で、もう家庭を持っていて、子供が2人いました。私は人力車をひいて生活していました。日本軍が南京を占領した時、私たちはもう家中で東関○から沈家巷13号の難民区へ避難しに引き移っていました。何日かして、持っていた食料を食べ尽くしてしまったので、その日の午後3時に、私たちは隣の6人(銅細工師匠の李さんの息子に、韓というのに、栄というのに、向かいの範というの等、年齢がみんな同じくらいでした)を誘って、食料を探しに一緒に家に帰りました。○子橋の泥馬巷の角まで来たら、日本兵4,5人と出くわし、みんな年が若く力が強いと見るや、殴りつけ刺し殺し、私と一緒に行った6人の内で、あっという間に3人が銃剣で刺し殺されました。私はおったまげて、いち早く駆け出しましたが、たちまち日本兵2人に捕まってしまい、その1人が銃剣を腹をめがけて一太刀くれて来たのが、私が衣服をたくさん着ていたのと、ちょっと身をかわしたのとで、剣の先がそれて、左の腹から入って右の腹へ突き出ました。続いてすぐ、日本兵は又私の腰を一太刀刺しました。それに私の後ろに立っていた日本兵が、後ろから又一太刀刺しました。このもろに骨に刺さって来たのを、私はすぐさま歯を食いしばって抜き取り投げすて、痛みをこらえて前へ前へと飛ぶように走り、道に血がずうっと流れました。(明日に続く)
○・・・漢字変換できない字
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
基地をなくして緑と海を取りもどしてい世界
基地をなくして、緑や美しい海を取りもどし、きれいな空気がよみがえる。それが、人々にとっての本当の「平和」ではないでしょうか。
それは、人々が「平和に生きる権利」を確保することでもあります。
フィリピンでは、1992年、国民的な運動の結果、米軍基地はなくなりました。韓国ではピョンテクという場所に新たな米軍基地がつくられようとしている事に対して、人々は反対運動を続けています。
沖縄では「もう基地はいらない。美しい海を守りたい」と、辺野古での新しいヘリポート建設に反対する人たちが活動しています。自分たちの土地がイラクやアフガニスタンを攻撃する拠点として使われることに黙っていられないと、世界の人々は立ち上がっているのです。
かつて日本やアメリカに占領されてきた歴史をもつミクロネシアの憲法は、その前文で、次のようにうたっています。
「ミクロネシアの歴史は、人々がイカダやカヌーで海を旅したときから始まった。私たちの祖先は、先住民を押しのけてここに住んだのではない。ここに住んでいる私たちは、この地以外に移ろうとは望まない。私たちは、戦争を知るがゆえに平和を願い、分断された過去があるがゆえに統一を望む」
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月21日日曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
5、細菌兵器を実戦に
大規模な細菌戦実施は、731部隊の細菌の研究と生産の目的である。1939年、731部隊はノモンハン戦争で細菌兵器を使用し、その後、1940年に浙江省(せっこうしょう)の寧波地域、1941年に湖南の常徳地域、1942年には浙贛鉄道沿線など地域にて、日本軍の侵攻戦に呼応して細菌攻撃を行い、多くの罪無き庶民に被害を与えた。その他、南京1644部隊(細菌戦部隊)の協力の下に、日本軍華北方面軍第12軍は1943年の8月から10月にかけて山東省西部衛河流域で「方面軍第12軍18秋魯西作戦」と呼ばれる細菌戦を実施した。第二次世界大戦終了後、この細菌戦に参加した当時日本軍第12軍軍医部長だった川島清を含む多くの戦争捕虜の自白と中国側の計算によれば、魯西の聊城、臨清を含む18の県だけで少なくとも20万人がこの細菌戦で惨死している。これら細菌戦に参加し、なおも生きている一部者どもは、その罪状を否定しているが、被害地域に健在する被害者たちは弁護士の協力の下に日本政府に訴訟を起こしている。
細菌戦訴訟
●1、1939年のノモンハン戦争
ソ連の極東地区に侵入し「北進計画」を実現させるため、日本関東軍はモンゴル東部のハルハ河地区を踏み台とするため、日本の皇族閑院宮載仁大将が自ら指揮を執り、1939年5月4日より攻撃をかけた。しかし、ソ連軍のジューコフ将軍の率いる部隊の支援があって、日本関東軍は敗戦を繰り返した。敗勢挽回のため、1939年6月に731部隊は「防疫給水部」という名称で中国モンゴル国境でノモンハン戦争に参加し、自分たちが開発したコレラ、腸チフス、赤痢などの細菌を初めて戦場に投入した。石井四郎はこのために1、毒物爆弾によるソ連陣地砲撃2、飛行機による陶器爆弾の投下3、決死隊を敵後方に侵入させ、水源への細菌投入という3つの細菌作戦計画を立てていた。最終的には碇常重少佐が決死隊を率いて細菌のハラハ河投入を決めている。これが731部隊の設立以来細菌を実戦に用いた最初の戦例である。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
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●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
朱錫生(男、74歳)の証言
(昨日の続き)そこで、痛みを堪えて難民所の方へ走って行きました。街中死体で満ち満ちていて、道々ずっとつまずいたりはったりしながら、やっとのことで元々住んでいた所に手探りでたどり着きました。私のその様子を見て、父はびっくりし、難民所の人たちも私にそこに座り込まさずに、何人かの親切な隣人の助けを得て、香木で灰をこしらえ傷口に塗ってくれた上、夜が明ける前にと、夜を徹してかなり辺鄙な所の草葺のボロ小屋まで私を背負って行って休ませてくれました。それからは、父が1人で私に付いていてくれるしかありませんでした。食べる物が無く、3,4日飢え続けて、まったくどうしようもなくなり、父は又も危険を冒して私を家に連れ帰るしかなかったのですが、幸い周りにまだ何人か生きている隣人がいて、その人たちに食べる物を乞うたりして命をつなぎました。陽暦の正月が近づいた頃、その日は雪でしたが、革靴の響きが聞こえたかと思ったら、日本軍が家に入って来て、私が眠っているのを見るや、肩を引っ張り上げて、腕時計をしていないかどうかを見、腕時計は無かったのですが、首に傷のあるのを見つけ、直ぐに私を捕まえ細かく取り調べ追求してきました。その時は、日本兵に斬られたとはとても言えずに、手まねをしながら、口で「ドカーン」とか「バーン」とか音を出したりして、日本の飛行機に爆撃された時に受けた傷なのだと説明し、そんな風に何とか又1つ関門を逃げ延びようと、だましてやったのです。そのあと隣の人が鼓楼病院へ行って傷を直すよう勧めてくれたのですが、私は敢えて行きませんでした。家に隠れて3ヶ月余り、だいたい百日くらい寝ていて、傷も少しずつよくなり、やっと起き上がって動けるようになりました。今でも首の後ろに幅3,4寸の傷痕が残っています。
私がこんな大変な目に遭ったために、父がおびえたり、あせったりして、根っから生真面目な年寄りだったのが、間もなくしてぼけてしまい、明くる年の9月になって、死んでしまいました。私も体に傷を持ち、仕事をするのが難しくて、生活に響き、ずっとぐずぐずして31歳になってやっと家庭を持ちました。私のこの間の苦しかった経歴については、家の周りの人たちや私がいた廃品回収の会社で働いてる連中はみんな知っています。解放後は、共産党のお陰で、私は生活が安定し、今は年をとり隠退して家におりもう4年余りになりますが、毎月会社からの労働保険金をもらっています。連れ合いは2年前に病気で死んだので、今は娘や婿たちと一緒に生活し、その子供たちの面倒を見たり、家のことをしたりしていて、晩年はまあまあの生活です。(劉玉銀と楊正元などが記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
基地をなくして緑と海を取りもどしてい世界
戦争は最大の環境破壊です。油田が燃やされ、爆破された工場は有毒物質を垂れ流し、ときには「劣化ウラン弾」(放射性物質の兵器)が使用され、周辺の環境を何世代にもわたり破壊します。しかし、環境に深刻な影響をもたらすのは、実際の戦争だけではありません。 世界中に、戦争に備えるための軍事基地がつくられています。アメリカは、40カ国700ヵ所以上に軍事基地をもち、世界規模で戦争の準備をしています。日本にもたくさんの基地があります。 基地の周りでは、兵士による犯罪が大きな問題になっています。基地周辺の女性が暴力にあう事件が頻繁に起きています。ひどい騒音もあります。 基地による環境汚染は深刻です。ジェット機の燃料が垂れ流されたり、危険な毒物、金属、化学物質が土地を汚染しています。こうした問題を、国はいつも隠そうとします。国は汚染した土地の後始末にさえまじめに取り組もうとはしません。それでいて、「基地は平和と安全を守る」と繰り返しています。基地の周りの人々の暮らしは「平和や安全」とはとても言えたものではありません。 軍事基地はつねに、植民地に設置されるなど、立場の弱い人たちに押し付ける形でつくられてきました。先住民族は押さえつけられ、その権利や文化は奪われ、人々の精神や心理さえもむしばまれてきました。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月20日土曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
5、細菌兵器を実戦に
大規模な細菌戦実施は、731部隊の細菌の研究と生産の目的である。1939年、731部隊はノモンハン戦争で細菌兵器を使用し、その後、1940年に浙江省(せっこうしょう)の寧波地域、1941年に湖南の常徳地域、1942年には浙贛鉄道沿線など地域にて、日本軍の侵攻戦に呼応して細菌攻撃を行い、多くの罪無き庶民に被害を与えた。その他、南京1644部隊(細菌戦部隊)の協力の下に、日本軍華北方面軍第12軍は1943年の8月から10月にかけて山東省西部衛河流域で「方面軍第12軍18秋魯西作戦」と呼ばれる細菌戦を実施した。第二次世界大戦終了後、この細菌戦に参加した当時日本軍第12軍軍医部長だった川島清を含む多くの戦争捕虜の自白と中国側の計算によれば、魯西の聊城、臨清を含む18の県だけで少なくとも20万人がこの細菌戦で惨死している。これら細菌戦に参加し、なおも生きている一部者どもは、その罪状を否定しているが、被害地域に健在する被害者たちは弁護士の協力の下に日本政府に訴訟を起こしている。
細菌戦訴訟
●主な細菌戦731部隊による細菌戦 ノモンハン細菌戦 寧波細菌戦 常徳細菌戦 浙贛細菌戦 作戦期間 1939年8月 1940年7月~12月 1941年11月 1942年7月~8月 作戦地点 ノモンハン 杭州ー寧波(にんぽー) 南昌 杭州金華 参加人数 200人 100人 40~50人 160人 現場指揮官 石井四郎大佐 石井四郎大佐 太田澄大佐 石井四郎少将 碇常重大佐 太田澄大佐 碇常重大佐 村上隆中佐 使用細菌 腸チフス菌 ペスト菌 ペスト菌 ペスト菌、腸チフス菌 腸チフス菌 パラチフス菌、コレラ菌 コレラ菌 炭疽菌 投与法 河に投入 高空投下 高空投下 高空投下 731部隊は遠征隊を常に派遣し、各部隊に協力し侵略戦争に参加していた。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
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●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
2、日本軍の狂暴な個人的虐殺
本人の受けた害
朱錫生(男、74歳)の証言
私の生まれた家は安徽省(あんきしょう)の寿県で、ちょうど満1歳の時に母が死にました。民国20年くらいかに、生家では生活していけなくて、父が私を連れて南京にやって来たのですが、父は天秤棒で大きなかごを担いで廃品を回収したり、その廃品を売ったりし、私はそれについて歩いてくずやぼろを集め、何とか暮らしを立てていました。
民国26年(1937年)には、私は22歳でした。日本兵が南京を攻めに来て、陰暦の冬月11日に入って来たのでした。入ってくる前に、私は父と一緒に難民所に行きましたが、そこはそのころ福音堂と呼ばれた所で、今の19中学です。何日もしないある日の午後4時くらいでしたか、日本兵が人を捕まえにやって来たので、私は病気の振りをして地べたに横たわり、布団をかぶっていて、難民所の証明の紙を取り出して見せましたが、日本兵は見もしないで破り捨てました。私を入れて3人捕まりましたが、他の2人は知らない人でした。捕まってから、日本兵は私たち3人を河岸の方へ連れて行き、河岸まで来た時に、その2人は日本兵に刀で斬り殺されました。1人の日本兵が私を斬ろうとするので、私は家に80過ぎの年寄りがいて私に頼って生きているので・・・などと哀願したのですが、聞いてもわからないと思い、手まねを加えて、老人のひげが長くて長くて、などとやったりしたのです。そこへ、不意に又3人日本兵がやって来て、まだ私にははっきりとは見えない内に、その内の1人に後ろから刀で首の後ろを斬り付けられ、ばったり地に倒れました。その時そうだと思い付き、着ていたのが破れたオーバーだったので、歯でしっかり衿をかんだまま、息が口から漏れないようにし、既に斬り殺された振りをしました。何分かたって、日本兵が脚で私を何度もけりましたが、死を装ったまま動かないでいたら、「スーラスーラトィ(死了死了的=死んじまえ、しんでしまえ)」と言うのが聞こえ行ってしまいました。それがもう夕方5時くらいになっており、暗くもなって来ていて、痛くてたまらなく、着物が何処も血でべとべとでした。暗くもなり、日本軍の行ってしまったら、すぐに逃げ出してやろうと思いました。(明日に続く)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
武器を使わせない世界
核兵器を全面禁止することこそ必要です。世界のNGOは、「核兵器禁止条約」をつくることを提案しており、国連で交渉を始めることを呼びかけています。
生物・化学兵器は、国際条約ですでに全面禁止されています。もちろん禁止しても、隠れて開発する国や人々が出てくる可能性はあります。その時には国際機関が査察を行い、科学技術を用いて調査し、法に従って解決すべきです。
ノルウェーは2006年、地雷や核兵器といった非人道兵器を製造している企業に対しては、国の石油基金からの投資を止めることを決めました。日本は、「核兵器をつくらない」「もたない」「もちこませない」という「非核三原則」をもっています。
原爆を投下された日本は、「やり返す(報復)」のではなく「この苦しみを誰にも繰り返させたくない。だから核兵器を廃絶しよう」という道を選びました。私たちは、この考え方をさらに強化して、世界に先駆けた行動をとることができるはずです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月19日金曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
5、細菌兵器を実戦に
大規模な細菌戦実施は、731部隊の細菌の研究と生産の目的である。1939年、731部隊はノモンハン戦争で細菌兵器を使用し、その後、1940年に浙江省(せっこうしょう)の寧波地域、1941年に湖南の常徳地域、1942年には浙贛鉄道沿線など地域にて、日本軍の侵攻戦に呼応して細菌攻撃を行い、多くの罪無き庶民に被害を与えた。その他、南京1644部隊(細菌戦部隊)の協力の下に、日本軍華北方面軍第12軍は1943年の8月から10月にかけて山東省西部衛河流域で「方面軍第12軍18秋魯西作戦」と呼ばれる細菌戦を実施した。第二次世界大戦終了後、この細菌戦に参加した当時日本軍第12軍軍医部長だった川島清を含む多くの戦争捕虜の自白と中国側の計算によれば、魯西の聊城、臨清を含む18の県だけで少なくとも20万人がこの細菌戦で惨死している。これら細菌戦に参加し、なおも生きている一部者どもは、その罪状を否定しているが、被害地域に健在する被害者たちは弁護士の協力の下に日本政府に訴訟を起こしている。
細菌戦訴訟
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
長江北岸の浦口での集団虐殺
翁錫栄(男、73歳)の証言
1937年は、私は25歳で、家は卸甲甸でした。1937年の12月末から翌年1月にかけてのある日、私は呉修葉や翁錫華など何人もと浦口(旧の江口)の油倉庫まで油を弄(まさぐ)りに行きました。油を弄りに行く道で蒋窪楊荘の楊春華のお父さんとお兄さんにも出くわしました。その日の夜およそ12時頃に、私たち油倉庫に着きました。油をやる人がいっぱいで、私たちすぐにはぐれてしまいました。私が油倉庫の方へ行って、油を弄ろうとした時に、突然日本軍が2人倉庫から出て来ました。私は日本軍に見つかって、ひざまずかせられ、私と同時にひざまずいたのに私の知らない小さい男の子が1人いました。日本軍がすぐに銃剣で私を刺しに来ましたが、初めの2太刀とも私はかわせました。3太刀目を刺して来た時、私は片方の手で銃剣を強くつかんで押し返してやりました。私はその頃力があったので、すぐに立ち上がり逃げてしまいました。その小さな子がどうなったか、後になっても分かりませんでした。そこから遠くない小さな河の北側にあった学校まで走って行ってその傍らに隠れたら、すぐに機関銃の音が聞こえました。学校の近くにしばらく隠れていてから、私は1人で手探り歩き始め、黄橘洲の芦の薪の堆があるところまでずっと手探りで行き、明くる日の朝になってやっと帰ってきたのでして、もうちょっとで私も命を亡くすところでした。帰ってきて何日も眠りずっとご飯を食べられなかったほどに恐かったですが、後になって、楊春華のお父さんもお兄さんも日本軍に撃ち殺され、長江に押し入れられて行ったと、誰かが言っているのを聞きました。(呉大興と章歩錦が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
武器を使わせない世界
世界中の兵器をいっぺんになくすことはできません。それでも人類は、二つの世界大戦を通じて国際法をつくり、残酷で非人道的な兵器の禁止を定めてきました。
たとえば、地雷は、踏むと反応する爆弾で、人を殺さず手や足だけ奪う兵器です。NGOが運動を起こし、カナダ政府と協力して、1997年に「対人地雷全面禁止条約」を実現しました(オタワ条約)。
また『クラスター爆弾」は、爆発すると周辺一帯に大量の「小さい爆弾」が飛び散るようにつくられた爆弾です。あたり一帯に不発弾が残り、地雷と同じ働きをします。クラスター爆弾も全面的に禁止するべきだと、ノルウェー政府とNGOが動き始めています。
広島と長崎に落とされた2発の原爆は、瞬時に20万人の命を奪いました。被爆者たちは、60年以上たった今も、放射能によって健康をむしばまれています。
このような核兵器が、世界に26,000発もあります。その大部分はアメリカとロシアのものです。核保有国は「自分たちの核兵器は許されるが、ほかの国が核兵器をもつのは許さない」と言います。アメリカは自ら核兵器の強化を図っているのに、イランや北朝鮮の核開発には制裁を課し、イラクに対しては「核疑惑」を理由に戦争を始めました。
いわば「タバコをくわえながら『みんなタバコをやめろ』といっているようなもの」(エルバラダイ国際原子力機関事務局長、ノーベル平和賞受賞者)です。自分たちの核はいいのだと大国が言い続けている限り、ほかの国々もそれに続こうとするでしょう。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月18日木曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
4、細菌兵器の研究開発
14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。
3、防疫体系
731部隊は細菌の研究開発と同時に、部隊自身の防疫に十分注意していた。日本の作家森村誠一氏は《悪魔の飽食》で、細菌製造班の隊員は、「まず更衣し、必ず‘入浴’してから職場に出勤した。更衣室で裸になり、白い作業服にガーゼ7~8枚を重ねたマスクをかけ白帽をつけ、ゴム製の前掛けを首から足首上まで当て、ひざ下まであるゴム長靴をはく。ゴムの手袋をはめて特別製のメガネをかけると完全装備になる。この姿で浴場に入るのである。浅い浴槽には石炭酸液が張ってある。消毒液の中をざぶざぶと歩いていくと、浴槽を渡り終えたところで、ひざから下が無菌状態となる。消毒の川であった」と書いている。
濾水車、濾水器、濾水機は野外での細菌作戦のときに、本部隊兵士たちが細菌に感染されることを防ぐための浄水用道具である。また、731部隊は「超音波」によるワクチン生産を研究し、この技術をワクチンの生産作業に応用した。石井四郎は日本の超音波技術の著名専門家渡辺博士を731部隊に呼び寄せ、この技術の研究を強要した。しかし渡辺博士は生物戦争における医学技術の応用に終始反対し、のちに不審な交通事故で死亡している。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
長江北岸の浦口での集団虐殺
張福龍(男、65歳)の証言
(昨日の続き)もうじき私の番になる、という時に、どうせ死ぬに決まっているのなら、日本兵1人を道ずれにしてやる方法を考えねば、と思いました。小高い所まで行った時に、私が左手を伸ばしたら、すぐに日本軍のもう1人に見つかって、たちまち私を刺しにきて、長江に押し落とされてしまいました。私は小さいときから堤防で囲まれた水地帯で育ったので、水には割りに強く、水中で懸命に振り切って逃げようとしたら、間もなく縄が振り切れたので、水にもぐって、急な流れに任せて東へ泳ぎ、およそ7,8分後に、七里洲に泳ぎ着きました。その頃の七里洲は今よりずっと大きくて、今の南京長江大橋の下も洲になっていました。私は七里洲でおよそ2時間余り休んで、浦口埠頭の明かりが消え、銃声が響かなくなってから、又水に入って向こう岸の橘子洲(今の南京鋼鉄廠の近く、今はもう田畑になっている)の方へ泳いで行きました。長江の水は死んだ人の血で真っ赤に染められ、水の面には死人がびっしり隙間なく浮かんで下流へと漂って行くので、私は死んだ人の体のその又上を泳いで行くしかありませんでした。岸に上がった時は東の方がもう白んでいました。橘子洲は至る所死人ばかりで、脚を降ろす処が無く、地面には百近い支柱で支えた芦葦の堆もありましたが、私が十余りずうっと見て行った芦葦の堆の中には、みんな死人がいて、私はある堆の中に潜り込んで死人と一緒に眠るしかありませんでした。その時は疲れたのか、それとも気を失ったのかも分からずに、太陽が今にも山に沈もうとする頃までずうっと眠ってやっと目が覚めたのでした。私は父が岸辺の畠で仮住まいしている所まで走って行き、まだ小屋に入らない内から、父が上の兄に私を連れ出すべきではなかったと責め立てているのが聞こえていたのですが、2人が私を一目見るなり首を抱いて大泣きし出したというのに、私は気を失ってしまって、何も分からなかったのでした。目が覚めたら、既に上の兄が家にいたのです。その時に初めて分かったですが、長江に押し落とされた時にぶつかって歯が4本折れ、首が竹の大駕籠のように腫れ、右腕の中ほどが奥まで刺されていて、傷口のところが水ぶくれし肉までめくれてぐしゃぐしゃになってきていたりし、今になっても傷痕があります。上の兄の家で一ヶ月余りほど休んでから、傷口がだんだん好くなって来ました。
この惨憺たる事件は40年余り経ったのですが、その血の教訓は私たちは終生忘れることができません。青少年たちにも常にこの歴史を話してやって、言うのですが、人が窮すると至る所で侮辱され、国家が窮すると普通の人々が災禍に見舞われます。どうしても今日の幸せな生活を大事にし、奮起一番学習に努め、仕事に励み、「4つの現代化」に貢献しなければなりません。(呉大興と謝興栄が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
おたがいに戦争しないと
約束した世界
地球規模では、世界各国では軍隊を減らす一方、国連に「緊急平和部隊」をつくり、紛争や人権侵害を防止しようという提案がなされています。また、イタリア憲法11条は、日本国憲法9条と同様に「戦争の放棄」をうたっていますが、そこには「国どうしの平和的関係のためには、国の主権が制限される場合もある」と定められています。つまり、国際的なルールや制度によって平和を保つ事が重要であり、「自国を守るため」といって勝手な行動をとることは許されないということです。
グローバル化の時代、人々は国境を越えて行き来し、経済や社会はつながりあっています。安全を自国の軍事力で守ろうとすることよりも、国どうしで約束をつくり、国際的に平和のシステムをつくることの方が、現実的に必要とされてきているのです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月17日水曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
4、細菌兵器の研究開発
14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。
2、細菌の感染ルート
野外実験
731部隊は各種細菌兵器の野外における実践効果を試すため、数多くの野外実験場を置き、主には城子身溝、安達と陶頼昭の野外実験場がある。実験内容は被験者を実験場のそれぞれ異なった場所に固定し、空中あるいは遠い地点から爆弾を放ち、被爆した被験者からの各種効果と反応を観察すること。しかし、多くの実験場で行われたのは細菌兵器の実験だけでなく、通常兵器の実験もあった。例えば、ある地点から100メートル、200メートルと500メートルそれぞれ先に、異なる数の被験者一緒に縛りつけ、発砲して弾丸の人体貫通能力を試した。
第ニ章 症例
第1地域陣地内被験者の症状及びその後の経過
287号
9月7日、黄弾射撃後4時間、全身倦怠、口囲発赤を認め、翌8日、1時ごろより全身倦怠、脱力感を覚え、頚部発赤、顔面浮腫、眼瞼浮腫状、前臍背面部発赤、22時ごろより口囲に粟粒大水疱発生あり。
9日22時ごろより口囲に多数粟粒大乃至米粒大の水泡蔟生。
10日17時発熱37度。肩胛部、頸前胸、腹、四肢、陰嚢一般に発赤し羞明。眼痛、結膜浮腫、角膜混濁、眼脂を認む。鼻汁、咳嗽、咽頭後壁発熱を呈す。
9月11日17時、全身彌漫性発赤、腫脹、陰嚢発赤、疼痛及び鼻汁、嗄声、咳嗽、頸内掻破感を訴える。
9月12日10時、顔面腫脹、疼痛、項部諸所に痂皮を存す。肩胛部発赤、頚部水泡、一部濃泡化。四肢、腹発赤、陰嚢靡爛、陰茎諸所に痂皮に痂皮あり。眼症状も漸次増悪の傾向ありて、眼瞼浮腫、結膜充血著明なり。
12日、水泡内容を無菌的に穿刺吸引し、次の試験に供す。
(1)479号の右上膊部に該液0.2ミリリットルを皮下注射す。12時間と24時間後、観察するになんらの発見しえず、毒力試験は陰性に終わる。
(2)479号の左角膜内に0.1cc注射し、一昼夜にして軽度の罩膜充血並び結膜充血を認むるに2昼夜にして正常となる。
(3)485号、468号、358号、372号計4の左上膊、右上膊に該液0.2の腕の前肘部からこの溶液を0.2ミリリットル皮下注射し、一昼夜観察するに、何等の反応症状を発見するを得ず。
毒力試験は陰性に終わる。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
長江北岸の浦口での集団虐殺
張福龍(男、65歳)の証言
抗戦が始まる前は、家の生活が苦しく、私は父と卵を集めて売ることで、ささやかな商売にし口過ぎしていました。1938年の旧正月が過ぎ何日もしない頃に、父が私に上の兄を探しに潘家営へ行かせ、兄に家を少し助けさせようとしました。兄が「浦口の煤炭港に油の倉庫がある。人がいっぱい油を担ぎに行って売っている。今晩俺たちも行こうや」と言いました。それもいいだろう、力が有るんだから、と思いました。まだそれほど暗くなっていない頃に、私たち桶を天秤で担ぎ、長江辺りの小道に沿って浦口へと急ぎました。
浦口に着いたら、もう真っ暗になっていました。油倉庫の周りは人の波で、あっという間に兄とはぐれてしまい、私は人込みの中をあちこち探しまわりました。2時間余りして、岸辺の方から突然「タッタッタ」という機関銃の音がしてきて、途端に人の群れが蜂の巣を突っつかれた蜂の子のように四方八方へ逃げ走り、ある者は桶すらも構っていられないほどでした。私は走るのは速い方の1人なのですが、日本兵が2,3千人とっくに人の群れをまん丸く取り囲んでいたので、やはり逃げ切れませんでした。日本軍は私を捕まえてから、荒縄でみんなを数珠繋ぎに縛るのに、1本で12,3人ずつ縛って行き、私は右手を縛られました。日本軍は銃を構え、銃剣を着けて、私たちを岸辺の方へ追い立てました。岸辺まで来て、私は1列ずつ人が日本軍に小高い所から長江へと押し落とされているのを見かけました。長江の真ん中に並んだ艦船10何隻かの上の機関銃と、加えて岸の上の機関銃3挺とが、探照燈10何台かの光に照らされながら、水の中でもがいている人の群れを掃射し、機関銃の音と泣き喚く声とが1つとなって、何とも見るに忍びなくさせました。(明日に続く)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
おたがいに戦争しないと
約束した世界
「相手が攻めてくるから、準備しなければならない」
軍隊は、いつもそう言って大きくなってきました。でも、こちらが準備することで、相手はもっと不安に感じ、さらに軍備を増やしていきます。その結果、安全になるどころか、互いに危険がどんどん増えていきます。
このような競争や衝突を避けるため、国々は「お互いに攻めない」という約束を結ぶ事ができます。
とくに、地域の中でこのような取り決めを行っているところは多く、ヨーロッパには「欧州安全保障・協力機構(OSCE)」が、東南アジアには「東南アジア諸国連合(ASEAN)」が、アフリカには「アフリカ聯合(AU)」が地域の平和のための枠組みとして存在します。
日本を取り囲む東北アジア地域には、このような枠組みはありません。朝鮮半島は南と北に分断されており、中国と台湾は軍事的ににらみ合っています。日本では多くの人が「北朝鮮が怖い」と感じていますが、逆に朝鮮半島や中国の人たちの間では「日本の軍事化が怖い」という感情が高まっています。
NGOは、「東北アジア地域に平和メカニズムをつくろう」と提案しています。
その一つのアイデアは、東北アジアに「非核地帯」をつくることです。
日本や韓国、北朝鮮は核を持たないことを誓い、一方でアメリカ、中国、ロシアなどの核保有国はこれらの国に「核による攻撃や脅しをしない」という法的義務を負うような条約をつくるのです。すでにこのような非核地帯条約は南半球のほとんどにできており、最近では中央アジアにもできました。
また、日本とロシアの間で争いになっている「北方領土」周辺に平和地帯をつくるとか、中国と台湾それぞれが軍備を減らし平和交流を増やすといった提案がなされています。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
ノブの雑感のタグをクリックしてください!!
2009年6月16日火曜日
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
4、細菌兵器の研究開発
14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。
2、細菌の感染ルート
野外実験
731部隊は各種細菌兵器の野外における実践効果を試すため、数多くの野外実験場を置き、主には城子身溝、安達と陶頼昭の野外実験場がある。実験内容は被験者を実験場のそれぞれ異なった場所に固定し、空中あるいは遠い地点から爆弾を放ち、被爆した被験者からの各種効果と反応を観察すること。しかし、多くの実験場で行われたのは細菌兵器の実験だけでなく、通常兵器の実験もあった。例えば、ある地点から100メートル、200メートルと500メートルそれぞれ先に、異なる数の被験者一緒に縛りつけ、発砲して弾丸の人体貫通能力を試した。
第一章 緒言
昭和15年(1940年)9月7日から昭和15年9月10日に至り、野砲4門(600発)、十榴(10センチ榴弾砲)8門(600発)による黄弾(イペリット弾或いはルイス式毒ガス弾)射撃を実施せり。
第1地域発射弾数は毎ヘクタール100発、総数1800発(野砲に換算す)。射撃時間は40分、15分間射撃後、15分間休、10分間射撃なり。
第2地域に於いては、射撃弾数は毎ヘクタールに200発。総数3200発。
第3地域は発弾数、毎ヘクタール300発、総数4800発なり。被検物は地域内の野砲偽掩体、軽棲息所、観測所、掩蓋MG座監視所、特殊構築物内等に各々配備せり。
第1地域陣地に配置せるものは、皆無帽、満服、下着、上靴を着用せしめ、無装面とす。
第2地域陣地にては、無帽、夏軍衣、袴を着用せしめ、無装面者3名。
第3地域陣地に配備せるものは、夏軍衣、袴を着用せしめ、無装面者2名。装面者3名とす。
黄弾射撃後4時間、12時間、24時間、2日目、3日目或いは5日目に於ける一般症状(精神障害を伴うものを含む)、皮膚症状、眼部、呼吸器、消火器に於ける症状経過を観察せり。尚、水泡内溶液の人体接種試験、血液像並び屎尿検査を実施せり。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
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中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
長江北岸の浦口での集団虐殺
常玉華(女、66歳)の証言
1937年には私の家は葛塘郷の大倪荘でした。私はやっと9歳でしたが、家の生活が苦しいのに迫られ、母(常倪氏)はよく私と3番目の兄(常大富)とを連れて旧の江口(浦口)まで商売をしに行っていました。1937年の12月15日に、私は日本軍が江口のところで中国人を縦(ほしいまま)に虐殺しているのをこの目で見ました。ある日、私達母子3人で江口で小さな商売をしていました。しばらくしたら、遠くから日本兵が何十人かやってくるのが見えたのですが、江口に着くなり人を捕まえたり縛ったりで、その時商売をしていた3番目の兄の常大富が捕まり、連れて行かれてから針金で船着き場にくくりつけられてしまい、兄と同時にくくられたのが30人余りいました。岸の上にも日本兵に針金を鼻に突き通されて縛り付けられている人がたくさんいて、機関銃で掃射され、途端に縛られていた人たち全部が倒れて、船着き場と岸辺とが血で真っ赤に染まりました。次に、日本軍は死体を長江に押し込みました。私と母とは死ぬほどに泣き叫び、母は泣いて泣いて目が見えなくなりました。それからは、私と母の2人は生活していけなくて、故郷の葛塘郷大倪荘へ帰るしかありませんでした。帰ってからも母が泣き過ぎで目が見えなくなったために、私を養っていけなくなり、そこで、その年の末にお金で幼少妻に娶られてしまいました。(章歩錦と呉大興が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
武器をつくったり
売ったりしない世界
世界では今、武器貿易を取り締まるための「武器貿易条約(ATT)」をつくることが提案されています。世界的な市民運動の結果、このような条約をつくろうということが2006年に国連総会で決議され、そのための準備が始まっています。
しかし、世界的には武器をつくること自体、また、武器を売ること自体が禁止されているわけではありません。提案されている条約も、武器貿易を登録制にしようというものであり、武器貿易の全面禁止にはほど遠い内容です。
日本は、憲法9条の下で「武器輸出を原則的に行わない」という立場をとっています(武器輸出三原則)。このような日本の立場は、世界でも珍しい先進的なものです。
しかし、一方で、日本はアメリカと共同でミサイル防衛の兵器開発を進めており、この分野は武器輸出禁止の「例外」として認めています。
ミサイル開発に携わる企業からは、武器輸出を認めるよう求める声が高まっています。「日本は将来、憲法9条をなくして、ハイテク技術を駆使して武器をつくり世界に売り始めるのではないか」と心配する人も増えてきています。
私たちは、武器を輸出する国になるのか、それとも「武器の禁止」を世界に輸出する国になるのか、分かれ道にいます。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月15日月曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
4、細菌兵器の研究開発
14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。
2、細菌の感染ルート
野外実験
731部隊は各種細菌兵器の野外における実践効果を試すため、数多くの野外実験場を置き、主には城子身溝、安達と陶頼昭の野外実験場がある。実験内容は被験者を実験場のそれぞれ異なった場所に固定し、空中あるいは遠い地点から爆弾を放ち、被爆した被験者からの各種効果と反応を観察すること。しかし、多くの実験場で行われたのは細菌兵器の実験だけでなく、通常兵器の実験もあった。例えば、ある地点から100メートル、200メートルと500メートルそれぞれ先に、異なる数の被験者一緒に縛りつけ、発砲して弾丸の人体貫通能力を試した。
●731部隊は各種細菌兵器の効能を試すため、野外で各種「実践演習」を行った。
●731部隊はその「成果」に基づき、随時野外で模擬演習をするため、これらの実験場をいずれも731部隊付近と周辺に置いていた。どのような実験場を作るかは、その実験内容、目的や地理的位置によって決められる。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
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大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
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●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
長江北岸の浦口での集団虐殺
謝宝倫(男、66歳)の証言
1937年の、農暦臘月8日から11日までの何日かに、私は村の鄭さんの家の人が3,4人で油を担ぎに浦口へ行くのを見かけました。家は貧しい方だったので、人が油を弄(まさぐ)りに行くのを見て、私も弄(まさぐ)りに行きました。2日目の午後5時頃に、私と鄭兆禄など20人余りとが卸甲甸の芦葦洲まで行って船に乗り菜種油を担ぎに浦口へ行きました。浦口の油倉庫へ行ったら、小さい油タンクはみんなに持って行かれてしまって、残っていたのはどれも大きな桶で持てませんでした。私が行こうとしていた時に、日本軍が油スタンドの上から降りてくるのが見えたので、すぐ逃げて小さい河の西側の土手まで行ったら、日本軍が群衆を囲みこんでいるのが見え、すぐ続いて縄でみんなを一緒に縛り、長江の中の土の盛り上がったところまで追い立てて、銃剣で人々を水の中へ押し入れて行くのが見えました。鄭方氏さんたちが日本軍に長江へ押し落とされて行くのを目撃したのです。鄭方氏さんは日本軍が警備を緩めているすきに、縄をほどいて、土の盛り上がったところに掴まり、一緒に油を担ぎに行った韓兆礼と泳いで家に帰りましたが、ほかのおよそ100人余りは日本軍に機銃掃射されて長江で死んだのです。私は油を弄ること無く、危うく命を落とす危険を冒しただけで、家へ逃げ帰りました。(章歩錦と呉大興が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
武器をつくったり
売ったりしない世界
「武器はどこから来るのでしょうか?
ヨーロッパやアメリカから来るのです。彼らは、武器貿易の達人です。アフリカの私たちは戦う必要も、殺しあう必要もないのです。だから、憲法9条は、アフリカにこそ導入されるべきだと思います。9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ってこさせないようにする事ができます。」
これは、2007年1月にナイロビで開催された「世界社会フォーラム」で、ケニアの青年が語った言葉です。アフリカには、スーダンやソマリアなど、数多くの内戦に苦しんでいます。子どもたちまでもが兵士とさせられ、武器をもたされ、傷つき、多くの民間人が命を落としています。
世界でもっとも多く武器を輸出している国々は、アメリカ、ロシア、ドイツ、フランス、オランダ、イギリス、中国といった大国です。これらの国々から、中東、アジア、アフリカ、中南米へと、武器が売られています。紛争で使われる小型武器は、世界中に6億個以上あり、さらに毎年800万個がつくられていると言われています。これらの武器によって、世界で年間50万人の死者が出ていると推定されており、これは「一分で一人」をいう計算になります(「コントロール・アームズ・キャンペーン」による)。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月14日日曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
4、細菌兵器の研究開発
14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。
2、細菌の感染ルート
細菌爆弾の研究開発
●陶器爆弾は731部隊が独創した細菌兵器。その大量生産のため、731部隊は爆弾の外殻製造窯を造った。今は2つが残っている。
●陶器爆弾を装置したのは山口班。外殻ができると、山口班は爆弾の装置を担当する。山口班の地下倉庫では、装置完了のの陶器爆弾を保管していた。
●陶器爆弾は石井四郎が開発した特殊な細菌爆弾である。通常の爆弾は鋼鉄製で、爆発後に高熱を放つ。それに比べて陶器爆弾は陶磁器や珪藻土で作られ、少量の火薬だけで破裂し、高熱も無く、細菌を傷つけないことから、鋼鉄製爆弾の高熱による細菌殺傷がなく、日本軍による細菌戦実施での主な兵器となった。
●『注』:喬世興、男、1925年生まれ。本籍はハルピン市平房区大喬家。1942年1月から1944年12月まで731部隊で労働者として働き、山口班の装置が終わっていない爆弾を目撃。
●兵器班は731部隊第4部に所属していた。菌苗、ワクチンの生産と各種小型細菌兵器の開発を主に担当していた。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
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大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
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●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
長江北岸の浦口での集団虐殺
唐世杰(男、1925年12月生まれ)の証言
中国侵略日本軍が1937年に南京を占領した時、私はわずか12歳で、家は下関の鮮魚巷83号でした。陥落する前に、私と妹とは父母や祖母と一緒に六合県の大営集まで逃げて行きました。
鮮魚巷83号で、我が家は個人商店と人と一緒の洗濯屋とをしていたので、伯父の唐春山と叔母の夫の高有銘とボイラー焚きの助手1人(男、30過ぎ)とが居残ってやっていました。日本軍が12月13日に南京を攻め落とした時、3人が小舟で長江を渡り、浦口へ行きましたが、一緒に渡った難民がほかに十数人いました。浦口まで逃げたとは言え、危険を脱したわけではなく、何と日本軍に捕まり、3人とも浦鎮東門まで引っ立てられ機関銃で殺害されたのですが、一緒にやられた難民が4,5百人いました。唐春山たちが殺された後、その子の唐寛栄と娘とが浦鎮まで死体を探しに行き、その難に遭った所に墓を建てました。
1937年の終わりに、日本軍が南京を占領した時、母方の祖父の蘇宝臣と蘇宝泉の兄弟2人は、塩倉橋の北祖師庵30号に住んでいて、左官をして暮らしていました。ある日、日本兵が略奪し人を捕まえようと家にやって来て、祖父の蘇宝臣が門を開けた時に、その場で刺し殺され、それから又奥の家に入り込んだ日本兵に蘇宝泉も刺し殺されたのです。2人とも60過ぎでした。
中国侵略日本軍は人を殺し略奪したほかに、至る所で火を着けて燃やしました。日本軍が入って来てから、我が家の鮮魚巷83号のお店と住まいでみんなで15軒あったのを、すべて焼き尽くしました。同時に焼かれたのが我が家の東側の瑞記ガラス店とすごく大きな住まいとでした。(劉相雲が唐世杰の口述を基にして整理)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
軍隊のお金をみんなの暮らし
のために使う世界
世界中の政府は、2000年に、貧困をなくすための一連の目標に合意しました。国連の「ミレニアム開発目標」と呼ばれるもので、2015年までに次のような目標を達成するとしています。
●極端な貧困や飢餓をなくす(1日1ドル以下で暮らす人を半減する)。
●すべての子どもたちが、女の子でも男の子でも差別なく、学校に行けるようにする。
●赤ちゃんが栄養失調で命を落としたり、お母さんが出産時に亡くなってしまうことを防ぐ。
●HIV(エイズ)、マラリアなどの感染症の広がりを止める。
こうした目標を達成するためには、世界的に軍事費を減らし、人々の暮らしや発展のためにお金を回すことが不可欠です。
国連憲章には、「世界各国は軍事費に回すお金や資源を最小限にしなければならない」(第26条)と書かれています。世界のNGO(非政府組織)は、この国連憲章26条を今こそ実行し「軍事を減らして人々の発展に回そう」という運動を始めています。そうした世界の人々の中からは「国連憲章26条と日本国憲法9条は、同じ目標のための双子のようなものだ。ともに発展させよう」という声が上がっているのです。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月13日土曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
4、細菌兵器の研究開発
14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。
2、細菌の感染ルート
細菌の感染源を増やす
●細菌の殺傷力を最大限に発揮させるため、731部隊は細菌感染の最適ルートを研究し続けた結果、ノミが最適な媒介物であると判断した。ノミに細菌を感染させると、1匹1匹が「小型細菌伝染源」となり、感染したノミが人間または動物を攻撃した時に細菌の幅広い蔓延を引き起こす可能性が高いのである。
●細菌に感染したノミを大量生産するため、731部隊は昆虫班を設立した。このノミの生産過程はきわめて複雑で、まずネズミの血で大量のノミを飼育し、ペスト菌で汚染したハタリスをノミの飼育容器に入れる。ハタリスは保菌動物なので、短時間にペスト菌で死亡することはなく、時間が経つと、ペスト菌成分の入ったハタリスの血液を大量に取ったノミは、その1匹1匹が小型細菌伝染源と化す。最後はこれらノミを戦地に投与すれば、大規模な細菌戦は実施できる。
●動物班班長の石井三男は部隊長石井四郎の3番目の兄である。
●満州第659部隊(731部隊)のハタリス(ネズミの一種)の現地収集に関する命令・・・この命令は731部隊は大量のノミ飼育に使うネズミが不足しているため、各地からハタリスを徴収せよと指示した。
● 731部隊の各地からのネズミの収集状況表
731部隊の各地からのネズミの収集状況 | |
1945年の1月から5月まで(龍江省) | |
場所 | 数量 |
| 泰来県 | 12500 |
| トルポト旗 | 4500 |
| 景興県 | 3000 |
| 龍江県 | 14500 |
| 富裕県 | 3000 |
| 訥河県 | 14500 |
| 甘南県 | 4000 |
| 林甸県 | 不詳 |
合計 | 56000 |
●1945年5月以降、戦時情勢が緊張化したことから、日本陸軍参謀本部から短期間内に1から2トンのノミを生産し、ペスト計画を実施せよとの命令が731部隊に下った。これを受けて石井四郎はすぐに緊急会議を開き、細菌戦の準備を急ぎ、各地からのネズミの大量収集を要求したが、ペスト作戦の準備を完成しないうちに、あわてて撤退した。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
中華門外での集団虐殺
梅福康(男、63歳)の証言
1937年12月のある日の午後、日本兵200人余りが梅架村にやって来ました。私達のこの村は6軒で20人足らずの小さな村でした。日本軍が村に入って来るなり、、殴る蹴るして村人全部を外に追い立てました。夜になり、彼らは若い婦女子を集めてある家屋に閉じ込め、男をもう1つの家に閉じ込めました。深夜に、女の人たちは日本兵が居眠りをしているすきにそっと逃げました。明くる日の朝、日本兵が気付いて、男の人たちを滅多打ちにしました。その後、日本軍は手榴弾を沼に投げて魚を死なせ、銃剣で私の2番目の兄とそのほかの人たちをせっついて、魚をつかみに沼へ行かせました。2番目の兄はその時ちょうど高熱を出していて、寒い日でもあり、沼から上がって来た時は、全身がたがた震え、のどが渇いて堪らなく、水が飲みたくて、日本軍が焚き火をしていたそばでお湯を飲もうと少し注いで、ちょうど飲もうとした時に、日本軍の1人に茶碗をひったくられ頭にぶつけられて、頭が割れ血が流れました。
私達の村から外れた田んぼの真ん中に土の小高く盛り上がった所がありました。日本兵は魚を食べてから、私の家の祖母と父、2番目の兄、姪、従兄3人と私の8人に、村の隣人4人を加えた、みんなで12人を、一緒に小高い所のそばまで駆り立て、盛り上がった所を背にぐるっと丸く並ばせ、それから手ぬぐいで隣同士の手と手を縛って繋げて行きました。縛り終わったら、日本兵は残酷にも私達が後ろ向きに丸くなっている真ん中に手榴弾を投げ入れました。手榴弾が炸裂してからも、私達が死んでいないといけないと、凶悪にも又走って来、銃剣を振り上げて私達みんなを何度も突っつきました。かわいそうに小さな姪は、剣で刺されて痛くて堪らずに、泣き出したところが、たちまち日本兵に手で口をふさがれ窒息死させられました。私自身は耳の周りとあごと舌とがみんな炸裂で傷し、胸に2太刀と、尻に1太刀とで、3太刀突っつかれました。この時に害を受けた12人の内、10人が死んで、最後まで生き残ったのは私ともう1人の隣人だけになりました。我が家は8人だったのが、7人炸裂死の惨に遭ったのです。
日本兵は私達が全部爆死させられたと思い、火を放って家を全部焼きました。私の兄が前に日本軍に捕まり飯炊きに隣村へ行かされたのですが、自分の村から火が出ているのを見て、駆けて帰って来て、初めて私のまだ生きているのを見つけ、私を近くの山に担いで行き、2,3日おきに場所を移し、20日足らずしてやっと危険を脱しました。私は舌が2,3年回らずに、話もはっきりは言えませんでした。(秦金文が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
軍隊のお金をみんなの暮らし
のために使う世界
1年間に世界で120兆円、日本で5兆円という、想像もつかないほど巨額のお金が、戦争のため、又はその準備のために使われています。1発数千万円ないし数億円もかかるようなミサイルを何百発も準備することが、「国を守るため」として正当化されています。
世界の軍事費は、今世紀に入ってから特に増え続けています。世界の軍事費の約半分はアメリカの軍事費なのですが、そのアメリカが、2001年の「9.11テロ」をきっかけに、「テロとの戦い」と称してイラクを攻撃したり、世界中のアメリカ軍を強化したりして、軍事費を増やしているからです。
その一方でアメリカ国内では、社会保障や教育すら十分に受けられない人々が増えています。ハリケーンがアメリカを襲った時、これらの貧しい人々が最も大きな被害を受けました。これによって「超大国アメリカ」の中の貧困問題が目に見える形で浮かび上がりました。
世界的には、いわゆる北の先進国が莫大な軍事費を使う一方で、南の途上国では貧困が広がっています。「人類の5分の1が住む国々では、人々は1杯2ドルのコーヒーを当たり前に飲んでいるのに、別の5分の1が住む国々では、人々は一日1ドル以下で暮らし、子どもたちは蚊帳(かや)がないためにマラリアなどの病気で死んでいる」(国連開発計画=UNDP,2005年)というのが、世界の格差の現実です。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月12日金曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
4、細菌兵器の研究開発
14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。
1、細菌生産
●「石井式細菌培養箱」は石井四郎が「発明」した細菌生産用具の1つであり、731部隊で広く用いられた。細菌繁殖の際、まず補助材料を容器の内壁に沿って中に流し込み、そして菌株の付いた軽金属の薄板を中箱の間に差し込み細菌を繁殖させ、1生産周期を20時間とする。元731部隊隊員の田村良雄氏の記憶によれば、1つの細菌培養箱の20時間の細菌生産量は10グラムだが、731部隊は毎度1000個以上の細菌培養箱を使用していた。
●731部隊の細菌培養に使う培養基は3回使用できる。細菌生産で1周期が終えると、培養基の細菌を掻き出し、溶解釜で培養基を溶解させ、再び培養基に菌株を植入し、それを3回繰り返して培養基が培養能力を失うまで続ける。
●731部隊では物品消毒に、通常は乾熱滅菌器を使用する。まず、消毒する物品を乾熱滅菌器に入れて密封したあと、電気で加熱し、同時に最上部の通風孔を開く。そして、器内の温度が160℃に達した時、温度を下げて低温加熱に切り替えて30分から1時間続ける。最後に、器内の空気温度が170℃から180℃に達すると、加熱を止めて通風孔を閉じ、密封状態のままで自然冷却させる。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
中華門外での集団虐殺
徐正陶(男)の証言
1937年に、日本の軍隊が南京に攻め込みましたが、まだ南京に入らない前に、私達のこの村の近くでも、残忍非道な大虐殺が行われ、2万人以上が難に遭ったのです。
その時、日本兵はここに駐屯していた中国の軍隊と付近の村民2万人余りを、今の寧蕪公路と古雄駅から梅山工程指揮部までの専用鉄道線路とが境を接する所(村人達は唐家沖と呼んでいた)に集めて集団的に大虐殺を行ないました。駆り立てていく間に、中国の軍人と無辜の民衆とがたくさん日本兵に軍刀で西瓜を割るような仕方で斬り殺されました。集め終えてから、日本兵が小高い所に機関銃を据え付け、窪地にいる2万人に向け気違いのように掃射するや、途端に、地が一面に横死体でびっしり敷き詰められ、血がそばを流れる小川を真っ赤に染め、そのすさまじさは見るに堪えないものでした。続いて、残酷な日本兵は死体の山の周りにたきぎを並べ、死体にガソリンをまき、野蛮にも燃やしてしまうという、その全く人間性を喪失した甚だしさたるや思わず髪が逆立つほどの怒りを覚えます。
日本兵が去って行ってからも、まだ死に切れない被害者がたくさん苦しそうにうめいていて、間もなく恨みを抱きつつ死んでいき、ごく少数の者だけが九死に一生を得たのでした。
それに、日本兵は至る所でホアクーニャン(花姑娘=若いきれいな女の子)を探していて、その時女の子が2人いたのが日本兵に踏みつけにされるのを恐れて、土窯に入り込んでいましたが、日本兵が2人に出て来いと命じても、肯じようとせず、とうとう日本兵が煙で活きながらに燻し(いぶし)殺してしまい、今に至るまで2人の墓がうちの村の東の丘に在ることとなりました。(石磊と王慧が記録)
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
中米の国・コスタリカも平和憲法をもっています。コスタリカは1949年、軍隊を廃止しました。
軍隊の廃止によって、国は教育や医療などにお金を使うことができるようになりました。また、軍隊がないコスタリカに攻め入ろうと考える国はありません。
ところが、2003年に、アメリカがイラクに対する戦争を始めると、コスタリカ政府はこれを「支持する」と表明しました。これに怒った大学生ロベルト・サモラさんは、裁判所に政府を訴えました。「イラクへの戦争を支持するなんて、平和憲法への違反だ!」
裁判所はロベルトさんの訴えを認めました。そしてコスタリカ政府は、イラク戦争への支持を取り下げました。ロベルトさんは日本に来て言いました。
「憲法はただ単に守ればよいものではありません。平和憲法は人々のもの。人々が使うためにあるのです」
ほかにも世界の多くの国が平和憲法をもっています。イタリアや韓国の憲法は侵略戦争をしないと定めています。フィリピンは核兵器をもたないという憲法をもっています。
スイス、オーストリア、アイルランドなどの国々は、憲法で軍事対立のどちら側にも味方しないという中立をうたっています。
こうした平和憲法を私たちが活用し、世界にゆきわたらせていけば、戦争を起こさない世界をつくる事ができます。「イマジン 9」は、そのような世界のつくり方を、9通りにわたって、皆さんと考えたいと思います。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月11日木曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
4、細菌兵器の研究開発
14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。
1、細菌生産 細菌生産量の統計表 1937年7月~1942年7月(田村良雄氏が1954年に提供した証言による) 年 月 細菌の種類 合計(キロ) 付記 1939 7-8 チフス菌 パラチフス菌 コレラ菌 赤痢菌 22.5 1940 5 チフス菌 20 1940 7-11 チフス菌 パラチフス菌 コレラ菌 炭疽菌 ペスト菌 270 1941 1-2 炭疽菌 ペスト菌 9 粉末状 1941 5 炭疽菌 ペスト菌 9 粉末状 1941 7-9 チフス菌 パラチフス菌 コレラ菌 赤痢菌 70 1941 9-11 ペスト菌 70 1941 12 ペスト菌 5 1942 4 炭疽菌 ペスト菌 24 1942 6-7 炭疽菌 140 総計 639.5
●柄沢十三夫は自ら細菌生産を指導し、生体実験に参加し、遠征隊にも参加して中国華中地区に細菌を散布していた。敗戦後逃走中にソ連軍に捕まり、その後、ハバロフスク軍事裁判で懲役20年の判決を言い渡された。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
中華門外での集団虐殺
孫成英(女、62歳)の証言
1937年には、私は16歳で、私の家は鉄心橋の王家凹村でした。日本人が私の村にやってきた時、私は家の人と山に上って避難しました。日本人が行ってしまってから私達が村に帰ったら、王有仁の父親の王根(その頃60歳くらい)が自分の家の戸口の前で死んでいて、体に刀の傷痕があり、全身血まみれでした。王道雲の母親の王茂(その頃40歳くらい)も死んでいて、お腹が2箇所刺され、頭に弾が突き抜けた穴もあって、そばに2歳の小さい女の子も死んでいました。
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
「戦争をしない、軍隊をもたない」という日本国憲法9条がどうしてできたか知っていますか。
それは、日本が行った戦争への反省から生まれたのです。
日本はかつて、朝鮮半島や台湾を植民地として支配し、中国や東南アジアの国々を侵略しました。
日本はアジア太平洋地域で2000万人の命を奪いました。日本国内では広島と長崎に原子爆弾が落とされ、沖縄では大規模な地上戦が行われ、東京など大都市は空襲を受けました。日本では300万人が戦争で亡くなったのです。
第二次世界大戦は、1945年に日本の「敗戦」で終わりました。
その直後に、日本の平和憲法は生まれました。日本、アジアそして世界の人々に対する「二度と戦争をしません」という誓いとして憲法9条は誕生したのです。
同時にこの憲法は、民主主義の憲法でもありました。それは国民の権利を定め、また「世界中の人々が平和のうちに生きる権利をもつ」とうたいました。
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月10日水曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
●731部隊の足跡
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
4、細菌兵器の研究開発
14世紀半ば、ペスト病が欧亜大陸を襲い、ヨーロッパでは4分の1近い人口の命が奪われた。そのため、細菌兵器の危険性は国際社会に広く知られ、ペスト菌を主剤とした細菌兵器の開発と生産は硬く禁じられていた。ヨーロッパ訪問後の石井四郎はこの事情を知っていたものの、彼の率いる731部隊はその禁令を破って細菌兵器の開発を続けた。彼は日本医学界の有能な学者を集めては細菌兵器の研究に従事させ、ペスト、コレラ、腸チフス、炭疽などの病菌を細密に研究し大量繁殖させた上、ペストウィルスを感染させたノミを用いて細菌戦を数多く行った。その他、ウィルスを持つ陶器爆弾など細菌使用兵器の設計にかかった。1940年、細菌の保存とその殺傷力増強のため、731部隊は粉末状の細菌の大量生産をはじめ、粉末状の炭疽菌とペスト菌を相次いで開発した。
1、細菌生産
●731部隊は巨大な細菌生産能力をもつ。731部隊第4部生産部部長の川島清の証言によれば、当時の731部隊は1ヶ月にペスト菌を300キロ、コレラ菌を800~900キロ、腸チフス菌を1トン生産できた。
●731部隊の生産する細菌は種類が多く、主にペスト、コレラ、腸チフス、炭疽、梅毒などがあり、特にペスト、コレラ、腸チフス、炭疽など細菌が深く研究され、大量繁殖されていた。
●日本陸軍は731部隊の細菌開発を非常に重視し、731部隊のために当時としては世界で最も進んだ細菌の実験研究器材を配備した。顕微鏡も贅沢な器材として731部隊で広く使用された。当時、731部隊で従事していたスタッフ全員に顕微鏡が配備され、階級の低い者は単眼顕微鏡を使い、階級の高い者は双眼顕微鏡を使用していた。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
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大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
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●南京大虐殺
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
中華門外での集団虐殺
徐建陶(男、65歳)の証言
1937年の12月に、日本が南京を侵略しました。私は日本軍が1万人余りを今の南京と江寧公路とが境を接する所まで駆り立て集めて来て、集団虐殺したのをこの目で見ました。その頃私の家は板橋鎮石○湖の施家凹、その頃の地名で「道児関」と言われた所でしたから、私は日本軍が1万人ほどをその村から遠くない所に集めて機関銃で掃射するのを見かけたのです。私は銃声が聞こえたので懸命に村の外へ走ったのです。その後、日本軍は掃射したのを又ガソリンで燃やして、屍までも破壊し跡形も無くそうとしたのです。
○・・・漢字に変換出来なかった字
●憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より
想像してごらん、
9条がゆきわたった世界を。
Imagine,
A world filled with
Article 9.
憲法9条は、日本という「国」のものではありません。
日本に住んでいる「人々」、つまりみなさん自身のものです。
そしてそれは、日本国民にとってだけではなく、すべての人類にとって重要なのです。
(アメリカ/男性)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月9日火曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●民主党の相原久美子議員が平頂山事件の現場に行き、国会議員24人の署名のある謝罪状を手渡しました。中国通信社の記事
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
「特別移送」の実施、生体実験の進行
1932年から、石井部隊は背蔭河の「中馬城」にて生体実験を始めた。被験者は「マルタ」、つまり「丸太」と呼ばれた。1935年末、731部隊は平房区域に移転し、実験材料への需要が大幅に増え、世界で唯一の同じ人間に対する大規模な生体実験という残忍非道な研究計画を実施した。731部隊の生体実験の中心部ー「四方楼」の中心部には「特設監獄」が設けられ、彼らは実験材料となる者たちを特設監獄に入れ、名前代わりに3桁の数字をつけた。《細菌兵器の準備及び使用容疑による旧日本陸軍軍人の裁判史料》にある元731部隊隊員の述懐によれば、1939年から1945年までの間だけでも、731部隊は少なくとも3000人以上の中国や外国の人々を各実験によって殺害している。
2、生体を利用した各実験
細菌感染実験
●731部隊による生体実験の種類は数多く、細菌の感染実験だけでも4,5種類あり、細菌の注射、内服、皮下埋入の3種類が常用され、この3つの方法で比較実験が行われた。彼らは15人の被験者を3組に分け、それぞれ上述の3つの方法で0.1、0.2と0.3グラムの細菌を注入し、被験者の反応を観察した結果注射法が最も効果があるとの結論に至った。
●2000年に、731部隊の「四方楼」の旧跡発掘の際、注射実験に使用した注射器が発見された。
凍傷実験
●凍傷実験は731部隊の重要かつ残忍な実験であり、その目的は極寒地区の作戦における凍傷治療問題の研究と解決である。最初、凍傷実験は冬に行われ、彼らはハルピンの寒冷気候を利用し、被験者達を室外にて縛り上げ凍傷を負わせた。のちに凍傷実験を年中実施するため、凍傷実験室を建てた。実験室は吉村寿人が担当することから、この凍傷実験班は「吉村班」という別名を得た。
毒ガス実験
●毒ガス実験とは毒ガスの人間に対する殺傷効果の研究を専門とした実験。731部隊の毒ガス実験は、常にチチハル駐屯の第516毒ガス部隊と共同で行い、また毒ガス実験に使われる被験者のほとんどは凍傷実験を受けた後の人間である。毒ガス実験は通常大きさの異なる2つの部屋を毒ガスパイプでつなげ、大きい部屋で発生した毒ガスはパイプを伝って小さい部屋へ流れ込む。この小さい部屋が被験者が実験される現場となっており、実験者は外から観察し、被験者の状態を随時正確に記録するため、小さな部屋の壁は通常透明なガラスでできている。
解剖実験
●かつて生体解剖を行った胡桃沢正邦氏は亡くなる4ヶ月前、ついに真実を明かし、「生体実験は被験者を手術台に固定し、その意識があるかないかの状態で解剖を行う。昏睡状態での解剖で、被験者が激しくけいれんするが、意識がはっきりした状態での解剖では、被験者は大声で叫びだす。一度、私は中国の妊婦を解剖したが、手術の前、彼女は赤ん坊だけは助けて欲しいと願ったが、??私は・・・・・・・・」と苦しそうに話した。
死体焼却炉
被験者は各種細菌実験を受けたあげく、生きながらも解剖室で解剖され、内臓はすべて取り出されて標本にされ、残った価値の無い身体は最終的には死体焼却炉に放り込まれて、その存在を完全に隠滅された。731部隊には3つの焼却炉があり、「四方楼」に一番近いのが被験者の死体焼却炉で、この焼却炉はのち撤退間際に廃棄された。現在は北岡焼却炉(遺跡)と北窪地焼却炉(遺跡)だけが残り、この2つの焼却炉は当時小動物の死体と細菌の研究開発過程で中毒死した731部隊の隊員の死体を焼却するものであった。
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
中華門外での集団虐殺
皇甫澤生(男、73歳)の証言
私は山西省の左権県の者で、73歳ですが、今は太原市に住んでいます。
1937年に私は南京を防衛する兵隊の1人でしたが、日本の侵略者の軍が城下に迫った時、南京防衛の責任を負う指導者に組織力が無かったことから、撤退する時に極度の混乱を引き起こしました。挹江門を出た時、各部隊とも既にばらばらになっていました。下関(シャーカン)に来た時には、長江には大きい船も無く小さいのも無く、無組織の散り散りになったあまたの兵が上新河の方へ流れて行った時には、兵に指揮者がいないのと、挹江門を出る押し合いでほとんどが銃を失っていたのとで、日本兵と戦うわけにはいかない状態になっていたため、前後して数百人が日本軍に捕らえられて捕虜になったのですが、私もその1人でした。
私達は板橋鎮のある谷間まで連れて行かれて、集団で日本軍に機関銃で射殺されました。私はその時は死ぬしかないんだと思っていました。日本兵は銃で射殺し終わってから、傷してまだ死んでいない仲間たちを、銃剣で刺殺しました。その時私は死体の下に押し付けられていて、まだ生きているんで死んでないんだと分かりました。私がまだ生きているのを日本軍に気付かれないためには、ほんのちょっと動くことも出来ませんでした。およそ1時間余りして、あたりがもう何の物音もしなくなった頃に、傷を受けた仲間が1人泣いているのが聞こえただけで、私は顔を上げてあたりを見回すと、現場から遠く離れた東山の山頂で、一般市民が、見渡しているのが見えたので、それで私は日本軍がもう行ってしまっていないのだと確認しました。そこで起きだして座り、身体中を調べてみると、どこも傷していなくて、密集した銃弾の下で、自分が死ななかっただけでなく、小さな傷1つ受けなかったというのは、今になってもまだ私には1場の夢としか思えないのです。
その時その傷を受けた遭難仲間が、身体中いっぱい負傷していて、出血しすぎたためなのでしょう、のどが渇いてたまらなく、水を少し汲んできて飲ませて欲しいと頼まれましたが、私はその人に傷したら水を飲んではいけないんで、自分が手助けして一緒にここから逃げてもいいからと勧めました。その人は、自分はもう動けない、堪えられない渇きを止めるのには水をちょっと飲むんだ、と言いました。その人は長くは生きられないと自分で感じていて、とにかく水を少し探してきてくれと頼むので、どうしようもなく私は軍用の水筒で田んぼの脇の沼から水を1杯汲んできてあげて、その患難仲間に別れを告げたのですが、それは又永久の別れでもあったでしょう。私は物悲しい思いを抱いて、この災難で死んだ何百人もの人たちと、この気息奄々(きそくえんえん)たる哀れな患難仲間とを後にし、東の山の端の方へ走って行ったのですが、数多くの土地の方々のお世話やお導きによって、安徽省(あんきしょう)南部の南稜などの地を経、やっと日本の侵略者たちの占領区から逃げ出て、生き残って来られたのです。(段月萍が皇甫澤生の1987年の手紙によって整理)
「Imagine9」【合同出版】より
想像してごらん、
ひとりひとりの安全を
大事にする世界を。
Imagine,
A world that values
the safety of each and
every human.
政府と政府とのあいだにではなく、人と人とのあいだに平和をつくる事が
大切だと思います。人と人とのあいだには、文化があり文明があります。
政府が変わっても、人間の文化や文明は変わりません。
私はイラク人として、日本の人たちとイラクの人たちの間に
平和をつくりたい。それが私の理想です。
(イラク/男性)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月8日月曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
「特別移送」の実施、生体実験の進行
1932年から、石井部隊は背蔭河の「中馬城」にて生体実験を始めた。被験者は「マルタ」、つまり「丸太」と呼ばれた。1935年末、731部隊は平房区域に移転し、実験材料への需要が大幅に増え、世界で唯一の同じ人間に対する大規模な生体実験という残忍非道な研究計画を実施した。731部隊の生体実験の中心部ー「四方楼」の中心部には「特設監獄」が設けられ、彼らは実験材料となる者たちを特設監獄に入れ、名前代わりに3桁の数字をつけた。《細菌兵器の準備及び使用容疑による旧日本陸軍軍人の裁判史料》にある元731部隊隊員の述懐によれば、1939年から1945年までの間だけでも、731部隊は少なくとも3000人以上の中国や外国の人々を各実験によって殺害している。
| 2、生体を利用した各実験 | |||
| 目的種類 | 731部隊の生体実験の種類 | ||
| 細菌兵器の開発研究 | 実験での殺人手段 | 極限状態における人体の変化探索 | |
| 1 | 殺傷力の高い毒菌を選別し人体に注入して観察 | 各銃弾の人体への貫通能力 | 人間の真空における状態 |
| 2 | 人体における病毒の毒性と感染力の増強実験 | 各種毒物の人間に対する殺傷力 | 人間のそれぞれ異なる気圧下における状況 |
| 3 | 人体を用いたワクチンの効果実験 | 人間を殺すために最も効果的な部位を検索 | 人間の空腹に耐えられる時間の極限 |
| 4 | 異なる国と人種の人間に対する細菌戦剤の感染性の観測 | 縊死(いし)させる | 水分を与えず乾燥食料だけの生存時間 |
| 5 | 感染者と健康者を同居させ感染の可能性を観測 | 絞死させる | 水分だけを与えた生存時間 |
| 6 | 細菌戦剤に抵抗力を持つ被験者の血液を全て抜き出し、治療用の抗血清を作製 | 逆吊りにする | 熱風で乾燥させた後の体重 |
| 7 | 細菌戦剤感染の最適なルートと用量(服用、或いは気道感染させるなど) | 煙を吸入させ殺す | 血液代用剤の効果観測 |
| 8 | 人体内での新しい毒菌の実験(出血熱ウィルスなど) | 火炎で焼死させる | 凍傷研究 |
| 9 | 観察用飛行機から投下した細菌弾の殺傷効果★ | 感電 | 熱湯によるやけどの研究 |
| 10 | 被爆後、爆弾破片上の破傷風菌とガス壊疽菌の傷口からの侵入による致病状況 | 健康な人体を用いての各種外科手術の学習 | |
| 11 | ペスト・ノミ(特殊容器に入れた)を空中投下し、容器が壊れた後の人間への侵入状況を観察 | 健康な人体を用いての難度の高い外科手術の学習 | |
| 12 | 人工授精 | ||
| 13 | 梅毒の感染と治療 | ||
| 14 | 用量を超えたX線輻射 | ||
| 15 | 頭蓋骨切開後、脳の各部位の機能を研究 | ||
| 16 | 各種新薬の用量と中毒用量の研究 | ||
| 17 | 新たな伝染病の人体への影響観察 | ||
| 18 | 臓器移植 | ||
| 19 | 切断手術の実験 | ||
| 20 | 狂犬病の感染と観察 | ||
| 21 | 麻酔薬品の試用 | ||
| 22 | 各種の毒剤の用量実験 | ||
| 注釈★印の付く実験は室外の射撃場にて | |||
| 731部隊が行った生体実験は約40種類。隊員たちは考え付いたすべての方法で各種実験を実施した。 | |||
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
中華門外での集団虐殺
張正業(男、71歳)の証言
(昨日の続き)私が分からないままに、とある小丹陽鎮という所に行ったら、あわてた顔つきで集まってきた人を少し見かけたほかに、前線から退いてきた負傷兵に少なからず出会い、腕の取れた者あり、足の無い者ありで、息も絶え絶えに地に横たわっている者もいました。きのう日本軍がここにやって来てなにがしかの人を殺してから行ってしまったと言うことでした。私は長居が出来ずに、西の方へ6里余り行って、趙○崗という村まで来ました。路に面したある塀で囲まれた家の門に、お年寄りがいたので、私は水を飲ませてもらおうと近づいて行って、おしゃべりしたところ、そのお年寄りが詳しく私の来歴を訊ね、私の遭遇した不幸に痛く同情してくれて、すぐに自分の家に引き入れて泊まらせ、親切に構ってくれた上に、焦らないようにと私を慰め、何とかして長江を北へ渡って故郷へ帰って行ける機会を見つけるようにしようと、勧めてくれるのでした。老人は王会融という名で、心根の全く善良な人でした。私が故郷に帰るのを助けようと、毎日門にいて長江の北から来た人はいないかどうか尋ねていました。およそ半月くらいして、丁度好く4人の人が江北からこっそり渡ってきて丹陽鎮へ刻みタバコを売りに行くのにぶつかりました。老人は大喜びで、その人たちに大変親切に食事と宿とを提供し、詳しく江北の様子を訊ねてくれました。その人たちによると、日本軍は津浦線(天津から浦口までの鉄道)沿いに北の方へ明光駅まで進んで行っているが、その両側へはまだ広がっていない。長江も全く封鎖されているのではなく、自分らは岸辺の小舟に隠れていて、夜こっそり渡って来られたのだ、ということでした。こうして王会融お爺さんが私をこの4人の煙草売りに託して、私を江北へ連れて行ってもらえるようにしてくれたのです。私は合肥の方に回り道をして4,5日歩き、蚌埠に着いて、北へ行く夜行の難民列車に這い上がり、翌日の朝徐州に到着しました。降りてから大雪をものともせずに、百里足らずの道のりを急いで歩いて、その晩真夜中に家にたどり着きました。その時は父も母もまだ眠っていなくて、家にはまだ明かりが灯っていました。私が戸口から入るなり、父と母は私が帰ってきたというので、悲喜こもごも、途端に大声で泣き出しました。隣近所の人たちが吃驚し、みんなわが家にやって来てあれこれ聞いてくれ、みんな私が生きて帰って来られたというので望外の喜びに浸ったのでした。
それにまた何と、私と一緒に虎口に陥った張正先が、2番目の窓から跳び出したの後、日本軍に撃ち殺されずに、その晩の内に江辺に戻り、木のたらいに乗っかって江北まで漂いつき、私より半月も先に家に帰り着いていたのでした。家に帰ってからの彼の判断では、私は窓から跳び出しけつまずいて倒れた後に撃ち殺されたのでした。彼がその様子を私の両親に話してからは、家の者達は私が南京で死んだに違いないと思って、身も世も無く泣き悲しんだのですが、私が帰ってくるようになってやっと落ち着いたのでした。
今思い起こしますに、南京が陥落した時に私と一緒に難をこうむった131人の内で、私と張正先だけが九死に一生を得たのでした。張正先は故郷に帰ってからまた国民党の組織した抗日ゲリラに加わり、ある戦闘で陣没しました。生き残りは私1人だけになってしまったのです。
(張道遠が1987年に記録)
「Imagine9」【合同出版】より
想像してごらん、
戦争にそなえるより
戦争をふせぐ世界を。
Imagine,
A world that instead
of
preparing for war,
prevents war.
コスタリカは1949年の憲法で軍隊をなくしました。
コスタリカのように武器を持たない国が 国際的に大きな強みを
発揮する事があります。
なぜなら、コスタリカは軍隊を持たない分、教育に力を入れ、人づくりをしているからです。
若者たちは、紛争が起きたとき、武力ではなく交渉や対話によって
解決できるということを、一人ひとりが子どものころからしっかりと学んでいます。
(コスタリカ/男性)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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2009年6月7日日曜日
この世の地獄!731部隊・南京大虐殺
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「日の丸」・「君が代」反対!!
●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より
「特別移送」の実施、生体実験の進行
1932年から、石井部隊は背蔭河の「中馬城」にて生体実験を始めた。被験者は「マルタ」、つまり「丸太」と呼ばれた。1935年末、731部隊は平房区域に移転し、実験材料への需要が大幅に増え、世界で唯一の同じ人間に対する大規模な生体実験という残忍非道な研究計画を実施した。731部隊の生体実験の中心部ー「四方楼」の中心部には「特設監獄」が設けられ、彼らは実験材料となる者たちを特設監獄に入れ、名前代わりに3桁の数字をつけた。《細菌兵器の準備及び使用容疑による旧日本陸軍軍人の裁判史料》にある元731部隊隊員の述懐によれば、1939年から1945年までの間だけでも、731部隊は少なくとも3000人以上の中国や外国の人々を各実験によって殺害している。
1、特別移送
「実験材料」の十分な供給を保障するため、731部隊は主に「特別移送」の方法で「材料」を入手していた。関東軍司令部の支持の下に、731部隊と憲兵隊は共同で各憲兵隊が各地で拘束した一部の中国人と外国人を裁判なしに直接731部隊の「特設監獄」へ送り込んだので、「特別移送」と呼ばれたのだ。731部隊は始めは街で一般庶民を勝手に拘束して実験材料としたことがあったが、これは「圏街」と呼ばれた。
特別移送及び特別移送の記録
●ハルピンの元日本領事館もかつては「特別移送」任務を担当した。領事館の地下尋問室には囚人を吊り上げる滑車があった。
●方振玉、男、1922年生まれ。本籍はハルピン市平房区正黄旗屯。1941年~1944年3月まで731部隊で労働者となり、針金で縛られた被験者を隊員が列車から下ろしたのを目撃している。
●731部隊に移送された被験者は、「四方楼」中央部の「特別監獄」に監禁され、生体実験されるのを待つだけであった。「四方楼」の中央に「マルタ」小屋と名付けられた左右対称の監獄があり、右側は7棟、左側は8棟と呼ばれる。
●特別班班長 石井剛男・・・・石井四郎の2番目の兄、「特別監獄」を管理した。
●石橋直方氏の謝罪と悔恨の言葉:
50年近い年月の間、胸に抱き続けていた謝罪と悔恨の思いを今日現すことができた。元隊員であることの身分を明らかにしての訪問はあまりにも心の重いことであったが、私は私なりに1つの区切りをつけたかった。合掌
1987年6月15日
元731部隊隊員
石橋 直方
66才
●日本軍細菌戦部隊
・日本陸軍軍医学校(東京)
・関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
・華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
・華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
・華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
・南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
・関東軍第100部隊(長春)
516部隊
731部隊
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。
化学兵器CAREみらい基金ブログ
大久野島(毒ガス島)
中国人戦争被害者の要求を支える会
中帰連
ハイナンネット
南京への道:史実を守る会
根津公子さんのページ
「この事実を・・・・」
(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳)
1、日本軍の狂暴な集団的虐殺
中華門外での集団虐殺
張正業(男、71歳)の証言
(昨日の続き)撃つのが停まったので、又1人窓から跳び出し、懸命に北へ駆け出しました。日本軍が発見してまた発砲し北へ向けて射撃したのが、丁度私が窓から跳び出した時で、その銃声で分からなかったのかもしれず、又もや最初に撃ち殺された人の体の上に落ち、日本軍に見つかりませんでした。日本軍はひとしきり撃ったら、やめてしまいタバコを吸って話をしていました。私は死んだ人の体の上に腹ばいになり、この地は安全でないと感じたので、懸命に北の方へ駆け出し、一気に10何メートルか跳び逃げました。幸いにも束ねて立てかけたわらがうずたかくなっているのがあって、その後ろに隠れたので、日本軍がひとしきり撃ってきたのにも傷つけられずに、地に横たわって時機を待ち、外に生きる路を謀りもしました。その時、日本軍は引き続き火をつけて家を焼いていて、半時間くらいして、日本軍は集合して西の方へ去って行きました。日本軍が遠くへ行ってしまい、辺りにはもう何の物音もしなくなったのを待って、私は張正先を探しにまた戻って行きました。窓の下まで手探りで行ったら撃ち殺された人の脳味噌がもう流れ出していて、かたわらに張正先の帽子があり、もうきっと死んだに違いないと思ったら、涙が出てきて、帽子を頭にかぶせ、南の方へ去って行ったら、10何メートルか行ったところに、刺し殺された同胞達がうずたかくなっているのが見えて、見るに忍びないすさまじさでした。日本の侵略者が我が同胞を殺害した血なまぐさい罪悪行為を、私は永遠に忘れることが出来ません。
虎口を脱した後、私はほのかな星明かりを頼りに、闇雲に東南の方向の小さな村落へと行ったところが、又もや狼の巣にはまり込みそうになり、もう少しで間違って日本軍の露営地に入ってしまうところでした。幸いにもあるお年寄りに教えられて、やっと危ないところから危険の無い状態へと変えられ、割りに安全な山里に入れました。夜が明けてから初めて、自分が頭から足まで全身血だらけなのと、その時まで1日2晩も飲まず食わずで、くたびれ果てているのとに気付きました。心優しい村人たちが私のこの恰好を見て、みんな進んで私にご飯を食べさせ水を飲ませてくれて、さっぱりした衣服に着替えさせてくれました(明日に続く)
「Imagine9」【合同出版】より
想像してごらん、
女性たちが
平和をつくる世界を。
Imagine,
A world where
women create peace.
戦争は、子どもや夫が戦いにいくことを女性が認めない限り起こりません。
女たちは、一歩前へ踏み出し、男たちを含むあらゆる人間の産みの親として、
地球とそこに生きるすべてのものたちの世話役として、破壊をやめさせる責任を果たす事ができます。(アメリカ/先住民女性)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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